ストレートにややこしい



 知った事は試してみるのが俺のルールだぜ。というのは神乃木のセリフである。
 まあ、彼に限った事ではなくこの月イチの会議には来月の新製品の他に何かで知った面白い手法を試す場でもあった。適度に人が集まるこの会議は、実に都合がいいのだった。
 現在、会議場となるスタッフルームにゴリゴリという重低音が響き渡っている。何の音かと言えば、神乃木が茶臼で茶の葉を挽き、抹茶を作っているのだ。
 挽き立ての抹茶と淹れ立てのコーヒーで、抹茶カフェラテを作ろうという算段だった。
「フランスでも、抹茶フレーバーのチョコを結構見かけましたよ」
「へえ、そうなんだ」
 抹茶の芳香が漂いつつある中、霧人のセリフに成歩堂が相槌を打つ。
「はっきりした風味と苦味がありますからね。素材として面白いところなのでしょう」
 それに和風のものはヘルシーだから人気が高い、と付け加える。
 茶葉にはビタミンEが多量に含まれているのだが、生憎ビタミンEは水には溶けない。なので、葉を磨り潰してそれを飲む抹茶は、そのビタミンEも摂取出来るのだ。
 ただコーヒーに抹茶を入れても、そんなには美味しくはない。しかし、その両方それぞれと相性がいい牛乳が中を取り持つ感じになり、ひとつの飲み物として誕生する訳だ。抹茶を加える事でコクが増し、そして茶葉だから後味は爽やかになる。
「茶臼なんて、よく持ってましたね」
 法介が言う。しかしその法介も、ちゃんと茶臼という道具の正しい名称を知っているものだな、と横に居る響也は思った。
「ああ。ちょっと行った先にな、茶屋が閉店セールしていて、コイツも半額以下になっていたのさ」
 そして、本当にその場挽き立ての抹茶の味はどんなものか確かめてみたくなり、買った、という運びだそうだ。
 神乃木は生活費に対して倹約家ではないし、勿論浪費家でもない。しかし、必要だと思ったものには大胆に金を使うのを惜しまない。若干貧乏性が張り付いている成歩堂や法介なんかは、しばし過去の武勇伝みたいなものを聞いては度肝を抜かされる。
 それで、こういう探究心と知識欲があり、神乃木の腕があるのだろう、と思う。
 茶臼は分解されていたのを、ここで組み立てた。神乃木の部屋は、このマンションの中にあるので、運ぶのは容易い。
 住人では無いとテナントを貸さないという条件に、飼い犬を抱える成歩堂が悩んでいたら、だったら俺が住む、とぽーんと今まで住んでいた部屋を解約してあっさり引っ越してしまったのだ。独身にしてもフットワークが軽すぎるだろう、とその場成歩堂は感謝の言葉を忘れて唖然となったものだ。
「…………」
 神乃木が組み立て始めた頃から、御剣は初めて見るだろう茶臼を物珍しそうに眺めていて。法介がさっきセリフを言う前から考えるように目を伏せて、そして何かが思い至ったような顔つきになった。まるで頭の上に電球がピカーッと光っていそうな。そんな御剣の状態変化に気づくのは、やっぱり成歩堂だった。
「ん?御剣、どうしたの?」
「いや、特には関係ない事だ」
 その声も顔色も全く普通なので、特にヤキモチを焼いたとかではないようだ。
「何だ、気になるじゃねえか。話してみな、聞いてやるぜ」
 挽く手は休めず、神乃木が言う。
「しかし……」
 日常会話が苦手な御剣は、雑談も苦手だった。特に、店に居る時はずっと仕事であるという認識からか、無駄口を叩く事に抵抗がある。
「いいよ。まだ会議は始まってないんだし。抹茶が出来るまでお喋りでも楽しもうよ」
 けじめは大事だが、同じくらいゆとりを持つのも大事だ。御剣は、成歩堂以外のパティシエ達にはビジネスライクな態度しか取ってはいない。確かに、それでも仕事は滞りなく済むのではあるが。
