食べ歩きは君と一緒に。
製菓学校に通う成歩堂が、あまりに菓子に対して無知であるのに霧人は頭を抱えるのだが、成歩堂当人としては「知らないから学校来るんじゃないか」と案外ケロっとしていて、霧人の直接的な皮肉すら叱咤激励だと喜んで受け入れる。
そんな中霧人は、自分の勤める店の菓子しか知らない成歩堂に、世界のスイーツを見せようと一計を企んだ。それを知るのは成歩堂は当日になってからだ。
「ねえ、牙琉?」
「何ですか」
並んで歩いているように見えて、実は霧人の後を付いて行っている成歩堂は、やや首を傾げながら尋ねる。人が首を傾げるのは痛みを感じた時で無ければ、疑問を抱いた時くらいなものだ。この時は成歩堂は、後者だった。
「何処に行くの?今日は、お菓子を食べるんだよね?」
成歩堂が幼いイントネーションで「お菓子」とか言ったので、霧人の中には板チョコやらペロペロキャンディーのイメージがぽこぽこ現れる。霧人はそれを軽く頭を振って打ち消し、成歩堂に応えた。
「ええ、そうですよ」
「でも……とてもそういう店があるとは思えないんだけど……」
不安より、やはり疑問だけを前面に押し出して言う。「牙琉の事は信用してるけど一体どうなってるんだろう?」という成歩堂の内情が窺い知れる。
まあ、その反応も無理は無いだろうな、と霧人は思う。おそらく成歩堂の中のパティスリー(もしくはケーキ屋)の外見に相応する建物は周囲には無い。あるのは高いビルディングの群れ。そして。
「さあ、着きましたよ」
頭上にハテナマークだらけの成歩堂に、種明かしをするように霧人が言った。
二人の前に聳え立つのは、某有名ホテルだった。少し世間に疎いような成歩堂にも、高級であると判るくらいの。
「えっ、え?こ、ここ?」
成歩堂は、豆鉄砲を食らった鳩よりも面喰ったように霧人を見ている。
「ええ。ここでスイーツサロンが開催されてるんですよ。期間限定でね」
「っえー!無理だよ!きっと凄く高いんじゃないの!?」
「その辺りは気にする事ではありませんよ。すでに招待券は持ってますからね」
スチャ、と券を携えた霧人がしれっと言う。
「で、で、で、でも、僕っては普段着だし!」
すでに雰囲気に負けている成歩堂は、あわあわと言う。霧人はため息をひとつついてから、その腕をぐいと取った。
「ジャケットを着ているのならそれでいいでしょう。そんなに格式の高いサロンでもありませんしね」
霧人がその台詞を言い終わる頃には、成歩堂は引きずられてホテルのロビーにまで入ってしまっていた。門の所に居るボーイが自分に頭を下げたので、成歩堂は思わずお辞儀をし返した。
「貴方が礼をしてどうするんですか」
見咎めた霧人がすかさず突っ込む。
「いや……だって、……」
普通頭を下げられたら返すもんだろう……と成歩堂は唇を尖らし気味にぶつぶつ言う。
「って言うかさ。最初からホテルのスイーツサロンだって、言ってくれればいいじゃないか!凄い驚いたんだから!」
エレベーターを待つ時に、成歩堂は霧人に文句を言った。ロビーは幽かなBGMがするだけの静かな空間で、成歩堂から見ればいかにも立派な職種についていそうな人達が疎らに居たので、小声で言う。しかし、霧人は。
「言った所で、素直に付いて来てくれましたか?そんな高級そうな雰囲気には馴染めないとか言って、断ったりしませんか」
霧人にそう切り返しを食らい、グッと成歩堂は言葉に詰まった。実際、霧人に今日の行先はこのホテルだと告げられた時、瞬時に思ったのが「無理だ。帰ろう」だったのだから。
「……そんなに格式高くないとか言ったけど、やっぱりさ、凄い人とか来てるんじゃないの?」
「まあ、確かにこれが初来日だというパティシエも少なくありませんね」
伺うような成歩堂に、霧人が言う。すぐに、成歩堂が「ほらぁ」とそれみた事か、みたいに返した。
「僕、まだ知らないお菓子の方が多いってのに、折角ご馳走してもらっても何食べてるか判んないよ。きっと」
「…………」
少し自己嫌悪しているように、成歩堂が呟く。その時、ポーンと軽やかな音がして、エレベーターが到着したのを告げる。自分が引っ張らなければ動かなそうな成歩堂の腕を取って、霧人はエレベーターに乗り込む。この時、サロンの開催されている展望レストランへ直通するこのエレベーターに乗る必要があったのは二人だけだった。扉が閉まった後、まだ項垂れている成歩堂へ向けてでもなく、霧人はまるで独り言のように呟いた。
