Baest meet Human-2-



 その日、千尋は余所に用事があったので、ゴドーを引き連れ成歩堂とミツルギを残し外出した。その時間はおそらく3時間くらいだっただろう。しかし、起こる時は常に一瞬なのだ。
「………?どうしたのかしら」
 事務所の前に立ち、千尋は訝しそうに首を傾げた。隣に立つゴドーも、同じく可笑しいと思いその表情をしていた。事務所の中が騒がしいのだ。真宵でも遊びに来たのかと思ったが、そうだとしたら騒ぐ質が違うとでも言うのか。賑やかというより、何か異変が起こって慌てているような声がしている。そして、成歩堂の声しか聴こえない。
 いつまでも外で考えていても仕方無い、と千尋は扉を開く。その音に、成歩堂がはっとなって振り向いたようだった。
「千尋さん!ゴドーさん!」
 名前を呼びながら血相を変えて成歩堂が駆け寄る。
 その後ろに、もう1人の人影を見た。
「ミツルギが!元に戻らないんです!!!」
 成歩堂が、叫ぶ。


 ミツルギに人体変身能力が備わっているのは知っていたが、実際に目の当りにするのは2名とも初めてだった。しかし、言われるまでも無くコレがミツルギなのは、成歩堂に向ける感情や表情でいやと言うほどよく判る。この場には、ミツルギの前には成歩堂以外に2名(つまり千尋とゴドー)が居るのだが、それらが居る事に全く意に介さずただ成歩堂にだけ全意識を注いでいる。じ、と一心に見詰める双眸は姿形を違えても全く変わらない。いっそ愉快なくらいに。
「で、何があったのかしら?」
 顔色をなくしてハラハラしている成歩堂に、千尋は落ち着かせるように優しく語りかけた。病院に行った時子供の付き添いのお母さんにたまにこんな顔してる人を見るわね、とか思いながら。
「あ、あの、ちょっと前に火災報知機の誤作動があって、その音を聴いてミツルギ凄くビックリしちゃったらしくて、いきなり人間の姿になってそれからどうやっても戻らなくて……!!」
 成歩堂は身振り手振りを交えて説明する。
「……びっくりして大きくなっちゃった、ってヤツか」
 ゴドーが呟いた。まるでどっかのマギーのマジックである。
「動揺した状態で魔法を発動させちゃうと、変に固定しちゃうのよね……」
 腕を組んで千尋が言う。
「じゃあ、戻らないんですか!?」
 千尋の言葉を聞いて、成歩堂が言う。
「落ち着ついて、なるほどくん。こういう時は変に戻そうとアレコレしないで、いっそ魔力を使いきって元に戻るのを待つのがいいのよ」
「下手に弄るとそれが原因でややこしくなるからな。今の状態としては特に問題はねぇ事だしよ」
「そう……ですか」
 自分よりよほど知識のある2名にそう言われ、成歩堂もようやく落ち着きを取り戻してきた。
「良かったな、ミツルギ」
 やっと笑顔を見せて、ミツルギの頭を撫でる。ミツルギは、それを嬉しそうに受け入れていた。おそらく、自分が戻れるという事より成歩堂が笑みを浮かべた事が嬉しいのだろう。
 ミツルギが変身してしまったのも、聞きなれない轟音に何が起こったか判らないが何があっても成歩堂を守れるようにと思ったからなのだろう。ゴドーも千尋も、そして成歩堂もそれは判っていた。
「それで、どのくらいで戻れそうですか?」
 成歩堂の質問に、千尋は考えながら言う。
「うーん……ミツルギくんくらいだと、完全にゼロになるのは約1日ってくらいかしら。まあ、あくまで完全にゼロの話で、魔法を使えなくなるくらいだったらもうちょっと早いだろうけど。それに、他に魔力を沢山使ったりしたら、もっと縮まるわね」
「そうですか……」
 それまでは、ミツルギはこの姿のままという事だ。
 あまり弊害は無さそうだな、とこの時の成歩堂は思っていた。


 大異変(ミツルギの事)を残しながら、事務所の日常は進んでいった。その内真宵もやって来て、青年の姿になったミツルギを何かのイベントのように楽しんでいた。冥が言う以前のミツルギはひたすら自発的に孤独で居たようだが、今はとりあえず自分以外の存在として認識している者は居る。最も、それも成歩堂を別にすると真宵と千尋とゴドー。あとは冥くらいなものだが。しかも真宵みたくコミュニケーションが取れる相手となると、もっと制限がかかる。少なくともゴドーに対してミツルギは威嚇しか浮かべた事が無い。ゴドーはそれを余裕の笑みで受け流しているが。
 それでも全く居なかった所から5人に増えたのだ。きっとこれからも増えるに違いない、と成歩堂は淡い期待を持っている。
「さて、そろそろ休憩しましょうか」
 千尋が言った。この事務所には明確な休憩時間というものがある。それは公私を区別し、真宵と談話する時間を設ける為だが最近それにミツルギの為にもが加わった。
 千尋の言葉を受けて、成歩堂が2人の居る休憩室に向かう。
 よく考えれば多感な年頃の少女を外見だけとはいえ成人男性と一緒にしていいものか、と今更に思ったがいくら考えても何の問題も生じないように思えた。あの2人だからこそだろう。
