ちいちゃんの葬儀は、ひっそりと営まれた。結局、体は未だに発見されていない。
骨壷の中には、あの日解剖室に残されていた頭だけが眠る。
……きっと永遠に発見される事は無いのだろう。
僕は神乃木さんの事務所、つまり星影法律相談事務所に戻る事になり、家も引っ越す事になった。
墓参りが終わり、寺に戻ろうとした時、僕の足元に、ひらりと一枚のカードが舞い落ちた。サザエのイラストが描かれたカードだ。
僕は立ち止まってそれを拾い上げる。
「まるほどう?」
僕の先を行っていた神乃木さんが振り返った。
「先に行っててください……すぐ行きますから」
神乃木さんはそれ以上何も言わず、足を進めた。
僕はカードをひっくり返す。
「……狩魔冥?」
ふわりとカードに赤い文字が浮かび上がる。
真実はひとつじゃないのよ
「何……?」
狩魔冥、何が言いたいんだろう。
何気なく、お墓を振り返ると、墓石の上に何かが、きらりと日の光を反射した。近づいてみると、それはガラス細工の小さな箱だった。
「綺麗だな。でも、さっきまでこんなものは無かったのに」
取り上げようと小箱に触れた瞬間、それはバランスを崩し、墓石から滑り落ちた。ガラスの小箱は、綺麗な音色を立てて砕ける。
小箱の中から溢れた白い光が一瞬で世界を埋め尽くし、僕は思わず目を瞑った。
「リュウちゃん……どうして!リュウちゃん!!」
半狂乱になってちいちゃんが僕を揺さぶっていた。
僕はお腹にぶっすりとカッターナイフを刺したまま、眠るように目を閉じている。
「誰か!リュウちゃん!リュウ……」
ちいちゃんは、はっとしたように横に佇む人影に気づいた。
いつの間にか、千尋さんがそこに立っていた。無感動に、床に倒れる僕とちいちゃんを見比べている。
ちいちゃんは千尋さんを見上げた。
「リュウちゃんを……私の恋人を助けて……」
熱に浮かされたような口調でちいちゃんは呟いた。
「私からこの人を守って……これ以上私がリュウちゃんを苦しめないように……」
千尋さんは僅かに頷くと、豊漁を取り上げた。そのまま、機械的な動きで――ちいちゃんの喉を裂いた。
千尋さんは赤く染まり、ちいちゃんの体は畳の上に投げ出される。
赤い海に伏したちいちゃんの手が、弱々しく動いた。
その指先が、隣で眠る僕の頬に微かに触れる。
ごめんね……リュウちゃん……
ごめんなさい………
喉が裂け、実際には、微かにひゅうと音がしただけだったけれども、声にならなかったその声は、確かに僕に届いた。
はらはらと天井から無数のカードが舞い落ちてきて、僕の視界を埋め尽くす。
成歩堂龍一。
遠くで、近くで、狩魔冥の声がした。
美柳ちなみは貴方を利用した。
それは決して許される事ではない。
それでも、美柳ちなみが貴方を愛していた事も、また真実なのよ……。
「まるほどう……」
聞き覚えのある声が、僕を現実世界へと引き戻した。
我に返ると、そこはちいちゃんのお墓の前で、傍らには神乃木さんの姿があった。僕が遅いので、心配して様子を見に来てくれたんだろう。
神乃木さんの姿が涙でぼやけている。
ちいちゃんはちいちゃんなりに精一杯、僕を愛してくれていたのかもしれない。それが例え狩魔冥が見せてくれた幻だったとしても、僕はそれを信じる。
それは僕の、幸福へ向かう力になってくれる。
「泣くんじゃねぇ。アンタは何も悪かねぇんだから」
そう言って神乃木さんは僕の頭を軽く小突いた。
ああ、それは千尋さんの言葉だ。僕は目を閉じて、もう会えない優しい人を思った。
その拍子に涙がほたりと零れる。
でも嫌な涙じゃない。
「ありがとう……神乃木さんが僕の先輩で良かった……」
湿った空気を吹き飛ばすように、神乃木さんはニヒルに笑った。
「よく言うぜ。頑なに名前すら満足に呼ばなかったくせによ」
