紅茶の革命



 その昔、アメリカはイギリスの植民地だった訳だが、それはそれで結構上手くいっていた。むしろイギリスっぽく振舞うのがトレンディと持て囃され、人々はイギリスの茶を飲み、イギリスの本を読み、イギリスの服装をして、イギリスの家具に囲まれて暮らすのがナイスであると過ごしてきた。
 しかしその流れを壊したのも、イギリスだった。話が長くなるから色々省略するが、イギリスが戦争をして、その費用をアメリカ人に税金を増やす事で賄う事にしたのが全ての始まりだ。当然、アメリカ人民は思いっきり怒った。ただえさえ理不尽な課税の条例を押し付けられて、しかもそれが決定した議会には自分たち側出身の議員は居なかったのだ。これは怒るべきだ。怒らないでか。
 そしてポップコーンみたいに弾ける寸前くらい膨らんだ不満を抱えた民衆は、イギリス製品を買わない使わないというボイコットにでた。この不買運動攻撃はボティに入るブローのようにじわじわと確実に利いていき、イギリスはついに降参し、譲歩して全ての商品にもれなくかけていた税金を廃止した。
 ただし、紅茶はそれに含まれなかった。
 価値観の違いというのは夫婦間だけに留まらず関係の破綻の引き金となるが、これまたその例に漏れない。イギリス側は、元々彼らはイギリスのジェントルマンみたいに暮らしたかったのだし、税金がかかってもイギリス茶の方が安いからこれを買うだろう、と思って仕入れたのだが、「イギリスの息がかかった商品なんて使うかコンチクショー!」という意思で一体感を築き上げたアメリカ側が受けれる筈も無かった。
 果たしてその仕入れた茶葉は、港で待ち受けていた一団(ちなみに「自由の息子たち」と名乗った)の手によって、海へと打ち捨てられた。その時、海水に浸った茶葉により一帯がまるでティーカップの中の紅茶のようになった。これが1773年に起きた「ボストン・ティー・パーティ事件」である。
 そして、この事件で勢いに乗りに乗りまくったアメリカは、その2年後に独立戦争を勃発し、戦争開始1年後にはイギリスから独立してしまうのだった。
 まあこの事件の裏にはアヘンとか、武器を売って儲かるのが生業の死の商人とかが実は色々絡んでいるのだが、その辺は世界史Aの教師にでも聞いて欲しい。
 皆のフラストレーションの爆発のきっかけとなったのが紅茶だったのは、偶然かもしれないし必然かもしれない。そもそも、ボイコット運動にしても「イギリスの茶は飲まない」という行動から始まったのだし。
 生活に根強い嗜好品だったからこそ、譲れなかったのだろう。
 そして、そのように譲れない男がここに1人。
 この店の紅茶はそれまで霧人や響也が淹れていたのだが、御剣が入ったのをいい事にその仕事を丸ごとほいっと譲渡した。幸いにも御剣は紅茶に造詣が深かくて、それまでこの店の紅茶はまあ標準程度だったのが、ぐんとグレードが上がった。しかしその反面製菓が一般以上にさっぱりなパティシエが居る訳だから、店にとっては±0だろう。
 御剣は春のうららかな日に成歩堂と劇的な再会をし、その後すぐにこの店に入った。季節的に、そろそろアイスティーのオーダーが増える頃である。なので、御剣も普段は作らないアイスティーを作り、試飲してみた。
「……………」
 その味が、彼の満足いくものには到底及ばなかったのは、その眉間に入った皹で判る事だろう。


