HERO
即効性であったその毒を煽りながら、この時間まで何の変調も見られないという事は、保存(?)の仕方が悪かったのか毒素はすっかり抜けきっていたという事だろう。
とは毒を飲んだ事には変わりなく、いや毒云々を抜きにしてガラスの破片が胃の中にあるという状況は医学的に見るまでもなく異常事態だ。
そんな訳で、千尋が人生二度目に弁護をした元・被告人の成歩堂は、病院に入院する事になった。
(一応、お見舞いに行った方がいいわよね)
と、千尋は適当な額の果物の詰め合わせを持って、彼の病室を訪れた。法廷が終わった後もピンピンしていたが、人間というものは、何時取り返しのつかない事態に陥るか、全く想像つかない。そう、全く。
「…………」
病院には、もう暫く行きたくない。
そう、固く誓ったのは、そう遠くも無い、けれど大分時間の過ぎた事。
「千尋さん!?」
と、自分を見て相手は心底びっくりしたような顔と声をした。扉が開いたのは、てっきり医師か看護師でも来たのかと思ったのだろう。上半身を起こした体制のまま、こっちを凝視するように見ている。
「ど、どうしたんですか?こんな所に。あ、もしかして風邪でも引きました?」
「何言ってるの。貴方のお見舞いに決まってるじゃない」
何故その可能性が思いつかないのか、と呆れながら突き出すように果物の詰められた籠を差し出す。持って行くのは花にしようか迷ったが、男の=食べ盛りという図式を勝手に立てて、果物にしたのだった。
成歩堂はその籠を、きょとんとしたような顔で見て、ようやく頭が動いたのか只管恐縮した。
「す、すいません、弁護までして貰って、お見舞いまで……」
「もう、何を謝ってるの。貴方は何もしてないんだから、堂々としてなさい」
と言ってから、いや待てよ、最初の方は嘘をつかれたわね、と千尋はちょっと明後日な事を思った。
「…………」
「? どうかした?」
「……いえ」
一瞬、呆然としたように自分を見ていたかと思えば、泣き出しそうに顔をくしゃりと歪めた。けれど、その後はにかむように、ちょっと俯いて微笑んでいる。自分では気づかないが、言った事かした事が彼の心の琴線にでも触れたのだろうか。
「それで、」
と、千尋は話題を転換させた。と、いうより本題に入らせてもらう事にした。
「検査の結果はどうだったの?本当に、大丈夫だった?」
窺うように尋ねると、その不安を消し飛ばすように成歩堂は明るく笑ってみせた。
「はい!どこも異常はありません、って言われました」
胃の中のガラス片も、内視鏡みたいな何かで取ってもらった、と説明した。上手な医師だったので、吐き気を催す事もなかった、と言う。
「良かった……」
千尋は心の底から、そう呟いた。
「でも、一応今日の夜は入院して、明日退院するんです」
「……そうね。事は慎重にした方がいいわ」
あの毒が齎した悲劇を、千尋は思い返していた。
良かった。
この子が、この子だけでもその毒牙にかからないで、本当に良かった。
そんな事を考えていたせいか、自分の顔は思いの他険しくなっていたみたいだ。目の前の彼が、ちょっと目を丸くして、申し訳無さそうにする。
「ご、ごめんなさい。裁判中にとんでもない事してしまって………」
「…………。そうね。確かにとんでもなかったわ」
一瞬フォローを入れようかと思ったが、実際とんでもなかったので、素直に彼の言い分を認める事にした。あれだけとんでもない被告人は、おそらくこれからの弁護士人生でも早々お目にかかれないだろう。……いや、出来ればもう二度とあって欲しくない。
と、千尋が肯定する言葉を言ったので、成歩堂はますます身を縮こませた。自分よりもちろん背丈のある青年だが、こうなると小さく見える。いっそ、年の離れた妹を連想させる。
「本当にすいませんでした……」
「…………」
成歩堂はただ、ひたすら謝る。そんな彼を見て、千尋はふと思った。
彼は自分のした事を、謝罪はしているが後悔はしてないのではないだろうか、と。命に関わるような証拠隠滅をしてちなみを庇った事を、恥じてはいないのだ。彼女の素顔を見ても尚、彼女の無実が彼にとっての真実であるかのように。
(…………。そう言えば、別人じゃないかとかすら言ってたわね、裁判が終わった後……)
終わった話を蒸し返すのは好きじゃない。けれど、彼のこの認識を改めさせるべきか……千尋は、迷った。
