prince of puppy
一体どうしてその時までそれを話題として取り上げなかったのか、不思議と言えば不思議に思えるかもしれないが、実際この時までしなかったのだから仕様が無い、と直斗はいっそ開き直る。
「御剣くんって彼女居ないの?」
ある日、直斗は何気なく有能な後輩にそんな話題を振った。
「うム」
と、あっさり御剣は頷く。
「恋人も?」
「うム」
「でも今までには居たでしょ」
「いいや」
「え、過去24年間1度もっていうか1人も?」
「うム」
「って事は、初体験もまだ!!?」
顔をこれでもかというくらい慟哭に染めて、直斗は思わずと言った具合に立ち上がって叫ぶ。
なんかかなりの勢いでオーバーヒートしている直斗に困惑しつつ、御剣は尋ねる。
「ム……何の体験を指して言っているのだろうか」
「馬鹿、オマエ、こんな場面に理科のカエルの解剖の初体験とか聞く訳ないだろが!大人の階段昇った日の事だよ!!セックスしたのかって聞いてんの!」
「うム。そういったアレはまだ無いな」
質問に答え終わった御剣は、午後の紅茶を堪能した。今日は味の濃いアッサムである。
「Hした事無いって……じゃあ、一体何が楽しみで生きてるんだよ!?」
直斗はそう戦慄くが、彼もまた一体何を楽しみで生きているのかがかなり気になる所だ。
御剣は、言われた内容を鑑みて、やや考えんで。
「……トノサマン?」
と、答える御剣も御剣だった。しかも彼は本気で言っている。
「アホウ!」
と、すかさず直斗が虚空に突っ込む。その頭を叩いて御剣の頭が弱くなっても困るから。
直斗は腰に手を当てて、へふぅ、と溜息をついた。
「……よし。仕方無い。今までそっち方面を放置していた俺も悪い。っていうか自主的に学習してくれるとか思ってた俺が甘かった。
なので早速今夜、御剣くんに大人の遊びてもんを教えてあげよう。きっと病み付きになるくらい楽しいぞぉー」
「ム。トノサマンよりもか?」
「トノサマンよりもだ。っていうかどんだけ面白いんだよトノサマン!ちょっと気になるじゃないか!!」
「ならばDVDを貸してもいいが」
「ありがとう!!!!」
直斗は礼を言った。
「まあ、そんな訳で今夜は空けておくように!狩魔のおじいちゃんとかに仕事入れられそうになったら直斗さんが空けとけっていったから、って言えばいいからね!そんじゃ」
最後にしゅたっと手を挙げて、直斗は通常業務へと戻って行く。
「…………?」
一体なんだったのだろうか、と御剣は首をかしげ、自分のティーブレイクを全うした。
で、早速その夜。
御剣は今まで見た事も行った事も無い場所の、見た事も行った事も無い店の前に立っていた。
そして、その白亜の建物の玄関には、こんな看板が吊るされている。
[Cocktail House Kaleidoscope]
「カクテルハウス……バーみたいなものだろうか」
見たままの印象を御剣が呟いた。
「うん、まあ、カクテルも飲むっちゃ飲むけどね。
さ、中に入ろうか」
さっきからどれだけ今日の詳細を聞いても、直斗は始終こんな調子でのらりくらりとはぐらかす。
一体何が起ころうとしているのか、自分の身に降りかかることなのに御剣はさっぱり予測すらつかなかった。
直斗に引きずられるように入った店内は、何故店名に万華鏡を掲げるのかが人目で判るような内装だった。
まるで城の離れの塔のように、中は筒状になっていた。玄関ホールは天井まで打ち抜かれていて、周囲の壁を沿うように螺旋の廊下が伝い、その奥に扉が見える。扉があるのだから、即ち部屋があるのだろう。
そして、その天井にはどこからの映像なのか、まさに万華鏡さながらのイルミネーションが映されていた。くるくると煩くないスピードで回り、刹那の輝きを次々に変えていく。そのどれもを目に入れたいと、欲張っていつまでも眺めていたくなる程のものだった。