「少しいいだろうか」
 尋ねる口調ではあるが有無を言わせない雰囲気を背負った御剣が、挙手しながら発言した。まるでこの場がパティスリーの会議場ではなく裁判所みたいな空気になったのは、当然御剣のせいである。
「ん?どうかした?」
 一応議長となっている成歩堂が、御剣に声を向けた。この場は来月にショーケースに並ぶケーキの種類を決める場であるから、御剣は手も足も出ない。とは言え、店の状況を知る為に顔をだしているのである。それは成歩堂の足元に鎮座しているミツルギにしても同じだった。
 で、それも決まって、わーい良かったね、とひと段落した所でシュビッ!と御剣は手をあげた訳だ。
「この店のアイスティーだが、どうにかならないだろうか」
「どうにか……って?」
「味も薫りも薄っぺらい。あんなもの、客に出す代物ではないと思うぞ」
 今までそれを客に出していた側が勢ぞろいしている場で言い切る御剣は凄い。しかし、敬えない。
「うーん?そんなに味って薄かったです……か…ね…………」
 何気に言葉を発していた法介は、横からの物凄い冷気(御剣から発生)に語尾が掠れていく。
「冷やすと、味も薫りも薄く感じるものだ。ただ、ホットで淹れている茶葉をアイスティーにすればいいというものではないのだよ」
 確かに、薫りは湯気と一緒に立ち上ってくるものだ、と成歩堂は納得する。
「だから、アイスティーにはそれ用のブレンドが必要になってくる」
「だったら作ればいいじゃないですか。言うくらいなのですから、お手の物でしょう?」
 しれっとした笑顔と声でそう言ったのは、霧人だった。丁度、御剣の真向かいに位置する。微笑は浮かべていても、高圧的なものを感じ取った御剣はム、となる。
「無論出来るが、勝手に弄るのもアレかと思ってここで提言したのではないか」
「そうですか。それは、失礼」
 にこっと霧人は笑った。ムッと御剣は眉間に皹を入れた。
「って事なら、アイスティーのブレンドはあんたに一存するぜ。それでいいか?」
 最後の神乃木の言葉は、御剣のみならず、その場全員に向けて言った言葉だ。それに、異を唱える声は出なかった。
 神乃木の声で、一触即発の雰囲気が霧散したのに、成歩堂も少しほっとする。似たようなタイプの2人だからか、その分縄張り意識も強いのかもしれないな、と成歩堂は思っている。勿論それもあるだろうが、霧人としては無条件で成歩堂が招き入れたというのに一番蟠りを持っていた。兄のこういう子供っぽいヤキモチに、弟は勘付いている。
「じゃあ、今日はここまで。皆、お疲れさま」
 成歩堂のセリフに、法介が大きな声で「はいッ!」と返事をする。これが会議の終わりの合図みたいなものだった。


 翌日は店の定休日だったのだが、御剣は店に来てブレンドを試していた。その場に、成歩堂も飼い犬を引き連れてやって来ている。こうして定休日でも、2人は店に訪れ御剣の特訓をしたり成歩堂は新製品の試作に勤しんでいる。
「アイスティーには、アールグレイが相応しい。タンニンが少なくてクリームダウンが起こり難いし、香りも強い」
 しかし今日は、御剣が成歩堂にレクチャーをする形になっていた。ホールにはなかなか出ないし、給仕するのも少ない成歩堂だが、知識が増えていくのが楽しいので、こうして説明してもらっている。御剣も成歩堂の助けになって、かなり嬉しい。
 ミツルギはさりげなく2人の間に入るように位置していた。抜かりない。
 クリームダウン現象とは、紅茶の中のタンニンとカフェインが結合して冷やされたものが、黄昏時の幽霊みたいに白く浮かびあがる事を言う。飲んでも別に身体に悪い事は全く無いし、味だって変わったりはしないのだが、見た目はとても見苦しい。
 これを回避する為には、タンニンの少ない茶葉を使ったり、タンニンの抽出を控えめにしたり、急冷してタンニンとカフェインの結合を防ぐ事が上げられる。
 つまりタンニンが無ければクリームダウンは起こらないのだが、紅茶の美味しさはタンニンを中心としているのだからあまり少ないと実に味気ないものになってしまう。だから、先ほど上げた事柄は、よく計算した上で行わないとならない。
 ちなみにタンニンには体内に過酸化脂質を貯め難くし、老化を防いで遅らせる抗酸化作用がある。また、血糖値上昇抑制作用があり、糖分を分解する酵素アミラーゼを助ける働きをし糖尿病の予防もしてくれる。その他重金属の解毒作用、花粉症の緩和や口臭の抑制等。カフェインのようにエネルギッシュに活発にしてくれるというよりも、身体に良く無いものを鎮めてくれる働きをしてくれるようだ。
 タンニンはビタミンEと一緒に摂取すると一層効果があがるので、小麦胚芽入りのパンやクッキー、アーモンドやヒマワリの種等のナッツ類と一緒に紅茶を飲むとなお更いいだろう。なので成歩堂も、お茶請けにナッツの入ったスコーンやクッキーを用意した。
 何より、タンニンは脂質を分解するので、バターや生クリームのしつこさを飲むたびに洗い流してくれて、最後までケーキを美味しく味わせてくれるのだった。
「昨日も言ったように、アイスティーにするには、味も薫りも濃くしなければならない。だから、もっと味にコクを出す配分をしたいと思う」
 御剣は今までホットティーしか飲んでいなかったのだが、仕入れた知識の中で最もベストだと思われるブレンドをしていく。ティースプーンで茶葉を掬い、殆ど無造作にも見える仕草でポットに入れていく。簡単そうに見えるのは熟練した動きだからというのを、成歩堂は知っている。
 アイスティーの作り方は、ホットで淹れたものを氷で冷やすオン・ザ・ロック方式、その名の通り冷蔵庫で冷やす冷蔵方式、水でじっくり抽出する水出し方式、ティーバックを使うインスタントティー方式等がある。そ御剣はオン・ザ・ロック方式で淹れる事にした。今上げた4つの方法の中で、一番味と薫りが濃く出るからだ。
 オン・ザ・ロック方式で淹れる時は、通常の2倍の濃さの紅茶を作る。それを、氷が8分目まで入ったグラスに注ぐのだ。甘みをつけたい時は、氷に注ぐ前にやっぱり通常の2倍くらいの砂糖を溶かしておく。勿論、シロップを飲む前に淹れてもいい。店で振舞うには、味付けは客に任せる事にして、シロップを添えることになるだろう。アイスミルクティーにしたいなら、そのまま冷たいミルクを注げばいい。
「ふむ……どうだろうか」
 見た目涼しげな、綺麗に透き通ったアイスティーが成歩堂の前に差し出される。
 シロップを入れ、軽く掻き回してストローで啜った。一口飲んで、おおっと眼を見張る。
「……美味しい!凄く美味しいよ、コレ!」
 この味を知った後なら、今まで出していたのが味も薫りも薄っぺらい、と言うのも頷けた。
「そうか。それは良かった」
 と、そっけなく言う御剣だが、成歩堂に褒められて気をよくしているのは見ていて判る。足元のミツルギみたく尻尾があれば、はたはたとはためいているだろう。良くも悪くも解り易い御剣に、こっそり笑みを零した。
「明日、早速皆にも飲んでもらおうよ。きっと僕みたいに吃驚するよ」
「……うム、そうだな。それはいい考えだ」
 御剣は何事かをよく踏まえた上で、頷いてみせた。
 製菓の腕はさっぱりだけど、紅茶を淹れる技術に関しては御剣はプロにも近いと思う。それを皆が認めてくれれば、きっと連帯感が芽生えるだろうと、成歩堂はそれを思ってニコニコしていた。
 しかし御剣は、人を見下すようなあのメガネ(←霧人)にひと泡吹かせてやると、そればっかり考えていた。
 双方の食い違いを、ミツルギは野生の勘でもって判る事が出来て、やっぱり成歩堂には自分がついていなければ、と決意を新たにしていた。


