見知った訪問者




 法介が彼を見るのはそれが初めてでは無いが、ぬ、っとドアを潜って現れる様を見てはデカイな、と戦く。ただえさえ、法介はこの店の男性メンバーの中で一番背が低い。
 キグルミを着て殺陣の様な動きをする為には、荷星のような大きな体躯が必要なのかもしれない、と法介は思った。
 トノサマンとしてブラウン管を踊っている彼は、その仮面(キグルミだが)を脱げばこの店の古い常連となるのだった。
「いらっしゃいませ。イートインですよね?」
 以前はテイクアウトもしていたが、アフタヌーンティーセットを設けてからはずっと店内に腰を降ろしてそれを堪能している。なので、声の掛け方も他の客とは違う。
 大柄な彼がスコーンを手にすると、普通に小ぶりに作ってあるがなお更小さく見え、少し滑稽で微笑ましい光景だった。
「はい、どうも恐縮です」
 へこへこと頭を下げるが、今は別段混んでいるとは言えない。テーブルについている客は1人も居なかった。平日の昼下がりは、こんなものだろう。もう少し時間が遅くなれば人がやって来るのだが。
 おそらく本人の照れがあるからだろうが、大抵荷星はこんな風に人気の無い時間を狙ってやってくる。サラリーマンには無い利点だ。
「成歩堂さーん!ニボサブさんが来ましたよー!」
 そして人気の無い時間に来るので、成歩堂も自分がこの店を切り盛りするようになった直後からのこの常連と歓談出来る隙があるのだ。なので、いつの間にか彼が来ると成歩堂を呼ぶことが慣例になっていた。
「あああ、お構いなく!」
 法介の大きな声に、荷星が成歩堂の邪魔をしてはいけないと、ますます恐縮するのも慣例だった。しかしその成歩堂は、法介の声に「本当?」と嬉しそうな声を発し、作業を中断する作業に入っている。
 荷星と会うするのを楽しみにしているのは、成歩堂だけではなかった。
 いつもはいっそ置物のようにじ、っと鎮座しているミツルギが、今は立ち上がってそわそわと尻尾を揺らしている。ミツルギと触れ合うようの上着を着ると、成歩堂は足元で落ち着かない様子のミツルギに微笑みかけた。
 荷星はイートインが常であるが、テイクアウトをしなくなったという訳でもない。ミツルギのテーブルまでの宅配サービスが始まるや否や、まだミツルギが未熟な時からも是非自分で練習にしてくれと言って愛用してくれている。今のミツルギが立派にサービスをこなしているのも、ある意味彼のおかげと言っていい。その際の焼き菓子のセレクトは、成歩堂に一存していた。曰く、自分で選ぶより楽しみが増すのだそうだ。そう言われて、決して断らないのが成歩堂だった。
 棚にある焼き菓子を、法介がどこか慌しく焼き上げていく光景を思い出し、ちょっと笑みを押し殺した顔で籠に詰めていく。そして、その籠をミツルギに託した。
「さ、行こうか」
 普通はミツルギを送り出すだけだが、自分も荷星の所へ行くので並んで歩く。
 その声にはったはったと尻尾が揺れる。勿論職務中、数少ない愛しい飼い主と触れ合える機会というのもあるが、それの次に荷星と会う事がミツルギを浮き足立たせた。
 いや、ミツルギの認識としては荷星という人間に会っているつもりは無いのかもしれない。ミツルギの中で、彼はあくまでトノサマンだった。
 果たして真宵の影響なのか、というか発信源はそこからしかないのだが、ミツルギは成歩堂には理解し難い世界観で成り立っている、あの特撮ヒーローが大好きだった。最初、音に反応しているのかと思ったがどうやら内容をきちんと把握しているようだった。同じBGMでも反応にムラがある。真宵が観察するに、ミツルギはトノサマンがスピアーで敵をやっつけるのがお気に入りのようだった。
 荷星と交流が始まったのも、ミツルギがきっかけだった。
