土管は二つ。赤と青の土管だ。
「普通の土管だと思うけど……」
 僕は土管を覗き込んだ。三メートル弱の土管だ。まぁるく向こうの景色が見えている。
 ふと見ると土管の淵に、でぐち、と彫ってあった。逆へ回ってみると、こちらには、いりぐち、と彫ってある。どっちから入るかなんて子供の自由だと思うけどな。
「……こうしててもしょうがないな。騙されたと思って入ってみようか」
 土管の直径はどちらも六十センチ程はある。僕でも途中でつっかえるという心配は無さそうだ。
 僕は赤い土管に入った。

 土管の穴の向こうには、夜の公園が丸く見える。
 土管通ったって公園に出るだけだと思うんだけどな……。
 僕は半信半疑のまま四つんばいになって土管を進んだ。背後から真宵ちゃんがついて来ている気配がする。
   ずりずりずり。
 一向に出口の穴が近づいて来ない。
「……ねぇ、真宵ちゃん。こんなにこの土管、長かったっけか……?」
 たかだか三メートルくらいしかなかったように思ったけど。
   ずりずりずり。
 出口の風景が次第に暗くなる。やがて墨で塗りつぶされたように黒い円になった。けれど、穴との距離は縮まっていない。
「ちゃんと進んでるのかよ……」
「心配ないよ。真っ直ぐ行ってー」
「………うん」
  ずりずりずり。
 暫く進んでも、やっぱり出口は近づかないし、丸は黒いままだ。僕はまた不安になって背後の真宵ちゃんに声をかけた。
「ねぇ、本当に大丈夫なの?」
「心配ないよ。真っ直ぐ行ってー」
 真宵ちゃんはさっきと同じ言葉を返す。
「解った……」
  ずりずりずり。
「あのさ……全っ然出口が近づいて来ないんだけど……」
「心配ないよ。真っ直ぐ行ってー」
「………………」
 僕はぴた、と足を、いや膝を止めた。真宵ちゃん、さっきから全く同じ事しか言わない。
 ……この状況は、何だか覚えが………。
 そうだ!『三枚のお札』!!山姥から逃げる小僧さんが、厠でお札に身代わりをさせたのとそっくりじゃないか!?
「真宵ちゃん!?」
 僕は素早く振り返った。
 そこにはいつものにこにこ顔が、ちゃんとあった。
「なぁに、ナルホドくん」
「……なんでもないよ」
 ぐずぐず言わず、進むしかないらしい。
  ずりずりずり。
 やがて真っ暗だった出口が徐々に明るくなり、ほんのりと赤みを帯びだした。丸も大きくなって、ようやく出口が近づいて来た事が解った。
「やっと出口………」
 あぁ、腰が痛くなっちまった。
 土管から這って出ると、手と膝が白い砂を掴んだ。ザアン、と波の音がする。そこには海が広がっていた。
 だけどそれは、僕が今まで親しんできた海とは全く違う。その海は、深い、深い、赤い水をたたえていた。海上には赤い靄がかかっている。風は無くて、潮の香りはしない。本質的には、海、じゃないのかもしれない。
 その靄の中に人影があった。
「!!」
 赤い靄を受けて、髪がほんのり赤色に染まっている。
 千尋さんは赤い海の上に、僕に背を向けて立っていた。
 どきん、と心臓が撥ねた。ごく、近い。今までに無いくらい。ゆっくり砂を踏み締めながら、千尋さんの背中に近づいていく。呼吸が速くなる。千尋さんは逃げない。ぱちゃ、と足を波が洗った。もう、手を伸ばせば、届く。心臓が激しく音を立てて居る。
 その時、ふいに思った。
 ――捕まえても、いいのだろうか。本当に?
 僕は勢いよく、千尋さんの腕を掴んだ。
 途端、頭の中が破裂するような感覚が走った。


  僕じゃない
                             僕は盗んでいない
       もう嫌だ
                                                だめじゃない……人の物を盗んだりしたら
                 貴方はやってないわ
                                   お姉ちゃんは残ったんだね
 僕じゃない
                                  給食費を、
            だから堂々としていなさい
                                                  お腹痛い……

