Baest meet Human

*絵板でうろちょろしている子犬ミツルギのイメージでお読みください。




 対照を中心として、半径1メートルの輪を地面に書いていく。その線の上に水晶を突き立てると、ドーム状の透明な結界が目標物を閉じ込めた。
 いきなり閉じ込められて、ミツルギはきょとんとした顔で成歩堂を見上げた。
「ミツルギ、そこから出てごらん。何をしてもいいから。あ、でも自分は傷付けないようにね、くれぐれも」
 最後に付け足したセリフにらしさが窺える。屋根の上から文字通り高みの見物をしているゴドーは、面白そうに目を細めた。ごろり、と寝転がり、彼らをより見やすい体勢をとった。
「ミツルギー!」
 こっちに出てくればいいんだよ、と3メートル程遠くから手招きする。
 それに向かい、テテテとミツルギは歩くのだが、当然見えない壁にぶつかってその反動にべちゃりと後ろに倒れる。
 のそ、と立ち上がり、見えない何かを確認するようにシールドをぺちぺち叩いた。
 暫く考えたミツルギは、地面をざかざか掘り始めた。
 目のつけ所はいい。
 しかし、半ドーム上になっているのは地面があるからで、生憎この結界は本当は球体なのだ。掘り進めた所で脱出は出来ない。土が移動するだけだ。
「……………」
 5分くらい掘ったところでその事実に気づいたらしいミツルギは、とりあえず土を埋めなおした。
 結界自体をどうにかしなければ、出られない。ミツルギはまず、体当たりしてみた。が、びくともしない。
 この結界は、物理的攻撃には強い。しかし、その反面魔力的な攻撃には頼りないものなのだ。なので、何でもいいからとにかく魔術を発動してくれれば、出られるのだが。
 早く魔法を使ってくれよ、と成歩堂も祈る心地でミツルギを見守っている。
 早く出てくれなければ、自分が堪えられそうに無い。結界の中、縋るように自分を見ているあの目に耐え切れず、結界を解いてしまいそうだ。駆け寄って抱き締めたくなる。
「ミツルギ!頑張れ!」
 一緒に自分へも叱咤して、成歩堂はミツルギを見やる。
 体当たりで破れない、と判ったミツルギは次の策を探していた。とりあえず成歩堂に一番近い場所で、シールドに手をついてじ、として考え込んでいる。
 ……此処に来て、成歩堂は自分がこうして立って待っていたのは失敗かもしれない、と思い始めた。
 どうやらミツルギは早く脱げ出したい駆け寄りたい、成歩堂の傍に行きたいという気持ちだけが先走って、思考回路が上手く作動しないようだ。ミツルギは決して知能が低い訳ではなく、むしろ高めにあるのは日常生活で判る事だ。正直、ミツルギは成歩堂より難しい本を読んで、恐ろしい事に理解している。しかし、知識があっても実践の足りないミツルギは、まだ魔術を作動させた事が無い。
 本当に、早い所覚えてくれないと困った事になるのだが……今日こそは、と成歩堂は拳を固めた。
 今日こそは、ミツルギに何が何でも魔法を覚えてもらう。基礎体力も潜在能力もあるのだ。あとは、開花を待つばかりで。
「…………。ミツルギ……」
 ミツルギは頭を垂れ下げて、ふるふると打ち震えている。頭部に生えている両耳も、通常よりぺたりと垂れ下がっていた。そう思うと、胸がぎゅっとなる。顔を伏せているのは、泣いているのを見られたくないからだろう。
 解除はしない、近づくだけだから……と成歩堂は歩み寄った。それを上から眺めているゴドーは、今日もダメだな、と見切り列車を飛ばした。多分それに間違いは無い。
「ミツルギ?」
 そっと呼びかけると、声は透過する結界の中、ミツルギは勢いよく顔を上げた。やっぱりその目には涙の膜が張っていて、成歩堂はうぅぅぅ、と唸って抱き締めたいのを堪えた。
 そしてミツルギは、成歩堂の胸元に飛び込もうと、思いっきりジャンプした。
 結界があるのを忘れて。
 ゴーン!!
 魔力の塊にぶつかったのだから、そんな音はするはず無いが、したような錯覚に陥る程のぶつけっぷりであった。
 ぽてり、と重力に従って地面に落ちたミツルギは、目を回して起き上がらない。と、言うか、起き上がれない。
「!!! ミツルギ―――!!」
 指を一回パチンと鳴らし、結界を解除する。ゴドーはご愁傷様、と胸中で呟いた。やっぱりダメだったか、と。
「ミツルギ!大丈夫!?大丈夫!??」
 あまり揺らさないよう体を支え、大きな声で何度も呼び続けた。
 千尋を呼ばなければならないのだろうか、と不安になりはじめた頃、うっすらとミツルギが眼を開く。
「! ミツルギ!」
 その呼びかけで完全覚醒したミツルギは、成歩堂に向かって手を伸ばした。抱きかかえている手を自分に近づけると、その中に居るミツルギが服にギューッとしがみ付く。その力強さに、安堵しながらも途方に暮れる。
(今日もダメだった……か)
 そろそろ、期限は迫ってきているというのに。
 はぁ、と成歩堂が溜息をついた時、その背後にゴドーが降り立った。3階の建物の屋根から音も無く。
「ご苦労だったなぁ、まるほどうさんよ」
 意地悪さにニヒルさを加えた笑みを浮かべる。
「………。成歩堂なんですけど……」
 控えめながら名前の訂正を求める。
「半人前の名前は呼ばないのが俺のルール、だぜ」
 それを言われると異議も反論もぐうの音も出ない。言葉に詰まるだけだ。
 そんな成歩堂の腕の中、ミツルギはゴドーに射るような視線を向けていた。喉の奥を震わせて唸ってもいる。それに成歩堂は苦笑した。
「そろそろ、ゴドーさんに慣れてもいいんじゃない?」
 怖いけど、敵じゃないだろう?と顔を覗きこむが、そっぽを向かれた。やれやれ、といった具合にその頭を撫でる。
(判っちゃいねぇな、アイツは)
 と、ゴドーは思う。ミツルギが自分を威嚇するのは敵愾心ではなく、まぁそれも含まれるだろうが、根っこは嫉妬だ。そして拙い独占欲。
「今日はまたどんな作戦だったんだい?トレーナーさんよぉ」
 にやり、としながらゴドーが聞く。歯を見せるような笑い方をすれば、否応無しに人にしては発達し過ぎている犬歯が除く。
「……とりあえず、危機的状況にさせて、火事場の馬鹿力みたいなもので使えるようにはならないかな、と思ったんですけど……」
 あの結界ならば魔法を使えば直ぐ壊れるので、内側で跳ね返って述者、この場合ミツルギに反射する事はないだろうと踏まえて。
 作戦としてはいいものだと思ったのだが……結局は自分の根負けだった。情けない。
