お迎えに行こう!
「む。パパが遅い!」
と、シャワー室から出て、濡れた髪をタオルでごっしゃごっしゃ拭いているみぬきが、時計を見上げて呟いた。眉間にやや皺を寄せて。
「ああ、ホントだ。ちょっと帰りが遅いね」
と、法介もつられるように時計を見て、同意する。今日はボルハチではなくそば屋だから、そう遅くはならない筈なのに。
「パパに何かあったのかも……。オドロキさん、迎えに行って来て下さいッ!」
と、思案顔になった後、みぬきが法介に訴える。片手にブラシ、片手にドライヤーというブローする気満々の格好なのでその心配の真剣さの度合いがいまいちよく掴めないのだが。
法介は、おいおい、と苦笑する。
「そんな、お迎えなんて。確かにいつもより遅いけど、成歩堂さんだって子供じゃないんだからさ」
「子供じゃないから心配なんじゃないですかッ!」
「そんな事を倍角太字で主張するもんじゃないよムスメが父親にさ」
しかもみぬきの目は本気だった。
「それとも何ですか!みぬきが本懐成す前にパパが傷物になったら、オドロキさんがその命で償ってくれるんですかッッ!!」
「代償重いなぁ――――ッ!?」
「冗談ですよ。オドロキさんが腹切ってくれた所でパパの純潔が戻る訳でもないってのはみぬきでも解ってます」
「いや、だからね。ちょっと待ってね、今、一生懸命突っ込みを整理してくるから」
「えーんッ!オドロキさんが迎えにいかないばかりに、みぬきのパパが不埒な輩の慰み者になっちゃうーッ!!」
「いやもう、オレなんて異議唱えればいいのか解らないよ。こっちが泣きたい気持ちだよ。泣いていい?」
「ダメですッ!」
よく解らないが却下されてしまった。
ブラシとドライヤーを持ったまま、びわーん、と泣いていたみぬきは、やおら目をキッとさせて法介を睨む。その表情自体は可愛いのだが、法介はみぬきの本質というか正体というか性格を知っているので命の危険を感じた。
「そうだ!オドロキさんが来てからですよ、パパの帰りが遅くなったの!」
「え、ええええッ!そりゃいくら何でも言いがかりだろ!?」
「言いがかりじゃありませんッ!だって、パパはみぬきが一人きりにならないようにいつも早く帰って来て、でも今はオドロキさんがいるせいでパパが居なくてもみぬきは一人きりじゃなくなってしまったんです!だからパパが中々帰って来ない!!」
「………。まあ、そういう見方も出来るな」
かなり理不尽な理論展開がなされた気がしないでもないが。
「よってオドロキさんは、今からパパを迎えに行く義務と、明日みぬきにアイスを奢る任務が課せられましたッ!」
「前半はまだいいとして後半が納得できない」
「ほら、早く行く!」
「………一瞬そのまま言う事きく所だったけど、別にみぬきちゃんが迎えに行ってもいいんじゃないか?」
「ダメです。パパから遅い時間に外出ちゃダメって言われてるんです!」
「うーん、でもほら、緊急避難って事で勘弁してもらえば」
「ダーメッ!パパ、そういう所厳しいんだから!それ破っちゃった時、みぬき、一週間キス禁止されました。あれは辛かったなあ…………」
「……………。そう」
本当に辛そうに言うみぬきに、何て言ったらいいか解らなかったので、とりあえず相槌だけは打ってみた。
「それじゃ、オドロキさん!パパのお迎え頼みますね!
