事務所を出た僕は、真宵ちゃんの方に乗せられて、向かい側のホテルへと向かっていた。街中には人っ子ひとり居ない。夕方の町。いつもなら帰宅する人込みで混み始める時間帯だ。それなのに誰も居ない。
 お店のシャッターは開いているし、商品もきちんと陳列されている。けれど、レジに店員の姿じゃ無いし、客も居ない。車道では運転手の居ない車が、じっと信号待ちをしている。もちろん信号が青に変わっても、その車が動き出す事は無い。
 いつもの風景から、人の存在だけが、忘れ去られたように消えていた。
「マリーセレスト号ってこんな感じだったのかな……」
 僕は辺りを眺めながら呟いた。
「マリー?」
「船に乗ってた人が忽然と消えちゃったっていう有名な事件……あ、そこ右」
 真宵ちゃんはラーメン屋の角を曲がる。店員も客も居ないのに、ミソスープのしょっぱい匂いだけが漂った。
 不安がる僕を余所に、真宵ちゃんは悠々と道を歩いていく。
 ……うん、考えようには良かったかも。小人男と妙な衣装の女の子のコンビなんて、誰かに見られたら見世物小屋行きだからな。僕は事態を前向きに受け入れる事にした。

 ゴーストタウンと化した町を抜け、僕たちはホテル・バンドーにやってきた。エントランスの自動ドアを潜り、ふかふかの絨毯の上を、真宵ちゃんはすべるように進んでいく。ロビーの主役顔をしたシャンデリアには明かりが灯っている。フロントにも明かりがついているけれど、人は居ないみたいだ。
「やっぱり、ここにも誰も居ないみたいだな……」
「そうみたいだねー」
 真宵ちゃんはとても呑気に言う。……一体、誰のお姉さんを探していると思ってるんだよ。
 参ったな、手がかりが無くなっちまった………
 一体何処をどう探せばいいんだろう。もうすぐ暗くなるし、その前にこの子を家に帰さなくちゃ。
 ……って、その前に。
「……あのね、真宵ちゃん」
「なーに、ナルホドくん」
 僕はすぐ横のニコニコ顔に言う。
「……僕、どうやったら元の姿に戻れるの?」
 この子のお姉さんを探すとか、この子を家に帰すとか、その前に自分の事をどうにかしないと!ずっとこのサイズなんて、冗談じゃないぞ!これじゃ満足にトイレだって行けやしない!
 この子は(理由はどうあれ)小さくなる方法を知っていた。なら、元に戻る方法も知っている……と、思う。
 限りなく不安になっていく僕の前で、真宵ちゃんはやっぱりニコニコしていった。
「元の大きさに戻りたいんだね」
「そりゃそうだよ」
「じゃぁ、行くよー」
 と、言って真宵ちゃんは歩き出した。
「行くって、何処にだよ」
「パン屋だよ」
 ホテルの中にブティックとか、お土産物屋があるのは珍しくないけど、パン屋なんてあるだろうか……
 ……って、パンってまさか……
「……それって、さっきの、あの腕パン……?」
 出来ればもう二度と食べたくも見たくも無い。いや、出来れば一度も食べたくも見たくも無かった。
「ううん、違うよナルホドくんー」
 真宵ちゃんがそう言って首を振ったから、僕は心底ほっとした。
「小さくなるのはジャムパン、戻るのはアンパン、だよ」
「………………」
 ……どうやら……腕パンなのは同じのようだ………
「それじゃ、パン屋に行こうか……」
 真宵ちゃんはニコっと笑った。
「ナルホドくんが、そう言うなら」