(こんなんじゃ、トレーナー失格だよな……)
 しかも、最悪の場合、その自己嫌悪が実現してしまう。
 焦る成歩堂に抱きかかえられたミツルギはがるるると唸ってゴドーを睨み、ゴドーはそれを鼻で笑っていた。


 ミツルギは人間の子より一回り小さい体躯に、犬のような耳と尻尾がついた魔獣だった。どうやらパンの仔やホブゴブリンの亜種や親戚みたいなものらしい。
 そんなミツルギは、今は成歩堂の仮の使い魔として彼の傍に存在する。あくまで仮に、だが。
 使い魔と召喚獣の違いと言えば、そのもの自体より在り方の方だろう。自動車に例えれば前者が自家用車で後者がレンタカーみたいなものだ。で、実際の自家用車に諸々の登録が必要なように、使い魔が使い魔となるのにも課題をクリアしなければならない。そうして晴れて正式な使い魔となるのだ。余談ながら、使い魔を使役するのはトレーナーで、召喚獣の場合はサマナーと呼んでいる。
 登録する場合には勿論使い魔同伴が必須で、手続きを果たす局には多種多彩な魔獣で埋め尽くされる。
 それを見たいと駄々を捏ねた真宵に、姉の千尋に代わって成歩堂が付き添ったのが全ての始りだったのだろう。あるいは運命とでも呼ぶのか。
 その日、空は青いくらいの快晴で、雲ひとつなかった。
「うわっ!凄い凄い!ねぇなるほどくん!あのお馬さん、鱗があって水かきもついてるよ!すっごーい!」
「あ、本当だ。凄いねぇー」
 魔獣なんてまじまじと見る機会は少ない。思わず、連れて来られた立場も忘れて、一緒になって魔獣を目で追った。
 真宵のような興味本位で見物に来るような輩は前提となっているのか、柵が設けられていた。そこに入らなければ、いいようだ。
 他にも似たような人達が魔獣を見て感嘆の声を上げている。それを見て、自分たちだけでなくて良かった、と成歩堂は胸を撫で下ろした。
「う〜ん、もっと近くで見たいなぁー。なるほどくん、どうにかならない?」
 横にあるゲートを潜って行くトレーナー達を羨ましそうに見やり、柵に乗りあがって真宵がそんな文句を言う。
「無理言うなよ。きっと物凄く怒られるぞ」
 物凄くかどうかは知らないが、怒られるのは間違いないだろう。少なくとも自分が警備員の立場だったら怒る。
 隙あらば柵の内側に行きそうな真宵を宥めながら、よほどの事が無い限り自分には縁の無い存在だろうな、と柵に肘をついて成歩堂は完全に無関係者の視線で魔獣達を眺めていた。
 しかし、その一瞬後。
 成歩堂がその柵の内側に行く事になるなんて、果たして誰が予想できただろうか。


 どん、とふくろはぎに当たった衝撃は、初め子供がぶつかって来たのだと成歩堂は思った。
 ぶつかった反動で転がっていないのは、しがみついている感触で判る。まるで、縋る為にやった来たとでもいうみたいだ。
「何…………。ええぇぇぇえええ?」
 ぱっと見は子供のような風貌なのだが、耳と尻尾がそれを裏切っている。普通の子供にこんなのはついていない。断じて無い。それに、子供だとしてもやや小さいような気がした。
(魔獣?)
 場所的に、そう考えて然るべきだろう。なら、次の疑問はどうして自分の足にしがみ付いているか、だ。真宵は目の前の光景に夢中で、直ぐ横の大異変には気づいていない。
「えぇと………」
 迷子預かり所みたいなのは無かっただろうか。無意識に周囲を探る。
 その時。
「――レイジ!」
 鋭い、よく通る女性の声がした。
「ん?迷子かな?」
 真宵がそう言い、その迷子を見つけるかのように視線を巡らせた。
「レイジ!」
 呼ぶ声は確実に自分たちの方へとやって来た。
 まさか、と成歩堂は自分の足元を見詰めた。以前、魔獣の仔はしがみ付いている。しかし、怯えや恐怖は感じられない。逃げてきたのではなく、追い求めて来たのだ、みたいにしっかり成歩堂を捕まえている。
 魔獣を見下ろすと、相手もこっちを見上げる。じぃ、っと双眸全部使って見詰めている、という感じだった。
 若干あった人垣を掻き分け、1人の女性が現れた。声の印象そのままの人だった。手にはムチを持っている。見学に来た一般人ではないだろう。一般人がムチを持ち合わせて居たらそんな世界は嫌だ。
 彼女はすぐに自分の魔獣に気づいたようだ。そして、信じられないものを見たかのように目を見張る。
「信じられないわ。レイジが人に懐くなんて……」
「え、え?」
 何だか当事者になった割には置いてけぼり感がする。
 しかし、誰にも懐かないというのは本当のようで、成歩堂の足元に気づいた真宵が抱き上げようと手を伸ばしても、それを困ったような顔で逃げている。しかし、逃げていても、常に成歩堂のズボンを握っていた。
「そこの貴方」
 僕の事だろうな、と人事のように自覚した。
「トレーナーなの?」
「い、いいえ?」
「そんな、トレーナーだなんて。この人はただのしがない弁護士のなるほど君ですよ!」
「どうして”しがない”がつくんだよ」
 急な質問に戸惑いながらも、真宵への突っ込みは忘れなかった。
「ものは相談なのだけど」
 彼女は成歩堂の事情お構い無しに話を進めていった。
「その子を引き取るつもりはあるかしら?」
 そして、成歩堂にとってとんでもないセリフを口にする。
「えぇぇぇぇぇぇ!?どうして!?僕が!?」
「レイジが懐いているからよ」
 さも当然のように言う。
「いやいやいや!懐いてるからって、そんな……第一、これは君の使い魔じゃないの!?」
 名前を呼んで探してたのだから、そうである筈だ。
 成歩堂の発言に、彼女はなんともいえない表情となった。
「私が今日、ここに来たのは、それを解除する為なのよ」
「「………へ?」」
 間抜けな声は真宵と唱和した。
「ふっ。素人はこれだから」
 何だか勝ち誇られたような顔をされた。実際素人とは言え、何か悔しいものがある。
「一から教えると長くなるわ。とりあえず、局内へ入りましょう」
 やったぁ!と無責任な真宵の歓声を横で聞きながら、とりあえず成歩堂は足にしがみ付いている魔獣を抱き上げた。すると、とても嬉しそうに胸元に顔を摺り寄せ、尾もはたはたと揺れている。一体何なのだろう、と思いながらも、そんな様子を微笑ましく思った。


 冥と名乗った彼女は互いの自己紹介を済ますと、早速本題に入っていった。局内のカフェテリアで、3人と1匹は席に着く。
「正式に使い魔にする前に仮登録があるのは知ってるわね?
