モンブランを買いに



「実はさあ、この前この店で買ったマドレーヌ、頼んだのと違ってたんだよね」
「…………。えっ?」
 どこかねっとりするような態度の男に、それでも真宵は元気のいい掛け声と笑顔で出迎えた。しかし、その客はケーキを買う為ではなく、危機的トラブルを真宵に齎す為にやって来たようだった。
「チョコのを頼んだのに、フツウーのだったんだよね。それで怒られちゃって、俺、フラれちゃったんだよ」
「すっ、すっ、すっ、すいません!!今すぐ商品の方を……!!」
「だからさー、俺と付き合ってくれない?」
「お持ちしま………へっ?」
 とんでもない失態にパニックになりそうなのを堪えながら、真宵はそれでも業務を真っ当しようと一生懸命頭を動かせた。上手く回らない口で謝罪の言葉を述べると、チョコレートのマドレーヌが詰められている箱に手を伸ばそうとした。箱を掴み取る前、とんでもない事を言われて思わず素っ頓狂な声を上げて止まる。
 何でそんな事になるのかが判らない、と真宵がきょとんとしていると、男は下卑た笑いを顔に貼り付けて言う。
「だってそうだろ?責任取ってくれなきゃ。アンタが間違えなかったら、俺ふられなかった訳だし」
「でっ、でも!そんなの!!!アタシ困ります!!!!」
 そう、まさに困った事態だ。よりによってこんな性質の悪い客に大変なミスを仕出かしてしまい、おまけに頼れる姉は現在店には居なかった。これをピンチと呼ばずして何をピンチと呼ぼう。
「困る?被害被ったのはこっちなんだけどなぁ?」
「だからってそんな!」
 どうやら向こうは、自分の言い分をこっちが飲むまで話を終わらす気はないようだ。
 ここで自分が頷けば済む話なのだろうか。しかし、それだってしてもこんな男と付き合うなんてのは冗談ではない!
 恋愛をゲームみたいに楽しむ輩も居るが、人生の一大事と構える人も居る。真宵はどっちかと言えば後者だった。こういう、好きとか愛してるとかいう繊細で情熱な気持ちは大事にしたいし、それに付随する行動も慎重になりたい。だから、こんなクレーム処理の為にお付き合いなんて出来ないししたくないのだ。したくないったらないのだ。
(ああ!こんな時お姉ちゃんが居てくれたら!)
 昔からぼーっとしていて、街を歩けばすぐにキャッチセールスの餌食になりかける自分を助けてくれるのは、いつだって姉の千尋だった。
(お姉ちゃん!助けて―――――ッッ!!)
 真宵は祈った必死に祈った。この願いが叶うなら、今年サンタが来なくてもいいというくらい(と、言うか信じているのかサンタの来訪を)。
「何だったら、この店訴えて慰謝料とか要求しちゃうけど?」
「!!!!!」
 訴える、慰謝料という言葉が真宵の頭をメリーゴウランドのように回る。
(どどどど、どうしよう!!)
 真宵の頭はパンク寸前だ。正常な判断力が失われつつある。
「どーすんの?俺はどっちだっていいんだけど?」
「〜〜〜〜〜〜ッッ!!!!」
 男の言葉に、真宵が頷く……寸前だった。
「慰謝料なんて、取れないわよ」
 凛とした女性の声がしたのは。



「んだよ!邪魔すんなよ!」
 いい所で!と男が舌打ちしそうな不機嫌な声で後ろを振り返る。
 声の持ち主は、カツカツと小気味よくかかとを鳴らしながら悠然と店内へと入っていった。
「………っ!!!」
 真宵は声にならない声で、必死にその女性に助けを求めた。それが通じたのか、相手はふっ、と口角だけ吊り上げた笑みを真宵に送る。それは冷笑にも似る仕草だったが、真宵は温かい微笑に思えた。
「あのさー、関係ないヤツが首突っ込むの、やめてくれない?俺はこの子と話してんだけどさー」
「ケーキ屋でケーキを買わずに店員に言いがかりつけてるだけの人物の方が、よっぽど邪魔で関係ないんじゃなくて?」
 顔を覗きこんで、ガンと飛ばすような男に臆する事無く、彼女はむしろ蔑むような口調で言った。それは大層男の癇に障った。
「あのなぁ、俺は間違った商品手渡されて、彼女にフラれたの。その分の責任を取ってもらう為に、こうして話合ってるの。判る?俺の言いたい事」
「証拠は?」
 男を冷たく見下ろす……身長差でいや、彼女は見上げているのだが、どうしてか真宵には彼女が男を見下ろしているように思えた。あれだけ怖かった男が、今は遠くで吼えている犬くらいにしか思えない。
「ああ?」
「この店が注文どおりの商品を手渡したとして、貴方がフラれなかったという確固たる物的証拠があるのかしら?」
「何言って……俺だよ!俺が証拠だ!」
「…………。ふっ」
 ムキになって自分を指差す男を、彼女は一笑して切り捨てた。
「いい事?この店が貴方に保障するのは注文した商品を提供する事だけなのよ」
「だから!その注文が違ってたんだろ!」
「ええ、だからその場合、改めて貴方が本当に頼んだ商品を手渡せばそれでこの問題は片付くの。それ以外の要求は、言いがかり以下の戯言よ」
「何……!」
「もし、彼女が間違えずに商品を手渡したとして、破綻しなかったという確証があるの?今も関係が続いていたという証拠があるの?
