とんこつの日。



「オドロキくん、さ」
「はい」
「食べ歩きって……食べながら歩いているか、歩きながら食べているか……どっちだと思う?」
 などと言う事を急に成歩堂が言い出した、そんな夕方と昼間の境の時間。窓から程よく日光が差し込む。
「……………………」
「さて。お腹減ったからラーメンでも食べようか」
「ええええっ、ちょっと!!食べ歩きの件は!!!」
 何事も無かったかのようにスック、と立ち上がった成歩堂に、法介は思わず突っ込んでいた。
「いや、でもお腹空いたから」
「それは全く理由になってませんよ!もっと話題展開させて結論出しましょうよ、気になるじゃないですか微妙に!!」
「とんこつとみそ、どっちがいい?」
「どうしてオレの話を聞かないんだ―――ッ!!!」
 うがぁー、と荒れる法介を見て、成歩堂ははっはっは、と和やかに笑った。
「ほらほらオドロキくん、ターバン野口をあげるから」
「そんな愉快に折りたたんだお札であやさないでくださいッ!オレは六本木のキャバ嬢ですかッ!」
「ふーん、要らないんだ。オドロキくんの給料なのに。コレ」
「うわぁぁぁぁぁッ!待った―――ッッ!!」
 と、成歩堂のポケットに仕舞われそこねた自分の給与を、法介は取り戻す事に成功した。
(な、なんで自分の金貰うのにこんなに気力使ってるんだろう。オレ……)
 しかもほぼ毎回だった。
 とりあえず法介は封筒をポケットに入れた。よし、これで大丈夫(だと思う)。
「全く、給料くらい普通に渡してくださいよ」
 しっかりポケットに収めてから、成歩堂に言う。今はみぬきは居ない。仕事に行っている。
「だって、普通に渡してもつまらないだろ?」
「別にそこにまで娯楽求める程オレは愉悦に飢えてませんよ」
「いけないなぁ。人生、隙あらば笑いを求めなくちゃ。プロにはなれないよ?」
「みぬきちゃんみたいな事言わないでください。……みぬきちゃんにも言いましたが、オレは笑いを取るつもりも取られるつもりもありません!」
「じゃ、ラーメン食べに行こうか」
 そう言ってスタスタ歩く成歩堂だった。また無視された―――!と、うぎゃーと心中で絶叫するが、当然相手に届く訳でも無く。
 法介は肩をがっくり落とし、大人しく成歩堂の後に続いた。


 ふと思ってみれば。
 成歩堂さんと二人きりで食事、なんてバレたらみぬきちゃんがとっても煩いだろうなぁ。と思いつつも法介はちゃっかり成歩堂と一緒にラーメン屋に向かい、ちゃっかりラーメンを啜っていた。案外彼はちゃっかりしている。みぬきに腹黒いとか言われる所以だ。
 成歩堂はみそラーメンを頼んだが、法介は若者らしく油ギッシュなとんこつを頼んだ。はふはふしながらそれを啜る。出来立てのラーメンはいっそ凶器になりそうなくらい、熱い。
 格闘するように食べていると、横の成歩堂からトントン、と肩を軽く叩かれる。
 ん?と口にしていた麺を啜って振るかえると、彼はニコニコとニヤニヤを足して2で割らずに3でかけたような笑顔を浮かべていた。
 そして、自分の顎をちょん、と指して、
「ネギついてるよ。オドロキくん」
「……………。っ!」
 まるで子供みたいに食べる事に夢中になっていたようで恥ずかしくて、慌てて顎を拭う。ごしごしと。
「違う、もうちょっとした。……ああ、ホラ、こっち向いて」
 と、半ば強引に顎を掴み、お絞りで拭う。
「!!!!」
 法介と言えば、普段滅多に人から触れられる事のない顎下という部位に触られ、思わず凝固してしまった。何せ、しかも相手が成歩堂なのだから、殊更に。ぼっ、と一気に体温が上がったみたいだが、元から熱いラーメンを啜っている為、自分の身体はとっくに熱かった。
「はい、取れた」
「……………。あ、ありがとうございます………」
 沸騰しそうな頭で、どうにか礼だけを告げた。成歩堂はそれにどう致しまして、と返してラーメンに再び向き直る。法介も再び食べ始めたが、ネギがもうどこかにつかないようにと、かなり意識したので食べるのが何だかぎこちなくなった。
「オドロキくんて子供みたいで可愛いよね」
 なんて言われたので、思わずブッ!と噴出した。法介のドンブリがちょっとした戦場となる。
「思えば僕って、年下の男の子の知り合いって、居なかったんだよな」
 思い返すように呟いている成歩堂の横で、法介は自分が仕出かした惨状の後始末に負われている。
「そういう訳で……これからも頼むよ。オドロキくん」
「は、はぁ………」
 一体何がそういう訳で何をどう頼むんだ、と異議は一杯あるのに何も言わずにただ頷いた。成歩堂の方も、法介が噴出した事に特に触れなかったので、また食事タイムが普通に戻る。
(何なんだよ、本当に一体……)
 つくづくこの人の一挙一動に、自分は面白いくらい踊らされている。いや、向こうにそのつもりが無いのなら、自分だけが勝手に踊っているだけだ。これはかなり情けない。
 よし、強くなろう。と、明日への自分を決めた所で、法介はずぞぞ、と麺を勢いよく啜った。そんな法介を、横で成歩堂が微笑を浮かべながら見ていたのを、食べる事に集中していた彼は気づかない。


