ね。
御剣という男は、大概解り易いヤツだ。と成歩堂は常に思っているし、御剣の人となりを知るものなら口を揃えて言う事だろう。関わってそう日の深くない神乃木でさえ言う。
今だって事務所に入るなり少し目を見開き、彼が何かに気づいたというのを如実に語っている。口で言葉を出す以外にも人は情報を多様に放出していると、御剣は理屈では解っているのかもしれないが実感が出来ないのだろう。それが解れば、検事としても人としても、御剣は一皮も二皮も剥けるに違いないと、成歩堂は親にも似た気持ちで心待ちにしてたりする。
「あっ!ミツルギ検事、こんにちわーッ!!」
成歩堂が声を掛ける前に、それまでテレビを見ていた真宵が先に声をかけた。遠くからで大きな声で挨拶をした。
「ん?何か気になる事でもあるの?」
やっぱり、御剣が何かに気づいたのを、真宵だって解ったようだ。最も、彼女は本能的に聡い所がある。周囲の環境に屈しない、どマイペースな発言が多いとは言え。
「いや……先ほど、ここで夏みかんでも食べたかね?」
視線を宙に彷徨わせていたような御剣だが、廻らせていたのは目ではなく鼻だったようだ。そんな事を言う。
御剣の発言に、真宵も成歩堂も、えっ!と驚いた。
何故ならその指摘どおりに、まさに御剣が訪れるちょっと前に夏みかんを2人して食べていたからだ。しかし、その皮はきちんと真宵がゴミ箱へ捨てた為、御剣がどれだけ目を凝らしてもその残骸を見つけることは無い。
と、言う事は。
「匂った?」
「……せめて香った、とでも言いたまえ」
成歩堂が言ったセリフに、御剣が注釈した。異臭ではないのだから、と。
細かいところに拘るなぁ、と思いながら、そういう御剣の細かさはそう嫌ではない成歩堂だ。
「へえ――、ミツルギ検事、すっごーい!どこで特訓したの!?」
「い、いや、特訓などとは、」
ソファに座るなり早々、正面の真宵に詰め寄られて褒められて揺さぶられて、御剣はしどろもどろになる。全部にうろたえているのだろう。真宵程の年頃の女の子に、ここまでフレンドリィに話しかけられる事なんて、きっと今までになかっただろうから。
これも修行の一環だ、と横に座った成歩堂は今度は師匠の心地になって御剣を見守った。真宵なら、御剣の多少の行動や言動にも慣れている事だし。
「だって、夏みかんってズヴァリ当てたじゃない!オレンジかもしれないし、みかんかもしれないのに!」
真宵も真宵でどうでもよさそうな所に食いつく。……まぁ、本人にとっては重要な事かも知れないが。
「オレンジほどの鮮烈さは無く、しかしみかんのようなまろみが無い」
「……ほほぉ〜」
と、御剣の説明に頷いているが、きっと真宵は解っていないに違いない。成歩堂だって解らない。
「こんなに御剣検事が鼻がいいと、なるほどくん、浮気出来ないね!」
ニコッと笑いかけられて言われたセリフに、ブゥ!という噴出す音と共に口に含んだお茶が霧となって宙に散った。
「なな、何言ってんだよ!」
「えっ、だってドラマ見てると皆そういう事言ってるよ。でもなんで、鼻がいいと浮気が出来ないのかなぁ?」
「………。解らない事は言うもんじゃないよ、真宵ちゃん」
矢張は揶揄があって性質が悪いが、真宵は無邪気であるゆえに性質が悪い。ついで言うなら御剣は天然で性質が悪かった。思い返すと一般的にややこしい人だらけの周囲に、成歩堂はちょっと遠くを眺めた。何も無いのに。
「つまりだな、真宵君。他の異性からの香水やらそういう匂いを、」
「説明するな御剣――――ッ!!」
「……………」
「そして顔を近づけるな!僕は無実だ!!」
「………ふム。確かに」
