アルコール・パニック
「ム、」
と、呻いた声と顰めた顔つきは、今御剣が施している行為を踏まえると滑稽な部類に入ってしまう。
「ん?どうした、御剣?」
御剣のごく至近距離に居る成歩堂は、その顔を覗きこんで尋ねる。
「いや……中々入らないのだが。と、言うか途中で詰まる」
ぐいぐいと押してみるが、加減が解らない故に力が足りないように思える。
「ああ、もうちょっと乱暴に突っ込んでも平気だよ」
「そうなのか?」
「そうそう、……ほら、ちゃんと入った」
御剣は小さく感動しているらしく、おお、と目を見開いている。
「今までこういう事、した事無いの?」
「………。覚えなければ、とは思っている」
御剣の手先の器用さ度合いは、おそらく本人が一番思い知っているのだろう。御剣は綻んだ顔つきをまたしても難しいものに変えた。
「一応、そういう本やDVDはいくつか所持しているのだが……」
「うーん、でもこういう事って、実践するのが一番だと思うけどなぁ。頭より体が覚える感じ?」
「むぅ……しかし、なかなか機会がな……」
口元を引き締めて、いい訳じみた言葉にセリフを途中で霧散させた。その年で出来ない事が、自分でも情けないと思っているのだろう。その胸中を思いやって、成歩堂は苦笑する。
「まあ、僕でよければ練習相手になるし?」
「うム……いつか、君にも満足して貰える様な技術を身につけたいと思う」
「はは、期待してるよ。
……で、矢張はなんでそこに突っ立ってるんだ?」
キッチンと居間の境。本当に境の上に矢張が立っていて、先ほどからの2人のやり取りを傍観していた。
「いや、聞きようによっちゃすっげー会話してるなぁ、と思ってよォ」
間近で見物しに来ました、としれっと言う。
そして録音しておけば良かったと残念に思って居る事は口にはしない事にした。絶対成歩堂に怒られるから……というか現段階で睨まれている。顔が赤いのが迫力を半減させていたが。その成歩堂の横で、御剣が2本目のチクワを手に取り、その穴へキュウリのスティックを通していた。
さっきよりはややスムーズに。
今は週末であり月末でもある。金銭的に慎ましやかに過ごしたい成歩堂と矢張の提案により、居酒屋ではなく成歩堂の部屋で酒盛りをする事になった。
御剣としては、矢張が無条件に成歩堂の部屋!と決め付けて、成歩堂がそれに苦笑もお座なりに承諾したのにもやもやしているらしいが、それでも成歩堂の部屋に行けるというメリットの為にそんな嫉妬にもヤキモチも満たない不満を表に出す事は無かった。御剣が表に出す事が無かっただけで、2人はばっちり気づいていたのだが。
そして夕方から夜の間の時間帯で矢張が合流し(御剣はその前から来ていた)つまみ兼夕食を成歩堂が作り出した。
成歩堂の家のキッチンは広くは無い。と、言うか1人で立って都合のいいスペースだ。だから、御剣の手伝うという申し出を成歩堂は傷付けないように断ったのだが、今で寛ぎに寛ぎ捲っている矢張とは真逆に台所に顔を向けて、じぃ、と「待て!」と言われた飼い犬のように座っていた。そんな御剣の力ありそうな視線に折れたのは成歩堂で、ちょっと手伝ってくれる?と手招きした。そうすれば、ぱっと顔を輝かせて短い距離を小走りで駆け寄った。現状に耐え切れなくなったというのに、余計に悪化したような事態に成歩堂は赤くなる顔を誤魔化すのに集中しとうと努めた。鏡を見なければ、その努力が報われているかは定かでは無いのだが。とりあえず、横に居る御剣はなれない調理に気を取られていて、成歩堂の顔色に気づく所ではなかったのが幸いだった。
御剣は、キュウリを埋め込んだチクワを、今度は均等に切り分けていく。とても料理をしているとは思えない程の真剣な顔つきだ。御剣に包丁を持たせるのにやや心配や不安はあったが、それ以上に火を扱わせる方が怖いような気がしたのだ。食いでがあるのが欲しいと駄々を捏ねた矢張の為に、成歩堂はソーセージとジャガイモを炒めて、ジャーマンポテトのようなものを作っている。ジャガイモに火が通ったようなので、後は適当に味付けをすればいい。塩コショウを、大雑把に振る。そして、味を見るためにポテトの欠片を口へ運ぶ。
「んー……御剣、これしょっぱくない?」
新しく箸で抓んだポテトを、御剣の口へ運ぶ。2本目のチクワに取り掛かろうと精神を集中していた御剣は、虚を突かれたように成歩堂の方へ振り返った。危うく、熱いポテトが鼻と接触する所だった。御剣は火傷しないように、慎重に口へ入れた。
