可愛いベイビー



「おはよー」
 と、法介はその日。いつも通りにドアを開けつつ挨拶しながら事務所へとやって来た。
「っあー!オドロキさん!開けちゃだめです!!」
 しかし、法介の声に返ったみぬきのセリフはこんなので。疑問に思いながらも、法介はドアを開けた。かなり強力な静止が入らなければ、無意識で行う行動は制御出来ないものだ。
「へ、何が……
 ズドン!!
 法介の頭ぎりぎりに、何やら小さい矢のようなものが掠めていった。矢なんて、やーねぇ、とか冗談も飛ばせない。
「………………」
「もう!だからダメって言ったじゃない!」
 みぬきは硬直している法介を気にも留めずにスタスタと通り過ぎ去り、後ろの壁に突き刺さった小さい矢を回収した。ぷんすか怒りながら。法介は怒るべきなのは無意味に狙撃されかけた自身だという事実に気づくのに、かなりの時間を要した。我を戻すために。
「みみみ、みぬきちゃん!何だよソレは!?」
 法介は法廷でするが如くに人差し指を突きつけた。ただし、恐怖の為にブルブルガタガタと震えながらなので、指先が焦点に合って居ない。
「そんなに驚く物でもありませんよ。ごく一般的なボウガンで」
 みぬきが淡々と説明する。
「ボウガンとしては一般的かもしれないけど、そもそもボウガンが一般的じゃないよ!」
「オドロキさん……自分の常識で世の中を計っちゃいけまえんよ」
「何ゆっくり諭してんだよ!!そういう深い話してるんじゃないんだよ俺は今は――――!!」
 法介は今はどうして自分が命を狙われかけたのかと問いたいのだった。
「ああ、安心してください。別にオドロキさんの命狙おうって訳じゃありませんから」
 みぬきが呑気に手をパタパタさせ、言う。法介はそのセリフを信じていいのか、彼女の手にある物的証拠(ボウガンの矢)を重視すべきか、かなり迷う。
「……じゃあ、誰にだよ」
 これは訊くべきだろうと思い、訊いてみる。訊いた後の仕打ちを若干覚悟しながら。
 すると、みぬきは何とも面白く無さそうに、唇を尖らせた。
「……もうじき、判りますよ。もうすぐ来るんですから」
 まぁ、だからすでに用意されてたんだろうな、とは思う。しかし自分が来るまで待てなかったのか、あるいは自分と言う存在が彼女から欠如されてしまったのか。どっちにしろ悲しい結果だ。
「それでさ。どうして矢が赤い訳?」
 法介は一般的なボウガンは知らないが、矢が赤いのはおそよ一般的では無いという見解を持った。赤色がデフォルトなのは消防車か郵便ポストか自分くらいなものだろう。
 この質問には、みぬきはちょっと得意がって答えてくれた。自分の工夫をお披露目したいのだろう。
「これはですね、いわゆる仕様、ってヤツですよ!」
「……仕様?」
「はい!例えば軍服を斑模様にするような………」
 説明しながら、みぬきの意識が別の所に集中したようだった。
 しかも。
 法介にとっては歓迎できないが、どうやらみぬきは法介に注視しているようだった。
 早速嫌な予感がした法介は今にでも帰りたくなったが、そうしたらもっと最悪な事態が待っているのが予想できたので留まることを選んだ。それに、、まだ成歩堂の姿を拝んでいないし。
「……みぬきとした事が、どうして気づかなかったんだろう!!」
 みぬきは感極まるように言った。相変わらず自分に視線が注がれているので、法介は何時ムチャ振りされるのか、解ったものではない。
「オドロキさん!!」
 と、みぬきは法介の両手を縋るように掴んだ。
 通常ならこのくらいの年齢の少女に信頼を寄せられるというのは悪い気はしないものだが、悪い気しかしないのは何故だろうか。
「これから来る人に、そっと背後から近寄ってあの置き物にしか見えない考える人を模した時計を後頭部に思いっきりやっちゃってください!」
「……ごめん……オレ、成歩堂さんの過去の裁判記録見たから、あれが過去二回に渡って凶器になり得ると実証されたのを知ってるからさ……」
 君の願いは叶えてあげられない。法介は視線を逸らして言う。
「大丈夫!その人、多分オドロキさんの姿を確認できないと思いますから!」
「出来れば大丈夫は計画の遂行じゃなくて、オレの未来の保証に掛けて欲しいんだけど」
「最悪、死ななくてもいいですから!」
「いやいや最悪なのは死ぬ事だろう!てかどうしてオレをそんなに犯罪者に仕立て上げたいの―――!!」
 そこまで理不尽な真似をされる覚えは無い筈だ。……少なくとも、今日はまだ。
「ちょっと落ち着いてよみぬきちゃん!今日はまたどうしてそんなに直接的なの!!」