 あるいは、今よりもっと事態が拗れていたかもしれないのよ?
 でも、そんな事は誰にも判らない。貴方にも私にも。誰にも。
 誰にも判らない事を主張されても、困るのよね」
「お前なぁ……!さっきから屁理屈ばっかり……!!」
 男の手が彼女の胸倉を引っ掴みそうな素振りを見せた。真宵が悲鳴を上げかける。
「――仮に、貴方に慰謝料も貰う権利があったとしても。
 それをちらつかせて関係を迫れば、立派な脅迫よ」
「っ!」
 一分の隙も無い彼女の言葉に、男が言葉に詰まる。
 とどめのように、彼女は言った。
「判ったなら、退いてくれないかしら?
 私はこれから姉の新居に行く手土産として、モンブランを買いたいの」
 彼女はとても優雅に言い切った。と、真宵は思った。


「――狩魔さん、ありがとう!本っ当にありがとう!!」
 真宵はさっきから何度も、何度も頭を下げて冥に礼を言い続けていた。しかし、彼女としてはこのくらいじゃ感謝はちっとも足りないのだった。そんな真宵に、冥は微笑を送る。
「ふふ、もう礼はいいわ。さ、ケーキを頂きましょ」
「あ、うん。そうだね。これじゃいつまで経っても食べれないや。じゃ、頂きまーす!」
 この子はケーキを食べるのにも手を合わすのね、と冥は胸中で呟いた。
 パクッと真宵は大きな一口を含んだ。その後、ん〜〜っ、というような顔で美味しさを顔で表現する。
「あー!お姉ちゃんのケーキはやっぱり最高!宇宙イチだよ!」
「宇宙イチとは大きく出たのね。……あら、本当に美味しい」
 冥も一口食べ、感想を零した。真宵がそれに、すぐに「でしょ!?」と飛びつく。
「……話蒸し返しちゃうようでゴメンなんだけど、さっきは本当にありがとう。アタシ、どうしていいのか判らなくて、頭真っ白だったもん」
 冥が千尋の作ったケーキを美味しそうに味わっているのを、嬉しそうに眺めていた真宵はふと呟いた。
 あの後。
 男は惨めな背中を見せながら去り行き、その姿が見えなくなった時、真宵は感謝の言葉が見つからなくて、感情赴くまま思わず冥に飛びついてしまった。冥が眼を白黒させていると、その時千尋が店に戻ってきた。そこで、事情を説明すると妹のピンチを救ってくれたお礼だ、と千尋がケーキを振舞ってくれた。
 ただ、この店にはイートイン出来るスペースは無いので、スタッフルームへ。そして、休憩に入った真宵と一緒にこうしてケーキを食べている訳だ。
「でも、あれでよかったのかな」
 真宵が何を気に病んでいるのか判らなくて、冥は少し首を傾げる。
「アタシに責任は無いって狩魔さんは言ってくれたけど、やっぱりアタシがちゃんと注文間違えないで渡してたら、あの人恋人にフラれなかったんだし……」
 言いながら、真宵が落ち込んでいるのが判った。
 冥は、口の中の物を飲み込んで言う。
「何を言ってるの。そんなマドレーヌの種類が違ったくらいで破綻する関係、以前から彼女は別れたがっていたのよ。きっとその切り口を探していたに違いないわ。貴方が引き金だったかもしれないけど、貴方じゃなくても別れていたのよ。
 その場合、貴方は好物を渡してくれなかった粗忽者じゃなくて、厄介な男と別れるきっかけをくれた救世主。という事になるわね」
「きゅ、救世主?そんな、照れるなぁ〜」
 真宵は頭に手をやり、恥ずかしそうに身を捩った。そんな様子を、小さく微笑して見やる冥。
「それにしても、さっきの男は性質が悪いったら、思い出しても胸糞悪くなるわね。
 私が検事になった暁には、あんな連中ばんばん告訴して裁判で吊るし上げてやるわ!」
 そう言って、冥は勇ましくプラスチックのフォークを握り締めた。握り締めたのがフォークで、紅茶の入った紙コップでなかったのは幸いだ。
「検事? 狩魔さん、検事になるの?」
 真宵は眼を瞬かせて聞き返した。
「行く行くは、ね」
 ふふん、と胸を反り返して言う。かなり大人びている冥だが、こういう所は子どもだった。
「へえ――――!凄い!凄いなぁ―――!あっ、だからさっき、あんなに格好良かったんだね!」
