心何処にあるのか
甘党の人は酒を飲まない。出所は忘れたが、そんな事を聞きかじった事がある。
(でも、それは嘘だな)
法介はそう認識せざるを得ない。何故って、常日頃、それこそ捜査の最中でもかりんとうをサクサクしている茜が、酒をごいごいと飲みまくっているからだ。そう、目の前で。
「サワーもいいけど、酒はやっぱり日本酒よね。あんなの、ジュースよ、ジュース」
たしかに炭酸で割ってはいるが、一応れっきとしたアルコール飲料をジュースときっぱり言い切った茜に、酒豪の二文字が見えた。飲酒が法的に認められるようになって、まだ2年の法介はただ畏怖するばかりだ。
「たまには、こういう所で飲むのもなかなかいいものだね」
と、この居酒屋特有の喧騒に、最も似合わない穏やかな声で響也が言った。そんな彼の目の前には、串カツの皿がある。ビジュアル系の美青年に、串カツ。……この組み合わせは、妙なのか絶なのか。
しかし、今更ながら、どうしてこの3人で飲んでいるのだろう、とから揚げをつまみながら法介は事の起こりを思い出していた。
今日は事務所が休日で……最も、開いていても仕事らしい仕事は滅多に来ないのだが。街に出歩いて書店をいくつか回り、自分の為になりそうな本を探していた時、偶然通りかかった茜に声を掛けられたのだ。そして他愛ないことを話している内に、この後予定が無いなら一緒に飲みに行こう、という事になった。そして、店を探している時に、響也とばったり出会った、という訳だ。
茜は響也の顔を見るなり、うげ、という表情になったが、そこまでの確執はない法介は、何処に行くのかと聞かれて素直にちょっと飲みに、とあっさり返事した。そうしたら、まるで当然の流れのように彼もまた一緒してもいいかな、と尋ねて来たのだった。無論、茜は「なんであんたと飲まないといけないの」と言ったのだが、「奢るよ」の一言であっさり承諾した。その身の代わりの速さは、いっそ惚れ惚れとしてしまうくらいだった。
「そりゃどーも」
茜はくいーっと飲み干した猪口を、たん!とテーブルに叩き付けるように置いた。それに法介がビクッと戦慄く。まずい。今の牙琉検事の一言で機嫌を損ねたかも。フォローに回ろうとする前に、茜が噛み付く。
「どうせアンタは、もっと高級で上品で上等な所で高値なワインとか傾けちゃったりしてるんでしょうね!」
今のは牙琉響也という個人に対する嫌味というよりは、貧乏人が金持ちにやっかんでる様に聴こえたな、と法介は素直な感想を抱いた。
(………。もしかして、刑事って給料安いのかな)
そんな事まで思った。
響也は今の茜の言葉を否定するように手を振った。それだけの動作さえ、様になる。
「僕は、ウイスキーが好きなんだよ。灯りの薄い室内で、氷を入れた時のあの音、転がすあの感触、……堪らないね」
そう言いながら、彼が飲んだのは自身が頼んだジン・トニックだった。ウイスキーはどこ言ったんだ、と法介は異議を申し立てたい。
「ウイスキー?」
キ、の発音で横に口を伸ばした茜の表情は、あからさまに不機嫌……というか喧嘩のひとつでも売ってそうだった。
「アンタ、あんなもん美味いなんて思ってんの?どーゆー舌してるのよ!あんなの、アルコールくさいだけじゃない!」
何か過去にあったのか、茜はぎゃんぎゃん吼えた。響也はそれを平然と受け止める。
「ウイスキーは当たり外れが多いものさ。僕も、初めての店ではあまりおいそれとは頼まないね。気に入りの品種があれば別だけど」
ああ、だから違うのを頼んだのか、と法介は解釈した。
「ほらっ、オドロキくん!ちゃんと飲んでる?」
と、茜がいきなり声をかけてきた。響也と喋るのが面倒にでもなったのだろうか。
「あ、は、はいッ!」