まるで万華鏡の筒の中に入ったみたいだな、と御剣は素直な感想を抱いた。そして、バーにしては変わった店舗だな、という事も。まず可笑しいのは、カウンターが見られなくて個室ばかりだ。そして、人の気配は無数にするのにその姿が見られない事も。
現在、御剣の前に現れている人間と言えば、目の前に居る男性1人だけだ。
浅黒い肌といい、見事なくらいの銀髪いい、鼻筋を通る傷といい、その顔を見るだけでも善良な一市民とは口が裂けても言えないタイプだった。言われて納得出来るのはヤクザとかマフィアとか、それ系。
「や、悪いね神乃木。貸切にしてくれちゃったの?」
「クッ……丁度全部箱に収まった所さ」
男は不敵ににやり、と笑った。その笑みはどこか裏がありそうで、この無人の状態は彼の細工の果てではないだろうか、と御剣は勘繰った。
そして、どうやらこの胡散臭い男の代表格は、直斗の知り合いらしい。その事については、御剣は特には驚かない。何せ直斗は、警察局長とメル友なのだから、それこそこんな男の知り合いが2,3人居てもどうって事は無いのだろう。
「そっちの準備はどうなってる?」
「まあ、するようには一応言っておいたけどな……」
諦め半分のように、神乃木という男は言った。そして、さっきからどうしてか片手に携えていたコーヒーをごくり、と飲んだ。あまり馴染みの無い香りは、御剣の嗅覚にかなり気になる。
そろそろ、何を企んでいるのか教えてくれてもいいだろう、と御剣は再三直斗に問いかけようとした時。
声が聞こえた。
上下の移動手段となっている螺旋階段で、誰かが誰かを追いかけている。どうやら彼らは下ってきているようで、どんどん声が近づいてきた。
「……ドウさん!成歩堂さん!!服!服着てくださいよー!!」
「嫌だよ、面倒臭いし、窮屈で嫌いなんだよね。それ」
「そんな事言ってないで!!今日、仕事なんでしょう!?」
「だったら、なお更必要ないよ」
「そ、そうですけどー!」
服を着てくれ、という懇願が飛ぶのも無理も無いくらい、その追いかけられている彼は着崩れた格好だった。浴衣に酷似した衣装のような服を身に纏い、しかしそれも殆ど意味を成していないくらい、肌蹴ていた。殆ど裸、と言ってもいいくらいだろう。しかも、走れば走るほど、乱れる。
その方向を神乃木は顔だけを向け、先ほどとはまた種類の違うような笑みを浮かべた。
「やれやれ、コネコに遊ばれてるな、あのヒヨッコは……」
そして、またコーヒーを一口。
「あ、神乃木さん!」
階段の手摺から身を乗り出し、追いかけられている方の彼が顔を出した。見た目だと、自分の年齢と同じくらいだろうか、と御剣は適当な算段を立てる。
「よお、コネコちゃん。今日もご機嫌だな」
どうやらさっきの「コネコ」も、あの彼を指していたようだ。
(……今時コネコと人を呼称する輩がまだ存在したとは……)
相手が男だとか言う前に、御剣はそっちの方が気になった。
「今、行きますねー」
「ダメー!行っちゃダメェェ――――!!!」
まだ服を着せさせるのに諦めていない彼が、耳を劈くような大声で抗議する。が、そんな空気を揺るがす声もあの彼には通用しないらしい。
手摺部に足をかけ、まだ2階くらいの高さのそこから飛び降りた。あー!と悲鳴のような声がするが、それを裏切るように綺麗な着地だった。その時、裾からかなり際どいところまで見えたので、彼は下着を着けてないのかもしれないと御剣は思った。
「やっほー!成歩堂君、元気ー!?」
直斗が元気よく手を振って挨拶する。それに対して相手が浮かべたのは、見知った相手に向ける顔だった。
「ああ、直斗さん。今日の客って、貴方だったんですか?」
「違う違う。相手してもらうのは、この御剣怜侍くんだよ。可愛がってやってね、大事な後輩だから。まだ、なぁーんにも知らないの」
そう言いながら、御剣をずぃっと前に出す。成歩堂と呼ばれた彼は、ふぅんと呟いて御剣の顔から足の先まで、順に視線を下ろして行った。明らかに見定めてます、というその視線は判り易くて一種の潔さすら感じられた。
