3.



 検事局と裁判所は近い。
 それはもう、カバンに書類を詰めなおすのも億劫になるくらい近いので、法介は阿柴と留置所で再度話し合いをする前に響也の部屋を訪れた。
「………ああ、君たちか」
 大分間を開け、この部屋の持ち主が心労を浮かべた顔で対応する。
「牙琉検事……何だか、裁判中のオドロキさんみたいですよ?」
 みぬきが言う。絶対マイナスの面での例えだろう。判りきっていたので法介はあえて突っ込まなかった。
 疲れの色を濃くしながらも、響也は腰に手を当て、格好つけて頭を振った。
「今日は本当にやられたよ。まさかあんな展開になるとは夢にも思わなかった。
 ――まさか、君の指示じゃないだろうね?」
 訝しむ目を向ける響也に、法介は両手をブンブン振って否定をアピールした。
「と、とんでもない!牙琉検事だって、オレが一番驚いてたの知ってるでしょう!?」
「うん、そうだね。今あれだけの作戦を練れる頭があれば、これまでもあんなに崖っぷちになる筈が無いだろうし」
「…………」
 どうして、どいつもこいつも何気にオレに失礼なのか。法介は黄昏る。
「ねえ、牙琉検事。捜査状況ってどうなってます?この際、全部白状しちゃいましょうよ!」
 みぬきが響也に向き直って無邪気に強請る。
 それに、全くお嬢ちゃんには敵わないな、みたいな笑みを浮かべて響也が話した。
「正直、僕の口からはあまり言いたくない事だけどね……」
 それはきっと守秘義務云々より、心情的な都合だろう。どうやら、あまり検事側にとって有利な材料は、今の所出ていないようだ。
「とりあえず現場に、誰かの侵入の後が無いかどうかを徹底して洗ってもらってる。降りたら被害者が倒れていた、という彼の証言が本当なら、あの日家族以外に誰かが家に居たって事になるからね。そして逆に、それが狂言なら出入った痕跡は無いという事だ」
 ふむふむ、と2人はその説明に聞き入る。
 しかし、有る事を証明するより無い事を証明する方が難しいだろうな、と法介は思った。
「あのナイフから、何か判ったことってありますか?」
 またしてもみぬきが訊く。
「一応調べさせては居るけど、あの場で刑事くんの出した結果は覆らないと思う。あれは凶器じゃない」
 響也は存外はっきりと断言した。茜の能力を信頼しているからだろうか。
「でも……そもそも、どうしてアレが凶器って事になっちゃったんです?違うのなら」
 みぬきのこの問いに、響也は苦笑を浮かべた。
「それが情けない話でね。凶器らしきナイフを見つけ、そこから指紋を割り出しその当人に突きつけてみた所、あっさり認めたからそれ以上の詳しい検査はしなかったらしい」
 確かにそれは杜撰な仕事だといわざるを得ないだろう。
(冤罪ってのは、こんな具合でも生まれるんだろうなぁ……)
 自身の経験と、調べた過去の判例を思い出し、法介は思った。
 しかし、あっさり認めたというのは、あの裁判での突然の無罪発言へのプロセスの一部だったのだろう。その可能性は高そうだ。
「まあ、彼らの来月給与に、ペナルティとしてちょっとしたサプライズをプレゼントするとして……」
「……………」
 響也の目が物騒に光った。果たして、来月の給与に何が起こるというのか。法介は、恐ろしくて訊けなかった。
 あの、と法介は響也に一言声をかけてから問いかける。
「もし、阿柴さんが本当に犯人だったら……この裁判、どうなりますか」
「……とりあえず、本当の凶器とか、それくらいはっきりした証拠が出てこない限り、彼とこの事件を結びつける事は出来ないだろうね」
 現段階においては、無罪は確実、という事らしい。
