フォー・ユー・チョコレート!




「なるほどくん……ついに、2月になっちゃったよ」
 重厚なBGMが相応しそうな深刻な表情で、真宵が成歩堂にそう告げる。
「2月になったから、どうだって言うんだ?」
 ここまで寒いと、法律事務所に来る気もなくなる……と、言うワケでもないのだろうが、今日はまだ依頼人はやって来ない。単独経営なので、多忙と閑古の差が激しい。
 こちらの意を汲み取らない成歩堂に、真宵はやれやれといった具合に肩を竦めた。真宵がこんなリアクションをするのは、御剣からの悪影響だな、と成歩堂は思っている。
「全く、なるほどくんったら、ぼけっとするのは裁判中だけにしなよ」
 裁判中にぼけっとしてたらえらい事だ。と、いうかえらい事になる。
「2月を言えば!ほら、あれがあるじゃない!!」
「ああ、節分」
「そう!年の数豆を食べて、鬼は外、福は内ー!って、違っ――――う!!!」
 真宵ちゃんもついにノリ突っ込みを覚えたか……と、成歩堂は助手の成長に目を細めた。何ひとつ役立ちそうも無い成長だが。
「バレンタインだよ、バレンタイン!バレンタインって解る!チョコをあげて貰って食べる日だよ!」
 間違っては無いが、素直にそうだよとも頷けない説明だ。
「この世のありとあらゆるチョコが、真宵ちゃんの下に………!!」
 真宵は何やら滾っているが、バレンタインは絶対そんな日では無いと思う。
「真宵ちゃん、そんなに貰う当てがあるんだ?」
 それは初耳というか何と言うか。まあ、最近はむしろ恋人ではなく友達同士で贈りあう所謂「友チョコ」の方が多く出回っているそうだから、その方面なら真宵は沢山貰えそうだ。少なくとも、春美はあげるだろう。冥もかもしれない。
 しかし、成歩堂の意見に真宵はチッチッチ、と軽い舌打ちを連続し、指を左右にワイパーのような動きをする。狩魔検事(父)みたいな仕草でちょっとヤだな、と思う。一癖も二癖もある検事の仕草を体得する真宵に、この調子で冥みたくムチまで振るうようになったら、成歩堂は千尋に相談しようと決めている。
「あたしじゃないよ。御剣検事に贈られるチョコをあたしに横流しして貰うんだよ!!!」
 今、真宵が胸を反りながら偉そうに語った事こそ、俗に「他力本願」と呼ばれるものである。
「御剣検事、性格はとりあえず置いといて、顔だけはいいからね!10個や20個はイケるんじゃないかな。しかも、高級なヤツ!!」
 真宵は夢見る乙女のように、瞳を輝かせて言う。成歩堂と言えば、「性格はとりあえず置いといて」の所に抗議も異議も出せない自分を、御剣へ向けてこっそり胸中で謝罪していた。きっと誰もがそんな事をする必要は無いと思うだろう。
「そういう訳で、なるほどくんッ!!」
 目は明るい将来に輝かせて、口元は涎で光を放っていた真宵が、急に真剣な顔で振り向く。ぐいぃ、と口元を拭いながら。
「次に御剣検事が来た時、あたしが居なかったら義理チョコは断らないで貰ってね!ってのを伝えてね!!もしかしたら御剣検事、なるほどくんが居るのに他の人からチョコを貰うなんて、不義理だと思うかもしれないから、その辺いつも通りやり込めちゃってよ!
 あたしの甘みを欲している舌と胃袋がかかってるんだからね!!」
「それは……責任重大だね」
 色々突っ込む場所は今の発言にあっただろうに、成歩堂は全部放棄した。そうしたい時だってたまにある。
「そう!!重くて大きい責任だよ、これは!!」
 メラメラ燃える真宵に、この炎が実物であればこの部屋も温かくなるだろうに……とどうでもいい事を思っていた。