 僕たちはエレベーターで地下へ降り、ショッピングモールへとやってきた。
「やっぱり此処にも誰も居ないね……」
 電気は煌々とついているけど、人の気配は無い。中央に作り物の池があり、その向うに店が5,6軒立っている。ホテルの地下にパン屋なんていらないんじゃないか、と思うけど、そういう疑問にはこの際触れない事にする。
 パンの香りがする店の前に立ち、真宵ちゃんがドアに手をかける。
「待った!」
 思わず、僕は叫んでいた。
「どうしたの?」
 真宵ちゃんはドアを開けるのを止めて、僕を見る。
「いや、その……僕はここで待ってるよ」
 この店の中には、さっきの腕パンがある。……それが普通のパンのように、ずらりと陳列しているのを想像してしまい、どうしても中に入り込む勇気が出てこない。そんなものを見たら、今度こそ気絶してしまうだろう。いくらなんでも、女の子の前でそれは格好悪い。例え妙な着物を着て、人の話も聞かなくて、幽霊になったお姉さんを追いかけていても、この子は女の子だ。……女の子、だよな。……段々性別の問題じゃなくなってきたような気がする。
 真宵ちゃんはニコニコ顔のまま、こくん、と頷くと、僕をそっと地面に降ろしてくれた。
「いい子で待っててね、ナルホドくん」
「……いい子って……」
 この子の正確な年齢は知らなくても、僕の方が確実に大人だぞ。しかも、あっちはまだ未成年だろう。多分。
 釈然としないものを抱えたまま、僕はドアを潜る真宵ちゃんを見送った。
 ……………。
 ……………。
 …………。
 どれくらい、経っただろうか。時計が無いからなんとも言えないけど、ただパンを取って持って来るだけにしては、ちょっと時間がかかっているように思える。時間が経過すると同時に、僕の胸の動機が強くなる。不安なのは、誰も居ない事じゃなくて、誰かが来る事だ。腕を切られそうになったのは、ついさっきの事だ。
 真宵ちゃん、何をしてるんだろう……
 僕はあまりに巨大なドアを見上げる。
 ……まさか。
 僕の中でとてもいやな可能性が過ぎる。あれは確かにパンだったけど、作ったきっかけは、代用品なんじゃ?あれを作った主は、本当は人間を食べたい為にあんなものを作ったんじゃ?
 ここには、その製作者が居る筈だ。そんな所に、女の子が一人、やって来たら――!
「真宵ちゃん!」
 思わず、僕は駆け出した。
 そしてその時――ガチャリ、とドアが開く。
「うわぁぁぁッ!」
 慌てて避けて、そのまま尻餅をつく。
 あ、危ねぇ!ぶつかったら、それこそぺしゃんこになっちまう所だった……!
「ナルホドくん、待ったー?」
 真宵ちゃんが僕に視線を合わせる為に屈んで言う。よく見れば、その口の端にクリームが付いていた。……食ってたな、さては。
「はい、コレがアンパンだよ」
「うっ………」
 にこにこした顔で差し出したのは、やっぱり腕パンだった。さっきは子供の白い腕だったけど、今度は大人の腕のようだ。表面もボディビルダーのように黒光りしている。どこからどう見ても、腕……に見える。というか腕にしか見えない。
「はい」
 と、真宵ちゃんが食べ易いようにと指先を突き出してくる。
 だ、だめだ………頭では解っているのに、体が追いつかない……
 僕は一旦それを視界に入れないように後ろを向いた。それから、どうにか平静を取り戻そうと、呼吸を落ち着かせようとする。なかなか息が整わない。
 その時、背中が熱くなり、パニックが薄れる。見れば真宵ちゃんが人差し指を僕の背中に押さえつけていた。真宵ちゃんは宥めるようにトントンと僕の背中を突いて指を離した。
 ……前にもこんな事無かったか?あれは確か事務所で白い腕を見た時。あの時も真宵ちゃんが……
 訝る思いは目の前の腕を見たとたん拡散してしまう。
 お、落ち着け、怖くなんて無い。これは人の形をしているけどパンだ、パンなんだ!!
 ………………。
 ……よし!
 僕は覚悟を決めて目を綴じた。
 平気平気。パンである事は間違いないんだし、ゴキブリ型とかなめくじ型パンより、断然人型の方が……
「う………」
「ナルホドくん?」
「ご、ごめん、何でも無いよ」
 うっかり、ゴキブリ型パンとかなめくじ型パンを食べる所を想像してしまった……。
「……じゃぁ……い、いただきますっ」
 思い切って指先に噛み付いた。爪の部分は薄い雨で出来ていた。カリッとしていて美味しい。こんな指先なのに、一口で餡子に辿り着いた。僕はごくんとアンパンを飲み下す。
「お……美味しいね」
 真宵ちゃんが嬉しそうに笑った。
 世界が揺れた。縮んだ時と同じ眩暈が始まる。みるみる床が遠ざかって行った。
 とん、と背中を真宵ちゃんが支えた時には、僕は元の大きさに戻っていた。まず、自分の両手を、身体を、そして辺りを見渡す。巨大に見えていたショッピングモールも、実はそんなに広くない。
「戻った……んだよな?」
 振り返ると巨大だった真宵ちゃんの顔が小さくなっている。見上げるしかなかった身長も、僕の胸元辺りまでしかない、普通の大きさだ。
 僕はなんだか恥ずかしいような気分になって、ネクタイを直した。そういえば、服が破けていない。着る時の縮みっぷりを考えれば不思議じゃないか。
 元に戻った僕に、真宵ちゃんが久しぶりのセリフを言った。
「さぁナルホドくん、お姉ちゃんを追いかけるよ!」