「休憩するよー」
 言いながら、ドアを開ける。
 と、いきなり大きな物が現れた、と成歩堂は認識した。
 そして、次の瞬間には温かさと若干の息苦しさ。ミツルギに抱き締められているというのに、やや時間を置いて自覚できた。
「えっ、ちょっと、ミツルギ!!?」
 まるで久方ぶりの逢引のような抱擁に、成歩堂は顔を赤らめて戸惑う。ミツルギは尚もぎゅうぎゅうと抱きついていて、成歩堂からは見えないが無邪気で無垢な笑みを浮かべていた。この顔を見れば9歳の子供でも、ミツルギが成歩堂の事が大好きで大好きで仕方無いというのが判るだろうってくらいの。
「おぅ、情熱的だな」
 そんなゴドーの声がして、一層成歩堂の顔に熱が集まる。その後、ゴキッとかボキッとかいう音がゴドーが居たらしき方向から聴こえたが、それも耳に入らない程に。
「あはは。ミツルギくんって、姿変わってもやる事は一緒なんだね」
 真宵が成歩堂を抱き締めるミツルギを見て、ケラケラ笑う。
 そうだ、普段も休憩だとドアを開けるとミツルギが駆け寄ってきて、それを成歩堂がかがんで抱きとめるのだ。今は体躯がほぼ同じだから、こういう形になる訳で。
 それなら、何も慌てる事は無い。いつも通りなのだから。慌てる事ないのに、成歩堂の動悸はどんどん早まっていった。
「えーっと……と、とにかく離れよう、な?」
「?」
 やんわりと押し返す成歩堂の手に、ミツルギが怪訝そうにきょとんとした。今までと同じ事をしているのに、違う対応をされた理由が判らないのだ。勿論それはミツルギの外見の変化にあるのだが、生憎当人はそこには思い至らないようだ。ただ、いつもみたいにぎゅっと抱き返して貰えなくて、そこばかり気になってしまう。
 成歩堂を覗き込んでいた顔が、唐突に歪む。離れたいと言い出したのは嫌われた故からだと勘違いしたのが、手に取るように判った。
「!そ、そうじゃないよ。ただ今のミツルギ大きいだろ?いきなり抱きつかれるとビックリするんだよ」
 強ちまるっきり嘘でも無い事を言って、ミツルギを何とか宥めようとする。精神や情緒はまるっきり子供のミツルギだが、プライドが高いせいか人前では決して泣いたりはしない。泣かないだけで、泣きそうにはなるが。今みたいに。
「ミツ……」
「おーい、2人とも!早く来ないとあたしが全部食べちゃうよー」
 一足早く席についた真宵が、串団子を振り翳して言う。
 真宵ちゃんナイスアシスト!と彼女は本能の赴くままに言っているだけだと解っているが、成歩堂は思わずそう賞賛せずにはいられないかった。
「ほら、団子があるよ。真宵ちゃん本当に食べちゃうから」
 言いながら、手を取ってミツルギを引き連れる。繋いだ手からどうやら嫌われている訳ではなさそうだと感じ取ったミツルギは、大人しく成歩堂についていく。それを見て少し胸を撫で下ろす成歩堂。
 その後餡子がたっぷり乗った団子はミツルギの嗜好にあったらしく、口に含むと喜色を浮かべた。それを見てかなり胸を撫で下ろす成歩堂。
「美味しい?」
 こくん、と頷くミツルギ。
「じゃ、僕のあげるよ」
 各2本の振り分けだったが、成歩堂にこの団子は甘すぎた。辛党と甘党で分ければ、成歩堂は辛党寄りだろう。ミツルギはその申し出に一瞬顔を輝かせたが、成歩堂の分を取るというのに抵抗があるのかすぐには頷かない。けれど欲しいという気持ちの為に要らないとも言えないのが見えて、何とも微笑ましかった。外見だけ大人だが、中身はあの小さい仔のままなのだ。
「あっ、ミツルギくんにだけずるい!」
 アタシも欲しい!と真宵が横から割り込んできた。
「ん。じゃあ半分こしような」
「わぁい!」
 丁度4個団子が刺さっていたから、2個づつそれぞれの更に分けてやった。ミツルギをこっそり窺うと、やっぱりもっと欲しかったらしくて嬉しそうにしている。
 こんなほのぼのとしている場だが、千尋とゴドーの姿は無かった。ミツルギが席に着くちょっと前に電話がかかり、その対応に当たっている。千尋だけではなくゴドーも借り出された所を見ると、何か依頼でも入ったのかな、と成歩堂はドアを見て思う。と、まさにその時見ていたドアがなった。やはりプライベートな用件では無かったのは、千尋の表情を見れば判る。
「まだ休憩中の所悪いんだけど、なるほどくん」
 名前を呼ばれ、成歩堂は目を瞬かせた。真宵もミツルギも、成歩堂の名前が出された事に何事かと千尋に注目した。その後ろにゴドーも居る。何故か首を痛そうにしていながら。
「依頼よ。しかも、刑事事件」
 そう言って、千尋はふてぶてしく笑う。つまり、大ピンチの被告人なのだろう。
 弁護士業を中断してから初めての大きな案件である。成歩堂は今から気を引き締め、湯飲みに残っていたお茶を飲み干した。
「じゃ、早速留置所に行ってきます!ミツルギは真宵ちゃんを待ってるうわぁぁぁ!!?」