 とりあえず、法介はその違和感が引っ掛かった。
「普段のみぬきちゃんなら、こんな堂々とあからさまな手段は取らないで、影からそっと闇討ちするような方法を取るはずだ!こんなの……みぬきちゃんらしくないよ!」
 今のをフォローとして言ってるとしたら、問題があるのはみぬきではなく法介のような気がする。
「……手段を選んでられない相手なんですよ、オドロキさん……!!」
 年下の女の子でも、本気の怒気と殺気をまとって睨まれると怖いものがある。なので法介は怖いと思った。
 と、その時。
「やあ、オドロキくん。来てるね」
 いかにもひょっこり、といった具合に成歩堂が顔を出した。
「ああ!成歩堂さ………ん?」
 助けて下さい!という痛切なセリフが引っ込んだのは当然訳がある。
 成歩堂の後ろに控えている人が居たからだ。
 かなり長身な男性だ。髪は見事に真っ白だが、歳を召しているというよりは染め上げているという印象を受ける程に、漂うオーラが強い。
「あーん、もう!来ちゃったよ――――!!」
 法介の背後で、悔しがるみぬきの声がした。地団駄でも踏んでそうだ。
「みぬき。また神乃木さんを引っ掛けるトラップでも仕組んでたのかい?」
 成歩堂が苦笑いしながらみぬきに声をかける。
「いや、あれは引っ掛けるとかそんな生易しいものじゃなくて、明らかに命狙って……って、恒例行事ですか。コレ」
 今の法介もある意味ノリ突っ込みと言えなくも無い。
「ま、それはさて置き」
「置いちゃうんだ!?」
 法介の瞠目したツッコミを置いて、成歩堂はマイペースに進めて行く。
「こちら、僕の古くからの知り合いなんだ。オドロキくんに紹介したくて」
「え、……オ、オレぇ?」
「うん、会いたいって前から言ってたし」
 今は暇だし、と付け加えた。
 成歩堂が法介に彼を見せるように、一歩右に出た。空いたそのスペースに、男が身を乗り出す。
「神乃木荘龍。またの名をゴドーだ。よろしくな、デコッパチ」
「…………すいません。たったこれだけのセリフでオレの全身全霊が関わりたくないと告げています……」
 何で神乃木荘龍のまたの名がゴドーなんだよぉぉぉぉぉぉと突っ込みしたくても出来ない法介だった。
 動かずに悶える法介を、成歩堂はにこにこして受け流す(←受け流すのか)。
「まあ。そう言わないで。見た目ほど悪い人じゃないからさ」
「覆すほどの善人でもないんですね?」
「クッ……言うじゃねぇか」
 背後から襲い掛かるような声に、法介がビクッと戦く。その声は、神乃木の声だ。太く響く重低音の声は、法介になじみが薄い。成歩堂も響也も、そして牙琉もこんなには声は低くないから。
(やばい!怒らせたかな……)
 何せ相手は自分より頭一つ半はあろうか、という男性だ。自分より大きなものに遭遇すれば、怖いと思うのが必然だ。まぁ、みぬきは自分より低いがやっぱり怖い。
 あの腕で殴られたら吹っ飛ぶかもしれない。あわわ、と身構えるが、拳は飛んでこない。
 色がかかってやや目が伺い憎いメガネの向こうの双眸は、何だか悪戯な光を宿していた。口元も、笑みのように釣りあがっている。
 どうやら、怒っては居ない……ようだが。
「………………」
 あの、とか。何ですか、とか。言うべきなのだろうけど、何となく言えないで居る。
 声をかけたついでだ、と言わんばかりに神乃木は法介をじろじろ見た。見てますよってのが判るくらい見た。とにかく見た。
 何か鑑定家に品定めされているようで、酷く落ち着かない。不躾ではあるが、悪意や邪推が無いせいか耐えられない程でもなかった。
 やがて満足したのか、神乃木がかがめていた腰を伸ばした。法介の顔を覗きこむのに、神乃木の背では屈む必要がある。法介が自分の身長にコンプレックスを感じるのはこんな時だった。
(それにしても、何だったんだ)
 気が済んだのなら目的や用途でも言うべきだろう、と思いながらただ相手を見詰める。
 と、神乃木がその視線を受けてニヤリを笑う。大人の男の笑みだ、と思った。
 しかし神乃木は法介ではなく、成歩堂へと顔を向け、言葉を吐いた。
「ようやく、生まれたみてぇだな。9年間も大事に胎の中に納めやがって」
「へ?生まれ……?」
「ああ、この人変な例え言うから。あんまり気にしないで」
 成歩堂が半眼で言った。
 気にしないで居られる筈も無いが、それ以上に成歩堂が掘り下げてくれるな、と言っているのがひしひしと伝わったので法介も何も言わない。
「事実から目を背けちゃいけないな。まるほどう」
(ん?まる……?)
