あの人が好きな物だから事前に取り置き



 この店には、常時ではないが繁盛期を手伝いに来てくれるヘルプが存在する。3人、いや4人居るメンバーの中で家が一番近い茜は、週末の休みやらにはちょこちょこと顔を出している。
 今日も。
「あたしさ、色んなケーキの中でさ、モンブラン作ってる所を見るのが好きなのよね」
「ええ、オレもです」
 ガラス張りの壁から見えるキッチンを眺め、茜が誰に言うでもなく呟く。それは、隣に居る法介が受け答えする形となったが。
 2人は並んで、キッチン内を覗いている。
「あのさ、クリームがうにょろろろ〜って出てくるのが面白いのよね」
「ええ、オレもそう思います」
「でもって出来てる端から食べたくなっちゃうのよね」
「ええ、オレもそう思います」
「って言うかモンブラン作ってる成歩堂さんを食べちゃいたいわ」
「ええ、オレもそう思います」
「そこの2人。そろそろ開店ですよ」
 だから落ちた頭のネジを回収してくれ、と霧人は願って言った。


 そして、キッチンの中では成歩堂がテキパキとモンブランを作っている。作っている最中のいつだって成歩堂の顔は、真剣だが嬉しそうなのだ。このケーキが誰かの楽しみになるのが自分の幸せなのだ、と言わんばかりに。
 成歩堂は、茜が言ったように今はモンブランの盛り付けに取り掛かっていて、マロンクリームを巻きつけて乗せるように絞り出している。
「作るの、早いですね」
 響也は心底感心したように言う。
 自分よりうんと早く仕上げて、尚且つデコレーションも整っている。どれもトレースしたように寸分違わない。
 このメンバーの中でパティシエとしての腕は神乃木が一番だとは思うが、モンブランに絞って言えば成歩堂の方が上かもしれなかった。
「モンブランはこの店に入って初めに叩き込まれたヤツだからね。結構、自信あるんだよ」
 そう言って、ちょっと響也に向かって微笑んだ。最も、手は休めないのだが。
「そりゃもう、厳しかったよ。何処から持ってきたんだか、フリフリのウェイトレス服持って来て、「ちゃんと出来ないとこれ着て店に立って貰うわよ」って。全く、たまーに性質の悪い冗談言うんだから」
 あはは、と言う成歩堂に、いや、それは冗談じゃなくて100%本気だぜまるほどう……と神乃木だけが真実を知っていた。が、口に出す勇気は無かった。
「……成歩堂さんの師匠って、どんな人だったんですか?」
 故人の事に触れるのは少し躊躇うが、しかしそれを上回る興味もあった。響也は、やや控えめに訊いてみる。
「えっ」
 と、成歩堂はちょっと驚いたような声を発して。
「あー…何て言うか……」
 と、歯切れ悪く呟く成歩堂の顔が、赤く染まっていくようにに見えた。
「えーと……とにかく凄い人でさ、作るケーキはどれも美味しくて、しかも1人で沢山の種類作って、夜遅くまで残ってるのに次の日微塵も疲れた様子見せなくて、頭からつま先までピシーッとしててさ、鉄板4枚持って平然と歩くし、僕や真宵ちゃんの様子にもすぐ気づくし、足は速いし、ラーメンは30分で10杯食べちゃうし……」
 うにょろろろ〜。
「成歩堂さん!手元!クリーム!!」
「っあ―――ッ!!!」
 モンブランという名前はアルプス山脈にある山から取られたのだが、それを言えば成歩堂の手元にはモンブランではなくエベレストが出来ていた。響也の声に、血相を変える。
(千尋……罪な女だぜ)
 背後の騒動を聞きながらアップルパイを切り分け、そっと神乃木は心で呟いた。


