Do it カブ・パンケーキ



 こうして休日に付き合わせる事に、成歩堂は御剣に「ごめんな」と詫びている。勿論、自分の都合で相手の休日の時間を奪ってしまう事に対してだ。
 御剣としては仕事以外でも(いや、厳密に言えばこれも仕事からみなのだが)成歩堂の顔が見れてとても嬉しいのだが、そう謝られると成歩堂はそうでもないのだろうか、とやや複雑な思考に捕らわれては、どうしてこんな考えになってしまうのだろうとその発生源について激しく首を傾げている。
「さて、それじゃ始めようか」
 御剣が身支度を整えたのを見て、成歩堂は気合を入れるようにぽんと手を叩く。何を作るにしろ、初めてのものは未知の為に僅かながら緊張する。
 今回試作するのは、先日御剣宅へ招かれた際に報告した、フラップジャックの原形らしいカブのパンケーキだ。
 何せカブである。野菜を使ったスイーツはヘルシー嗜好の元でバリエーションも豊かにあるが、それでもカブを使ったパンケーキは、少なくとも2人はまだ見た事もなければ口にした事も無い。
「多分、不味くはならないと思うよ」
 火加減さえ誤らなければ大抵は食べられる、とパティシエという職種の割にはかなり大雑把な理論を展開する成歩堂だった。強ち間違いでもないが。
 一応、ここに来てすぐに御剣もレシピには目を通した。ジャガイモのパンケーキは食べた事があるから、それに準じるようなものになるのだろうか、と御剣は思う。
 とにかく、作ってみなければ何も始まらない。2人はさっそく調理に入った。