 会計の時、全く意外な事が起きた。
 それはもう、天動説が理となっている中で地動説が現れたが如くの事象の大変動である。なんと、成歩堂が会計を済ましてくれたのだ。しかも、自分の分も。平たく言って奢ってもらった訳だが、法介の心境としてはそんな単純な言葉一つで収められる事柄ではない。
「あ、あの。い、いいんですか?」
「いいんじゃないかな。たまには」
 と、成歩堂の方はいつも通りで、まるで奢ってくれたのが何かの間違いか夢であったかのようだ。
(…………。まさかこの人、成歩堂さんの皮を被った宇宙人じゃ)
 全くの異常事態に発想が飛ぶ。
「別に僕の皮を被った宇宙人じゃないよ」
「!!!」
 な、何で解ったんだ!と解り易く狼狽する法介。そんな彼を見て、成歩堂は身体を揺すって笑う。
「それくらい、見れば解るよ。みぬきの父親だからね」
「はぁ………」
 理由になっているようななっていないような事を言い、無理やり事態を収拾する。いや、させられた。
「さて。」
 と、笑いを収めた成歩堂は法介に向き直る。
「じゃ、僕はこれからソバ屋で弾けないピアノを弾いてくるから」
「…………。自分で言っちゃう所が凄いですよね、つくづく」
「そう?」
 にっこり。
 真正面で成歩堂が笑む。どうも自分はこの顔に弱い。心臓にドキュンと何かが来るのだ。ドキュンと。
「それじゃ、オドロキくん。後で会えたら会おうね」
「はい。成歩堂さん、いってらっしゃい」
 道端でいってらっしゃいは可笑しいだろうか、と少し気になったが、相手は全く気にせず受け取ってくれたので由とする。
 一人、夢から醒めたような醒めていないような心地で事務所に戻る。奢られてからこっち、未だ現実感が帰って来ない。そこまで成歩堂に奢られたのが一大事か、と自分で突っ込んで、あぁ一大事だ、と突っ込みを返す。
(………。まぁ、常に気まぐれの塊みたいな人だし、特に意味は無い……と、思う)
 この場合、自分にとって無い方がいいのか、あった方がいいのか。ソファでぼんやりそんな事を考えてみる。一応手にした法律関係の書籍は、ただ手に重みを与えるだけの物となっている。
(………今日、何かあったかなぁ)
 どっちでもいい、と一応結論つけてみたものの、こうして理由を探っている所を見ると、やっぱり何か意味が欲しいのだと思う。意味が欲しい、というより彼の真意が知りたい。何を思ってどうして、珍しく自分にラーメンを奢ってくれたのか?
(何かの記念日とか?)
 しかし今日は法介のでもましてや成歩堂の誕生日でもない。遊び気分で何かの語呂合わせかと思い、メモ帳に数字で今日の日付を書いてみる。
(10月20日。……うーん、確かに両方ともきりのいい数字だけど)
 さすがにそんな事は無いだろうし。いくらなんでも。
(それにしてももう10月か。1年なんて、あっという間だな)
 そう思ってしまうのは老化の証だろうか。そんな事を頭の端で考えながら、今までの1年をふと振り返ってみる。まさに怒涛の1年だった。去年の今時分、まさか自分がこんな所で勤めているだなんて、夢にだって思わなかった。色んな意味に置いて。
 去年は、そう、専ら事務に勤しんでいて――ようやく、弁護席に立てるようになったと思ったら、それが全ての幕開けで――
(そうか。あれから半年なんだな)
 今までの人生の、どれよりも濃い半年だった、と苦笑を浮かべながら思いこす。
(…………。半年前)
「……………」
 思い当たった動機らしい動機に、けれど一瞬後にはまさかな、と首を振った。
 けれども。
 これが事務所に初めて来た日に関連する記念日だというなら、当然みぬきも一緒に連れて行っただろう。そう、奢られた事ばかりに気を取られていたが、そもそも二人きりで食べに行った事自体が珍しい。
(いや。厳密に言えばあの日みぬきちゃんとも会ったんだけど……)
 けれどきちんと自己紹介をしたのは、この事務所に来た日なのだから、法介としてもその日を選ぶだろう。
「………………」
(オレと成歩堂さんの、記念日)
 そんな事を思ってしまい、その恥ずかしさに法介は一人慌てふためいて顔を赤くする。
(もう、考えるの止め!!)
 きっぱり言い聞かせ、本に意識を戻す。ちらちらと、自分の顔を拭った彼の手や顔を思い出してしまったが、それでも文面に集中する事に成功はした。ただ、顔だけはどうしても赤いままだったけど。
 結局。はっきり言ってくれない成歩堂が悪いのか、問いただそうとしない法介が悪いのか。
 その日は「成歩堂さんにとんこつラーメンを奢ってもらった日」、略して「とんこつの日」と法介に認識されるようになる。




<おわり>

こう言ってはなんだけどあんまり記念日とか気にしなさそうだよなぁ、成歩堂さん。
その代わりみぬきちゃんとかが細かそうで。
そんでしっかり染み付いたとか。
結局みぬき嬢です(大笑)