「知らないから行くんでしょう?」
「…………」
普段は自分が言ってるようなセリフを聞いて、成歩堂がゆるゆると頭を上げる。
「今食べてる物が何かは教えてあげますよ。その為に貴方を誘ったんですから」
最後の方になると、霧人はまるで吐き捨てるように言った。その言い方が照れ隠しだと気づけるのは、長年の付き合いがある彼の家族くらいのものだろう。それと、経験ではなく本能で感じ取っている、成歩堂。
霧人の真意を汲み取った成歩堂は、その顔をぱぁぁぁ〜〜と喜色に染めた。
「――うんっ、ありがとう、牙琉!!」
「……………」
ここまで明け透けな感謝に、霧人は慣れていない。それが今春知り合ったばかりの相手となると、困惑も湧いてくる。どう返事をするのが最適だろうか、という計算の途中「ひゃあああああ!!」という悲鳴が霧人の頭の回転を止めた。
「なっ、何ですか?」
「このエレベーター、外が見えるじゃんかー!怖いぃぃぃ――――!!!」
ぎゅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜!!(←霧人にしがみ付いた音)
「ちょ……!放しなさい、成歩堂!放しなさい!!!」
「ヤダヤダヤダ!高い!怖い――――!!!!」
「…………ッッ!!」
結局、成歩堂は目的階に着くまで霧人を放さなかったという。
高い天井、吊るされるシャンデリア。フカフカした絨毯に側面の装飾も美しい大理石の大テーブル……
「……成歩堂、口が開いてますよ」
閉じろ、と霧人は暗に言った。成歩堂は慌ててそれに従う。
「なんか……貴方の知らない世界に紛れ込んだって感じ……」
ほえーとしている成歩堂に、霧人はまたしても軽く溜息した。
「貴方もパティシエの道を選ぶなら、あるいはこういった場所で腕を振るう必要があるかもしれませんよ」
「えー?僕は千尋さんのお店で働くんだもん」
成歩堂は無邪気に言う。
「だから、早く色々覚えないとね」
そーゆー事で会場案内よろしく、と成歩堂は霧人を見てニコっと笑った。
さっきまで今にも帰りそうな人物が浮かべる笑みとはとても思えない。本番には強いタイプなのかもしれないな、と霧人は思った。神経が結構図太いのはすでに思い知っている。
ここにはスイーツにおける欧州の有名所が揃っているが、まずはやはり伝統的なフランス菓子から行こうと霧人は思った。その方が自分の説明がし易いからだ。しかしながら、フランス菓子というものは余所から取り入れた物が多い。マカロンや氷菓はイタリアからお輿入れのお姫様と共にやって来たし、いかにもフランスの朝食であるクロワッサンだってマリー・アントワネットが故郷のオーストリアから持ってきたものだ。クグロフも然り。
昔々のフランスのイメージは、今のお洒落なイメージとは随分とかけ離れ、いやその欠片すら見せない程の粗野で野蛮な国だったので(何せ食事も手掴みでしていた。イタリアからフォークが来るまでは)そんな場所に大事な娘を出向かせるのを心配した親達が、衣食住を揃えて嫁入りさせた事が結果としてフランスを食文化豊かな国へと変えて行った、という訳だ。
しかしそういう時代背景を今言うと成歩堂がオーバーヒートしそうなので、霧人はそこまで言うのは控えておこう、と思った。今、彼が「これ、ショートケーキみたいで可愛いね!」と言いながら食べている「フェレ・ノワール」だって、それは「黒い森」という意味をフランス読みにしたからそういう名称なのであり、本当はドイツの菓子なので「シュヴァルツヴェダー・キルシュトルテ」というのだと言ったらその場で頭から煙を発しそうだ。
「このシュークリームのケーキも美味しいねv」
そう言って、成歩堂がニコニコしてパクついているのはパリ・ブレストだ。フランスの自転車レース、ツール・ド・フランスを記念して作られたこのケーキは形が車輪をイメージされている。シュー生地で作られた菓子であるから、成歩堂の発言はある意味正しいと取れなくもないが。
「貴方は卒業したらすぐにその店に行くのですか?」
何気なく、霧人が成歩堂に訪ねた。連続で数種類食べたので、舌を少し休ませる必要もあったから。
「ん?うん、勿論!早く千尋さんをお手伝いしたいんだ」
