この緊迫した場に不似合いな、可愛らしい女の子の声。
「か、狩魔冥っ……!!」
イトノコさんがぴょんっと僕の上から降りて、その場で直立不動になった。
倒れたまま顔を上げると、スーツみたな衣装みたいな服を着た女の人が立っていた。
白い肌にシャギーの掛かった薄い水色の髪。鋭い切れ長の瞳。千尋さんとは違うタイプの「美人」だ。
「大丈夫?」
女の人は僕に手を差し伸べてくれた。あぁ、鈴を転がすような声ってこういう声のことを言うんだ……。
「あ、ありがとう……ゴザイマス……」
僕は彼女の手を握って立ち上がる。
この子が狩魔冥?僕よりずっと年下に見える。もっとずっと年上の女性を想像していた僕は少し戸惑った。
「真宵なんて気まぐれな生き物、頼りにしてはだめよ。貴方を守ってなんてくれないわよ」
「!……ぼ、僕を知ってるのか?」
狩魔冥は僕の手を握ったまま、にっこりと微笑んだ。
……死体の山の上に美少女一人。かなりそぐわない。
「わたしが成歩堂龍一を忘れる訳ないでしょう?……会いたかった。ずっと待っていたのよ」
そう言うと、狩魔冥は僕にふわっと抱きついた。
「あああのっ……」
お、落ち着け、僕!相手は女の子!な、何もそんなに慌てる事なんか……あるかな?
「お帰りなさい、成歩堂龍一……」
うわぁ、耳元で喋らないで!
身体を離そうともがいてみたけれど、しっかり抱き締められていて動けない。……意外に力が強いなぁ。
「あ、あのう、僕、生粋の日本人なんで、こういうの慣れていなくて……!出来ればもうちょっと離れてお話を……」
あわあわする僕には一向に構わず、狩魔冥は僕の肩に顔を埋めて囁いた。
「もう千尋にも真宵にも渡さない。首だけになって、永遠にわたしの側に居なさい」
「………えっ?」
……今、さらりと変な事、言わなかったか?
ぽかんとする僕の視界の端で、何かが光った。ゆっくりそれを目で辿る。
それは刃渡り六十センチはあろうかという巨大な鎌の刃先だった。僕を左腕で抱き締めたまま狩魔冥の右手が、大鎌を高々と振り上げていた。
「!!!!」
僕は狩魔冥の胸を思い切り突いた。狩魔冥は少しよろけたものの、自分の丈以上もある巨大な鎌を握って、艶やかに微笑んだ。
「どうしたの、成歩堂龍一。じっとしていなさい」
「それ……それで何する気?」
差す指が震える。巨大な鎌の刃のには赤黒いものがこびりついていた。
あんなもの、さっきまで持っていなかったのに、何処から……!!
