あるいはみぬきのママ
今日は午前中、裁判所で資料を読み漁るのだと事前に告げている。
なので本日、法介は午後からの遅い出勤となった。
そして事務所のドアを開けると、そこには見知らぬ女性が居たのだった。
歳は法介より確実に年上だろう。落ち着き払って、ソファに姿勢よく座っている。法介がドアを開けて入ってくるるのに、視線を向けていた。
「…………。す、すいません今皆出払ってるみたいでッッ!!」
客が居る。けれど誰も居ない。という状況を受け入れた直後、法介はそう叫ぶように言って居た。言った後、なんだかいい訳じみてる言い方と内容に、少し恥ずかしい思いをする。
(ど、何処に行ってるんだよ、成歩堂さんもみぬきちゃんも……!)
あれでも二人はプロだから、決して事務所を空にはしなかったというのに。いや、その辺についてはまた後で、今は接客を何より優先せねばなるまい。そう、自分もプロなのだから。
「あの、今日は……あ、その前のお茶ですね!」
一人ばたばたする法介を、その客人はただ微笑を携えて見据えていた。
物静かな人だなぁ、と法介の第一印象はそれだ。入ってきてから、まだ声を聞いていない。
けれど自分にとってはその方が好ましい。薄っすら記憶にある母親は、穏やかな物影を思い出として残しているので、つい無意識に女性にそんな雰囲気を求めてしまう。なのでみぬきや茜には、決して嫌いではないが時々ついていけない。いや、しばしばかもしれない。
一体、どれくらい待っていたんだろうか。
笑みを浮かべているのだから、無口なのは不機嫌の証ではない……と、思う。多分。
緩やかに上げられる口には、真っ赤なルージュが塗られているが、色がシックなせいか本人に合っているせいか淫靡には見えない。
「……それで、この事務所には何の用で……?」
お茶と菓子を振舞ってから、法介は切り出した。話しかけながら相手を伺い、背の高い人だな、と思った。座っていても法介の視線が上を向く。
相手はにっこり、と一回笑ってから机の上にあったノートを手にし、それにさらさらとシャープペンを走らした。まるでマコトさんみたいだな、とその様子を見守る。
”特に用は無いけど。この事務所に可愛い弁護士が居るから見てみようかなって”
「かわ………っ、て、オオオ、オレの事ですか!?」
わたわたと自分を指差す法介に、にっこり。とまた笑ってみせる。多分、その通り、という意味だろう。
「だ、誰がそんな事……!」
照れによる羞恥なのか、侮辱と感じた怒りなのかがとても曖昧だが、激昂した法介はガシャ、とテーブルに身を乗り出し、尋問するような体制になる。が、相手はそれに臆する事も無く、またノートに字を綴る。
”みんな、言ってるよ”
歯を見せずに上品に、ころころと笑った。
「うぅ………」
真っ赤になる顔を自覚しながら、法介は体制を正す。
(……そりゃー、オレは背もそんな高くないけどさ)
と、男として色々思う事はあるが、これもやっぱり男として美人に(一応)褒め言葉を貰ったとしておこう。
「……えーと、」
と、法介は失礼にならないよう、言葉を選んで質問する。
「みんな言ってる……って、この事務所に誰か知り合いでもいるんですか?」
”そんな所かな”
「コート、預かりましょうか?」
相手は毛皮のコートを着込んでいて、まるで毛並みに埋もれているみたいに見えた。おまけに、手には薄い皮手袋までしていて完全武装だ。確かに、光熱費削減を目指してここの事務所は、エアコン設定は結果的に環境に優しい。
この法介の問いには、字を書く事はせずに静かに首を横に振る。輪郭に沿うような長いブラウンの髪が乱れないように、静かに。
「…………。声、出ないんですか?」
”今は”
(今は……ってどういう事なんだろう)
法介は解らなくて、首を捻る。それを見て相手は、いっそう笑みを明るくした。
「…………。あの、どうしてそんなに笑ってるんですか?」
別に笑顔と言うものが悪いのではない。そう、笑顔に罪は無いが、法介は素晴らしい笑顔を浮かべながら無理難題を吹っかける人物を知っているので、笑顔=厄介という悲しい図式が頭に住み着いている。
相手はぱちくり、と眦に赤いファンデーションかアイシャドウでも塗っているのか。艶かしい双眸を瞬きさせてからノートを手にする。
”気持ち悪い?”
「!! いや、違います!全然そんな事ありません!」
法介は慌てて前言を撤回した。
”そう。よかった”
「っ!!」
目を閉じずに細めるだけの微笑に、何か胸にグッと来るものを感じた法介だ。顔も一層、かぁっと熱くなる。
(な、何だ今の感覚……!はっ、これがトキメキというヤツか!?)
