レモネードは甘すぎず、酸っぱすぎず



 奔放な修道女見習いと、偏屈な海軍退役軍人とのアットホームで感動的なラブストーリを奏でる映画の中で、元軍人の婚約者ががピンクレモネードを振舞う。その時、彼女はレモネードの味をこう表現した。
 ”Not too sweet, not to sour.”
 甘過ぎず、酸っぱ過ぎず。
 恋の暗喩を込めて。


 法介はこの店で焼き菓子の担当であるが、それと同時にハーブ園の責任者でもあった。夏の期間、客に振舞われるフレッシュ・ハーブティーは法介の手により育てられている。
 ハーブティーにされているのは、ミント類やレモンバーム等の比較的育て易い種なので、それまで園芸とさして縁の無い生活を送っきた法介でも世話は出来た。勿論、前任の成歩堂の手ほどきをちゃんと受けての事だが。
 苗や種を植えているハーブはともかく、この雑草はどうして生えてくるのだろう、という些細な疑問を抱きながら、草を引き抜いていく。ハーブを採る時期は過ぎたが、庭の手入れは怠れない。
(成歩堂さんは、オレの事がスキ、キライ、スキ、キライ……)
 ぶちぶちと抜くついでに、そんな他愛も無い占いもしてみる。最も、草むしりに完全な終わりが無いので、この結果も出ない訳だが。
「……………」
 草を抜く手が一時止まり、法介はふぅ、と溜息をついて空を見上げた。
 そして呟く。
「……母乳、か」
 まだ引きずってるのかオマエ。
「オドロキくん?」
「!!! はいぃ、ダイジョーブです!!」 
 成歩堂が自分を呼び、文字通り飛び上がって法介は返事をした。
 この店に来てから、何だかダイジョウブと言う回数が増えたような気がする。こういったものは普通自覚する事はないと思うのだが、自分はテンパるとダイジョウブを反射的に言ってしまうのだな、と法介は自己分析が出来た。
 法介は大急ぎで、横に小山になっていた雑草の塊を片付ける。
「何でしょうかッ!?」
 粗相が無いように、気を張って成歩堂の元にまで駆け寄ると、相手はなんだか困ったように苦笑していた。何かすでに失敗しでかしたのか、とあわわと青くなる法介に、す、と耐熱グラスが差し出される。
 ふわんとした湯気と一緒に、甘酸っぱい芳香も立ち上った。とても綺麗な、黄色の液体。
「レモネードだ……」
 と、法介は見たままを呟いていた。
「ちょっと作ってみたくなったからさ。良かったら飲んでみる?」
 そう言う成歩堂の手にも、グラスが握られていた。
「! は、はい!勿論ですッ!!」
 これを断る馬鹿が何処に居るだろうか。少なくとも自分は絶対断ったりしない。
 レモネードは作り方が簡単な飲み物だ。だいたい、レモン1個分の絞り汁に、お湯を150cc注ぎハチミツを大さじ1杯分淹れる。見た目を良くする為にスライスしたレモンを浮かべたり、お湯ではなく甘い炭酸水で割ってもいい。グレナディンシロップを上手に使えば、綺麗なピンク色になる。
 手渡されたレモネードは熱くはなく、手には丁度いい温さだった。冷ます必要も無く、そのままごくごくと飲めた。
 レモンの酸っぱさとハチミツの甘さが混ざり、味覚を気持ちよく刺激する。
「はー、美味しい………」
 吐息と一緒にそんな声が漏れる。
「うん、もうレモネードが美味しい季節になってきたんだよね。ちょっと前に、御剣がアイスティーのブレンドしたように思えるけどさ」
 時が経つのが早いっていうと、老化現象かな?とクスクス笑う成歩堂を見ていると、頭の芯まで熱くなって蕩けるような心地になる。自然、顔が綻ぶ。成歩堂はそれを、自分の発言に対した相槌だと受け取ったみたいだが。
(でも、確かにあっという間だったな……)
 法介はこの店に入ると同時に製菓業界に突っ込んだ。なので、新人にして半人前なのだ。調理実習でお菓子を作った事はあるが、やっぱりプロの手順が色々違う。学ぶべき事は山ほどあり、それでもどうにかこうにか1年を過ごしてきた。いや、もう過ぎている。