細く白い腕が重そうな鎌を持ち上げた。
「こうするのよ」
狩魔冥は軽々とそれを横に薙ぎ払った。僕は咄嗟に頭を抱えてしゃがみ込む。ひゅっと風が頭上で僕の髪をなぶった。
「動いてはだめよ成歩堂龍一。顔に傷をつけたら大変でしょ」
狩魔冥は可愛らしい声で僕を諫めた。僕は無様に尻餅をついたまま、足が震えて立ち上がれない。
「あのう、つかぬ事を伺いますッスがー」
そこに緊張感の無い声が割って入った。
「ナルホドーくんの胴体は、頂けますッスよねぇ?今夜のディナーにしたいんスが……」
「だめよ!」
狩魔冥はこの闖入者に明らかに機嫌を損ねたようだった。
「成歩堂龍一は一欠けらだって渡さないわ。お前のような薄汚いヒゲにはなお更にね!」
「そんなぁ、いいじゃないッスかー。だってお好きなのは首だけなんスよね?」
「お黙り!お前の首からはねてあげるわ!!」
狩魔冥は鎌を振り上げた。
「や、やめろ!!」
鎌が振り下ろされる。しかしそれよりも速く、イトノコさんはぱっと身を屈めた。鎌は虚しくかつて首のあった辺りを空振りした。意外と素早いな、イトノコさん。心配する必要は無いみたいだ。
「も〜勘弁してくださいッスよ。乱暴なんスから〜」
イトノコさんがもそもそと言う。
「お黙り!邪魔よ、下がってなさい!」
狩魔冥はイトノコさんを叱り付けると、鎌の柄を足元でカン!と打ち付けた。イトノコさんは素早い逃げ足で厨房に引っ込んでいく。うひゃぁぁ〜と情けない声が遠ざかり、転がっていた首なし死体をひとつ踏みつけて行った。
そんなイトノコさんを狩魔冥は眉間に皺を寄せて睨んでいたけれど、僕に気づくと取り繕うように微笑んだ。
「ごめんなさいね、成歩堂龍一。次はちゃんとはねてあげるから」
「なんで……僕を殺そうとするんだ……!?」
僕の言葉に狩魔冥は戸惑ったような顔をした。
「殺したりはしないわ。首だけになって欲しいだけよ」
「首だけになったら死ぬだろ!」
「死なないわ。永遠に生きられるのよ。成歩堂龍一。ここにいれば安全よ。誰も貴方を傷付けたりしない」
「え……」
何の、話だ?
狩魔冥は、戸惑う僕を哀れむように見て、そっと目を伏せた。
「いいのよ、成歩堂龍一。無理しなくていいの。貴方は頑張ったわ……でももう限界よ。だから捨ててしまいなさい」
その声は優しくて、まるで幼い子供に言い聞かせるかのようだった。
「な、何……なに、言って……?」
言ってる事が解らない。なのに、何故か僕は震える程動揺していた。
指先が冷えていく。
視界が歪んだ。
――どうしたんだろう。
でも、その理由を考えるのが何故か怖くて、僕は、唇を痛いくらいに噛んで、震えを押さえ込んだ。
「あ、あのさ、聞いてくれよ!きっと何か勘違いしてるんだよ!僕はただ、千尋さんを探してて、それで――」
「千尋なんて追いかけてはだめ!」
突然狩魔冥は声を荒げた。
「えっ………?」
狩魔冥の剣幕に、僕はたじろぐ。
「真宵が言ったのね。でもだめよ。千尋なんて追いかけてはだめ。もうそんな事する必要はないのよ」
真剣な狩魔冥の態度に僕は揺らぐ。
「なん……で、そんなこと………」
「お願いよ、成歩堂龍一。ずっとここに居て。それなら、守ってあげられる……」
哀願するような切ない声だった。
僕は必死に首を横に振る。しっかししないと、流されていってしまいそうだった。
「……ぼ、僕は時間くんを探しに来ただけで……!!」
「時間くん?」
狩魔冥は眉を顰めて子供のようにぷいっと横を向いた。
「あんなもの。首のないものなんて嫌いよ」
「ど、どこに居るの?時間が進まなくて困ってるんだ。バラが眠らないし、お茶会も終わらないし……」
「お茶が飲みたいのならわたしと一緒に頂きなさい。でもお茶を飲むのに首から下は必要ないわ」
「僕はお茶会がしたいんじゃないよ。それに首から下も必要だ!時間くんはどこに居るんだ!?」
けれど狩魔冥は僕の話を聞いていなかった。つくづく皆、人の話を聞いてくれない。
「いい子ね。成歩堂龍一。千尋も真宵も放っておきなさい。首だけになったらわたしが守ってあげるわ」
狩魔冥は鎌を振り上げた。
鎌が振り下ろされた。
僕は転がるようにして鎌の刃をなんとかすり抜ける。悩んでいる暇はなかった。目の前の大きな階段を駆け上がると、観音開きのドアを躊躇無く開いて飛び込んだ。
「!!!」
僕は立ちすくんだ。
くび、だらけ。
扉の向こうは、廊下だった。装飾の施された白いアーチ状の天井は、随分高さがある。所々に豪奢な燭台があって、その赤い光に――首が照らし出されている。ありとあらゆる首が、神聖なオブジェのように並べられていた。
何だよ、これ……!!