この歪みは――

私が望んだもの――


「ナルホドくん」
 ぐいっと強く腕を引っ張る手が、僕を現実に呼び戻した。よろめいた僕の背中を、温かい体が受け止める。振り向かなくても、真宵ちゃんだと解った。
「今の……何だ?」
 僕は前を見たまま、呆けたように呟いた。
「何を見たの?」
「解らない……沢山、何か……沢山頭の中に流れ込んで来て……」
 混乱している。上手く説明出来ない。
「あれ……千尋さんは?」
「お姉ちゃん?」
 僕はすぐ背後の真宵ちゃんを振り仰いだ。
「居たんだよ、ここに。それで千尋さんに触ったら……」
「幻だね」
 真宵ちゃんはあっさりと言った。
「まぼろし……?」
「血の海は人を惑わすんだよ」
 真宵ちゃんは笑う。
「気をつけてね。引きずり込まれるよ」
「う、うん……」
 ………幻?それじゃぁ、今感じだ『ナニカ』は全部、虚構なのだろうか。
 ……そう、だといい。いいや、きっとそうだ。
 気にする事はない。
 僕は頭から不安を振り払った。
 そうだ。今は、そんな事よりも……
「……オドロキくん、海を渡れって言ってたよね……?」
 赤い海の沖を見やってから、辺りを見渡した。白い砂浜と崖があるだけで、他には何も無い。
「船、なんて……なさそうだな」
「ないよー」
「ないよーって……じゃあどうやって渡るんだよ?」
「歩けばいいじゃない」
「……海を?もう、無茶言うなよ」
 真宵ちゃんは僕をじっと見た。
「な……何だよ?」
 徐に僕の手を取ると、海へと歩き出した。
「だから無理だってば……」
 一歩踏み出した所で、僕の抗議は寸断された。
「うわぁッ!」
 どぼん、と体が落ちた。
 まだ波打ち際だってのに!
 足がぶらぶらしている。真宵ちゃんの手を握っていなかったら、完全に水没していたに違いない。
「あれ」
 真宵ちゃんは、笑ったまま首を傾げた。
「あれ、じゃないっ!なんだよこれ!なんでこんなに深いんだ!それにどうして、君は落ちていないんだ!?」
 真宵ちゃんは――海面の上に立っていた。
「普通、海は歩けるものなんだけどねー」
「普通、歩けないんだッ!」
「だめだよ、ナルホドくん。血の海は底なしだから落ちたら危ないよ」
 どうしてここで僕が窘められなきゃならないんだろうか。………納得いかない。
 言いながら、真宵ちゃんは僕を海中から引き上げた。そしてそのまま肩に担ぎ上げる。……って、すげぇ力だなおいッ!!
 真宵ちゃんはそのまま沖へと歩き出した。
「え……ま、待った!!」
 僕は無造作に担ぎ上げられた状態で異議を唱える。
「まさかこのまま歩いていく気か?無理だよ、重いだろ!途中で降ろしたくなったらどうするんだ」
 僕はこれでも標準より若干高めの身長だし、肩幅だってある。それなりの体重がある。どう考えても女の子が担ぐのには無理がある。しかも相手は海だ。小川をおぶって渡ってもらうのとは訳が違う……っていうか歩いて行ける距離なのか?
「オモイ?……オモイって何なの?」
「何って……重さだよ。重いっていうのは、つまり……」
 何って言われると困る。重いってどういう事ことかなんて、改めて考えた事がない。
「だからー、重いんだよ。重いから、持ち上げられなかったりす、うわっ」
 僕はバランスを崩し、思わず真宵ちゃんの頭をガシッと掴んだ。
「じゃぁナルホドくんはオモイじゃないね」
「重いんだってば」
「でもナルホドくんは持ち運べるよ」
「持ち運べるかもしれないけど、重いだろ!つまりだから……力が沢山要るだろ?疲れるだろ?そういうのを重いって――」
「チカラは要らないよー」
「……はぁ?」
 ほら、と真宵ちゃんは片腕に僕を乗せて持ち上げてみせた。極軽いものを持ち上げるような仕草だった。乗っかっている身としても、安定していて、無理しているようには見えない。
「……本当に重くない?」
「ないよ」
「なんで?」
「ナルホドくんは持ち運べるものって決まってるからねー」
「決まってる?」
「そうだよー。ナルホドくんは持ち運べる。石は持ち運べない。決まってるんだよ」
「え、石って持てないの!?」
 むしろそっちの方が驚きだ。
「持てないよ。勝手に場所を動かされたら、石だって迷惑だよ」
「……迷惑なんだろうか」
「ナルホドくん、石の意思は尊重しないといけないよ」
「……………」
 強がりでも、気を遣ってくれている訳でも、ましてダジャレを言ってる訳でもないみたいだ。
 なら、いいか………。本人が重くないって言ってるんだし。それに真宵ちゃんに運んでもらう以外、この海を渡る方法は無さそうだ。……僕の意思より石の意思の方が重要視されてるのが、ちょっと引っ掛かるけど、まぁ許してあげよう。
 そんな訳で、僕は真宵ちゃんの肩に乗り上げた。女の子なだけあって、真宵ちゃんの身体は小さい。乗っかっている身としては、心許無いのだけど、重くないのは本当みたいなので、肩車をしてもらう事にする。縮んだ時にずっと肩に乗せてもらっていたからかな。やっぱり肩の方が落ち着く。
 そういえば、小さい頃、よく肩車をしてもらったっけ……。
「? あれ?」
「どうしたの、ナルホドくん」
「うーん……あ、いやいやいや、なんでもないよ」
 小さい頃とちょっと感覚が違う。昔はもっと、こう、下にある髪の色が、明るかったような気がするんだけど……
 僕を肩に乗せた真宵ちゃんは平然と海の上を渡って行った。

