ご利用の際の用量は正しく



「今日はみぬきがお茶を淹れるね!」
 と、法介に負けず劣らずの声量でハキハキと宣言し、みぬきは給湯室に篭った。珍しい事もあるもんだ、と気にはかけたがそれ以上に代わってもらってラッキー、と思う。しかし、代わって”もらって”なんていう認識の辺り、法介は骨の髄まで使いっぱしりだった。
「出来たよー。ホラ、オドロキさん。場所開けて開けて!」
 と、みぬきは机の上に今までの判例などの記録書をどけるように法介に指示する。たかがお茶に大層だなぁ、とみぬきの命令に従い、素直に机の上を片付けた。それぞれの前に、各湯のみが置かれていく。中はほうじ茶のようだった。
「はい、パパ。飲んで」
 と、みぬきは熱心に成歩堂に湯飲みを勧める。成歩堂は促されるままに茶を啜った。
「どう?どう?」
 と、みぬきは握りこぶしを固め、その様子を食い入るように見詰める。
 本当に、たかがお茶で仰々しい事だなぁ、と法介は苦笑して湯飲みに口をつける。
「何か変わった感じしない?パパの分に、媚薬入れてみたんだけど」
 ぶ―――――――――っ。
 苦笑の表情のまま、法介はほうじ茶を吹いた。湯飲みの中で乱反射し、結果法介の顔がほうじ茶塗れとなった。
 そんな一人騒々しい法介は余所に、成歩堂はゆっくりと湯飲みを置いて、娘に言い聞かせる。
「………。あのね、みぬき。媚薬なんて、所詮お遊びみたいなものなの。ただのカフェインのサプリメントだったりで、そんなマンガやビデオみたいに劇的な身体の変化が来るものじゃないんだよ」
 言ってる事は物凄く正しいのだが、そう淡々と語る事でもないと法介は顔を拭きながら心の中で意義を唱えた。
「ええー。でも、コレ、塩酸ヨヒンビンが入ってるから、中枢神経刺激して興奮状態になるはずだよ?」
「何その超専門的な知識!!!」
 この子(前から思ってたけど)恐ろしい!と恐怖に震える法介だった。
 そんな慟哭する法介に、みぬきはパタパタと手を振り。
「ただの又聞きですよ。オジさんから教えてもらったの」
「………。もしかして、あいつから貰ったの?」
「うん!頂戴、って言ったら、くれたよ!パパの写メールと引き換えに」
 みぬきは元気欲答えた。
 しかし安い取引材料だなと法介は思った。
(オレなら、もっと希少価値のあるものを要求するぞ)
 そう思っている時点で、法介も思いっきり同じ穴のムジナである。
「………ふぅん。あいつ、か………」
 と、ぼそり、と成歩堂が呟いた時、法介は室内の気温が一気に5度は下がったような気がした。現実的にそんな事は在り得ないのだから、実際は法介の体感温度なのだろうけど。
 そんな法介の冷感の発信源と言えば、「全く何考えてるんだよ、あのバカ。普通そんなものやったりするか?って言うか何処から手に入れたんだよ……」と、不機嫌な顔でぶつくさ言っている。いつも飄々とした感じばかりの成歩堂を見ている法介にしては、珍しい顔だった。
「……って言うか。オジさんって、誰」
 勝手な予想ではあるが、血縁者では無さそうだ。
 法介が尋ねると、成歩堂はとてつもない笑顔で、
「オドロキくんは知らなくてもいいんだよ?」
 と、答えてくれた。
 ……つまり、訊くなって事だな。
 法介はそう結論付けた。
「君だって、その若さでこの世からおサラバしたくないだろ」
 その言葉に、益々訊かない決心を固めた法介だった。みぬきにほいほいと媚薬渡した時点で、その謎のオジさんは法介の中でぶっちぎりの危険人物と容認されたからだ。渡した事自体も問題だが、相手がみぬきなのも問題だ。かなりの問題だ。
「ねぇー、パパ。どう?ムラムラしてきた?」
 頼むからそんな発言をオモチャでも強請るようなノリで言わないで欲しいと、法介は切に願う。
 成歩堂さんをムラムラさせてどうするつもりなんだ、という突っ込みはしない。そこから返る内容は想像出来る。それくらいの経験値は積んだ。
「みぬきと濃厚でイチャイチャなスキンシップしたくなった?」
 しかしみぬきは法介の突っ込みを待つまでもなく、率先して内情を暴露してくれた。オレって無力だ。法介はひしひしと痛感する。
 そんなみぬきに、成歩堂はいつもと全く変わる事無く、頭に手を置いて優しく撫でる。とても媚薬を口にした人とは思えないな、と法介。
「してこないよ。この手の物は相手にその気があって、初めて効果が現れるんだから」
 ふぅん、そうなんだ……とこっそり耳年増になる法介だ。
「ええー、そうなの?……ちぇっ。みぬきのとっておきと交換だったのにな」
 みぬきのその言葉に、さっきは安いとか酷評した癖にその写メールの内容がとても気になった法介だった。