その時、扉の向こうから狩魔冥の声がした。
「成歩堂龍一、待ちなさい……」
「!」
竦んでいた足がそれ以上の恐怖で突き動かされる。僕は廊下を駆け出した。固く磨かれた石の床に自分の足跡が響く。
首、首、首、首!
気が変になりそうだ!
僕は咄嗟に目についたドアに飛び込んだ。
そこは寝室だった。
石の床に、毛足の長いふかふかの絨毯が敷かれ、その上にこの部屋の主役である天蓋付きのベッドがどっしりと座っていた。だけど、部屋の素晴らしさに見とれている余裕なんて無い。
僕はそれには目もくれずベッドの下に潜り込んだ。それと同時に、ドアが開く音がした。
腹這いになったまま、息を潜める。布擦れの音が近づく。心臓の音が外に聞こえているんじゃないかと思うくらい、激しい音がする。
「成歩堂龍一、出てきなさい。すぐ済むわ……」
すぐ済むからっていいものじゃない。
「成歩堂龍一……わたしの成歩堂龍一……」
「?」
狩魔冥の声は今にも泣き出しそうだった。
「何処に居るの……」
愛らしい声が涙で震えている。普通ならそれだけで心を動かされてしまうに違いないけど、今は首が掛かっている。絆される訳にはいかない。
「やっと戻って来てくれたと思ったのに……どうして?ねぇ、成歩堂龍一……」
「……………」
やがて布擦れの音が遠ざかり、ドアが閉まる音がした。僕はベッドの下で腹這いになったままそっと息を吐いた。
狩魔冥は行ってしまった。
……どうして泣いていたんだろう。僕は少し後ろめたくなる。
まるで僕が泣かせたみたいだ……。もっとちゃんと話を聞いてあげればよかったかな……。
いやいやいや、でも、話をする前に問答無用で首をはねようとするんだから。仕方ないよな……?
耳を澄ましてみても、物音はしない。狩魔冥は本当に去ったみたいだ。
ベッドの下から這い出ようとした時、ふと、何か音が聞こえた気がした。
「?」
僕はそのままの姿勢で動きを止める。
………リリリ………
………リリリ………
……やっぱり音がする。
何の音だ?何処から?
室内をうろうろと探し回った挙句、僕はその音が床下から聞こえてくる事に気づいた。ぴったりと耳を床につけてみる。……間違いない。この下。
僕はそっとドアに近寄って耳をつけた。廊下から物音は聞こえてこない。狩魔冥の気配は無い。
………よし。
なるべく物音を立てないように気をつけながら、床の絨毯を捲りあげた。床の丁度中央に四角い鉄板が嵌っていた。鉄板には、窪みがついている。
「ううううん……!」
僕は窪みに手を入れて鉄板を引っ張ってみた。思ったよりも重い。しばらく戸と格闘すると、何とか僕一人が通れる程の隙間が出来た。
床に開いた四角い穴からは石の階段が続いている。螺旋階段になっているようだ。灯りは無く真っ暗だ。暗闇の奥から、リリリ……とあの音が聞こえた。
僕は少し迷った後、隙間に身体をねじ込んだ。
石の階段は螺旋状に下へ下へと続いていた。真っ暗で足元がよく見えない。僕は右手を壁につけて、足で階段を探りながら一段ずつ慎重に下りていった。
下りていくにつれ、例の音が大きくなり、階段を下りる頃にはその音は痛い程にまでなっていた。
そこは牢屋だった。石造りの小さな部屋が鉄格子でふたつに区切られている。鉄格子のこちら側には椅子が一つ置いてあって、その背後には壁のフックに鍵束がぶら下がっていた。
鉄格子には小さなドアがつけられていて、南京錠がかかっている。その中には粗末なベッドと粗末なテーブルがひとつ、置いてあるだけだった。
人の姿も動物の姿も無い。部屋自体はどうという事は無い。ごく普通の(たぶん)地下牢だ。
――時計が埋め尽くしてさえいなければ。
壁から床までびっしりと時計がひしめいている。壁掛け時計、卓上時計、腕時計、仕掛け時計……見ると、時刻はどれもてんでばらばらだ。その全ての時計が、めいめい自分のアラームを大音量で絶叫していた。この煩さったらない。頭がどうにかなっちまいそうだ!
