始まりのこれから。



 紅茶の中にレモンとミルクを一緒に入れると、カップの中にもやもや〜っとしたものが出来るのだが。
 そういう感じのものが、胸の辺りにとどまっているような感じ。
 痛くは無い。
 苦しくも無い。
 ただ気になって、そして何をしても消えない。



 差し出されたそれには、着飾った女性の写真がこれでもかと最大に演出されていた。
 まあ、つまりは見合い写真だ。
 受け取ったのは御剣だ。
「………………」
 御剣が無表情でそれを眺める前で、向こうは何やら勝手にその娘の魅力らしきものをぺらぺらと語っている。
「…………。ライター等を所持していたら、少し貸して貰いたいのだが」
 相手は御剣が煙草を吸うと思ったのか、何も疑問を抱く事無く差し出す。
 それを受取って御剣は。
 ――シュボッ!
 と、見合い写真に火を付けた。
 ぼうぼうメラメラと見合い写真が燃える。あぎゃー!と色んな意味で戦く相手に、御剣は冷血な目で言い放った。
「このようなくだらない用件で今後私を呼び出そうものなら、その時は自決を覚悟して頂きたい!!」
 御剣は火を付けた見合い写真のその後は知らない。だって、それだけ言って出たもんだから。
(ええい人がもやもやしている時に、妙な事で気を煩わせるんじゃない!!)
 ぷんぷん憤慨した御剣は見合い写真のその後なんて知ったこっちゃなかった。と、いうか関心を失った時点で記憶からも消滅している。
 後日、先方から苦情を貰った(そりゃそうだ)検事局長から御剣は呼び出しを食らったのだが「部下が滞りなく業務をこなせる環境を整えるのは上司の役目だろうにあんな下らない話で私の時間を費やすとはどういう事だそんなに落とし前をつけたいのなら貴様が腹でも切って詫びていろ!」と相手を怯えさせてざっくり切り捨て、自分の執務室へ戻った。
 そんな風に検事局長をいびっても、御剣のもにゃもにゃっとしたものは晴れなかった。まあ、原因が検事局長ではないのだから、当然と言えば当然なのだが。
 それは、繊細なダージリンの芳香を嗅いでも取れなかった。鮮烈なアールグレイでも、濃厚なアッサムでも、きっと消えない。
「……………」
 何よりも不可解なのは、その始まりが皆に囲まれて楽しそうにしている成歩堂を見た時からという事だ。自分の好きな人が周囲から嫌われているより、好かれている方がいいに決まっているというのに。
 その輪の中に自分が居なくったって、それがどうしたというのか。まず第一に思うのは相手の幸せであり、その笑顔を見る事が自分にとっての幸せなのだから。だから、例え彼が特別に想うのが自分以外だって、何も支障は無い筈だ。人を大切に想うというのは、そういう事なのではないのか。
「……………」
 御剣は、紅茶をもう一口含んでみた。
 大分、温くなってしまっていた。


 好意というものは、無暗に披かしたりするものではなく、内に隠して守り抜くものだ、と御剣は定義付けている。
 それは両親からの影響もあるだろうし、検事として事件を扱うようになってから築いたものでもあるだろう。自分こそが相手を好いていると、それを誇示したいと思ってしまったから、こんな悲劇を招いたのだろう。そんな例を御剣はいくつも見てきた。
 だから御剣は万一、自分にそんな人が出来たら胸の内を伝えたりせず、共有したりしないで自分だけのものにしておこう、と思っていた。なんだかんだで、愛だの恋だのいう感情は、結局エゴでしかないのだから、相手を幸福にしたいと思うなら告げずにいるのが一番なのだ。これは間違っているとは思わない。
 けれども。
 いざ実際に、そういう人が出来た今。
 この気持ちを伝えないで終わるのかと思うと、凄く寂しくなってくるのだ。まるで自分の存在を否定されたみたいに、とても悲しくなってくる。
 告げたいという衝動にかられる。この声で出来うる限りに、君が好きなのだと相手に言いたい。伝えたい。
「……………」
 そう思うと、御剣は自分もまたあの愚かな被告人たちと同種なのか、と思って気落ちしてしまう。
 それでも、好きだと思う事を止めようとは思えない。止める、と決めて止めれるものでもないけど、それ以上に、やっぱり彼を好きだと思える自分が嬉しくて。
 まるで命みたいに、自分の真ん中に。その想いは定着してしまっているから。