あ、でもみぬきが居ないからって、それ幸いとばかりに、無必要に密着したり無用な言葉囁いたり、無意味に上司と部下以上に関係進めようとしちゃダメですよ!そんな事したら、今度みぬきの人体切断魔術(未完成)に付き合ってもらいます!」
「みぬきちゃん、きっと長生きするよ」
法介は心の底からそう思った。
事務所からソバ屋は、ビックリする程遠くはないが、驚く程近くも無い。確かに年端もいかない少女を出歩かせるのはちょっと躊躇うかもな、と夜も更けた街を法介は一人歩く。夜風が少し気持ちよかった。
ソバ屋の戸とカラカラと開ける。カツオだしのいい香りが鼻を擽る。
「…………。成歩堂さん……って、成歩堂さぁぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!!?」
店内をざっと見渡して視界に収める事が出来た彼は、蓋を閉じた鍵盤にぐったりを身を預けていた。思わず、人目を憚らず大声(それはもう大きな声)で成歩堂の名前を呼び、いや叫び駆け寄った。
「ど、ど、ど、どうしたんですかッ!どこか具合でも悪いんですかッ!?」
大声で問いかける法介に、成歩堂はちら、と顔を横にし、小声で呟く。
「……………。一服盛られた………」
「! ………だ、誰だコンチクショウ成歩堂さんに一服持ったヤツぁ―――――ッッ!!弁護士怒らすと怖いぞ―――――ッッ!!」
「冗談だよ。酒に酔っただけ。って言うか……弁護士主張するなら、もう少し弁護士らしい事言いなよな」
と、呟いてのそ、と起き上がる。
「うう……頭がグラグラする……」
「だ、大丈夫ですか……」
「君が大声を出す前はね……」
「…………………………………。す、すいません………」
ふと店内を見れば、おそらく従業員だろう人が自分に苦笑を送っている。それを見て、ますます身を縮こませる法介。
「今のも冗談だよ。いちいち真に受けるなあ、君は」
と、呑気に言って呑気に笑った。
起き上がった成歩堂は、揺れる自分の身体を支えるように鍵盤の上に肘を掛ける。胸を突き出すような自堕落な座り方に、法介の視線はそわそわと忙しない。
「酔いが醒めるまでここで座っていようかと思ったんだけどね。いつぞやみたいに交通事故にあったらシャレにならないから」
それはどうだろう、またしてもほぼ無傷で生還するんじゃないだろうか。と異議を唱えたくなった法介だ。
「オドロキくんが来たなら仕方無い。帰ろうか」
「それがいいです。みぬきちゃん、心配してましたよ」
「はっはっは。心配性だなあ、みぬきは」
確かに成歩堂の身の安全を気にするだけなら心配性で済ませてもいいが、みぬきは成歩堂の貞操を心配しているのでその言葉にはどうにも賛成出来ない。
「そんなに心配する事ないのにな。ちょっと前も、5,6人の軍団に輪姦されそうになったけど無事に帰って来たってのに」
「帰りましょうね一緒にねッ!!」
法介は腹の底から叫んだ。
「ああ、風が気持ちいいなあー」
と、成歩堂はうっとするように目を細めた。そしてそんな成歩堂の表情に法介はうっとりしそうになった。
「僕って酔いが回りやすいんだよなー。まあ、次の日に残らないのはいいんだけど」
それだけ言うと、ふう、と隣で感じ取れるくらいに息をゆっくりと吐く。そして、額を手で押さえる動作をした。
「……うーん、オドロキくん。ちょっと凭れ掛かってもいいかな。どうもふらふらする」
「 モ チ ロ ン で す !! 」
法介は顔を真っ赤にして返事した。
「いやいや、そこまで熱烈歓迎しなくていいよ」
と、言ってから法介の肩に手を置く。
「重くない?」
「 そ ん な 事 あ り ま せ ん ! 」
法介は顔を真っ赤にして返事した。
「そこまで力いっぱい否定しなくてもいいよ」
やっぱりアルコールが入っているせいか、返答が(いつもより)比較的一般的だ。法介のダメージも少ない。
「………あの、成歩堂さん!」
「うん、何かな」
「ちょっと、酔いを醒ますまで公園に風に当たりに行きませんか?」
この角を曲がって進めば事務所、という前に法介が言う。もうちょっと、この一時を延ばしても罰は当たらないんじゃないか、と勝手に結論付けたのだ。
「その……酔ったままみぬきちゃんの前に行くのは………ちょっと、危ない……というか危険……というかヤバいような……」
そしてそれ以上に。ここでハイさようならと帰った次の日の朝、肌がつやつやしている二人と対面したら自分は死んでも悔やみきれないだろう。色々と。
「ん……そうしようかな。みぬき、生理が近いせいかここ最近やけに欲情的でさ……隙を見せたら食われちまいそうだよ」
「……………。そういう事、あまり言わない方がいいですよ……」
ムスメがムスメなら、父親も父親だな。と、そのムスメの方と実は血が繋がっている法介は思うのだった。
さて。公園についた。こんな物騒な名前の公園ではあるが、昼となると子供たちがそこそこに遊びに来たりもする。けれど、さすがにこの時間では、来るとしたら下着ドロボーくらいなものだろう。人は一人も居ない。
ベンチに二人、寄り添うように座る。
酔いが変に回らないようにと、成歩堂はじっとしている。心なしが、自分に寄りかかって。
(ああ……このまま時間が止まってくれたら!)
