本日オレは失くし物をしました。



 法介は戦慄していた。
 今しがた食べたばかりのヨールグトの蓋の製造年月日をふと見てみたら、すでに1週間オーバーだった時の10倍くらいは戦慄していた。
 一体彼に何が起きたかと言えば。
( 腕 輪 が 無 い !!!!!!!)
 のであった。
 愉快なデザインのマジック用具がブレンドされた室内、深刻な顔をした赤いベストの青年がシリアス顔で立ちすくむ姿は中々滑稽だったのだが、生憎1人きりだったのでそれを見て楽しめるギャラリーの存在は居ない。
(ど、どどど、どうしよう!!)
 法介の中にはトルネードでも発生したが如く渦を巻いて乱れている。
 あの腕輪は行方も生死も不明な母親が自分に残してくれたたった一つの大切な遺品(←死んでません母親)であり、そして最近は審理において証人の動揺を伝え見抜くポイントを教えてくれる奇跡のアイテムだという事も知った。
 今の所、法介の弁護士としてのスキルは、証人の嘘や同様を見抜く能力で持っていると言っていい。なので腕輪が無いと、法介は裁判ではもはやポケットを失ったドラえもん。
 どころか。
 ドラえもんを失ったのび太に等しい(つまりはただのイジメられっ子である)。
(そんなのは嫌だぁ―――――ッッ!!)
 腕輪無しに挑んだ裁判の脳内シミュレーションで、無罪を証明出来ない自分を皆が笑ってる。茜さんも笑ってる。牙琉検事も裁判長も笑ってる。あと何故か、助手のみぬきも笑ってた。助けてくれればいいのに!!
(えぇい、落ち着け!落ち着くんだ王泥喜法介!!こんな時こそ、平常心だろ!常に平らな心だろ!)
 しかし最近の彼の常は、とても平らでもないと思われる。むしろ動乱の連続で波打っている。
 そんな日常を思い出してしまって、彼はそこから立ち直るのに10分くらい時間をロスした。
(と、とにかく。何としてでも見つけなければ!)
 でないと、自分の弁護士生命に関わると共に、この事務所の面子ってものも掛かってくる。元から足りない面子が、ここに来て徹底的に消滅してしまう危機にある。無きに等しいと完全に無いのとでは、天地の差があるのだ!
 それにうっかり持ち物を紛失しただなんてカッコ悪い。
 法介は、成歩堂にはカッコ悪い所を見せたくは無かった。まあ、それは意中の人の前では見栄を張りたい淡い感傷ってヤツで。
 そして、みぬきにもカッコ悪い所も見せたくは無かった。まあ、それは強敵の前では弱点を教えてはならない本能ってヤツで。
 失くし物をしなのであれば、普通は交番に届ける所であるが、紛失しやのが室内なので届ける訳にもいかない。「失くし物をしました!」「何処で?」「自分の事務所です!」なんてやり取りをしたら、自分でも国家公務員の立場を忘れて発砲してしまうかもしれない。
 だったら、いっそ警察が自発的に事務所に来るとか……まさかそんな。ありえないだろう、と法介はカッコつけて肩幅に手を広げてハハハと笑った。(人間、切羽詰ると変に余裕を見せたくなるものだ。例え周囲に誰も居なくても)
「成歩堂さぁーん!遊びに来ましたーvv」
「おぅわぁー!警察やって来たぁ―――ッッ!!!」
 相変わらず、法介の存在を無視しながら茜が来訪してきた。
「何よ、アタシが来ちゃいけないの!?」
 ささっと見渡して成歩堂が居ない事が確認出来た茜は、遠慮なく怒りの形相を浮かべる。
「いいえ!今日はとてもいいタイミングです!グッジョーブ☆!」
「……オドロキくんに歓迎されると、なんか気持ち悪い」
「真顔で言わないで下さいよ。傷つくじゃないですか」
 グッジョーブ☆と親指を上げたままの姿勢で、法介が言う。
「やあ、お邪魔するよ」
 と、言いながら響也もやって来た。法介が突きたてた親指が下がらない間に入って来たので、響也は事務所に来て早々、Goodだと讃えられた。
「ああっ!牙琉検事まで!今日のオレは、何てラッキーなんだ!」
 (茜と違って)まともな思考回路を持つ人物の登場に法介は歓迎するが、ラッキーな人はそもそも紛失物をしないという概念を彼はこの時失念している。
「本当に何なのよ。気持ち悪いわね」
「……さっきから気持ち悪い連呼しないでくださいよ。本当にオレって気持ち悪いんだって思っちゃうじゃないですか」
「そうね。ウジウジしてるとウジになっちゃう、ってよく言うし」
 何かが色々とズレている茜のセリフに、法介は何と言って訂正していいのかが解らなかったので、結局何も言えなかったという。
「とにかく!聞いてください!オレ、腕輪失くしちゃったんですよ!」
「え、あの……」
「アンタ腕輪なんかしてたっけ?」
 あの金色の腕輪かい、と続けたかった響也のセリフは、茜のカリントウを噛み締める音と共に告げられた言葉に押し潰された。
「してましたよ!この腕に!手首に!!」
「今は無いじゃない」
「だから失くしたって言ってるじゃないですか!」
「うっさいわね!アタシはアクセサリをつけてる男は基本的に好かないのよ!」
 腰にチェーンを、首にネックレスを、腕に指輪をしている検事の前で堂々と言えたものである。