査定が終わったのか、彼は御剣へ向けてにこっと笑いかける。そして、す、と顔を近づけた。後少しで唇が触れ合う、という所まで。そこまで近寄ったので、相手はどうやら若干自分より背が低い事が判った。青みの掛かった黒い双眸が、自分を映しているのが見れた。そこまで、近い。
「……いい匂い」
微かに、囁くように成歩堂が言った。今の声、聞こえたよね?とどこか挑発そうな声色で。
そう御剣に呟いた後、また、す、と顔を元の位置に戻す。そして、また微笑む。さっきのみたく、人当たりの良さそうな笑みとは程遠い、目だけを細めた笑みで。
くる、と成歩堂は神乃木に向き直った。
「僕、気に入っちゃった。だから、『部屋』につれて来ますね」
「ああ、好きにしな」
神乃木はそう答えた後、それでいいんだろ?と直斗を向いた。直斗もそれに承諾の意を込めて、笑みの顔で頷く。
「それじゃ、オドロキくん。後で適当に持って来てね」
「……はい」
こうなった以上、彼もとうとう成歩堂に着衣させるのは諦めたようだ。力なく成歩堂の言葉に頷いてみせる。
が、御剣にその顔を見る余裕は無かった。法介に声をかけると同時に駆け出した成歩堂に、腕を引っ張られたからだ。
「初めてだから、お手柔らかにね〜〜〜!」
直斗の声が遠ざかっていく。
(一体、何が初めてなんだ。何をお手柔らかになんだ)
成歩堂に手を引かれ、足が縺れないようにするのが精一杯な御剣はその疑問のどちらにも答えを見つけられなかった。
「……あーあ、食われるな。あの人」
そう呟いたもう1人の言葉の意味さえ。
万華鏡の中を真っ直ぐ走る。直径の上を走る。
突き当たったその先には、重厚なビロードのカーテンが何重にも被さっていた。そこへ、彼はためらいも無く突っ込んでいく。
分厚くて重い布を掻き分け、2人はどんどん奥へ進んだ。この時御剣は、幼い頃読んだ本の中で、クローゼットの何十にもかけられたコートを掻い潜って別世界へ行く兄弟姉妹の物語を思い出していた。
(どこまで続くんだ?)
と、いう声をいい加減あげようかと思った時、視界が開けた。眩いとまではいかないが、光明を久しぶりに見たような気になった。
そこは、まるで温室のようで。円柱に半球を乗せたような形のそこは、骨格のような黒い鉄柱がガラスの壁を支えていた。外から室内が丸見えな訳だが、どこまで目を凝らしても外には木々しか見えない。本当に、異世界に紛れ込んだみたいだ。
そして室内。家具という家具はあまり見られなかった。だから余計に広い印象を与える。
天井には、球形の照明が螺旋を描いて綺麗に天井を飾っている。そして、下にも同形の間接照明がぼんやりと燈っていた。
寝具は、あれなのだろうか、と御剣は部屋の一角を見た。そこには柔らかそうなクッションが、これでもかというくらい山となって積み重なっていた。あの上でなら、眠る事も出来るだろうという程に。そして、依然手を引かれたままの御剣は確実にそこへと向かっていた。さらに、寝具だろうかという御剣の推理を確信へと変えるように、成歩堂は御剣を引っ張り込むようにそこへ横に倒れた。クッションの山の上に、2人して倒れこむ。
「っ、」
柔らかいクッションとは言え、飛び込めばそれなりの衝撃はある。クッションが2,3個、山からはみ出た。
本当に、なんなんだ、と目を白黒させる御剣の視界が変わった。うつ伏せから、仰向けへと。
ちゃんとした土台の無いベットは、ずぶずぶと何処までも埋もれてしまいそうな不安があった。思わず手を伸ばすと、その手を彼が握る。そしてまた引っ張られ、無意識にそれを縋って身を起こすと、その口に何かで塞がれる。相手の口だ、と判るのにそう時間は要らなかった。
「ム――――?」
2,3回程瞬きをして、御剣が今が夢ではなくて現実だと確認した。現実だと認識出来たのはいいが、自体が飲み込めない。
何故に自分は彼にキスされているのだろうか?