なんて法介の心情を誰かが聞けば、「よろしい。その望み叶えてあげようではないか」と言い(←代表として赤いヒラヒラ口調)、彼のこめかみに銃口を突きつけそのまま引き金を引かれただろう。
何か喋った方がいいかなー。と法介がテンパりながらも必死に話題を探していると、バカ騒ぎが衝撃波のように鼓膜を震わす。
性質の悪い酔っ払いか、ただテンションの上がった輩が複数、やって来たようだ。しかも、喧嘩勃発しそうな状況で。まあ、距離もあるし、彼らにとってここは死角になるから、下手に刺激しない方がいいだろう。
「…………。煩いな」
と、不意に成歩堂が、あからさまに不機嫌に呟いた。目を見ても剣呑さが窺える。
「ええ。近所迷惑ですよね」
「全くだ。これなら、オドロキくんの発声練習の方がまだ可愛い」
「…………………」
うん、今のは可愛いと言われた所だけを記憶しておこう、と逞しく生きていこうと目指す法介だった。
「ちょっと、注意して来なくちゃね」
「え、成歩堂さん、酔いの方は……」
「もう平気だよ。大分しっかりしてきた」
確かに、立ち上がってみせても、さっきのようにふらついたりはしない。
「大人として、ビシッと言ってやらなきゃ」
成歩堂の意思は固いようだ。何となく、牙琉先生が『暑苦しい性格』って言ったのも解るような気がする、と法介は思った。
「じゃあ、オレも行きますよ」
「いいよ。僕一人で。絡まれたら助けられないかもしれない」
「そんな心配要りませんよ!これでもオレは……、」
頼もしい演説でもいっちょあげようか、という絶妙なタイミングで携帯が鳴る。
「電話、鳴ってるよ」
「…………………」
解ってますよ、という返事の代わりに電話を取り出す。
「あれ、みぬきちゃんだ」
「……おや。また充電が切れたかな」
「あんな化石みたいな携帯電話、使ってるからですよ。今度、新しいの……」
「じゃ、代わりに出といてよ。僕は行って来るから」
「買ってオレとお揃いに……」
なんて法介の言葉をするりとかわすように歩き出した成歩堂だ。
「…………。みぬきちゃん?」
やれやれ、といった具合に電話に出た。成歩堂も気になるが、彼も元弁護士だ。そうそう、人を逆撫でするような馬鹿な発言はしないだろう。……まあ、自分は省くとして。
『オドロキさん!どうしたんですか、遅いですよ!何処にいるんですか!』
「ああ、今、公園に居るんだ。成歩堂さんと一緒だよ。酒で酔って歩けなかったから、醒めるまで店に居たんだってさ」
『酔ってる!!公園!』
と、みぬきは驚愕したような声を発した。いつもみたいに、口の前に手を当てているんだろうか。
『んもー!オドロキさん!いくらご休憩するお金が無いからって、外は無いでしょう、外は!!』
「どおいう意味での発言かなそれは!」
『乙女にそんな単語、口にさせないでください!』
「仄めかす事言う方がどうかしてるよッ!!」
『で、パパはッ?!まさか最中なんですかッ!!それとも終わったんでぐったりしてるんですかッ!!みぬきを差し置いてオドロキさん、ずるいッ!!』
セリフに目を瞑れば可愛く怒っている女の子だ。そうとも、セリフが問題だ。
「………。あのね、別にそんな疚しい事は、一切してないから」
”一切”を特に強調して言った法介だ。
『………。本当ですかー?』
「何でだよ、その疑いの眼差し……って言うか口調」