と反射的に頷いた。しかし、どうして酒飲みって、他の人が飲んでるかどうかいちいち確認するんだろう。自身が酒飲みとならければ、解けない謎なのだろうか。まあ、余計なお世話になってしまってはいるが、気にかけてくれるのはありがたいと思う。
どうも、酒は苦手だ。苦手というより、このアルコールの独特さに慣れないだけかもしれないが。ビールなんて、苦すぎる。茜がジュース呼ばわりしたサワーをちびちびやるので精一杯だ。
「あら、グラス空っぽじゃない。追加注文しよっか」
そう言って、メニューを手渡してくれた。案外、茜という人物は世話焼きなのかもしれない。
正直酒はもういい、と思っていた所なのだが、折角なのでもう一杯頼む事にした。
「ええと……じゃ、巨峰サワーで」
「ふーん、オドロキくんて、巨峰好き?」
何気なく指摘され、へっ?とマヌケな顔になる。
「そう言えば……3杯目だね、それで」
と、響也も同意する。
「あれ?そうですか?」
「ああ、もしかして、ワインも好きだったりするの?なら、遠慮なく頼みなさいよ。奢りなんだから」
確かにワインはサワーに比べて割高だった。頼むのに遠慮をするくらい。
「い、いえいえ。ワインもそんなに好きじゃないですよ」
と、言うか口にしたことすらまだない。
「あ、ブドウが好きなのね」
ふーん、と納得したかのように、イカの刺身を摘む。日本酒と合いそうだ。
「いや、ブドウが好きなのは………」
と、言いかけて、はた、と法介は止まった。
自分はそこまでブドウは好きじゃない。むしろ、好きなのは成歩堂の方だ。
(……って事は)
酒の味なんてよく解らないから、どれでもいいや。そんな風に適当に頼んでいたのに、同じものが重なったという事は、……無意識に選んでいたに他ならない。
彼の好物を。
(ま、まさか!そんな!)
かあああっ、と腹の底から羞恥心が沸き上がる。
(好きな人と同じ物を、なんて、中学生か小学生の恋みたいじゃないか!い、いや、それ以前に、好きっていうか、オレは、あの人の事!!)
果たして誰にしているのか知らないが、法介は必死にいい訳していた。
「じゃ、店員さん呼ぶわよ」
呼ぶためのボタンを、茜が押そうとした。
「待ったー!!オレ、ライチ!ライチサワーで!!!」
「へ?あ、ああ。解ったわ」
あまりに力いっぱいに申告したので、一瞬なんの事か解らなかったようだ。面食らったような表情をしたが、法介を怪訝に思う事無くボタンを鳴らした。
飲み会の運命でもあるかのように、大概開始して30分も過ぎれば場がグダグダになる。最も、この場合最初からグダグダのような気がするが。
先ほどから、いい感じに酔いの回った茜が科学捜査のなんたるかを語っている。正直言って、法介には半分以上ちんぷんかんぷんだった。まあ、専門的云々をさておいて、相手が酔っているからというものもあるかもしれないが。隣の……というかコの字型のボックス席に一辺づつ座っている……響也は、ゆったりとした笑みを崩さないでいる。ちゃらけた格好をしているが、案外ヒトが出来てるのかもしれない。法介は彼への認識を改めた。
「あーぁ、どうして試験に落ちちゃったんだろ。あたし」
ついに茜が愚痴りだした。これは長引きそうだな、と法介は早々に覚悟を決める。
「あたしの未来設計じゃあね、今頃科学捜査班のリーダーにでもなって、最新の技術バンバン使って犯人の証拠をジャンジャン挙げるつもりだったのよ」
「それは、頼もしいね」
響也の発言が好意的だった為か、茜は噛み付くような事はしなかった。
「それでさ……成歩堂さんの助けに、ちょっとでもなれたらな、って」
成歩堂の名前が出た時、法介は思わずはっとなって響也の顔色を窺っていた。けれど、響也の表情は、先ほど茜に相槌を打った時から変わっていない。それは彼が意図して装っているものでもなさそうだった。