僕は思わず叫んだ。
「うるさーいっ!!」
途端、ぴたっと全てのアラームが止まった。
「……………」
な……何で止まったんだ………?
意外にハイテクで、音声時計だった……なんて事ないよな……?
…………。
音の消えた牢は暗く、空気は澱んでいた。自分の踏み締めた土がじゃり、と大きな音を立てて僕を驚かせる。僕は落ち着き無く当たりを見回した。牢屋は沢山の時計が置かれている以外は、特に異常は無いように見える。
な、何も無いみたいだな……戻ろう!
そそくさと階段に足をかけた時だった。
じりりりりりり。
また目覚まし時計のアラームが鳴り響いた。心臓が痛い程跳ね上がる。今度は鳴っているのはたったひとつだ。僕は音源を探る。どうやら鉄格子の中、ベッドの上に置かれた目覚まし時計が鳴っているみたいだ。
「……………」
僕は壁にかけてあった鍵で錠前を外し、牢の扉を開けた。鳴っていた時計のアラームをオフにする。
静寂が戻った。
こそりとも音がしない。
急に、空気が重みを持って圧し掛かってくるような圧迫感を覚えた。
は、早く上に戻ろう………。
僕は足早に階段へ向かった。
ずる。
階段の手前で足が止まった。
今……何か。僕が立てたのではない物音が背後から聞こえたような気がした。
ずる。
「!!」
背後の音に体が硬直する。
気のせいじゃない。
だけど、誰も居るはずがない。
小さな牢屋だ。隠れるような場所なんて無い。
じゃぁ、この物音は、気配は……何なんだ!?
ずるり。
全身の産毛が逆立った。
なにか、いる。
ずるり。
何かが地面を這って僕に近づいてくる。床には一面、時計が置かれている。普通に歩く事なんて出来ない状態なのに、確かに、床を這って近づいてくる音がする。
……逃げ、た方がいい。だけど、体が、強張って……!
ずる………。
「!!……」
何か、触手のようなものが足に絡みつく感触がした。ぬるぬると冷たい感触が、足から背中へと這いずり上がっていく。首筋に絡みつく、無数の細長い、何か。
ぐん、と肩が重くなった。
しばらくの間、僕は動けずにいた。何かが、肩におぶさっている。いや、絡み付いているというべきか。やがて僕はぎこちなく、足に階段をかけた。
誰か……誰でもいい、誰か。
地上へ戻って来てみても、背中の気配を重みは消える事は無かった。体を引きずるようにして、廊下へと出る。
誰か……助けて。
もうこうなったらその『誰か』はあの首刈り狩魔冥でも良かった。得体の知れないモノよりは、まだ、狩魔冥の方がマシな気がする。
だけど、そんな時に限って狩魔冥は姿を現してくれなかった。
ホールは、相変わらず首なし死体で埋め尽くされていた。イトノコさんと狩魔冥の姿は無い。首なし死体の山を、一条の光が照らしている。
外からの光だ。
あれほど開かなかった大扉が、今は少し、口を開けていた。僕はそろりと城の外へ踏み出した。
城の前には、別れた時のままのにこにこ顔があった。
「真宵ちゃん……」
