アリス・パラノイア



 ゴドー改め神乃木荘龍の裁判は弁護側の正当防衛が認められ、殺人の罪状の割に実にあっさりと終わった。おそらく、警察関係者にとって倉院流はタブー扱いで、出来れば関わりたくないというのが本音なのだろう。
 そんな裏に感づいては居たが、神乃木はその結果を受け入れた。決して消えない罪を償うのであれば、冷たい塀の中であるよりは真宵たちの傍こそがその場所だ。御剣にそう言ったのは、神乃木本人ではなくて成歩堂だった。
 だから、こうして成歩堂の事務所に神乃木が居る訳だ。
 そんな風に状況の顛末や説明は浮かぶのに、それをどうしても受け入れきれない。
 何で神乃木が居るのだろう。どうして成歩堂の横に神乃木が居るのだろう。
 今まで、法律関係の話し相手は自分だけだったのに、真宵だって矢張だってその話題で話し合える事なんて出来やしない。だから、相反する職ではあるけど、同じ舞台に立つ自分が相談を受けていたのに。
 今だって、立て込んでいる案件でもあるのか、御剣に聴かれてもいいような話題を選んで言葉を交わしている。邪険に扱われている訳ではないのだが、この場に居るのが間違っているような気になってきて、落ち着かない。
 しかしそのまま帰ってしまっては、何かに敗退するようで気に食わないて、御剣は意地でも普段どおりの時間を迎えてからここを出よう、と決めた。幸い書類は常に持ち歩いているから、時間の潰しようは出来る。
 目は書面を追っていても、耳には2人の会話が入ってくる。内容は仕事の話なのだから和気藹々しているというより淡々とした口調なのだが、それでも成歩堂が神乃木を頼っているのが判るし、神乃木もそれに応えようとしているのが窺える。
 少し以前には、お互いの存在すら知らなかったくせに。
 そんな事を御剣は思う。
 自分より後から出て来て、どうして自分より近しい立場に居るのだろう。一緒に居る時間が長い真宵や、昔からの付き合いからの矢張ならまだ判るのに、なんでこの男なのか。
 同じ弁護士だからか。
 あるいは、同じ女性への思いを共有出来るからか。
 千尋に対して、全く哀悼の意思が無いという訳では決して居ない。初めての法廷で対峙した相手ではあるし、成歩堂の師匠という浅からぬ認識はある。
 それでも、それは一般標準程度の感傷でしかない。成歩堂の抱えるものに比べ、随分薄くて軽い事だろう。
 哀しんでいるのなら、慰めてあげたい。そう願いたいのだけど、そんな権利が自分には無いのを御剣はよく判っている。する術もない。
 だからせめて、堪えきれなくなった時は、黙って傍に居てあげるくらいの事だけは果たそうと、そう思っていたのに。
 多分、その役割はこの男に奪われる。
 それどころか、彼ならば成歩堂の哀しみをまだ和らげてくれるかもしれない。彼女の死に打ちのめされそうになっても、まだこうして立っている神乃木の存在は、成歩堂にとっても救いになるだろう。
 ああ、だったらこれでいいじゃないか。
 成歩堂の哀しさが薄れるのなら。
 彼女を死なせてしまった無念さの胸の内も、きっと彼には吐き出す事が出来るに違いない。自分には出来ないと思っていた事だ。それを果たせる人が現れて、なんて良かっただろう。
 そうだ、良かった。
 良かった。
 良かったんだ。
 成歩堂にとっていい事が起きた筈なのに。
 なんでこんなに気持ちが沈んでいるんだろう?
 胸の奥から濃い煙のようなものが湧いてきて、喉を圧迫する。
 苦しい。
 気持ち悪い。
 気持ち、悪い……