 法介がこの店に来たのは夏休みの終わり、秋を控えた頃だった。
 自分の道を決め、それを歩き行くべく為に日々鍛錬している妹に対し、法介は進路がさっぱり見えなかった。このまま行けば、普通に会社勤めにはなれるだろうけど、法介としてはもっと情熱を注げる事がしたかったのだ。だけど、それが見つからなくて。
 そして文字通り道をフラフラしていて、この店を見つけて。
 何となく甘い物が食べたくなってそのまま店に入り、イートインする事にした。その時、法介に皿を運んだのが成歩堂だった。当時は法介が居ないわけだから(当然だが)今よりキッチンは忙しく、成歩堂も輪をかけて外に出る事が無かったので、法介は大変ラッキーだったと言える。その後、一番大変そうなのに一番楽しそうにケーキを作っている成歩堂から目が離せなくなっている自分に気づいて、決心はその場で着けた。あの人が見ている世界に法介はどうしても入りたくなったのだ。
 しかし本当に素人もいい所で、新社会人らしく凡ミスも多い。去年のクリスマスなんか、その過酷さにあえなくダウンしてしまったくらいだ。あの失態を繰り返さないよう、法介は今から気を引き締める所存にある。
「オドロキくん」
「ッ、はい!」
 思考が懐古になっていた法介は、横からかかった声に戦く。
「グラス、頂戴?」
 空になったそれを指して言う。
「い、いえ!オレが洗いますから!」
 すぐに成歩堂に意図が掴めた法介は、そう言い募る。しかし、いいから、と笑いかけられて硬直した隙にグラスを奪われてしまった。
「その代わりと言っちゃアレだけど、表に看板出してきてくれないかな?」
「あ、はい!」
 と張りのある声を発し、法介は看板を持ち上げる。
 看板には、期間限定スイーツや毎月替わるアフターヌンーンティーセットの内容。そして、店内に犬が歩く事を伝える旨が抱えている。常連も一見も、皆これを見て訪れる。まさに広告塔なので、法介は慎重に看板を立てた。この内容を見れば、成歩堂が今期作っているケーキがレモン風味のレアチーズケーキだと判る。だからさっきもレモネードを作ったのだろうか、と法介は思った。
「……………」
 ここで、法介は何となく考えてしまう。
 さっき、自分はレモネードを飲んだ。そして、成歩堂も飲んでいた。
 だから、今口の中にある味は両者同じで、って事は。
 それは何だかどっちかがレモネードを飲んでキスした後のような?
「!!!!!!」
 結論したあまりの恥ずかしさに、法介は人気のない道路でぼひゅりと顔を沸騰させていた。
(なななな!何を考えて居るんだ全く!!!)
 この店は行列は出来ないが、客の絶える事の無い人気店だ。こんな浮ついた事を頭に貼り付けいたのでは、それに追いつけないではないか。
 ぶんぶんと頭を振って打ち消し、それでもまだ足りないような気がして頬をバチンと叩いた。ややヒリヒリするが、これくらいで丁度いい。
 でも、邪念を払った所で、もう少し時間が経つか他に何かを摂取しなければ、法介の口の中はまだ甘酸っぱいままだった。
 そろそろ朝礼が始まるだろうと、法介は店へと戻って行った。  


 ”Not too sweet, not to sour.”
 甘過ぎず、酸っぱ過ぎず。

 だから、甘くもあるし、酸っぱくもある。
 まあ、要するに。甘酸っぱい。

 恋もそれと同じ味がするのだ。




<おわり>

可愛い感じであっさり。
また母乳とか言ってるけど。

神乃木さんと霧人さんと響也さんは成歩堂を助けるべく入った訳ですが、ホースケと御剣は成歩堂と一緒に居たさに入った訳です。まあ前半3人も成歩堂だから入ったってのは共通ですが。
ちなみに成歩堂さんはホースケが入った理由が恋心とは気づかないんだぜ。悲しい。そして虚しい。

たぶんチャットで言ってたのよりちょっと違う感じになったよホースケ動機>私信