Re child,2
響也との電話を終えた成歩堂は、すぐさま家の電話に駆け寄りのボタンをピポパポピピポと押して真宵を呼び出した。10回くらいのコール音がして、真宵がガチャリと電話に出る。
『はいはーい、真宵ちゃんの家ですよー』
自分の携帯電話ならともかく、家電でその対応はどうなのか。そもそも、26歳の女性としてもどうなのか。
その点はひとまず保留にしておいて、成歩堂はこの異常事態をまだ知らない原因の張本人へ、その自覚をさせるべく事の次第をを告げる。
「あっ!もしもし、真宵ちゃん!何か御剣に薬あげたんだって!?」
『…………………………。ああ、うん!あげたよ。冥さんにあげてねって渡したの』
かなり間が空いたが、思い出しただけよしとする。
「それでね!その薬飲んだら、御剣が子供になっちゃったんだよ!
いや!フツウに今までの記憶も経験もあるんだけど、何て言うか言動や行動が子供になってるって言う……」
成歩堂はなるべく手短に伝えようとして、手短に伝えきれる状態ではないというのを実感した。説明すればするほどこんがらがってくる。
『ちょ、ちょっと待ってよ、なるほどくん!!』
どうやら真宵にも現場の混乱が伝わったようで、待ったをかけてきた。
そして、言う。
『それ、いつもの御剣検事とどこがどう違うの!!!?』
「……………………………」
ごめん御剣、反論出来なかったよ僕……と、その御剣を足元に従えて、成歩堂は遠い目をした。
「とにかく!とてつもない事になったのは確かなんだよ!今、狩魔検事が迎えに行ってるそうだから、待機してて!」
『ラジャー!!!』
受話器の向こうで、おそらく指先にまで力を込めて敬礼している真宵の姿が想像できた。ちなみに冥が迎えに行っているという事は先ほどの響也との電話に出た内容である。そして、響也と言えば御剣の本体(?)の監視……というか警護みたいな役についている。運び出そうにも日本人にしても検事にしても体格のいい御剣では一目に触れずこっそりとは難しい。とりあえず容態に異常は見られないし(まあ、意識不明と幽体離脱っぽい現象が起きているのはさておき)人目に触れる可能性がとんでもなく高くは無いが、安心できる程低くも無いある状態では、無理に運び出さずこのままにしておいた方が無難だと思うという響也の意見に、成歩堂も賛同した。そして、7年前はヤンチャで自分に突っ掛ってきたばかりの響也の成長を実感して、うんうん、大きくなったなぁ、と内心じ〜んと染み入っていたりした。その傍ら、一面で10年前からちっっっっとも成長していない親友兼想い人が居たりするが、まあそれは置いておこうか。
チン、という受話器が置かれた小さな音を耳にすると、少し心が落ち着いたような気がした。とりあえず、元凶である真宵が来るとなれば、それを解決する千尋も現れるという事だ。どうでもいいが、この時成歩堂は毒性を持つ植物はそれの解毒となる部分を持って誕生する、というちょっとした植物学を思い出していた。
「さて……それじゃ、行こうか」
成歩堂は、そうみぬきと御剣に呼びかけた。
「ム?どこにだ?」
成歩堂の自宅が離れ難い御剣が、眉をやや顰めて訊く。その顔に、クスッと笑みを零して軽く額を突いた。
「君の家だよ」
今回の関係者を集める場所は、ここではなく御剣の家である。マジック用具がたんまりとあるあの事務所ではすぐに一杯一杯になってしまうし、ワイワイとした話し声が周囲に迷惑がかかってしまうかもしれない。その点は御剣の家なら全てクリア出来る。御剣の家は完全防音で部屋の音はすべて外へはもれない。これでトノサマンを映画級の大画面とサラウンド・システムで観賞していても「ちょっと御剣さん!”トノサマン・ザ・ご乱心”の掛け声が煩いんですけど!?」とご近所から苦情が来る事も無い。傍に居るちっちゃい御剣は部屋の隅に重ねられている特撮シリーズのDVDがかなり気になっているようだが、成歩堂の傍を離れたく無いらしくて視線が落ち着かなかった。やっぱりこの子供は御剣である。成歩堂は5度目くらいの確信をした。
