魚と赤子の為のハーブ
担当製菓の種類は成歩堂が一番多いものの、休んでいる者の担当は殆ど神乃木が肩代わりしていた。
しかしその中でも、彼は隙間合間にコーヒーを淹れ、自分や気紛れに誰かに振舞っていたりする。とは言え、御剣はそれに含まれない。あまりキッチンに入る事も無いし、何より本人からコーヒーは好きでは無いという打診を受けている。
それは紅茶の方が好きだというのもあるし、その他もある。そのその他の原因の根源になっている成歩堂は、それには気づいていないようだが。
「ホラよ、まるほどう」
と、いう訳で開店前の静かな一時に、神乃木は成歩堂に一杯奢ってやっている。
ありがとうございます、と礼と共に受け取ったのは、白いマグカップに入った神乃木特製のブレンドコーヒー。
ではなく。
耐熱グラスに入ったハーブティーらしき液体だった。この店は夏と冬で入れ替わりにハーブティーを出しているが、そのどちらとも違うように見えた。玄米茶のように見えるけど、それにしては黄色が強い。甘みがありそうだが、スパイシーな香りも醸していた。
「何ですか?コレ」
飲みながら成歩堂が尋ねる。
「フェンネルだ。ウイキョウって言った方が解り易いかもな。オマケに貰ったんだ」
自分にハーブティーをくれた神乃木だが、自分はいつものブレンドを飲んでいる。
神乃木がコーヒー豆を買っている所では、ハーブティーも卸しているのだった。夏は庭で育てている自家製ハーブティーだが、冬はここのを使っている。
「で、丁度いいとアンタにくれてやった訳だ」
「? 僕に?」
ああ、と神乃木は頷いて。
「牛乳も値上がりしただろ」
何て事をしみじみと言った。
「?? はい?」
それと自分とこのハーブティーが何の関連があるのだろうか、と成歩堂はいよいよきょとんとなる。まぁ、それも短い時間だが。
しれっと神乃木が言う。
「フェンネルってのは母乳の出がよくなるハーブらしいぜ」
ぶっ!!!!!
と、噴出さなかった成歩堂は偉い。
「いざという時は頼むぜコネコちゃん」
ぽん(←肩に手を置いた音)
「いいか、戦争中コーヒー豆が入らなかった時、人は皆チコリーやタンポポの根っこを抽出したもので代用したものさ。その点は人と牛っていう種族の違いがあるものの、同じ母乳だから大丈夫だろ」
「何を物凄い真面目な顔して言ってんですか!出るかそんなもの!出ませんよ!」
「何だ、まるほどう。あんた母乳を出そうとした事があるのかい?」
「あるかそんなもの――――――!!!」
と、顔を真っ赤にして成歩堂は法介に負けない大絶叫をした。
神乃木は臆する事無く、ぐびっと大きな一口を飲み干して、いつものニヤリとした笑みを浮かべた。
「やる前に諦めてちゃでっかい夢見れないぜまるほどう!
やり方解らないってんなら俺がマッサージを、」ガゴン。
「おやおや、ちゃんと棚に上げておいたバットが何故だか落ちてしまいましたね」
だから何で説明口調なんだ。霧人。ちなみにバットとはトレイのでっかいヤツみたいな物だ。これで炒ったフィリングを広げて冷やしたり、板ゼラチンを水につけたりするのだ。ステンレス製だから、当たると痛いぞ。
「あ、牙琉!お疲れ!」
霧人と神乃木は限定スイーツとして目の前のホテルバンドーにも菓子を卸しているのだった。それの手渡しを終えて今戻った訳だ。
バットの角が当たって神乃木は蹲る訳だが、成歩堂は声をかけてやらない。かけてなんかやるものか!という事で霧人を笑顔で迎えたのだった。
「そう言えば」
スカーフを調えながら、霧人は成歩堂を振り返らず呟く。
「母乳で作ったプリンだかパンケーキだったかは、乳牛から取ったものより美味しく出来たと訊いた事があります」
「………………。訊いてたの………?今の……………」
「店内が静かだと、通るんですよ。あなた方の声」
別に盗んで訊いた訳じゃないと、そこははっきりしておく霧人だった。
「いや、あのね!今のはね!ただの性質の悪いジョークだからね!