 真宵が純粋に感心しているのが判るので、冥は気分が良くなる。
「まぁ、威嚇用の、ほぼはったりなんだけどね。あんな男に真っ当に反論するだけ馬鹿馬鹿しいわ」
「えぇ?嘘だったの?」
 真宵はまた眼を瞬かせる。
「嘘じゃないわ。でも、こっち側が有利なように、大分誇張は効かせてるわね。これも一種の戦略よ」
「へぇぇ―――。やっぱり凄いなぁ!」
 真宵がますます感心してくるので、ここまでくるとやや冥も照れてくる。
「……まぁ、周囲は検事になると言ったら『どうして弁護士にしないんだ』とか決まって言うのだけれどもね」
 なので、うっかりぽろりとそんな事を言ってしまった。あ、と思ったのはすでに後の祭りだ。
「ああ、そうだねー。大抵、ドラマだと弁護士が味方で検事さんが何か悪役みたいだもんね!」
 真宵はけろっとした顔で言う。あまり気にして欲しくもなかったが、こう言われるのもアレだ。とは言え、冥自身も一般評価は認知しているので、特に目くじらを立てたりはしない。
「うーん、でも何か、こう……」
 ぶつぶつ呟いていた真宵は、何か閃いたのかぽん、と手を打った。
「ナイトだよ!」
「な、ナイト?」
 夜がどうかしたのか、と冥は首を捻った。
「何て言うかさー。弁護士さんは困った時にやって来て、守ってくれるから王子さまって感じじゃない?
 でも、検事さんは自分の敵をやっつけてくれる騎士なんだよ!王子さまは、敵を倒してくれる訳じゃないでしょ?」
 ああ、そっちのナイトか、と冥は納得出来た。
「アタシね、昔から絵本で最後に王子さまと結ばれて終わり、っていう話はあんまり好きじゃないんだ。だって迎えに来てくれただけの王子さまを何で好きになるのかなーって」
「全く同感だわ。でも、巷にはそんな本ばっかりがあるのよね」
「だからね、お母さんは寝る前に絵本じゃなくて、アタシが好きそうなお話を作って聞かせてくれたの!」
「まあ……それは素敵な話ね」
「うん、そう!素敵な話ばっかりなんだよ〜!」
 素敵なのは、その母親が作った話の事ではなく、その思い出を大事そうに、嬉しそうに語る真宵の方だったのだが。まあ、それは言わないでおいた。それこそ野暮というものだろう。
 その後しばらく話し込み、真宵は休憩を終わらないとならないし、冥も本来の目的を果たさなければならない。モンブランは、もう包んでもらっている。
「1人でレジに入るのは物騒ね。またあんな客が来ないとも言い切れないわ」
 レジに向かう途中、冥はそんな苦言を漏らした。
「うん……でも、お店人が足りなくて。アタシも、お姉ちゃんが出る時のお留守番で入っている訳だし。
 一応店の前には募集の張り紙貼ってるけど、まだ開けたばっかりだから」
 あまり周囲には知れ渡っていないみたい、とぼやく。
「本当は、もうちょっと人が集まってからお店するべきなんだろうけど……一日も早く店を開きたいって。
 お姉ちゃん、せっかちだから」
 そう言う真宵は、けれど誇らしげに言っているように見えた。
「――わ、」
「?”わ”?」
「わ、私が手伝ってやれなくも、無いわよ?」
 やや顔を強張らせながら、冥は言った。
「えっ!いいの!?」
「い、いい、いいわよ?」
 ぱあっと顔を輝かせる真宵に、冥は、がっくん、とキレの悪い動きで頷いた。
「わぁーい!狩魔さんが入ってくれたら、アタシも嬉しい!」
「そ、そうなの?」
 ぎくしゃくとドギマギを交えて冥が言う。
「うん!友達と一緒に働くのって、楽しいよね!」
「――と、友達?」
 言い慣れないし聞きなれない単語に、冥の声が裏返る。
 その反応に、真宵の目が曇った。
「あれ……イヤだった?」
「いいい、嫌じゃないわよ!……ただ、一つ異議があるの」
 慌てて真宵を訂正し、コホンと咳払いをして息を落ち着かせて調子を戻した冥は、朗々たる声で言った。
「友達なら、苗字ではなく名前で呼び合うべきだわ。
 そうでしょ?――真宵」
 名前で冥が呼ぶと、真宵は明りが灯ったような明るい笑顔を浮かべる。