「……最近、御剣検事、元気無いねぇ。まるで、散歩に連れてってあげてない子犬みたい」
「……………御剣を子犬に例えるのはちょっと控えてくれないかな……」
 その内本当に子犬に見えそうで大変だ、と成歩堂は思っている。
 しかし、真宵の言っている事に嘘は無くて。
 子犬云々はさておき、御剣は最近元気がない。まあ、ちょっと前が異常にテンションが高かったとも言えるが。
 成歩堂の姿を確認した時、嬉しそうに破顔するのは変わりない。が、その後時折もの哀しそうな表情をするようになった。俗に言う切ない顔、というやつだ。
(……告白すべきかどうか、迷っているのかな……?)
 成歩堂のその予想は概ね合っているが、正解とは言いづらい。想いは伝えず秘めるものという信条の御剣は、それでも告白したいと思っている自分に罪悪感を抱いていた。その結果があの顔という訳だ。
 あまりに悲しくしょげかえっているので、真宵風に言えば耳と尻尾が垂れ下がっている子犬のようで見ていられない。成歩堂だって御剣を想うのは確かなのだから、そんな相手が悲しそうにしていれば解決したいと思うけれど、何せ事が事で。他の事なら何だって手助けしてやれるけど、成歩堂自身もある意味問題の当事者でもある。下手に口を出すと余計にこじれそうで、こじれた挙げ句に御剣がどういう行動に出るのかも解らない。
(それに、僕も御剣にどう出て貰いたいんだろう……)
 今すぐ告白して貰いたいのか。あるいは、諦めて欲しいのか。どっちにも同じようなリスクとメリットがあるような気がする。まあ、その判断なんて自分勝手な基準だが。
(御剣が決めたのなら、どっちでもいい。僕はそれを受け入れる。………でも、)
 あの時のように、自分の前から消えてしまうのだけは、避けて欲しい。
 御剣に全部委ねると決めておきながら、そんな事を望んでしまう自分を、成歩堂は少しだけ自嘲した。
「ぅお―――い!成歩堂ぉーっ、たーいへーんだぁぁぁぁ――――!!!ヘンタイじゃねんだぜ!」
 成歩堂の自嘲を遙か彼方にまで吹っ飛ばすような声で登場したのは、矢張だった。
「あ、ヤッパリさんだ!ヤッホー!」
 さほど遠く離れている訳でもないのに、真宵はそんな掛け声とともに両手をぶんぶん振った。
「よっ、真宵ちゃん!今日もサイコーに可愛いなッ!」(キラリ☆)(←歯が輝いた音)
「……………。で、今度は何だよ」
「うぉぉぉぉぉぉっ!!その冷めた目!!さてはまだこの前の事を根に持っていやがるな!?」
「持つよ。持たいでか」
「んー、まあ、それはおいといてだな!コレよ、コレ!一体どーなっちゃってんの!?」
 ある意味御剣より鋭い視線を投げ飛ばす成歩堂にめげず、矢張は法廷で証拠品を提出するが如しの勢いで成歩堂のデスクにバーンッ!と週刊誌の記事を見ろぃ!とばかりに置いた。所謂ゴシップ誌であるそれの、その見開きには著名人の恋愛模様を勝手に推測したような記事が載っていた。イニシャル明記なのがまた胡散臭さ倍増だった。
「ここだよ、ここ!この検事・RMってのは御剣の事じゃねーのか!?」
 矢張がずびり!と刺した場所には、確かに「RM」というアルファベットが並んでいた。
「まあ、そうだけど、何も御剣だって決まった訳じゃ……」
「バッカお前!名前がラ行で苗字がマ行の検事なんて、御剣しか俺は知らねーよ!」
「オマエが知らないだけかもしれないじゃないか」
「チクショー!あいつ成歩堂に惚れてるから、ヨッシャー御剣に取られる女の分が減ったー!!って思ってたのに―――!!」
「矢張。その内ゆっくり話そうか」
「えーっと、何なに……『若手実力某検事・RMと某捜査官THは、休日映画へ行くというデートの約束を取り交わす仲……』?
 誰だろうね、THって?」
 不穏な空気を纏った成歩堂から矢張が引導を叩きつけられる前に、真宵がその記事を読みあげて言った。
 頭文字がTなら、名前はタ行だ。仮に御剣だったとして、そうと誤解されそうなくらい親しい人物が居ただろうか?と成歩堂の頭は勝手に憶測を始めていた。ある種、職業病かもしれない。
(タ……タ、チ、ツ、テ……ト………ト………
 ………巴………?)
 とりあえず御剣と関係ありそうな女性を思い返しながら当てはめると、巴の名前が該当した。しかも、苗字も合っている。確かに捜査官と検事なら同一空間に居合わせるような場面はあるにはあるだろうが、映画に行くという具体的な誤解の元が材料の足りない成歩堂には真相が掴めない。あるいは、火種も無しに勝手に想像しただけの事かも知れないが。
「なるほどくん、これちょっと大変じゃない?」
 真宵がやや神妙な面持ちで言う。その後ろで矢張が「そうだろ!大変だろー!」と同意者を得て無駄に主張しているが、脳内デリートさせて頂いた。
「真宵ちゃんまで、そんな……だいたい、これが本当だって決まった訳じゃないんだし」
 疲れたように言う成歩堂に、真宵はそうじゃない!とぶんぶんと頭を振った。あまりに激しく頭を振ったのですこしクラリとしちゃったので、それを治るのを待って言う。
「違うよ!御剣検事はこの記事をなるほどくんが見て、なるほどくんが自分に付き合ってる人が居るかも知れないっていう誤解を誤解しちゃうかもしれないじゃない!」
 なんか微妙にややこしいのは御剣だけが片想いだと思っているからだろう。
「そしてそんな風に早とちりした御剣検事がどう出るのか……さすがにそれは、あたしでも解らないけど……」
 最後の方は深刻な顔になる真宵だった。
「そうだな……むしろ、そっちの方が恐ろしいよな……」
 矢張も深刻な顔になった。
「……だから、二人とも。落ち着いてちょっと考えようよ!」
 急激にシリアス的に重くなった雰囲気を払拭させようと、成歩堂はやや強い口調で言った。
「御剣は確かに、ちょっとそのようなアレかもしれないけど、何だかんだで成人男性だよ?少しはテンパっても、あまり人の常識から踏み外した事は、
 …………………………」
 言葉半ばに、成歩堂が急激に沈黙した。
「……どうやら、御剣検事が遺書っぽい書き置き残して長期消息不明っていう人の常識からかなり踏み外した事をしたのを思い出したみたい」
 真宵が呟く。
「まあ、さすがのオレも、行方不明になっても遺書の書き置きはしねぇなぁー」
 と、矢張は腕を組んで偉そうに言うが、誰も矢張の方が常識的だなんて思わないだろう。両方アホだ!と突っ込まれるだけで。
「とりあえず、早い所打開策を練った方がいいんじゃねぇか。きっとすぐにでも血相変えた御剣が『ななななな、成歩堂!!』と叫びつつ問題の雑誌握りしめて訪問しかねないぜ」
 珍しく真っ当な意見を言った矢張だった。
「そうだね。なるほどくん、お姉ちゃん呼ぶ?」
「…………うーん……………」
 千尋には静かに眠っていてもらいたい反面、事態が自分で解決出来ない範疇に達したかもしれない反面で、成歩堂は躊躇っている。
 そこに。
「ななななな、成歩堂!!」
 と叫びつつ、問題の雑誌握りしめて御剣が訪問してきた。


 なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!と胸中で大絶叫している御剣が見ているのは、手に着いた血ではなく手に持った雑誌である。
 つい先ほど、「タイヘンッスー!ヘンタイじゃないッスよ!」と叫びつつ糸鋸が持ってきたゴシップ誌を、押し付けられるように見れば自分の名があるではないか。頭文字だが、その内容には御剣は身に覚えがあるものだった。御剣は巴に映画のチケットを渡したのだから、勘違いされる要素はこれでもかってくらいある。
(まさか見られていたとは…………!)
 確かに、ここ最近は自分は成歩堂が好きだって事に気づいた事だけ頭が一杯で、周囲に睨みを効かす事を失念していた。だってそんな事してるより成歩堂の事を考えた方がいいじゃないか!
「この映画云々って、自分があげたチケットッスか?あー!まさか自分が原因で御剣検事がフォーカスされるなんて……!
 やっぱり、あの時もっと強くマコくんを誘っておくべきだったッス!」
 糸鋸が自責の念から反省にスライドしている間でも、御剣は凝固したようにその記事を眺めていた。
 そして、はた、と気づく。
(もしやこの記事……成歩堂も……?)
 成歩堂が自分を見つけたという雑誌も、この手の類の雑誌だった。そうでなくても、ワイドショー好きの真宵が居るのだから、彼女が成歩堂に教えるかも知れない。そう思った途端、ざっと御剣の血の気が引いた。いきなり、突然降って湧いたみたいに死刑宣告を受けたみたいだ。
 自分は成歩堂が好きなのに。
 その成歩堂に、違う誰かが好きだと誤解される。こんなに残酷な事が他にあるだろうか。少なくとも、今の御剣には見つけられない。
「今度は自分、押しまくるッス!押して押して、押しまくってとことん押してやるッスー!
 ………あれ?御剣検事?御剣検事ー??」
 糸鋸が固く決意している頃には、そこにはすでに御剣の姿は無かった。
 どこへ移動したかは、勿論。