 真宵に付き合って、そしてミツルギも連れて行って遊園地で催されるショーに行き、その帰りにミツルギが急に成歩堂の手を離れて突進してしまった。ぎょっとしながら後を追いかければ、ミツルギは1人の屈強な男に見つけた、と言わんばかりに纏わり着いていた。無論、匂いで探り当てた訳だ。人臭い所があるが、その辺は犬である。
 飼い犬が迷惑をかけてしまった飼い主が頭を下げ、しかしその相手も恐縮しているというよく判らない構図が出来上がったり、その横でミツルギと一緒にはしゃいでた真宵がちゃっかり店の宣伝をし、その後律儀な荷星が店を訪れ、味に舌鼓を打って以来こうして通っているという流れだ。なので荷星が来てミツルギが喜ばない筈が無い。彼は唯一、ミツルギが愛想ではなく心から尻尾を振る客なのであった。
「ああいう所を見ると、ミツルギさんも普通に犬ですよね」
「そうだね」
 平穏な一時、入り口に気を配りながら法介は成歩堂達が見える位置へと何気なく移動した。棚の横に待機するのが常である響也に語りかけ、響也は和やかに頷いた。
 ずっとああだといいのに、と痛切に願う法介は直ぐそこに潜んでいる危機に気づいた。
 犬の方のミツルギは成歩堂と一緒やら荷星が来たやらで大層ご機嫌だか、人間の方の御剣はどうなっているのか。あんなに楽しそうに話しているのを見て、また嫉妬心でも煮立たせているのではないか。彼が入ってから荷星が来るのは今日が初めてだから、予想が出来ない。
 ヤキモチを焼きまくった御剣と閉店後、誰がそんな彼と焼き菓子の箱詰めをするかと言えば法介である。
「きょっ、響也さん……!!」
 御剣と言う核爆弾を処理するのは、成歩堂か響也だった。まぁ、鋭く感づいた響也がそれとなく成歩堂に伝えているという形なので、結局は御剣を鎮められるのは成歩堂だけなのだが。
 爆発物処理隊の内の1人は常連と楽しく話しているので、横に居る残り1人に縋る。
 響也は法介が抱いている危惧なんてとうに考え付いているので、軽くウインクして御剣の観察に移った。それとなく、荷星が来てから意識を向けているが。
(………。あれ?)
 御剣はテラス席前の場所で、言葉を無くしたように、呆然と佇んでいる。そこまでは想定内なのだが、犬の方のミツルギに成歩堂が額にキスをしたのを目撃した時のような、魂を抜かれたような感じではない。意識が何かに集中しているのは確かなのだが。
 響也はどちらかと言えば「君子危うきに近寄らず」より「虎穴に入らずんば虎子を得ず」というタイプだった。得るものがあれば危険に飛び込むのも辞さない。
 御剣の所まで言って、彼に声をかけた。
「御剣さん?」
 響也の声に、御剣ははっと我に返ったようだった。
「すまない。何かあっただろうか」
 言う口調も、普通のそれと特には変わらない。本当に動揺していたら、それを隠す為に機会のような無機質なものになる。響也はそれを兄から学んでいた。御剣と霧人は性格、というか人付き合いの仕方に共通項がある。
 響也は、いえ、と言って場を仕切りなおす。
「ああしていると、ミツ、可愛いですよね」
 荷星と成歩堂が仲がよいというのを指摘してしまえば、治まっているものを噴出させかねない。響也はミツルギを持ってして御剣に揺さぶりを掛けてみた。
「ああ………」
 と、御剣は問いかけられたことには返事をし、しかし思った事はそれだけではないような素振りだった。
 じっとはしているのだが、何だかそわそわしているようで落ち着かない。
 響也はそんな感じを、すぐ近くで感じていたような気がする。デジャヴというには、はっきりし過ぎているような。
 はて、何だろう、と響也が記憶を探っていると、御剣が誰に言うでもなく呟いた。
「……彼は、いつ頃から、この店に来ているのだろうか?」