 だからせめてこういう場でもっと他愛の無い話でもしてもらおうと、成歩堂は間を取り持って御剣に話す事を促した。
 成歩堂にそう言われたら、御剣はうム、と頷く。そのいっそ忠実だとも思える態度は、足元に座っているミツルギと全く判らない。霧人は呆れにもつかない溜息を零した。
「以前に聞いた事で、」
 と、御剣は切り出した。おそらく、彼が仕事に関係する事以外で皆に発言するのはこれが初めてだ。横に座る成歩堂は、にこにこしてその様子を見守る。
「女性上位の体位の事を「茶臼」と呼ぶというのを耳に挟み、一体どうして騎乗体位が臼になるのだろうかと不思議に思っていたが、上に向かって伸びている心棒が生えている下の部分に、穴の開いている上の部分を突き刺す構造をしているからなのだな。判ってみれば、理にかなった呼び方だ。誰が思いついたかは知らんが」
『………………………………………………………………………………………………』
 神乃木も手を止めてしまい、室内に静寂が訪れる。
 何だか今、プラネタリウムのナレーションが冬の大三角形の正座を列挙するような淡々とした口調で、凄い内容を言ったような気がする。いや言った。確かに言った。この沈黙が証拠だ。自分だけの幻聴では無い。
 この場の全ての動きを封じるくらいの核爆弾を落とした張本人は、ジッチャンの名にかけて謎が解けたとばかりに清々しい顔をしていて、突如口を閉ざした面々を怪訝そうな顔で見ていた。
 関係ないから黙っていようと思っていたが、言えと言われたから言った。それなのにどうして困惑している?とでも言うように。
 当然だが、皆は御剣のが発言した事に沈黙しているのでは無い。その内容の突飛さに口が紡げないで居るだけなのだが、御剣の認識では夜伽の体位も物理の方程式も、認識としては大差無いようだった。つまらない事だと差別しないで、何でも真摯に取り組む姿勢は、おそらく立派だと褒め称えるべきなのだろうけど。
(あ。成歩堂さん、笑顔で止まってる)
 向かいの響也はそれに気づいた。その響也も、まだ固まったままであるが。
 まだ神乃木のように、からかっているのだと知らしめるような口調で言えばいいものを、研究発表をするが如くの冷静な口調だったのでそのギャップがさらに攻撃力を増した。思わず固まってしまったのは、対応の仕方が判らないからだ。
 きっと、成歩堂もまさか御剣があんな真剣な表情であんな事を考えていたとは、夢にも思っていなかっただろう。おそらく、神でさえ判らないに違いない。
 どんな事柄でも差別する事無く真摯に取り組む姿勢は、立派とも言えなくもないかもしれないが。
(……確かに、関係ない事でしたね……)
 平静を装うようにメガネのブリッジを押さえ、霧人はそう胸中で呟いた。
 法介は顔が真っ赤っかだった。耳年増め。
「………クッ!」
 と、一瞬ぽかんとしたような神乃木だが、一番早くにいつもの調子を取り戻した。
「だったらそこのボウヤ。「松葉崩し」はどうしてそう言う……………」
「神乃木さん神乃木さん神乃木さん!!!!」
 それ以上この話題を弄るな!とばかりに成歩堂が大きな声で連呼した。
「早くコーヒー淹れてきてくださいよ!」
「おっと。せっかちなコネコちゃん、嫌いじゃないぜ!」
「いいから早くする!」
 完全に普段を取り戻した神乃木に感化されるように、霧人も響也も次第に硬直が解けていく。法介はまだ顔の赤みが抜けないが。
 神乃木と成歩堂のやりとりを見て、御剣はむぅっとした顔になった。それに反応する感情があるなら、どうしてさっきの発言に羞恥する事が無いのかと響也は本気で訝しむ。
