三つ子の魂百まで。て言う。
「御剣くん、」
と、呼びかけて自分を引きとめたのは、同じクラスに居る女子だった。それ以上でもなければ、それ以下でもない。
「何だろうか」
なので自分も、可も不可も無い声色と態度で返答する。相手は、友達だろう数名を引き攣れ、真っ赤な顔でもじもじしている。この時点で、御剣は何となくこの後の展開が予想できた。
「今度の日曜日……空いてる?」
顎を引いて、やや上目遣いで言う。
「空いてたらどうだというのだろうか。目的から言ってもらいたい」
自分としては真っ当な事を言っているつもりだが、周囲にすると当たりがキツいみたいだ……なのは反応で窺える。相手もやや顔を覚えさせ、無意味に蠢いていた手も止まる。
「あ、あのね……誕生日なの。それで、お家でパーティーするから、御剣君にも来て欲しいな、って……」
そう言って、顔を真っ赤にさせて俯く。背後に控える友人は、どうしてか喜色が宿っていた。
あまりに予想通りの言葉だったので、御剣はやや面倒くさそうにふぅ、息を吐いた。
「誘ってくれたのはありがたいが、君とはそこまでの交友は無いと思う。よって断る」
「え、あの、ちょっと待っ………」
くるりと踵を返して進もうとするのを、引きとめられる。控えめに見えて結構我が強いのかもしれない。まぁ、女性なんて得てしてそんなものだ。
「何だろうか」
自分の意見を撤回する気は、さらさら無い。
その意思を伝えるやり取りが面倒なので、ややキツ目に睨んで見る。その視線の鋭さに望みは無いと思い知ったのか、何でもない、と発言を撤回した。その後、改めて背を向けて歩き始めたが、それ以上声は掛からなかった。今回は割と引き際が良かったな、と御剣は思う。最悪なのは泣かれる事だ。何ゆえ選択をこちらに委ねて、意にそぐわない返事をされたからと不快に思うのだろうか。ならば最初から選ばせないで命令すればいいのだ。最も、そうされても跳ね除ける自信はお釣りが出て他人に振舞えるくらい、ある。
角を曲がった所で、後ろから「サイテー!」とかいう声がした。
最低で上等だ。自らの意思を曲げて付き合わなければ最高になれないというのなら、自分にとってはそれが最低で最悪だ。
(やれやれ、無駄な時間を過ごしたな)
午後の長い放課だが、それでも一分も無駄にはしたくない。今までは面倒だとは思っても無駄だとは思わなかったが、今は違う。他にやりたい事……と、いうか一緒に居たい人が居る。
「成歩堂」
角を曲がって、その廊下の突き当たりに待っていた。それぞれの分担場所の掃除が終わり、ここで集合すると約束とつけていたのだ。今までは席順で掃除区域が一緒だったのだが、先日席替えをしたので哀しい事に離れ離れになってしまった。次の席替えが待ち遠しい所だ。
彼の姿を見るなり、廊下は走らないというポスターの前を小走りで走る。本当は全力疾走したい所なのだが、それで矢張のように滑って転ぶなどという醜態は見せられない。
「待っただろうか」
「……ううん……」
と、いつもの彼らしくない、歯切れの悪い返事だった。
「?」
いつもだったら、こっち以上に顔を綻ばせて自分を迎えてくれるのに。
どうしたんだろうか。
何かがあったんだろうか。
あれだけ毎日睨みを効かせているのに、鈍感なヤツも居るものだ、とまだ居るかどうか判らない相手に憤る。
「成歩堂……何かあったのかね?大丈夫、何があってもぼくが君を守るから」
だから何でも言ってくれ、と目で語る。
学級裁判で唱えた異議は、彼の為というより自分の為だった。あのまま、決定的証拠も無しに彼に有罪判決が下されたら、あまりに目覚めが悪いから。