「だ、だって……」
痛い所を突かれて、僕はうろたえる。
千尋さんかと疑っていたんです、とは言えない。
「だって……ほら、顔が怖かったものですから……」
「失礼な事を言うもんじゃねぇ。男はここぞと言う時に笑みを見せる……それが、俺のルールだ」
神乃木さんは白いネクタイを緩めながら歩き出した。
僕もそれにならう。
「はい……いやいやいや」
僕は紫色の着物の女の子を思い浮かべた。
「笑ってるの、嫌いじゃありません。衣装みたいな変な着物も、人の話を聞かない子も、僕は大好きです」
きっとまた会える気がする。
真宵ちゃん。
「変な事を言うぜ、まるほどうはよォ」
神乃木さんは僕の前を歩きながら、空を仰いだ。
僕もつられて空を見上げる。
今日の空は、青く、高い。
約束の時間にはまだ少しあったけれど、僕は荷物を持って家を出た。
足元に旅行用のショルダーバッグを下ろすと、アパートの駐車場に座り込む。不思議と外も静かだった。鳥の鳴き声くらいしか聴こえない。
平日の昼間だからかな。あんまり静かだと色んな事を考えてしまう。
ちいちゃんの事、千尋さんの事、真宵ちゃんの事。
真宵ちゃん……。
僕は立てた膝に額をつけた。
体、崩れちまったけど、頭は大丈夫なのかな。何だかいつの間にか消えちゃって、それっきりだ。
僕は千尋さんを捕まえたから、もう導く者のお役目は終わったのかもしれない。
だからもう僕には用が無いのかな……。
ガサッと物音がした。僕はビクッと顔を上げる。見れば、目の前を女子高校生が過ぎて行った。
……なんだ、女の子か。普通の。
ちょっとがっかりした自分がなんだか可笑しくて、僕は少し笑った。
「なんだよ……」
僕はこの場に居ない真宵ちゃんに向かって呟く。
「お別れの挨拶くらいしてってくれてもいいだろ、薄情者……」
「ナルホドくん。元気無いね、お腹空いたの?」
「!」
まさか。
僕は振り返る。置きっ放しのショルダーバッグの上、そこに、見慣れた真宵ちゃんの首がちょこんと乗っかっていた。
僕はぽかんと口を開ける。
相変わらずのにこにこ顔。ちょんまげみたいな髪型。
「……真宵ちゃん?……」
「他に食べる物を持ってないなら、この真宵ちゃんを食べていいよ!」
「そ、そうじゃなくて……ホンモノ?」
「うーん、あたしのニセモノが出たって話はまだ聞いてないなぁ」
にこにこ顔が懐かしくて思わず涙が出そうになった。
悔しいので、僕はわざとケチをつける。
「……何か、証拠は?」
「…………」
はた、と気づいたように真宵ちゃんの首はうーん、と悩んだような顔になって黙り込んだ。珍しく困ってる。
僕は笑って真宵ちゃんの首を取り上げた。
確かな感触。幻じゃない。
「冗談だよ。本物だって解ってるよ。僕が真宵ちゃんを間違う筈無いだろ……」
真宵ちゃんを持つ手がじんわりと温かくなった。すうっと体から力が抜けていく。安堵と欠落が入り混じった不思議な感覚が僕を包み込んで――
「!!」
思わず手を放した。
真宵ちゃんの首は再びショルダーバッグの上にぼすっと着地する。
「どうしたの、ナルホドくん」
顔面からバッグに着地したままで、真宵ちゃんが聞いた。
「今。何かした?」
「……………」
真宵ちゃんは、ただにこにこしている。
今まで真宵ちゃんに触れられると、妙に落ち着く事が何度もあった。単に僕が真宵ちゃんを信頼しているんだと思ってたけど……そうじゃ、ない。
真宵ちゃんが僕の歪みを吸い上げていたんだ。千尋さんと同じように。
耳にあの音が蘇る。
千尋さんが砕け散る美しくて悲しい音。背筋に冷たいものが走った。
「やめてくれよ。もうそんな事しちゃだめ」
「でもナルホドくん」
「お願いだから」
僕は素早く真宵ちゃんの言葉を遮った。
