アップルサイダーをどうぞ



 この店の服装だが、職人服とギャルソン服に分けられる。キッチンが主体の人は職人服を着込み、ホールに出る割合の多い人はギャルソンスタイルの上にエプロンを被って製菓に勤しむ。神乃木と響也がこのタイプだ。そして、職人服にはギャルソンのネクタイと揃いのセピア色のスカーフが巻かれている。
 真宵たちもこの例に漏れない。フロア担当の彼女達は白いシャツと黒い腰掛エプロンを身につけている。ただ、冥は裾の長いギャルソンエプロンを着けていて、この格好で一度に4皿抱えて颯爽と給仕する冥は、法介なんか鼻で一笑出来るくらい男前だ。
 胸元は真宵がネクタイ、茜がリボン、冥が蝶ネクタイとなっている。色は男性のと同じだ。
「シンプルで格好いいんだけどさ、ここの服装」
 店に出るので、茜は頭にかけるのを眼鏡からカチューシャに変えた。真宵も、その長く艶やかな髪を束ねている。
 髪を整えながら、ふと茜が呟いた。今日は、繁盛期以外では珍しいフルメンバー勢ぞろいだった。春美も裏方で頑張る事だろう。
 女という文字を3つ合わせて「姦しい」とはよく出来たもので、彼女たちの間で会話が途切れる事は無かった。
「でも、もうちょっと可愛くてもいいよね。フリフリしたのとか。真宵ちゃん、そういうの似合いそうだし」
 しげしげと臆する事無く真宵を見ながら、脳内シミュレーションする。
 うん、似合う似合うと茜は満足げに頷いた。何が満足なんだ。
「そうかなー?」
 何にしろ、褒められると嬉しい真宵はエヘヘと笑った。
「ダメよ、そんなの」
 と、異議を飛ばしたのは冥で。
「そんな可愛い服を着たら、いよいよ真宵が妙な輩にからまれてしまうわ!だから、ダメよ!」
 冥がこの店に関わる発端と言えば、そういう性質の悪い男に真宵が絡まれていたからで、冥の危惧は最もだった。今でも思い出してもあの男の事は腹が立つ。
 とは言え、その男が居なければこうして仲良くネクタイ結べない真宵のネクタイを結んでやる事も叶わないので、その点を差し引いて生きる事は許してやる事にした。
「ええー、でも、やっぱりこう、職場にもときめくものが欲しい所じゃない?」
 茜が食い下がる。
「そんなに可愛い制服着てる所が見たいなら、成歩堂龍一に着せればいいじゃない!」
「! それナイス!冥さん、それナイスだわ!!」
 冥の提案に茜は色めき、ミツルギも3人の会話を聴こえてもそ知らぬ顔をしていたのにそのセリフには反応して、立ち上がって尻尾を振った。
「いや茜ちゃん、着ないから。僕、絶対着ないから」
 眼を輝かす茜に、成歩堂が断固拒否の姿勢を示した。ミツルギは尻尾を垂らしてガッカリした。
「大丈夫だよ、ナルホドくん。お姉ちゃんが持ってたあの服なら、今は神乃木さんが持ってるよ!」
 真宵が頼もしそうな笑顔でしかも親指突き立てていった。
「いやいやいや何がどう大丈夫なんだよ、って、持ってるんですか神乃木さん―――――ッ!?」
 驚愕の事実を知らされたので、成歩堂は驚愕した。
 そして神乃木はニヤリとした。
「惚れた女の品を思い出として欲しいと思うのは、当然の気持ちだろう?」
「嘘だ――――!それ絶対嘘だ――――――!!!」
 成歩堂は思いっきり異議を唱えた。神乃木に指を突き刺し、それも腹の底から大きな声で。
「処分して下さい!今、すぐに!!」
 ここまで声を荒げて訴えるのは、その服は特注なので成歩堂の体躯にも十分着れられるサイズだからだ。千尋の本気が見える。
「クッ!何をそんなに警戒してるんだい、コネコちゃん!」
 おそらくそうやってコネコ呼ばわりしてる所だと思われる。
「俺がアンタに可愛い服着せて喜ぶ趣味でもあると思ってるのかい!?それはとんだ言いがかりだぜ!」
「そうですけどー……」
 と、成歩堂は神乃木の反論に黙ってしまったが、純真で天然の真宵を覗いてこの場に居合わせた誰もは、神乃木に成歩堂に可愛い服着せて喜ぶ趣味があると思っている。確信のように。
「ちょいとそりゃ自意識過剰なんじゃないのかい、コネコちゃん?まぁそこまで期待されたら俺も応えてやるのにはやぶさかって訳でも、」
 