それでも、彼は何度も何度も、ありがとうと泣きながら自分に感謝してくれたのだ。だからあの泣き顔を見て誓った。
何をしてでも守る、と。
自分の行き当たりばったりの異議で、それでも救われたという彼を、今度は本当に守ってやりたくなったのだ。
「……あ、いや……その、あのね?」
成歩堂はなんだかとても言い憎そうだ。
しかし、彼に何かあったというのは自分の早とちりらしい。成歩堂に見えるのは戸惑いのようなもので、少なくとも悲しみは無い。
「ごめん」
と、成歩堂は肩を落としてしょんぼりさせて言う。
「む?何がかね?」
さっぱり心当たりが無いので、そう切り返すしかない。成歩堂は自分を窺うように上目遣いになる。さっきクラスの女子にされた時は苛立たしいだけだったのに、成歩堂がやると何だか微笑ましく思うから、不思議だ。
「……さっき、御剣が女子と話してるの、聞いちゃったんだ」
まぁ、位置的にそれもありえない事でもないだろうな、と御剣は冷静に頭の中で地図を展開させる。
「まぁ、聞いてしまったものは仕方無い」
だから気にするな、と微笑んで返す。事実全く御剣は気にしていない。
しかし、成歩堂の方はそれでは済まないようだ。
盗み聞きしちゃった、という後ろめたさが払拭された今、何だか別の意味で自分を見ている。
「……でもさ、御剣ちょっとあれは無いと思うよ?」
「む?」
何がどう無かったのだろうか。首を捻る。
「あの子、御剣の事が好きなんだよ」
「そうだろうか?」
「うん」
誕生日パーティーに来ないかと誘われたが、別に告白はされてなかったように思えるのだが。
「それなのにさ………」
成歩堂も、自分が口を挟む事じゃないと思っているのか、段々と声が小さくなる。ついでに、身も縮んでいるように錯覚する。
(何をそんなに気にしているのだろうか?)
御剣はちょっと考える。
そして、ひとつの可能性を導き出した。
「君の誕生日パーティーに誘われたら、それは勿論行くとも」
「違う!そうじゃないよ!!」
「ム、」
てっきり、自分が誘った時断られるかもというのを懸念していたと思ったのだが、違うのか。
「それでは……君は何を煩っているのだろうか?」
「煩う?」
「何を、気にしているのかね?」
セリフを変えて、尋ねる。
成歩堂は、何だか泣き出す前のように、くしゃりと顔を歪ませた。
彼に泣かれるのは困る。とても困るかなり困る。
「な、成歩堂……」
算数の数式を解くのは簡単だが、こういう場面に遭遇すると、どうしていいか何も判らなくなる。ただ、泣かせたくないという気持ちだけ先行してしまう。
おたおたとしている中、矢張がやって来た。
「おーッス!待ったかー!」
「矢張!!」
と、矢張を歓迎したのは御剣だった。矢張の登場をこれほど嬉しいと思ったのはこれが最初で、そして最後になりそうだとこの時点で予測した。
「ん?成歩堂、どうしたよ」
そんな泣きそうな顔して、と指す。
矢張が来た事では紛らわせないようだ。案外、根が深い。
「う、うム。どうやら、先ほどぼくが女子の誘いを断ったのが、何だか気に掛かるようなのだ」
御剣は藁にも縋る思いで矢張に状況を説明し、助け舟を求めた。
「何ぃ!?何に誘われたんだよ、御剣!!」
何故か怒られた。
「いや、ただ誕生日のパーティーを開くから来てくれと言われて……」
「何ぃぃぃぃ!!行くのか!お前!女子の家に行くのか――――!!」
こいつは怒りたいのか羨ましがりたいのか、どっちなんだ。両方か。
「行くわけが無いだろうが!!その場で断ったに決まっている!!!」
「何でぇぇぇぇぇ!!?」
矢張が不満そうな顔になる。だから何がしたいんだ。こいつは。
