ウロボロスの輪
「……随分疲れた顔だな、牙琉検事」
わざと検事呼ばわりしてみれば、敵意の篭った視線で貫く。最も、そんなものは痛くも痒くも無いが。
「何、今度はアンタがお説教?生憎だけど、一通りの事はもう聞かされたからさ。
出る杭は打たれるって判ってたけどね。……正直、ここまでとは思ってもみなかったよ」
挑発的な言葉は、しかし彼の精一杯の虚勢なのが目に見えた。
疲れの色が見える。精神的に、参ってる。
「もっと胸を張ったらどうだ?デビュー戦にして捏造を暴いた、検事局きってののサラブレットなのだろう?」
「……サラブレット?よく言うよ」
はっと響也は嘲りの表情を見せた。
「そんな事、アンタもどうせ思っていないんだろう!何だよ、どいつもこいつも、ぼくの事……!」
ギリと奥歯を噛み締め、屈辱を耐えているかのようだった。
確かに、審理において最も許せない不正を暴いたにしては、響也はその実績が認められているとは決して言えない。過言してしまえば、優遇されていない事実が冷遇されているようにも見えた。
あれだけの事を果たしたのにそれが認められていないとなれば、それ自体を疑わしく思うのが人情ってものだろう。検事局内において響也の評判は芳しくない。
最も、その辺りの無粋な推測は、事実だけをそれとして認めている御剣には理解出来ない心境だが。
「どうしてだか教えてやろうか。牙琉響也」
「…………?」
ここ暫く、敵意や悪意を跳ね返す事しかしなかったのだろう。それ以外の事には、咄嗟に反応出来ないようだ。
「ひとまず考えてみる事だな。成歩堂龍一の今までの功績の事を」
「……………。………………っ!」
戸惑っていた目が、すぐに何か思い当たったかのように見開かれた。頭の回転が早いにしては気づくのが遅い。それだけ、周囲の反応に翻弄されていたのか。
「そうとも」
御剣はゆっくり頷いた。
「現両局長が今の椅子に座っているのは、彼が結果として前任者の追放に一役買っているからだ。
彼が不正な弁護士だったとして、過去の判例を洗い流されて一番迷惑を被るのは誰だと思う?」
警察局長は元より、検事局長も狩魔豪が裁かれた審理の後、その席を退いている。何らかの責任を押し付けられたのだろう。
「……そんな……だったら見過ごせって言うのか!」
響也が叫ぶ。
「そうは言わん。しかし、噛み付く相手とその後の事をもっと見極めるべきだったな。その点については浅はかだと言うしかない」
「何を…………!」
「信念に基づいて告発したと言うなら、いかなる結果も甘んじて受けるべきだ。自分の誇りの為にも。
君にその覚悟が無かったのなら、それはするべきでは無かっただろうな」
「!……………」
響也が今、何を辟易しているかと言えば、周囲の勝手な酷評を払いきれない自分の不甲斐無さだろう。その辺には、自分にも心当たりがある。その点をついてみせれば、響也は呆気なく黙り込んだ。
「……でも……そんな事言われても………!」
「そうだな。過ぎた事を嘆いても仕方が無い」
素っ気無く言い放ち、御剣は上着の裏から封筒を取り出した。それを響也に差し出す。
「…………?」
力ない目でそれを見る響也。
「私は今、海外研修を途中に緊急帰国という形を取っているのだがな。君がその気なら、その研修を引き継いで貰いたい。これは推薦状だ」
「……なん、で………?」
「風向きが逆に吹いている時は、どんな球を投げても自分に当たるだけだ。暫く、ほとぼりが冷めるまで日本から離れていた方がいい」
「……………」
「君の裁判は見させてもらった。最後は頂けなかったが、そこまでの運びはまぁ、及第点をつけてやらないでもない。英語に長けているのなら、言葉に不自由もしないだろう。
………まぁ、やっていける自信が無いというなら私も無理にとは……」
御剣の言葉が言い終わらない内に、響也は封筒をひったくるように奪い取った。
「……行ってやるよ。行けばいいんだろう?」
まだいじけたような拙い物言いだが、先ほどは薄れかかっていた光が目に宿っている。
それでいい、と封筒を握り締めている響也に、御剣は目を細めた。
「………で。
厄介者払いが出来てそれと同時に自分は日本に残れて。貴方にしては一石二鳥って訳ね、怜侍」
「甘いな、冥。数年後にはこちらの手駒が増えるのだから三鳥だ。
いや、成歩堂に彼の事を頼まれていたから、それを果たせれて四鳥にもなるか?」
カップを片手に、冷静な姉弟子に向かい御剣はニヤリと笑う。
「手駒、ね。そうなる確信でもあるの?」
「卑しくも真実を追いたいと思うのであれば、こちら側につくしかあるまい?