 その後、三か月以内に使役出来るという証明が果たされなければ、強制的にその登録は解除されるの。当然、拒めば違法となるわ」
 ふんふん、と何度も首を上下させて頷く真宵だが、理解出来ているかどうかかなり怪しい。
 つまり仮登録というのは、とりあえず魔獣を扱える権利が与えられる事なんだろうな、と成歩堂は自分なりに解釈した。
「その証明は、試験場でトレーナーの指示により魔法を発動させる事。でも、レイジは魔法がまだ使えないのよ」
 言葉に促されるように、成歩堂は魔獣を見た。例の魔獣は、成歩堂の膝の上に居る。何だかご機嫌のようだ。
「いや……でも、この子はまだ子供なんだろ?せめて使えるのを待ってあげたら……」
「決して特例は認めない。それが鉄則よ」
 厳しく言い放ったセリフに、成歩堂も何も言えなくなる。未知の分野で、口を挟む方が愚かなのだろうけど。
「それに、珍しいケースでもないわ。魔獣を仔供の頃から育てるトレーナーは少なくないの」
 そうなんだ、と一応納得する。
「でも、勝手に解除させるなんて、ちょっと酷いんじゃないかな。もっと長い目で見守ってあげればいいのに」
 成歩堂も思う事を、真宵はそのまま口にした。自分がそうされた訳でもあるまいに、頬を膨らましてジュースを啜る。こういう所は真宵の長所だと成歩堂は思っている。
 真宵の言葉に、冥はまたさっきと同じような顔になった。ミツルギを解除しに来たと言った時のような表情。
「仕方ないわ。3ヶ月も経って何も出来ないようなら、それ以上一緒に居た所で時間の無駄よ。それよりも、互いに相手を切り替えた方が色々と効率的だわ。登録局はその為に作られたのだし」
「だけど……」
「お嬢ちゃん。私達はここにお友達を探しに来ているんじゃないの。仕事上で必要な戦力を求めているのよ」
 まだ不満があるような口ぶりに、冥がややキツい口調で言うと、真宵は身を縮めて竦んだ。
 続けて冥が説明するには、時折、大富豪が金銭にものを言わせ、その財力を誇示するように魔獣を保持する事もあるとの事だ。しかし、プライドのある魔獣がそんな下らない見栄に従う事は滅多に無く、自発的に登録局に来ては、自分を売り飛ばした悪徳違法ブローカーを告発すると言う。魔獣を勝手に売買するのは勿論法律で固く禁止されている。一種のおとり捜査みたいなものだ。
 実はミツルギがそれだった。ただ、告発した先はただのブローカーでは無くて。
「そこは工場だったわ。魔獣を作る為の」
「……作れるんですか!?魔獣って!」
 竦んでいた真宵が復活して、驚きながら質問する。戦く真宵とは対照に、冷静な冥はふっ、とまた笑う。
「正確には量産工場と言った方がいいわね。一つの原型から何個ものコピーを作る。そんな真似をする理由は、一つだけだわ。戦争で兵器として利用する為よ。
 全く、ひとつを潰したらまた何処かで新しく始めてるんだから」
 冥は吐き捨てるように言った。冥が何の仕事についているかは聞いてないが、おそらくはその手の輩を取り締まる役職になるのだろう。少なくとも、今までの口ぶりから魔獣と関わる職種には違いない。
「兵器、ねぇ………」
 呟きながら、成歩堂は膝の上の小さな魔獣を見る。とてもじゃないが、いや、とても兵器として活躍しそうにも無い。……愛玩用になれるかも判らないが。
「そこには量産するための機械の他に、独自で新たな魔獣を造り出すような施設もあったわ。より命令を聞き入れて、単騎として性能のいい物を造ってそれを原型にする為でしょうね。多分、レイジはそれの試作みたいなものだと思うの。あるいは製作途中」
 それなら、まぁちょっと腑に落ちないでもない……と、思う。
 魔獣の仔は、真宵からパウンドケーキの欠片を貰っていて、成歩堂をじぃ、と見ている。どうすればいいのか、乞うように。食べればいいんじゃないかな、と頭を撫でると、もそもそと食べ始めた。
「本来なら親が教えるのだけれど、そうやって作られたレイジは、だから魔法がまだ使えないのよ。魔力はあるのだけどね。使えるようにと色々トレーニングを試している内に、3ヶ月過ぎてしまったという訳なのよ」
「そうなのか……」
 口の回りや手についてケーキの欠片に悪戦苦闘しているので、紙ナプキンで拭ってやる。そうれば、それだけの事なのに嬉しそうに尻尾をはためかした。この仔が兵器の代わりとして軍事目的で造られたなんて、思えないのは思いたくないからだろうか。
「でも……そういう事情だったら、やっぱり僕なんかに預けないで、もっと立派なトレーナーの人に渡した方がいいと思うんだけど」
 どうやら、色々とややこしい素性の魔獣のようだ。普通の標準の魔獣すら扱った事の無い自分には、手に余る。むしろ手に負えないと思う。そんな事は、賢明な彼女にも判りきった事だと思うのだが。
「そんな事くらい、私にも解っているわ」
 まるで成歩堂の心を見透かしたような事を言う。
「貴方にレイジが懐いたのを見て、私が驚いたのは覚えているかしら?」
「ええ、まぁ」
 つい10分ほど前の事なのだから、まだ忘れるには早い。やや大袈裟な驚き方だなぁ、と思ったのだから、なお更だ。
「初めてなのよ。貴方が」
「へっ?」
「そこまで懐いたのは。他の人間だったら、傍にすら寄り付かない。こっちから赴いても、避ける始末なのよ。だから、今のその光景は、私にとっては奇跡に近いわ」
「き、奇跡………」
 そこまで言うのか、と何だか遠い目をしたくなった。
「私がその仔のトレーナーになったのだって、懐いているからじゃなくて避けられなかったからだけだからよ。一緒に居ても面倒じゃない、みたいな感じかしら。でも、貴方には積極的に一緒に居たいみたいね」
「……そのようで」
 膝の上で鎮座している魔獣の仔は、退かそうとすれば抵抗しそうなくらい居座っていた。ここが定位置といわんばかりに。
「そんな貴方の元なら、あるいは魔法を発動させるかもしれないわ」
「そんなもの、かなぁ……」
 その点だけはどうも鵜呑みに出来ない。
 成歩堂がそんな異議を唱えると、冥はチッチッチとばかりに指を左右にスライドさせた。
「何をするにしても必要なのは、したいなりたいと強く想う思念よ。違う?」
「それは、そうだけど」
「で、事情はこれで判ったでしょう?」
「判ったけどさ、……でも、」
 それでもやっぱり、ずぶな素人の自分が預かるのには抵抗がある。とはいえ、ここまで懐きついているこの仔をはいサヨナラと見捨てるのも、今となっては何だか後ろめたい。
「もう、なるほど君!引き受けてあげなよ!こんなに懐いているのに、可哀想じゃない!」
 真宵が両手で拳を作って、ぷんぷんと怒る。恐らく彼女としては成歩堂の元に居るのをいい事に、度々見に来るつもりでいるのだろう。魔獣の仔にそれなりの同情もしているとは思うが。
「〜〜〜、でも………」
 やっぱり一つの生命を引き取るというのは、それ相応の責任を伴う訳で。しかも同じ人間ならともかく、全くの異種族なのだ。勝手が判らない。
 二の足を踏んでいる成歩堂に、魔獣の仔は不安そうに見上げる。このまま離れてしまうのか、離さないでくれと訴えているみたいだ。その目を見てしまったのが、成歩堂の運の尽きだろう。
 この目の期待を裏切る事は……出来ない。成歩堂は白旗を揚げた。
「……判った。僕が引き受けるよ」
 その言葉にわぁいと歓声をあげたのは真宵だった。魔獣の仔は喋れないようで、ただ尻尾を振っている。最も人語を喋る魔獣の方が稀有なのだが。
「これからヨロシクね!……えーと、レイジくん、だっけ?」