「うんっ!冥さん!」
「…………。”さん”」
 呼び捨てじゃないのね、と冥はやや気落ちした。
「? さん付けじゃ、ダメ?」
「………ううん。いいのよ。貴方が呼びたいように呼べば」
 にっこり笑うように努めて言えば、真宵もうん!と笑って答える。
 あえてポジティブに考えれば、それだけ彼女の中で自分が頼れる存在だという事だろう。それに、いずれその内名前だけで呼んでくれるかもしれないし。
「よっしゃ!じゃあ、早速お姉ちゃんに報告しに行くよ!」
「あ、ちょ、ちょっと!」
 真宵が腕をひっ掴み、走り出して行く。勢いついたら止まらないのか、冥の制止の声も届いていないようだ。何とか冥は、こけてしまわないよう、足元をもたつかせる。
 ――姉の為に、ケーキを買っていこうと思った。
 店はそれなりにあったけど、何か自分に来るものが無くて、転々としてここまで来てしまった。
 そんな時、女性というより女の子と言った方が近いくらいの声がして、しかも助けを欲しているような声だった。か弱い女の子を追い込むとは何処の馬鹿だと思い、辿ってみればケーキ屋の店員に性質の悪そうなチャラ男が絡んでいた。
 その子の顔は本当に追い詰められていて、不意に掛かった災難に声も出ないようで。そういう人の為の声を代弁する為に検事を目指す冥としては、いよいよ放っておけなかった。丁度、自分もケーキが要り様であったし、率先して首を突っ込ませてしまった。
 強引に捻じ伏せ、とりあえず撃退は出来た。父親に聞かれたら、まだまだ甘いとか叱責が飛びそうだったような拙い論法だったけど。
 その後、何度も何度も、ありがとう助かった、と繰り返す彼女を見て。
 これから検事としてやって行くのに、理想と現実の壁に突き当たる事が幾度とあるだろう。
 そんな時、自分はこの笑顔を決して忘れないようにしておかなければと思い、そして。それは六法全書を全て頭に叩き込むよりも、余程大事な事に感じた。
 だから、もっと関わっていたいと思ったのだ。
 慣れない事だったので、必要以上に緊張したが。
「お姉ちゃーん!」
 真宵が声を張り上げる。これから、友達として紹介されるのかと思うと、何だか頬が熱くなってきた冥だった。


 冥はその時、真宵と同じく中学生だったから、金銭の給与ではなくケーキの現物支給だった。けれど、千尋のケーキはどれも、これで十分元が取れると思える味だ。
 その後、新人の青年(当時とても頼りなかった)が入ったり、千尋が事故で亡くなったりと色々あった。自分も進学の都合で居住地を変える事になり、あの店に手伝いに行く事も今となっては中々難しい。
 けれど。
 大学で、教室の移動中の冥の携帯が鳴る。皆がそれにぎょっとしたのは、特撮ヒーローのテーマ曲だったからだ。
 冥はそんな周囲を気にする事無く、着信音設定で誰からが判るのでメールを開く前からその内容を楽しみにした。
 内容は、今度の日曜日店に行けるようなら行こう、というものだった。必要以上に飾った画面が彼女らしい。コミカルな体形になったトノサマンが、画面右下で決めのポーズを取っている。
 彼女に送るような笑みを冥は浮かべ、返信を打ってから鞄からシステム手帳を取り出す。
 赤ペンを取り出し、その日を丸で囲んだ。
 そして、また颯爽と歩き出す。
 鼻歌でも歌いそうな、機嫌の良さで。




<おわり>

実にドラマ版「カバチ○レ」の影響を受けてますな。うん、自分で言ってやる。
いやこの流れ(性質の悪い客から救うという流れ)、本当はミツナルでやろうかと思ったんですが、「いかんこれでは御剣が格好良すぎる」という事で冥さんに移行。格好いいのは冥さんでいいのだ!
んで何でモンブランかっちゅーとゲーマガのあの連載で「美味しそうなモンブラン。謹んで頂くわ」という冥のセリフが大好きだからです。
って言うか冥って全体的に真宵ちゃんの言うこと結構聞くよなー、って。
3−5最後の真宵ちゃんのひと睨みで発言抑えたアレは本当に何なのよ。いっそゴドーさんどっか吹き飛んだわ(オイオイ)