 今日は予定が無いと言って、茜の他に真宵も来ていた。これに冥が居れば、ウエイトレスがフルメンバー揃うのだが、生憎冥は父親の手伝いがあるので今日は来れなかった。さぞかし冥は悔しがってるだろうな、と茜は思い、この裁判の被告人に同情した。かなり手厳しい追及の手が、いやムチが及ぶに違いない。
 日曜日のパティスリーは人が絶えない。しかし、その中でも人の波が一旦引く時間に、真宵はこそこそっとショーケースの前に回り、ムムムッと唸って眉を顰めた。
「……モンブランが少ない!何で!?」
「何でも何も……人が多く来たからだよ」
 珍しくレジに入っている成歩堂が、真剣に瞠目している真宵にそっと突っ込む。
「モンブランは年配の人や男性に、ってよく買って行かれるからね」
 なのでショートケーキやチーズケーキに並ぶスタンダードの一種と言えよう。最も、期間限定で紅芋とか和栗のモンブランも作ってはいるが。
「あたしはお年寄りでも男でもないけど、モンブラン好きだよ!」
「だったら、余計売れるよ」
 成歩堂がやや苦笑しながら、呆れ気味に言うと、「ああ!そうか!」と真宵は再び瞠目した。
「んん〜〜、ナルホドくん!」
 見えにくいものを見るように、眼を細めていた真宵は、決意を込めたように顔を上げた。
「何かな?」
「今からあたし、モンブラン買っちゃっていいかな?」
 手伝いとは言え、スタッフの自覚のある真宵は控えめに申し出る。
「いいけど……何だったら、取っておいてあげようか?」
 真宵への労働報酬は、金ではなくケーキなのだった。だから、このくらいの我侭は聞いてやろうと思う成歩堂だ。
 しかし、真宵はそれに首を振った。
「それはダメ。あたしが買わないとダメなの!ダメったらダメなの!!」
 ショーケースの上から身を乗り出す真宵に気圧され、成歩堂がその分後退する。
「な……何かよく判らないけど……うん、いいよ。何個居るの?」
「うーん……1個」
 指を1本突きたてて、真宵が言う。
「1個!?真宵ちゃん、具合でも悪いの!?」
 成歩堂は驚愕した。常時ケーキ5つをぺろりとたいらげる真宵にしては、この数は逆の意味で異常だ。
「ナルホドくん、ひっどーい!あたしが1度に何百個も食べる化け物みたいに!!」
 真宵はぷりぷり怒るが、果たして与える際限を無くしたら真宵がどこまで食べるかは推し量れない。
「まあ、1度は無理だけど、1週間あれば100個は軽いかな?」
 似たようなもんじゃないか。成歩堂は思う。
「じゃあ……1個でいいんだね?」
「うん」
 訊く成歩堂に、しっかり頷く真宵。
 しかし、すぐに「あっ」と言って言葉を付け足す。
「いい箱に入れてね。それ、贈物だから!」