ゴッ!!!
「お゛ッッ!?」
 こうして、口が過ぎると神乃木の頭上にはもれなく何かしらの落下物が当たるので、彼は地味に生傷が絶えなのだった。と、言うか少しは懲りろ神乃木。
「おやおや。店内の飾りつけのように飾られている風景画の一枚が何故だか急に外れて神乃木さんの頭に直撃してしまいましたね」
 霧人はしれっとした態度で言う。
「……何を急に状況説明してるんだい?アニキ」
 その謎は恩師を大事にする英国紳士にも解けない。
「……響也さん……」
 と、法介がくぐもったような声で言う。それもそのはず、彼は顔の下半分を手で覆っていた。
「オレちょっと、洗面台行って来ます……」
「……うん。気をつけて」
 その時点で最早、法介の鼻血は手の隙間を伝っていた。実際に目の当りにしなくても想像だけで吹くとは、さすが血の気の多い若者である。
「何だ、騒がしいな」
 それまでチャーリーくんの水遣りをしていた御剣は想像の蚊帳の外だった。ちょっと外に出ていたら何だか中が騒がしい。霧人はいつも通りだけど、成歩堂は顔が赤いし、茜は眼をキラキラしているし、法介は居ないし、響也は遠い眼をしているし、神乃木は頭を抑えて苦悶している。さっぱり判らない(そりゃそうだろう)。
「あのね、御剣さん!ナルホドくんにウエイ………」
「真宵ちゃ――ん!!ハミちゃんの様子見てきてくれないかな!!!」
 何かにしろ全力投球でマジメな春美は、開店前からせっせとカードを作っていた。
 意気揚々と御剣に説明してあげようとする真宵を、成歩堂は思いっきり邪魔した。
「成歩堂、一体何が……」
「あっ!御剣、水遣りご苦労様!まだちょっと時間あるから紅茶飲みたいんだけど、頼んでいいかな?」
 訝る御剣に、また成歩堂は不自然に大きな声で言った。嘘ではないが、目的は話題をそらす事だろう。
 明らかに不審な態度の成歩堂だが、この店で滅多に彼から頼られる事が無い御剣は、その申し出を喜んで受け取った。
「うム。ミルクティーでいいだろうか」
「うん、その辺は任せるよ。御剣の方が詳しいしね」
「少し待っていたまえ」
 と、御剣はさっきまで抱いていた疑問そっちのけで、ご機嫌に紅茶を淹れに行った。
 さすが扱いに長けている、と響也はいっそ尊敬してしまう。
 開店前のパティスリーは忙しい。
 何かにつけて。