 言いながらドアへ向かう成歩堂の声が途中から驚愕の声に変わったのは、セリフを言いながら振り向きた先に当のミツルギがぴったりくっ付いていたからだ。まるで成歩堂に引っ付いたマグネットの如く。
「び、びっくりしたぁ……どうしたミツルギ。外に行きたいなら真宵ちゃんと行きなよ。僕は今から仕事だから」
「………」
 な?と呼びかけるが、ミツルギは真剣な面持ちで成歩堂を見ている。何だか、あまりお外に遊びに行きたいです、という雰囲気では無さそうだ。
「なるほどくん……ミツルギくんはなるほどくんのお仕事を手伝いたいんじゃないかな」
 真宵がゴドーの分の団子を頬張りながら意見する。ちなみにちゃんと団子の件については本人の承諾を得ている。
 真宵のセリフに触発されるように、成歩堂はもう一度ミツルギの顔を覗きこんだ。今の意見が正解だ、みたいな顔をして頷くミツルギ。
「……気持ちは嬉しいけど、ミツルギにはまだ早いよ」
 成歩堂は諦めさせる為の説得に入る。
「クッ、何が早いってんだい、まるほどう」
 それに首をゴキゴキさせながらゴドーが言った。千尋の蹴りは今日も絶好調に冴えていた。
「挽いた豆は鮮度が命だ……ほっといたら、酸化しちゃうぜ!」
「言いたい事はなんとなく判ったような気になって話し進めますけど、刑事事件なんですよ!?殺人事件なんですよ!いくらなんでもミツルギにはまだ早いでしょう!」
 何となくゴドーがPTAの役員に怒られてるような気持ちになった。実際に怒られた経験は無いが。
「あら、連れて行けばいいじゃない」
 と、大根おろしのようにあっさり言ったのは千尋だった。
「千尋さんまで、そんな……」
「だって、知識だけならきっとミツルギくんの方が上だわ」
 思いがけないセリフに、成歩堂が「えっ」となって止まる。その隙に、という訳でも無いが千尋は近くの棚から六法全書を取り出し、ミツルギに手渡す。
「ミツルギくん。傷害致死の項目を開いてくれるかしら?」
 ミツルギはその言葉を受けて、右手の親指で分厚い本をぱららららと捲っていく。そして、1度も前後する事無くぴったりとそのページを開いて見せた。改めて貰うまでも無く、それがまぐれではないのが判る。これには成歩堂は目を丸くした。
「……まさか、この本の中身全部覚えてるとか?」
 ミツルギはこくん、と頷いた。ちょっと、得意げそうだった。尻尾があれば振っていたに違いない。
 マジかよ、と成歩堂は戦慄した。分厚い本を見ると眩暈を起こして頭を痛くした後さらにそれを落として足も痛くする身としては、恐れ戦くしかない。
「六法全書どころか、この事務所の本は全部網羅してるわね」
「………えぇぇぇええッ!!?」
 ここにある本は図書館並みという程では無いものの、それでも100には近い。
「い、何時の間にそんな……」
 ミツルギがこの事務所に通いだしてから……もとい、成歩堂がミツルギを引き連れて事務所に来るようになってから、まだ1ヶ月も経っていない。成歩堂なんて、10年かかっても無理そうだとか思っているというのに。
 只管瞠目する成歩堂に、真宵が、あー、と気楽な声を発してから言う。
「もしかして、あの本をぱらぱらぱら〜って捲ってるのって、読んでたのかなぁ。あたしてっきりパラパラマンガでも作ってたのかと思ったよ」
 ここにある本すべてにパラパラマンガを作ったというなら、それもある意味凄いといえなくも無いが。
 しかし真宵の話が本当なら……いや、本当なのだろう。そういうペースでもなければ完全読破は出来ない。超速読術である。
(……知能が高いとは聞いていたけど……)
 まさかここまでだったとは。いや、これはまだきっと氷山の一角なのだろう。
 とりあえずミツルギの使用可能魔術として人体変化があるが、それはゴドーを目にしていて無意識に倣ったからに過ぎない。ミツルギの本質、何が得意だとか適正があるとかそういう事はまだ判らない。
 ミツルギは造られた存在だから、所謂設計図のようなのが存在する筈だが、それは存在していない。ミツルギの報せを受けて赴いた工場はすでにほぼ壊滅状態だったのだそうだ。おそらく、中で倒れていたどれかの人造の魔獣の、暴走の果ての惨劇だろうと冥は言って居た。ミツルギは知能が高くてさらに小さかった為に、その中をすり抜けて事なきを得る事が出来た……らしい。ミツルギの記憶は工場の外で始まっている。そのまま後ろの工場の異変を察して人がいる町へと降りたそうで、中をどう行動したかは覚えが無いようだった。
 残ってない方がいいかもしれない、と成歩堂はその話を聞いて思った。例え何も思わないとしても、同胞が殺戮を繰り返す場面なんて、見ない方がいいに決まっているのだから。
 そんな訳で、ミツルギは結構謎の存在だ。一応、種族としてはパンの仔だとなっているが、あくまでそれは表面をなぞっただけに過ぎない。