何に差し金されてあのような真似をしでかしたかは知らんが、それも彼の正義感を利用されたものだと私は睨んでいる。その人物から距離を置くためにも、あの処置だ。彼に言った事も、嘘では無いしな。
別に自分の私利私欲の為だけに彼を海外に追い払った訳ではない。……ただの私利私欲のみの場合、バレたら酷い事になるからな……」
遠い目をする御剣。それでも、考えうる手段と方法の中で、自分に利益があるものを選ぶちゃっかりさはしっかりある。
誰にバレたら、というのはぼかしたが、勿論それが誰なのか冥にははっきり判っていた。
「それにしても、他人に引き継ぐ事によく上が承諾したわね。こんな半端な時に」
「向こうとしても、今の時点で渦中の検事が日本に居るというのは思わしく無いのだろうな。そこで、渡りに船、とまではいかなくとも私と天秤にかけてあちらを取ったようだ。
……おかげで折角手に入れた情報を何一つ使う事無く済んでしまったのは、やや詰まらなく思ったな」
こくり、とダージリンを一口飲み干して、カップを受け皿にカチャンと置いた。その口元を吊り上げる。
「………いや、しかし。己を改めてから証人を操作しないで真っ当に審理をしてきたせいか、ひさびさだな、この人を手で転がして、都合のいい方へ動いた時の快感……!
クックック、……思わず含み笑いも止まらんよ……!」
「……こういう時の貴方って、本当に生き生きしてるわね」
どす黒く不気味に含み笑いを繰り返す御剣を特に気にするでもなく、冥も自分の紅茶を愉しんだ。
「それがどうして成歩堂龍一に対して発揮されないのかしら」
何気なく呟いた言葉に、御剣の含み笑いがストップボタンでも押したみたいに止まる。
「……されないと言うか……しても看破されると言うか……」
「情けないわね」
ぼそぼそ呟かれる言い分をスッパリと切り落とす。
そこまで言われては御剣も黙っては居ない。すぐに反証に出る。
「何を言う、冥。あの顔にひたすらにこやかに、事実突きつけられて自分の主張突き崩されてみろ……仕舞いにはすいませんとしか言えなくなる……!」
いつかの時を思い出して、顔を青ざめる御剣。
「そもそも私はそんな突き崩されるような理不尽な欲求はしないわ」
この場合、冥の言い分が全面的に正しい。
御剣は、ふー、とやるせない溜息をついた。
「……常日頃とは言わんが……傷ついている今くらいは、この手に堕ちてくれてもいいものを。
……そうしたら、何をしてでも守ってやれるのに……」
それくらいの力くらいは、身につけたつもりだ。
醜い物には目を塞ぎ、痛い物からは遠ざけて。
どんなに弱い姿を晒されても、変わらず想い続ける自信はあるのに。
相変わらず彼は一人で立って、しかもその腕にまた誰かを抱えようとしている。そしてその開いてる手に、未だ自分は繋いでもらっているのだろう。自分に離す気が無いのが問題だろう。
その分の見返りに、この体ごと捧げて守ってやりたいのに。
彼の為に自分が動くと、感謝と一緒にどことなく悲しそうな目をする。……申し訳ないとでも言うように。
(全く馬鹿な事だ。君が居て今の私があるのだから、君の為に費やして然るべきだろうに)
最も成歩堂からしてみれば、御剣が御剣らしく人生を送れるようにと尽力を尽くしてきたのだから、それを自分の為に使われるのはお門違いも甚だしいのだろう。その辺りの事は判っている。
判っては、いるのだが。
「仮に成歩堂龍一が貴方の望む通りになったとして」
冥の声に御剣の意識が戻る。
「……仮にとは酷い言い様だな。実現不可能と言ってるのと同じではないか?」
「だって、成歩堂龍一が貴方の手に収まるとはとても思えないんだもの」
操るムチのように、ピシャリと言い放つ。御剣は反論しない事で返答とした。
「それで、全部が片付いた時……その後、ちゃんと離してあげられるの?」
「………………………………………………」
「そこで沈黙するからダメなのよ、貴方は」
辛辣な冥の言葉に、御剣は窓の外を見てカップに口を付けた。
そろそろ、花粉の時期も終わりそうだ。緑が増えた街路樹に、季節の移り変わりを思う。
<おわり>
魔王御剣さんその2。
この時御剣さんが海外研修中でも上手い事言ってそれを響也に押し付けれたら万々歳じゃーん☆と自分で思って自分で鼻歌歌いたくなった。ホントに本命の前ではいらん知恵がクルクル回るなぁー。
いやでもメイスンシステムの人物ファイルに響也が居ないのは何度見ても笑える。ム、まさか本当に海外行ってたのか(んな訳あるか)