 下で座るミツルギも同じく成歩堂を茶化す神乃木にムっとしたような表情になり、そのシンクロっぷりに、この2名は前世と来世が同一存在してるのでは、と怪しむ霧人だった。


 人が物事の価値観を計る物差しはそれぞれ違って、一部共通項があっても完全に同じものは2つと無い。全てが独自のものを持っている。
 それは判っているが、やっぱり御剣のその物差しに対して特殊感が否めない成歩堂だった。何処か一般とはピントがずれているというか。
 例えを持ち出すなら、お子様向け特撮ヒーローが好きだと周囲に振れ回るのは憚れるが、面白いと感じてのめり込む事には抵抗感が無い、というように。なので目の前に座る御剣はトノサマンに釘付けになっている。
 今日の休日は、成歩堂が御剣の家へ行くのではなく、御剣が成歩堂の部屋に来ていた。御剣の家と違って広くもないし、真新しいものも何もん無いと思うのだが、行きたいと言われて断る理由も無いと思った。それに、あれだけ訪れていながら自分の部屋を見せるのは嫌だというのも、可笑しいような気もするし。
 いつものようにCHIHIROで特訓をし、それから成歩堂の部屋に行った。
 最初こそ、借りてきた猫か犬みたいに凝り固まっていた御剣で、そろそろトノサマンが始まるだろう時間帯が近づくと、テレビを見てもいいだろうかの一言が言えなくて、その代わり視線がしきりにテレビの方へと向いていた。日曜の朝にやっていたトノサマンは、新シリーズになるにあたり平日の夕方に再放送をしているのだった。
 そのくらい、言えばいいのに、と苦笑しながらテレビをつける。どうせ、ミツルギの為にも見るのだから。
 そして、あのテーマ曲が流れると同時に、2名揃って画面を凝視するように見詰める。同じ仕草をすると、ますますその印象が被って御剣(大)と御剣(小)というイメージになる。成歩堂は噴出しそうになるのを、堪えた。
 家族以外の誰かと親身に付き合う事をせずに今まで過ごして来た御剣は、コミュニケーションの経験値はゼロより低い。おそらく、最年少の法介より劣る。だからだろうか。御剣は表現の言葉に区別が無い。まして暗黙の了解なんてものもない。言ってくれと言われれば、そのままを言うか拒絶するかの100かゼロなのだ。その間のどの程度に止めて置くか、という制限は無い。だから時折、その場の許容を越えた発言をして、場を凍りつかせるのだ。先日のように。
 いつぞやは、御剣の両親の前でまるで睦言のようなセリフを臆面なく言われ、顔が熱くなる程恥ずかしくなりかなり居た堪れなくなった事だってあった。あの時は、御剣の実の親である2人も目を丸くさせていたので、これはもはや環境ではなく本人の問題なのだろう。
 いや、こういう気質を御剣は失いたくは無くて、結果周りを切り捨てたのだろうか。そしてそんな生き方が周囲に馴染めないのも知っていて、ますます孤立しいったのだろうか。
 なまじそんな御剣を慈しんでいる両親が居たからだろうか。どんなに周囲に打ちのめされても取り残されても、戻れる巣があるから、御剣も周囲に折れる事無く自分を貫き通す事が出来たのだろう。何であの親の元でこんなに、と思ったが、案外なるべくしてなった事かもしれない。まあ、それでもやっぱり、本人の性格というのが一番大きいのだろうけど。
(結局、御剣は御剣って事だな)
 頬杖をついて、熱心に番組を視聴している御剣の顔を見やり、そんな事を思う。
 卵を割る度に手が白身塗れになったり、飼い犬に落ち込むくらいヤキモチ焼いたり、両親の度肝を抜くくらい直球な好意を示したり。