(うーん、カブだなぁ……当たり前だけど)
 摩り下ろしている手元を見て、成歩堂はぼんやり思う。これを入れてパンケーキを作るのだ。パンケーキを。
 御剣には計量と、そして卵割りを任せている。特訓の甲斐あってか、御剣も最近は卵を粉砕する事は無くなった。……3個に1個くらいは。
 道は果てしなく長いが、それでも前進をしている事を成歩堂は重視した。
(さて、どんなものが出来るんだろう)
 ちょっとワクワクしながら成歩堂は手を進める。試作する時の、この気持ちが好きだ。どんなに手馴れたとしても、またパティシエになりたての新鮮な心を取り戻してくれる。
 材料を混ぜ合わせていき、そして焼きの段階へと入る。バターが入っているので焼かれるといい香りが鼻を擽った。両面を焼いて、皿に移す。そしてそれを持ってスタッフルームへと移動する。キッチンで食べるという行動は今日もミツルギを連れて来ている成歩堂の選択肢には無い。普段我慢を強いているのだから、休日は触れ合える時間は一緒に居たい。
 皿を持って移動する成歩堂の足元を、邪魔にならないようにけれど纏わりつくようにミツルギが歩く。手に持っているものが気になるのか、始終鼻がヒクヒクと動いている。事前に今日はミツルギも一緒に食べるよとか言われたらしく、いつに無くそわそわしていた。
 移動しながら揺れる尻尾が、飼い主と一緒に居られるのが嬉しいと、その存在を全て使って表している。賢いミツルギだが、時折手段に翻弄されて目的を見失う頓珍漢な所もある。つまりは集中すると周りが見えないのだ。だから、足元のミツルギを蹴飛ばさない為に成歩堂はゆっくり歩く。その後ろをついている御剣は、ドリンクを携えていた。御剣がハロウィンにと進めたアップルサイダーである。一応、案としてはこれとセットして振舞うつもりなのだ。
 それぞれが席に着き、早速試食に入る。レシピにはサワークリームを添えてと書いてあるが、まずは素のままの味を見る為に何もつけずに食べてみた。
 見た目としては、全く普通のパンケーキである。説明が無ければカブが入っているとは予測もつかないだろう。2人は、ほぼ同じタイミングで口に入れた。ゆっくり咀嚼して飲み込む。
「……………」
「……………」
 お互いの反応を見て、きっと似たような感想なのだろうな、と推し量る。
「何ていうか……凄い淡白な味、だよね」
「うム。同感だ」
 淡白というか、過言してしまえば無味といってもいい。よくよく味わうと、ほんのりバターの風味を感じるが。
「んー、つまり添え物で味を決めてくれって事なんだよな……でもなぁ」
 成歩堂がやや眉を顰める。
 付け合せのソースで甘みをつけるスイーツは多々あるが、それでもそれ自体が仄かな甘みを携えているものだ。しかし、これにはそれすらない。
 とはいえ、この味はレシピをある程度見て想像はついていた。このパンケーキの材料は、勿論言わずもがなにカブと、それとバターと生クリーム、卵と薄力粉、牛乳と塩少々。見て判ると思うが、甘味をを主張するものが入っていないのだ。甘味どころか苦味も辛味も無い。逆にそれはどんな味付けにも出来るという事だろうが。
「……スイーツというより、軽食のように感じられるな」
 と、呟いたのは御剣だった。
 すり身にしたカブが3時のブレイクタイムにやや空かせた腹に丁度いいボリュームを提供しているように思えたのだ。もっと言えば、カブのすり身のもちっとした感じがマッシュポテトを彷彿させる。食事用のパンケーキがあるが、あれよりこっちの方が食事の時に向いていると思った。
「私としては、これにもう少し塩味をきかせて、トマトソースをかけて食べてみたいものだが」
「ああ、それも美味しそうだねぇ。付け合せにソーセージとか置いたりしてな」
 御剣の言葉に、成歩堂も同感を示した。
 酸味と辛味があるトマトソースも、この土台はきっちり受け止めそうな気がした。この店がカフェであればそれでもいいだろうが、パティスリーとしてはスイーツとしてこれを振舞いたいところだ。
「やはり、パンケーキ自体に甘さを加えるべきだと思う。菓子として振舞いたいのなら」
 二切れ目に取り掛かる御剣がそう提言する。
「うん、そうだね。……砂糖、かな。入れるとしたら」
 まずはオーソドックスに、と傍らにあったレシピを見ながら成歩堂が呟く。レシピに無いものを加えると、製造過程にも影響があるのだろう。真剣に紙を見詰める成歩堂の頭の中では、その算段が行われているのだろうな、と御剣は思った。少なくとも今の御剣には出来ない事だ。
 頬杖をつき、俯いて色々脳内で試行錯誤を繰り広げていた成歩堂が、不意に顔を上げる。
「とりあえず、この体験を踏まえて皆に聞いてみようかな。響也くんはスポンジが得意だし、何かいいアイデアをくれるかも」
 神乃木さんは僕より経験も知識も豊富だしね、と成歩堂は微笑んで言う。
「…………」
「商品化したら任せる事になるだろうし、オドロキくんにも――あれ、御剣?」
 急に手を止めた御剣に、成歩堂が呼びかける。その呼びかけで御剣は自分の手が止まっていたのに気づいたようだった。
「もしかして、生焼けだった?」
「いや、そんな事は」
「口に合わない?」
「いや、そんな事は」
 まるで機械のように同じ言葉を呟く御剣を怪訝そうに成歩堂は見たが、特に身体の具合が可笑しいというのでもなさそうなので、ほっとく事にした。
 御剣は、もぐもぐとパンケーキを食べながら自分の立ち位置について振り返ってみた。こうして一緒に作って味見は出来るが、それ以上は何も貢献出来ない。レシピや知識は書籍で調べて頭に叩き込めれるが、そこから優れたアイデアは産まれてこない。実践の無い知識では、仕方の無い事だ。。