自分の自宅へ行く、と告げられて、御剣はこの部屋に留まるのと成歩堂と一緒に自分の家に行くのと、どっちがいいだろうかと考えを廻らせているらしかった。幼くなり、幾分大きくなったが鋭さが潜まれている双眸の視線が、やや斜め上に注がれている。
「うム。そうしよう」
行く方がいい、という結論に達したようだ。
「パパ〜!!」
押入れの前でごそごそ漁っていたみぬきが、その時声を上げた。
「ほら!みぬきの小さい頃の帽子見つけたよ!これ、御剣のおじさんに被せればいいんじゃないかなぁ」
どうやらみぬきは、この小さい御剣が誰かに見られてその正体を勘繰られる事に危惧したようだ。これが御剣当人だとは夢にも思わないだろうが、子供であろうかと詮索する輩は出るかもしれない。御剣の知名度は未だ変わらずだった。胡散臭い雑誌のカメラマンならすぐさま食いつくだろう。
みぬきのピンク色のシルクハットを、御剣に被せてみた。サイズはやや小さいかもしれないが、被れないほども出ない。御剣の今の格好は、あのヒラヒラした服装で、本当に33歳の御剣をそのまま幼くしてみましたという風貌だった。そのヒラヒラがシルクハットに妙なマッチングを醸している。赤色とピンクという同系色も功を奏したのかもしれない。
御剣1人だけだったらどうしようもなく浮くだろうが、みぬきもいつものあのステージ衣装なので、並べばただのマジック一家だと思うだろう。……「その辺に居る」という表記は出来ないが。
玄関口まで来て、成歩堂は、はた、と気づいた。
(そうだ、靴………)
布団の中でいきなり出現した御剣は、当然だが靴なんて履いていないから玄関に脱いでもいない。みぬきの靴でも代用出来るだろうか、と御剣を振り返った。
すると。
「……あれ?」
そこには、土間に立っている御剣の姿があった。当然、靴を履いている。
「?どうかしたのかね?」
御剣がきょとんとして首を傾げる。
「………あ、いや」
曖昧な返事をして流す。
この際、超常現象が1つや2つ増えてもどうって事も無い。分離して片方が子供になって自分の前に現れるくらいなんだから、存在してなかった靴をいきなり履いているくらいどうって事は無い。成歩堂はそう収集させた。
この御剣の年齢は、大体10歳くらいだろうか。15歳のみぬきより5センチは低い。と、なれば成歩堂の記憶にある姿なのだが、それより小さく見えた。まあ、自分の方が大きい、という物理的な理由かもしれないが。それと心情的に、成歩堂は大人になった。出会いも別れも経験して、人の優しさや怖さにも触れた。あの時の御剣はとても大人びても見えたが、所詮はまだ足りない部分の方が多い子供だったのだから、大人の視点で見れば幼く見えるに決まっている。……最も、この御剣は内面の情報はそのままではあるが。
「何でもないよ。ほら、行くよ」
と、言って成歩堂は自然に御剣に手を差し出した。認識としてはちゃんと御剣と捕らえているのだが、やっぱり見かけは子供そのものなのでそういう対応になってしまう。
御剣は、差し出された手を見て、1回目を瞬かせた。そして、ぱぁっと顔を輝かせるとぎゅっとその手を握り締める。成歩堂が、目の前の子供は御剣なのだというのを思い改めたのは、この時だった。
触れ合う事に慣れてなくて、拒絶程では無いけどやっぱりなるべく避けるようにしてしまう。だから抱擁を許されると彼はとても嬉しそうに微笑む。
丁度、今みたいに。
「あーッ!御剣のおじさんだけずるい!みぬきもっ、みぬきもー!!!」
みぬきの声がして、成歩堂がはっとなる。
「はいはい、みぬきはこっちの手な」
「わぁい!!」
みぬきも喜び勇んで成歩堂の手を握る。
「ね、パパ」
「うん?なんだい?」
依然手を繋ぎながら歩いていると、みぬきが声をかける。
「こうしてると、何だか家族みたいだよね。御剣のおじさんがパパとみぬきの子供みたいな!」
言ってみぬきはきゃーっ!と1人で騒いだ。