「アンタも男だったら、衣装で勝負しなさい!胸元ヒラヒラさせたり、ムチ振り翳したり!!」
 前者はともかく、後者は女性ではないのか。そして衣装でもない。アクセサリでもないかもしれないが(強いて言えば凶器)。
「あああ、もう、その点については後でお茶入れて聞いてあげますから、今は腕輪を探す事に協力してくれませんか!オレ、あれがないと……………まあ、色々困るんですよね。うん」
 検事と刑事を目の前に、証人の動揺を教えてくれる、という効能については伏せておいた。そのくらいの狡猾さはある法介だった。
「ふーん。まあ、1人で地道で頑張りなさいよ。アンタの物なんでしょ」
 茜はかりんとうを食べながら非協力的な姿勢を見せた。
「何でぇー!一緒に探してくださいよー!お巡りさんは市民の味方でしょ――!!?」
「アタシはお巡りさんじゃなくて刑事にして科学捜査官(志望にして願望)だから、関心があるのは証拠品だけよ!」
「おいおいおい、オレ相手だとしてもその発言はちょっとどうよ税金が給与の国家公務員!?」
「まあまあ、ちょっと落ち着いて」
 混沌とエキサイトしてきたこの場を、響也が収める。と、言うか響也しか居ない。
「目ぼしい所は全部探したのかな、おデコくん?」
「ええ、まあ………」
 物とては腕輪だから、大きさとして法介の腕よりそう大きくも無い。当然だが。小さくも無いかもしれないが、うっかり何処かに嵌ってしまうかもしれないくらいの大きさでもある。が、そんな心当たりは全部探してみた。
「掃除しているのは、オレですからね。下手すれば、オレが此処に一番詳しいのかも」
 その言葉を聞いて、茜がギラリと殺気立った眼を向けたような気がしたが、気のせいにしておこう。本当だったら怖いから。
「そうか……でも、だからこそ盲点になっている場所もあるかもしれない。もう一度、辺りを見直してみた方がいいと思うよ?」
「………。確かに」
 全てを当たったと思ったが、無意識にここはありえない、と削除した項目があるのかもしれない。現にさっきありえないと思った事が実際に起こったばかりだ(警察がこの場に乱入)。
 真っ当な意見に、法介はほろりとなる。何せ普段は、奔放なみぬきと日和見な成歩堂に翻弄されている上に忙殺もされているので。
「牙琉検事はさすがですね。言う事に説得力があって、オレも従い易いですよ。
 ああ、これが優秀な検事の証なんだなぁ。オレが捕まった時も、裁判担当してくれますか?」
「はは、いいとも」
「大変……!成歩堂さんを保護して、みぬきちゃんに連絡しなきゃ!」
「貴方はオレを何の罪で捕まると思ってるんだ、っていうかみぬきちゃんにそんな連絡しないで!本気で止めぇぇぇ――!!!」
 弁護士生命が終わる前に王泥喜法介としての人生が終わる!!と法介は携帯を出そうとしている茜を止めに入った。その時の悲痛な叫びは、今も耳から離れない……と、響也は語る。
「まあ、とにかく……探し回る前に、ちょっと考えてみようか」
「考える……?」
「何時失くしたとか、最後に確かに記憶にあるのはいつだったか、とか。闇雲に探しても、気力と体力が無くなるばかりだからね」
「なるほどー………」
「何、溜息混じりに成歩堂さんの名前呼んでるのよッ!」
 かつんっ!
「いったー!今のは納得の相槌でしょー!?何でそんなチェック細かいのッッ!!」
 鋭く頭に当たったかりんとうに、法介は涙目になる。かりんとうに負ける22歳男性(弁護士・独身・恋人の出来る気配なし)。
「何でも何も、成歩堂さんと同じ事務所に所属しているのが妬ましいからよッ!」
 ここまで堂々と嫉妬しているのを見ると、かえって妙に清々しく思えるのは何故だろうか。響也は目の前の事態に対し物思いにふける。
「みぬきちゃんだって同じ事務所じゃないですかッ!」
「みぬきちゃんは可愛くて賢くて頭が切れて魔術士で成歩堂さんのムスメだから、イイのっ!」
「差別だーッ!差別だぁぁぁ―――ッ!!」
「違うわ。区別よ。そして、分別」
 喚く法介に、茜は冷静に告げる。あまり正しくない事を。
「そんな事言うなら、オレも成歩堂さんの子供になってやるッ!」
「なってみなさいよ。そうなったらこのカリントウ、その眼に突き刺してやるから!」
「真剣に怖ぇぇぇぇぇぇぇ―――ッッ!!!」
 法介は怯えた。
「ほらほら、2人とも!腕輪を探すんだろう?」
「はっ!そうだった」
 響也の言葉に、恐怖から我を取り戻す法介。
「アンタが忘れてどうするのよ」
 茜が真っ当なツッコミをした。こんな時だけ。
「あと、場所だけじゃなくて人についても考えないとね。この場では、成歩堂さんとお嬢ちゃんかな。2人の動向も、思い返してみよう。その気が無くても、結果として紛失したこの状況に手を貸していた、なんて場合は多々あるからね」
「ええ、全く」
 その気が無くても事件をややこしくする人物は居るものだと、法介は弁護士歴1年目にして骨の髄まで染み渡っている。主に自分の依頼人のような気がするが。
 茜が聞けばこれもこの事務所の伝統の一言で片付けてしまう事だ。
 法介は考える。
 もしかして、2人が持って行ってしまったのか?