「彼が犯人としたら、言ってはなんだけど実にやり方は上手い。
 取調べ段階では犯行を認め、その内容で立件させておいて裁判ではそれを覆す。
 審理は最長でも3日しかないから、その間に真の凶器を見つけられなければ、彼は無罪――逃げ切れる。
 そして知っての通り一度無罪を取ってしまえば、後でどれだけ証拠が見つかったとしても、その罪で彼を裁判にかける事はもう出来ない」
「…………」
「捕まらない事じゃなく、裁かれない事を念頭に置くと――これは、ある意味完全犯罪かもしれないね」
 ――なんてね、ちょっとしたジョークだよ。
 法介としては、響也のそんなセリフを待っていたのだが、彼は真剣な面持ちを崩さなかった。
「おデコくん」
 ふと名前を呼ばれ、法介は響也の方を向いた。
「君は、彼の無罪を信じてるのかな?」
 難しい質問だった。今の法介には、特に。
 審理が持ち越しになったあの瞬間、彼は目に見えて顔を顰めた。それは一瞬で、法介の見抜く能力が無ければ気づかないものだったかもしれないが、確かに見たのだ。
 彼が何か隠しているという直感を、法介は確信へと変えた。
 審理が伸びて踏み込んだ調査をされると、おそらく彼にとってよくない事が起きるかもしれないのだ。それが何かは、さっぱり判らないけど。
「……判りません。今は」
 法介は正直な心境を口にした。
 そして、昨日の聞き込みで同僚が口々に判らないと言ったのが、身に染みるようだった。
 判らないのだ。彼は、決して心の中を見せない。何を思い、何を考え、何を信じているのか。一切。
 どれが嘘でどれが本音なのか。法介は辛うじて隠し事をしているというのは判ったが、それが何に関してかは判らない。
(たぶん、言った所で相手に通じないと諦めてるんだろうな)
 血の繋がった親子間でさえ、あんなに虚しいくらい掛け違った会話だった。その上で他人にそれを求めるかどうか、かなり怪しい。
「……みぬきちゃんは?どう思った?」
 今日被告人と初対面の彼女は、どう思っただろうか。自分と同じく仕草で心情を見抜く能力があるみぬきに、法介は意見を求めた。
「うーん……何か事件について隠し事してるんだろうな、とかは思いますけど……
 お姉さんを殺してはいないと思います」
 みぬきはきっぱり言い放った。
「そう?」
「はい。何かあのタイプに人殺しは似合わないとでも言うか」
「……似合うと言われても困るけど」
 ついさっき、阿柴と両親の会話を聞いてきたばかりの法介は、みぬきの意見には素直に頷けなかった。
 両親が阿柴を有罪と決める一因の中で、昔の家庭内の事故(事件?)をあげていた。しかし、阿柴の言う事が正しければ彼が被害者でずっと冤罪を被せられいたという事になる。あるいは、姉を妬んでいたという構図も、その姉自身の手による演出や計算で施されたでっちあげかもしれないのだ。
 そんな相手に、時が流れるにつれ殺意が溜まり、それが爆発しても可笑しくは無いと思う。
「みぬきとしては、むしろ真犯人を庇って犯人になってる、って方がしっくり来ます。あるいは自分の為じゃなくて、誰かの為に殺したんだ、みたいな」
 また思いついたみぬきが言う。
「それもどうかな……なんだかあの人、恋人とか親友とか、そういう近しい人がとことん居なかったみたいだし」
 法介は昨日の調査結果の端をみぬきに言う。
「確かにね……それについてはお嬢ちゃんの味方をしたい僕でも、おデコくんに賛同するしかない」
「そんなに敵の多い人だったんですか?」
 みぬきが目をぱちくりさせる。それに響也は考えこんで、言葉を捜しながら言う。
「少なくとも、検事局は彼の裁判への電話で大忙しだよ。捕まえたなら有罪にしろとか、無罪なら捕まえるなとか」