 エレベーターに乗り、一階のロビーに戻った。
 さて、これからどうしよう……
 ざっと辺りを見渡して、ふと目についた物がある。上品なロビーには不釣合いな、冷たい鉄の扉だ。普通の扉より小さいけど、屈めば通れるだろう。ノブは簡単に回った。よいしょ、と冷たいノブを引っ張ると、重いドアがのろのろと口を開ける。中を覗くと、すぐに四、五段の階段があり、そこから真っ直ぐに薄暗い通路が伸びていた。
 幅は、一人分程しかない。
 僕は屈んで扉を潜ると、通路に足を踏み入れた。しっとりとした湿気が肌に纏わり付く。
「……なんか不気味だな……こんな所――」
 がしゃぁん、と重い音が背後で響いた。ドアが閉まったのだ。外からの光が遮断されて急に通路は暗くなる。慌ててドアノブを掴もうとした僕の手は空を切った。
「えっ、あれ?」
 慣れない闇の中で手探りでノブを探す。けれど、そこにはまっ平らな壁があるだけでドアは影も形も無い。
「嘘だろ……ドア、消えちまった……」
 焦ってドアのあった筈の壁を叩く。
「真宵ちゃん!!ねぇ、聞こえる!?」
 だけど返事は無い。
 叩いた感触も鈍く、向こう側に空間がある感じでは無い。ぴたぴたと軽い音がするだけで手が痛い。
 僕は通路を振り返った。コンクリートを打ちっぱなした通路だ。ぽつりぽつりと裸電球が天井から下がっていて、頼りなさげな光を放っている。通路の奥は暗くて見えない。もう一度ドアのあったはずの壁を探る。やっぱり壁しかない。
 ……戻れないのなら、進むしかない。
 法廷でもそうだった。幸い、一本道で迷う事は無さそうだ。
 僕は、覚悟を決めて足を踏み出した。

 コツ、コツ、と自分の足音だけが通路に響く。電球のおかげで前後がわからなくなる事は無いけれど、照明器具としては、殆ど役に立っていない。
 暗く伸びる通路。
 等間隔にぶら下がる電球は、闇へと続く微かな道標。……僕は本当に前に進んでいる?
 息を潜めるようにして歩いていた僕は、ふと、自分以外の足音が聞こえる事に気づいた。
 コツ、コツ………。
 僕の足音に被せるように微かな足音が響く。僕はぎょっとして立ち竦んだ。よくある怪談のように、誰かの足音は止まったりしなかった。それで直ぐ前から誰かが歩いて来ているのだと解った。
 前方の闇を見詰める。
 誰だろう。
 向こうから歩いて来たって事は出口を知っているよな。
 コツ、コツ………
 足音が近づく。
 裸電球の薄明かりの中に、ミュールを穿いた足とピンク色のスカートが浮かび上がった。女の人だ。
 僕は少しほっとする。
「あの……」
 ゆっくりと彼女は前に進む。電球が闇の中に彼女の姿を浮かび上がらせた。
「!!!」
 彼女の顔には、包帯がぐるぐると巻きつけられていた。目も鼻も、包帯でびっちりと覆われている。口だけが辛うじて露になっていた。
「あ………」
 後ずさった足に何かが引っ掛かった。
 ジャラ……
 足元を見れば、ペンダントがあった。小さい小瓶が着いた、可愛い首飾り。