 もう随分歩いた。
 僕は上半身を捻って後ろを見る。崖はとっくの昔に見えなくなっていたけれど、未だに対岸は見えてこない。ただ赤い靄が濃く立ち込めている。
「広いね……」
 赤い海はひどく穏やかだ。海と言っても小波が立っているくらいなので湖と言った方が近いのかもしれない。チャプチャプと揺れる波の音が耳に心地よかった。
 見渡せば一面の赤い海。世界には血の海しかなくて、僕と真宵ちゃんしか存在しないみたいだ。僕にはもうどちらが前で後ろか解らないけれど、真宵ちゃんは迷う事無く進んでいった。
 もう暫く歩くと、やがて、靄の中に小さい黒い影が見えた。
「あれ、なんだろう」
 真宵ちゃんはそれに近づいた。それは封筒だった。
「!!」
 僕はそれを見て凍りつく。
 真宵ちゃんが僕を落とさないように気をつけて、それを拾おうと身を屈める。
「だめだよ、勝手に拾ったりしたら!」
 気づけば大声を出していた。真宵ちゃんの頭に添えている手が震えている。
 どうしてだろう。こんな、ただの封筒の筈なのに………直視するのすら怖くて、僕は目を綴じてに顔を背けた。
 真宵ちゃんが姿勢を直す。その足元で、封筒は血の海に沈んでいった。
「……ねぇ、その封筒………」
「何かな、ナルホドくん」
 まよいちゃんが先を促す。
「――なんでも、ないよ」
 出かけた言葉を喉の辺りで押しつぶした。脳の奥が不穏にざわめいた。
 聞いたら、だめだ。
 何かが警告を発している。

   ざわざわ。
   ざわざわ。

 でも……。僕は封筒が沈んだ辺りをそっと見やる。もう封筒のあった痕跡は無い。
 あの封筒、どこかで見た事がある気がする……もっとずっと昔に。
 まぁ、ありふれた封筒だったから、見た事があるのも、当然か。
 気にする事は、ない………