「………あの、千尋さん」
千尋が何も話さないのを気にしたのか、今度は成歩堂が話し掛ける。
「………ちいちゃん、どうなりますか?」
「…………。まだはっきりした事は出てないわ。けれど、厳しいものになるでしょうね」
彼は知らないのだ。彼女の所業の事を、何も。あれを鑑みると、千尋としては極刑も免れないと思っている。けれど、それを言う事は無いだろう。あくまで自分の予想のであるから。
「…………。そうですか」
そう呟いて、目を伏せる。
気まずい沈黙が流れた。何か景気のいい話題でもなかったか、と千尋が頭を回転させていると、またしても成歩堂があの、と話し掛けてきた。
「ちいちゃんって、双子とかいないでしょうか?」
「…………。はあ?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。そんな自分にお構い無しに、彼は力説する。
「きっと、生き別れのお姉さんとか居て……裁判に来ていたの、その人だったんですよ!」
「………………………」
「…………。ごめんなさい」
言葉も出ないくらいあきれ返っているのを表情で汲み取ってくれたのか、彼は自発的に謝ってくれた。まあ、ある意味謝って済む問題ではないとも言えるが。
「………まだ信じているの?彼女の事……」
「………………」
返事としては時間がかかった。けれど、彼は小さく頷いて見せた。
何とも言えない気持ちになる。
「………あのね。貴方にとっては、本当に残酷な事だけど、これは事実で……そんなに年の違わない私が言うのもなんだけど、貴方はまだ若いんだから、これから、」
「解ってます……」
控えめな声ながら、成歩堂は千尋のセリフを遮った。
そうして、眉を情けなく垂れ下げて――ぽとり、と涙を流した。
「あ、ちょ、ちょっと……!」
相手の涙を見て、千尋は僅かながら動揺した。法廷の時みたいな号泣なら叱咤出来るけど、こんな風に静かに泣かれては堪らないものがある。おろおろする千尋に、成歩堂はごめんなさい、と数回繰り返した。
「頭では解っているんです。ちいちゃんが呑田を殺して、僕まで殺そうとしたんだって。でも……」
間断無く続く涙を、彼は手の甲で拭った。
「でも……それでも信じてないと……なんか、心がバラバラになってしまいそうで、怖くて……」
「…………」
そこまで言って、彼は言葉を詰まらせて涙を堪えた。結果は、それについてはくれないみたいだったが。
自分の初法廷で犠牲者を出してしまい、そのせいで大切な先輩の人生までメチャクチャにしてしまった。もう二度と法廷には立つまい。けれど、こうしてまた弁護を果たしたのは、そう。
だって、そうしないと――彼女の罪を暴かないと――
――心が壊れてしまいそうで――
「…………」
はっきり言って、勝算は無かった。あるのは信念と――執念だっただろうか。彼女を犯人として告発する。そして、芋づる的にあの事件の犯人であると指摘する。一瞬にして沸き起こった自分の激しいあの感情。
自分はそれを果たした。今、少し前にあった虚無感が嘘のように明日への活力で漲っている。弁護士として、依頼人を信じぬく。その無実を証明して、冤罪の人を救ってみせる――
それを改めて教えてくれた彼が、今、こうして泣いている。
――心がバラバラになりそうな程。
はらはらと涙を零している彼を見ていると、胸が痛い。
「……………」
(違うわ、千尋。それは違う……)
真実を暴かなければよかった、なんて。それは違うと、それは救いではなく更に闇に埋もれるだけだ、と。目を閉じて自分に言い聞かせた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。最初から嘘ばっかりだった僕を、それでも信じて千尋さんはちゃんと、僕の無実、証明してくれたのに、なのに、僕は……」
最初はぐずぐずと鼻を啜る程度だったのが、感情が昂ぶってきたのか、しゃくり上げるようになってきた。
それを見て、よし、と千尋は拳を固め、ポカンッ!と彼の頭を軽く叩いたのだった。
「…………」
ごく軽くとは言え、叩かれるとは思っていなかったのか、成歩堂はこれ以上ないくらい目を丸くする。こうすると、改めて目が大きい子だわ、と千尋は思った。
「いつまでも泣くんじゃないの!男の子でしょ!」