真宵ちゃんの顔を見ると途端にぶわっと涙が溢れた。駆け寄りたいけど、背中の何かが気になって走るのが怖い。刺激を与えたら首を絞められそうな気がする。
僕は泣きそうになるのを堪えながら真宵ちゃんに歩み寄った。
「お帰り。ナルホドくん!」
真宵ちゃんはいつもの調子で僕を迎えた。
「な、なんで一緒に来てくれないんだよ……?くっ、首だらけだし、とり憑かれるし、もう嫌だ……もう嫌だッ!」
真宵ちゃんは不思議そうに言った。
「何を泣いてるの、ナルホドくん」
「だってっ……肩に……!」
僕は震える指で自分の肩を指した。
「カタ?」
「何か乗ってる……」
「……乗ってるねー」
あああ、やっぱり何か乗ってるんだ!僕は悲鳴のような声をあげた。
「何とかしてくれよぉッ……!」
「何トカ……」
真宵ちゃんは緊張感の無い顔で僕の背中に目をやる。
「キライ?」
「嫌いだよ!好きな訳ないだろ!?頼むから何とかして――!!」
喚く僕に、そう、と頷くと、真宵ちゃんは、僕の背中の何かをひょいと抱き上げた。触手のようなものが、首を、肩を、しゅるしゅると舐めるようにして外れていく。
肩にかかっていた重みが消えた。僕は首の辺りを一生懸命手で擦る。うう、まだ感触が残ってる。
真宵ちゃんはそんな僕を見ながら、腕の中の何かを抱え直すような仕草をした。
「だめだよー、ナルホドくん」
「え……な、何が」
唐突な言葉に僕は戸惑う。
「時間くんを泣かせるのは良くないよー」
「えっ……」
……時間くん?
「じ、時間くんて何だ?泣かせるのは良くないって……」
「時間くんは悲観主義なんだよ。気をつけてあげないと」
「時間くんて……」
まさか。
僕は、恐る恐る真宵ちゃんの腕の中を指差した。
「ソレか……?」
真宵ちゃんはコクッとした。
「そ、そんな変なのが時間くん!?」
「……うん、キモチは解るよ」
そう言った真宵ちゃんは、僕ではなく自分の腕の中に向けられていた。腕の中の……時間くんと話している、みたいだ。
「……そお?でも難しいと思うよー。まぁ聞いてみよっか。ナルホドくん」
そこで真宵ちゃんは僕を振り返った。
「時間くんが殺して欲しいってさ」
「……は……はい!?」
「でもナルホドくんは時間くんが見えないみたいだから、上手く急所を狙うのは難しいと思うんだけどねー」
「急所!?」
「じんわり死にたいならいいかもしれないけど……」
「ま、待った!な、何がどうなってそういう話に!?一体何の話なんだ!?」
「だからー、殺して欲しいんだって」
「だからなんでそういう話になってるんだよ!!」
「ナルホドくんに嫌われたから、生きていく気力を無くしたって。せめてナルホドくんの手にかかる事が最期の望みだって……」
「手にかかっ……!?」
僕は口をぱくぱくさせる。
「じゃぁ、どうぞ!」
そう言って真宵ちゃんは時間くんを僕に差し出した。
「どうぞじゃないよッ!!」
「だめなの?」
「 当 た り 前 だ ろ ッ! 」
何でそうなるんだ!何なんだ、その思考回路は!