「………ぅ……?」
唇だけではなく、体同士を擦りあわせる様な激しい口付けに、不安定な姿勢の御剣はまだ段々と後ろへと倒れていく。しかし、今度は埋もれてしまう分を彼が掻き分けてくれたから、御剣はそのまま重力に従う事にした。そして、さっきより随分低い山になった頃、彼からの口付けも終わる。唇同士を合わせるだけのものだったが、それでもあまりに濃厚だった為に離れる時には唾液が2人の間を繋いだ。
ふ、と小さく笑って、成歩堂は御剣の唇を親指で拭った。まるで、食べ零しを取ってやるような仕草で。
「いい匂いするね」
と、成歩堂はさっきと同じ事を言う。
「ム……まあ、嗜み程度にはつけているが」
「ああ、違うよ。香水じゃない。そんな、作り物には興味ないんだ」
と、素っ気無いように言って、成歩堂は御剣の上へ圧し掛かった。四肢を使って御剣を捕らえるように。
ゆっくりと、鋭角な顎を作っている頬を優しく撫でた。なんだろう、と無知の為の無防備な双眸が成歩堂を見やる。
「――君自身の香りっていうのかな。ついでに言えば、するっていうよりしない、って言う方が正しいのかも……」
頬にあった手が、首を辿り襟元へにかかる。1つ、2つ、ボタンが外されていく。
はっきり浮かぶ鎖骨が成歩堂の目前に晒され、それを丁寧に指でなぞった。
「まだ、誰も知らないんだね……他の人の匂いがしない」
うっとりとして成歩堂が呟く。
晒された御剣の、浮かぶ肌の白さは初雪を彷彿させた。いつか必ず誰かに穢されてしまう、柔らかく儚い白さだ。初雪を踏み荒らす気持ちは、処女を奪う時の気分と同じであるとはよく言ったものだ、と成歩堂は初めてそう称した人に畏敬の念を抱く。
(初物なんて久しぶりだな……しかも、かなり極上だよ。コレは)
強いて言うなら、天然の宝石みたいなレベルだろう。近年稀に見る当たりである。よく今まで手づかずで居られたものだ、と感心までしてしまった。
こうなると、指名してきた直斗に礼を述べたいくらいだ。
「直斗さんに頼まれるまでもなく、たっぷりサービスしてあげるねv」
と、殊更にっこりと成歩堂が笑う。それに、御剣は。
「サービス……と言うと、高い酒でも出すのだろうか?」
「……………………。は?」
考えた末の発言、というようにぽつりと零れた御剣のセリフに、成歩堂の目が点となった。
どうみても、彼の様子は誤魔化して焦らしているという風には見えなかったからだ。全く。
「うぅム……それはありがたいのだが、私はあまりアルコールに強く無いのだよ。そんなには、飲めないのだ」
少し困った風に、御剣が言う。
「いや、あの………」
「酔うというよりは、やたら体が熱くなってしまってな。中身はまったく正常なのだがな……まあ、カクテルならそこそこ飲めるとは思うが」
「ちょっと待って。ストップ」
御剣を跨いだまま、身を起こして成歩堂は眉間を押さえた。
「……あのさ」
「うム」
「今、どんな状態かは……判ってる?」
判ってる?とは聞いたが、本当は判ってるよね?と確認を取りたかった。しかし、そうしなくて良かった、と成歩堂は思う事になる。
「………。横になっている」
「………。どうしてだと思う?」
「うム。それをさっきから訊こうと思っていたが、なかなか言い出すきっかけが掴めなくて」
今言い出せてよかった、と御剣は頷いているようだった。
「……えっとさ」
「うム」
「本ぉぉぉぉぉぉ当に判ってないの!?」
「………ム?」
質問の意図すら図れていないように、御剣はきょとんとしている。
「ここが何処とかも!?」
「……看板にはカクテルハウスと出ていたが……」
(判ってない!!絶対判ってない――――!!!!直斗さん全く説明してないのかよ!!)
たどたどしく説明する御剣に、成歩堂は頭を抱えた。
カクテルハウスとは。
要するに江戸時代における陰間茶屋みたいなものだ。10代の美少年が集い、客を引いてサービスの代償に代金を巻き上げる。まあ、一応カクテルハウスなので、個室にはそれが作れる道具がおいてある、というのが特徴とでも言うだろうか。
しかし、成歩堂は10代の少年でもなければ店に借金があるわけでもない。さらに、カクテルも作れない。彼は彼の意思でこの店に留まっている。色々特殊なのだった。
「いやでも、ここまで来たら判らない!?普通はさ!」