 詳しく探ろうとなると、魔力中枢を壊す可能性が高くなる。今後に支障を来たす場合だってある。しかし他者への無関心が幸いしてか、ミツルギは危険な対象と見られなかった為に細かく調べられる事も無かった。ひどい言い方をすれば、見限られたとか見捨てられたとも取れる。仮に成歩堂と出会わなければ、ミツルギは魔獣として存在していながら魔法を使えないという悪い意味でも無害な存在になっただろうから。
 しかしミツルギはこうして成歩堂に出会った訳だし、魔法も仕えるようになった。その能力はどんどん開花していくのだろう。今更ながらに責任の重圧を感じたが、成歩堂はミツルギを手放そうとかは決して思わなかった。思える筈も無い。
「なるほどくんと色んな所で沢山経験を積めば、きっと火災報知機でビックリしちゃう事も無くなるわよ」
「………」
 千尋が微笑みながら言う所の本当の意味を、成歩堂はちゃんと理解していた。つまり、ミツルギは精神と能力の差が激しくてかなりアンバランスなのだ。極めて不安定だと言っていい。全体のレベルが低いより極端に傾いている方が余程危ない。その解消の手立ては、やはり色んな経験を積ませる事なのだろう。蔵書だけでは知りえない事は山ほどあるし、ミツルギに必要なのはむしろそっちの方だ。
 成歩堂は、ふぅ、とひとつ溜息を吐いた。ミツルギを連れる覚悟を決めたのだ。正直かなりの不安がある。が、それから遠ざけていてはミツルギも自分も成長しない。
「………それじゃあ、行こうか。ミツルギ」
 腹を括れば強い成歩堂は、ミツルギににっこり笑いかけながらそう言う。ミツルギはそれに顔を輝かして、何度も頷いた。
「でも」
 と、成歩堂が付け加える。
「口の回り、拭いてからな」
 餡子がたっぷりの団子を食べたミツルギの口元はまるで泥棒さんみたいになっていた訳で。


 今回の被告人も、やはり崖っぷちというか限りなく黒に近い容疑者だった。正直、即有罪を与えられない事に酌量を感じる程に。
 しかし自分の信条として、被告人が無罪を訴えるのであればその方面から調べる事にしている。まだ無罪が確定した訳でもないのに、成歩堂がその旨を伝えると相手はそれだけで涙ながらに感謝の言葉を述べた。おそらく、逮捕されてから取り調べられてここに押し込まれる間、誰も自分の言い分を聞いて貰えなかったのだろうというのが想像出来た。
 留置所を後にした成歩堂とミツルギは、殺害現場へと向かう。現場は被害者の自室である。そこまで、地下鉄を乗り継いで行く。
(そういや、ミツルギは地下鉄に乗るのは初めてなのかな)
 少なくとも、成歩堂は乗せた覚えが無い。以前のトレーナーだった冥はどうだろうか。彼女とミツルギの生活の詳細はあまり聞いてはいなかった。行ったトレーニングの内容とその結果をレポートとしてもらって、それくらいだった。
 どうやら彼女は異動の為に日本を出てしまうとかで、ミツルギを成歩堂に譲渡した後から早々、あまり連絡がつかないと真宵が言って居た。知りたい事ではあるが、そう切迫する用件でもない。彼女が落ち着いたら、またゆっくり会えるような約束を取り付けよう、と成歩堂は思った。
「地下鉄乗るの、初めて?」
 成歩堂が問いかけると、ミツルギが頷く。表面上は平素を保っているが、内心動揺とまではいかないが周囲が見知らないものばかりで、その処理に追われているのだろう。視線が正面を向いたまま、固定されている。自分に縋ればいいのに、見栄でもあるのかこのくらいなんでもない、というような振る舞いに成歩堂は苦笑を漏らした。さすがに手は繋げないが、腕を引っ張って連れて行く。
「あっちから電車が来るよ。危ないから、黄色い線から出ないようにね」
 このくらい、アナウンスでも言う事だが、成歩堂は自分で言って居た。言いながら、小学生の頃、下級生を引率しながら行った社会見学を思い出した。ミツルギは神妙な顔つきで、成歩堂の言う事のひとつひとつに頷いてみせる。成歩堂は思わず頭を撫でたくなって、寸前で堪えた。周囲に誰もいないならまだしも、ここは地下鉄のホームで人は沢山居るのだ。
 事前に説明を受けていても、そして写真や画像で車両を知ってはいても、実物を見てややミツルギはびっくりしたようだった。ホームに車両が来た瞬間、成歩堂の方へと一歩近寄る。それに成歩堂は、平然と構えていた。自分が怖くもなんとも無いと振舞っていれば、ミツルギもそれに倣うと思ったからだ。その判断は正しくて、成歩堂の様子を見たミツルギは、緊張して凝り固まった体を解していた。
「乗るよ」
 一声かけて、車内へ乗り込む。この出発の音も火災報知機程ではないが、耳を劈くくらいには大きい。が、ミツルギはそれにはもう動じなかった。窓の外を見て、過ぎる壁にそこから走る速度を感じ取っているようだった。
「ミツルギ」
 成歩堂はミツルギに声をかける。ぱっとミツルギは成歩堂を向いた。丁度ドアの前を陣取っているから、その直ぐ上にある駅の案内板を教えてやろうと思ったのだ。
「今ね、この駅から乗ったんだ。で、降りるのは5つ先のこの駅。ここでまた乗り換えするんだよ」