 →成歩堂が持っていて、仕事場に着けて行ってる
 →みぬきが持っていて、学校に着けて行ってる

 →2人はそれを質屋に入れたお金で、焼肉を食べている

「うぎゃわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
「どうしていきなり愕然として嘆くんだい、おデコくんッ!!!!」
「一番現実になって欲しくない想像が一番在り得そうでがっかりした!絶望した!」
「ま。世の中そんなものよ」
 さくさく。
「軽いですねぇ、茜さん!まるでそのかりんとうの歯ごたえのよう!」
「うっさいわね!そんな世の中だから、アタシが科学捜査官になれないのよ!」
 世情に対して文句を言うようになったら、色々アレだと思うのだが。
「……だったら、この世はまだマシであるのか……?」
「ほっほう、生きたまま検死されたい?」
「だから怖いってぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「おーい、とりあえず腕輪探しに取り組もうよ?」
 響也はまた話のそれる2人を呼びかけて本流に戻した。
 この手の騒動の扱いは、響也は結構慣れているつもりだ。そう、厄介な先輩達のせいで。
「えーと……確か、出勤前の2人にお茶を淹れて、2人を見送った後にその食器洗って……」
 今日一日の動向を振り返る法介が、ぶつぶつと呟く。
「で、その後ついでに部屋の掃除もやっちゃおうって思って、腕輪は外したまま……で、」
「気づいたら、無くなっていたと」
「その通りです」
 後を引き継ぐような響也のセリフに、法介が頷く。
「じゃあ、その腕輪を確かに置いたと断言できる場所は?」
「そこの……茜さんが完全に人事面しながらカリントウ食べてるソファの間のテーブルです」
「ねえ、お茶飲んでいーい?」
「どうぞご自由に!」
 嫌味のように大きな声で返事をする法介だが、甘いかりんとうには苦いお茶が合うのよね、と言いながら茶を淹れる茜には通用しない。
「その間、この現場は密室だったのだろうか」
 響也が言う。現場とか密室とか出てくると、一気に事件性を帯びてくるなぁ、と法介は何となく思った。で、何となく触発されるように顔がマジになる。
「鍵はかけてませんが、オレはこの部屋を掃除していた訳ですから。誰かが出入りすればすぐに解りますよ」
 それは違う部屋に移動しても同じ事だ。ドアの開閉の音が法介にまで届くから。
「掃除をしていたと言ったけど、窓は開けっ放しで?」
「ええ。……でも、そんな所から人が侵入したりしたら、それこそ解りますって」
「人じゃなかったら、どうだい?」
 突然な内容に、法介が「えっ」と眼を点にさせる。
「回りくどい真似させて悪かったけどね、刑事クンが此処に来たのは、偶然じゃないんだよ」
「そりゃ……明確な目的持って来てるってのは態度見れば解りますよ」
「あーあ、成歩堂さん早く弁護士にならないかなー」
 茜はお茶とカリントウで酔っ払いのようにぐだぐだしている。
 法介の言い分に、しかし響也はパタパタと手を振った。
「いや、この近所でカラス被害が出てるっていうからその調査と探査に来たんだ。それがどう僕らに関わるかは、トップシークレットだけどね」
 響也は軽いトーンで言うが、きっと今手がける審理に関わる事なのだろう。その辺の事は法介も弁えているので、流す事にする。
「じゃあ、オレの腕輪もカラスが持ち去ったって言うんですか?」