「僕、真宵ちゃんが砕けるのは見たくない。絶対見たくないんだ」
お願い、と魔法の言葉を繰り返すと、困ったように真宵ちゃんは押し黙った。
「でもナルホドくん。それじゃあたし達の居る意味が無くなっちゃうよ」
僕は一瞬、きょとんとして、それから思わず微笑んだ。
「そんな事ないよ。だって」
僕は再び真宵ちゃんの首を取り上げる。抱き締めると、もう慣れ親しんだ香りがする。
「君の存在は僕が生きる事を願っている証、なんだろ?」
顔を覗きこむと、真宵ちゃんはにっこりとした。
これから先、何があったとしても、僕自身が心の奥底で生きる事を諦めていないのなら、それだけで、きっとどんな事だって乗り越えて行ける。
僕の幸福が君たちの幸福だと言ってくれるなら、僕はいくらでも幸福になれるから。
ふいに涙が頬を伝った。
「……何を泣いているの、ナルホドくん」
「……ちょっと一言では言い表せない」
真宵ちゃんは、ああ、と納得したように頷いた。
「お腹が空いたんだねー?」
「違うよ。どうしてそうなるんだよ」
感動が台無しだ。
けれど相変わらず僕の話を真宵ちゃんは聞かない。
「お腹が空いたんだったら、あたしを食べていいよ」
「食べませんっ」
「真宵ちゃんの肉は美味しいんだよ?」
「食べないってば。だいたい、君、頭蓋骨ばっかりで、食べる所なんてそんなに……あ」
僕は千尋さんから庇ってくれた真宵ちゃんの体の事を思い出した。
「そうだ。体……助けに来てくれたんだよ」
うん、と真宵ちゃんは頷く。
「なかなか話が通じなくて困っちゃったよ。体にも耳と口を付けるべきだよね」
真宵ちゃんは妙な提案をする。
「……君が呼んだの?」
「自分の頭を置き去りにしなければ完璧だったんだけどねー。どうも体はせっかちでいけないよ」
真宵ちゃんの首は自分の体に文句を言った。
僕は真宵ちゃんの頭を撫でた。万感の思いを込めて囁く。
「ありがとう、真宵ちゃん」
真宵ちゃんは嬉しそうに笑った。
僕はふと、家を見上げる。1人暮らしを始めてからこっち、ずっと暮らしていた部屋だ。今はもう誰も居ない。僕は、新しい事務所へ、真宵ちゃんを連れて出発する。
「僕、結構幸せだったよな。ここで」
不思議と思い出されるのは、優しい記憶ばかりだ。辛いことも悲しいことも、その傷跡は間違いなく僕に残っているのに。
「これからも、きっと幸せ、だよな?」
真宵ちゃんはにこにこしていつものセリフを言った。
「ナルホドくんが、そう言うならね」
end.
あー、終わった!よーやく終わった。とりあえずエンディングはこの二つと、あともういっこ神乃木さん視点の三人称を。
うーん、なんとか形にはなってくれた……かな?
とりあえず書いてみたかった動機経緯。いつかも書いたかもだけど。
・チェシャ猫話聞かねーなぁー、真宵ちゃんも聞かないけどさー
・つーか多分チェシャ猫の状況に真宵ちゃん置いても言う事変わらんと思うね
・多分ツッコミもそう変わらんと思うね
・やっちゃう?
みたいな感じ。
狩魔冥の時はもうノリノリで書いてました。超楽しかったッス。ハリー、つーかナルホドくんを食おうとするアンチクショウには誰を置こうかと、最初はオートローさんにしようかと思ったんだけど、何かこう、考えて、霧人さんがいいかなー?のような。単に霧人さんが書きたかったからですが。
あとグリフォンの役どころにラミロアさんにしようかーと思ったけど千尋さんがキャッチしたのが良かったから。ちょっと心残り?
ただ書いてて段々と、真宵ちゃん本当に首はねられてもピンピンしてんじゃねーかなぁ、って思えてきた。
いや実際3で極寒の牢屋に閉じ込められてるってのを見てもあまり心配しなかったし。悪い意味じゃなくて、真宵ちゃんなら平気さ!というある種信頼のような。