未だ亡くならない人



「何か、”未亡人”って言葉の響きが好きなんですよねー、私」
 先輩と後輩として、信頼関係がそれなりに(一緒に飲みに行けるくらいには)気づかれた頃、彼女はそんな事を言う。取ったアルコール量を鑑みると、陽気で弁舌になっている程度の酔いが回っているのだろうか。
 くぃっとグラスを傾け、喉を潤すと彼女は主張の続き、というか詳細を語る。
「ねぇ、”未だ亡くならない人”って。本当は亡くなってなくちゃいけないのに生きてる人って感じで。
 ちょっと聞こえが悪いかもしれませんけど、私は好きなんですよね。そう罵られても尚生きる強さ?みたいなのがあって」
 ここで一旦セリフを区切って、少し微笑む。
「大切な人が亡くなるって、哀しい事ですもの。しかも、血の繋がった家族じゃなくて自分で探し当てた人だったら、なお更。それでも生きていく覚悟って、何か途方も無く美しくて気高いような気がするんですよねぇ」
「クッ……生憎だが、俺は殺しても死なねぇ弁護士として界隈で有名なんだぜ?」
 揶揄して言うと、彼女は一層可笑しく笑った。
「別に神乃木さんの未亡人になるつもりはありませんよぉ、私!」
 それはあらゆる意味で正しかった。
「それに。むしろ強いて言えば、そんな風に誰かの心に残りたいんですよね、私」

 そしてその言葉は真実となった。



「……あぁ、うん。大丈夫だから、うん。お大事にね、って伝えておいてね」
 気持ちを伝えるように、最後の一文はややゆっくりめに喋って電話を切る。
 今日、本来の予定なら真宵も春美もこの事務所へと来るはずだったのだが、昨晩春美が熱を出したらしい。ある程度成長しきるまではよくある事だ。自分だって、小学校の頃は度々学校を休んだ覚えがある。
 今は平熱に近い微熱に戻っているらしいが、やはり大事をとって休ませるべきだろう。そして、その看病には勿論真宵が当たる。実際に彼女が看ていなくても、居ないと春美が寂しがるだろうから、やっぱり傍についている事には変わりない。
(……って事は、今日は神乃木さんと二人きりなのか……)
 それは決して悪い事でも嫌な事でもない。……多分。
 あえて言うなら、ややこしい事とでも言うのか。
 法廷で裁判長をも自分ワールドに巻き込む神乃木話術が自分だけに集中するのだ。気楽には居られない。
 しかも、あの少女二人の居ない時には……下ネタというか、それギリギリの深読み出来そうな妙な物言いで自分を翻弄してくれるのだ。
 このように。
「なぁ、まるほどう。アンタ千尋の子供でも孕んじゃいないか」
「……………」
 給湯室で互いに立ったまま淹れ立てのコーヒーを口にして。
 さっきから目線が下に行ってるなーと思ってみて出た発言がこれだ。
「…………。あのですね、神乃木さん?僕、男なんですよ??知ってます?」
 わざと挑発するような、慇懃な態度を取る。これで相手が怒らないと思っているのはある種の信頼なのか。
 確かに神乃木は怒気を起こす事も無く、むしろ愉快そうに口角を吊り上げた。
「そんなちっぽけなアンタのちっぽけな遺伝子の隅っこに捕らわれてたんじゃ、でっかい夢追えねぇぜ!」
「些細な現象が齎す多大な影響は、何度も自分で経験してますからね」
 成歩堂もいい加減慣れるので、それくらいで脱力はしない。
「だいたい、いきなり何ですか。僕が千尋さんの……子供孕んでる、とか何とか」
 うろたえてはいけない、と思いつつも、やっぱり彼女が絡むと変に意識してしまう。ややセリフに間が生まれたが、スルーしてくれるだろうか。
「別に妊娠してるとか言ってる訳じゃねぇんだから、間違ってもないだろ」
「いやいやいや。同じですってば」
 どーゆー認識の仕方してんだ、とやや疲れを感じてしまった。
「それに、していても別に可笑しかねぇと思うんだがな」
 と、割かし呑気な口調で言い、またしても相手の腹部に目をやる。顔には仰々しいマスクがあるが、彼は自分の視線くらい簡単に看破するだろう。
「可笑しいでしょう!逆ならともかく!」
 自分でそう言いきった後、堪らず赤面してしまった。彼女が自分の子を孕むだなんて、とんでもない。それならいっそ逆の方が……ってこれじゃまんま相手に飲まれている。成歩堂は慌ててその考えを引っ込めた。
「まるほどう。何だって俺は、法廷でアンタに散々コーヒーを奢ったんだと思う?」
「は?……嫌がらせ?」
 急に何を言い出すんだ、と戸惑いながらも、それなりの答えを提示してみる。
「違う。俺は葉桜院の事件の時以前から、いや一目見た時からアンタの中に千尋を見つけていたんだろうよ。アンタが千尋の匂いをぷんぷんさせやがるものだから、コーヒー被せて誤魔化しちまおうと思ったのさ。まぁ結果は惨敗だったがな。結局アンタの中に千尋は居たのさ。それはコーヒーが黒くて熱いのと、同じくらいの真理なんだろうぜ」
 そう言って、コーヒーをぐびりと煽る。
「そこまで千尋の気配のするアンタなんだから、もしかして孕んでるんじゃないかって思っても不思議じゃねぇだろ?」
 ニヤリ、と笑ってカップを突きつける。その先の成歩堂は、なんだが憮然としたような表情で、顔をやや赤く染めていた。怒りではないのは雰囲気で判る。それを装うと失敗した事も。
「結局、さっきから貴方は何が言いたいんですか」
 自分が当てもなく無意味な事を言う人間では無い、という信頼を見せられたようでややくすぐったくなる。
 しかしここ一番は不敵な笑みを浮かべ、そうして真実を告げるのが自分のルールだ。
「アンタは、千尋の未亡人なんだろうぜ」

 早くに逝った彼女は、それでも不可能と思える切望していたものを手に入れた。




<了>

なるほどくん未亡人シリーズですね(何それ!)
ここまで来たからには(ってこの時点じゃ他には霧人さんしかまだ書いてないよ!)他の人視点も書きたい所でごんす。
多分これの続編が書きそう?(何気に疑問系なのが計画性の無さを現している)
つまりホースケ見て「ほほぉ、アレが千尋とアンタのベイビーか」という神乃木さんの話。