   ……おまえの……せい………

 包帯の女がくぐもった声で呟いた。
 心臓が撥ねる。
 ゆっくりと女は近づいてくる。女の右のわき腹が、ぐっしょりと赤く染まっていた。だらりと下げられた右腕にも、その手に握られた包丁も、同じ色に染まっている。

   ……リュ………おまえのせ………

 僕はただ彼女を見詰めたまま、射すくめられたように動けない。
「ごめん………」
 僕は怖くて怖くて、ただ怖くて訳も解らずに謝った。
 女は包丁を振り上げた。
「ごめん、ごめん、ごめん!!!」
 痛みは、いつまで待っても襲って来なかった。
 恐る恐る目を開けると――そこに女は居なかった。小瓶のついたペンダントも無い。
 僕の目の前には、何事もなかったかのように、暗い通路だけが伸びているだけだ。
 一瞬の闇の後、僕は弾かれたように駆け出した。
 恐怖のあまり吐き気がした。脳みそに誰かが手を突っ込んで掻き回してるような錯覚を覚える。
 
    ごめん
    ごめん

 頭の中でそれだけが繰り返されている。
 何を、誰に謝っているのか、自分でも解らない。

   ごめん
   ごめん

 頭を今すぐコンクリートの壁に打ち付けて壊してしまいたい衝動を必死に我慢する。
 闇の通路の終わりは、突然やって来た。突き当りにはドアがあった。僕は躊躇せず、ドアを開けて向こう側へ飛び込んだ――

 風が頬を撫でた。僕は辺りを見回す。そこは薄暗い路地だった。
 ここは……。
 左を見ると、路地が切れた向うを、大勢の人が行き交っている。僕は光に惹かれる蛾のように、ふわふわとそちらへ近づいた。
 なんだか現実感が無い。
 大通りに出て、ようやくそこがホテルの裏通りだったのだと気づいた。
 夢から覚めきれずに、僕は、ぼんやりと佇む。
 街灯が灯り、ショーウィンドウがライトアップされている。帰宅途中のサラリーマンや学生が、突っ立ったままの僕を邪魔そうに避けて行った。
 僕は人の海の中で途方に暮れる。よく知っている場所なのに、まるで迷子になったような気分だ。
 僕は何処へ行ったら――
「?……」
 ふと、視線を感じたような気がして、僕はのろのろとそちらを振り返った。見ると、車の流れる車道の向こうで、こちらをじっと見ている男が居た。
 何だ……?誰?
 見覚えの無い成人男性だった。髪が白く、妙なマスクをつけている。男は僕と目が合うと、横断歩道へと駆け寄った。けれど信号は赤で、男はこちらへは通れない。
「おい!」
 男は明らかに僕に向かって呼びかけた。