 何があろうと、自分でしでかした事には責任を負わなければならない。冥は、そう思う。
 勿論酌量の余地も大事だが、薬で錯乱していたからと言って、それが無罪になるのは絶対に可笑しい。それでは被害者や遺族はが報われないではないか。
 今回冥が携わった判例は、そういう事件だった。
 心神耗弱を盾にする弁護側に対して、普段よりもムチを振るったものだ。時折、横の父に余波が飛んだが、まぁ、あとでそれは謝っておこうと思う(その場で謝ったらどうだ)。
 しかしその甲斐あって、冥は実刑判決を勝ち取れた。この裁判は、どうしても負ける訳にはいかなかった。父親に無理を言って引き受けさせた事もあるし、それに被害にあった姉妹が、奇しくも真宵と春美と同じ年齢だったのだ。そんなもののはただの偶然だし、重ねるものでもない。でも、もしこれが彼女たちだったら、と思ったら頭に血が上ってしまい抑えが効かなくなってしまった。
(もう少し、冷静にならないといけないわね)
 裁判所を歩き、冥は自省した。父親は検事局にまた戻ってしまったが、自分はこのまま帰るつもりだ。
 感情的になってしまうと、判断が鈍るし、相手に付け入る隙を与えてしまう。
 もっとより完璧に。事実を有耶無耶にさせる猪口才な論法を捻じ伏せる、圧倒的なロジックを組み立てなければ。
 そんな自分を、無慈悲だとか鉄の女とか称している輩が居るのを、冥は知っている。犯人製造マシーンとか言われているのも。
 しかしそんな中傷はどこ吹く風だ。そんな戯言に捕らわれて、本質を見失うような真似はしない。
 自分のこの信念を判っている人が居るというのを、ちゃんと自分も知っているからだ。
「冥さぁ――――ん!」
 大きな、自分を呼ぶ可愛い声がした。そんな事をする1人だけとは言わないが、冥はすぐに誰かが判った。
「真宵!?」
 やや小走りで、裁判所の玄関の階段を駆け下りる。
「冥さん、やったね!傍聴席で見てたよ!」
「まあね。あれくらいは当然よ」
 腰に手をやり、ふふんと笑む。そんな冥を、真宵も楽しそうに笑う。
「それでね、これお祝い」
 後ろに隠すように持っていた箱を、さっと前に出す。箱を見ただけで、冥はそれがパティスリーCHIHIROのものだと判った。
「昨日買ったんだー。冷凍してきたのを持ってきたから、多分今はもう食べれると思うよ」
「昨日?」
 冥はきょとんとする。とは言え、ずっと傍聴席に居たのなら、買ってくる事は不可能だが。まあ、誰かに頼んだという可能性もあるのだが。
「うん。だって、今日は裁判見に来るって決めてたし」
 そして、真宵はとびっきりの笑みを浮かべる。
「冥さんなら絶対有罪にするって、信じてたもんね!」
「…………」
 普段、心にも無い誹謗ばかり跳ね除けているせいだろうか。
 こういう、真っ直ぐな信頼を向けられると、思考回路が停止してしまう。
「あれ、冥さん?」
「! ……い、いえ、ちょっと、ね」
 止まった冥に、不思議そうに首を傾げる。気にしないで、と冥は不恰好な笑顔で対応した。
「うーん、冥さん疲れてるかもだよ。今回のって、何か殺意の証明?みたいなのとかが難しかったんでしょ?」
「あら、知っているの?」
「うん。載ってる記事を霧人さんに見てもらって、解り易いように説明してもらったから!」
 と、真宵は得意そうに言った。真宵のそういう所を、冥はいい所だと思う。
「でもね、酷いよね。公園で遊んでる所を後ろからブッサリなんて。あれがハミちゃんだったかと思うと、あたし背筋凍りついたよ!」
 その時の恐怖を思い出したのか、自分を抱えるように腕を組んであわあわする。
 自分と似たような気持ちだったんだな、と冥は少し嬉しく思えた。
 悲劇は、全く普通の公園で起きた。砂場で遊んでいた小さな子に、ふらりと来た男がいきなり凶刃を突き立てた。それに立ち向かっていったその子の姉も、また犠牲者となった。やりきれない事件だ。つくづく。
「落ち着きなさい、真宵」
 裁判所のど真ん前で、それを気にする事無く戦慄したままの真宵に声をかける。
「その犯人なら、私がこの手で有罪にしてやった所じゃないの」
「あ、そうか。そういやそうだったよね」
 信じてる、とか言いながらこの態度だ。腹が立つより可笑しくなる。
「やっぱり冥さんは、敵をやっつけるナイトなんだなぁ」
 夕暮れのかかった空を見上げて、真宵はしみじみと言った。
「ええ、そうよ」
 冥は真宵の言葉を受け取る。
 そして、どちらからともなく、微笑みあった。


 冥は夕食を終えればその後は何も食べないのだが、今日は違う。
 部屋に戻り、気に入りのカップに好きな銘柄の紅茶を居れ、ケーキをそっと取り出して皿に乗せる。
 寛ぐためのソファにそれらを持って行って、1口を口に入れて、じっくり味わう。
(……うん、美味しいわ)
 色々な場所で食べたけれど、やっぱりあの店が一番美味しいと思う。
 それは純粋に味の評価でもあるし。
 それ以外にも、いろいろとあるのだった。




<おわり>

千尋さんの事を言う時手元が疎かになる成歩堂が書きたかっただけという。
息子に惚気る母親みたいなもんだと思ってください。

冥さんと真宵ちゃんにオマエらそのままチューしちゃいなヨー!とか野次ってみたくなった。
ぶっちゃけミツナルよりメイマヨの方がかなりラブいです。
っていうかミツナルは母子みたいだからなぁ。はっはっは、何であんな事に?(知るか)

タイトル長い。