 真宵が確かめるように冥を振り返る。冥は、しかしそれに静かに首を振った。
「貴方が名前をつけなさい。成歩堂龍一」
「え、どうして?」
 成歩堂が目をぱちくりさせる。
「今の名前は便宜上の都合でその場でつけただけの名前なのよ。見つけたのが夜の12時だったから」
 ああ、だからレイジか……と変に納得してしまった。
「関係を築くのなら、そこから初めてあげて」
「…………」
 冥の目は、そう頼むのがこの魔獣のトレーナーとして最後に出来る事なのだと語っていた。
 それならば、応えるしかない。成歩堂は色々と腹を決めた。
「うーん、それじゃ何にしようかな……」
「髪がサラサラで目が三白眼だから、ニコルなんてどうかな」
「いやいやいやそれはちょっと」
 その後、度々口を挟む真宵をかわしながら、30分近く考えこみ。
「………ミツルギ?」
 ふと思いついた名前を口にしてみる。
 魔獣の仔は、それがいい、と何度も首を縦に振った。


 こうして、この仔は成歩堂の元に来る事と、名前をミツルギにする事が決まった。
 そして仮登録を済まし、後は何か魔法が使えるようになれれば正式に成歩堂の使い魔となるのだが。
 何も発動させる事も無く、2ヶ月が過ぎ去ろうとしていた。これは焦る。かなり焦る。
 あと1ヶ月……いや、もう1ヶ月も無い。その間に、ミツルギに魔法を覚えてもらわないと登録が強制解除となってしまう。
 今は家に戻り、成歩堂はトレーニング法についての本を読んでいる。ミツルギはそんな成歩堂に着かず離れずの位置でじぃっと見上げていた。照れがあるのか、構ってもらいたいオーラを全身に出しながらもあまりべったりとはしてこない。しかし、些細でも別離があった場合には、自分の前に姿を現した成歩堂に、ミツルギは突進の勢いで駆け寄るのだった。その後はしばらくしがみ付く。
 何故にこんなに必死になってまで求められるのか、成歩堂にはさっぱり判らない。もしかしたら、ミツルギも判ってないのかもしれない。感情を論理で説明しろというのが、無理なのだろうけど。
 成歩堂に見詰められ、ミツルギは、ん?というように首を傾げた。その仕草が可笑しくて微笑ましい。
 わきの下に手を差し込んで、目線を合わせる。
「早く魔法を覚えてもらわないと……一緒に居られなくなっちゃうんだよ?」
 呟きながら、毎日傍に駆け寄る姿と、最初の出会いの時ぎゅぅとズボンの裾を握り締めて放さなかった感触が蘇る。
 こんなに必死になって伸ばす腕を、遮断してしまったらその手は次に持ち上げる気力があるのだろうか。一緒に過ごして来て、それが一番不安に思えてきた。
 冥が言って居た。ミツルギのように、造られた魔獣は本質的な所が孤独なのだと。言ってしまえば、他者と交流する事に意味や喜びを見出せない。温もりに包まれずに生まれた副作用なのだろうか。そして、自分がそんな寂しいものだと気づかないまま、独りで過ごすのだそうだ。あるいはそれは、人の手がかかった部分を残さない魔獣の遺伝システムなのかもしれないとも、説明した。皮肉な事に、そういう精神回路であると、ただ殺戮するだけの凶悪な生き物と成り下がってしまい易い。自分以外は皆敵というヤツだ。
 幸いミツルギは幼い状態で世に出されたのが功を制したのか、そんな狂暴性は認められなかった。ただ、やっぱり、コミュニケーションという理念がいまいち欠けている。
 だからこそ、こうして成歩堂にくっ付いているのを、冥は奇跡だと讃えたのだろう。
 自分の手を離れてしまったら、このミツルギもそんな風にただ独りで死ぬのを待つだけに生きるのだろうか。そう思うと、胸が苦しくなるほど切なくなってしまう。だって、こんなに毎日自分を追いかけるのに。他の誰かの温もりを欲しがっているのに。
「……………」
 魔獣は人の言葉は喋れない。けれど、内容は理解しているのだそうだ。ミツルギの場合、文字が読みとめるのだから当然だが。しかし、書き取りは出来ない。
 ミツルギは魔獣で喋れないから、成歩堂への返答の代わりにその顔を見詰め返した。言っている事は判っている、というように。
「よお、まるほどう」
 見詰め合ったまま続いた沈黙を打ち破るように、ゴドーが現れた。早速、ミツルギが唸る。ドアというものを無視して、開きっぱなしだった窓から入る。成歩堂も、ゴドーは窓から来るというのが慣例になっているので、開けれる時は開けていた。
「あ、もしかして所長呼んでます?」
「いや、俺が暇だから遊びに来ただけだぜ」
 にやりと笑いながら胡坐をかくゴドーだ。
「…………。それなりに忙しいんですけどね、こっちは」
 忙しいと言うか切羽詰まっているというか。
「千尋さんにも申し訳なくて。折角晴れて弁護士になったのに、今度はトレーナーで迷惑かけちゃって……」
「全くだぜ」
 さっぱり否定せず、しれっと頷いてゴドーはコーヒーを煽った。
 成歩堂は弁護士であるだが、一旦それを休業し……まぁ、全くの新人で、請け負っている案件が無いのが幸いだろうか……ミツルギの件にだけ専念していた。民事にしろ刑事にしろ事件を扱うのなら、必ずではないけれど魔獣の存在に注視すべき場面に当たる。詳しく関わって損になる事は無い。なのでこれも弁護士の修行の内だと、千尋は成歩堂に時間を与えたのだった。
 そして、千尋自身もトレーナーで、ゴドーが使い魔だった。ゴドーの本来在るべき姿はマンティコア。羽の生えた獅子の姿の魔獣である。
 強大な魔力から発せられる凄まじい破壊力。それだけでも手ごわいのに飛翔能力まであり、しかも尾になっているヘビからは解毒出来ない毒針を飛ばす。そして性格は残忍にして狡猾。これでもかという凶悪な魔獣だ。危険度数で言えば、間違いなくトップクラス入りである。
 しかし本当に恐ろしいのは、そんなゴドーを竹刀1本で屈服させている千尋の方だ。いつぞや成歩堂は千尋の前で土下座しているゴドーの姿を見てしまった。尋ねる事が出来ないでいるので、事の真相は永遠に闇の中だろう。世の中には知らなくていい事と知ってはいけない事がある。
 高い知能と強い魔力を持つゴドーは、人の姿に身を変えられる。人間になれる、というのは一種のステータスだ。そして、どれだけ持続出来るかというのもレベルを計る物差しとなっている。ゴドーは一日の殆どを人型で過ごしていた。説明しなければ、彼が人外種だと気づく者も居ないだろう。それだけ完全に化けている。
 しかし、やはり徹底して人間になるのは中々骨だそうで、その必要が無い時はゴドーもそれなりに変身を緩めている。例えば歯である。人にあんな大きな犬歯は無い。歯を見せて笑うと、刃のようなそれが見える。最初、成歩堂はそれに怯えたものだ。そして、それをゴドーは楽しがった。
 そーいえば、ゴドーが千尋に土下座していたのはあの頃だったなぁ、とやや後ろを振り返る成歩堂だった。
 他にも、ゴドーは目の色が鮮血のような真紅だったり髪が銀白だったりと、手を抜ける所はあちこち抜いている。人間型を持続させるコツなのだろう。
「そうだ。ゴドーさんは、最初に魔法を使った時の事って覚えています?」
「……さあな。そんな昔の事は忘れちゃったぜ」
 ゴドーは笑みを見せながら言う。不親切ではなく、本当に忘れているみたいだ。過去の話を聞く限りでも、ゴドーは少なくとも200年は生きている。その間には、自分では想像もつかない辛いことも沢山あっただろう。なので、成歩堂もあまり過去の詮索はしないようにしている。今は焦りがあって、ついうっかりそれを藪ってしまい成歩堂はややバツが悪そうに頭をかいた。そんな成歩堂に、ゴドーはいつ淹れたのかコーヒーの入ったカップを突きつけた。どうやら、自分にくれるらしい。