「あ……は、はあ……」
その言われ方に、毒気でも抜けたかのように涙も止まっていた。しかし、跡までも消える訳もなく、千尋はやれやれといった感じでハンカチを押し当てた。
「じ、自分で拭けますから!」
さすがにこの扱いには成歩堂も赤面して、ハンカチを奪うようにして頬を拭った。その後、しまったというようにハンカチを見詰めた。
「気にしないで」
クスッと笑いながら、返すように促す。それでも使ったものをそのまま返してしまう事に抵抗を感じたのか、しばらく千尋とハンカチを交互に見た。結局、病院に居るという現状では洗って返すというのもままならないので返す事にしたようだ。返されたハンカチは、当然だが少し湿っている。
ふと、傍らの時計を見ると、結構な時間になっていた。事務所に戻らないと。
千尋は名刺を取り出して、裏にさらさらと数字を綴った。
「はい、コレ」
「あ、ど、どうも」
学生らしく、名刺に慣れていないリアクションをする。なんだか微笑ましかった。
「裏に私の携帯番号を書いておいたから。困った事があったら、なんでも相談して」
「え、困った事って……?」
もう裁判も終わった後に、何があるのだろう、と彼は本気で思案しているようだ。判っていない相手に、千尋は言う。
「貴方、司法学部でもないのに、弁護士を目指しているんですって?勉強の仕方とか、解るの?」
「あ、そ、それは……」
ズバリ核心をついたのか、見て解る程に口篭る。
「弁護士。なりたいんでしょ?」
「…………。なりたいです」
き、っと千尋を見据えて。その目の光は、強かった。
ああ、きっとこの子は弁護士になる。それも、絶体絶命の依頼人を救うような、大逆転を見せる――
彼の双眸を見た途端、そんな強い予感が千尋に過ぎった。霊媒で名を轟かせた倉院流ではあるが、その強い霊力には予知でも備わっているのだろうか。まあ、それはさておき。
「だから、いつでもいいから連絡してね。社交辞令じゃないわ。本当よ?」
「…………」
目を見て言う。信頼関係を抱く第一歩だ。弁護士という社会的信用のある身分だが、個人としてはまだ知り合って数日しか経ってないのだ。そんな相手にいきなり頼れと言われても、躊躇いもするだろう。
けれど、何故だろう。自分でも急いてると自覚出来るのに、引き下がれない。
「忘れないで。私は貴方の味方だから」
彼との繋がりを急ぐあまり、おそよ場に相応しくない言葉を言ってしまった。思わず口を出た、といった具合だろうか。ただ勉強を教える約束をするだけにしては、重たい言葉だ。けれど、彼が弁護士となる手助けをしたいと強く思ったように、このセリフも言っておくべきだと、自分でも計り知れない所から命令みたいなのが降りてきた。やっぱり、予知でもあるのかもしれない。千尋は冗談半分に思った。――当然、半分は本気で。
「…………」
千尋が成歩堂の目を見詰めているように、彼もまたその目を見詰め返した。多分本人は無意識だろうが、彼はこのセリフの真偽を確かめているのかもしれない。試されるのは上等だ。本心なのだから。いっそ相手を負かすくらいに、彼女は相手から目を離さなかった。
「…………。はい」
まるで観念したとでもいうように。ややあってから、ようやく彼は頷いた。小さく、微笑んで。千尋は、何となくようやく彼の本当の笑顔を見たような気になった。
もっと素直に頷いてくれればいいのに。そんな心地で千尋はつい苦笑を浮かべてしまう。でもそれは、余計な力を抜き取ってくれるような、心地よいものだった。
そして――
彼にも考える事があったのか。千尋に連絡が来たのは、それから一ヵ月後の事だった。
<終>
この時点の千尋さんがナルホドくんを何て呼んでたのかちょっとど忘れしっちゃったので、強引に呼ばせなくしてみた。
ああー、千尋さん書くと和むわぁ………!!正確には千尋さんとナルホドくんだけどさ……!
この辺明らかになってないので勝手に捏造してみる。
いやー、実際どんくらい一緒にあの事務所で過ごしたんでしょうかねえ。
まあ、最高でも3年ですが。…………小中めッッ!!!!(悲&怒)
この時期の話もっと書きたいなあ、と思います!!
……えーと。文書き上げておいてタイトルが決まりません(血涙)
決めました。
……なんでこんな某検事ドラマのタイトルを……いや、絶対の味方っていうからやっぱり、さ……