「――ところで」
 今までの表情を一変させ、神乃木が横を見やる。その先には、ソファに座っている御剣が居る筈だ。
「さっきからあのボウヤは大人しいが、一体どうしちまったんだろうな?」
 確かに、御剣の声はさっきからしない。
 しかし日常会話が苦手な彼が、話に割り込む事はそれこそ法廷以外には無くて、成歩堂もそう気には留めてはいなかった。
 そして、神乃木が視線で指す方向を成歩堂も向いてみると。
 そこには、書類を持った手に力を込めていて、停止したように動かない御剣が居た。書類に目を通す微かな動きすら見えない。まさに、微動だにしていない状態だ。
「? 御剣?」
 自分の机から離れ、彼の座るソファへと向かう。
 きっと、御剣はその声に返事をしたかったのだろう。しかし、声が出るタイミングの時に、御剣はその口を手で覆ってしまった。その仕草で、顔色が悪いのが判る。元から白い肌だが、今は紙の様に白い。それを見て、成歩堂はぎょっとする。すぐさま隣に座り込み、覗き込んで様子を窺った。
「えぇぇぇッ!ちょ、どうしたんだよオマエ!気分悪いの!?気持ち悪い!?」
 吐き気を堪えるように眉に皺を寄せて、緩慢な動きで頷く。
「吐く!?なら、トイレ連れて行ってやるから……」
 しかしこの言葉には御剣は首を振った。連れて行こうとする成歩堂の腕を邪魔するように。
 おそらく、そんな醜態は見せなくないのだろう。御剣の事は成歩堂に全面に任せ、神乃木は事の成り行きを見守っている。
「ええっと、それじゃ……横になったら……吐いた時に喉塞がっちゃうから……えーと……」
 背中も摩れないから、その代わりだろう。頭を抱き寄せて撫でている。真剣な様が滑稽だった。
 的外れのような成歩堂の対応だが、この場では最も効果的だっただろう。徐々に御剣の顔色が元に戻り、顰められている眉間も均されていく。
 それに気づいたのは、御剣本人ではなく、傍観者を決め込んでいる神乃木だったが。