 そして。
 次に御剣が来た時、真宵は不在だったので先日の一件を成歩堂は伝えた。
「そういう訳で受け取ってくれないかな。まあ、正直にチョコ好きな知り合いにあげてしまうけど、それでもいいかとか断ってさ。
 で、口の端にみたらし団子のタレがついてるから」
 途中から気づいていたが、そこで拭いてもまたつくだけだろうと思ったので、成歩堂は御剣が食べ終わるまで言うのを待っていた。合理的である。
「ム、」
 成歩堂の指摘を受けハンカチでそれを拭うおうとしたのを、その先に成歩堂がティッシュを与えた。それを受け取ってタレをふき取る御剣。
 口元が綺麗になると、どうしてか御剣は困ったような顔になった。
「それは、真宵くんには残念だが、私に貰う予定は無いぞ。去年もゼロだ」
「ゼロ……って、無し?全く?」
「ゼロというのは一つも無い、という事だ。成歩堂」
 いやいやいや、その辺を詳しく説明して欲しいワケじゃないよ、と成歩堂は手を振った。
「義理くらいは貰わないか?僕だって、千尋さんに貰ったりしたぞ?」
「……………」
「……ここでそんな拗ねたような顔するなよ」
 話に出したのは失敗だったかな、と渋い顔になった御剣に思う。
「……うーん、でも企業でも義理チョコ廃止ってはっきりいってる所もあるしなぁ。検事局もそんななのかな?」
 成歩堂は話題転換の為に、考えながら言う。
「いや、………………………
 そんな感じだ」
「待ったオマエ明らかに僕の言葉を都合いいように使っただろ!!!!」
 あまりに不審な御剣の態度に、切れのいいワンブレスの異議が飛んだ。
「さて、何の事だ?」
「……………。白を切るつもり?」
「…………………」
 御剣は沈黙する。これでは、もう疚しい事があると白状したも同然では無いか。しかも内容の流れからして、成歩堂には無視できない事のようだ。
「あのね」
 と、詰問口調になったのを感じ取って、御剣がやや身を固める。
「イトノコさんや狩魔検事に聞けば、簡単に解る事なんだよ?」
「………………」
 しかし、御剣はまだ口を開かない。こっちが折れるのを待っているのだろうか。ならば、それは間違いだと教えてやらなければ。
 放っておけるワケがないのに。
「ふぅん……だったら、真実知った僕がどう出ても、君に文句を言う権利は無いよね?」
 にっこり、と微笑むと御剣が目に見えて戦慄する。
「どう……とは、どう出るつもりなのだろうか………」
 それ如何では沈黙を貫くつもりらしい。
 成歩堂は、笑顔で告げる。
「それは、ちゃんと事実を突き止めた後に決めるよ」
「……………」
 御剣はぐっと奥歯を噛み締めて口元を引き締める。それは動揺を隠す為なのだろうが、成歩堂から見ると泣き出すのを堪えているような顔にしか見えなかった。
 散々考え、正直に話すのが得策だと思ったらしく、御剣が口を開く。得策というか、下手に嘘をついたり誤魔化したりしなければ、成歩堂もちゃんと受け答えてくれるのを知っているからだ。
 だったら、何故に最初にはぐらかそうと企んだのか。複雑なお年頃の御剣だった。
「……以前はどうだったかは知らないが、私が検事になってまもなく神乃木荘龍弁護士が裁判所のカフェテリアで毒殺されたからな。裁判所から程近い検事局でも、飲食物のやり取りに過敏になり、自然とそういう慣習は控えるようになった」
 確かに、御剣のテビューは千尋と同じだ。時期的にそうなっても可笑しくないし、今言った事に嘘は無いだろう。
 嘘は無いが、事実もまだ語ってはいない。ついでに言えば、神乃木は毒を飲まされたが殺されていない。
「だったら、最初からそれを話せばいいじゃないか。どうして誤魔化したりしたんだ?」
「ぐ………」
 痛い所を突かれた、とばかりに胸に手を当てる御剣。
「御剣?」
 留めのように、名前を呼んでやる。真っ直ぐに見据えると、ついに御剣は完全降伏したようだ。
「……確かにそれでも渡そうとした輩は居たが………」
 やっぱりな。と成歩堂は嘆息した。
 この展開は予測できた。ただ、御剣がどうやってそれを拒んだのかは解らない。昔の事だし、御剣は成歩堂の思考から大いに外れた事を度々しでかすのだから。
「無論、貰う謂れの無い私はそれを断ろうとした。しかし、しつこく食い下がるので、私も頭に来て『ここで受け取ったとしても、後で燃やすだけだがそれでもいいか』と」
「…………………。まった」
 今、かなりとんでもない発言が出たような気がする。
 そして、おそらく彼の性質上、発言した事は……
「なのでその後焼却してやった」
「………………………………………………………」
 やっぱり、の一言も言えないくらい成歩堂は脱力している。
「言った事を実行しただけだというのに、何故だか妙に責められてな。師匠からも『さすがにそれはどうかと思う』などと窘められて、しかしその甲斐があったか翌年はさっぱり貰わなくなった」
 これが真実だ、とばかりに御剣が淀みなく言う。……せめて反省の色を見せて、自己嫌悪しながら言って欲しかったものだ。
(って、言うかあの狩魔豪に窘められるって……)
 この時、成歩堂は狩魔豪にうっかり同情してしまった。あの世でくしゃみでもしている事だろう。
「…………。怒った、だろうか」
 御剣が小声で、窺うように言う。
「…………。怒ったと思う?」
 その理由を言ってごらん、と促すと、御剣がやっぱり小声のまま言葉を紡ぐ。
「……人が贈ったものを燃やすなんて酷い、とか……」
(そういう事は、思えるんだ………)
 御剣だって、馬鹿ではない。どういう場面で人が傷つくかくらい、解るだろう。
 しかし、それを自分の痛みとしない。
 悲しいと思わないから、止めようとも思わない。
 昔の彼は、今よりも排他主義者だ。不要なものは切り捨て、自己を磨いていく。ただそればかりの。
「……………」
 怒られるのを想定して、しかしそれに怯えているような御剣に、成歩堂はそれ以上責めるなんて出来ない。この辺、「甘い」と矢張や神乃木に苦言を貰う言われた。苦いのに甘いという。(どうでもいい)
「……今はそんな事しないよな?」
「もっ、もちろんだとも」
 君が怖いから、という言葉にしなかった声が聞こえるかのようだ。こんなに解り易い人物も、他を見ない。春美だってもう少し上手に物事を隠すだろうに。
 しない理由としてはかなり外れているが、とりあえずは行動させれば意思がその後からついてくるかもしれない。成歩堂としてはそれを期待するしかない。
「じゃ、今年はどっちが多くもらえるか、競争しようか。勝った方が食事奢るって感じでさ」
 成歩堂は極めて明るいノリで言った。
 しかし。
「…………………」
「だからどうしてそこで拗ねるんだよッ!」
 今の発言は君が悪い、と言いたい御剣だった。
 今度、いつここに訪れる余裕が生まれるか解らないから。
 今日、鞄の中にチョコを忍ばせているというのに。
 それが日の目を見たのは、成歩堂が御剣のフォローを終えた後だった。




<おわり>

幼馴染3人で一番義理チョコがもらえそうなのはやっぱり矢張かなぁ。
あくまで義理チョコですが。義理。
チョコを燃やしたらさぞ甘い匂いがすると思う(そこかよ)