 爽やかにさらりと言った響也は大物だと法介は思った。
 言われた内容は真逆だが、込められた意識は同じような気がした。彼を断罪させたい声があるのは確かのようだ。
「こっちの知名度はそんなに高く無いけどね。地元の横浜じゃ結構目立ってる検事のようだから」
 聞くまでも無く悪目立ちというのが窺える。
「殆どの裁判で有罪を勝ち取っていて、彼の裁判では必ず殺人者が生まれるっていう意味を込め、その黒色ばかりの服装を揶揄して”死神検事”って言われてるくらいなんだ」
「……死神とは、また凄いの出ましたね……」
 法介が生気を殺がれたような顔になる。全くの他人の評価なら「へぇー、そうなんですか」で終わるが、その彼は法介の担当なのだから。
 しかも納得してしまえるのがまた脱力してしまう。昨日、阿柴の裁判を映像で見ているだけだというのに、法介は何だかブルーな気持ちになったくらいだ。あのリポータへ向けたような鋭い視線と言葉が、それ以上の効力を孕んで被告を糾弾していく様は、見ているだけで胃が縮まるくらいに凄まじいものだった。
 おそらく、見ていたあの被告も阿柴から少しでも早く逃れたくて真相を暴露したのだろう。法廷の記録映像を見終わった後、法介はそんな感想を持った。
「みぬき、鬼検事なら知ってますよ」
 法介の横でみぬきが言う。同刻、御剣が派手にくしゃみをした。
「そして、デビュー戦で相手の弁護士が当日死亡したのを皮切りに、次々と彼の扱った事件関係者に死者が出ているのをゴシップ誌はこぞって書き散らしてる……けど、これは全くの言いがかりだろうね。
 その弁護士だって、駅の階段からの転落死。事故だったみたいだし」
 確かに、響也だって初裁判の被告が死を遂げている。みぬきの手前、この話題はあっさり流していた。
「それに、彼は前に弁護士だったからね。少々特異な転身も注目させるネタになってるんだろう」
「………えぇぇぇッ!あの人、弁護士だったんですかッ!!」
 みぬきが口に手を当てて驚く。
「みぬきちゃん、昨日オレが調査してる時居なかったからね」
 法介は響也に説明するように言った。
 なんだかサボリ魔呼ばわりされたようで、みぬきはむむっとなって反撃する。
「みぬきは15の女の子ですから、色々付き合いってものがあるんです!」
 デパートの屋上でトノサマンショーの前座とか」
「それ、女の子じゃなくて魔術師としてじゃないか」
「みぬきは魔術師であり女の子なんです!この2つは切っても切り離せないんです!!」
「そうだけどさー」
「で、どうして検事になったんですか?」
 言うだけ言って、激昂をケロリと治めたみぬきが尋ねる。反対に法介は言いたい事が溜まる一方だ。
「昨日、丁度そうやって尋ねられた場面を見たけどさ……自分には弁護するより裁くほうが合っている、みたいな事言ってたな」
 法介は要約して説明した。多分間違っていないと思う。あのセリフだけを取るのであれば。
「まあ……彼は弁護士の時色々トラブルがあったからね。それもあるのかもしれないな」
 響也が呟くように言った。
「? 色々?色々って何ですか?隠し事なんてしない方がいいですよ!ストレスが溜まります」
 みぬきが体のいい事を言って響也から情報を引きずりだそうをしている。法介もちょっと知りたい事なので、みぬきを止める事なくそのままにしておいた。響也は女の子に優しいから無下には断らないだろう。さらにみぬきは成歩堂の娘だし。肩書きとしては最強だ。最凶でもあるかもしれないが。
「……いや、これは個人に関わる事だから。今回の裁判にも関係なさそうな事だし……本人の意思無しに勝手に暴露は出来ないかな」
