「……真宵ちゃん……?」
 中空から真宵ちゃんの首が落ちてきて、ガラスの箱にぽとりと乗っかった。
「被告人はまだ嘘をついています!」
「……真宵、被告人はまだどのような嘘を?」
「嘘なんてついていない!僕が殺したんだ!動機だってある!!これ以上裁判をする必要ないだろ!?早く刑を……!!」
 石の机に叩きつけられた両手が、冷たくて震えている。
 お願いだから、早く。
 箱の上の真宵ちゃんは、そんな僕を見て、にこっと笑った。
「……ナルホドくんが殺してなきゃダメな理由があるんだね?」
「!!……そんなの!そんなもの無い……!!」

     殺される
     くらいなら

 ビシビシビシッ!
 ガラスの箱に縦に大きな亀裂が走った。
 割れてしまう。壊れてしまう。
 中に封じ込めたものが出てきてしまう。
「ナルホドくん」
 真宵ちゃんは、穏やかな声で、容赦なく僕に止めを刺した。

   「おなかは、大丈夫?」

「な、何を」
 真宵ちゃんが突然何を言い出したのか分からなかった。
 けれど、次の瞬間、気持ち悪い感触が僕の足を這った。
 血が足を伝わって流れていく。僕は呆然と自分の体を見下ろした。
 足元に血溜りが広がっていく。血は僕の腹から溢れ出していた。
「おなか……いたい………」
 僕は体を折り曲げて腹を押さえる。真宵ちゃんはそんな僕に構う事無く、宣言した。
「さあ、真実の箱を開こうよ」
 パキィィンと甲高い音と共にガラスの箱が粉々に砕けた。


 僕は今へと駆け込んだ。物音と叫び声に驚いて、慌てて部屋に入ったのだ。
    そうだ……部屋に駆け込んだのは、僕。
 居間の光景に息を飲んだ。床に、ちいちゃんの前の恋人が倒れていた。背中がいくつもの刺し傷で赤く染まっている。
 その傍らには、ちいちゃんが包丁を持ったまま、ぼんやりと立ち尽くしていた。
「ちいちゃん!?どうしたの!?」
 ちいちゃんはゆっくり振り向いた。
 虚ろな眼が僕を捕らえる。
「リュウちゃん……」
「ちいちゃん、何があったんだ!?どうして呑田が……!!」
 僕は呑田に駆け寄った。急いで首筋に手を当てる。手が震えて脈がよく分からない。でも体はもう冷たかった。
「おい、呑田、しっかりしろ!ちいちゃん、救急車を……!」
 呼んで、と言い差したとき、肩口に熱いような衝撃が走った。
 痛みは一瞬遅れてやってきた。僕は飛びのいて肩を押さえる。押さえた指の隙間からぬるりと血が溢れた。
「ちいちゃん!?」
 再び突き出された包丁を反射的にかわす。その拍子に、テーブルに躓いて転んだ。派手な音を立ててテーブルの上のペン立てや小物が引っくり返った。
「もう……だめなの。リュウちゃん……ねぇ、どうして?どうしてこうなってしまうの?どうして私は……」
 うわ言のように、どうして、と繰り返す。その目は僕を見ていて――でも、僕を見ていない。
    ねぇ、そんな目をしないで。
    ちゃんと僕を、見て。
「ちいちゃん……」
 僕は座り込んだまま呆然とちいちゃんを見上げた。
    赤く濡れたピンクのワンピース。綺麗な赤い髪。血の気の失せた青い顔は――包帯の下の顔と同じ。
「どうして私は……」
 ちいちゃんはゆっくりと僕に近づいた。包丁の切っ先は微かに震えながら、僕を狙っている。
 僕は思わず、直ぐ側に転がっていたカッターナイフを掴んだ。
「来ないで……ちいちゃん、ねぇやめて……!」
 右手の中のカッターナイフが熱を帯びたような気がした。
 ちいちゃんが目の前に立ちはだかる。
 僕を見下ろすその瞳は、泣いているのに乾いていた。
 絶望が、見えた。

     殺されるくらいなら……

「もういいの……もう、何もかもおしまいにしたいの……」
 ちいちゃんは包丁を振り上げた。
 恐怖は無かった。
 ただ、ただ悲しかった。
    そうだ……殺されるくらいなら。