 ありがとうございます、と礼を述べて口をつける。ゴドーの淹れたコーヒーは外で飲むのより余程美味しい。けれど、ミツルギはそれが気に食わなくて、コーヒーの匂いがするとすぐに物陰に隠れるのだった。そうなったら成歩堂が出向かなければ出てこないという徹底ぷりで。
「アンタはどうなんだ。まるほどう。一応それなりに使えるんだろう?」
 と、自分の分のカップを指で指すように突きつける。
「僕……は、殆ど道具にやってもらってるようなものですから」
 なので、自分で魔力を使っているという実感はあまり無い。苦笑いして成歩堂は答えた。
「昔はそんなもん抜きでやってたんだがなぁ」
 おっと、年寄り臭いセリフだったな、とゴドーは自分の発言を言った後撤回させた。
「技術の代わりに文明を伸ばした、か。別にアンタらの選ぶ道に俺が口を挟む事は無ぇが……」
 途中で言葉を切り、成歩堂の顎を掴んで上向かせる。ゴドーの方が背があるので、視線を合わせるとなると成歩堂はやや上を向かなければならない。時に、こんな間近だと。
「え、ちょ……っと……?」
 じぃ、と赤い双眸に体の内側を見透かされていそうで、何だか落ち着かない。ゴドー曰く、目の水晶を見るとその者の魔力の質や量が判るのだそうだ。
「勿体ねぇな。アンタみたいな綺麗な魔力を見ていると」
「……綺麗?」
 あまりそぐわない形容に、ややきょとんとする。
 魔力の質に綺麗や汚いものあるのか。ミツルギが自分にいきなり懐いたのはそれが要因なんだろうか、とふと浮かんだ仮説を尋ねようとする前に、そのミツルギが我慢を限界に超えたようで、盛大にゴドーを威嚇し始めた。がるるると唸って腕の中でじたばたと暴れる。そのまま、ゴドーに飛びついて噛み付きそうな勢いだ。
「コ……、コラコラ!大人しくする!」
 成歩堂に注意され、表面上は大人しくなったミツルギ。しかしまだ喉の奥でぐるぐると唸っている。怒りは当然のように治まっていないみたいだ。
「図体の割には執着心は一丁前なんだな。ボウヤ」
 ゴドーは気を悪くしたでもなく、むしろ面白そうにそんなミツルギを眺める。大人の余裕、というヤツだろうなと成歩堂はそれを見て毎回思ってしまう。
「それに見合うように、他も伸ばすんだぜ」
 ゴドーの言葉に、ミツルギが小さく吼える。貴様に言われなくても解っている、というように。
 そう、ミツルギだって判っている。今の状態が試用期間だという事も。それがもうじき終わるという事も。
 自分が魔法を使えるようにならないと、成歩堂と離れてしまう事も、判っているのだった。
 そして、それを回避させる為なら何でも果たしてやるという覚悟だって。
 ぐるる、とミツルギは喉の奥で小さく唸った。


 夜の帳が下りた街を、ゴドーは1人歩いていた。呼び出されたのだ。
 送信者は成歩堂で、内容は相談したい事があるから千尋には言わないで来てくれとの内容だった。それに従い、彼は成歩堂のアパートへと向かっていた。
 鍵は開けてあるという。ミツルギが起きてしまうので、チャイムは鳴らさないでくれとの事だった。
 成歩堂の部屋の前に立つ。ゴドーにしれみれば、相手の姿を見ずに気配を探る何て事は、呼吸するくらい容易い。いや、魔獣は呼吸をしている訳ではないのだが。今から自分を出迎えようとしている存在に、クッと喉の奥を鳴らしてドアを開けた。
 と、小さいモノが俊敏な速さで自分に飛び掛ってくる。それを、まるで教えられた事のように、ゴドーはさらりとかわした。それは空中で姿勢を立て直して、すたっと地面に着地した。
 飛び出してきたのは、成歩堂ではなくミツルギだった。ご丁寧に、口にナイフを咥えている。そして、全身を毛羽立たせていた。唸る声は聴こえなくても、威嚇しているのが判る。
 自分にくれたメールを成歩堂ではなくミツルギが出したのは明白だった。こんな夜更けに成歩堂が自分を呼び出す筈が無いし、成歩堂の携帯を弄れるもう1人の千尋がこんな真似をする意味は無いからだ。だから、消去法でミツルギとなる。最も、ゴドーにはその理由も、根拠の無い予想ではあるが薄っすらと解っていた。
 ミツルギとしては、自分の策略とは言え、成歩堂の名で誘ったらのこのことやって来た自分がいよいよ危険だと判断したのだろう。立ち上らせる殺気には揺ぎ無い。自分で仕掛けたおいた癖に、勝手なヤツだ。しかし、そういうのはあまり嫌いでは無い。自分に正直なのは、いい事だ。
「……やるじゃねぇか。ちっこいの」
「……………」
 ぎろり、と魔獣の本性を隠さず、曝け出した双眸で見据えるが、ミツルギは怯まない。それが、ゴドーには面白い。
 にぃ、とゴドーが大きな犬歯を覗かせた。一歩二歩踏み出して、軒先から体を出す。
「いいぜ。だったら戦やろうじゃねぇか。――魔獣として、な」
 その言葉を合図に、ゴドーの体が変貌し始める。変わるというよりは、本来の姿に戻っているのだ。
 口が裂け、筋肉や骨が隆起する。背からは羽が生え、四足の獣の体になった。全体的に銀箔の体躯が、夜の闇にとても映える。美しい、とただ見ただけなら、そう讃える事は出来ただろう。だが、全身から発する荘厳なオーラは、気弱な人間ならその場で失神させてしまうくらい威圧感で満ちている。ミツルギも、初めて見る魔獣としてのゴドーに、初めて命の危険を感じる恐怖を覚えた。
 今まで怖いと思った事は、成歩堂から離される事だった。それだけが怖かった。何より怖かった。
 そう、今も。
 命を奪われる事より、引き離される方が、辛い。
 それを改めて認識し、一瞬座り込みそうになった足腰を叱咤してミツルギは臨戦態勢を整える。きっ、と眼力をこめてゴドーを睨んだ。
 ゴドーがクッと笑って空気を震わす。それだけでも、体に何かが重く圧し掛かってくるようだった。
 攻撃をしかけようとして、ミツルギは咥えていたナイフを落としていた事に気づいた。変身過程の姿に気負いされ、落としてしまったのだろうか。とんでもない失態だ。それを拾う隙を、ゴドーは見逃さないだろう。
 どうする。
 命の危険に瀕したプレッシャーを感じながら、それを回避する策を探す。精神の色んな所を酷使して、ミツルギは頭の熱が上がったような気がしていた。何だか視界も覚束無い。クラクラする。
『どうした。掛かってこねぇなら、こっちから行くぜ?』
 人型だった時とは違う、直接響く声。それに、ミツルギは、はっと我を取り戻す。
 そして。
「……ゴドーさん!?ミツルギ!!?」
 そのゴドーの声にか、あるいはその前に起きていたのか、パジャマ姿の成歩堂がドアから姿を現した。突っ掛けを履いて、駆け寄る。
 こっちに来てはいけないと、ミツルギは首を振った。成歩堂はそれを訝しんだ眼で見る。ミツルギが拗ねたりしなければ、こうやって成歩堂が来るのを拒む事なんて無かったからだ。
『まるほどう。悪ぃがここは人間の出る幕じゃねぇ。もう一度布団の中に戻りな』
 魔獣の姿になっているからか、その声色で推し量ったのか、成歩堂は今のこの状態がとても危険なものであると判断した。ごくり、と生唾を飲み込む。
「ミツルギ……が、何かしましたか?」
 ミツルギの寝る場所は、自分とは別に設けている。とは言え、すぐ傍らだが。ミツルギが主張した事なのだが、眠りについてややすれば、寝惚けているのか成歩堂を探して、結局は同じ布団内に収まってしまう。そうして、どうして自分は此処に居るのだ、ときょとんとするのが朝の恒例だった。