「ああ、塩辛くは無い。美味しい」
「そっか」
中に熱いポテトがあるせいか、イントネーションが何処かもごもごしている御剣の賞賛を微笑んで受け取り、成歩堂はフライパンの中身をざっと皿に乗せた。そして、そのついでにとフライパンをそのままにチャーハンを作り始めた。
まずはお座なりにも乾杯を交わし、矢張は缶ビールを一気に飲み、成歩堂が普通に飲む。御剣はちびりと舐めるような一口で済ませた。その理由は後で判る。
テレビも付けっ放しでだらだらと続く飲み会の最中。御剣が用を足しに立った直後、成歩堂は矢張の耳を引っ張った。
「ぃいってぇ!何すんだよ!」
現段階で一番飲酒量の多い矢張は、早速酒臭い。しかし、成歩堂はそれを気にする訳でもなかった。
「何するんだよ、はこっちだよ!あまり御剣が居る前で妙な事言うなよな!」
キッ!と眦を吊り上げて睨むその顔は、それなりに迫力もあるのだが酒が入っている矢張にはその力のせいであまり効かない。
「んん?俺、何か変な事言ったっけ?」
口元を引き締め、腕を組んで考える。一応、真面目に考えてくれてるようだが、結果は出ないみたいだ。
「さっき。……僕達が料理している時だよ!」
トイレに居る御剣を気にして、成歩堂は小声で怒鳴った。成歩堂のセリフに、矢張は思い至ったのかあぁ、と声をあげて手を打つ。
「俺が何言ってんのか、解ったのか〜。成歩堂も大人になったよなー」
「僕より後に産まれてる癖に、なんだよ。ソレ」
無責任にしみじみ頷く矢張を、じぃ、と半眼で睨む。
「何だ。御剣にはもうバージンやったのか?」
ゴン!!といい音が室内に響いたのは、それは成歩堂がテーブルに額を打ち付けたからだ。
「なななななな、何言ってんだよアホ矢張!!!」
激しく狼狽する成歩堂に、矢張も激しく驚愕した。
「えぇッ!?まだなのかよ!あいつ一体何してんだ御剣のヤツ!?」
「何、って………!て、よく考えたら別におまえに報告する義務は無いよな?」
いきおいで言い募る前に、成歩堂はそこに気づいた。
「ちっ!気づきやがった………!」
「………………………………」
舌打ちする矢張を前に、成歩堂は迷う。
矢張に投げつけるべきは、空になった缶か、皿か……
その結論を出す前に、御剣が戻ってきた。
「……?何だ?」
詳細は解らないが、何かあったのかは解る。だって矢張は成歩堂をあっはっは、と笑ってるし、成歩堂はそんな矢張を睨んでコップを握り締めているし。
「………。何でもないよ、矢張がまた馬鹿な事言っただけ」
成歩堂は一息ついて、胸中の動揺を何とか抑えた。座るように御剣に促す。
「成歩堂ォー!馬鹿な事は百歩譲って認めるとしても、「また」ってのは何だよ、「また」ってのは!
それじゃ俺がいつも馬鹿みたいじゃないかよ!!」
『その通りだろうが』
2人の声がハモる。
「チクショウ!綺麗に揃いやがって!俺だけのけ者かよ!!」
矢張は自棄酒のようにビールを煽る。ごきゅごきゅと飲み干し、ついでに腹に何か入れようと皿に手を伸ばす。バリエーション豊かよいうよりは適当に乱雑された皿の中で、キュウリ入りのチクワだけが少ないという事実を、矢張は大分前から気づいている。
それを一番多く食べているのが成歩堂だという事も。
御剣は、きっと酒に弱くは無い。そこそこの量を飲んだとしても、常と変わらない意識を保つ事が出来る。
が、あくまでそれは意識の事で、体の方は微量でも顕著に反応を示していた。缶一杯飲んだだけで、顔が猛烈に赤くなる。
(そういや、すぐに赤くなる人は酒に強いって言うような……)
そんな迷信だか言い伝えを、成歩堂は御剣を見て思い出す。
御剣は地肌が白いせいか、その赤みが特に際立った。それは矢張にとって格好のネタになるので、居酒屋では車をたてにアルコールを摂取しないか、今日みたいにそれが通じない場合は矢張が潰れてから飲み始める。矢張は一番弱いのに、一番飲むのだ。
そして、最も強いのが成歩堂で、それはこの3人の中でのみ限らず、一般水準を鑑みてもかなり強かった。付き合いの長い矢張は、成歩堂の風邪を引いた所はたまに見るけど酔いつぶれた所はまだ見た事が無いと証言する。風邪と比較する必要は無いと思われるが。
「最近、ビールも美味いと思うようになってきた」
「そう?それは嬉しいかな」
御剣は専らワインやリキュールを自宅で愉しんでいるが、成歩堂は完全なるビール党だ。自分の気に入るものが相手に受け入れられるのは、無条件で嬉しい。