    僕は自分で

 包丁が振り下ろされるよりも早く、僕はカッターナイフを突き立てた。
 ――自分の腹へ。
 願いを込めて、それを体に押し込む。
 はやくしんで。はやく。
 ころされるまえに。
 よけいなものをみてしまうまえに。
 急速に意識が薄れていく。
 良かった、これでもう……僕には何も見えない。
 何も聞こえない。
 最後に、何かを叫ぶちいちゃんと――僕を抱きとめようと伸ばされた、ほっそりとした腕を見た気がした。

 ――そこは僕の家の居間だった。畳にじっとりと染み込んだ血は、変色し、乾いている。その時の経過が、僕に教える。
 全ては実際に起こった事なのだと。
 どう足掻いても逃げる事なんか、出来ない。
「……ナルホドくんは自分から死のうとしたんだよ」
 テーブルの上の真宵ちゃんが言った。
 僕は崩れ落ちながら血溜りの中に肩膝を付く。脳の記憶は体の記憶も蘇らせた。
 あの時の傷を。
「見たくなかったんだね。恋人に殺される自分なんて」
 真宵ちゃんの生首が哀れむように言った。
「そうだよ……」
 僕は血の海で喘ぐ。
「見たくなんかなかったから……でも僕、自殺だから……ちいちゃんは僕を殺したりしてない。僕は恋人に殺されるような惨めなヤツじゃない……!そうだろ?ねぇ、真宵ちゃん……!!」
 真宵ちゃんの答えを聞く事は出来なかった。
 僕は落ちるように、闇に飲み込まれていった。

 気づくと、僕は黒い石で組まれた通路の上に立っていた。
 黒い通路は、黒い闇の中に切り立ち、ぐねぐねと捻じれ、伸びていた。騙し絵のように、天地がめちゃくちゃだ。空はとろりと赤く、済んでいるのか、曇っているのか良く分からない。そこは赤と黒に支配された不思議な場所だった。
 僕は今度こそ死ねたのだろうか?それさえ確証が持てない。
 現実も夢も不思議の世界も、何もかもめちゃくちゃだ。道はぐねぐねと僕を誘うように伸びている。
 ぴちゃ。
 一歩踏み出した音が湿った音を立てた。見れば、僕は血溜りの中に立っている。どこから溢れてくるんだろう、と不思議に思ったら、それは僕の腹から溢れた血だった。麻痺しているのか痛みは全く無い。
 僕は捩じれた通路をゆっくりと歩き出した。僕の通った後には血の川が出来る。僕は赤い川を生み出す血の泉。
     ……ナルホドくん……
 どこからともなく声がした。ごく小さい声なのに、はっきりと聞こえる。どこかで聞いたような可愛い声……そうだ、真宵ちゃんだ。まるで詩を朗読するように厳かに真宵ちゃんの声が続けた。
     ナルホドくんがあたし達を作ったんだよ。小さいナルホドくんは、給食費泥棒に間違われて、誰も信じてくれないのが辛くて不思議の世界に逃げ込んだの
 世界には薄赤い霧が満ちていて、通路の果てに何があるのかは見えない。僕は諾々と黒い道を進んでいく。
     不思議の世界はナルホドくんの歪みを吸い上げる 小さなナルホドくんが歪みに飲み込まれてしまわないように
 通路はめちゃくちゃに捩じれて、いつの間にか天地が逆になっていたけれど、落っこちる事はなかった。重力まで可笑しくなっているのかもしれない。
 赤い空と黒い闇の狭間の中空に幻が現れた。小さな男の子が皆に囲まれていた。
 僕はそれを足を止め、それを眺める。
     だめじゃない、人の物を盗んだりしたら……
 小さな僕は訳も分からず泣きながら謝っている。
     ごめんさい……ごめんさい。
 顔を背けられない。
 どんなに逃げたってこれが現実。拒絶しても拒絶しても追いかけてくる逃れられない悲しい真実。
 幻は消える。だけど心の傷は消えない。
 人の垣根は消えた。泣きじゃくる小さな僕が残される。
 その前に、大人の女の人が現れた。長い髪、黒いスーツ、長いスカーフ。その時の担任の先生とは、全然違う綺麗な女の人。
 僕は彼女を良く知っている。
 千尋さんは屈みこんで僕の頭を撫でてくれた。だけど小さな僕は顔を背けて目を瞑った。
     居ないんだ。……千尋さんなんて居ない。
     皆が気持ち悪がるから……
     ……そんなの、居たらダメなんだ……
 悲しい幻は淡く消える。僕は再び歩き始める。
    そんな感じで不思議の国への扉は綴じちゃって、あたしたちは忘れられちゃったの  だけど、お姉ちゃんだけは人に紛れてナルホドくんの側に
 ねえ真宵ちゃん。僕は、僕の願いが叶わない事くらい、ちゃんと知ってたんだよ。だから君の言う事、聞いてあげてたんだ。君の望みを叶えてあげたかったんだ。
    お姉ちゃんはナルホドくんの歪みを吸い続けたの あの夜、ついに自分まで歪んじゃうまで
 やがて、少し開けた平らな場所に出た。
    歪んだお姉ちゃんは何を願うと思う?
 もう道は続いていなかった。僕は崖の淵に歩み寄って、下の闇を眺める。
 吸い込まれそうな闇。
 落ちたら、そこには何があるんだろう。
「それでも思うのは」
 ふいに背中の向こう、ごく間近から声がした。
「貴方の事よ……」
 けれど、振り向いたそこに狩魔冥の姿は無かった。代わりに、そこには血まみれの千尋さんが立っていた。
 全身を血で染めた千尋さん。ぽたぽたと赤い雫が滴っている。けれど、傷は見当たらない。
 ――誰の血、だろう。
 千尋さんがふと僕に顔を向けた。初めて僕達は目が合った。深い色の目が、僕を捕らえる。
「大丈夫よ」
 優しい声だった。
 僕は答えられない。
 言葉の代わりに涙が落ちた。
「迎えに来たのよ……さあ」
 千尋さんが手を差し出した。
 僕は吸い寄せられるようにその手を――
 その時、ダメッ、と空間に可愛く窘める声がした。
 千尋さんの姿はフッと揺らめいて掻き消える。その呟きだけが僕の耳に甘く残った。