   逃げて

 頭の中で誰かが言った。車道の信号が、黄色に変わる。車の流れが止まった。
「!………」
 僕は反射的に身を翻して駆け出した。
「おい、待て!!」
 男の焦ったような声が聞こえた。
 追ってくる。追いかけてくる。
 僕を捕まえる為に。
 捕まったら僕は――
 嫌だ!
 点滅する信号を強引に渡る。人込みを縫うように走って、適当なビルの影に駆け込むと息を潜めた。
 ――男が追いついてくる気配は無かった。人込みの中、見失ったんだろう。十分に待ってから、ようやく僕はビルの陰から顔を覗かせた。行きかう人の中にあの男は居ないように見える。
 ほっと胸を撫で下ろした時、ぽん、と背中を叩かれた。
 思わず叫んで飛び上がる。
 慌てて振り返ると、そこには見慣れた赤いスーツの男が立っていた。
「……御剣?」
 名前を呼ばれて彼は口角を上げた。
「やはり成歩堂か。どうした、そんなに驚いて」
 そう言って御剣は僕のスーツの乱れを直した。
 御剣は小学校の時のクラスメイトで、今は検事として法廷で対峙する僕の一番の友達だ。御剣の顔を見て、一気に世の中が現実味を帯びた。
「御剣……!御剣だよな、本物だよな!?」
「どうした、成歩堂……何かあったか?」
「変な人が追いかけて来たんだ!」
「何!?」
 御剣は僕を庇うように道の脇に押し込むと辺りを窺う。
「どんな人物だ」
「男で……三十歳くらい、だと思う。何か妙なマスクつけてて顔はよく解らないけど」
「………ム……特にそのような怪しい人物は居ないように見えるが……」
 僕は御剣の背中に隠れたまま、呼吸を落ち着かせる。
「うん、もう大丈夫……」
「危ないな、君はそういう変な輩に好かれ易いのだから……」
 そう言いながら振り向いた御剣の顔が急に険しくなった。
「どうしたのだ、それは!」
「え?」
「首元に絞められたような痕があるではないか!」
 言われて僕は自分の首に手を当てた。思い出したように首が痛んだ。空気に触れ、蚯蚓腫れのような痕がヒリヒリする。
「あ、い……痛……」
「誰にやられた!」
「い、いやいやいや、そんな事は無いよ。可笑しいな、何時の間に……」
 覚えが無かった。
 誰にも絞められていないし、自分で擦った覚えもない。
 御剣は心配そうに僕の顔を覗きこんでいたけど、やがて、ふっと表情を和らげた。
「大丈夫だ。私が一緒に居てやる」
「ありがとう……」
 僕は体の力を抜いた。友達ってありがたい。
「……そういう事で」
 御剣は微笑を浮かべ、僕に手を差し伸べた。
「どこかへ行かないか?」
「え?」
 突然の提案に僕は面食らう。
「腹が減ったものでな」
「で、でも、僕、サイフ持ってないよ」
「それくらい、奢ってやる」
「うん……いいか。行こう!」
 今、一人になりたくなかった。僕は御剣と連れ立って、近くのレストランへ向かった。

 窓際の席に向かい合って座る。お腹が空いている気はしたけど、何となく食欲が沸かなくて、飲み物だけを頼む事にした。アイスコーヒーを飲んで一息つくと、ようやく落ち着いてきた。
 御剣に話を聞いてもらおうと思ったのに、いざとなると何から話していいか解らない。だいたいあれは本当に起きた事だったんだろうか?いくらなんでも荒唐無稽過ぎやしないか?
 ………白昼夢でも見ていたのかも……。
 僕はだんだん自信が無くなっていった。
「そう言えば」
 御剣がトマトジュースを啜りながら言った。
「もうすぐ君の誕生日だな」
「え……」
 突然の日常会話に僕は瞬きをする。
「? どうかしたのかね?」
「あ、い、いやいやいや!何でもないよ」
 こういう会話、すごい久しぶりな気がする……
 ……普通って素晴らしい。
「プレゼント、楽しみにしていたまえよ。今回のは特別なのだからな」
「いいのに、プレゼントなんて……」
「ム、何故だ」
 御剣は軽く眉間に皹を入れる。
「あ、違うんだ、ごめん。そういう意味じゃなくて、20歳超えて誕生日祝うってのも……」
「しかしせっかく君が生まれた日だというのに……」
 御剣はなんだか不満そうに呟く。御剣がそう思ってくれるから、僕はそれだけでいいんだけどな……。さすがに照れ臭いので口にはしないけど。
「あ、だけどね、ちぃちゃんはお祝いしてくれるんだ」
「?……ちぃちゃん?」
「僕の恋人。話した事無かった?」
「ほぅ……」
 僕はちぃちゃんと、21歳の頃から付き合ってている。裁判所の地下資料室で出会ったんだ。あれは運命の出会いだった。
「どんな人だ?」
「え?ちぃちゃん?可愛いよ。穏やかで……僕に凄く優しいんだ」
「ほぉう……なら私のプレゼントは要らないと?」
 僕は思わず笑った。御剣は時々子供みたいな拗ね方をする。
「いるよ!だって特別なんだろ!」
 僕たちは顔を見合わせて笑った。
「そうか、楽しみにしていたまえよ」

