年下の彼氏。
成歩堂は、自分は平凡な容姿をしているくせに(ただし髪型は除く)その人生は波乱に満ちているな、と自覚している。
お父さんて大変だな、と裁判で嘆息した2年後にはそのお父さんになっているし、そもそも役者志望から弁護しての転身からして普通とはかなり異なるだろう。
そのまま自分を導いてくれるのだろうな、と思っていた師匠とは初の公判を終えて早々死別してしまい、やっと再会した友人は失踪した(そして再び現れた)。
大学の時に出来た彼女には殺されかけたし、その彼女が後々さまざまな人物の運命を巻き込む事件の要になるだなんて、あの時も、その直前ですら、一体誰が想像出来ただろう。そしてその事件の解決の後に、成歩堂はバッジを失った。千尋から太鼓判を貰って2カ月もしない内だった。
ここまでの人生だけで、これを映画化するとしてもどんなに優秀な監督であれ2時間でまとめるのは骨だろう。
しかも最近、また大きく劇的な突然変化が成歩堂を襲った。
他と違うのは、その「変化」は成歩堂と当人だけが知っているという事だ。
つまり、二人きりの秘密、という訳で、それをとても成歩堂は気にっている。
11歳年下の、可愛い彼氏が出来た。
最初から嫌な予感はしてたんだよなー。とポーカーフェイスに集中しながら成歩堂は思った。
どれかと選べば、御剣でも霧人でもなく、神乃木系統のワイルドな色気を醸し出すその男は、ポーカーのカードを切りだす前、成歩堂をその机に押し倒した。意外と丈夫なこの机は、実質大人2人分の体重がかけられているが足を折れたりはしなかった。別にそれが今の成歩堂の僥倖になる訳ではないが。
えーっと、と成歩堂は頭を回転させる前準備として胸中で呟いた。
「あのー、ポーカーは……」
成歩堂がそう呟くと、相手の男はふっと笑って見せた。格好いい、さりげない笑みだった。こんな場面で無ければ、成歩堂はそう賞賛出来たのだろうが。
「あー、あのですね、確かにこんな紛らわしい場所とシチュエーションですけど、本当にここ、ポーカーをするだけの所なんで、あの、そーゆー事は……」
「野暮な事言うなよ。どうせ、昨日もヤってんだろ?」
ヤってません。
「それとも、一人じゃ満足出来ないってのかい?」
誰がそんな事言った。
即座に異議が思い浮かぶが、悠長にそんなものを飛ばしている場合じゃないので、飛ばさなかった。
「あの!どこから噂をきいたか知りませんけど!それはデマで嘘ででたらめなんですよ!僕はそんな身売りなんかしてないし、誰かれ構わず寝たりしません!
やっぱり、こういう事は気持が伴ってないと…………」
成歩堂が言うと、相手の男は爆笑した。
「こいつはいいや!今夜最高のジョークだな!」
だから本当なのに―――――!!!
成歩堂の胸の内は大絶叫だ。
状況はかなり成歩堂にとって不利と言っていい。かなりしっかり押し倒されたので、隙間から抜け出すのは難しい。最悪、相手の股間を思いっきり蹴りあげて撃退&退却というのも考えられるが、何せ密室のドアを蹴り破るこの足でそんな蹴り上げられて今後の彼の活動(アレな方向で)に支障を来したてしまったら如何なものか……!と成歩堂は思う訳だ。同じ男として。
「さあ、前フリはここまでだ。夜は長いようで短い」
男はそう言い、服のファスナーを下していく。行為が具体性を帯びて、成歩堂はさすがに慌てる。
「ちょ、待っ――――ッッ」
「何してんだコラ――――――!!!!!」
と、言う大声は成歩堂でもなければ、相手の男でもない。
な、何だ?と同じ表情でその声の発信元を見る成歩堂。と、男。
そこには、いかり肩となっている法介が居た。両手拳をぎゅっと握って、頬を上気させている。体がワナワナと震えているのは怒りの為だろうというのが成歩堂には判る。
「なんだ……次の客か?」
真実を知らない男は、法介をそんな風に捕らえた。法介は、いよいよ顔を真っ赤にして。
「何してんだ、って言ってんだ!さっさとその人から離れろ!!」
法廷でも響く声は、地下室でも勿論響く。男は顔を顰めるが、成歩堂はそうでもない。いつの間にか彼の音量に慣れていたようだ、と成歩堂はこの時判明した。
「ここはなぁ、男と男がポーカーで……まあ、女とかもしれないけど……は、どうでもいいとして!」
本当にどうでもよかったな、法介。
「金銭じゃなくてプライドをかけた真剣勝負をする場なんだ!そんな事をする為の場所じゃないし、そもそも成歩堂さんはそういう事をしない!!」
法介はビシっと言い切ってズビー!と押し倒されたままの成歩堂を指差した。
「今からさっさと速やかにどかないと、警察呼ぶぞ警察!逮捕されてもオレは弁護しないぞ!!絶対に!!!」
携帯電話を8時40分じゃないと登場しない葵の紋所のように掲げ、法介は声も荒く言う。
ガルルルル!と吠える法介に、男はとりあえず侮蔑の視線を投げかけた。