「……今、絶対金銭的方面で僕の潔白を確信したな?」
確かにキャバクラに行く金なんて、どう捻っても出てこない現状であるのは、覆しようの無い事実ではあるが。それにさして行きたいとも思わない。決して負け惜しみではなく。
御剣が成歩堂に顔を近づけた時に、真宵が何やら「おっ」と小さい声を発し、ぽんと両手を合わせた。多分、また場が拗れるようなとんでもない発言を言うのだろう、と成歩堂は諦めの境地でそれを制する事無く見送る事にした。
「本当にちゃんと訓練とかしたら、遠くからでもなるほどくんの匂いで居場所が解ったりするかもしれないね。迷子になった時便利だよ!」
「……便利って何がだよ。真宵ちゃん。そして御剣」
直ぐ横で「それはとてもいい案だ」というような顔で頷いた御剣の頭を軽く叩いた。サラリとした髪がその衝撃で綺麗に奇跡をかくように揺れる。
「だいたいそこまで匂いに敏感になったら、他人の匂いも嗅ぎ取ってしまって区別できないだろ」
渋い顔で言う成歩堂の意見に、真宵が今度は「あ、そうか」、という顔で頬に手を当てた。やれやれ、と特に何もしていないのに成歩堂は妙に気疲れした。
「異議あり」
しかし、安らぐのはまだ早いとばかりに、横から御剣の異議が飛んできた。……ひょうたん湖での裁判といい、どうしてこんな自分にとって究極に困るタイミングばかりで御剣は異議を飛ばせるのか。本人に詰め寄ってみたいが、そんな事をすると「君への愛ゆえ」とか訳の解らん答えを貰いそうで、何となく控えてしまう。多分それでいいのだと思う。
「その主張を通すと、成歩堂。君の中では飼い犬は飼い主の元へは駆け寄れない事になるが?」
「………………いや、もう何て言うか……その通りだけどさ」
それは確かに正論だが、今ここで言うべき事でもないだろうに。
(だいたい、それを今ココで言うと、お前が僕の飼い犬になりたいとか言ってるようなモンじゃないのか……)
なんて思ったせいか、成歩堂の脳内で犬の耳と尻尾のついた御剣が居て、成歩堂がお手と差し出した手にちょん、と自分の手を乗せている光景が展開された。
「……………」
ちょっとだけ、実際にお手と手を出してみようかという悪戯心が沸いたが、それで本当に御剣が素直にお手をしてしまうと、自分だけが気まずいように思えて、止めた。
何て言うやり取りを、遠くに置いて来た数日後。裁判所の資料室に用が出来た成歩堂は、真宵を連れてやってきた……のだが。
「……うぉぉぉぉ。人だ、凄い人だよ、なるほどくんっ!」
目の前の人だかりに、真宵が目を剥く。ハチマキをした老若男女……主に年配が多いが……が一団、塊のように裁判所前で屯していた。どこの局か、カメラマンやアナウンサーがちらほらと居る。
「……そういや、何か国への訴訟があるとか言ってたなぁ……って、真宵ちゃんテレビ見てなかったっけ?」
「うん。でもあたし、ワイドショーじゃなくてドラマの再放送見てるから」
「………そう」
そして真宵は、週刊誌も記事の合間にあるマンガしか見ないのだろう。
「ね、ね。みつるぎ検事も居るかな?」
人だかりに若干テンションの上がった真宵が聞く。
「さあ……やらないとは聞いてないが、やるとも聞いていないな」
「もう!あてにならないなぁー。ああ、こういう時、匂いで見つけられたら便利なのに………」
「…………」
思い出と呼ぶには新しい昔の事を真宵がまた取り上げ、成歩堂は無かった事にした。あの後、さりげなーく成歩堂の匂いを嗅ぎ取ろうとする御剣と、けったいな攻防をしばし繰り広げる羽目になったのだから。嗅がれるのも妙だし、かといって拒むと落ち込むし。