「…………」
 ミツルギは成歩堂の指す方向を向いて、ふむふむと頷く。
(……可愛いなぁ)
 今は殆ど自分と変わらない、むしろ若干大きいような体躯なのに、成歩堂はそう思ってしまった。


 そして、現場へと着いた。駅から徒歩15分のアパート。立地としては悪くないが、事件が起こった後このアパートの行く末が案じられる。
 ミツルギは全く外出をしないという訳でもない。真宵と一緒に近くのコンビニや公園に行く事もある。が、それ以外の場所は当然ながら行った事が無く、全部が見る物が初めて、というのに戸惑っている素振りすら見えた。
 しかし、くどいくらい言うが、以前は冥と居たのだ。その時もこんな感じだったのだろうか。しかし成歩堂に引っ付く光景を見て、冥はまるで奇跡だと言って居た。ただ行動しているだけでは生きているとは言えない。興味を持ったり関心を示したり、そうやって心も動かす事が生きている事なんだと思う。もし、ミツルギのそういう部分が成歩堂と出会ってから働き始めたのなら、ミツルギは実質およそ4か月分の経験……というか人生しか無い事になる。……確かにそれなら、火災報知機の音に心底びっくりするだろうな、と成歩堂は今までを振り返って納得していた。
「えーっと、郵便局の角を曲がる……」
 ミツルギに教えるように、独り言のように呟いて道を辿っていく。現場に近づくにつれて、ミツルギが何だかそわそわし始めていた。死者の無念や怨念は主に死んだ場所に宿るというから、それを感じ取っているのだろうか。
 どれが件のアパートかは、一発で判った。入り口が青いビニールシートで覆われていて、門の所を黄色いテープが封鎖している。何度見ても慣れない光景だな、と成歩堂は思った。ビニールシートのせいで中の様子がさっぱり見えないが、おそらくまだ警察の捜査が続いていると思われる。被害者の部屋はここの302号室……と、いう事は3階なのだろう。スムーズに入れるかな、と懸念する成歩堂に、すっかり馴染みとなった声が響く。
「まーたアンタっすか!いっつも現れるッスね」
 大きくがっしりした体躯に、薄汚れたコートを羽織り、糸鋸が成歩堂を見つけて駆け寄る。そして、疫病神を見つけたような目つきで見られた。毎度現るのはお互いどっこいどっこいだと思うのだが。
「んん?そっちに居るのは誰ッスか?」
 目につく赤いスーツを着て、平均より高い身長のミツルギを見過ごす事は難しい。糸鋸は見知らぬ顔に怪訝そうな表情を浮かべ、ミツルギをじろじろ見やる。と、ミツルギが眉間に力を込めてギロリと糸鋸を睨んだ。野良猫くらいなら一発で蹴散らせるくらいの眼力であった。野良猫ではないが糸鋸はそれを浴びるとひぃぃぃ!と竦みあがった。
「こら、ミツルギ」
 と、成歩堂が言う。
「この人は初動捜査の刑事さんなんだから。これから情報貰うんだから、あまり剣呑な態度取っちゃだめだよ?」
「…………」
 ミツルギは何だか納得していないような顔つきではあったが、承諾の意としてこっくり頷く。
 まるで殺気をそのまま視線にしたような目つきを浮かべた人物を、あっさり従えた成歩堂に糸鋸は瞠目する。
「…………。自分、今初めてアンタの事を凄いと思ったッス」
「? そうですか?」
 成歩堂は何やら判らなくて、きょとんとする。その平然とした顔に、糸鋸はますます畏敬の念を強めるのだった。
「とりあえず、現場に入らしてはくれませんか?」
 青いビニールシートを眺めながら、成歩堂はとりあえず言ってみた。サイコロを振って出た目を見てから次の手を考えるのが成歩堂である。……その場その場の行き当たりバッタリと言われてしまうとそれまでだが。
「ダメっす!」
 糸鋸から猛烈な否定が帰って来た。あ、やっぱり、と成歩堂は思った。
「いくら被告の有罪が確定しているとしても、現場に素人を入らせるわけにはいかねッス!」
 僕、これでも弁護士なんだけどな。あと有罪が確定した訳でもないだろ、と成歩堂は胸中で突っ込む。その間も、糸鋸の口上が続く。
「自分はこの仕事に信念と埃を持ってるッス!この2つがある以上、何人たりとも入らせる訳には……
 ……と、思ったッスけど、見るだけならいいッス!見るだけなら!」
 いきなり糸鋸ががたがたと震え始めた。なんだ、と思えばミツルギがさっき以上の険しさで糸鋸を睨んでいたのだ。そう、「入らせてくれないなら貴様の首をざっくり刈ってやろうか」と言わんばかりに。
「ほら、早く入るッス!入らせてやるから、その目を止めさせて欲しいっすぅぅぅぅぅぅ!!」
 ビニールシートを捲りながら、糸鋸はブルブルしていた。
 信念と誇りも、命あっての事だから生命の危機には変えられないらしい。
(……ちょっと便利かも)
 成歩堂はそう思ってしまった。
 成歩堂がミツルギに睨ませるのを止めさせたのは、勿論中に入ってからだった。