「警察ぅ?何馬鹿言ってんだ。そんな事すりゃ、コイツも……」
「生憎、君だけがしょっ引かれるだろうね。強姦罪は男同士じゃ成り立たないから、この場合傷害か監禁って所かな」
成歩堂は、あえて淡々とした口調で言った。男は成歩堂にも、何を馬鹿なという顔で見下ろす。
しかし、その顔は嘘でもはったりでもなく、真実を告げる顔だった。
「…………」
男は、もう一度法介を振り返る。
そこには、変わらず険しい顔で携帯電話を掲げる法介が居る。
「…………」
男は、「紛らわしいんだよ!」と吐き捨てて立ち去った。
(……それについては、反論出来ないな……)
しかしながら、成歩堂は単に楽ちんな格好をしているだけなのだ。服にしろ髭にしろサンダルにしろ。
それがどーも結果として、うらぶれた地下室でポーカープレイヤーしてるという設定を込みとして、そこで如何わしい事をしている如何わしい男、と噂されるみたいだ。それをちょっと愚痴ってみても、返ってくる返事は皆一律に要約して言えば「そりゃ仕方ねぇさ」というもので、成歩堂は腑に落ちないし納得できない。
「成歩堂さぁ――――ん!」
ドッシーン!と法介が立ち上がった成歩堂の胸に飛びつく。おかげで、成歩堂はまたさっきまでの姿勢に逆戻りだ。
今日という日は、自分とこの机はずいぶん仲良しらしいなぁ、と揺れる電球だけが光源の天井を見て思う成歩堂だった。
「オドロキくん?」
よいしょ、と顎を引いてみれば、胸に縋りつく法介が見えた。法介は、うるうるっと目に涙を貯めてべそべそと泣いていた。
「大丈夫でしたか?変な事されてません?てゆーか、変な所触られてません???」
「ああ、うん。大丈夫だよ。脱がされかけたけど、君が来てくれたし」
本当に酷い時なんて、部屋に入るなりガターン!(←成歩堂を押し倒した音)ビリリー!(←服を破いた音)という展開をされるので、今日はかなり平和的であったといえよう。ちなみにその時の客だが、その時はみぬきが控えていたので、えー、まぁー、そのくらいにしておこう……うん……
暴行未遂シーンをも目撃して泡食ってる法介を宥めるように、成歩堂はその触覚に似た前髪を巻き込んで撫でつけた。その感触とセリフの外に来てくれて助かった、と言われた法介はへへ、と表情を嬉しそうにへにゃりと崩す。全く、泣いたカラスがもう笑ったな、と成歩堂も苦笑した。
そうして、ようやく身を起こせた。やれやれ、と成歩堂は何となく伸びをする。
「それにしても、さっきのヤツは許せませんね!いいんですか?逃がしちゃっても」
法介としてはとっ捕まえて告訴したくらいだ。大丈夫、響也はきっとやってくれるだろうし、茜もやんやとその後押しをしてくれるに違いない!それがいいか悪いかは判らないけど!
憤慨する法介の怒りのオーラを鎮めるように、成歩堂はお気楽さ全開で手をパタパタと振った。
「ああ、いいんだよ、あんなの。もう同じ真似しないだろうし、言われた通り、僕、紛らわしいしね」
どんな事でも、魅せる演出は必要だと成歩堂は思う。それは元役者志望の中で培われた事かもしれないけど。だから、少し芝居のかかった仕草で物を言うし、そんな行動を取ったりもする。正直、誤解しても無理ないだろうな、とすら成歩堂は思っている。
なので気の毒なのはむしろ彼の方で、成歩堂は同情こそすれ、恨む事はなかった。
が、法介はそうもいかないようで。
「……あの、いつまでここで働くつもりですか?」
「うん?」
法介のセリフに、成歩堂は目を瞬かせる。
「そりゃ、最初はここしか働き口がなかったみたいですけど、今は違いますしそれに、オレの稼ぎで生活費の足しになるかな……とか……」
本当は「オレが養うのでダイジョーブです!」とか胸を叩きたいのだろうけど、法介の経済力がそこまでの水準ではないのは成歩堂もよく判っている事だ。なので、ごにょごにょっと力を無くしていく豪言を、微笑ましく見守る。
そして、法介の頭にぽん、と手を乗せて。
「……まあね。君の言う事は全部尤もだよ」
でもね、と成歩堂は付け足す。
「ここは、弁護士辞めた直後に雇ってくれた所でさ。出来るだけみぬきと一緒に居たかったから、勤務時間も随分融通利かせて貰ったんだ。それはもう、普通ではありえないくらいにね」
「……その恩があって、今も辞めないんですか?」
法介が少し拗ねたように言う。成歩堂が過去の事を持ち出すと、そこに出番の無い法介はいつもこんな顔になる。
「うーん、まぁそんな感じになるのかな?この店には7年無敗のポーカープレイヤーが居るっていうウリになってる訳だから、僕としては辞めるのはそれが破れてからでいいかなって」
一時期、無敗のまま去った方が店の為になるかな、とも思ったが、よく考えればどんな理由であれそのプレイヤーが居なくなれば来なくなる訳だから、成歩堂は負けるのを待つ事にした。とは言え、イカサマで負けたのでは今まで協力してくれたみぬきにも申し訳無いので、真剣勝負のスタンスは崩さないが。