 そんな事があったが、その後は全くいつもの日常だった。媚薬なんてものをみぬきが持ったのも成歩堂が盛られたのもいっそ白昼夢かと思えるくらいだったが、みぬきから出るセリフが法介をそんな現実を突きつける。
 そうこうしていたら、みぬきの出勤の時間となった。
「じゃ。パパ、行って来るね」
「うん。いってらっしゃい」
 と、みぬきが出勤するからなのか、成歩堂が彼女にキスをする。当然というか、頬にだが。
 みぬきは、バイバイ、というように手を振ってドアの向こうに消えていく。
「オドロキさん。パパに手を出したらハリセンボン飲ませますからね!」
「約束すら取り付けてもらえないのか。オレは」
「いってきまーす!」
 そうしてみぬきは去った。法介の呟きを置き去りにして。
 やれやれ、といった面持ちになり、法介は再び判例資料に目を戻そうとした――のだが。
 それよりも、向かいのソファで力なくだらりとなっている成歩堂に意識が止められた。
「な……成歩堂さん!どうしたんですか!」
 危機であるなら素早い対処を、とばかりに法介は成歩堂に赴く。成歩堂は、肘掛の部分に身体を寄り掛けるようにぐったりしていた。苦しそうに、やや眉間に皺を寄せて。
「………ふー。やっぱりちゃんとした薬は効くな……」
 ぼそり、と法介にというよりは独り言のように言った。
「薬?……って、あ、び、媚薬?」
「そうだよ……」
 成歩堂のセリフは後半吐息と混じる。なので腰に来る発音となった。
「だだ、だ、大丈夫ですか!」
 成歩堂に呼びかけると同時に自分にも呼びかけた。大丈夫か、オレ。特にオレ・オブ・ザ・下半身。
 明らかにうろたえているのが窺える法介に、成歩堂はくすりと小さく笑った。その笑みを見た法介は、ああオレ大丈夫じゃねぇ、と颯爽動揺を抑えるのを諦めた。
「まぁ、大人しくしておけばそのうち効果も消えるさ……さすがに、みぬきの前でこんな姿は見せられないけど」
 即行で食われるに違いない。と、法介は思った。その予想に疑う余地は無かった。
「……何か、すごく胸がドキドキするんだよね……」
 気だるげに言う。
 ぐらっと法介に眩暈が襲ったのは、三半規管が揺れたからではなく、理性がグラついたからだ。
 何とかせねば。成歩堂も大変そうだが、そんな成歩堂を見る自分はもっと大変だ。
「え、ええと……タオルで冷やしてみます?」
 今まで媚薬盛られた人の介抱なんてした事が無いので(当然)勝手がつかずにそんな事を言ってみる法介だ。まずは現状把握なので、法介は成歩堂の状態を窺う。
 妙な薬を飲まされただけあって、成歩堂の顔は赤く(なっているような気がする)、双眸は熱っぽく潤んで(いるように見える)、吐く息は水気を含んでいるように色っぽい(と、思う)。
「うん……」
 と、成歩堂は法介のセリフの相槌とも、ただの溜息ともつかない、曖昧な息を吐いてより一層ソファに凭れた。ついで言うと、そんな大変微妙な成歩堂を間近で目の当りにした法介も、ソファに凭れた。腰が砕けたから。
(こ……堪えろ、オレ!媚薬盛られたって思うから、いつもよりエロく見えるんだ!その事実さえなければ、いつもの成歩堂さん……って普段から十分にエロいよな、この人……)
 って、余計な事思い出すなオレ―――ッ!!と頭をシャッフルするように振る。
「はぁ………」
 苦しそうに吐き出した息に、それと一緒に法介の理性が自分の中からドカンとロケット噴射したようだ。
 ダメだ。
 いかん。
 このまま我慢してたらオレの何かが壊れる。