 もし、自分にも他のパティシエ並みの技術や経験があれば、その分も成歩堂の話し相手になれて、今の場合で言えば響也や神乃木に相談する時間も自分と一緒に居る時間に振り当てられる。
 そう思ってしまった自分に御剣は戸惑って、そして手が止まってしまったのだった。
 人の感情の起伏には敏感な成歩堂だが、自覚出来ていない感情には意外と鷹揚だ。御剣の子供のように拙くて傲慢な独占欲には気づいていない。と、いうか下手に突いて蛇を出さないようにしているのかもしれないが。
「でもまぁ、このレシピだとミツにはいいかもね」
 ふ、と小さく笑って成歩堂が言う。
 以前御剣がちょっと成歩堂から聞いた事によると、犬用のお菓子は人用より糖分も塩分もかなり減らして作るのだそうだ。牛乳は与えても平気は平気だが、あまり大量に与えてはいけない。しかしこのパンケーキは塩も控えめだし、牛乳についても加熱してあるからそのまま与えても大丈夫という事だ。
 成歩堂は柵切りにしたパンケーキを、傍らに座るミツルギに与える。ミツルギは待ちかねたようにぱくん、とそれを咥え、ぱくっぱくん!と口の動きだけで口内にパンケーキを治めた。その後、もぐもぐと口を動かして味わっている。その間、尻尾は振り切れそうなくらいに振られている。犬の表情なんて判らないが、喜びの一色に染まっているように見えた。
 その光景を、御剣はやや意外そうに見ている。
 今日だって自分を誘導するようにキッチンまで歩いてみせたミツルギだ。人と遜色劣らない知能があるのではと疑わせるくらいの犬が、普通の犬と同じように飼い主からのおやつにはしゃいでいる様を見るのは、結構面妖だった。思えば、御剣はミツルギが何か口にしているものを見るのはこれが初めてだったかもしれない。時折、待機中のミツルギに響也や神乃木がおやつを与える事があるそうだが、フロアが主な持ち場となっている御剣がその場に遭遇する事は滅多に無い。あったとしても、目に留める間が無かっただろう。
 一方、飼い主の成歩堂といえばとても嬉しそうにパンケーキを食する愛犬の頭を、にこにこしながら撫でている。絵的には凄い和む光景だが、御剣としては一向に和めない。むしろ感情は逆に突っ走っているような気がする。
「美味しい?ミツ」
 その返事のように、ミツルギは近くにある成歩堂の手をぺろりと舐める。何故か御剣がピクッとそれに反応する。青筋立てて。
「そっか、美味いかー」
 成歩堂もそれに嬉しそうに頷いて、もう一切れを手にする。もうそれだけで、ミツルギは目をキラッキラさせて尻尾ははったはったしている。何だか、御剣は妙に悔しくなってきた。
「……成歩堂」
 なので、何となく呼んでみた。
「ん?何?」
「…………」
 成歩堂がこちらに顔を向けてくれたのは喜ばしいが、本当に何となく呼んでみただけなので御剣は激しく対応に困る。一体どうすればいいのか!
 何事か上手い話題でもないだろうか、と御剣は必死に脳内検索にかかる。しかし、その結果が出る前に成歩堂が唐突にああッ!と声を上げた。何か失態でもしたのだろうか、と御剣がおろおろと恐慌する。そんな御剣をさておいて、成歩堂が言葉を続ける。
「そうだそうだ!渡そうと思って、レシピをプリントアウトしてきたんだよ!すっかり忘れてた〜」
 幸いスタッフルームに居るので、成歩堂はロッカーから鞄を取り出し、ごそごそと中を漁る。クリアファイルを取り出し、中の用紙を御剣に手渡す。成歩堂が使っていたのはまるきりメモ用紙みたいな書き方だったが、こっちは本として納められそうなきちんとしたレシピだった。彼の律儀さと優しさが窺える。
「この前話した時、興味を持っていたようだったからさ。とりあえず、事前に君から味について一言二言言っておいた方がいいと思うな」
 確かに予備知識無しに食べると中々に衝撃のある味だとは思う。御剣はその忠告を守る事にした。
「また、暇があれば来てくれないだろうか。おそらくパンケーキを作った報告のようなものをしたいだろうから」
 レシピを受け取った後、大事に仕舞いながら御剣が窺うように言う。
 母親の趣味はお菓子作りで、だからそれを本職としているパティシエと話すのがとても楽しいようだ。最も、そこには成歩堂の人柄も十分関与しているだろうが。
「勿論。僕も、話するの楽しいしね」
 そう言って、成歩堂はにっこり笑う。
 成歩堂が好意的な対応をするのに、御剣も知らず顔を綻ばせた。約束は守る彼だから、近い内にまた家に招く事が出来る。
 その時、御剣は声無きうめき声を感じたような気がしてふと足元に視線を下ろした。見れば、さっきまでこれ以上無い上機嫌だったミツルギが、今は眉間に皺でも寄ってるような苦い顔になっている。いや、繰り返すが犬の表情なんて判らないのだが。
(勝った)
 何故だか御剣はそう思い、ふ、とミツルギを見下ろして笑う。それに、またミツルギが負けた!と言わんばかりにぐるるっと低く唸った。しかし不機嫌になったミツルギの機敏を感じ取って、成歩堂がミツルギに構う。そうすればミツルギがご機嫌になるが一方また御剣がむむぅ、となって無限ループなのだった。

 後日、御剣と試作をしたのだと楽しげに語る成歩堂に、パティシエ達(法介除く)はその光景が容易く想像ついてしまい、何故だか居合わせてもいないのに妙に疲れてしまったという。
 そして今日も、同じ名前を持つ2名の妙な優越順位の入れ替わりが繰り広げられている。




<END>

こいつらしょーもねーなー!って書きながら思ってみた。イエィ!
カブのパンケーキですが、食べた感想はだいたい文中に出したのと同じです。
何せ味が極プレーンなので不味い美味い以前の問題だったような。いや、不味くは無いんですってば。
本当に添え物で味を決めるって感じでね。ワタシはこれはスイーツより軽食に向いてるなぁ、と思いました。まあ、生地に甘さ加味すればスイーツでいけると思うんですが。