 歩きでは辿り着けないんじゃないかと不安になり始めた頃、霧の中に黒い大きな建物のシルエットが浮かび上がってきた。もう暫く歩くと、シルエットはますます大きく、はっきりしてきて、ようやく、待ち焦がれた岸辺が見えてきた。
「あの城に、狩魔冥が居るのかな?」
「そうだよー」
 砂浜に下ろしてもらって、城を見上げる。
 砂浜からは緩やかに坂になっていて、地面は海から離れるにつれて緑で覆われていく。城はその上の小高い丘の上に立っていた。砂浜から石を敷き詰めた小道がぐねぐねと伸びている。僕たちはその小道を辿っていった。
 小道を辿ると、荘厳な城が僕たちを出迎えた。城の手前は草原になっていて、背後には暗い森が城を抱き込むように控えている。お城というよりは宮殿という感じだ。
 でも、宮殿につきものの門や美しい庭園はない。草はのびのびと育って、膝上まで達している。
「お城……立派だけど……ちょっと荒れてるみたいだね?」
 僕は縁の駆けた石段を駆け上がって、鉄柵の大扉の前に立った。両開きの大扉は扉一枚ずつにハートのクィーンのレリーフが施されている。ちょうど、トランプの図柄みたいだ。
 大きなノッカーを掴んで、打ち鳴らした。
   ガンガン。
「…………」
 反応は無い。
 もう一度強くノッカーを鳴らした。
   ガンガン。
「…………」
 やっぱり反応は無い。
 力を入れて引っ張ってみると、意外にもあっさりと大扉は開いた。開いた隙間から、そっと中を覗き込む。……薄暗くてよく見えない。
「誰も居ないのかな……」
 僕は開いた隙間から、身体を滑り込ませた。
「ナルホドくん……」
 その時、背後から真宵ちゃんの声が聞こえた。
「首に気をつけてね。ナルホドくんはやわいから」
「え?」
 振り返った僕の目に真宵ちゃんは映らなかった。大きな音を立てて鉄のドアが閉まった。
「おい、ちょっと!!」
 慌ててドアを押したり引いたりしてみたけれど、さっきはあれほど簡単に開いた扉がびくともしない。
「チクショウ!」
 僕はダン、と扉に手を打ち付けると、暗い部屋の中を見回した。
 ここはホールだろうか。高い天井に固い感触の床。正面に大きな階段があって、二階へと繋がっているみたいだけど……。
 暗くてよく見えない。
「うわ」
 前に進もうとして、何かぐんにゃりしたものに躓いた。
 ……何だろう、今の。
 普通の家だと玄関の脇に電気のスイッチがあるんだけどな……。お城の証明のスイッチなんて何処にあるか解らな……ん?
 期待せずに大扉の脇の壁を弄った僕の手に、何かが触れた。
 何だこれ……レバーか?
「えい」
 僕はあまり悩まずレバーを引いた。ボタンは押す為に、レバーは引くためにあるのだ。
 ぼぼぼっと火の灯る音がして、ホール内がぼんやり明るくなった。意外にも本当に証明スイッチだったようだ。ただ、天井から釣り下げられた巨大なシャンデリアには明かりが灯らず、壁際と階段脇の燭台に火が灯っただけのため、室内は相変わらず薄暗い。
 それでも室内の異常さを認識するには十分だった。
 ホールにはおびただしい数の死体が転がっていた。
 胴体は人のようだったり、鼠や鳥のようだったり種類はバラエティーに富んでいる。ひとつだけ共通しているのは、皆、首から上が無い事。
 赤い蝋燭の光が死体達とその赤い断面をゆらゆらと照らし出す。僕は呆然とそれを眺めていた。
 あんまり一杯あり過ぎて、現実感が無い。趣味の悪い作り物みたいだ。
 ゆっくりと脳に光景が染み渡っていくと、ようやく恐怖の波が僕を襲った。
「開けて!真宵ちゃん!!」
 大扉を叩く。けれど、扉はびくともしない。僕の拳がぺちぺちと薄い音を立てた。
「ねぇ、そこに居るんだろ、真宵ちゃん!開けてってば!」
 ――それから暫く扉と格闘したけれど、扉が開く事も、真宵ちゃんの声が聞こえる事も無かった。
 僕は諦めて、恐る恐るホールを振り返る。右手にドアがひとつ。少し迷ったけれど、いつまでも死体の海に佇んでいるのは怖い。僕は心の中で適当な念仏を唱えながら、おっかなびっくり死体を跨ぎ越して、右のドアを開けた。
 そこは食堂のようだった。大きくて立派なテーブルと、沢山の立派な椅子。ホールに通じる扉意外にもう一つ扉がある。壁には何だか良く解らない場所の風景画やら、肖像画やらが、かかっていた。