 で、開店前の一時に、昨日考案したアイスティーが振舞われた。
「どうだ、牙琉霧人」
 御剣は腕を組んで「昨日見くびってくれたようだがこのくらい出来るんだぞざまあ見たか似非スマイルメガネめ」とばかりに霧人を見やった。
「ええ、とてもいいんじゃないでしょうか?」
 霧人はにっこり笑い返した。顔は笑顔だが「自分で言い出した事なんだから成功させて当然だろうが何を粋がってガン飛ばしてやがる目つき悪いぞ」という本音を隠したものが窺えた。両者の間に見えない火花が散ったように見えた法介は、その2人に一番近い位置に立っていたので、怯えた。
「どうですか?神乃木さん」
 冷戦状態の2人には気づかないで、成歩堂は神乃木に声をかけていた。
「ああ、いいじゃねぇか」
「とっても美味しいです!」
「うん。余所でもちょっと味わえないよね」
 神乃木に続いて、法介と響也が言う。3人が褒め称えるのに、成歩堂は自分の事以上に嬉しく思った。
 しかし3人は、褒めるのと同時に他の事も考えていた。
 つまり。
 なんでこの腕が製菓の方にさっぱり響かないのであろうか。
 という事に。
「………。何か不服があれば言って欲しいのだが?」
 もの言いたげにじっとアイスティーを眺める店員たちに、御剣が言う。
「いや、不服なんて無いぜ。……紅茶には」
「はい、もう完璧です。……紅茶は」
「非の打ち所がありませんよ。……紅茶は」
「紅茶は、ね」
 と最後に霧人が言う。
「何故一様に「紅茶は」と絞るのだろうか」
 御剣の疑問には誰も何も言わなかった。
 ともあれ、パティスリーCHIHIROのアイスティーの味が良くなった事でイートインの客を増やす貢献に繋がった。
 まあ、キッチンへの貢献は相変わらずだったが。
 あの美味しい紅茶を淹れる手と、この白身まみれになる手がとても同じとは思えない一同だった。




<おわり>

おそらく会議の最中で「御剣さんと牙琉さん……怖ェな」とか法介は思ってたに違いないさ。
紅茶は唯一御剣さんがはりきれる場所なので、シャカリキになっているんですよ。
でも実はお父さんの方が淹れるのが上手とかいう事実があったり。それ飲んで成歩堂が感嘆してるのにいじけたり。
厄介な息子さんですねお父様。