御剣は飲むというにはペースが緩い、いかにも嗜むといった感じで酒を煽る。酔いつぶれるのは酒に対して失礼だというのが御剣の信条で、だから若輩者のみで構築される飲み会には絶対出席しなかったそうだ。彼のコミュニケーション不足の一端を見たようで、成歩堂は何とも言えない気持ちになったものだ。矢張がこうして潰れてしまうのも、最初は顔を顰めていたが、その内「矢張だから仕方無い」と自己完結したのかもうスルーしていく。こうして受け流せる事が出来るのだから、やっぱり御剣は根本が欠けているというよりも、経験が不足なだけなのだ。人との交流というものが。
御剣の飲酒は、2缶目を終えようとしている。その時、件の現象が起こった。顔が赤くなっている。
血行が良くなると、体が熱くなるという弊害もある。味わった事のない成歩堂は感覚が掴めないが、当人が言うにはとても無視できない熱さなのだそうだ。発汗しないから、なお更そう思うのかもしれない。
そんな訳で、今、御剣は成歩堂宅の扇風機を1人で独占していた。風の威力は最大で。長い前髪が後ろに流れ、似非成歩堂チックな髪型になっている。
「そんなに熱い?」
「……うム」
今は半そでが丁度いい季節で、つまりそこまで暑くないという事だ。今は夜で気温も下がっているというのに、御剣は強風を平然と受けている。
「氷でも持って来ようか?」
「いや……そこまでは」
御剣は成歩堂の申し出をやんわりと断る。病気でもないのに、そう気遣われるのは恥ずかしいように。
酔っ払いが見苦しいから行かないとか言うが、本当はもっと単純にすぐに赤くなる反応を見られるのが嫌なのではないだろうか。今だ引かない熱を持て余す御剣を見て、成歩堂は苦笑する。
出来たら腸を変えてやりたいよ、と成歩堂が軽口を叩く。それに、御剣は全くだ、と呟いた。ほとほと、この体質に参っているらしい。それにしても、冷たいビールを飲みながら体が熱くなるとは、難儀な男だ。
時間が経ち、アルコールが身体に回ったようで熱もそれに合わせて上がっていく。先ほど断った冷やしタオルを、今度は受け取り頬に当てていた。そして、襟を掴んでバタバタとさせる。
「そんなに熱いなら、脱いじゃえば?」
店内ならまずいだろうが、ここはアパートの一室なのだ。それくらいはどうって事も無い。
「ム。では失礼する」
こうやって、一言断りを入れるのが御剣だよな、と成歩堂は思った。矢張であれば勝手に脱ぎ散らかしている。
衣服が熱の放出を遮断していたのか、上を脱ぐとやや楽そうにした。
その身体を見て、成歩堂はやや目を剥く。
「うっわ……オマエ、ここまで赤いよ!?」
顔を通り越して首元、さらには鎖骨にまで紅潮は侵食していた。ここまで赤くなるんだ、と成歩堂は思わず感心してしまう。
「そこまでか?」
どこまで赤みが及ぶのか、確認した事の無い御剣は小さく驚いている成歩堂に怪訝な顔をする。
「そうだよ。ほら、ここまで、」
と、言いながら。
鎖骨のややしたを、とん、と突く。
――触れた指先が酷く熱かった。
「……………」
「……………」
(ど、どうしようか……)
思わず、触れてしまった。素肌に。
御剣は何とも思って居ないのか、はたまた現象認識がキャパを超えたのか、きょんとした顔で自分に触れている指をただ見ている。
(離せばいんだ。離せば)
そう、何も無いのだから。他意が無く触れたのは事実だし。
――でも、離れても尚、その指先には熱が篭っていて。
その熱が、全身に回ってくるようだった。
(熱い)
熱すぎる熱さだった。
「……成歩堂?」
気づけば無言だった。それを訝んで、御剣がそっと声をかける。
成歩堂はそれに過剰に反応して、顔を上げ――御剣の視線と、バチッと音が聴こえるかというくらいにかち合った。何かが嵌ったように、2人とも顔を逸らせない。
「…………」
「…………」
成歩堂は御剣を見ている。
御剣は、成歩堂を見ている。
そして。
「…………」
「…………」
「…………。あ、お構いなく」
そんな2人を矢張が見ていた。
後日。矢張はあれは見事にシンクロしたWラリアットだった。やっぱアイツら出来てるよ、と真宵に語るのを成歩堂に目撃され、さらに絆創膏を増やした。
<おわり>
出だしの会話がアレっぽいのはわざと!!ちょっと艶っぽい話を書いてみた!
今までに比べれば艶っぽいだろ!!!(キレ気味)
ヤッパリさん家のマサシくんは、2人の仲を引っ掻き回すだけ引っ掻き回せばいいと思います。
2人だけだと何も動きが無いからな……動きが無いっつーか同じ事の繰り返しっつーか。