 聞き間違いか?と法介は首をひねった。
 揶揄されるように言われたセリフに、成歩堂は頬を染める。それを見て、法介は名前の呼び間違い云々なんてすっ飛んだ。
「オドロキくんに会いたいっていうから何かと思えば、まだそれに拘ってたんですか?」
「一度決めた事は最後まで通す。それが俺のルールだぜ」
「全く、もう…………」
 やってられない、というように成歩堂が口を噤んだ。こんな成歩堂も、法介は始めて見た。
(…………。何て言うか、これは……)
 およそ自分にとって面白くない展開、というか危機感を覚える場面だろう。
「………みぬきちゃん………」
 法介は成歩堂たちからやや離れ、みぬきにそっと耳打ちした。
「あの人、成歩堂さんの何?」
「……知り合いって言うのは本当ですよ。だけど、パパのお師匠さんの恋人だったんですよね」
「何そのとんでもなく危険なポジション!」
 法介はあまりの事に目を見開く。
「でしょ!?これはもう、排除するしかないでしょ!?」
 みぬきは拳を作って主張する。
「うん。そう思う。でも、出来ればオレを犯罪者にしないで欲しいんだけど」
「オドロキさん……人は本当に欲しい物を手に入れる為に、色々と何が捨てなくちゃならないんですよ?」
 だから、それにオレの将来を捧げるのは勘弁して欲しいんだけどな、と思う法介だ。
 何て具合に二人が意気投合(?)しているのを、成歩堂はちゃんと判っていた。
「うーん、さすがみぬきの兄、と言うか何と言うか……」
「面白いじゃねぇか。どこまで相手になれるか、楽しみだぜ」
「神乃木さんも、楽しまない」
 成歩堂がとっと突っ込む。
「つれない事言うなよ。千尋とアンタの子なんだからよ。色々ちょっかい出したいじゃねぇか」
「…………。だから…………。みぬき達の前では、そういう事言わないで下さいよ」
 言い直させるのを諦め、成歩堂は投げかけるセリフを変えた。
「ようやく歩き方覚えた所って感じだな。これから、躓いてコケる事ばっかりだろうぜ」
「ええ……そうですね」
 返事しながら、成歩堂は法介の方を眺める。
 その顔はすっかり導く者の目で、法廷の助手席で成歩堂に助言を与えていた千尋と被さる。
(弁護の仕方が似ていたんだから、導き方も同じ、か………)
 そんな当たり前の事を、突きつけられて実感した。
「………神乃木さん?」
 見ている事に気づかれたようだ。まぁ、隠しても居なかったのだから、彼が気づくのは当然だろうけども。
「いや………」
 適当に誤魔化そうとしたが、それより良い文句を思いついたので、不敵に笑って告げてやる。
「第二子は何時だろうな、って」
「なっ………!」
 顔を赤らめて言葉を詰まらせる。うらぶれたポーカープレイヤーを装っていても、こういう事にまだ慣れないようだ。
「可愛いコネコちゃんの可愛いベイビーは、多い方がいいだろう?」
 だから頑張りな、と無責任に言い放つ。成歩堂が何か言いたげに、しかし睨むだけで終わらせた。神乃木はその笑みを受けてクツクツと喉で笑う。
 今となってはもう、千尋とより成歩堂と過ごしている時間の方が長いが、それでもそんな事をあまり感じさせずに過ごしてきたのは、彼が千尋の面影を濃く残しているから他ならない。それを嬉しくも思う。人なんて無力なものだから、どんなに強い感情でもその対象が目の前に居なければいつかは風化して、完全に忘却してしまうかもしれない。けれど、神乃木は僅かながら彼女と過ごした時間の大部分を思い出として記憶に留めている。
 おそらく、成歩堂以外であったなら、こうまではいかなかっただろう。そういう意味で成歩堂に感謝したい。変な所で意固地な自分は、そういう感謝の言葉がまだ言えないで居るが。
「……ですから、そこでオドロキさんが後ろからガツーン!と……」
「だからさ。そういう物理的な攻撃でしかもオレを使うのは止めてくれない?」
 そこからやや離れて、異父兄妹は怪しげな計画を練っていた。




<おわり>

てことで神乃木さんとホースケのご対面ですが、神乃木さんとしては千尋さんと成歩堂の子供(ホースケ)を見に来た感覚なので保存はチヒロなんですねー!まぁ、前アップした「未だ亡くならない人」の続編つーか。
てかミツルギとホースケは会いそうで会わないなぁ。
成歩堂に負担が増えるのが目に見えているから何となく避けちゃうっつーか。
子供2人の相手はキツいよね!!