「……あれ?」
過去の回顧に、やや苦い表情をしていた成歩堂がその顔を崩す。
「なるほどくん、どうしたの?トイレ?」
「違うよ!……御剣が居たような気がしたんだけど……」
「え、そう?」
きょろきょろする成歩堂につられるように、真宵も周囲を窺った。が、あの目だって止まない赤いスーツは見えない。
赤いスーツは見えなかったのだが。
「ム……君達も来ていたのか」
成歩堂の横の視界ぎりぎりから、御剣が歩いて現れた。
「みっ、御剣!?」
と、思いっきり成歩堂は御剣の姿に瞠目してしまった。なぜならば、今目の前に居る彼は赤色でもなくヒラヒラでもなくて、黒色でネクタイだったからだ。シャツの色は淡いクリーム色だった。
「みみみみ、みつるぎ検事!その服、一体どーしちゃったのー!?」
真宵も、顎が外れそうな勢いで驚いている。
「……何か、可笑しい所でもあるのかね?」
戸惑うように、御剣が自分の服装を顧みている。普段とけたたましく装飾が違うというだけで、可笑しいという訳ではない。
いや、むしろ格好いい、とすら思える。敢て言えば、もう少し歳を取って貫禄がついたほうが、似合う格好かもしれないが。
「可笑しいって言うか、存在意義を失ってるよ――!!どうしよう、なるほどくんッ!みつるぎ検事が死んじゃった――!!」
「裁判所の前でそんな事口走っちゃダメ!!」
かなりの衝撃を受けている真宵の口を、成歩堂は慌てて塞いだ。もがもが、と真宵がもがく。
「君も、あの裁判担当するのか?」
あの裁判、という曖昧な表現で御剣は成歩堂の差す内容が解ったようだ。こういう所には、鋭い。
「いや、私はあれとはまた別件だ。ただ、本日ここが人で混むのが予想出来たからな。目立たない服を選んで来たのだよ」
「そうか……」
確かに、普段のあの服とは違って大人しい色合いの出で立ちではあるが……目立たないという点はクリア出来てはいない、と思う。現にご婦人方の視線を集中させているのだし。
「……すまないが、もう行かなければならない」
それが建前ではなく、本音で言っているのが解るくらい、御剣の顔には「残念」の2文字が張り付いていそうに消沈している。それを見て成歩堂は、うっかりいつもの癖でその頭を撫でそうになり、上げた右腕を左手で押さえた。
「ああ、うん。また今度ゆっくり会おうな」
その言葉に、やや伏せていた視線を上げ、成歩堂の目を見据えて口の端を和らげた。他人が沢山居るからだろう。いつもより些細な表情の変化だが、かと言って伝わる感情が薄れるという訳でもない。御剣の場合は……と、いうかこの2人の間は。
軽く別れの挨拶を交わし、それぞれの目的へと向かって歩いて行く。その最中で、真宵が成歩堂に言う。
「にしても、なるほどくんよく気づいたねぇ。あたし、全く解らなかったよ」
「うーん、僕もちゃんと姿を見たっていうよりは……気配かな?何となく、そんな感じがしたんだ」
姿で確認したのであれば、その時で仰天しているはずだ。
そんな成歩堂に、真宵はふーん、と頷き。
「こりゃやっぱり、匂いだね。匂いで当てたんだよ」
「……何でそれに拘るんだよ……」
呆れながらもツッコミ、そして何より忘れずに、真宵に大きな釘を刺しておいた。
今の発言を、絶対に御剣の前では言わないように、と。
<おわり>
おそらく今まで付けた中で一番短いタイトルです。
何か真宵ちゃんと御剣が妙に仲よさげなんですが、成歩堂がお母さんだとすれば旦那の千尋さんがお父さんとなり、て事は真宵ちゃんは叔母さんというポジになる訳だ。それなら仲良くて当然だわな、と自分の中で決着がつきました。めでたしめでたし。