無意識に心臓を押さえ、法介はうろたえる。
(ううう、嘘だろ?こんな……こんなのって!!)
法介が激しく慟哭するのには理由が二つ。相手が初対面であまりに年上なのと、こっそり成歩堂を思い慕っているからだ。実は周囲の近しい人物は皆知っていてこっそりもへったくれもないのだが。
(ああ〜、オレってやつは、弁護士としても半人前なら、恋する男としても生半可なのか〜〜!!)
ここに一人きりだったら、頭を抱えて悶絶したい。意識が自分にだけ向いている法介は、向かいに座る人物が、ますます可笑しそうに自分を見ているのに気づかない。
そしてそんな、法介が自問自答に忙しい時に。
「ただいま!パパ!ついでに居たらオドロキさん!」
みぬきが帰って来た。
「あ!みぬきちゃんお客さん……」
「おかえり、みぬき」
と。
成歩堂のその声は、自分のすぐ近くからした。
「…………………………………」
認めたくない……いや、受け入れたくない。こんな事は。しかし、事実は事実で変わる事は無い。”彼女”を見て凝固した法介に、みぬきは言う。
「あれ、その反応。まさかオドロキさん、パパだって気づかなかったんですか?」
「気づかなかったんだよね、オドロキくん」
バッサ、とロングヘアーのカツラを取った後に現れたのは、あの無造作なツンツン頭で。
「さぁきっちりはっきり全部説明してもらいましょうか何故どうしてこんな真似したのかという事の次第をッ!」
「おお、よくワンブレスで言い切れたな」
「関心はいいので説明を!!!」
机をダンダン叩きたいのを我慢し、法介は昂ぶる精神のまま詰問する。
「うーん……どこから話せばいいのかな?」
「最初から最後までの全部ですッ!」
今日という今日は本気で譲らない、と法介の気迫には鬼気迫るものがある。しかし成歩堂親子は全くいつも通りだった。
成歩堂は化粧も落とし、服も着替え、すっかりいつも通りだ。違うとすれば髭が無い事。普段ならそれだけ浮かれそうだが、この状況ではさすがの法介も無理のようだ。
「じゃ、最初から話そうか。な、みぬき」
「ね、パパ」
「えぇい和やかになってる場合かーッ!!」
びし!とキツめの突っ込みを入れるが、やっぱり親子は動じない。
「今日ね、茜ちゃんが来たんだよ」
「え、茜さんが」
「うん、急にだけどね。まあこっちも暇だし、オドロキくんは居ないしで世喜んで招き入れたよ」
「……………」
今の『オドロキくんは居ないし』という言葉には取り様で天国と地獄に分かれるな、と思った。
(天国=オドロキくんが居なくて寂しいから
地獄=オドロキくんが居なくて丁度いいから)
「それで、この前ゆっくり話せなかったから。バッジを失ってからの事を話したんだよ」
「そうですか。……で、どうしてあんな格好に?」
じぃ、と法介は成歩堂を隙あらば見抜こうとする。しかし、そんな鋭い視線も彼には何だか通じていないみたいだ。
「話はね、みぬきを引き取った頃の話題だったの」
と、みぬきが言った。
「あの時は、聞けなかったというか聞かなかったというか。
だから、パパがどんな心境で引き取ってくれたのかが聞けて、とっても嬉しかったよ、パパ!」
「そう?それはよかった」
「…………」
みぬきの成歩堂を見上げる視線に、それに返す成歩堂の笑顔に、何だかほろりとしたが、女装してまでおちょくられたという事実はそれくらいでは誤魔化されない。
言われた言葉を胸で反芻しているようなみぬきは、そっと目を閉じて両手を胸の真ん中に置いた。
「パパがあそこまで覚悟を決めていてくれてたなんて……
まさか、みぬきがパパにするのを嫌がったら、ママになろうとしてくれていただなんて!」
「うぉぉおおおーい」
「ははは。あの時は僕も、何だかんだでいろいろ焦っていたからなぁ。……この子は守らなきゃ、って」
「ちゃんと守ってくれてたよ、パパはみぬきの事!パパ、ありがとう!!」
「うんうん」
「おおおおおーい」
「で。まぁ実際にママになってたらどうだろう?って事でそういう流れに」
「いやー、あのさー、あのさぁぁーーー」
「どうしたんですか、オドロキさん。さっきから気の抜けたサイダーみたいな声ばっかり出して」
「気づいてたんならその場で声かけてくれよッ!……って、それはともかく!!」
声を張り上げ、法介は場を仕切りなおした。
「あのですね、その……パパがだめならママって……成歩堂さんは男………