 現場となった部屋はどうって事の無い、平均的な独身女性の部屋だった。ただの留守宅のようにも見える。が、床に張られた死体をなぞるテープや、血痕跡に置かれたナンバー札がここで殺人事件が起きたのだと突きつける。
(まずは、被告以外にこの部屋に誰かが侵入した形跡が無いか、だな)
 被告以外の他にも犯人になりえる可能性の人物が居たという提示が出来れば、無罪は勝ち取れなくても少なくとも裁判は持ち越せられる。
「あんまり触っちゃダメっすよ!!……でも、ちょっとならいいッス」
 ミツルギのに睨みを受け、糸鋸が声ごと萎縮する。
 成歩堂は、もうこの世に居ないこの部屋の主にごめんなさいと心の中で謝り、引き出しを開けた。
 上から開けて見ると、少し妙な感じを覚えた。中がぐちゃぐちゃという程ではないが、仕切りから雑貨がはみ出ているのだ。そう、乱暴に閉められてその反動で荒れたような具合だ。この様子を見て、成歩堂は推理をしてみる。
 もしかして、物取りが誰かの来訪があって家捜しを途中で断念した後ではないだろうか。ふと玄関を見れば、回覧板が置いてある。置いてあるというか、ドアの受け口から入れられて落ちたままなのだろう。
 成歩堂の視線と意識がが回覧板に移ると、それを感じ取ってかミツルギが回覧板を拾い上げて成歩堂に手渡す。ありがとう、と礼を言って成歩堂は受け取った。糸鋸は何か言いたそうだったがミツルギの視線が怖くて何も言えないようだった。哀れな。
 成歩堂は回覧板を開いてみる。一番後ろにある名簿の下には、読んだ証としてだろう日付を書く欄があった。それを見ると、この回覧板は事件当日にこの部屋に来たようだった。
 犯人は被害者を殺した後家捜しをしようと、まずこの引き出しを開いた所に回覧板の落ちた音がして、慌てて現場から逃げた――
 成歩堂の頭の中にこんな展開が浮かぶ。
 となると、逃走経路を立証できるとかなりこちらにとって有利になりそうなのだが。
「うーん……」
 と唸って成歩堂はベランダに出る。ミツルギがその後ろからついていく。
 この三階建てのアパートの前には、2階建ての民家がある。高さとしては、同じくらいだろうか。
 成歩堂は下を見てみた。ジャンプして降りられなくも無い高さだが、気づかれずにというのは無理そうだ。下の階には人が住んでいる。
「…………」
 成歩堂の動きにつられるように、ミツルギもベランダから身を乗り出して下を見ていた。と、何かに気づいたように上を見上げる。
「? どうした?」
 きょろきょろと辺りを見渡す、明らかに何かを探している様子のミツルギに成歩堂は呼びかける。あっちこっちに動いていたミツルギの顔が、真上に固定された。成歩堂も真上を見る。アパートの屋根の端が見えるだけだった。
「んー?何が……って、うわっ!」
 成歩堂が小さく驚いたのは、ミツルギがベランダの縁に立って屋根の上へ軽々と登ったからだ。
「ひゃー、凄いッスね。まるで忍者ッス」
 感心した糸鋸がベランダに駆けつけ、屋根の上を見上げて呟いた。魔獣なんだけどな、と成歩堂は胸中でまた突っ込む。
 人間の身だと、道具も無しに屋根へ乗り上げるのは少し無理だった。何をしているんだろう、と成歩堂が眺めているとミツルギがひょっこり顔を覗かせた。
 そして、すたっと軽やかに降り立つ。
「成歩堂」
 ミツルギが呼びかける。魔獣のまま人語を操るのは稀有だが、今のミツルギは声帯のある人間の体だから人と同じような発音の仕方が出来る。とはいえそれも高度な事には変わりないから、ミツルギのレベルはきっと高いのだろう。精神面はとても幼いのだが。
「うん?」
 成歩堂が声に応える。ミツルギは、少し考えてから言った。どうやら、表現するに相応しい語彙を探しているようだった。思い当たる単語が見つかったのか、ピンときたような顔になりミツルギが言う。
「ケッコン」
「…………………。へっ?」
「け、け、け、血痕ッスとぉぉぉぉぉ!!?」
 横で瞠目した糸鋸の反応で、ミツルギの言う意味が血の跡であるという事が判った。成歩堂が何と勘違いしたのかは、本人の為を思ってそっとしておいてあげよう。
 糸鋸は「鑑識を呼ぶッスゥゥゥゥ!!」と慌しく部屋を出て行ってしまった。現場に弁護士とその他を置いて。やる気は十分見られるのに、同じくらいから回っているのも見て判るのが悲しい。
 まあそれはさて置き、血痕が屋根から見つかったという事は、犯人は窓から出て行って屋根を伝うルートで逃げたという事だ。いや、この部屋に侵入したのだってきっと上からベランダに降りての事だろう。泥棒に入られやすいのは、1階と最上階が多いと言われている。1階は地面に近く、最上階は屋根から近いから忍び易いのだ。しかも最上階には地面から離れて居る事に窓からの侵入を油断し易いのだった。今回はこのケースだったに違いないと思う。
「お手柄だよ、ミツルギ」
 ミツルギはきっと、人には感知できない血の匂いを感じ取ったのだろう。あの挙動がそれだったのだ。