「何でも何も……彼女とは家に行くような間柄ではないとぼくが判断したのだから、断って当然だろう。むしろ何故行かなければならない!!」
「………ぅ………」
矢張と怒鳴るような言い合いをしていても、成歩堂へ向ける意識が途絶えている訳ではない。小さく呻くような声は嗚咽だと、瞬時に気づいた。
「成歩堂!すまない……」
学級裁判以来、彼が怒鳴り声に恐怖を抱くのは知っていた事なのに。うっかりつられて大声を出してしまった。
成歩堂は、何やら否定するように首を振る。
「そうやって断った時の御剣……何だか怖かったんだ………」
涙が浮かんで潤む目で、そう言う。
「む……怖い、と……」
うん、と小さく頷く。
「ふーん……って、事は。成歩堂は御剣が怖い顔してんのが嫌だったんだなー?」
矢張が今ある材料だけで強引に結論へと導こうとしている。
「………そうかも」
成歩堂はちょっと引っ掛かる所もありそうだが、それも強ち嘘でも無いと認めた。
「そうかそうか。おい!御剣!」
「何だろうか」
異議を唱える時の動作のように、指をビシィと突きつけたその腕をバシィと叩き落す。
「今度から、断る時にでももーちょっとにこやかにやれよ!成歩堂が怖がってんだろ!」
なぜこちらにとって得でもない要求を突きつけた相手にそんな愛想を振り向かないとならないのだろうか。この男の理念は理解出来ない。
が、しかし。
「……そうなのか?成歩堂」
俯く顔を覗きこみたいのを抑え、尋ねる。
「……だって、そうやって冷たく断った後、御剣、悪口言われちゃうよ」
相手の子が悲しむのも嫌だけど、それが一番嫌。と、成歩堂は言った。
「………そうか」
何か今一色々釈然しないものは一杯あるけども。
成歩堂が自分の心配をしているというのなら、それを自分は全力で叶えたいと思う。心から。
「では、今度からもう少し態度と言葉を選ぶようにしよう」
「本当?」
「信用できねーなぁ」
成歩堂は信じ、矢張は疑った。矢張の前を通り過ぎ去る時、うっかりを装ってその足を踏みつけよう。
「よし!話もついた所で、遊ぼうぜー!」
「うん!」
矢張がはりきって言う。それに、成歩堂が元気よく頷いた。いつもの成歩堂に戻ったので、御剣も表情を和ませる。
それでも矢張の足を思いっきり踏みつけるのは、忘れなかった。
「いってぇぇぇ―――――!!」
「む。すまん。ついうっかり」
「矢張、大丈夫?」
「成歩堂、君が気にする程でもない。さぁ、行こう」
さり気なく手を握り、歩き出す。成歩堂はそれでもちょっと気になるようだったが、矢張が威勢よく飛び跳ねているので特に異常は無さそうだと判断したのか、手を握り返して、御剣の顔を見てはにかむ。
そうして、御剣はまた一層嬉しそうに笑うのだった。
なんて言う、懐かしい過去を矢張だけが振り返っていた。
幼馴染他2名は、それどころではない。
「何であんな酷い断り方するんだよ!もうちょっと言いようってものがあるだろ!?」
きっかけは些細なものだ。
待ち合わせ場所にて立っていた御剣は、その時道を尋ねて声をかけた妙齢で美人の女性に対し、にべも無ければ笑みも愛想も無く、「其処に交番があるのだから、そこで聞いたらどうだろうか」と鉄の程度で女性を追い払ったのだ。それを自分と一緒にやって来て、目撃した成歩堂はそれにぷんすかしている訳だ。
「し、しかしだな。傍に交番があるのにわざわざこちらに声をかけるとは、可笑しいとは思わないか?」
法廷の時とは全く逆に、御剣はおどおどと自分の意見を並べ立てる。
まぁ確かにそれには一理ある。逆ナンパかあるいかキャッチセースルの可能性は十分にある。
(まー、どっちにしろ、俺は誘いに乗るけどな)