「ねー、オドロキくん」
と、茜が視線をこちらに向ける。うわあ、来た、と法介は思った。
「成歩堂さん、どうなの?また弁護士目指す気とか、ある?」
「え、ええーと……」
結構それはデリケートな話題なんじゃ、と返事に躊躇う。実際、酒でも回らなかったら、茜も取り上げたりはしないだろう。
……彼は、冤罪で自分を追放した法曹界を、恨んではいないと思う。でなければ、あのシミュレート裁判を仕切ったりなんかしない。そして、それにより謂れのない罪を晴らした彼が、再びあの場に戻るかと言えば。
「……ちょっと、解りません」
としか、答えるしかなかった。
「何よ。煮え切らない返事ね」
茜は法介にとっておなじみになってしまった、憮然とした顔になった。
「だから、オレも解らないんですよ。オレとしては、勿論なって欲しいんですけど……」
と、言いながら法介は酒を煽った。何となく飲みたくなったのだ。これが自棄酒ってヤツだろうか。
「……まあ、彼は今や世帯主だからね。司法試験に挑むには少々キツい環境かもしれないな」
と、響也が最も現実的な事を言った。
確かに被保護者を抱えて勉強に精を出すのは難しいだろう。二人分の生活費に加えて学費もある。みぬきも頑張っているが、決して彼の稼ぎが要らないという訳じゃない。
(……って事は、オレがもっと稼げるようになれればいいのか?)
と、算段を立ててみて、それこそ途方もない事だと一人落ち込んでみた。ふと思い返してみれば、この中で自分が一番断トツでペーペーだ。いかん、改めて認識してしまうと、更に落ち込んでしまいそうだ。
「オドロキくんが、もうちょっとちゃんとすれば、成歩堂さんも司法試験に打ち込めるんだろうけどね」
茜に言われてしまい、ますます落ち込んだ。一応、責めてる訳じゃないのよ?というフォローをもらったが、半疑問系なのが気になる。
「よくよく考えれば、成歩堂さんてシングル・ファザーよね」
「ええ、まあ」
「……結婚、とか考えないのかしら?」
何気なく呟いた茜の言葉に、けれど法介は身体が戦慄する程動揺した。みぬきが言う分には、言い方が悪いが親子ごっこを楽しんでいるような、現実味の薄い戯言みたいに思えるが、こうして第三者が言うとやけに耳に響く。
更に言うと、法介は茜は成歩堂と結婚出来るのだという、当然過ぎる事実にこの時言われて気づいたのだった。茜は成歩堂に対してかなり好意的だし、成歩堂も、彼女の事を気にかけている。それが男女のものなのかは解らないけど、そうなっても可笑しくないのだ。
もし。もしも、本当に二人が結婚なんてしたら。
「……………」
そうしたら、今、彼の中にあるかどうかも怪しい自分の居場所が、ますます無くなってしまう。
法介は浮かんだそれに、悲しみ、嘆き、恐れて……妬んだ。取ってくれるなと。その相手に。
「ねえ、オドロキくん」
「は、はい?」
どうも茜の呼びかけには過剰に反応してしまう。カリントウをぶつけられた痛みでも脊髄にまで備わっているのだろうか。
「ここだけの話、成歩堂さんにいい人とか、いるの?」
「いっ……?」
かあっと一気に顔の熱が上がった。自分としては気づかれてしまいそうなくらいの勢いだと思ったのだが、二人は特に何も言わない。元々、酒を飲んだせいで顔でも赤かったのだろうか。それに自覚は無かったが。
「ど……どど、どうでしょう。みぬきちゃんは新しいママ作れって催促してますが、それに関して建設的な事は言ってないような……」
「何よ。はっきりしないわね。あんた、成歩堂さんのトコの子でしょ!」
「……そんなこと言われても」
自分はその本人じゃないし。それに「子」って表現はどうかと、以前から思っている。