 どんな日でも、終わりというものはやってくる。
 いい加減こっちの人員割れしちゃうんじゃないかなー、というくらい今日は多く客が訪れた。焼き菓子のストックが無いに等しいくらいだ。
 確かに、忙しいし疲れる。けれど、誰かの喜びに貢献しているという事実が、明日も頑張れる活力をくれる。
 このスペースに、今日も沢山の人が訪れた。
 椅子が上げられているイートインスペースを見て、1日を振り返るのが成歩堂の日課のようなものだった。ケーキをただ売るだけではなく、美味しいものを食べる、ちょっと特別な時間と場所も提供したい。まだ入りたての時、千尋が語った事だ。
 だからどうしてもそれを叶えたくて、神乃木が来てくれる事になっても尚、半ば強引に霧人と響也を引きこんだ。響也を引きこんだのは実質霧人だが。
 彼が留学先で誘われていたのは後から知った事で、すぐにそれを問い質すと、選んだのは自分なのだからその件について口は挟まないで欲しい、と突き放すように言われた。けれどそれが、照れているのを悟られまいとした結果だというのを、成歩堂は判っていた。後で響也とこっそり笑ったものだ。
 感情を抑えようとしているのに、その扱いが下手な人物を、霧人の前に成歩堂は知っていた。今となっては遠い、子供の頃に。
 どこか近寄り難く、でも周囲に流されない芯の強さを持っていた。それは敬遠されてしまうようなものだったが、成歩堂は純粋に憧れた。出来れば友達になりたい、と思っていた中、彼は転校してしまった。
 宙ぶらりんになってしまった気持ちは、だから終わる事が無く大人になっても引きずったままで、それは飼い犬の名前に見事に反映した。
 そして、何の運命の気紛れか。
 その彼と一緒に、今は働いている。
「成歩堂」
 その本人が、ひょっこりと顔を出した。
 そういう行動を取ると、同じ名前になってしまった飼い犬と被って、笑みを押し殺すのに必死だ。
「ん?何?」
 しかし成歩堂も、殆ど飼い犬と同様の対応になっているのに、果たして気づいているのか。
 成歩堂が快く招いたので、御剣も近くへ歩み寄る。
「おそらく、そろそろ店のものがハロウィン用になってくと思うのだが」
「ああ、うん。次の会議はそれだよ」
 それでだな、と御剣は続ける。
「ドリンクに、アップルサイダーを出してはどうだろうか?」
「アップルサイダーって、炭酸のリンゴジュースの事だよな?」
「ああ。ハロウィンにとってリンゴは意味ある物だからな。むしろカボチャはカブの代用なのだよ」
 そうなんだ、と成歩堂は感心して頷いた。
 手先の器用さと引き換えにしたように、御剣は記憶力は良かった。客に説明を求められた時にと、製菓の知識は作り方からその成り立ちまで深い。その中で学んだ事なのだろう。
 製菓では殆ど役に立たない御剣だが、それでも出来る事を探して日々努力を怠らない。成歩堂はこういう御剣の姿勢がとても好きで、周囲はすっかりギャルソン専門と決めても、御剣に菓子の作り方を教えるのを惜しまなかった。
「小さい瓶に入っているものだから、そのまま出しても差し支えないと思われるのだが」
 小振りのものは可愛いと思う女の子には、その方がいいかもしれないと言う。
「うん、いい考えだと思うよ」
 成歩堂がいい返事をすると、御剣もほっと緊張を和らげる。
 事実を固めて自分が望む答えを引きずり出す法廷の場が、これまでの彼のステージだった。だからだろうか。ただ自分の考えを述べるというのに、御剣はいっそ臆病にも取れる。相手にぐうの音を言わせない威圧的な意見ならドンドンバシバシ言うのだが。
 そんな御剣を、成歩堂は頑なになってしまわないよう柔らかく接するし、勿論無闇に甘やかしたりもしない。
「じゃあ、次の会議でそれを言ってね」
 と、言えば案の定、御剣が「えっ」という顔で眼を見開かせた。
 おそらく、彼としてはここで成歩堂に言えば全て終わるとでも思っていたのだろうが、そうはいかない。
「いい考えだから、皆にも聞いてもらわなきゃ」
 だろ?とにっこり笑いかけると、御剣は面白いくらいうろたえた。
「……いや……だから……」
 今、彼の頭の中ではどうこの事態を処理するか、必死に回転している事だろう。それが終わる前に、引導を渡してやる事にする。
「そりゃあさ、一応僕の店って事になってるけど、皆でやっていくんだからさ。ちゃんと皆に言わなきゃダメだろう?」
「しかし………」
「自分の意見は、自分から言わないと」
 それがとどめになったようで、御剣がぐっと言葉に詰まった。
 今から発表する時の事を思っているのか、眼が泳いでいる。
 そんな御剣に苦笑して、成歩堂は頭にぽん、と手を乗せた。何だ?と横を向いた御剣を真っ直ぐ見詰める。
「この店の事考えて出した、いい意見なんだから。もっと自信持ちなよ?
 それにもしダメだって言われても、その理由を知れば次に考える時に役立つだろ?誰も、君が嫌いで否定的な事を言うんじゃないから」
「………そんな事は判っている」
 やや憮然とした御剣に、ちょっと子供扱いし過ぎたかな、と成歩堂は内心舌を出した。
「じゃあ、ちゃんと言うんだよ?」
「……判った」
 この返事が貰えたら、OKだ。真面目な彼は言質を取った事は覆さない。眉間に出来たまま消えない皹がそれを物語ってるといえよう。
「さて。それじゃ、帰ろうか」
 まだ2人とも私服ではなくて、成歩堂のその言葉にスタッフへと向かう。途中、ミツルギも拾って。
「ところで、成歩堂」
 と、御剣がまた成歩堂を呼ぶ。成歩堂は笑顔でそれに応える。
「ん?どうかした?」
「ウェイトレス服は、着ないのだろうか」
「着ません」
 誰だ教えたのは!!と憤りながら成歩堂はきっぱり跳ね除けた。




<おわり>

冥→真宵←茜とか。すんません(何を謝る)
っていうか虎の人の所と違ってお前ら仕事しろよって言いたい。
無理矢理2つの話を同時に収めたような感じですが、勿論その通りです(しれっと)
だって成歩堂にウエイトレス着せる着ない話だけだとあんまりだと思ったの。
てか本当、お母さんの子供と会話みたい。成歩堂と御剣。