「やっぱりだめみたい。……うん、まぁそうだね。……そう?うん」
真宵ちゃんはニコニコと僕を振り返った。
「じゃぁ自殺にするってさ」
「!!!!!」
それから小一時間ほどかかって、ようやく僕は時間くんの誤解を解き、泣き止ませる事に成功した、らしい。落ち着いた所で、すかさず本題を切り出した。
「あ、あのさ……時間を進めて欲しいんだ。公園のバラが眠らないと扉を通れなくて……それにオドロキくんとみぬきちゃんもお茶会を終われないみたいだし」
見えないモノに話掛けるって難しい。独り言、言ってるみたいで照れる……。
真宵ちゃんが前を向いたまま、小さくコクコクと頷いている。時間くん何か話しているみたいだ。僕には見えないし、聞こえないので真宵ちゃんの動きで想像するしかない。
やがて真宵ちゃんは、腰を屈めて、手の中の何かを地面に降ろすような動作をした。足元をするりと冷気が撫でる。
うわわ。じ、時間くんだと解ってても、コレはキモチ悪い……。
「……じ、時間くん?」
「行ったよ、ナルホドくん。お茶会へ戻るってさ」
「……本当に?じゃあこれでバラの扉、通れるようになる?」
真宵ちゃんはにこっとした。
さわさわと草原を風が渡っていく。僕にはもう時間くんがどこに居るかさっぱり解らない。
ふう、と息をつくと、軽く睨みを込めて真宵ちゃんを見た。
「……時間くんは見えないって、先に教えといてくれたら良かったのに」
「見えるよー」
「君には、だろ……。ねぇ、時間くんってどんな姿してるの?」
「……………」
珍しく真宵ちゃんは少し悩んだようだった。
「……例えて言うなら、ちょうに似てるかなー」
「ちょう?蝶々?」
それなら結構かわいいかも。でも、肩に乗っかった感触からはそんな風には……。
「ニンゲンの腸だよ」
「…………」
……聞かなきゃ良かった。そして見えなくて、本当に良かった。
じゃあ、僕達も公園に戻ろう、と言うのと、真宵ちゃんが僕を突き飛ばしたのは、ほぼ同時だった。
頬が強く土を擦った。長く伸びた草の向こうで――鮮やかな赤い霧がしぶくのが、見えた。
真宵ちゃんの 頭が 空を舞って
首の無くなった胴体は、戸惑ったようにゆっくりと揺らめいた後、ややあって、どう、と草むらに倒れた。
緑の草むらが、じわじわと赤く変わっていく。
なにがおこったんだ?
倒れた真宵ちゃんの後ろで、狩魔冥が艶然と微笑んでいた。
「まよい……ちゃん………」
喉がひりついて声が掠れた。
立ち上がった足に感覚が無い。駆け寄ろうとして、頭と胴体、どっちに行くべきか困った。
こういう場合、どっちが真宵ちゃん?
頭?体?
ほんの少し迷って、僕は頭に向かった。
なんだか、ふわふわして地面の感触が可笑しい。
「真宵ちゃん……しっかりし……うあ」
首を切断されたのに、しっかりしろもあったもんじゃない。何て声をかければいいのか解らなくて、僕は途方に暮れて座り込んだ。
真宵ちゃんはこんな時まで、いつものにこにこ顔のままだった。
「成歩堂龍一。どうしたの。何を泣いているの?」
狩魔冥が困ったように首を傾げた。
泣いている?