 家具や調度品は立派だけど、埃にまみれ、天井の隅には蜘蛛の巣が張られている。だいぶ使われてないみたいだ。
 とりあえず死体の山がなくて、僕は胸を撫で下ろした。
 でも、誰も――うん?
 ……………。
 なんか、変な歌が聞こえる。誰かがどこかで歌っているみたいだ。……あんまり上手じゃないけど。
 僕は食堂から奥へと繋がるドアを開けた。
 中は厨房だった。黒い鉄製の調理用ストーブが幾つも並び、大きな調理テーブルの上には大小様々なフライパンやら鍋やらがぶら下がっている。辺りには何やら香ばし過ぎる匂いが漂ってきて、能天気な歌が聞こえてくる。
 そっと音源を捜すと、調理テーブルの影に大きな人影が蹲っていた。
 床には赤い染みが広がっている。
 血……!?
 だけど、落ち着いてよく見れば、それはトマトだった。潰れたトマトの前に、大きな男が座っている。いや、この大きな男がトマトを潰ししまって掃除をしていたのか。男は薄汚いコートを着ていた。およそ厨房に居るような格好ではない。右手にお玉を持って、歌に合わせてちょいちょいと振っている。
「あの……何してるんですか?」
「……お?おお?」
 コートの男は座ったまま、僕を振り返った。
「オオ!ハラバイくん!ハラバイくんッスね!遅いじゃないッスか、待ちくたびれたッスよ!」
「え?僕は……」
「ああ、鍋ッ!鍋が吹き零れるじゃないッスか!アンタのせいッス!遅刻なんかするから!」
「座り込んで歌なんか歌ってるからだと思うけど……」
「だって、ただ座ってるだけじゃ暇じゃないッスか」
「なら座るなよ!」
「仕方無いッス。トマト落として掃除してたッスから!」
「鍋の火を止めてから掃除すればいいだろ!」
「そんな事より!よく来てくれたッスね、待ってたんスよ、ハラバイくん!初出勤にして253日の初遅刻ッスが、それは水に流すッス!」
 253日の空白を水に流せるなんて寛大な人だ。
「自分がシェフのイトノコギリっす。さあさあハラバイくん!キリキリ働いておくれッス!」
 そう言って、イトノコさんは僕におたまを押し付けた。
「僕はハラバイじゃありません。成歩堂です」
「な……成歩堂ォ!?」
 シェフ・イトコノは再びテーブルの上のトマトを落っことした。べちゃっと赤い汁が飛び散る。
「……また汚れましたね」
 僕は床を見て言った。
「ほ、本当に成歩堂ッス……?」
「はぁ、そうですけど……うわッ!」
「やったッス!」
 イトノコさんは勢いよく僕の手を掴んだ。そのまま僕に抱きつく。
「待ってた!待ってたッス、ナルホドーくん!そりゃもうずっと!ナルホドーくん、お帰りッス!!」
「あ……ど、どうも、ただいま」
 大分この扱いにも慣れてきた。
「あぁ、まさかナルホドーくんに、ナルホドくんに会えるなんて……!」
 イトノコさんは感極まったように叫ぶと、はっとしたように厨房内を素早く見回した。
「ナルホドーくん!さぁ早く此処に座るッス!ほらここ!ここッス!」
 僕は厨房の隅に置いてあった木の椅子に無理矢理座らされる。
「少し待ってて欲しいッス!今すぐ準備するッスから!」
「あ、お、お構いなく!僕、ゆっくり出来ませんから……」
 イトノコさんは、いーから、いーから、と言いながら上機嫌で棚を探り始めた。
「丁度オイスターのいいのが入ってるんス……香辛料はたっぷりあるッス、あ!にんにくはまだあったスかね?」
「あの、ほんとに……」
「あ、いや!先に洗物を片付けないといかんッスね!」
 人の話を聞かないイトコノさんは鼻歌を歌いながら、流しに向かう。御持て成しされてる場合じゃないんだけど。僕はその背中に話しかけた。
「あの、それより、この城、どうしたんですか?どうして皆……く、首が無いんですか」
「仕方無いッス、狩魔冥は首がお好きッスから」
「好き?」
「そうッスねぇ。あぁ、それよりナルホドーくん」
 イトノコさんは振り返ると、にたりと笑った。
「お風呂はいかがッス?」
 妙な猫撫で声だった。
「は?お風呂?」
 何だそれ。お客様にはお風呂を勧めるジョーシキでもあるんだろうか。
「いりませんよ……そんな気分じゃないですし、そんな事してる場合でもありませんから」
「そうッスね、必要ないッスよね。……洗うのは小さくしてからでもいいッスもんね?」