例えカクテルハウスが何かを知らなくても、密室で二人っきり。衣服は無意味なくらい肌蹴ている両者が寝具の上に居て、そこでどうやって酒を嗜むという結論を迷う事無く弾き出されるのか。不思議でならない。
まるで詰問するような言い方の成歩堂に、御剣は戸惑ったように眉間に皹を作った。
「いや……先輩に訳も判らずつれて来られてな……店の名前すら、ついさっき判ったくらいだ。
決まったしきたりとかがあったのなら、申し訳ない。私の勉強不足だ」
不安定な寝床の上、御剣は何とか座りなおして申し訳無さそうに頭を下げた。
「別に、しきたりとか……いや、あるのか?うーん、でもしきたりって言う程じゃ……」
考えれば考える程、成歩堂は訳が判らなくなってきた。当たり前を説明する程、難しい事は無い。
「それで……私は、どうすればいいのだろうか?」
ぶつぶつ考え込む成歩堂に、御剣はおずおずと問いかけた。何か失礼でもしたのだろうか、とどこか不安そうに。
「……………」
成歩堂は、暫くその顔を見つめて。
やがて、ぷっと吹き出した。
「……あははっ、あっははははははは!!」
そして声をあげ大笑いし、ばふっと後ろのクッションの山に倒れこんだ。
「………?」
何故に相手が急に笑い出したのか。さっぱり判らなくて本日、何個目かもう判らないクエスチョンマークを御剣は浮かべた。
「………フフフ」
一頻り笑い転げた成歩堂は、またむっくりと起き上がった。目尻に浮かんだ涙をふき取りながら、御剣に言う。
「何でもないよ。うん、君の事が気に入っただけ」
収まらない笑いを喉の奥に押さえ込みながら、成歩堂は言った。
「?」
気に入った相手を見つけると笑い転げるのだろうか。変わった人だな、と御剣は思った。恐らく、最も御剣に言われたくは無いセリフだろう。
「………ん」
成歩堂も座りなおし、御剣の真向かいに落ち着く。さっきのキスで乱れた彼の髪を、ささっと手櫛で整えてやった。肌蹴たままの衣服は、そのままでもいいか、とほっとく事にした。
「……何だか、勿体無くなって来ちゃったよ」
成歩堂は呟くように言った。
ここで彼とセックスするのは成歩堂にとって、それこそ赤子の手を捻るより簡単だ。
しかし、そうすれば目の前のこの彼はもう居なくなってしまう。誰も何も知らない彼は居ないものとなってしまう。
ついさっきまでは、それを成歩堂は悦びとしていたのだが、あまりに無垢な為かその心がすっかり殺がれてしまった。手を出してあれこれ弄るより、見守っていたい気持ちの方が今は強い。
「?何の事だ?」
「ううん。こっちの話し」
「????」
気にしないで、という素振りの成歩堂に、御剣は疑問符ばっかりが羅列する。
「ねぇ」
と、成歩堂は手を伸ばして再び御剣の頬に触れた。こういう事に、抵抗は無いんだな、と思いながら。
「さっきの、嫌だった?」
成歩堂にそう言われて、御剣は初めてキスされたという事実を認識したようだった。
「……ム……突然の事で、驚いたが」
嫌という程ではない、と御剣は言う。これは、許されているのか、はたまた無頓着なのか。
(……って言うか、まるで判ってないみたいだから……嫌とか好きとかいう概念から無いのかも)
つまり、キスと聞いてそれが唇を合わせる行為だとは知っていても、どういう場面でするものかが解っていないのだ。そしてそこから派生する感覚も。
(どうしてそこまで幼いんだろうね?)
このメディア媒介の溢れる世の中、10歳の子供だって犯罪もするしセックスもする。その中で、愚かなくらいの無垢を抱えられている御剣はかなり異端と呼べるだろう。しかし、成歩堂はそこが気に入ってしまったのだ。
「そっか、突然で驚かせちゃったか。じゃ、今度はゆっくりやるね」
宣言どおり、成歩堂はゆっくりと顔を近づけた。触れ合うまで何をするかが解っていなかったような御剣から、合わさった時、う、と息を止める声が聞こえた。それが可笑しくて、成歩堂はまた笑ってしまったのだった。
「まあ、よく考えれば俺にも責任あるんだよね」
スルメだと縁起が悪いからアタリメとも呼ばれるイカを乾燥させたおつまみを齧りながら、直斗が零すように言う。ここはカクテルに使う酒類が置いてある倉庫で、2人は椅子を勝手に持ち込んで勝手に酒盛りしていた。勝手な連中だ。しかし何故、カクテルのおつまみにとアタリメが置かれているのか。謎だ。
「御剣くんとは以前からの知り合いだったんだけど、昔から捜査の勘がいいとでも言うのかね。だから俺も調子に乗って手伝いさせちゃって、彼の貴重な水色時代やら青春時代やらを女の子とじゃなくて事件の証拠品と付き合わせちゃった訳だ」