(っていうか、そういう場合だと子供が真ん中じゃないかな)
幸せ満面の2人を両脇に従えて、新年の街を成歩堂は歩く。
若干場所が違うツッコミを思いながら。
御剣のマンションについた。成歩堂は自宅の合鍵を持っているので、難なく部屋へと辿り着く。真宵と一緒に来る筈の冥はまだだった。電車で2時間の距離を車で迎えに行くのだ。あと1時間は無理かもしれない。
「何か久しぶりだね。御剣のおじさんの家に行くの」
えっちらおっちらと階段を上がりながらみぬきが言う。御剣はやっぱり御剣なのでエレベーターにはあまり乗りたくないのだ。
「そうだなぁ……」
呟きながら、最後に彼の家へと言ったのはいつだったかと思いを廻らす。その結果、夏真っ盛りの頃だったというのが判った。あまりの猛暑でエアコンを求めて駆け込んだのだった。以来、御剣の家へは行っていない。御剣の方はたまに事務所に訪れたりしていたが、遊びに来たというよりは、時間があったから寄ったという程度だ。
(最近は、あまり会ってないかもな)
これまでの頻度を考えると、そういう結論が出せる。どっちも都合がつく時もあれば、どっちかが合わない時もある。そう、丁度右折しようと思って通行が途絶えるのを待っていて、右が途切れば左から来て、左が途切れば右が来るというような。
そんな事を考えて居ると、御剣の家のドアの前へと辿り着いた。そのままドアを玄関へと入ると、今度は御剣は靴を履いて上がる。その靴をしばし眺めてみたが、消えてなくなるという事は無かった。
何だかよく判らない。
判らないで言えば、御剣が最もなのだが。
身体が2つに別れ、片方が子供化してるだけで十分可笑しいが、子供になった御剣と交わす会話には、ちゃんとこれまでの再会してからの10年分の記憶が備わっている。外見が子供でも、中身は33歳の御剣なのだ。まあ、魂は身体の僕という言葉があるくらいで、子供の姿になったせいかいつもより感情がややストレートに見受けられるが。
そして一番怪訝に思うのが、御剣自身が今の現状に嘆くというか、異常だと慌てる素振りがちっとも見られない事だ。仮に自分が御剣の立場になったとしたら、10分くらいはこの現状に異議を飛ばしているだろうに。そして異議を飛ばした後は戻れるのだろうかと不安になり、解決策にと我武者羅に奔走する。けれど、目の前にいる御剣はいたって平素である。今の自分を不思議だとも可笑しいとも思っていないような。
響也の電話で、すっかり事態を把握してしまえた成歩堂は本人に質問はしていない。
あえて訊くべきか、はたまた無駄な混乱をさけてそっとしておくか。ちょっと迷う所だ。
「御剣?」
ふと見てみれば、視界から御剣が消えている。存在が消滅したのではなく、別室へと移っただけだ。見れば、キッチンのカウンター越しに御剣の頭が見える。丁度生首みたいな感じだ。
「何してるの?」
「紅茶を淹れるのだよ」
と、言う御剣の手にはすでにヤカンがある。底が広い台形のような形だ。この形だと、火を受ける部分が多くなるので、早くに湧くのだ。
「淹れるって……その身体で出来ると思ってるの?」
とてもじゃないが、いやとても蛇口まで満足に手が届くとは思えない。178センチの高身長に合わせられて設計されたシンクは、今の御剣には高すぎる以上に高すぎる。シンクどころか、それ以外も全部高い。
御剣は、指摘されその事実に気づいたようでむぅ、と難しい顔になって考え込む。
「紅茶なら僕が淹れるよ。御剣は、みぬきとトノサマンでも見ていなよ」
「しかし………」
御剣はその提案には納得でないように眉間を寄せた。
御剣の部屋に来れば、必ずと言っていい程紅茶を淹れてくれる。何をするにしろ、から回ってしまう御剣が唯一と言っていい程成歩堂に感傷させる事無く与えられる事だからだ。少なくとも、御剣はそう思っている。純粋に、自分が淹れたものを美味しいと言ってくれるのが嬉しいという気持ちもある。
むむぅ、とまた御剣が考え込む。と、その時トノサマンのテーマが鳴り響いた。
「ほら、御剣のおじさん!早く来ないと始まっちゃうよー」