     もう誰にも  貴方を傷つけさせないわ――


 まず目に入ったのは、白い、飾り気の無い天井だった。馴染みの無い不思議な匂いがする。がちゃがちゃとワゴンか何かが動くような音、遠くでスピーカーから流れる女の人の声が聞こえた。
 どこだろう、ここ。
 寝返りを打とうとすると、腹に激しい痛みが走った。その痛みで僕は現実を認識する。
 ……病院?
 ベッドは部屋の隅に置かれ、首をめぐらすと、右側の壁には古ぼけた鏡がかけられていた。左側にはサイドボードが置いてあって、その上には空の花瓶が乗っている。ベッドはその部屋の中に、ひとつしかなかった。
 これまで入院した事はなかったけれど、ここが病院の個室である事はすぐに予想がついた。いつの間にか入院着を着ている。お腹の傷には分厚いガーゼが当てられていた。
 誰が運んだんだろう。
 僕はぼんやり白い天井を見上げる。
 ――ちいちゃん。
 天井に向かって、声に出さずに呟いた。
 僕、信じてたんだよ。ちいちゃんは本当は僕の事、嫌いじゃないって。今は嫌いでも、きっといつか好きになってくれるって。
 でも、もうだめなんだなぁ……。
 僕は他人事のように納得する。
 殺したいくらい、キライだったんだ。――そんなの知りたくなかったから、自分で自分を消したはずなのに。
 僕はまだ、ここにいる。
「ほんとに……情けないったら……」
 僕は思い体を起こした。
 お腹が痛む。その痛みが愛しい。
 もっと痛めばいいんだ、もっと。
 僕はのろのろと病室を出た。