『程よく酔ったパパと一緒なんですよね』
「まあね」
『そんなパパと一緒に居て、手出ししないんですか。オドロキさん』
「…………。出さないよ?」
『へえー。そうなんだ。ふーん』
「だから何なんだよ!」
『オドロキさん、アレですよね。安全パイってやつ?』
「そんな事言うと対抗馬狙っちゃうぞッ!?」
ムキになるなよ、法介。
『ま。それはそれとして、パパは何処ですか?』
ようやくまともな話題になったな、と法介は思った。
「ああ。うん。今ね、喧しい酔っ払いかヤンキーかが来たから、注意してくるってさ」
みぬきと話しているせいで、そのやり取りは法介の耳に入って来ないが。
『え。……大丈夫かなあ』
「大丈夫だろ。みぬきちゃん、もうちょっとパパを信用してあげなよ」
過保護だなあ、と法介は軽く苦笑する。
『でも、パパ、酔ってるんですよね?』
「まあね……でも、だいぶ醒めたって言ってたし」
みぬきの声に、やっぱり一人で行かせたのは自分が浅はかだったかな、と少し心配になり始めた。
『酔ったパパって、アレですよ。何て言うか、つまり……』
「何なんだ?」
『そうですね。これが一番近いかな。
うっかりした村民が封印を解いて出て来ちゃったみたいな魔王』
「………………………………………………………………………………………………………………………」
まさか、そんな事は無いよね?と、今のはただ自分をからかっただけなのだ、と法介は一縷の望みを持っていた。
しかし。
……ぼっちゃーん……
「………………………」
何か大きなモノが川に落ちる音がしたよ?
………ばっしゃーん………
「………………………」
もう一回、大きなモノが川に落ちる音がしたよ?
………ざわざわざわっ………
「………………………」
何かざわざわしてるよ?
気づけば、みぬきからの通話は終わっている。最後に耳に残ったセリフが「あ、NHKでナポレオンズのヤツ放送してるッ」なので、それでも見に行ったのだろう。
「ふう、やれやれ」
と、成歩堂が帰って来た。
「一時はどうなるかと思ったけど、意外と体動くもんだな」
なんて言って。
ははは。
とか、笑った。
「………………………」
成歩堂が横に来ても、法介はただ只管、硬直したように沈黙した。
………ピーポーピーポー……
「あれ、救急車?馬鹿だなあ、呼ぶべきなのは消防車だろうに」
「………………………」
「さ、オドロキくん。帰ろうか」
スッキリしたような成歩堂が法介を振り向く。そのスッキリの理由を推理しないように、法介は必死に自分の思考にストップをかけた。
成歩堂は、彫刻の「考える人」よろしくベンチに座り込んだまま動かない法介に、立つ事を促すように手を差し伸べる。
それでもその手をしっかり握る自分が正直過ぎていじましい、とか思った。
でもって帰ったら帰ったで、成歩堂と無必要に密着したり無用な言葉囁いたり、無意味に上司と部下以上に関係進めようとした件で人体切断魔術(未完成)をみぬきが準備して待っていたりするのだが、それを彼はまだ知らない。
<おわり>
ホースケとみぬきの電話のやり取りが予定より長く。
うーん、だんだんみぬきちゃんがヒートアップしてますね!!
ホント、隙あらば裏に行きそうですよ!全年齢向けを目指して頑張れ法介!(←かなり頼りない)