……………………
で。何故オレを騙そうと」
かなり色々突っ込むべき所がありそうだが、まぁ。みぬきちゃんを想っての上の思い余った事ならいいかな……とママ云々についてはそっとしておく事にした。そう、これは自分が扱える次元を遥かに超えてしまっているのだ。
「いや、完璧に化けれたものだから、誰かをからかってみたくてねー。そうなればオドロキくんだろ?」
「そうなればって何ですか」
「色々頑張ったんですよ!」
法介の異議はほっといて、みぬきが意気揚々と説明を始めた。
「オドロキさんと違って広い肩を隠す為に毛皮のコート調達したり、オドロキさんと違って顎のしっかりしている輪郭を隠すように髪を整えたり、オドロキさんと違って男らしい指を隠す為に手袋までして!」
「……………。オレってそんなにひょろっとして弱々しいかなぁ……」
「そんな事ありませんよー」
みぬきがフォローしても本当に何の慰めにもならなかった。
「メイクとかは茜さんがしたんですよ。コートは茜さんとパパの知り合いの女の人が持って来てくれて」
ノリのいい人にはノリのいい人が集まるんだな、と法介はなんとく世の真理を掴んだ。
「それにしても、顔にあれこれ塗られたのには参ったなぁー。あれを毎日なんてとても耐えられないよ、全く。ママにならずに済んでよかった。
ありがとう、みぬき。僕をパパとして受け入れてくれて」
最後の方だけ拾えばいいセリフなのに、と法介は思う。この親子はこんなのばっかりだ。つくづく。
「でもみぬきとしてはママなパパも良かったかなーって。あんな美人のママが来たら、明日からみぬきは学校中の話題の元だよね!」
まぁ、確かに美人だったなぁ、とそこは認めてしまった法介だった。しかも思い出すのは笑顔ばかりで(まぁ実際笑顔を浮かべてばかりだったのだが)、顔がまた赤くなってしまいそうだ。
「ママでも十分いけてたかも!オドロキさんも、すーっかり騙されていたみたいですし!」
「っ!!」
う、と言葉に詰まった法介だ。
「だ、だって仕方無いだろ!?フツー、女装なんかしてると思うか!?」
「あらゆる可能性を疑ってかかるのが、弁護士ってやつなんじゃないかい?」
「こんな所で為になる指南しないでくださいよッ!!」
「さては色気にやられてメロメロしてましたね」
「まぁそんな所……ってそんな訳ないじゃないなんちゃって―――ッ!!」
「オドロキさん、声が裏返ってますよ」
みぬきが冷静に指摘する。
「さて、みぬき?」
と、ちょっと悪戯な顔をみぬきに向ける。
「約束は守ってくれるよね?オドロキくん騙せたらラーメン、って」
「あああッ!やっぱりそんな賭けしてたのかよッ!!」
薄々そんな予感は感じてたんだ、と法介。
「もちろん!なのでオドロキさんはみぬきに奢ってくださいね」
「何でだよッ!」
「オドロキさんがころっとすっかり騙されていたから、みぬきが奢る事になったんですよ!?」
「知るかよ!それだったらオレをターゲットにしたみぬきちゃんの責任だろ!」
「だってまさかオドロキさんがそこまで見る目の無い人だっただなんて!」
「ぎゃー!それを突かれるととても痛いッ!」
「そこまでパパの女装姿に見惚れてただなんてッ!」
「いよいよ痛い―――ッ!!」
「ま、そんな訳で慰謝料として奢ってくださいね」
「うぅぅぅ……………」
かなり不本意だが、法介は自分には頷くしか選択が無いのを知っている。
「それにしても、オドロキくん、本当面白いくらい騙されてたねー。全然疑ってなかったし」
「……今十分にからかわれたばかりなので、もう勘弁してくれませんか……」
憔悴した法介は角がぺしゃんと垂れている。
「そんなにあの姿気に入ったなら……今度あれでデートでもしてみる?」
……………
「はぃりゃえぁッ!?」
「ただの冗談だから。そんな妙な声を大音量で発しなくてもいいよ」
ははは、と笑う彼は普段どおりで。
まさかあの一瞬に、何処に行こうか、なんて考えた事は口が裂けても言えない法介だった。
<おわり>
はい、金田一蓮十郎の「ニコイチ」読んで思いつきました!
あれドラマでやったらやっぱり二人一役になるのだろうか。個人的には是非頑張って欲しいのだが。
ちなみに女装パパはこんな感じのつもりで↓
いつも描いてるパパに睫加えただけなんですがすっかり別人28号ですな。
ちなみにかなり千尋さんを意識してみました!!!