と、言って直斗はテキーラを瓶からぐびりと飲んだ。そして、ぷはぁ、と一息吐いたら平然な顔で話を続ける。
「俺が神社の裏で見つけたエロ本を拾うかそのままにしていくかで悩んでいた年齢に、御剣くんは捜査ばっかりしていたんだよ。我ながら、可哀想な事をしたものさ」
「……お前、神社をどんな場所だと思ってんだ?」
神乃木は直斗の過去に異議を飛ばした。
「そういうセリフは捨てた人に向けてくれよ。俺に罪は無い!」
直斗は無罪を訴えるが、世の中需要と配給で成り立っているのだから拾おうとする人にも原因があると神乃木は思った。
「だからって最初に男を宛がうのもどうだろうな。普通女の所に行くだろ」
神乃木は4本目の缶ビールを開けて言う。
「えー、だって俺、成歩堂くん以上に上手な人知らないし」
「それは教えたコーチがいいからだろうぜ」
にやりと神乃木が言う。
「本人の意欲が素晴らしいからだよ」
ごくんごくん、と大きく2度大きく喉を動かし、直斗はついに瓶を空にした。神乃木は勿論その分の代金を請求しようと思って、直斗は勿論上手く逃げようと思っている。
と、その時ドアがガチャリと開いた。
「ああ、やっぱり此処に居たんですね」
言いながら現れたのは法介だった。彼もここで身売りをしてる訳ではなく、オーナーである神乃木の手伝いみたいな役目をしていた。
「やあ、ホースケくん。さっき成歩堂君たちの部屋にお酒持って行ったんだよね?」
「どうだった?コネコちゃん達の様子は」
駄目な大人2名がにやにやしながら法介に尋ねる。法介が成歩堂を好きなのを知っていて、わざと(←本当に駄目な大人だ……)。
しかし、法介はそれに顔を顰めるでもなく赤らめるでもなく。
「はあ……何ていうか、おはじきで遊んでました」
法介の説明に、へ?と2人が顔を見合わせる。
「おはじきって……初めてな割りにかなり上級者向けなプレイしてるなぁ、御剣くん」
「ビー玉なら聞いた事はあるが……」
「いやいや、そんなんじゃなくって、本当におはじきしてたんですってば。床におはじき散りばめて。指で弾いて」
法介が2人の想像をかき消すように言う。
「…………。何だってそんな事を?」
「オレに聞かないでくださいよ」
真顔で尋ねる直斗に、法介も心底困り果てる。法介だって、あの光景を脳がちゃんと埋めとめるのに3分はかかったのだから。
「ああ、そうだ。神乃木さん、御剣さん用にパジャマが欲しいんですって」
「パジャマ?別に構わないが……」
目を瞬かせて神乃木が言う。
「で、直斗さんに今日御剣さんを泊まらせてもいいですか、って」
「それはいいけど……」
聞きたい事が多すぎる直斗は、言いよどむように答えた。
「じゃ、オレはこれで」
珍しく混乱している2名に、これ以上の追及を逃れる為に用件を済ませた法介はさっさと任務を果たそうと動いた。
法介は、もう推測することも憶測する事も諦めている。この場では、それは賢明と呼べた。
(寝た……かな?)
成歩堂は撫でる手を一旦休ませ、寝息を聞き取る為に自分の息も潜める。
無音の御剣からは、かすかな寝息が一定のリズムを刻んでいる。それに合わせるよう、胸もかすかに上下していた。神乃木のサイズだと御剣には少し大きくて、ボタンを全部占めても胸元が大分開いてしまう。最も、成歩堂もサイズが大きいのを見込んで神乃木に貸し出しを要請した訳だが。サイズで選ぶなら同じ体格だろう霧人に頼む。しかし、その策略の甲斐あって、手足の袖を余らし気味の御剣は見ていて可愛かったと成歩堂は少し前を振り返る。
(うん、寝た寝た♪)
御剣がすっかり夢の中なのを確認した成歩堂の胸には、ひとつ偉業を成し終えた時のように充実感が満ち溢れる。
(可愛いなぁ……)
自分の胸元で寝息を立てる御剣を覗き込み、成歩堂は間近でその顔を堪能した。綺麗で、可愛い。法介とはまた違った可愛さがあるな、と成歩堂はしみじみ思った。法介は構い倒したい可愛さだが、御剣はこうして撫でていたい可愛さだ。だから、撫でている訳だが。
風呂に入ったあと、すぐに寝床に潜った。洗い立ての髪はしっとりしていて、より一層撫で心地を良くしていた。おかげで、何十分撫でていても成歩堂は飽きることは無い。
(……そういや、誰かしないで寝るのなんて、久しぶりかも)
それこそ、初めてと錯覚しそうなくらいだった。