だから貴様とトラブルは親密な関係なのだ、と御剣が聞いたら咎めるだろう。あくまで聞いて居たらの話で。今はそんな場合じゃない御剣だ。
「だとしてもだよ!なんであんな言い方しか出来ないんだよ!」
「………………」
ここで素直に「君以外に気を使う必要が何処にあるのだろうか」と言うともっと怒らすのを御剣は経験上思い知っているので、ここは黙秘で通すしかない。嘘もつきたくないので。
「どうして黙るの?」
「……………」
「……成歩堂ー。俺腹減ったよー」
矢張は御剣に助け舟を出した……訳でも無く純粋に空腹なのだった。
それに成歩堂は、見せ付けるように矢張に笑顔を浮かべる。
「ああ、うん。ごめんね。じゃ、行こうか、矢張」
「!!!」
自分には向けられなかった呼称と笑顔に、御剣はがーんとなる。そのショックは尾を引いて、並んで歩く自分たちのやや後ろをついて歩く。まるで背後霊みたいだと矢張は思った。
「……なぁ、許してやれよ」
あんなのと同席したら飯がマズくなる。矢張は思う。
成歩堂は、やや憮然としている。
「いいんだよ、ちょっと懲らしめてやらないと……」
(……でも、態度改めないと思うんだけどなぁ……)
ややこしくなるのを恐れ、矢張は胸中で呟く。
結局小学生時代のあの時以降だって、会話を短く一刀両断していたのを、やや交わす言葉が増えただけで結果は何も変わらなかったのだから。それはもう虚しい程に。御剣のやり方が巧妙だったので、その辺は成歩堂は気づいてないみたいだが。
(それが続きゃー、今はもーちょっと平穏だったかもなぁ)
例え見せ掛けでも。
しかしその後御剣は大きな傷跡を抱え、子供の頃の将来の夢やその時あった技量も今は失くしてしまったらしい。何より成歩堂も人生経験を積んで、ちょっとやそっとでは誤魔化されなくなった。
果たしてこれでよかったのか、悪かったのか。
それはきっと、誰にも、当事者すら判らないのだ。そう、たぶん。
ふぅ、と成歩堂が疲れたような溜息を吐く。どことなく寂しいそれを。
「……もうちょっと、態度を柔らかくすれば、それで大分周囲の反応も変わってくるのになぁ……」
成歩堂の呟きも最もだ。
しかし矢張は知っている。
思い知っている。
御剣に、成歩堂以外に優しくしろというのは、亀に向かって空を飛べ、と言っているのと同義語だという事を。
まぁ、それでも奇跡か突然変異でも起これば出来なくも無い事だろうか、その亀は地面で転がっている現状をとても気に入っているのだから、いよいよ仕方無い。翼を手に入れたところで飛んでくれるかも怪しい。
「ま、なるようになんだろ」
それしか言えない矢張だった。
何だかんだで御剣に甘い成歩堂は、後ろを振り向いて困った笑顔で離れている御剣を呼び寄せるのだろうし。
互いに思う事がちぐはぐで上手く行ってないような二人だが、一緒に居たいなら何も考えずに居ればいいのに、と矢張は思う。
(ガキの頃は簡単に出来たってのになぁー)
大人って難しい。ちょっと甘酸っぱくなってみる。
その時、成歩堂が後ろを振り返った。
「御剣」
それだけ呼んで、しかし御剣の足がやや早くなったのを何となく感じる。
そして御剣が、とても嬉しそうに昔みたいに微笑んだのは、赤くなっている成歩堂の耳で判った。
<おわり>
人生経験が無いのでミツルギに騙されている成歩堂、みたいな。まぁミツルギも騙してるつもりは無いけどね……
でもこれが普通だ、って思わせる事が出来てたら今頃(24〜6歳)にはチューところか行く所まで行っちゃえたのかもにな!!
あーっ!勿体ねぇ!!
大概昔話出した後、ちょろっと現在、ってパターンが好きですかね。比較と言うか対比というか。
どっちが幸せなんだろうな、って言うか。