くも―中編―
御剣の事は、たちまちクラスをはみ出て学年中の話題となった。
あまりに突然の転入生だし、それに御剣は成績がいいだけではなく、運動も何をやらせても万能だった。
でも、皆が御剣に注目するのは、たぶんそれだけじゃなくて。
「成歩堂、一緒に生物室へ行こう」
御剣は。
「成歩堂、一緒に昼食を食べないか」
どういう訳か、あれからも僕へ態度を変える訳でもなく。
「成歩堂、事務所は何所だろうか。一緒について来てはくれないか?」
むしろ事あるごとに、僕に声をかてきて。一緒にと誘ってきて。
「成歩堂、一緒に帰ろう」
……えーっと……
何故か、御剣は僕に声をかける。むしろ、僕しか気にかけていないような勢いだった。
そんな御剣を、周りは不審そうに遠巻きで眺めていた。なんで成歩堂と一緒に居たがるんだ、なんて僕の方こそ訊きたい。
……僕と一緒に居ても、何も楽しい事なんて無いだろうに。むしろ、リスクの方が高い。
「成歩堂。なあ、成歩堂」
「あ、……あのさ……」
「何だろうか?」
とにかく僕と居たがる御剣を煙、声をかけられる前に立ち去ろうとしても隣の席では無理な話だった。今日も昨日に続いて一緒に帰ろう、と言われて、断りきれない僕はこうして並んで歩いていた。
この道の辺りは、店とはそういうものは何も無いから、周りに人の姿は無くて。ここには僕らしか居なかった。
ここなら……言いたい事が言える。
僕が声を出すと、御剣は立ち止まって僕の言葉を待った。
「あの……御剣。あ……あんまり僕に関わらないで欲しいんだけど……」
いっそ従順にも見えそうなその態度に戸惑いながらも、僕はどうにか自分の意見を言える事が出来た。
「何故?」
御剣は軽く首を傾げる。そう言われるのが不思議でたまらないと言うように。
御剣は、本当に解っていないんだろうか?
僕の事を。クラスで、イジメられてるって……
「……ふ、雰囲気で解らないかな。君みたいに目立つ人と居ると、こ……困るんだ」
陰口を叩かれるのは今に始まった事じゃないけど、今は御剣の事でかなり頻繁に話題にされているのが解る。それまで相手にしなかった人まで、僕を好奇の目で見るのが居た堪れない。御剣は、そんなものはちっとも気にしてないみたいだけど。
「どうしてだ?」
やっぱり御剣には通じていないようで、素朴にそう問い返してきた。そして、続けて言う。
「私の事が、嫌いなのか?」
「そ……そうじゃないけど……
とにかく……あの、僕の事は放っておいて欲しいんだけど……」
それに、きっと僕と一緒に居ると、御剣まであいつらから嫌がらせを受けてしまう。だから僕は意を決して、言ってみたんだけど。
「………………」
僕がそう言うと、御剣は沈黙して柳眉を下げ、そしてとても哀しそうに地面を俯く。
(えっ………?)
その端正な顔に、酷く悲傷感を漂わせ落ち込んでいるその様子は、見ているこっちが悲しくなりそうな顔だった。
僕はそれに戸惑う。周りから何を言われても気にも留めない御剣が、どうして僕のたったそんな言葉ひとつで、ここまで傷つくんだろう。
――僕に関わらないでって言われたから?
それが、御剣はそんなに悲しいの……?
どうして………?
僕が見ている先で、御剣はひたすら寂しそうに佇んでいる。
その様子は、大人びた彼の雰囲気とは打って変わって、まるで母親からはぐれた子供か、捨てられた子犬みたいで。
「……じゃ、じゃあ、あのさ……あまり大っぴらには……それなら、いいよ?」
それを聞くと、御剣はぱっと顔を明るくし、安堵したようにほっとして顔を綻ばせた。
「いいのだな?嬉しい」
「――えっ、あ…………」
すっかり消沈した御剣を見ていられなくて、僕はそう言ってしまっていた。
御剣は、とても無垢な笑みを浮かべ、本当に嬉しそうにしていた。
やっぱり今のナシ……とか言ったら……
……言えないよなぁ、この顔見てそんな事……
……………。折角頑張って言ったのに……
僕が虚しさを身に浴びているのもお構いなしに、御剣は足を進め、少しあった間の距離を縮めた。
「私の家もこっちの方角なんだ。これからは一緒に学校に行こう」
「え………はぁ」
なんだか、登校の約束までしてしまった。
なんでそこまで一緒にいようとするんだろう。
どうして、御剣は僕に固執するんだろう……
今日、初めて会ったばかりなのに……
困惑する僕の手に、御剣がとても自然に自分の手を伸ばしてきて優しく握った。
(えっ?)
