カモナマイハウス!
ついぞこの前、成歩堂が新しく決めた冷菓用のカップが届いた。愛犬が居るからこれにしたのだと、嬉しそうに笑うその時の彼の顔がすぐさま思い浮かび、何だか御剣は胸の辺りがもやもやとしてしまう。カップの横に着いているチワワは、そんな御剣と向き合う形で置かれていて、まるで互いに見詰め合っているような滑稽な光景だった。
「御剣ー、どうかした?」
動かない御剣を怪訝に思い、少し離れた所から成歩堂が呼びかけながら寄って来た。自分でも把握しきれない胸の内を説明出来る筈がなく、何か他に話題は無いかと探した時、脳裏に昨日母親と交わした会話が蘇る。
「君がこの前カップを決めていた時、見ていたカタログだが……余りとかはあるのだろうか」
「うん?」
「いや……そういうカタログがあるのだと母に話したら、大層興味深く話を聞いてきたのものだからな」
それだったら、実物を手渡した方がいいだろう、と御剣は思ったのだ。弁論はともかく、こういう日常会話ではきっと自分は口下手なのだ。産まれてからの付き合いで、両親はそんな御剣の話し方をちゃんと心得てはいるが。
「もちろん、無理ならいいのだが……」
と、御剣は声を窄めるように言う。何せこの業界の事情はさっぱり解らないので、何処まで何が許されるかなんて解らないのだ。しかも以前していた弁護士業は、社内の情報は一切口外禁止、持ち出し禁止が常であったし。
「ううん、全然いいよ!それくらい!」
眼も当てられないくらいに呆れられたらどうしようか、と思案げな御剣に、しかし成歩堂はとびきり輝いた笑顔でもって受け答えた。どうやら、そう常識はずれな要求ではなかったようだが、この喜びようも何なのか。御剣は怪訝に思った。
「あ、じゃあこの新しいカップも欲しいかな。取り置きする?」
「ああ。是非」
殆ど考えずに、御剣は答えていた。
「どれがいい?選んでいいよ」
と、4種類のカップを並べて、御剣を促す。
さて、母親はどれがいいだろうか。そう思う御剣の中には、さっきまで胸でもやもやしていたものは、すっかり取り除かれていた。勿論、成歩堂の笑顔を見たその時からである。
持ち帰ったカタログを見せると、母親は喜色を浮かべてそれを受け取った。その様子を語る御剣を見ると、成歩堂は顔が綻んでしまう。自分がした事で母親が喜んでくれた事が嬉しい。話す御剣は、その心境を露にしていた。その気持ちは、自分の信条と一緒だ。技術さえ体得出来れば、御剣も働く同僚達同様、きっといいパティシエとなる。
それを抜きにしても、自己を保とうとするあまり、他者を切り捨てる彼が自分の内側に受け入れているという人物が居ると知れて、純粋に嬉しい。おそらく、血縁者だからと言って甘い評価はしないだろう御剣だから。霧人も、弟の響也には実にシビアだ。ただ、容赦は無いが過大評価もしないその態度は、響也の技術向上にかなり一役買っているので、何も問題は無いが。
「あ、そうだ。言いそびれたけど、欲しいのがあったらついでに注文出来るよ」
成歩堂がそう言うと、御剣が何故だか思案気な顔になり、眉間に皹を刻む。気分を害して怒っている……ように見えるが、その実単に言うセリフを模索してその切り口を探しているだけだ。
「……成歩堂」
「うん?」
もの凄い深刻な告白でもしそうな真顔の御剣だが、成歩堂は何でもない事のように返事する。御剣は、こういう日常会話が不得手なのを、知っているからだ。
「私の母の趣味が、菓子を作る事だというのはすでに話したと思うが……」
そこで、成歩堂はまたうん、と頷いた。
「だから、その、君と話がしてみたいそうだ」
「えっ?僕と?」
眼を瞬かせて聞きなおすと、神妙な顔でうム、と今度は御剣が頷いた。
思わず反芻してしまったが、確かに好きな事や興味を持つ事の、その道のプロの話を聞きたいと思うのは当然の成り行きだろう。そう、トノサマン好きの真宵やミツルギが、荷星に懐くように。
「うん、いいよ。店の休みだと平日になっちゃうけど、それでもいいのかな?」
「ああ、全然構わない」
御剣の母親は専業主婦だったので、その点は自由が利くのだ。
「それで……家に招待してはどうか、と。それならば、君の犬も一緒に連れて来れるだろう?」
「ミツルギも一緒でいいの?」
どこで会うにしろ、ミツルギは留守番するか預けるかになるのだろうか、と考えていた所にその申し出は嬉しいものだった。
「うム。飼ってはいないが、動物は好きだ」
「そっかぁ」
だったら、相手の負担にもならないだろう。成歩堂はほっとする。
しかし、そうなると御剣の家にミツルギが行く訳だ。本当に、何の運命が拗れたのか回ったのかしらないが、奇妙な事もあったものだ。……と、なると当然この犬の名前の由来を聞かれるだろう。
(……御剣に言ったのと同じ内容で、いいよな?)
実際、嘘は言ってはいない。仔犬を引き取った当日、小学校のアルバムが出て来てその後日、新聞で御剣の記事を見つけた。その御剣という音の韻が気に入ったのか、仔犬がその名前に反応したので、それとなった。
しかし、大した友好も無かったのに、そんな出来れば仲良くしたかったという、一方的な気持ちが長期間続いたのかと思うと、自分でも結構赤面してしまう。御剣の父親は優秀な弁護士だ。証言の裏にある心情を、看破されてしまうかもしれない。まあ、その時はその時だと、腹を括れば結構成歩堂は強い。
「じゃあ、次の店の休みにお邪魔しちゃおうかな」
御剣の家か、どんなかなーと軽口を言って、明るく笑う。
「ああ。……待っている」
そう言って、御剣はふわりと微笑んだ。普段顔が顰める事が多いからだろうか。こんな風に微笑まれると、免疫が出来ていないように過剰に反応してしまう。言いたい事を言い難そうに話す割には、嬉しい時には実に嬉しそうに笑う。言葉にするのも野暮なくらいに。
「……えっと、それじゃ。ミツルギと一緒に行くから、ね」
「うム」
眼が泳いで、明らかに語彙が可笑しい成歩堂に、御剣はただ頷く。休日に会う約束をしたのが嬉しいくて、今はそればかりを思っているようだ。
そんな2人を、実は神乃木が遠巻きに見ていた。対象相手が小学生の少女マンガより初心だぜ、と無責任な事を思って。
(確か……誰かが”いいシェフとは恋するシェフだ”みたいな事を言っていたな……)
それがパティシエにも相当するのなら、御剣もいいパティシエにもなる。
しかし面接時に、卵の殻を粉砕していた光景を思い出し、クッ、と喉の奥で笑いを噛み殺したのだった。
<おわり>
そんな訳でナルホドーくんは御剣さん家に行く事になりました。
御剣が自分でお家においでとか言い出すはずがねぇ!!
お母様は受け入れ上手でもあり、おねだり上手でもあります。きっとナルホドーくんもそうなんだと思います。
お父様初お目見えは虎の人に任せるので。ファイト!!