「えっ?」
 言い直しを要求するような弾んだ声を出したが、響也は内容を聞き取っていた。ただ、その内容が意外だったというか。
 荷星は芸能人の内ではあるが、キグルミを被っているのでその顔は出ていないのだ。なのに、知っているとなればトノサマンのかなり深いファンと言ってもいい。何故なら、今の所彼はそれしか出ていないのだから、それ以外で知りようが無いのだ。
 この柔和なイメージとあまりにかけ離れている御剣が、あのような愉快極まりない特撮ヒーロー番組を観賞しているというのか。それは響也の想像を超えていた。
「いや、何でもない。……まだイートインの客は来ないようだから、私は茶葉の点検でもしていよう」
 まるでいい訳のように響也に告げ、そそくさとキッチンに移動する。
「……………」
 ふむ、と響也は腰に手をおいた。
 これは十分に考察すべき事である。
「おデコくん」
 響也はまず、法介の証言を得ろうかと動いた。何故なら、彼が仕事の振り分け上、自分より御剣と多く居るからだ。
 御剣と会話こそ無いだろうが、法介は人の動きや仕草でその心境を察する事に長けていた。その洞察力は勿論接客に、時には製菓でも発揮される。
「はい?」
 レジに立っていた彼は、紙箱やシールを使いやすいように纏めていた。響也の声で、そっちを振り向く。
「急な事を聞くけど、御剣さんってトノサマンが好きそうな素振りあったかい?」
 本当に急な内容だな、と言っている響也でも思った。
 しかし、法介は突飛な質問に、瞬く事も無く何故だか神妙な顔つきになった。
「………実は……今まで信じられなくて、ずっと誰にも言えなくて黙っていた事があるんです」
 何だか重い切り出しである。何があるのか、と響也も知らず息を飲んだ。
 やや緊迫した雰囲気を醸しながら、法介は証言を続ける。
「ほら、成歩堂さんの着メロ、トノサマンでしょう?いつだったか、仕事帰り際にそれが聴こえて、オレてっきり成歩堂さんかと思って」
 そして、その方向を振り返ってみた法介の視界に居たのは。
「………御剣さんだけだった訳で」
「……………………」
 間違いない、と響也は確信した。


 兎角、響也は人を不快にさせない会話術というのを心得ている。
 荷星と成歩堂の会話に割り込む形になってしまうのだが、風のような爽やかさで成歩堂にそっと声をかける。
「あっ、ゴメン。忙しくなった?」
 成歩堂も、荷星が気にかけないよう、響也にだけ申し訳無さそうに言う。幸い、荷星はミツルギと言葉の無い邂逅を楽しんでいる。
「ああ、いいえ。全然そっちの方じゃなくて」
 申し訳なさそうな成歩堂の、そんな表情を払拭させたくて、響也はややオーバー気味なくらい明るい笑みを浮かべた。素直すぎてややこしい性格の、同じ名を持つ存在を2つも抱えているのだ。これ以上の負担は無くしてやりたい。
「ただ、ちょっと重要な事が」
 重要、という単語に成歩堂が眼を瞬かせる。必要以上間を伸ばして、不安を起こさせたりしないで、丁度いいスパイス程度になるタイミングを見計らい、笑顔を浮かべてそっと耳打ちする。
「……御剣さん、何だかトノサマンが好きみたいなんです。多分、ニボサブさんとも話をしたいんじゃないでしょうか」
「え、御剣が?本当?」
「はい。もう、かなり確実な裏が取れました」
 やはり成歩堂にとっても信じられないのだろう。あの御剣が子供向け番組に夢中だなんて。
 しかし力強く断言した響也の言い分を信じたようだった。笑みをもって響也に返事をする。
 ちなみに、今の成歩堂から出た「御剣」の単語に犬の方のミツルギがん?と反応して見せた。
「ニボサブさん」
「はい?」
 椅子に座ったまま背を曲げて、大きな手でミツルギを撫でている荷星に、成歩堂がにっこり笑って呼びかけた。