 だから勘弁してくれないかな、と響也が困ってみぬきを諫めようとしている。が、相手はあのみぬきなので至難の技だろう。
(今回には関係ないか……そういえば、昨日阿柴さんもそんな事言ってたような……)
 みぬきが響也とこちゃこちゃやりやっている間、法介は昨日のやり取りを思い出していた。
「もしかして、麻薬不法所持とかで冤罪かけられた……とかですか?」
「おデコくん、知ってるのかい?」
 響也が少し目を見開く。どうやら、当たりのようだった。
「いえ、昨日本人からそんな事を聞いたからもしかして、と思って……でも、どうしてそんな事に」
「うーん、おデコくんはまだ経験が無いかな。弁護士って、独立する時はいくらかの妨害工作をされるものなんだよ」
 ――アニキも、結構されたものさ。
 そんな言わなかったセリフが、法介には聞こえたような気がした。
「いわば、自分以外が商売敵みたいな所もあるからね。普通の商売だって、店を開くのにスムーズに行くほうが稀だしね」
 言われて見れば、あのしょっぱいみそラーメンの親父さんだって、前の職種の時に色々嫌がらせを受けていたみたいだった。まあ、あれは前々からの因縁の方が強いが。
「……じゃあ、検事になったのって、弁護士への復讐ですか……?」
 みぬきが少し哀しそうに呟く。
 色々弁護士としての職務に関して、片寄った知識を披露みぬきだが決して馬鹿にしている訳ではない。むしろ、その逆だろう。
 だから、復讐の手立てとして就いている事に、悲愴な顔を浮かべる。
「復讐の為に弁護士から検事なんて……そんなの、1人で十分ですよ」
 みぬきがしょんぼりしつつ呟く。同刻、神乃木が派手なくしゃみをした。
「動機が本当にそれかは判らないけど……本人に聞かないとね。
 ただ、事実としては、その後に彼は検事になっている」
 推測としては、復讐が最も似合う状況だ。これも死神検事の2つ名に一役買ってるんだろうな、と法介は思った。
「その後の活躍はさっき説明した通り。評判は少し何だけど、優秀である事は確かだ。この前のシミューレト裁判の委員会でも、彼は神奈川代表として出席していたらしいよ。
 さて」
 と、響也は気持ちを切り返すように言った。
「早い所、調査をしないとね。あと2日で真実を明らかにしないといけない」
 響也の言う事は最もだ。今はっきり判っている事と言えば、被害者が自宅で死んだ事だけかもしれない。
 他は、霧の向こうや闇の中。あるいは、阿柴の胸の中に全て揃っているのかもしれないが。
 いずれにしろ、骨だろうな。法介は覚悟を決めた。
「君たちは留置所に行くんだろう?ついでだから、送っていってあげるよ」
 見覚えのあるキーを取り出して、響也は王子様のように微笑む。
 横でみぬきがやったぁ!とはしゃいだ。


 そして、風のように爽やかな響也に送って貰って、留置所。
 法介は再びこの場所で彼と対峙した。
「――それで」
 と、彼が口を開く。低く静かで、ここの雰囲気にとてもあった声だった。
「何を聞きたいのですか」
 どこかで見たような場面だな、と法介はつい昨日の事の記憶すら覚束無くなっていた。だってもうそれ以外に色々あり過ぎて。
(成歩堂さんに意見聞こうかなと思って電話してみても出ないし……)
 出ない、というかしばらく続いたコール音の後に出たのは、電源が入っていないか電波の届かない場所に居るという無機質な声だった。一体、何処のどんな場所に言ったというのか。
「ええと……それじゃ、オレは貴方の無罪を証明する方向で動きますから!いいですよね!?」
 法介は意気込んで言った。勢いをつけないと言い切れる自信が無かったからだ。