何度か訪れた事のあるみぬきは、DVDの場所もばっちりだ。
ソファの背凭れに乗りかかるようにして、御剣を手招きする。
御剣の意識がテレビの方へと向いた時、成歩堂がその手からヤカンを奪った。
「始まっちゃうってさ」
悪戯っぽくにやりと笑い、その後の「すぐに僕も行くから」というセリフが訊いたのか、御剣はみぬきが先に座っているソファへと駆け寄った。
何気なく、御剣に現状を突きつけるような発言をしたが、それでも御剣は特に気にするでもなかった。
やっぱり、よく判らない。
全ては真宵が来てからだな、と思いながら、成歩堂はヤカンに水を入れていた。
丁度一話分が終わったくらいに、真宵がやってきた。予想より随分早い来訪だが、この場合は早いに越した事が無い。
冥は御剣がするはずだった業務を片付けなければならなので、そのまま検事局へと向かっていってしまったのだ。なので、来たのは真宵一人だ。
「うっわぁ〜〜、ほんとにちっちゃくなっちゃったね、御剣検事!!!」
着いて御剣を発見するなり早々、真宵は声を張り上げて仰天した。その後、面白いものを見つけた子供みたいな顔で御剣の頭を撫でる。その顔には責任の重圧とか自己嫌悪とかが全く含まれてはおらず、しかし下手に落ち込まれて話が進まなくなるのも困るのでそれはまあ、望む所だ。
「それでさ、何の薬飲ませたの?」
成歩堂が真宵に尋ねる。響也の話だと(その響也は冥から訊いた訳だが)疲れを癒す薬だという。しかしその効能として子供になるというのは腑に落ちないし理に適っていない。まずは、その辺から探りを入れていこう。
「うん、それなんだけどね。一応作り方が乗ってる本持って来たよ」
真宵は相変わらず衣装みたいな着物で、袂に手を突っ込んで紐で綴じられた分厚い古文書のようなものをぱっと取り出した。この時、「何でそこからそんな大きさのものが出るんだ!!」と突っ込んではいけない。深みに嵌るだけだから。
「へぇー、真宵ちゃんにしては気が効いてるな」
「ふっふーん。家に来た冥さんに持って言った方がいいって言われたんだ」
真宵は胸をそって言うが、それだったら本当に偉いのは真宵ではなく冥だろうに。
「んーとね、確かこの辺り……あ、あった」
パラララ、とページを捲っていた手が止まる。真宵がそこを読み上げた。
「ほら、これ『心煩わす事を失くす薬』」
「……何かもったいぶった言い回しだな」
「昔の人なんてそんなもんだよ、パパ」
みぬきが窺ったような事を言う。
「だからあたし、きっとストレスに効くんだって思ったんだけど……違ったのかなぁ」
言いながら、真宵は御剣を見て首をかしげる。
「真宵ちゃん、ここに書いてある通りにやったの?材料足りなかったとか、手順省いたとかは無い?」
成歩堂の質問に、真宵は3つあるうちの後半2つのどちらともに首を振った。
「ううん。ハミちゃんと一緒に作ったから、それはないよ」
こういうセリフを言いながら自分を情けないと思わないのが真宵の凄いところだ。成歩堂は思った。
ともあれ、春美が関わっているなら確かに製造過程は信用が出来そうだ。だとしたら疑うべきはもう片方。つまり、真宵の解釈が違っていたのだ。外国語を日本語に訳す時だって、その訳者の捕らえ方で無意識の改ざんがなされしまうものだ。この本は大分古く、書体も書式も現代文の面影を残すがかなり違う。
「じゃあ、お姉ちゃん呼ぼうか」
「うん、頼むよ」
成歩堂のセリフを受けて、「よっしゃ、それじゃ一丁頑張ろうっか!」と真宵が張り切る。
真宵が目を閉じ、顔を伏せると一瞬力が抜けたようにガクンとなる。その体制を整える体躯は、すでに千尋だった。
「法廷に出なくても、なるほどくんの周りはトラブル続きみたいね」
「笑い事じゃないんですよ、千尋さん……」
くすくす笑う大物な千尋に、成歩堂は情けない声を出す。
「千尋さん!お久しぶりです!!」
みぬきが座ったままに、対面の千尋にぺこっと頭を下げた。みぬきはプロだから筋は通すんです!