 僕は体を引きずるようにして屋上にやって来た。別に何か目的があって屋上に来た訳じゃない。なんとなく階段を上がって、なんとなく目の前のドアを開いたら、そこに屋上があったというだけだ。
 夕暮れの屋上には誰も居なかった。隅の方に、取り込み忘れたタオルが二、三枚はためいている。
 町中が見渡せる。屋上の淵には高いフェンスが張り巡らされていた。事故、もしくは自殺防止の為だろう。まるで鳥かごだ。
 僕は、冷たくて素っ気無いフェンスを掴んで、はるか下のコンクリートを眺めた。飛び降りて死ぬって痛いのかな。
 そんな事をぼんやり考えていると、背後で声がした。
「ナルホドくん」
 振り返ると、どこから出現したのか、真宵ちゃんの首がぽつんと地面に落ちていた。相変わらず、にこにこしている。
 僕は真宵ちゃんを一瞥しただけで町の風景に目を戻した。
「……迎えに来たって」
 僕は千尋さんのセリフを繰り返した。
「……お姉ちゃんはナルホドくんをここから連れ出したいんだよ」
「ここから……」
 僕は小さく笑って真宵ちゃんを振り返った。
「それって――いいかもな」
「ナルホドくん、お姉ちゃんは……」
「僕はペンダントを返さなかった」
 真宵ちゃんが何か言いかけたけど、僕は口を挟ませなかった。
「だからちいちゃんは僕の事が嫌いだった。邪魔だったんだ。僕はちいちゃんを分かってて困らせてた。好きになんてなってもらえる訳ないじゃないか……もらえる訳が無かったのに!」
 あの時、素直に返せば良かったんだ。それで何かが歪んでしまった。そして――惨劇を呼んだ。……まるで疫病神だ。
 僕は長く息を吐いた。
 何かが剥がれ落ちていくようで、急に息をするのさえ億劫に感じた。
 僕はぽつりと呟いた。
「……もう、どうでもいい。千尋さんが殺しに来てくれるなら、それでいい……」
 真宵ちゃんは暫く黙っていた。やがて、静かにいつものセリフを口にする。
「……ナルホドくんが、そう言うなら」
 それを聞いた瞬間、苦しいものが腹からせり上がって来た。凶悪な僕が顔を覗かせる。
「……真宵ちゃんはいっつもそればっかりだな。僕が生きてても死んでも、どっちだっていいんだよな!」
 真宵ちゃんは何も答えなかった。ただいつものようににこにこしている。
 見慣れた筈のその顔が、今は堪らなく腹立たしかった。
 ……そんな筈がない事くらい、分かっている。『彼女達』を作ったのが僕だというのなら、僕の生死が真宵ちゃんにとって無関係である筈が無い。分かっていて僕は突っ掛った。
「君は最初から全部知っていたんだろう!?満足だろ!?こうなるのを分かってて僕を急き立てたのは君なんだからな!!」
 膨れ上がった複雑な感情が、何もかも壊してしまおうとしている。
 違う。
 こんな事が言いたいんじゃない。分かっているのに止められない。
「真宵ちゃんのせいだ!真宵ちゃんさえ僕の前に現れなかったら、僕は何も知らずに居られたのに!!」
 ああ、もう言ってる事がめちゃくちゃだ。真宵ちゃんはいつだって僕の側に居てくれたのに。たくさん、助けてもらったのに。
 僕が放った酷薄な刃は真宵ちゃんを傷付けた分だけ、僕を傷付けていく。僕は拳を痛い程握り締めて屋上の冷たい床を睨み付けた。
 本当に、あの時死んでしまえば良かった。そうすれば、それで済んだのに。上手に死ぬことすら出来ないなんて――ほとほと嫌になる。
「……あたしは『導く者』って決められるの」
 突然、真宵ちゃんが呟いた。あんまり唐突だったから、僕は思わず顔を上げてしまった。
「ナルホドくんの意思はあたし達の意思だよ。扉が閉じた後、あたし達の意思はナルホドくんを離れて動き出したけど、あたしは導く者だから、ナルホドくんの意思を超える事は出来ないんだよ。ナルホドくんが本当に死にたいって言うなら、あたしはただそれに従うしかないの」
 真宵ちゃんはいつだって、ナルホドくんがそう言うなら、と言った。
 そうだ。
 僕は何かを真宵ちゃんに強制された覚えなんてない。……いつだって、僕が選んで決めて、ここまで来た。
「ついにナルホドくんが壊れそうになったあの夜……あたしは命じられたの。隠し続けた真実に、ナルホドくんを導くように」
「……命じられた?だれ、から?」
「ナルホドくんに決まってるじゃない!」
「ぼ、僕がそんな事知ってた筈ないだろ……!」
「ナルホドくんが直接そう言った訳じゃないよ。でもあたしはやらなきゃ!って思ったの。ナルホドくんが望んだからだよ」
「………………」
 望んだ?僕が?
「壊れそうになったナルホドくんは、もう一か八か!って感じで全部を受け入れる覚悟を決めたの。メイちゃんや牙琉さんは嫌がったよ。全部知ったら、きっとナルホドくん泣いちゃうし、やっぱり壊れちゃうかもしれなかったからね」
 そうだ。狩魔冥は、千尋さんなんて放っておけと言った……。
 行かないで、と。ずっとここに居れば安全だからと。
「分かっててナルホドくんはそう決めたんだよ。そして、閉じられていた扉がまた開いて……あたしはナルホドくんに会いに行ったんだ」
 僕が……決めた?
 こんな事を知る事を?
 ぞくぞくっと鳥肌が立った。そんな筈、無い。
 僕はずっと逃げ続けて来た卑怯で臆病な、どうしようもない人間で……。
「もうそれしか道が無い事をナルホドくんは知ってたんだね。自分がどんなに傷つくかも。それでも……ナルホドくんは生きたいと願ったんだよ」
「僕……が?」
「あたし達のナルホドくん。ナルホドくんがあたし達を作り出したの。現実がどんなにナルホド君を傷付けても、ナルホドくんは生きたいってもがいて、あたし達を作り出したの。あたし達は、その為に在るんだと思う……」
「……ぼ……僕、はっ……!!」
 口を開こうとしたら、堰を切ったように涙が溢れ出た。僕は真宵ちゃんの首に飛びつくと、それをきつく胸に抱いて泣いた。何を喋ろうとしたのかも分からないくらい、僕はただ、泣いた。