 普段、成歩堂が転寝状態で眠りに落ちる前くらいには、ミツルギがごそごそとやって来るのだ。今日はそれが無いな、と思って不思議に思い何となく目を開けたらミツルギが居る筈のバスケットはもぬけの殻だった。
 すぐに状況が掴めなくて、でもとりあえず探さなければと起き上がった所にゴドーの声が響いたのだ。
 成歩堂の問いに、ゴドーはにやりと笑った。残忍な笑みだった。
『コイツが俺に喧嘩を売ってきたんでな。それを買ってやるところなのさ』
「喧嘩……どうして……?」
 いつものように、ミツルギがゴドーに唸って威嚇を飛ばしたのだろうか。時間帯の異質さを欠如させて、成歩堂はそんな事を考えてしまったが、ミツルギの傍に落ちているナイフ、勿論自分の家の物だが、に気づき、ミツルギが売ったという喧嘩がシャレで済まされないものなのだと瞠目した。
『どうして?……倒したい相手に勝ちたい理由は、いつだってひとつきりだぜ。まるほどう』
「え……」
『強くなりたいからさ。それだけだ』
「強く……… って、まさか……!」
 意味する所が判った成歩堂が目を見開く。それを増徴させてやるように、ゴドーがあえて口にした。
『手っ取り早く魔力を増やす方法は、生き血を飲む事だからなぁ』
「ミツルギ……!」
 呼びかけても、ミツルギは成歩堂を振り返らなかった。ゴドーへ攻撃するチャンスを窺っているのが判る。
「ミツルギ!」
 ミツルギからの反応を待ってはいられなかった。成歩堂は駆け寄り、小さな体を抱き上げた。攻撃態勢に入っている魔獣を前にして、無謀とも呼べる行為だった。当の成歩堂は、構ってはいられなかった事だが。
 あっさり捕らえられてしまったミツルギは、離してくれやり遂げなければならない事なのだ、と手足をじたばたさせたが、それごとぎゅうと抱き締められた。
「お前、こんな……何てこと……!」
「…………」
 成歩堂の声が、震えている。
 他者を傷付けたり。傷付けさせたり。成歩堂がそういう事を嫌うのだと判ってはいるのだが、それでもしなければとミツルギは思ったのだ。
 早く使えるようにならなければと焦る気持ちはある。なのに、発動出来ないのは単に魔力が足りないからではないかと、そう結論を出したからだ。大きな魔力を蓄えた魔獣が近くに居る事だし。……そいつは成歩堂を狙っているし……
 成歩堂は、ミツルギに言いたい気持ちを一旦堪え、ゴドーに向き直った。
「……すみません。僕がキツく言い聞かせておきますから……」
『まるほどう』
 他に何も言われて居ない。ただ、呼ばれただけなのに、その声に圧されて成歩堂が戦いて止まる。
『俺は優しいから、もう一度言ってやるぜ。……引っ込みな。この場はもう、魔獣の領域だ』
 人の居ていい、場所ではない。
「っ…………!」
 首筋に刃を突きつけられたような寒気が襲う。それがミツルギにも掛かっていないかと、抱きかかえる腕に力をこめた。
 ゴドーは、引き下がるつもりは無いようだ。四足に力を込め、いつだってこっちに飛び掛る準備をしている。……何より、纏わせた空気が殺気と呼ぶに相応しいものだった。
(……ダメだ……)
 ここで本当に引いたら、ミツルギはゴドーに殺される。それは、摂理として仕方ない事かもしれないけど。
 ぐ、とミツルギが硬直した腕から抜け出そうとする。それを阻止しながら、成歩堂は言う。
「……お言葉ですが、ゴドーさんとも在ろうものが、こんな魔法もつかえない仔を倒した所で何の得にもならないんじゃないですか?」
 ゴドーのようなタイプは、あえてプライドを擽るような挑発的な態度を取った方がいい。謙ってしまえば、そのまま圧されて潰されるだけだ。
『…………。クッ………!』
 いつものように喉の奥で笑い、ついで響き渡る哄笑を迸させた。
 その声を浴びて、まるでびりびりと弱い電流が体の表面を滑っているようだった。嫌悪感とも恐怖感ともいえない感覚が、成歩堂から冷静さを奪う。それでも、こんなに大声を立てているのに、誰も何も出てこないのを頭の隅で不思議には思う。恐らくは、ゴドーが何かしら仕掛けたのだろうけども。……だとしたら、第三者の加入で事をうやむやにされる事も出来ない、という事か。
 一通り笑いつくした後、ゴドーは真っ赤な双眸を成歩堂に当てる。びくり、とその体が戦慄いた。
『あんた、かなり愉快な勘違いしてるぜ。相手がどうであろうと、そんなは関係ねぇのさ。肝心なのは本気かそうでないかだ。そいつは本気で売ってきた。だから、俺も本気で買った。それだけの事だ』
「でも……!」
『そいつは血を賭けて挑んできた。だから、どっちかの血が流れなければ、もうこの場は治まらねぇんだぜ』
「………でも………っ!」
『魔獣の理に足を突っ込んだ人間の末路……身をもって知りたいのかい?』
「――――っっ!」
 自分ひとりだったら、その一言で崩れ落ちていただろう。
 けれど、ミツルギが居る。ミツルギを守らないと。
 例え仮だとしても、自分はトレーナーだから。
 いや、それを抜きにしても。
 生きていく上でそういう厳しさは知らなければならないと思うけど、今はまだ、こんな幼いうちは楽しい事をまず覚えて欲しい。
 生きる事は楽しいし、それを共有出来たらもっと楽しい。そして、それは多ければ多いほど幸せになれる。それを知りえたら、自分以外でもきっと関わろうとする存在が増える。
 せめて、そうなってからで。
 ……そう思っていたのに、どうしてこんな事になっているんだろう。
 成歩堂はゆっくりと、ミツルギの頭を撫でた。
(ごめん、な……)
 意図して言った事はないけど、知らずミツルギを追い詰めるようなセリフを自分は言ってたのだろう。だから、こんな暴挙に出たのだ。
 だったら、その後始末は自分が拭わなければ。
「……ゴドーさん」
『何だい』
 覚悟を決めたら、もう体は震えない。成歩堂ははっきりした発音で言った。
「ミツルギの代わりに、僕の血をあげます。だから、それでこの場は終わりにしてください」
 腕の中のミツルギが、ばっと自分を見え上げたのが判った。
『本気か?』
 ゴドーが言う。
「ええ。確か、僕の魔力は綺麗だと言ってましたね?なら、未熟なミツルギのより価値があるんじゃないかと」
『…………』
「それに、血は取るけども死ぬって訳じゃないんでしょ?」
 今の言い方は投げやりだったかな、と成歩堂は思った。けれど、ある程度自棄にならなければ、こんなセリフは言えない。
『…………』
 ゴドーは口を真一文字に引き締めた。考えて居るようだ。
 その間、ミツルギは成歩堂のパジャマを引っ張る。何を馬鹿な事を、と自分を責めているのだろうか。
(馬鹿な事なんかじゃないよ……)
 そうだ、何だかんだ言って、結局は。
 自分も、ミツルギと一緒に居たい。
 それだけなんだ。つまりは。
(だからこれくらい何でもないんだよ?)
 にっこり、と微笑むとミツルギの動きが止まる。凝固して、ただただ自分を眺めていた。ミツルギは何かと自分をじ、と眺めるのが常だった。傍に居てくれるのが幸せ。そう言われている様で、いつもくすぐったくて、嬉しい。
(だから、いいんだ)
 ぽんぽん、と和ませるように背中を叩く。ミツルギはまだ動かない。
 その時、ゴドーがまだクッと笑った。
『いいぜ。……交渉成立だ』
 果たして、マンティコアはどのように血を採るのだろう。吸血鬼なら判るんだけどな、と成歩堂はぼんやりと思った。
「――――ッッ!!!」
 ゴドーの声に、ミツルギの目が見開かれた。
 そして。


 ふと気づいたら。
 成歩堂は空を飛んでいた。
(夢?)