何て泣いているって……だって真宵ちゃんが。
「ひ、どい……」
やっと脳が動き出した。
「ひどい……なんでことするんだよ……!!」
狩魔冥は何故か酷くうろたえたようだった。
「なんで真宵ちゃんの首をはねたりしたんだ!?こんなの酷すぎる!!」
「……そんな事で泣いてはだめよ」
狩魔冥は窘めるようにそう言って、僕に近づくと手を伸ばした。僕はその手を、強く振り払う。
「 お ま え な ん か だ い っ き ら い だ! 」
びくっと狩魔冥は肩を震わせた。綺麗な顔がみるみる歪んで、今にも泣き出しそうな顔になる。だけど今の僕にはそんなもの、届かない。
「許さないからな!絶対、許さない――!!」
狩魔冥は何か言おうと口を開いたけど、やがて、きゅっと唇を噛み締めた。鎌を握り締めて、しゅんと項垂れる。
「……だから真宵は嫌いなのよ」
ぽつりと呟いた。
そっぽを向いたその目には薄っすらと涙が滲んでいる。
「わたしの方がずっと成歩堂龍一を想っているわ……。真宵なんて導く者のくせに。番人の次に遠くに居るのよ。それなのに成歩堂龍一を泣かせるなんて……図々しいにも程があるわ!!」
「……みちびく……?」
半泣きの狩魔冥はふくれっ面で真宵ちゃんへの不平をまくし立てる。僕にはその言葉の意味が解らない。
「成歩堂龍一!!」
狩魔冥は鎌を投げ捨てると僕の両肩を掴んだ。
「真宵なんかの為に泣いたりしたらだめよ!絶対だめなんだから!!」
「全くだよ、ナルホドくんー」
「!?」
狩魔冥に同意したのは――他ならぬ、そこに転がっている首だった。
「ナルホドくん、ナルホドくんはあたし達の為に泣いたらいけないんだよ。それじゃ意味が無くなっちゃう」
生首は平然と喋って、あろうことか(結構真剣に)僕を諫めている。
僕は混乱する。
「……生きて……る?」
「生きてるよ」
「……首、はねられたのに?」
「普通、真宵ちゃんは首と胴体が離れても死んだりしないよー」
「ふ、普通死ぬだろ!死ぬものだよッ!」
僕は首の前に座り込んだままがっくりとする。安心して力が抜けた。
「じゃぁ……大丈夫なんだね?……痛くないの?」
「痛くないよー」
喜んでいいのかな……首を切断されたんだから喜んでいる場合じゃないと思うけど、でも無事は無事なんだから喜んでもいいのかな……。だめだ。考えると混乱する。考えるのは、ひとまずよそう……。
僕は真宵ちゃんの頭を取り上げた。
「良かった……死んでなくて」
ほんとに良かった。
指先が冷たい。今頃になって、心臓がどきどきと脈打った。力を入れないと体が震えそうで、僕はきつく真宵ちゃんの頭を抱き締めた。
「苦しいよ、ナルホドくんー。真宵ちゃんは首と胴体が分かれても死なないけど窒息したら死ぬんだよ!」
真宵ちゃんは僕の腕の中でぷんぷんと不満を漏らした。
「だめよ、成歩堂龍一!そんなもの、捨てなさい!」
狩魔冥が僕の腕の中から真宵ちゃんの首をもぎ取った。チョンマゲの部分をぞんざいに掴んで真宵ちゃんと目を合わせる。
「本当に貴方だけは首なっても侮れないわ、真宵」
「メイちゃんに言われてたくないよー」
……何となく、因縁のある二人みたいだ。
「解ったでしょう、成歩堂龍一。泣く事なんてないの」
狩魔冥はぽいっと真宵ちゃんを放り投げた。真宵ちゃんの頭はころんと草原に転がる。
僕の頬を白くてほっそりとした手が包んだ。
「ごめんなさいね。真宵が邪魔したものだから手元が狂ったの。さあ、今度こそ貴方の首をはねてあげるわ」
そう言って、狩魔冥は足元の鎌を取り上げた。
「!?」
僕が驚いたのには、ふたつ理由がある。
ひとつは、狩魔冥が再び鎌を振り上げたから。
もうひとつは――その背後に首なしの真宵ちゃんがぼうっと立っていたから。
真宵ちゃん(胴体)は、狩魔冥が振り上げた鎌を素早く奪った。
「! 何をするの!真宵ッ!」