 散々泣いて、泣きつくして、ようやく僕は泣き止んだ。
 すっきりしたというよりは、ぽっかりと何かが抜け落ちたような感じだ。こんなに泣いたのは何年ぶりだろう。
「やばい……」
 僕はぐずぐずと鼻を擦り上げる。
「僕、酷い顔になってないか……?」
 真宵ちゃんは、置くの膝の上でコテと仰向けに倒れて僕を見上げた。
「いつもと大して変わらないね」
「……それも失礼な話だな」
 憮然と言ってから、僕は思わず首を傾げた。
「変だな……僕が君たちを作り出したんなら、今のこれは独り言と変わらないのかなぁ……」
 真宵ちゃんは不思議そうな顔をした。
「あたし達を作り出したのはナルホドくんだけど、あたし達はナルホドくんじゃないよ」
「でも、これって僕の妄想みたいなものじゃないの?」
「あたし達にとってナルホドくんは絶対的な存在だけど、絶対の支配者じゃないんだよ」
「………君、僕が作り出した癖に難しい事言うな……」
 真宵ちゃんはにこっとした。
「みんなナルホドくんが好きって事だよ!!」
 ……なんか適当に誤魔化されてる気がしないでもないけど……。今の僕はその言葉に弱い。
「……千尋さんも?」
「もちろん!ずっとナルホドくんの側に居たのはお姉ちゃんだからね!」
「……思い出せないんだ」
 固く封じられていた幼い頃の記憶。それを思い出しても、どこにも千尋さんの姿は無かった。確かに知っている筈なのに。
「ナルホドくんの『千尋さんの記憶』はお姉ちゃんが歪みと一緒に飲み込んじゃったんだよ。今までナルホドくんが出会ってきたお姉ちゃんは、全部その記憶の欠片なの。ホンモノじゃないの」
「じゃぁ……ホンモノの千尋さんは何処に居るのかな……」
 僕は真宵ちゃんを膝に乗せて町を見下ろしながら呟いた。いつの間にか日が沈んで薄暗くなり始めている。この夕空の下、どこかに僕を殺そうとしている千尋さんが居る。
「分からないよ。人に紛れてるからね。でもナルホドくんの近くに……」
 そこで真宵ちゃんは黙り込んでしまった。
「……真宵ちゃん?」
 僕は膝の上の首を覗き込む。表情は変わらないけれど、珍しく真宵ちゃんにしては何かを考えているようだった。
 落ち着くと一気に腹の痛みを思い出した。入院着を捲ってみると、ガーゼに薄く血が滲んでいる。出血してるみたいだ。ひどい顔してるけど、ベッドに戻った方がいいかもしれないな。
 そう言えば、誰が僕をここへ運んでくれたんだろう。
 あの後、ちいちゃんは……それと、呑田は?血まみれで倒れていた呑田。僕が駆け寄った時には、もう冷たかった。どうなったんだろう。生きて……ないよな。なんて事だろう。
 僕は立ち上がろうとして、呻いた。
「いっ……!てぇ……!!」
 痛みを堪えて、そろそろとフェンスを頼りに立ち上がる。
 だめだ。本当に痛い。とにかく一度病室へ戻ろう。
 そう思って、扉へ歩き出そうとして、抱えた真宵ちゃんの首に気づいた。これを持って歩き回るのはまずい。辺りを見渡すと、はためくタオルが目に留まった。多少気が咎めたけれど、干されていたタオルを一枚、借りる。
 それをぐるぐると真宵ちゃんの首に巻きつけた。
「苦しいよー、ナルホドくん」
「病室に着くまでだから我慢してくれよ」
 僕は真宵ちゃんを宥めた。
「他の人に見つかったら大騒ぎになっちまう……」
「どうして?」
「こっちのジョーシキじゃ生首は喋ったりしないんだよっ」
 僕は反論を許さず、タオルを巻きつけた。
 出来上がった謎のタオル包みを点検する。うん、何もはみ出てないよな。ちょっと見はメロンか何かに見え……見えるだうか……。
 一抹の不安を抱えながらも、僕は真宵ちゃんの首のタオル包みを胸に病室へ向かった。