「……な、成歩堂……!これは………その……」
 一気に階段を駆け上がったらしい御剣の息は切れていた。が、その過呼吸気味の様子は急激な運動のせいではないように見える。はあはあ、と肩を上下しているのを見てると、その中で言うべき言葉を物凄い勢いで探している御剣の頭の中の様子まで伺える。そのまま持ってきてしまった雑誌は、すでに本としての形を留めていなかった。
「み、御剣!」
 御剣の来訪に驚いた成歩堂は、思わず腰を浮かせた。いきなり人が来れば驚くし、それが話の渦中の人物なら尚更だった。
 前髪が数本乱れたように零れ、酷い後悔をしているように瞠目している御剣を見ると、成歩堂に加護欲みたいなものが湧いている。こんな記事、ちっとも気にしてない。だからそんな風に取り乱したりしなくていい、と抱きしめて落ち着かせてやりたくなる。が、それと同時に自分がこんな記事で誤解すると思っているらしい御剣にちょっとだけ腹を立てる。最も、御剣はその恋慕が自分に完全に隠していると思い込んでいるから、そんな思い違いをするかもしれないが。
「な、なんか、オレとってもコンビニに行きたくなっちゃった!」
「あ。あたしも、あたしもー!」
 二人はまるで逃げるように、というか完全にこの場から逃げた。まあ、無関係な傍聴人が居ていい場面とも思えなかった、という判断もあったが。二人は部屋を出る時に、成歩堂にだけ見えるように「すまないねぇ」と両手を合わせて頭を下げた。まあ、そんな気遣いしなくても、今のの御剣は成歩堂以外あまり目に入っていないだろうが。
 バタン、とドアが閉じて、この事務所に御剣と二人きりになった事を告げる。
「……え、えぇと御剣、とりあえず座ろうか?お茶淹れるから………」
「こっ、この記事はだな、誤解というかなんというか、いや、宝月捜査官に映画のチケットをあげたのは確かなんだが……!」
「大丈夫だって。うん。こんな勝手な記事、最初から僕も信じてないから」
 成歩堂は御剣を安心させるように、言い聞かせるようにそう言って、優しく腕を取った。それは突っ立ったままの御剣をソファに座るよう、誘導させる為のものだったが、もしかしたらそれがきっかけというか、スイッチだったのかもしれない。
 触れた所から、じんわると伝わる温もり。
 それが遠のくのが、何より哀しいと思った。
 だから、必死で、自分の中の規律すら、その時は飛んでしまった。
 御剣は自分の腕を掴んでいるその手を、自分の空いている手で掴んだ。縋るように。
 御剣のその行動に、成歩堂が軽く眼を見張る。これから起こる予想が成歩堂の脳裏に回るより、現実の方が速かった。
「私は――私が好きなのは――」
 御剣の持ってきた雑誌は、床に落ちている。
「私が好きなのは、君だ!」
 その声色は、法廷で異議を唱える時より、切実に切羽詰まって。
 弁護席よりうんと近い場所で、それを聞いた成歩堂の鼓膜を震わせた。




<おわり>

いや、今ではちゃんとそこでも区切って可笑しくないような文体だったけど、これはどうなんだろう……(悩み)

そして当初の目論見で言えば、なんかこう両者サプライズじゃなくて、成歩堂の方は「ああ、きっと告白するんだな」って静かに待ち構えているような様子だったんですが、こんな振って湧いたような災難みたいな(言い過ぎだよー!)告白場面に………
それでも二人きりというシチュは死守しました。
なので今まで「成歩堂に自分が片想いしてるのを知ってるのは自分だけ」と思っていた御剣さんは「自分たちが好き合っているのを知っているのは自分だけ」と無自覚天然をスライドさせていく訳です。
うん、成歩堂ばっかり気苦労してるんだ!(明るく朗らかに)