 うんうんとイトノコさんは頷いて再び流しを向いた。
「洗う……何をです?」
「まぁまぁ、ナルホドーくん、もう少しッスから」
 ……なんか、嫌な予感がするんですけど。
「あ、あのー……僕、時間くんを探しに来ただけで……」
「あぁ、時間くんッスか」
 イトノコさんは背中を向けたまま頷いた。
「知ってますか?やっぱりここに居るんですか?」
「さぁどうッスかね。時間くんを見つけるのは大変ッスからねぇ」
   しょり、しょり。
「……何してるんですか?」
「包丁を研いでるんス。骨は固いッスからね?」
「………………」
 ……まずい。
 多分この悪寒は気のせいじゃない。すごく身の危険を感じる。
 そう、牙流に腕を食べられそうになった時みたいに!
   しょり、しょり。
 …………………………。
 ……逃げよう!
 真宵ちゃんだって居ないし、相手は大男だ。牙流と違って指とか腕とかじゃ済まされない気がする。指も腕も、あげる気はないけど!
 僕は腰を浮かすと、音を立てないようにドアへと向かった。そうっと厨房から食堂へ続くドアに手をかける。
「どこに行くんスか」
「!!」
 振り向くと、イトノコさんが笑みを湛えて立っていた。握られた大きな肉きり包丁がきらりと光る。
「え……えっと、ちょっと急用を思い出して……そう!時間くんを探さないといけないですし!」
「だめッスよナルホドーくん。もう少しで準備が出来るんスから、アンタが来てくれないッスと……ね?」
 じり、とイトノコさんが足を踏み出した。
 僕は咄嗟にドアを蹴り開けた。同時にイトノコさんが僕に飛び掛った。
「うわぁッ!」
 足を掴まれて、僕は顔面から床に転がる。
「い、痛ぇ……!」
 鼻血出そう。でも、それどころじゃない!
 慌てて体をひっくり返すと、息がかかるほど近く、イトノコさんの顔があった。
「わぁぁぁぁぁッ!」
 僕は尻餅をついたまま、ざかざかと後ずさる。イトノコさんは、四つんばいのまま、僕を追って来た。
「ナールーホードーくーん、どうしたんスかぁ?」
「ち、近寄るなぁッ!」
「どうしたんスかぁー?ほーら自分、なぁんにも怖くないッスよ?」
「怖ぇよ!ぼ、僕解りましたからね!あなた、僕を食べようとしてるでしょう!」
 一瞬イトノコさんから笑顔が消えた。
「………チッ」
「舌打ち!?」
「あ、や!自分はナルホドーくんを食べたりなんかしないッスよぉ!」
 イトノコさんは前以上の満面の笑顔に戻って、威張った。
「嘘だ!信じられません!だって何か、あなた変ですし――!」
「食べないッス、絶対食べないッス!!ほらっ、自分の目をよく見るッス!」
「……ほ、本当ですか?」
「うん。食べないッス。ただ料理するだけッス」
「 ど っ ち だ っ て 一 緒 だ――!! 」
 僕は素早く立ち上がった。食堂を駆け抜け、ホールの扉に飛びつく。死体の山は怖いけど、少なくとも死体は僕を食べたりしない。だって死んでるから!!
 そこへイトノコさんが再びタックルをしてきた。僕は再び押し倒されるようにして、ホールへ転がり出る。
「離せ!スーツを掴むな!」
「待って欲しいッス、ナルホドーくん!!まだ何もしてないッスよ!?」
「十分してるッ!真宵ちゃん、助けてッッ!!」
 僕は思わず真宵ちゃんを呼んだ。けれど、ここから外まで声が届く筈が無い。イトノコさんは僕の上に乗っかって僕から自由を奪う。うふふふふ、と不気味な笑い声を漏らした。
「ざーんねーんッスね。真宵クンは居ないッスよ」
 巨大な肉切り包丁が僕を狙っている。僕は最後の望みをかけて絶叫した。
「 真 宵 ち ゃ ん っ て ば ――!! 」

  「何をしているの」

 ホールに凛、と響いたのは真宵ちゃんの声じゃなかった。



ここが書きたかったんだよなー……海を渡る所。このやり取りみて「なんか真宵ちゃんとナルホドくんみたいだ!」と思ったから。石の意思。ナイス!
あと海の道中も捏造した。
ハラバイくんとマコくんとどっちと間違えさせようかと思ってハラバイくんにした。でもマコちゃんにすれば良かったかもしれない。
しかし食われかける場面は、毎度ながら、フツーに原文を写しているのに、なんか、こう、疚しい事をしているような気持ちに。……ノコナル。
次。ついにあの人が出るよ!狩魔冥ー!!