 確実に理性と良識の破壊された法介は思う。
 ……よく考えてみれば、だ。
 こんな美味しい状態の意中の人と二人きりで、何でオレは我慢なんかしているんだろう。
(する必要……無くなくね?)
 と、理性のすっかり吹っ飛んで本能の人となった法介には「相手の意思」とか「合意」とかいう理念も吹っ飛んでいた。一方、段々と法介の目が据わっている事を知らない成歩堂は、いよいよぐったりしている。
 添 え 膳 。
 はっきり見て取れる体格差のせいで、拒まれたらあっさり中断させられる身の上だったせいでいまいち積極的にはなれなかったが、今は違う。相手は一服盛られた状態で万全ではない。ちょっとやそっとの抵抗は、捻じ伏せれる!
 よし!
(天国の父さん、何処に居るとも知れない母さん……オレは今日、男になります!)
 法介は拳を固く握って誓った。
 実母が知ったら見えるようになった眼で真っ直ぐに見据えて「こうしなければなれないというなら、ならなくていいですよ」とか言われそうだ。ついで言うと、実の妹からは十八番のボウシくんで殴られそうだ(素材が硬そうな木なのでさぞかし破壊力も凄まじい事だろう)。
 まぁ、実際に此処には居ない訳だから、法介の事態はサクサク進んでいく。
「……………。成歩堂さん、」
 と、法介はまず、するりと横に座った。
 ん?といった様子で、成歩堂が目をこちらに向ける。
「辛いですか……?」
 そう尋ねると同時に、身を屈めて彼に近づける。第一段階とばかりに肩に手を置くと、彼の身体も表情も強張ったのがはっきり解った。思わず、ごくりと生唾を飲む王泥喜法介22歳。
「オドロキくん……………離し、……ちょっと………」
 成歩堂が逃げるように身を退けるが、勿論法介はそれを追いかけた。もともとソファという狭い空間だ。あっと言う間に成歩堂は追い詰められる。
 その顔を覗きこむようにして、法介は言う。
「…………。あの、オレ………」
 手伝います。
 そう、決め(←?)のセリフを言おうとした時だ。
「ぅぉぉおおッ!?」
 ドン!と思いっきり成歩堂は法介の胸を突いた。ソファとテーブルの隙間に、法介は器用に倒れこむ。
 成歩堂はその力強い突きの勢いそのままに駆け込んだ。
 トイレに。
「………………」
 個室から、げほげほと苦しく咳き込む声が聴こえる。
「……………」
 法介は、ソファとテーブルに挟まれたまま、それを聴いていた。
 ややあって、給湯室から蛇口から水が出る音がした。そして、うがいする音。
 ふぅー、と溜息をつきながら、成歩堂が戻って来る。その成歩堂は、もうすっかりいつもの彼だった。
「もう心臓がバクバクしちゃって、吐き気催して来てさ。まぁ、吐いてかえってスッキリしたかな?
 あぁ、思いっきり突き飛ばしちゃって、ごめんね、オドロキくん。……オドロキくん?」
「…………………………………………………」
 法介は依然ソファとテーブルに挟まれていた。
 好きな人に触ったら吐かれた。という現実は彼から起き上がる気力を奪っていたのだった。




 某日某時刻。
 某所。
『……留守番メッセージ、一件……
 ピーッ………
 「一ヶ月間会うの禁止な」
 ………ピーッ』
「……………………………………………」




<おわり>

……これホースケメインなのかなぁ。すっかり謎のオジさんにオチ持って行かれてるけど……
文中のオジさんこと最後の人物は想像にお・ま・か・せ・いたす!!
まぁ赤いヒラヒラなんだが。ワタシの作るブツはCPが何であれ根底ミツナルで根元チヒナルだもんでな。