成歩堂の言い分には破綻箇所が無いので、法介は沈黙するしかない。さっきみたいな事態すら、想定しての事だと本人が思っているなら尚の事だ。しかしそれでも、法介は口に出さずにはいられない。
「……でも!そんな事やってて成歩堂さんがうっかり誰かに犯されたりしたら、オレ、死んでも死にきれません!!」
ずぃぃ、と二歩も三歩も成歩堂に詰め寄って、法介は言った。とても必死に。かなり必死に。
「…………」
若さ、というより幼さが抜けきれない法介の双眸に、自分が映っているのが成歩堂は見れた。そして近くなった額に、ついでのようにチュっとキスした。真っ赤になって半歩下がった法介。今度は、成歩堂がそんな法介を覗き込んで言った。
「……なら、今ここでする?」
「ひゃへぇ!!!?」
言われた内容の凄まじさに、法介の言語回路がいかれたようだった。発音機能もかもしれないが。
「い……い、い……い、いいい、いいんですか!!?」
さっき、憤怒したとは比べれないくらいに真っ赤になった法介は、どもりながらも言った。言ったついでに、早速成歩堂に向かって手が伸びている。案外、口より先に手から生まれたタイプなのだろう。
「ダーメ。言ってだけだよ」
成歩堂はにっこり笑って、伸ばされた腕を掴む。
からかわれたのだ、と判った法介は愕然としてがっかりした。
「な……なんだよ―――!もぉ――――!!」
紛らわしんだよ!と法介は言おうとしたが、それはさっきの男と同じセリフになるので、止めた。
グスン、と拗ねる法介の頭に、また成歩堂は軽くキスを落とす。
「こういう事は、ちゃんと一人前になってからね。中途半端だといい事何も無いんだからね」
「………解ってますよ。それは」
法介はキスされた所を気にしながら言い返す。
「それで、いつになったらオレ、一人前なんですか?あとどれくらい公判したら、いいんですか?」
弁護士として一人前になったらいいのだろうか、と詰め寄る法介に、しかし成歩堂は素を見せない笑みで軽く首を傾けている。
「うーん……そういう事じゃないんだけどね……」
まあ、それが判るのもこみでって事で、と成歩堂はにこっと言った。
辞める時は負けた時と決めているから。
その相手が法介だったらいいなと。
何か自分からそれを言うとプロポーズっぽい言葉みたいな気がして、結構恥ずかしいのだ。だから、自力で気づいてね、と成歩堂は勝手な期待を法介に掛けている。必ず応えてくれると、信頼しているからだ。拙い法介は、そんな成歩堂の心情をちっとも見抜けていなくて、不貞腐れているが。
ぽんぽん、と成歩堂はその頭を軽く撫でるように叩いた。
「まあ、今日みたいな事はこれからもあると思うけどさ、きっと今日みたいにちゃんと回避出来るよ。
僕、悪運はあるし、守護霊も強力なのが結構ついてるらしいしね」
ふふ、と成歩堂はまるで含みあるように笑う。法介は余程異議を唱えたかったが、こういう笑い方をしている成歩堂に何を言っても上手くかわされるだけなのは、経験で思い知っている。
ふぅ、と法介はため息をはいた。それでこの件を終わらせたようだった。
「じゃあ、帰りましょう。遅いとみぬきちゃんが心配しますから」
いたいけな少女が不安と心配で胸を押しつぶされそうになっているのも痛々しいが、それより法介が避けなければならないのはそんなみぬきの八つ当たり場にならない事だ。なのでここにこうしてこうやって来ているとゆー訳だ。
(いや、ものすごく単純に成歩堂さんに会いたいからもあるんだけど)
しかしそれも命あっての事なので、まずみぬきの反応ありきになってしまう法介だった。
愛娘の仕打ちを思い出してか、顔を青ざめてダラダラと汗を流す法介の手を、成歩堂はぎゅっと掴んだ。大きな法介の目が、さらにまん丸になる。その顔を覗き込んで、成歩堂は言う。
「明日ね、みぬきは友達とお出かけなんだって。だから僕は空いちゃうんだけど、オドロキくん、どうする?」
にこ、っと。
これはポーカーフェイスではない笑顔。
法介はそれに一瞬見とれて、それから表情を輝かせて言う。
「それじゃ、デートしましょう!!」
それはとてもとても大きな声だったけど、他に誰も居ないので成歩堂は窘める事はせずに、むしろ喜ばしくその大音量を受け入れた。
<おわり>
年下の彼氏という言葉が好きなので、それに見合う話をばと思って。
てか何か凄いほのぼのしてる……何があった……
今のところ清い交際のようですが……
まったく出番ないというのに、何気にみぬきちゃんの存在感がありますね。まあ仕方ない、みぬきちゃんだし。
成歩堂さんと付き合うには越えなければならない壁であり、決して越えられない壁でもあるからな。