 確かに指輪や硬貨を盗んだ犯人がそれだった、という話を時折ワイドショーが面白おかしく紹介するが、自分のケースに当て嵌まるのかという疑問がある。何故なら、あの腕輪は指輪よりも硬貨よりも大きく思いのだから。嘴で挟んで持ち運べれるか、怪しい。
 法介はそう反論したが、響也の調子は崩れない。
「嘴じゃなくて、足で挟んだのかもしれないよ。それなら、腕輪くらいは持っていけちゃうんじゃないかな」
「………。そう言えば」
 何も持ち運ぶ術は嘴で挟む以外無いという訳でもない。自分で思考の盲点を作ってしまった。
 あの腕輪は金色で、とても光を弾く。光物が好きなカラスには、堪らない代物だろう。
「僕達の調べた巣には無かったけどね。ここでちょっと休憩させてもらって、次の場所に行く途中なんだ。だから、ついでに探してみる事にするよ」
「うわぁー!牙琉検事ありがとうございます――!!」
 自分が事務所から離れるべきではないと鑑みての配慮に、法介は感涙した。
「まあ、この部屋にまだあるっていう可能性がゼロになった訳じゃないから、ちゃんと探すんだよ」
「はいっ!それはもうッ!」
「………あのさぁ」
 と、茜が呑気な声で2人の会話に入って来た。
「さっきから言ってる腕輪って……コレ?」
 茜はいつも何かしらの科学捜査器具が入っている(のだろう)鞄をごそごそと漁り、腕をずぼっと抜き出した。
 そして、その手には。
「…………オ……オオオ、オレの腕輪ぁぁぁぁ―――――ッッ!!!!!」
 法介の突きつける人差し指がブルブルと震える。そして、その大音量に部屋もビリビリと震えた。
「オドロキくん、煩いわよ」
「当然でしょう!今日一番の大声を出したんですから―――ッッ!!」
「け……刑事くん!それを、何時何処で!?」
 思わぬ事態に、響也も驚愕の表情を浮かべる。場所が法廷だったら、汗を浮かべて机に乗りかかっている事だろう。
「何時何処でも何も、さっきアンタと一緒に探した巣じゃないの」
 茜が、何言ってんのこのジャラ男、といった蔑んだ目つきで返す。
「ちょっと待った!!君はあの時は怪しい物は無いって、僕にそう言ったじゃないかッ!」
 響也はすかさず反論した。人差し指まで突きつけている。
「じゃあアンタの常識じゃ、腕輪は怪しい物だっていうの!?それだったら、そんな角みたいな前髪の弁護士や、ヘソだしてるロックンロールな検事の方がよっぽど怪しいじゃないの!!」
 火を吐く勢いで茜が言い募るが、この状態は俗に言う逆キレというヤツである。
 そして、怪しさで言えば科学捜査員でもないのに科学捜査をしている茜がその最たるものだと思うのだが。
「そんなにギャンギャン吼えなくても、持ち主が出ればちゃんと返すわよ。ほら」
 ぽん、と手を差し出して待機していた法介の手の平に、茜は腕輪を乗せた。
「……じゃあ、オレが名乗り出なかった場合はどうするんですか」
 法介がジト眼で尋ねる。
「まあ、基本持ち物ってのは、見失った時点でその所有権を放棄したって見なしていいんじゃないかしら?」
「そんな乱暴な法律があるかぁ―――――ッ!!!オレは弁護士として主張する―――ッッ!!!」
「これは法律の問題じゃないの。倫理の問題よ」
「なお更悪いわぁ―――――ッッ!!!!」
 真顔で言う茜に、法介のこの日一番の大声が室内にハウリングした。



「ところで、オドロキくん。見つけてあげたお礼に今度成歩堂さんと2人きりになるよう、セッティングしなさいよね」
「度が過ぎる奔放っぷりは現場で科学捜査する時だけにしてくださいッ!!」




<おわる>

無駄に長く……しかもCPじゃないし……
出だしはホースケが日記に書くような感じにしました。