(ま、たまにはこんなものいいか。何せ、希少種見つけちゃったしね)
眠る御剣の頭にキスをひとつ落とし、自分も寝入ろうと成歩堂は姿勢を探した。
「えーとね。出来る範囲でいいから答えて欲しいんだよね」
後日。両肘机に着けて、力なく直斗は取調べに入った。相手は勿論御剣である。
「うム」
「俺達と別れた後、成歩堂君とお部屋で何をしていたのかな?」
「……最初、何が好きかと聞かれて、トノサマンと答えてその話をして」
またトノサマンかお前。(←直斗の突っ込み)
「その後、おはじきで遊んでいたら少年が軽食を持ってやって来てそれを食べて」
「うん」
「その後は絵本を朗読してもらって」
「うん」
「一緒に風呂に入って」
「うん」
「眠った」
「うん」
「……………」
それで終わりだ、という意味を込めて御剣は沈黙した。色々欠如している事は山ほどあるのだが。襲われた事とか、キスされた事とか。まあ、一方的にされた事だから、した事とは言えないのかもしれないが。
「……あのさ、一体あそこに何しに行ったの」
直斗がようやくひねり出した言葉はそれだけだった。人間、言いたい事がありすぎると何も言えなくなるものだ。
「そもそも、私が居安堵も何をする場所かと散々聞いても、答えてはくれなかったではないか」
憮然として御剣が言う。彼は知らない。この場でそんな質問を問える凄さを。
「って言うかさ、そんな事して楽しかった?」
「うム。ここの所忙殺されていたからか、結構いい気分転換になったな。昨夜は久しぶりにぐっすり眠れたような気がする」
普段目覚ましも無しに自発的に目覚める御剣だが、あの翌朝は成歩堂に起こされるまで眠っていたくらいだ。そんなのは、随分子供の頃くらいしかない事だった。そう言えば、誰かに抱かれて眠る事自体、子供の頃以来だ。それが原因だろうか、と御剣は推測してみた。
まあ、何しろよく眠れたというのはいい事だ。
また、捜査で疲れてしまったらあの店に行こうと御剣は思っている。
彼と居る時間は、嫌いじゃない。むしろ心地よかった。
「……ホントは違う意味で寝る場所なんですがねぇ」
割とご機嫌な様子の御剣を見ながら、直斗は脱力しながら言った。
法介は言う。
「成歩堂さんと一緒に居て無傷だなんて、ある意味奇跡じゃないですか?いやもう、伝説かも。讃えるべき功績ですよ」
「失礼だな、オドロキくんは。僕だって鬼じゃないんだから、あんな何も知らない子に無体は出来ないよ」
しれっと言いのけた成歩堂に、法介は手にしていたモップの柄をダン!と床に叩き付けた。今、法介は個室の掃除中で、成歩堂はそれを見ている(だけ)だった。
「その口が言うか!12のオレの純潔をいともあっさり奪った、その口が言うかぁ――――!?」
ずびぃ!と人差し指で突きつけ、法介が吼える。
「何だよ。オドロキくんだって気持ちいいって泣いて言ってたじゃないか。あれは嘘だったのかい?」
「いや、気持ちよかったですけど……って、いやそうじゃなくて!いや、気持ちは良かったんですけど!」
「ならいいじゃないか。あ、そうだ。今からしよっか♪」
成歩堂が物騒なくらいににっこち笑って言う。法介がその言葉にへ?と聞き返す事もも、ぎょっと驚く事も出来ない内に、成歩堂はあっさり法介を床に押し倒していた。そして、邪魔とばかりに衣服を剥いで行く。実に手際よく。
「ぎゃぁぁぁ!!ちょっと待った!ちょっと待った!状況弁えてくださいよ!!」
「弁えてるよ?丁度個室だし、いいよね」
にこっと浮かべたその笑みは、法介にとってどこまでも凶悪に映った。
「ドア開いてたら何も意味ないだろぉぉぉ―――――!!助けてっ!犯される――――!!」
「人を強姦魔みたいに……」
むむぅ、となった成歩堂が、からかうつもりだけだったけど本当にやってやろう、と本格的に動く。法介も、本格的に焦る。
「おい、無駄打ちするんじゃねぇよ」
声の大きい法介があれだけ騒げば、店内の何処に居ても聞こえるだろう。神乃木が顔を覗かせた。
「む、無駄打ちって……」
最後の一枚を成歩堂から死守しながら、法介がもの言いたげに呟く。
「平気。オドロキくん相手で尽き果てるような僕じゃないって、神乃木さんが一番判ってるんじゃないですか?」
そう言って、成歩堂が微笑む。昼間の今から、真夜中を彷彿させる笑みで。
「クッ……違いねぇ」
神乃木はそれを真っ向から受け止めた。すげぇ、と思わず法介が感嘆する。