 一瞬、そんな事を思ってしまった。
(そういえば、いつだったかゴドーさんが空を飛ぶ夢は欲求不満だとか言ってたなぁ……)
 ああいう事ばっかり言うんだから、とぼやいてはっと我に返る。
 そうだ、ゴドーだ。ミツルギは。自分は、どうなったんだ?血は採られたのか?
 色んな事がぐるぐると羅列していく。
 その中で、ふと空を飛んでいる事を思い出した。
 飛んでいるというか……何か、担ぎ上げられた状態で宙を高速移動しているというのか……
 夢かと思ったが、夢ではないのは頬に当たったり耳を過ぎる風の感触が証明している。そして、運ばれているというのも確かなようだ。何か、凄い無理のある格好で抱えられているけど。肩に担がれている?
 段々と正常に働く思考の中で、一体誰が自分を担いでいるのかを探った。
「……………。ミツ……ルギ………?」
 そう判断した事に、根拠は何も無い。でも、自分を抱える腕があまりに必死で、それはまるでミツルギが自分に縋った時のと全く同じだったから。
「ミツルギ?ミツルギなのか?ねぇ!?」
 自分で言いながら、それが間違いないと揺るがない確信へと変わる。やっぱり、根拠や証拠は無いけれど。
 そして、自分の現状も思い知る。
 肩に担がれたまま、何とこともあろうに建物の屋根から屋根へと移動しているのだ。かなりの高速で。まるで忍者かスパイダーマンの如く。
 真宵だったらあるいははしゃぐかもしれないが、生憎成歩堂は高所恐怖症だった。こんなものは拷問に近い。ゴドーと対面した時とは違う意味で、血相を変えた。
「ちょ、ちょっと待って!ストップストップ!!ミツルギ!!お願い、止まってぇ―――――ッッ!!!」
 いっそ悲痛とも呼べる声を叫んで、ミツルギの耳にそれが届いたのかようやく止まった。
 どこのビルの上だろうか。周囲の地理は自分の範疇を超えているようだ。どのくらい、ミツルギは自分を担いで移動したのだろう。
「ミツルギ……?」
 おそらくミツルギであろう者は、自分をそっと地面に降ろした後、肘をついて半ば崩れ落ちた。
「ミツルギ!」
 慌ててその体を支える。
 やや半信半疑だったが、よく見てみれば見るほど、これはミツルギなのだと確信する。自分と同じくらいの年の成人となったミツルギは、ちょっとばかり自分より体格がいいようだ。真っ白なゴドーとは違い、灰色がかかった髪もミツルギそのものだし衣服の色もミツルギと同じだった。
 何より、覗き込んだその顔が。
 今は青年となっているのだから、それに見合うように精悍な顔つきとなっている。す、とした鼻筋や切れ長の目は眉目秀麗に恥じないものだった。しかしその顔は、今は息も絶え絶えに肩を大きく上下させ苦しそうに顰めている。本当に、苦しそうだ。
「ミツルギ!大丈夫!?どうしたの!?」
「………、…………、……………」
 ある程度落ち着いてきたミツルギは、ふと顔を上げた。疲れ果てた辛そうな表情で、しかし成歩堂が確認出来た事に嬉しそうに顔を綻ばせる。その顔に、成歩堂は一瞬気遣う気持ちも忘れて何かがぱん!と破裂したような心地になった。そして、何だか頬に熱が集中し始めているような気がする。
「…………。成歩堂」
「っ!」
 うわ、喋った!と慌てふためく成歩堂。発せられた声は心地いいような低さで、耳から全身をじんわりと浸す。もっと聴きたい様な、そんな気持ちにさせた。
「成歩堂………」
 その言葉しか言う事が出来ないのか。ひたすら繰り返し名前を呼んで、ミツルギは朱に染まっている成歩堂の頬に手を伸ばす。そ、と両手で掴まれて、成歩堂はびく、と体を揺らした。
「…………?」
 その拍子に閉じてしまった目を恐る恐る開けて見れば、ミツルギが真剣に、そして不安げに自分を見ている。何かを探しているのか。
 頬にあった手は、肩から腕を摩るように降りる。とても慎重な手つきで。
 その行動に、もしかして、と意図を予想した。
「怪我……してないよ。大丈夫」
 真っ直ぐに双眸を見詰め返して、ゆっくり言い聞かせた。僅かにミツルギの眼が揺れる。
「…………」
「本当に」
 暫く、いつもするようにじぃ、と見詰めていたミツルギはその言葉に安心出来たのか目を細めて微笑む。至近距離で目撃してしまった成歩堂は、また言葉が胸に詰まったようになってしまう。顔だけが素直に反応を示していて、とても熱い。
 微笑むミツルギはそのまま目を閉じて――前のめりに、成歩堂の胸に倒れこむ。
「わ、……わぁ?」
 その途端、ミツルギの体が光に覆われて、その粒子みたいなものが空中に霧散していった。それが消え去った後には、小さな魔獣のミツルギが腕に居た。
「ミツルギ……」
 熟睡を通り越して気絶しているようにも見えた。とりあえず、と顔を撫でてやる。いつもなら寝ていて意識がなくても、その手に擦り寄るような素振りを見せるのだが、今はそれすら無かった。
 あまりにぐったりとしているので、段々不安になってきた。このままにしておいてたら、いけないような気がする。
 千尋に相談しようにも、ここには携帯電話も無いし、そもそも何処なのかが判らない。一度地上に戻らなければ、と思い自分がパジャマ姿なのを思い出した。家に帰るまで色々苦労がありそうだ。今からそれを懸念する成歩堂に、ばさりと羽ばたく音が聴こえた。
 その方向を窺う前に、それが眼前に降りてきた。
 ゴドーだった。
『やれやれ。急に飛び出すもんだから吃驚しちゃったぜ』
 ちっとも吃驚していない素振りで言い、成歩堂の前へと降り立った。ただえさえ暗い夜の中、更に闇が覆いかぶさる。。
「ぁ…………」
 そうだ。自分は血を与える約束をしていたのだ。一度決めていた覚悟を忘れていたからか、身体に痛みを負うだろう恐怖に身が竦む。
 でも、自分は決めた事だから、と逃げ出さずにゴドーと向き直った。そんな成歩堂に、ゴドーは笑った。いつもの笑みだった。
『そんな緊張するな。血はとらねぇよ』
「えっ……でも、さっき……」
 戸惑いを隠せないで成歩堂は聞き返した。ゴドーはしれっとした顔で言う。
『ああいう切った張ったは性に合わねぇのさ。もっと気楽に行かないとなぁ、まるほどう?』
「はぁ………」
 その方が勿論自分としてはありがたいのだが、決死の覚悟で決めた事が無駄打ちに終わったような気になってしまい、なんとも複雑な心境だった。
『そいつが俺をおびき寄せたのは、生き血を啜って魔力を上げたいからだってのは判ったからな。血はやれねぇが、その決死の心意気は買ってやろうとひと芝居売った訳だ。どうもアンタは、そいつに負荷を与えるのがヘタクソみたいだからな』
 にやり、と笑う。
 眠る魔力を目覚めされるには、適度なストレスを与えるといいとされている。そこから解放したいと押し返す力が魔法を発動させる引き金になるからだ。先日、成歩堂がミツルギを結界に閉じ込めたのも、この方法の内だ。……成歩堂の場合、見事にそれは失敗した訳だが。
「うぅ………」
 自分の未熟さを突きつけされ、成歩堂は縮こまって唸った。