 しかし、相手は。
「ええ、どうぞ」
 と、いっそ拍子抜けするくらい、阿柴はあっさり承諾した。法介が危うくコケそうになったくらいだ。
「そんなにあっさりOK出すなら、最初から無罪だって欲しかったなぁ、ってオドロキさん今思ったでしょ」
「……出来れば留置所出てから言って欲しかったな、そういう事は」
 目の前のこの被告兼検事に悪印象を与えたら、生きてはられない気がする法介だった。
「――私が黙っていた訳は、」
 特に激昂したり機嫌を損ねたりは見られないような口ぶりで、阿柴が語りだす。おそらく、本当に何も感じていないのだろう。
「警察や弁護士に信頼がならずに、否応無しに裁判で真実を述べるしか無かったという背景を作りたかっただけです。あの発言を取り上げて貰うために、わざとあえて口にしなかったとバレると心象が悪くなりますからね。それが過ぎた今ですから、言える訳です。
 貴方にはピエロを演じさせてしまった訳ですが、その代わり明日は崖っぷちも無くあっさり無罪が勝ち取れます。それで見過ごすわけにはいきませんか」
「そんな言い方………!オドロキさんは、今回に限らず毎回ピエロですよ!」
「ああ、そこに異議を飛ばすんだ」
 びし!と言い切るみぬきに、法介が遠い目をする。
「あの……疑う訳じゃないんですけど。いいですか、本当に疑ってる訳じゃないんですけど」
「オドロキさん、くどいですよ」
 みぬきが言う。
「貴方は……本当に、無罪なんですか?」
「ええ、姉を殺しては居ません」
 阿柴は至極平然と言い切った。それが真実を表していそうな、却って怪しいような。とりあえず、腕輪は何も反応しなかった。
「じゃあ、誰が……?」
「判りません」
「…………」
「…………」
「オドロキさん!話終わってどうするんですか!」
「うぅぅ、だってだって……!」
 留置所とは言え、弾まない会話に法介が泣き言を漏らした。
「……別に毎回真犯人を挙げなくても、裁判で無罪を勝ち取る事は十分出来ますよ。
 それでいいでしょう。弁護士の仕事は、被告の無罪や減刑を主張する事なんですから」
 阿柴が言う。
 その中に、法介は気になる所を見つけた。
「……”毎回”って、オレの今までの裁判、知ってるんですか?」
 法介はてっきり、自分が指名されたのはあの父親から命じられてきた弁護士について欲しくなかったからだと思っていたのだが、それだとどこから自分を知ったのかが謎だった。法介は新人で、新人という事は無名に等しいという事だ。成歩堂も、ちょっと名が知れるのに3年かかった。で、その3年でバッジが奪われてしまった訳だが。
 法介の疑問に、阿柴は簡潔に答える。
「少なくとも、裁判員制度導入の為のシミュレート裁判に関わったものなら、貴方の事は知っていますよ」
 そう言えば、牙琉検事があの裁判に阿柴も関わっていたと言って居たな、と思い出した。
「あ、じゃあ、パパの事知ってるんですか?」
 大好きなパパの話題に、みぬきが嬉々として言う。
「………ええ、まぁ」
 と、阿柴が頷いた後、法介の腕輪が縮まり腕を圧迫し始めた。
(あれ、何か反応してるのか?)
 こんな所で、と思いながら法介はさり気なく阿柴を見抜いてみた。一体それがどの仕草だったかは判らないが、どのタイミングかははっきりしている。そう、みぬきが成歩堂の事を取り上げた時だ。
(……って事は、もしかして!!?)
 思い浮かんだ仮説に、法介は真っ青になってうろたえる。
「あ、あ、あ、阿柴さん、も、も、も、もしかして貴方……!!」
「はい」
「な、な、な、成歩堂さんの事が、す、す、す、好、」
 バッキーン☆!