「ちょっとごめんね」
 僕は椅子からがたりと立った。
「何処へ行く?」
「なんか手がベトベトして。洗ってくる」
 そう言って僕は席を立った。
 トイレには誰も居なかった。洗面台で手を洗おうとして、僕はひと鏡の中の自分に目を留める。青いスーツを着た僕が、少し驚いたような顔をしてこちらを見返していた。
 僕は真宵ちゃんと彼女のお姉さんを探して、小さくなって、ホテルへ行って………
 …………。
 やっぱり……夢なんかじゃないんだよな?
 そういえば、真宵ちゃんは、あの後どうしたんだろう。すっかり忘れていた。まだホテルに居るんだろうか。……ひょっとして僕を待ってる?
 …………。
 ……いやいやいや!
 僕は強く首を振った。
 気にする事ないよな?これで、もうお姉ちゃんを追いかけようとか言われなくてもいいんだもんな。大きさだって元に戻ったし、家に帰るのに何の支障もない。
 ……気にする事は無い。
 そう鏡の中の自分の言い聞かせると、僕は手を洗ってトイレを出た。席に戻ろうとした僕の足が止まった。足元に小さな血の跡があった。ぽつり、ぽつりと落とされたそれは、点々と階段へと続いていた。
 これ……前にも……
 どこかで見た事がある気がした。
 そうだ、事務所で見たんだ。
 千尋さんが残した赤い色。これは千尋さんの血?
 ……いいや、そうと決まった訳じゃない。全然違う誰かの物かもしれない。
 だけど……
 迷っていると、スウッと血の跡が薄れ始めた。
 あ、消えちまう……!
 迷う僕を急かすように、ひとつずつ、古い血の跡から順に消えていく。僕はとっさに血の跡を追いかけていた。

 血痕は階段を降り、店の外へと続いていた。人込みの中で、地面に残された赤い印を追う。ずっと下を向いているので、何度も人にぶつかった。誰も血の後には注意を払わない。見えていないのか、そう珍しい事でもないのか。沢山の人の足に踏み躙られても、血の後は薄れる事は無かった。
 ああもう、なんでこんなに人が多いんだ……!
 真っ直ぐ歩けないので苛立ちが募る。その一方で冷静な僕が首を傾げた。
 僕、なんでこんなに必死になってんだ?
 この血が千尋さんの物だって確証は何ひとつない。それに、そもそも千尋さんなんて、僕には何の関係も無い。折角妙な出来事から逃げられたのに――
「あっ!!」
 一斉に人が振り返った。僕は慌てて口を手で押さえて俯く。
 しまった……。御剣、置き去りにして来ちまった!あああ、もう何やってんだ、僕!!友達を置き去りにするなんて、薄情すぎる!
 僕は立ち止まって、血の染みをじっと見詰めた。
 ……これは確かに気になるけど、仕方無い。戻らないと。御剣の所へ。




この章大分捏造しました。
公爵も公爵夫人もカエル給仕も廃棄君もばっさり削除です。だからどうしろってんだアレー!
出来ればハタシアイをする真宵ちゃんを書きたかったんですけどね。ヤッツケル。配役がどうしても思いつかないのと正直全部書いてたらキリがないから……さ……(いい訳いい訳)
そして一気に人が増えたねーって何か凄いナチュラルでミツナルっぽいのはワタシの暴走ですか。そうですか。