 その後、家に帰る為にミツルギを抱え、ゴドーの背に乗った。落ちる心配は無いのだろうけど、やっぱり上空の眺めは成歩堂の心臓によろしくない。
「……一体、どこまで来ちゃったんだか……」
 早く家に着いてくれ、という思いがそんな事を言わせた。
『結構、来たぜ。まぁ、新幹線一駅分は軽いな』
 成歩堂の呟きに、ゴドーは丁寧に答えてやった。おそらく、時間はそんなに経っていないと思う。速いと思っていたけど、そんなに速かったのか、と感心してしまった。
「あの、」
 と成歩堂は改めてゴドーに話し掛ける。
「ミツルギが、さっきからピクリともしないんですけど……大丈夫、でしょうか……?」
 魔性の存在は屍を残さない。だから、こうして存在している以上は死んでいないという事なのだが、どうも心配だ。
『ああ、多分平気だと思うぜ』
 ゴドーは結構簡単な素振りで答えた。不安を払拭させる為にだろう。
『俺も、初めて使った時はいつどんな場面かは忘れちまったが、その後物凄く疲れたのは覚えている。
 そいつは結構な無茶してくれたからな。2,3日は寝込むかもしれねぇ』
「2,3日………」
 その期間は別の不安を齎した。期限内に、ミツルギは目を覚まさないのではないか。そうなれば、解除されしまう。
 特例は認めない。冥の固い言葉が過ぎった。
『いい加減安心しろよ。試験の事なら大丈夫だ。そのちっこいのが変身魔術と肉体強化を図ったのは俺が記録として留めておいたからよ。それを提出すりゃ、実演させなくても試験はオッケーだ』
「えっ、そんなのでいいんですか!?」
『アンタは学ぶことが多そうで大変だな』
 大袈裟に驚く成歩堂に、ゴドーはクック、と笑った。成歩堂が居心地悪そうにする。
「何か……厳しいのか易しいのか、よく判らないな……」
 ぶつぶつと成歩堂は不平を漏らした。いつもの調子が戻ってきたな、とゴドーは思う。
『落とす為に試験をする訳じゃねぇのさ』
 静かな口調でゴドーが言った。
『なぁ、まるほどう。使い魔と承認するのに仮期間を設けて、その間に試験をパスしないと強制解除させるのを、アンタは慈悲が無い仕打ちだとか思うか?そんな仕組みも、それに従うトレーナーも』
「…………。しないと言ったら、嘘になりますかね」
 予想通りの答えだったから、ゴドーは笑みを押し殺した。
『魔力が互いに干渉して影響を及ぼす事くらいは、アンタも知ってるだろう』
「はい」
 と、成歩堂は頷きつつ返事した。
『俺たちはアンタらより何百倍の魔力中枢で成り立って生きている。それが及ぼす影響も半端じゃねぇのさ。だから組み合わせってヤツに特に慎重にならなくちゃならねぇ。
 影響した結果、相乗効果があればいいんだがな、現実はその逆の方が多いって事だ』
 元々、存在自体が大きくかけ離れているのだ。一緒に居ようとする事ですでに無理が出ているのかもしれないな、と成歩堂は思った。
『最悪な場合だと、魔法が全く発動出来なくなるっていうのもある。それを避ける為の仮期間だ。3ヶ月なんてのは、実はかなり譲ってるんだぜ。一週間もあれば、本当は判断するには充分だ。
 でもな、やっぱりコイツがいいと選んで仮申請するから相性が悪いからって諦めきれないヤツも居る。それを納得させる為の、3ヶ月なんだよ』
「……………」
 そうだったのか、と胸中で呟く。
 この世界に足を突っ込んで間もないから、そういう事情にはまだ疎かった。
『魔獣が魔法を使うってのは、馬が走る事とか、鳥が飛ぶ事のと同じだ。それが出来なけりゃ、死ぬか存在意義を失う。
 少なくとも魔獣をパートナーにしたいって思うヤツは、魔獣をそんな目に遭わせたくないだろうよ。だから皆、試験に落ちれば相手を替えていくんだ』
 そうゴドーに言われて、成歩堂はこの時ようやく、あのミツルギを渡された日の冥のなんともいえないような表情の意味が判ったような気がした。他に誰に懐くかも判らないミツルギを、冥だって手放したくはなかったのだろう。しかし、あのままずっと居てもミツルギが魔法を使えるようになる確証は無い。だったら、一か八かでも相手を変えた方がいいと、可能性を賭けて自分に託したのだ。
『それに、晴れてトレーナーを見つけりゃそれと相談して元のトレーナーに会いに行く事だって出来るんだ。別に今生の別れでもねぇ。
 まぁ、それでもやっぱり、守りたいと思った相手の傍に居る事の方が、よっぽどいいけどな。
 だから、運が良かったんだろうぜ。そのちっこいのはよ』
「………。はい」
 成歩堂は腕の中のミツルギを、あまり力をこめないようにぎゅ、と抱き締めなおした。
(ミツルギ、正式に使い魔になれるんだよ。もっと一緒に、居られるんだよ)
 相手に意識が無いと判ってはいるけど、呼びかけずには居られない。言葉で言うかわりに、何度も何度もさらりとした手触りのいい髪を撫でてやった。


 後日、ゴドーが撮っていた映像のCDを提出すれば、実にあっさりと正式な申請が認められた。あれだけすったもんだしたというのに、やや拍子抜けのような気もするが、それも受かったから思える事だろう。
 その後無事ミツルギも眼を覚まし、これで弁護士業が再開出来るぞ、と成歩堂はにわかに張り切ってみた。そして今日がその第一日目。気分新たにスーツを着こんでネクタイ締める。ネクタイと一緒に、気持ちも引き締まった。
 玄関口で、靴を穿く。その背後に、ミツルギは待てと言われてないのに佇んでいた。
「じゃ、ミツルギ。行って来るからね」
 屈みこんで頭を撫でる。それと連動するように尻尾が揺れる。
「冷蔵庫に紅茶のプリンがあるから」
 魔獣にとっては食物は嗜好品のようなものらしい。不可欠でもないが、あったら生活に潤いが出る、というようなものだ。例えばゴドーはコーヒーばかり啜っている。
 じゃあね、と軽く頭を叩いて、成歩堂は手を振ってドアを閉めた。
「……………」
 残されたミツルギは、その閉じたドアをじぃ、と眺めていた。
 やや経ってもまだ眺めていた。
 暫く経っても、眺めていた。
 まだ眺めている。
「……………」
 ガチャ、と。ドアが開いた。
 ドアを閉めたものの、残したミツルギが気になって魚眼レンズから成歩堂は覗いていたのだった。で、自分が立ち去ったドアをいつまでも寂しそうな眼で見詰めているのに耐え切れなくなった訳で。
「ミツ、」
 名前を全部言い終わる前に、ミツルギが飛びついた。恐らく、何も考えずに反射神経で飛びついているのだろう。ひしぃ!とすがり付いているのだって、自覚があるのかどうか。
「……………」
 こんな状態の仔を、成歩堂が置いていけるかと言えば。
 無理だった。
 おやつのプリン持参で事務所に行く事にし、それを皮切りに何かと過保護だとゴドーやら真宵にやんやからかわれる訳だが、それはまた別の話。




<おわる>

ミツルギオンを出せる話が何か作れないかな!と思ってこんな感じになりました!なってしまいました!!
てかミツルギ喋らねーーー!!
今回1ページでどれだけ長くぶっこめるか!?といらん挑戦をしてみました。次はもうちょっと区切ろうと思う。
えっ!次あるの!?(どうだろう!)