 誰も居ないのをさっと確かめた成歩堂は、ミツルギの頭を撫でてやる。姿は変わったが、この撫で心地は変わらない。
 ミツルギは、頭を撫でる感触にふわりと嬉しそうに微笑んだ。
「っ、」
 いつもより大人びた顔のミツルギが美麗に微笑む様を間近で見てしまい、同性でも綺麗だと思える笑みに成歩堂が紅潮する。そのままぱっと離れてしまった手に、ミツルギが怪訝そうに成歩堂を見やった。
「じゃ、じゃあ行こうか」
 態度にすぐ出てしまう自分を呪いながら、ミツルギの腕を引っ張って成歩堂はやや早足で移動した。


 一通りの捜査を終え、事務所へと戻る。
「ふーん、他に犯人が居る事が判ったなら、なるほどくん明日は裁判なしなの?」
 報告を聞いた真宵が、そう言った。
「まさか。別の犯人の可能性が出ただけで、完全な無罪の証拠が出た訳じゃないんだから」
 今回成歩堂が掴んだ証拠は、被告以外でも犯行を成しえたというものでしかない。つまり、被告「しか」出来ないが被告「でも」出来たという程度に和らいだだけだ。有罪を食らってしまう可能性は十分だ。
「じゃあ、明日もいつもみたいにハラハラする裁判が見れるって事だね!」
 ぱん、と手を合わせて真宵が嬉しそうに言う。嬉しいのか、真宵。
「そんな事無いよ!いつもよりはまだ平穏に進む……と、思う」
 最後に不確定要素がついてしまう成歩堂だった。
「クッ……あれも真実への道中の一部だと思えば、諦めもつくだろう?」
「………諦めって」
 一度でいい。自分のシナリオどおりにスムーズに審理を終えてみたい、とゴドーの揶揄を受けて成歩堂は思った。
「あ、」
 と真宵が突然声を上げる。
「なるほどくんなるほどくん、ミツルギくんが眠たそうだよ!」
 どうりでさっき威嚇が来なかった訳だ、とゴドーが納得した。見れば、成歩堂の横に座っているミツルギは目も虚ろそうに、体は舟をこぐように揺らめいている。
 成歩堂はその手をそっと取った。
「ああ、本当だ。手の平が熱いね」
 赤ん坊か、とゴドーが心の中で突っ込む。
「じゃあ、魔力が尽きてきたって事かしら」
 千尋が言う。
 魔獣にとっても、睡眠は回復の為の手段だ。人と違うのは、あくまで手段のひとつなので、回復できれば眠らなくても平気、という所。
「寝てもいいよ、ミツルギ」
 眠ってしまえば変化も解けて小さい姿に戻るのだから、帰宅するのに何の支障も無い。しかし成歩堂の言葉に、ミツルギはむしろ覚醒し続けようと頭を振って目を閉じるのを堪えた。頭を振った刺激で一瞬目が冴えるが、しかしまたとろんと瞼は落ちていく。
「人間に化けるのって、疲れるのかな」
 真宵が言う。それに答えたのはゴドーだった。
「それもあるが、このボウヤの場合必要じゃない所でも力を使ってるからな。力の使い所がまだ判ってねぇのが原因だ」
 マラソンで例えるならば、ミツルギはペース配分が判らないでずっと全速力で走り続け、完走も出来ずに半ばで倒れている状態だ。まあ、今回の事で自分の限界が判っただろうから、次回は上手い事魔力を操れるかもしれない。睡眠に落ちる寸前のミツルギを眺めながら、ゴドーはそう思った。
 ミツルギは今にも寝倒れてしまいそうだが、そうはなるものかと懸命にそれに逆らっている。結果目つきがいつもより悪く、この状態のミツルギを見たら糸鋸くらいならスタコラ逃げてしまいそうだ、という程だ。ここに居る面子はミツルギの本性というか素というか実情を知っているので、怖がったりなんか間違ってもしないが。
(うーん、人目があるのが嫌なのかな)
 眠気と戦っているミツルギを見て、成歩堂は思った。
 ただえさえ、ミツルギは寝顔を見られるのを嫌う。それは無意識に醜態を晒しているかもしれないという危惧からだ。なので、途中で成歩堂の布団に潜り込んでいてもミツルギは寝る時は寝床を別にしている。
「休憩室に行こうか」
 そう言って、ミツルギの腕を取って成歩堂は立ち上がろうとしたのだが。ミツルギは手を振り払わないが、立ち上がろうともしない。
「?」
 立つのも億劫なくらい眠いのかな、と両手で立ち上がらせようとしたが、やっぱりどうやら移動したくない為に立たないようだった。どうしたんだろう、とミツルギを窺うと、その視線の先でミツルギが困ったように眉を下げ、成歩堂の机の上に目を向けた。そこには、先ほど集めてきた今回の裁判で使う証拠ファイルがあった。本当に集めてきただけの状態で、ちっとも整理されていない。
 ミツルギの意識がそっちに向かっている事で、成歩堂はミツルギの真意が掴めた。ファイルが中途半端になっているのが気がかりなのだ。
「大丈夫大丈夫。後は僕だけでも出来るからさ。ミツルギはもう十分頑張ったんだから、休みなよ」
「…………」
 成歩堂としては、ミツルギが気にしないように努めて明るく言ったのだが、ミツルギはどうしてかその言葉を聞いてしょんぼりと肩を落とした。
「あ、あれ?」
「なるほどくんは、男心が判ってないわねぇ」