 法介が真横に吹っ飛ぶ。
「もう、オドロキさん!こんな時にボケボケしないでくださいよ!!するなら時を場合を考えてッ!」
「…………」
 これでオレが死んだら、その死因は突っ込み死となるのだろうか……とステッキで殴られて地に伏している法介はぼんやりとする意識の中で思った。
 と、法介が倒れている間に係員が顔を覗かし、阿柴に取調べだと告げた。ここで面会は強制終了となる。
「ではここまでのようですね」
「ああ、はい」
 回復した法介が、椅子に座りなおすと同時に阿柴が立ち上がる。去ろうとする前、法介へ阿柴が言った。
「明日、何をしてもしなくても私の無罪は決まっていますから。これだけは、言っておきますよ」
「…………」
 そして、ドアの向こう、阿柴は消えていった。


「余計な事は何もするな……って言う意味だったんでしょうかね、あのセリフは」
 最後に言われた言葉を思い返しながら、みぬきは言う。
 2人は一旦事務所で戻る事にした。今後の対策を練る為に。その道中で、みぬきは法介に疑問を投げかける。
「いや……あの人は遠まわしな皮肉や嫌味を言うような人じゃないと思うよ。して欲しくないなら、それをどこまでもストレートにぶつける筈だ。それこそ、オレの気が挫ける位に」
 検事としての彼のセリフの数々は、何も包むこと無く吐き出されたものだからこそ、胸を激しく突く。一点の飾りも曇りも無い悪意。それを遠まわしな揶揄で誤魔化す真似は一切しない。やり方は狡猾な所があっても、言葉は愚直な程までにダイレクトだ。
 だからあの言葉も、そのままの意味なのだろう。
「じゃあ、やっぱりあの人は無罪なんでしょうか?」
「うーん、本当に判らないな、コレは……」
 法介は歩きながら腕を組んで悩んだ。
 無罪なら何故隠し事をしているのかと思うし、有罪なら調べる自分と言った自分にあんなにあっさりと承諾しない筈だ。それに、捜査をしても構わないという姿勢は法介は本音だと睨んでいる。
「とにかく、真相を見つけないと何もオレは言えないよ」
「それもそうですね」
 法介の前を向く意見に、みぬきも珍しく素直に頷く。
「じゃあ、とりあえず事務所に帰って。……成歩堂さんが居たら意見を聞いて……」
 後半をごにょごにょという法介だった。しかし、みぬきがパパの事で聞き逃すはずも無く。
「あっはっは。オドロキさんては超パパに会いたがるんだから〜」
「そ、そそそ、そんなんじゃ無いって!あくまで居たらの話だし!居たらの!!」
「あっはっは。ツンデレ格好悪い☆」
「なんて軽いノリで傷つくことを!!!」
 そんなほぼ毎度に近いやり取りをしながら、2人は事務所へと向かう。
 階段を中ほど上がった所で、ドアの前に誰かが立っているのに気づいた。
「……もしかして、依頼かな?」
「仕事って、来ない時は来ないし、来る時はいっぺんにいくつも来るんですよねぇ」
 プロとしての期間が長いみぬきは、しみじみと言った。その声と口調はかなり説得力がある。
 もし、仮に本当に仕事を依頼しに来たのなら、悪いけども断るしかない。今の自分には、1度に2つの審理を抱える技量は無い。
「あのー……?」
 と、法介は相手に声をかけた。
 相手は男で、年の頃は20代後半だろう。背は法介よりも少々高いくらい。シャツにスラックス、という平凡な服装だが、しかし腰まで伸びている黒髪が目立つ。それを1つに括っていて、法介の声に体の向きを変えた時、綺麗に奇跡を作る。
「もしかして、依頼ですか?」
「はい」
 と、相手ははっきり頷いた。
「あ……それじゃ申し訳無いんですけど、今仕事抱えちゃってて……」
「ああ、それなら大丈夫」
 にっこり笑って、平然と彼は言う。その態度に、成歩堂やみぬきみたいに笑顔で無茶難題を吹っかける相手なのだろうか、と法介に一抹の不安が過ぎる。
「その裁判についてなんだけど、」
 彼は法介に真っ直ぐな視線を向けて言った。
 黒目がちの目は、やや釣りあがっていて聡明さや意志の強さを髣髴させた。
「阿柴夢の裁判――ちゃんと真実を明らかにして、無罪にして欲しい」
 これが依頼だと彼は言った。
 彼のその意図を推し量るより先に法介はこの日初めて、当人以外から無罪を主張する声を聞いたなという事ばかりを思っていた。



***

敬語とタメ口が混ざると偉そうに聞こえるというのを聞きかじったので阿柴さんの口調はそんな感じです。わざとしてます。
そして霧人さんも敬語とタメ口が混ざってます。だから偉そうなんですね。たぶん。

とりあえず、1話目の後書きで言って居た「逆裁の世界で犯罪を起こすとしたら」のワタシの計画です。
審理が3日しかないなら、15年逃げ続けるよりそこで博打を打った方がよくねえか。という。ハイリスク・ハイリターンで、やり価値はあると思う。