今はせいぜい、ちょっと製菓に携われる雑用係くらいでしかない。成歩堂はもっとジャンジャンバリバリと千尋の手助けになりたいのだ。それだけの恩があると思うし、何より千尋の人柄に惹かれているからだ。彼女のように、自分も誰かに嬉しさと幸せを分け与えられたらいいと、心の底から思うし、それが出来る人物と長い繋がりを持ちたいと思う。その為の苦労は厭わない。
成歩堂は、痛いくらいに知っている。一緒に居る為には努力しなければならない事。尽力しなければ事。そうしないと、あっという間に別離の時はやって来て、それまであった繋がりが無残に断ち切られてしまうという事を。
(せめて一声、かけれる勇気があったらなぁ……)
何度思い出しても、悔やまれる。しかしその苦い経験があったからこそ、その場で千尋に弟子入り志願を申し込めた訳だが。
「……そうですか」
自分で訪ねておきながら、霧人はさして興味も無いみたいにぽつりと返事した。
霧人は学校で基本を学んだ後は海外――多分パリになるだろうが――に渡ってより深い技術を学ぶつもりでいる。学校に通うのも、むしろ留学の手続きを目当てにしている所の方が多い。
なので卒業と同時に、今は並んでいる成歩堂とは道が分かつという事だ。いや、そんな事は最初から解っていたが。
「牙琉は、やっぱり留学するの?」
今度は成歩堂が聞いていた。最初に訪ねた手前、霧人は「はい、そうですよ」と普通に返す。すると成歩堂は、溜息をついた。感心のために。
「凄いなぁ……僕にはとても出来ないよ。まず、飛行機に乗れないしね」
あはは、と成歩堂はあっけらかんと言う。言ってる場合か、と霧人は思った。
「うん。でも、牙琉ならきっと平気だよね。絶対大丈夫だよ!」
「……解ってますよ」
別にそんな励まさないでも、と霧人は素っ気なく言う。
「ねえ、どのくらい行くつもり?いつ帰って来るの?」
「特に期間は決めていませんが……まあ、1年は居るつもりですね」
「そっかぁ……」
成歩堂はその長さを知るように、視線を宙に彷徨わせた。
「あのさ」
「はい」
ぽつりと発せられはその声は、あまり彼らしくないなと霧人に思わせた。
「帰って来たら、連絡頂戴ね。話とか沢山聞きたいし」
「…………」
「あ、僕もその頃なら千尋さんの所で立派……かどうか解らないけど、絶対働いてるからさ。お店に来てくれてもいいし。えっと、牙琉が忙しいなら僕の方が……」
「成歩堂、」
「ん?」
「先の話より、今は目の前のスイーツでしょう。今まで自分が食べた物の正式名称、全部言えますか?」
「……あー、えー、うー」
「……ほぅ、一つも言えないと……」
眼鏡のブリッジ部を押さえ、静かに言い放った霧人に成歩堂は焦る。
「ちょ、ちょっと待ってよ!今、ちょっと頭から出てるだけだから!すぐに思い出すから!!」
「すぐに出てこないのであれば、最初から記憶されてないという事ですよ。
全部思い出すまで、次のスイーツは食べさせませんからね」
「えええー!酷いー!こんなに美味しそうなのにー!」
「なら、もう一度だけ言いますからね。今度はちゃんと覚えるんですよ」
霧人がそう言えば、成歩堂は神妙な顔つきになってうん!と頷いた。やる気は十分な成歩堂を見ながら、霧人は今までのケーキの名前を陳列していく。その頭の端で、さっきの成歩堂を思い返していた。
(全く、何を泣きそうな顔をしているのか……)
まるで明日にでも霧人が立ち去ってしまいそうな、そんな顔。人生なんて、出会いと別れを無数に繰り返すのだから、それに一々傷ついていてはとても生きてられないと思うのに。
近い将来、霧人は確実に成歩堂から離れる。留学する時に、成歩堂は泣きそうだったその顔で、今度は本当に泣くのだろうか。
だったら……せめてもの詫びに、留学から帰ったらすぐに連絡をしてやろう。今のこの気持が、卒業しても留学しても尚続くのであればそうしよう。
必死にぶつぶつと製菓名を口ずさむ成歩堂を横に、霧人は一人その胸中で賭けとも約束ともつかない事を決めていた。
「えっと……それで、最後に食べたのが……サン、サンロレノ……あれ?サンノトレ??あれ???」
「…………」
自分の留学云々はさておき、成歩堂がちゃんと卒業出来るのか。霧人はかなり不安なったという。
<END>
実はおそらく成歩堂に一番甘い霧人さんでした。御剣はむしろ成歩堂が甘いしな……まあ、それでたぶんバランスはいい……筈だ!!