僕、母乳なんて出ないよ!!?」
パニくってる成歩堂はさっぱりな事を言っている。
「おはようございます」
掃除が終わってキッチンに法介も戻ってきた。
「あ、オドロキくん、掃除終わった!?じゃあ、そろそろ朝礼しようか!」
あはは、と空元気に笑う成歩堂だった。
そんな成歩堂を、法介は思いつめたような真剣な顔で見据えている。
「? どうしたの、オドロキくん?」
そんな様子の法介に気づいた成歩堂は、顔を覗きこむ。いつもであれば、顔が近くなれば真っ赤になる法介は、今ばかりはその表情を崩したり変えたりしなかった。それを上回る気になる事があるからだ。
「……成歩堂さん………」
「ん?何?」
「母乳……出るんですか?」
「出ないよ」
オドロキくんにも聴こえていたのか……と、ここまでくればうろたえるより脱力が先に立つ。
成歩堂がきっぱり否定すると、法介は残念そうにチッと軽い舌打ちをする。何なんだ。
「ちょっと!」
ズバババーンと唐突な登場したのは茜だった。
「何か成歩堂さん挟んで母乳だとか搾乳プレイだとかいう聞き捨てならない話してなかった!?アタシも混ぜなさいよそんな愉しい話題!!!」
「あああああ茜ちゃん!女の子が「さくにゅうぷれい」だとか言わないのッ!」
茜のセリフに盛大に戦いく成歩堂は、言語中枢回路が可笑しくなったので一部発音が可笑しい。
「あら、「女の癖に」なんてセリフは十分セクハラの対象なのよ?成歩堂龍一」
冥はそんな風に異議を突きつけるが、この場合セクシャルなハラスメントを受けているのは成歩堂ではあるまいか。響也はそう思う。
「しかし、ハーブティーは妊婦にはタブーかと思えば、例外もあるのですね」
「……いやアニキ。これは赤ちゃん産んでから飲むヤツだって」
しかしすぐ傍で天然だか計算だか不明なボケをした霧人をまず片付ける事にした。
「おっと、私とした事がうっかりしてました」
なんて自分の失態を責めるでも羞恥するでもなく、霧人は先ほど神乃木の頭上にかなりのダメージを与えたバットを綺麗に洗いなおして棚に戻した。色々人が集まってきたが、皆痛みと戦っている神乃木にはスルーだった。
で、そこからやや離れた所。チャーリーの傍らにミツルギが居て(掃除中なので一時移動していた訳だ)。
さくにゅうぷれいって何なのだろうか?と結構健全な環境で育ってきたミツルギはハテナマークを浮かべていた。
その横のチャーリーが、そんな事気にしちゃダメだよ、とばかりにさわさわと葉を揺らしていた。
で、その日の朝礼で、成歩堂は今あった騒ぎを御今日休みの御剣に教えちゃいけません。教えたらちょっと本気で怒ろうかと思います。と最初に皆に言い渡した。成歩堂に本気で怒られるのは色々と困る面々は、その言いつけを勿論守った。
なので、御剣は爛れた妄想に悩む事無く、無邪気に成歩堂へ紅茶を淹れている。
めでたしめでたし(に、してしまおう)。
ちなみにフェンネルはホルモン様作用で母乳の出をよくするだけではなく、血液循環促進、消化促進、抗痙攣、抗炎症、等の効用がある。このハーブのスパイシーさっぷりは魚と特に相性がいいので、「魚のハーブ」という呼び名もある。そして抗炎症があるので、歯茎の炎症を抑えて虫歯の、喉の炎症を抑えて風邪の予防にもなってくれるから帰った時のうがいに使うといいだろう。
繰り返し言うが、母乳だけではないのだ。
母乳だけでは。
<おわり>
母乳母乳煩くてすみませんねーはっはっは。
いや虎の人の所の小咄読んだのなら日本の牛乳足りないよ事情を知ってると思うんですが。
これもチャット中に出た話で、んでワタシは、
「そうよねー。今から育てたって、子牛がお母さんにならんと出ないのよねー。牛乳って母乳な訳だし。
母乳。
母乳、か。
…………。ニヤリ」
みたいな。
ちなみに母乳で菓子を作ったのは探偵ナ○トスクープです。ワタシがやった訳ではありませんというのをここで主張させていただく!