 わき腹の傷が痛くてあまり速く歩けない。やっと病室のある四階まで戻って来た所で、僕は足を止めた。
 しまった。病室、どこだっけ?
 勢いに任せて出て来たから、覚えていない。
 えっと……確かあっちから……来たような……。
 きょろきょろしながら廊下を歩いていると、ふいに目の前の病室の戸が開いて、背の高い男性が出て来た。
 思いがけず目が合う。
 いや、目は合わなかった。相手はSFに出てきそうな、仰々しいマスクをつけていたから。
「!!」
 ホテルを出た所で僕を追いかけてきた人だ!
「おまえ……!」
 男も僕を認めると驚いたように声を上げた。僕は反射的に、身を翻して駆け出した。
 ずきんと腹が痛んだ。
「おい!」
 男が声を上げた。
 僕は、廊下を駆け抜けて、階下への階段の手すりを掴む。
 お腹が痛い。

    お姉ちゃんは、人に紛れて、ナルホドくんの傍に……

 体を引きずるようにして階段を降りる。
 痛ぇ!
 大きな手が僕の腕を捕らえた。

    迎えに来たのよ さあ………

「来るなああッッ!」
「どうしたの!?」
 僕の悲鳴に、看護師さんが血相を変えて駆け寄ってきた。
「まだ走ったりしちゃだめよ!」
「この人……!」
 僕は階段にへたり込んだまま、腕を捕らえている男を指差して、言いよどんだ。
 僕を殺しに来た千尋さんかもしれないなんて、言えない。だって、名前の響きと性別が全然違うし。
 看護師さんは戸惑ったように僕と男を見比べた。
「……その人がどうかしたの?職場の先輩でしょう?」
「せ……先輩!?」
「成歩堂さんの先輩でしょう?弁護士の神乃木荘龍さん。お見舞いに来てくれたんじゃないの?」



異議あり言うたよー!猫が異議あり言うたよー!!と一番騒いだ場面です。いや、法廷シーンがあるのは知ってたけど、異議ありというとは知らなんで。ある意味あれも逆転無罪を勝ち取ったね。
「腹」の表記を「お腹」に直すべきか割りと悩んだ。だってあれほどおなかおなか連呼しやがって(ヤンマガ短期集中連載)可愛いなぁもう。
呑田さんははさくっと亡くなってもらった。……まぁ、この方がいいかな、と。
神乃木さんが困る。ゴドー名称には出来ないみたいだ。こっちの方が好きなのに。うまい具合にこじつけれるかな……

んでこの病室の屋上のシーンが泣けるのなー……
チェシャ猫ぉおおおお〜〜〜