「っていうか、そんな所で立ってないで成歩堂さんどうにかしてくださいよ!!神乃木さん!!」
思い出したかのように助けを求める法介に、神乃木は酷だった。
「アンタはまだまだ男の色気が足りないからな。場数を踏んでちったぁフェロモンでも身につけとけ」
「って事で頂きますv」
「チクショー!どいつもこいつも人でなしばっかりだ――!!!」
法介が最後の絶叫を上げる。
と、その時。部屋に更なる来訪者が加わった。霧人だった。彼は別に、法介の絶叫を聞きつけて助けに来たという訳でもなさそうだった。その手には、綺麗に作られているがかなりちぐはぐした花束があった。
法介はその花束が醸しだす違和感が判った。花のセレクトが無茶苦茶なのだ。ヒマワリとチューリップが同居している。夏と春が1つに収まっているのだ。それが誰宛か、法介は霧人に聞くまでも無く判る。きっと、神乃木もそうだし当人もだろう。
「成歩堂、貴方にですよ」
霧人が面倒くさそうに成歩堂に言う。この店で、こういう物を受け取る窓口は霧人の担当だった。
「中々趣味のいい花束が届きましたね。今度は何処の誰を堕としたんですか?」
様々な皮肉を込めながら霧人が言う。
霧人が宛名を見ずとも成歩堂の物だと判ったように、成歩堂も差出人を見ないで誰からが判った。
きっとこの差出主は、自分が花と言えばヒマワリとチューリップしか知らないのを聞き、だから花束は止めとけという意味だとも知らずにその花のみで花束を作り、自分へと贈ったのだ。
こんな愚直な純粋さを持っているのは、1人しか居ない。
成歩堂は嬉々として花束を受け取り、霧人に答える。
「……王子さま、だよ。仔犬みたいな」
「………?」
怪訝そうな目をする霧人に、成歩堂は子供に向けるような笑顔を向ける。霧人はあまりこの笑顔は好きではなくて、成歩堂はそれを判ってやっていた。
無論今の揶揄は御剣を指したもので、彼を知っている神乃木と法介は言いえて妙だな、とその例えに感心した。
そして、成歩堂は、潰さないように花束を抱き締めた。時期の被らない花達が、自然ではありえない芳香を成歩堂へと送る。
これが御剣の香りなんだ、と成歩堂は思った。素直だからこそ異端。矛盾するような純粋さ。
自分に組み敷かれても、まだきょとんとしていたあの双眸を思い出し、成歩堂はくすりと笑った。
「成歩堂さん、切り花は早く花瓶に移さないと痛みますよ。きっと傷む。うん、きっとそうだ。そうに違いない。
ほら、早く花瓶に移し変えましょう!」
どうにか解放されたい法介は、成歩堂に必死に促す。成歩堂は、それもそうだね、と返して。
「牙琉、頼んだよ」
手渡されたばかりの花束を、再び霧人の手へと返した。霧人はそれを煩そうな目で見て、しかし受け取った。彼の事だからきっちり花瓶に移し変え、成歩堂の部屋にきちんと飾るのだろう。それを思うと、神乃木の顔にも笑みが浮かぶ。それは、霧人の死角となって見えない。
「判りました」
短い返事をし、霧人はこの部屋から出ようと踵を返す。
「あ――!ちょっと待って!助けてくださいよぉ――――!!」
成歩堂の下に居る法介(ほぼ脱がされ)が霧人に助けを求め、暴れる。
「オドロキくん」
「はい!」
霧人は振り返り、にっこり笑って告げる。
「大人しく、成仏しなさい」
「すっげぇ見捨てられた―――!!!」
ギャオス!と法介が喚く。去り際、霧人は「いちいち付き合ってられませんよ」と呟いた。それくらい、法介が成歩堂に襲われるのは日常だった。
そんな法介の為に、神乃木はせめてもの情けと、ドアを閉めてやる事にした。大声が特徴と言ってもいい彼の抗議の声は、戸を閉めても尚も聞こえる。まあ、それも暫くすれば聞こえなくなるが。
(さて、これは終わりか始まりか……)
胸中で呟いた神乃木はスラックスに手を入れ、ポケットに小銭を入れたままだったのを思い出した。これからの事を占おうと、コインを一枚出し、指で弾いて空中に飛ばす。しかし残念な事に、表裏のどっちがと決めて居なかったので、御剣と成歩堂の行く末は神乃木には決められなかった。
<END>
受けが攻めを食うっていいよね☆(いい笑顔で)特に法介。食われ放題だな法介。ミツナルなのに……
ちなみにカクテルハウスはパタ○ロから。「いい店だなぁ、オイ!」と感銘を受けたものです。
とりあえず仔犬っぽいミツルギとふしだらな成歩堂さんをドッキング〜させたかっただけです。してないけどな。ドッキング。