僕が驚いたのは手を握られた事じゃなくて、御剣の手がとても冷たかったからだ。
繋いだ御剣の手は、陶器のように冷たく、まるで血が通っていないようだった。
けれど、誰かとこんな風に手を繋いで帰るなんて、ずっとずっと無かった事で……
この手を、放し難くて。
僕は、数々の疑問に、強引に蓋をした。
陰口を叩かれても御剣が睨み据えてそれを黙らせてくれるせいか、僕は嫌がらせを受ける事無く、とりあえず平穏な日々を送っていた。……生まれて初めての。
でもやっぱり僕の味方をしているからか、御剣に対する周囲の反応も冷たくなっていく。生意気だとか態度がでかいとか言われて……僕とばかり居て、ホモだとか言われていて。掃除の時間、御剣はどうしてか絶対ぞうきんがけをしないんだけど、それを水が怖いなんて虫のようだとかからかわれていた。
それでも。
御剣は、僕の隣から離れようとはしなかった。初対面から続く通り、何かと僕に声をかけて、行動と共にする。依然そんな御剣に僕は戸惑うけど、でもそれだけじゃなくて、少し嬉しいと思うようにもなってきた。だって、今まで友達らしい友達は、僕には居なかったから……
この日は暑いので、帰りにアイスでも買って食べようという流れになった。
僕たちは帰路を外れ、中に食べれるスペースのあるコンビニへと向かう。
……こんな風に、誰かと一緒に帰ったり、買い食いしたりなんて、僕が出来る思ってもみなかった。
夢のようで……でも、夢じゃなくて。胸の中がくすぐったいような気がして、僕は少し前を歩く御剣に気づかれないよう、頬を緩めた。
(…………あっ)
コンビニに入ってすぐに、そのスペースに居るのが、主に率先して僕をイジメているグループだと解った。向こうも、僕たちに気づいてしまった。
またあいつら一緒にいやがるよ、と、声にしなくてもその視線で解る。僕はなるべくその方向を見ないように、アイスケースに向かっている御剣の後をついた。
「あーあ、ホモが来ちまったよ。襲われ無い内に帰ろうぜー」
グループの中の誰かが言った。それに、他が同調するセリフを吐きながら席を立つ。
すれ違う時に備え、僕は鞄を胸に掻き抱て俯いた。少しでも早く、この嫌な時間が終わるようにと思いながら。
こんな時、御剣はまるで僕を守るように相手との間に入り、その視線を遮るように前へ立ってくれる。今も僕の半歩前に足を出し、にやにやとした、卑下する視線を真っ向から受けていた。
御剣の前を通り過ぎる時、相手が挑発的に鼻で笑う。
が。
「っ!……………」
その顔が瞬時に凍て付き、冷や汗まで浮かぶ。
まるで、幽霊にでも遭遇したような顔だと思った。いや、それ以上の恐怖と対峙した時の。
「……………」
僕からは、御剣の後ろ姿しか見えない。
他のヤツらから声をかけられ、その硬直状態から抜け出したようで、逃げるような足取りで彼は店を出て行った。去り際、御剣に怯えるような眼を向けながら。
僕は御剣に声をかけようか迷い……その前に、御剣がくるりとこっちを向いた。
「何を食べる?成歩堂」
にこり、とその顔には無邪気な微笑みが浮かんでいた。
「……う、うん……どうしたのかな、急にあの人たち……」
僕は控えめに疑問をぶつけてみる。
それまで、御剣は僕に優しい微笑しか見せてこなかったけど。
「…………さあな」
この時は、不敵な笑みをその口の端に乗せ、彼らの去って行った方向を見やった。
――やっぱり。
今の笑みで確信する。さっきのは、御剣が何かしたんだ。
きっと、いつもみたいに睨んだんだろうけど。でも、あの怯えようだと、それ以上の何かがあったんじゃないかと思われる。
「………………」
人を行動不能にするくらいの眼力を放った御剣は、今はもう何事も無かったようにアイスケースを開け、2つアイスを手にとってどっちにしようかと呑気に考えていた。
……御剣はいつも、僕にとっての危険から僕を遠ざけてくれる。その危険を、排除してくれる。
――解らなかった。
御剣の行動の理由が……
――次の日。
朝、落ち合う場所にも、教室に着いても御剣の姿は無かった。授業が始りそうな時間になっても、御剣はまだ来ていない。
どうしたんだろう、御剣……風邪かな……?昨日、そんな素振りは見えなかったけど。
見舞いに行こうと思って、そう言えば住所を知らない事に気づいた。
僕の家の方角とは言っていたけど……でも、あの近くで最近引っ越しがあったなんて話は聞かない。
もしかして、御剣、嘘ついてるのかな。本当はもっと遠いとか……なんて考えすぎか。
(御剣、早く来ないかな……)
御剣の他にも、来ていない人が居る。それは昨日、コンビニで顔を会わせてしまった一団だ。全員居ない訳じゃないけど、居ないのはそのグループの人間で間違いない。
残ったメンバーが、何か顔を合わせて囁き合う。そして、意味ありげににやりと笑う。
何だろう。気になるな……
その時、ガラガラと戸が開いた。
「すみません。遅れました」
声と一緒に姿を現したのは、御剣だった。
よかった。来たんだ。
御剣が遅刻なんて、珍しいけど。
でも事故に巻き込まれたとかじゃなくて本当に良かった。
僕は胸を撫で下ろす。
(…………ん?)
例のグループが、血相を変えて御剣を凝視している。
……御剣が遅刻した事が、そんなに可笑しいのかな。
御剣は、そんな彼らを軽く一瞥して、それだけだった。
――ふわり、と風が教室内に入る。
その風は、顔の輪郭に沿う御剣の長めの前髪を揺らして――
「―――っ!……」
僕は息を飲んだ。
それまで丁度前髪に隠れていた部分に――小さな、血痕がついていたからだ。その血は、御剣の顔に赤い軌跡を作っていた。でも、御剣の顔に傷口は見えない。
だとしたら、あれは、返り血なのか………?
誰の……?
「……………」
遅れてきた御剣。
御剣に激しく怯えているような彼ら。
そして、頬に着いた返り血……
御剣――
君は一体、何をしたんだ……?
何かが起こっている。僕の知らない所で……でも確実に。
それが終わった時。
あるいは僕が知った時。
僕は――僕たちは。
果たして、どうなるんだろう………
……御剣………
****
このコンビニの時の睨み顔が絵板で描いたあの顔です。
見て「あ……こりゃビビるわ」と思える顔なのが凄いなと思った訳です。