「みぬきちゃん、また大きくなったわね。……御剣くんは小さくなっちゃったみたいだけど?」
成歩堂の横に座っている御剣を覗き込み「ん?」と窺う。すると、御剣は気負いでもしたのか、うぅ、と言葉に詰まっている。千尋は御剣の小さい頭を撫で、姿勢を直した。
「さて、事の次第は上で見てたわ」
千尋さんは常に成歩堂を見守っているのだった。
「真宵の解釈は、間違っては居ないけど正解とも言い切れない、って所かしら?」
「じゃあ、薬の方に問題は無いんですか?」
成歩堂は訊く。
「ええ。ばっちり。よく出来ているわ」
千尋の言葉を聞いて、成歩堂は降霊したのが春美じゃなくてよかったな、とちょっと思った。今の一言を聞いた真宵はまたじゃんじゃか怪しい薬を製造しそうだからだ。
「話し戻すわね。この薬、書いてあるまま読めば『今抱えている悩みを解消出来ると思っている姿に身を変える薬』ってなるの」
成歩堂とみぬきが意味をちゃんと掴もうと努力しているのを見た千尋は、例えを出した。
「物凄く高い所に、ブドウがあるとするでしょう?で、そのブドウがどうして食べたい。そこでこの薬を飲むと、本人が”こうだったら取れるのに”と思っている姿……例えば、鳥になったり腕が伸びたりしてブドウが取れるようになるの」
その説明で合点が行った。2人は頷く。
これなら、千尋が言った通り、真宵の解釈は間違ってはいない。悩みとストレスはほぼ同義語だから、リラックス効果を齎すものとでも思ったのだろう。実際はリラックスではなくでデンジャラスだった訳だが。
「身体が分離したるするのは?」
次なる大きな疑問を成歩堂は千尋に問う。
「本当に身体を変えるとなると、負担も大きいし至難の極みだわ。だから、濃いエクトプラズムみたいなものが出て来てそれが形を取るみたい。薬の力を借りて極めて濃縮されたそれは、物理的な働き……物を触ったりとかも出来るそうよ」
千尋は本書を暗記でもしているのか、文面を見ないで言う。それを見て、成歩堂はもしかしたら、千尋もこの薬を作ろうとしたのかもしれないなと思った。
千尋を最も悩ませていた事――姿を晦ました母親の行方を知る為に、と。
あるいは、毒を呷って昏睡状態に陥ってしまった神乃木の為にかもしれない。千尋に聞けばすぐにでも判る事だが、成歩堂は聞かないでおこうと決めた。
千尋の今の説明で、身体分離の謎が解けた。いわばこの小さい御剣は、生霊に近いもののようだ。
髪をなでると、さらりとした感触が指先を擽る。これが実体ではないとは、信じがたい。
御剣が成歩堂を見上げ、にっこと笑った。髪を撫でられたのが嬉しかったようだ。……やはり、いつもより感情が前面に押し出される。大人の御剣が100Wくらいの明るさとしたら、この御剣は600Wくらいだ。
――これでも、抑えているのだよ
いつだったかの御剣のセリフを、成歩堂は今実感していた。
成歩堂が浸っていると、真宵の――今は千尋だが――の横に座っていたみぬきが、千尋の方へと身を乗り出して聞く。
「じゃあ、御剣のおじさんは、どうやったら戻るんですか?」
みぬきが重要な質問をする。千尋は、それもスムーズに答えた。
「この小さい御剣くんは、欲求不満が外に出て意思を持って形になったものと言っていいわ」
凄い表現だが的確だ。
「だからそれを解消するか、あるいはもういいと潔く諦めるかしたら消える……と、いう事らしいのだけど」
千尋も実際見た訳では無いから、断言は出来ないようだった。とは言え、文面の通りに作って効果がちゃんと現れたのなら、やはり解消法も文面にある通りで間違いはないのではないだろうか。
「なあ、御剣。一体何がしたいんだ?」
その願いが叶うのか、はたまた諦めるしかないものなのか。ともあれ、聞かないうちには始まらない。成歩堂は御剣に訊いた。
子供の姿にさえなれれば、と御剣が思った彼の願い事……欲求不満というのは生々しいので使わないでおく……とは、一体何なのだろうか。御剣の事だから、案外子供限定のアトラクションで遊びたいなーというものかもしれない。そうであったら、今すぐにでもみぬきと一緒に遊園地へ行けば全てがキレイに解決し、すっきりした気持ちでこの1月1日を終えられる。
成歩堂に顔を覗き込まれ、そう尋ねられた御剣と言えば、急に顔を染めて指をもじもじと合わせ始める。
言うのが恥ずかしい内容なのだろうか。と、なればやはり子供向けの何かをしたいという事だろうか。外見は子供でも、中身は大人だから、言うのが憚れるのかもしれない。
「……言ってもいいのか?」
上目遣いで、御剣が尋ね直す。何を遠慮しているのか、成歩堂は苦笑してその言葉に頷く。
「僕に出来る事だったら、喜んで協力するよ」
お世辞でもなく、成歩堂は言う。昔から、御剣が困っているとほっとけないのだ。それは昔に助けられた恩があるからでもあるし、ただの純粋な好意からかもしれない。きっと両方なのだろう。無理に分ける事は無い。
「本当かね!?」
成歩堂のセリフに、御剣が思わず立ち上がる。
「うん」
成歩堂は微笑んで頷く。
しかし、その笑みは次の瞬間、液体窒素でも浴びたみたいに瞬間冷凍されてしまうのだった。
「君とキスがしたい!口に!!」
***
要所要所でちゃんとみぬきちゃんがフォローしてるっていう。