「ちょっと前、新たしいスタッフが増えたんですよ。僕の親友なんですけど」
 その紹介に、本人が聞いたら喜ぶだろうなぁ、と響也はちょっと呑気に思った。
「ニボサブさんのファンみたいなんです。ちょっと、呼んできますね」
 キッチンを見てみれば、御剣はこちら側に背を向けていた。見ないようにしているのは、あからさまに意識を向けているからだ。
 本当に解り易いヤツ、と成歩堂は苦笑した。
 成歩堂が御剣を呼びに言ったのを見て、響也は休憩室に小走りで駆け出した。あの部屋には、サイン色紙が5枚ほどある。これは真宵が、いつ有名な芸能人が来るかもしれないから、と勝手に置いてそのままにしてある物だ。
 荷星はファンサービスを喜びに思うタイプだし、役に立ったとなれば真宵も胸を張って得意になるだろう。成歩堂は、そんな彼女を見てきっと可笑しそうに笑う。
 最も、一番嬉しそうに微笑む時は、荷星からサインを受け取った時の、御剣を見た時に違いない。それを思いながら、響也はドアを開けた。


 それから程なくして、響也が予想した通りの光景がなされていた。
 サイン色紙を貰ったミツルギは、奪う者は居ないというのに誰にも渡さんとばかりにしっかり持っている。成歩堂が伝道菅になったみたいに、恐縮してばっかりの荷星と威圧するような顔をしている御剣の間を上手く取り持って、2人はどうにか交流が出来ていた。御剣が熱心なファンであるのは、声は聴こえないが荷星と成歩堂の反応を見れば判る事だ。御剣はトノサマンが好き、という信じがたい図式を皆は認定せざるを得ない。
「ヒーローショーに行った母子みたいだな」
 午前中のコーヒーブレイクを洒落込みながら、神乃木が意地悪そうに御剣と成歩堂と揶揄していた。キッチンは全員の仕事がひと段落したのか、後の動乱に備えて一旦静かになっていた。なので皆、微笑ましい光景を見やっている。法介なんか輪に入りたいので、今度トノサマン見ようかなぁ、と考え込んでいた。今まで新参者が常連との間に入るのもどうかと思ったのだが、自分より後から入った御剣が参入しているのだし。しかし、御剣に並ぶのかと思うと挫けそうになる。そういえば犬の方のミツルギも傍に居た。やっぱり無理かもしれない。近づくのも。
 悲しい結果に辿り着いてがっくりした法介の胸中を、他3人は手に取るように判っていた。なのでそっとしておく。
「しかし……あまり今まで気にせずにいましたが、実は凄い男かもしれませんね。彼は」
 霧人が3人と1匹を眺めながら、ぽつりと言った。
「うん?ニボサブさんが?」
 流れ的に御剣は無さそうだと思った響也は、そっちを尋ねてみた。そして、それは当たりで。
「よく考えてみなさい」
 と、霧人は弟に言う。
「今まであの同じ名を持つ2名が、成歩堂と一緒に笑顔で並んだ事がありましたか?」
 人に構えば犬が拗ねて、犬に構えば人がいじける。
「…………。確かに」
 呟いたのは響也だが、その場に居る全員の声でもあった。
「舞台から降りても、ヒーローはヒーローなのさ」
 収まる場所がカップから胃袋へ移動しても、コーヒーがコーヒーであるようにな。と相変わらずな妙な例えを言い、神乃木は残りを一気に煽った。
 確かに、あの厄介者を両方とも親しませるとは彼は本物のヒーローかもしれない。皆は思った。
 そうしてこのヒーローは、また人気の無い時に訪れるのである。
 この店に、真の平和を齎すために。




<おわり>

犬でもミツルギなんだからそらトノサマンが好きだろう、って事で。
てかそうでもなきゃWミツルギがにこにこしている場面がありませんよ。
いつもこうだったら成歩堂の心労もちょっとは減るんですがねー。はっはっは。
人に構えば犬が拗ねて、犬に構えば人がいじける。ていう。