Magic Of Kiss
いつだったか、うんと幼い頃。
上手く手が回らなくて、どうしてもマジックが成功しない事にみぬきは苛立ち、母親にもう嫌だと不貞腐れていった。
「みぬき、魔術するのもうイヤ」
「どうして?」
と、優しい母親の声。
「だってどんなに上手く出来たって、タネがあるんだもん。全部嘘っぱちなんだもん」
本当は上達しない自分を認めるのが嫌で練習を放棄したいのだが、それは見っともないと感じるプライドはある為、みぬきはそう言った。
が、あながちただの言い訳でもない。
観客たちに魔法のように見せる癖に、している自分たちはそれが魔法ではないと、タネも仕掛けもあると知っている。悪く言ってしまえば相手を騙すような自分たちの生業を、みぬきは何となくだが矛盾みたいなものを感じていた。
幼い我が子の初めてのスランプを、優美は怒ったり練習を強制したりはせず、まずは屈んでみぬきと視線を同じにした。
「そうね。本当はタネも仕掛けもあるから、嘘をついていると言えるかもしれないわね」
そう言いながらも、優しい微笑みを浮かべる母親を、みぬきはじぃ、と見ていた。
でもね、と優美は続ける。
「魔法より、魔術の方がいい事もあるのよ」
そして、悪戯っぽく言った。
みぬきが成歩堂の娘として生活するようになって、早半年が過ぎようとしている。そろそろ、季節は年末を感じさせる頃だ。
魔術師として各地を旅する一座なので、静か過ごす1年なんてみぬきは体験した事が無い。けど、この1年こそは他のどの年よりも(と、言ってもまだみぬきは8年くらいしか人生を過ごして来ていないが)特別なものだった。と、いうか、特別な人と出会った年だった。
「パパ?」
そう呟き、ただいまを言わず、こそっとみぬきが帰宅するのは昨日自分が眠る時にも帰らなかった成歩堂が、今眠っている事を考慮してからだ。実際、そのみぬきの予想は当たった。
毛布でも被らないと寒いだろうに、成歩堂はパーカー姿のまま横になり、寝ていた。規則正しく、穏やかに胸が上下する。
(寝ちゃってるや)
寝ているかも、とは思っていたが、実際眠られていてみぬきは少しがっかりだった。成歩堂と居ない時にあった事を、何から何まで全部話したいと思っていたからだ。特に大きな事件は起きていないのだが、何気ない日常こそ思い出を共通しておきたいのだ。
みぬきは知っている。人は簡単に消えて居なくなる。
目の前にずっと居続ける事こそ、難しい。
成歩堂を起こさないように、そっとランドセルを片づけたみぬきは、成歩堂の横にちょこんと座った。
とてもよく眠っている……ように、見える。
今なら出来るかも!と顔を輝かせたみぬきは、んー、と唇を尖らせて成歩堂の顔へと近づいていく。
と、それを阻まれた。
成歩堂の手によって。
「ダメだよ」
と、成歩堂はみぬきにおやつをあげるのと同じ顔で言った。ちぇっ、とみぬきは尖らせた唇で舌打ちした。
「パパも頑張るねー。いい加減諦めちゃえばいいのにー」
唇を尖らせたまま、みぬきは言う。成歩堂は、少し困ったように笑って。
「いくら可愛い娘の頼みでも、こればっかりは聞けないなぁ」
むしろ、娘だからこそ聞けないのだろうけども。
もしも他の出会いであれば、大人しく唇にキスさせてくれるのだろうか、と思ったが、この形以外での自分たちの出会いは有り得ないだろうと、みぬきはよく理解していた。
「どーしてもダメ?」
「うん」
もう何度目かも解らないやり取りを、成歩堂は毎回律儀なまでに受け答える。まるで償いみたいに。
「ダメなの?」
「そうだよ」
「…………」
頷いてみせてから、成歩堂はまだみぬきにおやつを与えてない事を思い出した。
「今日はね、いいものを貰ったんだ」
ニコッと笑ってから成歩堂は立ち上がった。どうやら、今日(もしくは昨日)会った人物、おそらく昔からの知人に貰ったようだ。歩き出す成歩堂の後ろを、みぬきもとてとてとついていく。
「……口にキスしちゃダメだなんて」
箱を取り出す成歩堂へ、言った。
「まるで、魔法みたい」
みぬきの言葉に、手がまだ途中の成歩堂は振り返った。
振り返った成歩堂は。
「……そうだね」
と、とても穏やかに笑う。
みぬきは、小さい頃母親に言われたセリフを思い出していた。
「魔法はね。タネも仕掛けもないけれど、キスしたら解けちゃうのよ。だから、魔術の方がいいの」
そうしてみぬきは、投げ出した練習を再開させたのだった。
「きっと、パパにはタネも仕掛けも無いんだね」
「うん?仕掛け??」
「だって、そういう事なの」
「?」
成歩堂は首を傾げる。
そして、みぬきはその事実はとても嬉しくて、少し哀しくて。
貰ったクッキーは美味しくて、魔術師としてのスキルをもっと上げよう、と思った。
<END>
日本版でリメイクされた奥様は魔女の中で「おや、キスされちゃったから魔法が解けちまったよ」とかいうシーンが印象的だったので。
「なんで解けちゃったの?」とか思って「あー、そうか!」とものすごく納得してました。魔法だからキスすると解けちゃうんですよね。