 気持ちを取り直す為に深呼吸を何度かしていた御剣の、呼吸の調子が少し変わってきた。感覚が開いて、浅い吐息。寝息だ、と気づいたのは彼が寝てしまってからどれくらいなのかは、もう判らない。
 こんな窮屈な姿勢でよく眠れるな、と間近にある顔へ、成歩堂はそっと苦笑した。
「落ち着いたのかい?」
 神乃木の声に、ぱっと成歩堂に朱が差す。体調不良者を介抱しているのだが、後ろから見れば寄り添っているように見えるだろう。
「ああ、はい。寝不足だったみたいです。寝ちゃいました」
 御剣を起こさないようにと、囁き以下の音量で告げる。
 成歩堂のセリフに、神乃木がクッ、と笑みを見せる。それは法廷で度々熱いペナルティーを驕った時の顔で、成歩堂は怪訝に思うと同時に警戒する。
「寝不足ねぇ……アンタ、本当にそう思ってるのかい?」
 そのまま、はい、と言ってしまえば手にしてるそのカップが自分の頭に振ってくるように思えた。しかし、そうとしか思っていないのも事実で。
「……でも、こうして眠ってしまってるんだし……」
 寝不足でもないのに、こんな惰眠を貪ったりしないだろうに。
 後ろからソファの背凭れに肘を乗せ、神乃木もまた御剣を気にして小さな声で言う。
「まあ、確かに寝不足であったかもしれないが……取られると思ったんだろうよ」
「えっ?」
「アンタを、俺に」
 成歩堂を置いてけぼりにし、倒置法で一個一個を区切って突きつけるように教えてやる。
「きっと今まで、こうまで強く危険を感じた事が無かったんだろうなあ。だから体の方が拒絶反応示したんだろ」
 そして、成歩堂に気にかけて欲しいという訴えが言葉以外で流出した結果でもあるのだろう。どちらにしろ、この年齢の成人男性とは思えない拙さだ。成歩堂の方が童顔で若く見えるかもしれないが、御剣は内面が途方も無く幼い。知らない、と言ってもいいだろう。
 他に、居ないから。居なかったから。奪われるという危機感を抱く相手も。独占欲を向ける相手も。
 同じ時に、成歩堂もそう思ったのだろう。赤かった顔色を顰めて、憂いるように目を伏せている。
「……教えてやったらどうだい?」
 本当は互いに好きなのだと。
 それを示唆すると、成歩堂が強張る。そんな恐ろしい事は出来ない、とでも言うみたいに。
「……出来る事なら、」
 と呟く声色も切ない。
「僕が好きだったって気づくのは、他に誰かを見つけた時がいい……」
 今気づいてしまえば、全部を捧げてしまう。もしその後誰かを見つけても、自分への誠意を優先してその想いを打ち消してしまうだろう。だから、誰かを見つけた後、自分への気持ちに気づいて欲しいのだ。……あるいはその時でも、吹っ切って自分の所へ還ってしまうかもしれないが。
 自分の思いがどんなに身勝手か。判っているからこそ、成歩堂は哀しいのだ。
 どうして成歩堂だけがこんなに哀しいのか。想いが共通なら、御剣にも背負わせるべきじゃないのか。
 神乃木はそう思うのだが、当事者の成歩堂がそれを拒んでいるからそれに従うしかない。
「だからってな。こう毎回毎回吐きそうになったりしてたら、そいつも持たないだろ」
「……………」
「……そんなに落ち込むなよ、コネコちゃん。叱ってる訳じゃないんだ」
 いつ頃芽生えた想いかは神乃木は知らない。しかし、御剣の感情が乱れ揺れ動く起因になったのは自分だというのは、明白過ぎる程明白だった。ただ御剣は、根源の気持ちに気づいていないから、どうして不快なのかが判らなくて、余計に混乱しているのだろう。だから、それが成歩堂が好きな故だと判ればまだいいのではないだろうか。
 あるいは、自分がこうして目の前に現れなかったら。
 あのまま死ななくても、目が覚めて千尋の後を追いかけるように成歩堂の前に出なければ、この2人の関係も拗れる事は無かったかもしれない。自分への恋情に気づかないでくれ、という成歩堂の懸念も。
 確執が取れた今だからこそ、そう思える事だが。
「俺が引っ掻き回してるっていう自覚はあるんだ。口を挟む権利くらいは、認めてくれよ?」
 茶化すように言ってはみたが、成歩堂は御剣の頭を抱きかかえたまま、沈痛な表情を変えない。
「……神乃木さんは、悪くありませんよ。
 御剣だって、悪くないんだ」
 こうして自分に想いを寄せる事だって、悪い事なんかじゃない。誰かを好きになるのは、素敵な事だ。
(素敵な事なのにね)
 素直に受け入れてあげれられない相手で、ごめんね。
 温もりを感じているのか、御剣の寝顔は安らかだ。柔んでいる。
 楽しい夢でも見ているのだろうか。
 そろそろ起こしてやらないといけないのだろうが、もう少しその中で遊んでいて欲しいような気もする。
 現実は彼に優しくない。
 君の望む自分にはなれない。
 それが判っているから、せめて。
 その夢の中では。
 そっと髪を撫でると、その微かな感触にすら口元を緩ませて感情を示す。
 微笑ましい仕草に、愛しいと思うのに。
 必ず、それには哀しみが付き纏うのだ。
「そうだな」
 成歩堂のセリフを受けた神乃木が、言う。
「そして、アンタも悪かないさ」
「………」
 それには、どうしても素直に頷けなくて。
 深い葛藤を抱える成歩堂の腕の中、御剣はまだ夢の中に居た。




<END>

いつぞやの絵板で描いた嫉妬しすぎて気持ち悪くなっちゃったミツルギ。
子供がエロビデオ見て気持ち悪くなったようなものだと思ってください。

ミツルギがナルホドーが好きでナルホドーもミツルギが好きででもミツルギだけが気づいていないそんな感じ。

以前にもミツナルでタイトルにアリス」を使ったので並べると語感悪いなぁ。
でもそんなの関係ねぇ!!!