狩魔冥は抗議したけれど、真宵ちゃん(胴体)は反応しない。途方に暮れたようにぬぼーっとそこに立っている。
「聞こえないよ。カラダには耳が無いからねー」
少し離れた場所で、顔面から土にめり込むようにして転がっている真宵ちゃん(頭)が、他人事のように言った。
「返しなさい!!」
狩魔冥が手を伸ばすと、真宵ちゃん(胴体)は突如として物凄い勢いで走り出した。
「ど、どこへに行くの!?」
耳の無い胴体には僕の声も届かない。鎌を持ったまま、ものすごいスピードで真宵ちゃん(胴体)は駆け抜けると、あっと言う間に城の裏手へと消え去ってしまった。「待ちなさいッ!だから真宵は面倒なのよッ!」
悪態をつきながら、狩魔冥も身を翻して森へと消えた。
「……行っちまった」
「行ったねー」
狩魔冥に放り投げられたままの状態で真宵ちゃん(頭)が言った。僕は膝の上に拾い上げると、顔についた土を払ってやる。
「い、いいの?君の体……行っちゃったけど」
僕はもう一度森を見やった。もう二人の姿は見えない。
「自由にさせてあげなよ。体はいい加減、頭の言う事をきくのにうんざりしてるんだよ」
「呑気な事言って……真宵ちゃん、体無いと困るだろ?」
真宵ちゃんはにこっとした。
「まぁ大した事でもないね」
……そうかなあ。
僕は自分の腕に巻いてあった包帯を外すと、真宵ちゃんの首に巻きつけた。止血の為じゃない。首の断面はさすがに刺激が強すぎるので、目隠しの為だ。
血の流出は止まっていたし、そもそも、この状態で止血する事にあんまり意味はないと思う。……生首だし。
「うん、これでいいかな」
僕は真宵ちゃんを掲げて、包帯の縛り具合を確かめた。草原を渡る風に、長い髪がわずかにそよぐ。
「………………」
僕は真宵ちゃんの首を脱いだ自分のスーツに置くと、袖を腰に巻いて両端を縛った。子持ちカンガルースタイルだ。これで両手が使える。
どうしても口が隠れてしまうので、多少息苦しそうではあったけど、我慢してもらう事にする。
さて、と僕は立ち上がった。
「じゃあ公園に戻ろうか」
そう言って、僕は石畳の小道を帰ろうと振り返って……足を止めた。城は浜から続く坂の上に立っている為、ここから赤い海が一望出来る。果ての見えない赤い血の海。
「大変だ」
僕は海を見ながら呟いた。
「……どうやって帰ればいいんだ?」
真宵ちゃんに抱えられて海を渡ってきたのだ。首だけになってしまった真宵ちゃんでは僕を運べない。
「行く道はひとつでも帰る道はひとつじゃないんだよー」
真宵ちゃんは僕のスーツの中で、なぞなぞのような事を言った。
「まぁその辺を探してみなよ」
「その辺って……」
非常に曖昧な助言に、僕は城を振り返った。城の右手を左手の森、それぞれを分け入る小さな獣道がある。
僕は右の小道を進んだ。
真宵ちゃんは「女の子」で狩魔冥は「女の人」。……そういや同い年でしたね。
ムチの似合うメイちゃんはきっと大鎌も似合うよ☆
生首があろうことか結構真剣に諫めている場面はお気に入りのひとつです。あろうことかなんか笑える。
折角なのでフード云々の場面をゴドーさんでしてみる。
そう言えばゴドーさんの顔ってちゃんと見た事無いなぁ。僕はそっとゴドーさんの顔に掛かっているマスクに手を触れた。
そろそろと上に引っ張る。
「まるほどう」
「はいッ!?」
思わず声が裏返った。
ゴドーさんはいつもの口調で淡々と告げる。
「見たら二度と戻れないぜ。それでも見るのかい……?」
「……………」
僕はマスクから手を離した。
「見ないのかい?」
まるで誘うようにゴドーさんが聞いた。
「見……ません。だって、もしゴドーさんが絶世の美男子とかだったら、僕、困る……すごい困る……」
見なくていいものなら、見ないままでいい。僕は今のままのゴドーさんで、何の不満も無いのだから。
……例えそのマスクの下にどんな深い闇が潜んでいようとも。
なんだこれゴドナルか。