 落ち込んでしまったようなミツルギに、おろおろとする成歩堂へそう言ったのは千尋であった。ゴドーが何か物凄く物言いたそうな表情になり、そして結局黙っていた。
「ミツルギくん」
 と千尋はミツルギへ向けて言う。
「一気に駆け上がろうとすると、貴方は絶対踏み外して転がり落ちるわ。だから、一歩一歩慎重に踏み出しなさい。なるほどくんは、ちゃんと見ててくれるから」
 そう言って、ね?と成歩堂へ笑みを向ける。今の例えが何を指しているか、成歩堂は今一判らなかったが、何があろうとミツルギを見放したりしないだろうという確認を取られたような感じがしたので、はい、と頷いておいた。その成歩堂を、横に座るミツルギがじっと見ている。
「…………」
 そして、突然こくん、と頷いた。
「寝る?」
 その成歩堂の問いかけに、またこくんと頷く。
「それじゃ………わ、わ、わ」
 休憩室へ移動させようと、さっきのように立ち上がらせようと思ったのだがそれより先にミツルギの体が成歩堂の方へと傾く。ミツルギの体が光り、粒子が散るように輪郭が縮んでいくと仔犬のようなミツルギがぽすん、と成歩堂の膝の上に落ちた。寝顔を見られたくないという意思のせいか、顔面から倒れている。ある意味、根性があると言える。そんなミツルギの意地が見える態度に、成歩堂は笑みを零して後頭部しか見えない頭を撫でた。


 次にミツルギがぱちりと覚醒した時は、明後日の早朝だった。丸一昼夜寝込んでた訳だが、前回を比べると回復の速度は上がっている。
 目を開いたミツルギがまずする事と言えば、成歩堂を探す事だ。成歩堂はミツルギを緩く抱きかかえて寝ていて、探すまでも無かった。間近に成歩堂が居て、毎朝の恒例のようにミツルギはとてもビックリした。
 そしてまたいつもの通り、成歩堂を起こさないようにのそのそと腕から這い出る。そして、別々に寝ているのにどうして同じ布団で寝ているのだ?と首を捻った。しかし今日は前日事務所で昏倒したという記憶があったから、そのまま成歩堂は自分を抱きかかえて帰宅したのだな、というちゃんとした結論が導き出せたので、ミツルギはうんうん、と頷く。
 そして、鏡を見るまでも無く、元の小さい体に戻ってしまった事に少し落胆した。あの姿を維持できていたら、今日の裁判は真宵に変わって助手席に立てたかもしれないのに。こんな小さく情けない姿では、とても成歩堂の横には並べない。物理的な意味も含めて。
「…………」
 せめてあの人間の姿になれれば、とミツルギは変身する時の感覚を思い出して精神を集中させる。魔力の流れが一点に向かって研ぎ澄まされるような感覚があった。それをどんどん磨いていく。
 まるで体が浮くような心地。白い光に包まれ、視界が覚束無くなったミツルギは一旦目を閉じた。じんわりと湯の中にいるような感覚が治まるとミツルギはゆっくり目を開ける。
「…………」
 手を見た。……手、だ。指が5本ある。足もあり、肩もある。
 ミツルギは初めて、突発的な要因――つまりは火事場の馬鹿力的なものではなく、自分の意思でコントロールして変身を果たした。ぱぁ……と成功の喜びに顔が明るくなる。
 その時、間近で魔法が発動した為なのか、成歩堂が身じろいだ。
 完全にマスター出来たのを、まず成歩堂に見てもらいたくて、ミツルギは寝ている成歩堂の上に覆いかぶさり、目を覚める瞬間を待った。今か今かと待ちわびる。
「……ん?ん………」
 ミツルギの気配を感じ取ったのか、成歩堂の意識が浮上する。ぼんやりと視界を拓かせて見ると、あの綺麗な顔が寸前にあった。
 あと少し近づけば唇が触れるという所まで。
「……………―――――ッッッ!!!!!」
 成歩堂は思わず、反射的にどーん!とミツルギを突き飛ばしてしまっていた。しまった!と後悔したのは突き飛ばした後である。
「っ!!ごめんミツルギ!!!」
 成歩堂は慌てて身を起こす。思いっきり突き飛ばしてしまった訳だが、相手も体躯のいい青年だったのでorzだった姿勢がLloとなっただけだが。
 体に受けた衝撃はともかく、成歩堂に突き飛ばされたという事実はミツルギの心に途方も無いダメージを負わせた。
 その為に、精神が乱れたミツルギの変化が解けた。小さいミツルギが、天井を仰いだまま転がっている。
「ごめん!頭打ったよな!?痛い!!?」
「………………〜〜〜〜っっっ!!!」
 ミツルギはぐっとなって涙を堪えたが、当然それは後頭部の痛みが原因では無い。

 そして、この件で「人間の姿になると成歩堂に嫌われる」という図式を完成してしまったミツルギが、また人型になれるまでに大分苦労を強いれたという。




おわり。

ちょっと軽い感じで日常のひとコマ。
ミツルギ……本当に幼いな。まあいいか(いいんだ)
しかしちっこい姿のまま可愛がられるのと、おっきくなって意識されるのと果たしてどっちがミツルギにとって幸せなんだろうか。
考えれば考える程判らなくなるという。