 もっと御剣の見聞を広める為には、そういう部分を修正しなくてはならないだろう。しかし、そう思うのと同時にそんな所も大事にしたくて愛しく思う。何故なら、それらは確かに御剣の一部だからだ。
 でも、変わり行くのを悲しいとも思わない。彼のスキルが上がる事なら、なお更に。
 矛盾を承知で言うなら、今の部分も残したまま変わって欲しいというか。
 自分以外を大事に思う時が来ても、自分だけを見ていた事は忘れないで欲しいとか。
「……………」
 ふと浮かんだ考えに、どっちが独占欲強いんだ、と頭を抱えたくなった成歩堂だ。勿論、その顔は真っ赤で。幸い、トノサマンはCMが終わって後半に入った頃なので、あと10分くらいは大丈夫だろう。


 成歩堂の家に行く、と言ったらは菓子ではなく惣菜を持たせてくれた。そう言って、御剣は紙袋を成歩堂に手渡す。大きなタッパー3つのその量は、そのまま今晩の食事になってしまいそうで次に行く時があったら何を置いても最初にお礼を言わなくては、と成歩堂は思う。
 洋風の佇まいの御剣の家だが、出される食事はむしろ和食の方が多い。御剣も和食の方が好きだと言って居た。あの夫婦の仲睦まじさを見て、おそらく食事の内容は夫の好みなのだろうか、と勘繰ってみる。
「何か手伝う事か?」
 夕食を取るべき時間になり支度を始める成歩堂に、キッチンへ顔を覗かせた御剣が言う。調理は出来なくても、盛り付けくらいは出来るから、という意思が言わなくても伝わる。
「ううん。温めるだけだからさ、大した手間も無いよ」
「………。そうか」
 ちょっと残念そうに言い、言われるまま大人しく引き下がる。本当に、びっくりするくらい自分のいう事は聞く。霧人や神乃木の揶揄が揶揄に聴こえない。
 彩りと栄養をよく考えた御剣の母親の料理が食卓に並べられる。きちんと手を合わせてから、それに箸をつけた。
「そうだ、成歩堂」
 途中、何かを思い出したように、御剣が声をかける。
「うん、何?」
 最初こそ緊張すらしていそうな御剣だったが、今頃になれば大分慣れたようだ。寛いで食事をしているような御剣を見ると、くすぐったいような気持ちにもなる。
「この前の話なのだが」
「? この前?」
 成歩堂の中で「この前」に相当する範囲で記憶に強く残っている事と言えば、あの会議前の衝撃発言なのだが。
 他に何かあっただろうか?と胸中で首を捻る成歩堂に、御剣が言う。
「”松葉崩し”というのは、松葉を互いに組み合わせた形だからそう言うのだそうだ」
「!!!!!!」
 グッ!!と成歩堂は口の中のものを噴出すのを堪えた。代わりに、喉を詰まらせたが。
「どうした、成歩堂!」
 そのどうかした御剣が言う。ミツルギの方は、御剣を吼える前に成歩堂の心配をした。様子を窺うように傍による。
 寄り添うミツルギを宥めながら、どうにかやりすごした成歩堂はお茶をぐいっと飲む。
 そしてダンッと湯飲みを置く。
「ななな、何を言ってるんだよお前は!!」
 顔を真っ赤にして怒鳴る。
 御剣は、叱られてしょんぼりしているというよりは、戸惑うようにうろたえていた。
「し、しかし……君が知りたいから教えてやるようにと……」
「……………。誰に言われたの………そんな事………」
 何となく判るけど、と成歩堂は敢て尋ねる。
「神乃木荘龍だが」
 やっぱり。
「…………………」
 千尋さん、やっちゃってください!という願いが届いたのかは判らないが、成歩堂がそう思った直後に神乃木は自室のフローリングの床で足を滑らせすっ転んでいた。




<おわり>

素直に言いすぎて話が拗れる御剣さんていうのはウチのデフォルトですから。
でも周囲にどんだけブリザード撒き散らしても、その中心はけろっとしてるんだよねー。ははは。