「ね、ね、ちょっと今から聞いてみなさいよ!成歩堂さんの番号、知ってるんでしょ?」
「ええええッ!い、今からですかッ!?」
かなりとんでもない事を茜が言い出した。
「そう、今から!だって、目の前で確認しないと、あんた適当な事いってはぐらかしそうだもの」
それはオレじゃなくて成歩堂さんだ、と心の中でだけ突っ込んだ。
「ほら!早く!今すぐ!」
と、茜が法介の腕を強く掴んで揺さぶった。案外彼女は絡み酒だったようだ。
「ちょ、ちょっと……牙琉検事!助けてください!何とかしてくださいよ〜」
と、法介は反対側の響也に助けを求めた。言う事は浮ついているが、彼の人間性は案外まともだ。
しかし。
「ううーん……実は、僕もちょっと興味があるね」
「えええええッ!」
驚きに叫ぶと、茜に煩いッ!と怒鳴られた。その声を法介は煩いと思った。
「長い間に渡って冤罪をかけられた男の、心の拠り所。……なにか、秘められた情熱的なものを感じないかい?いい曲のモチーフになりそうだ」
その冤罪被せた張本人が言う事かよ、と法介は心底強く思った。響也は時々法廷でも見せるような、頭の横で何度も指を鳴らす仕草をしている。彼もまたいい具合に酔っているのだろう。普段より陽気になるくらいには。
「ほら、早く!別に大した事じゃないでしょ?フツーにぺろって訊けばいいんだから!」
「フ、フツーにペロって、じゃあ茜さんがしてくださいよ!」
「女の人はそんなはしたない事はしないものなのよ!」
「そうだね。僕もその意見に賛成だな」
「へえー、ちゃらっとしてじゃらっとしてる割には、解ってるじゃない」
「それは、どうも」
「…………」
何だこれ。っていうか、これが四面楚歌ってヤツか……?
法介はスタコラ逃げ出したくなったが、位置的に響也か茜を乗り越えないと席から出られない位置にある。大ピンチである。
「で、でも、そんなのオレだって……おわぁっ!」
「あ、コレね。携帯」
すぐ横の茜が、法介のポケットに手を突っ込み、勝手に携帯電話を取り出した。
「ちょ、ちょと!シャレになりませんって!」
「当たり前でしょ本気なんだから!」
「もっと悪いー!!」
ぎゃおーと喚いたが、普段の法介にとっても無敵に近い茜がおまけに酔っているのだ。敵う訳が無い。ちなみに、法介にとって無敵な人物は、あと成歩堂とみぬきも含まれる。響也も含まるかもしれない。というか法介が弱いだけかも。
「む。最新機種じゃない。ナマイキね」
「その辺は認めてくれてもいいでしょう!」
「通話ボタンはコレよね」
「いぎゃー!そこまで進んでるー!!」
片手で暴れる法介を制し、空いた方の手でボタンを押していく。勿論法介はこれでも男性なのだから、全力を出せば止められる。しかし、出す力の加減がわからなくて、万が一怪我をさせたらと思うと。茜の身というより、その後の自分への報復が恐ろしい。
響也はそんな二人を見て、楽しそうにニコニコしている。その笑顔は、いっそ法介に殺意すら抱かせた。
「オドロキくん!」
と、いきなり名前を呼ばれた。そして、携帯電話を返される……と、いうか押し付けられる。
「あたしにできるのは、ここまでよ。後は貴方次第だからね!」
なんか、聞こえだけは格好いいセリフだ。
「…………。お。押しちゃったんですかぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!?」
ガビーン!と驚愕しながらディスプレイを見ると、無惨にも呼び出し中の表示になっていた。それを見て、ホゲー!と戦慄する法介。
おまけに、切る前に通話に切り替わってしまった。
成歩堂が出たのである。
「!!!!!!」
(何でこんな時に限って素早い対応なんだよッッ!!)
まさかと思うけどわざとやってんのかあの人!と思ってしまった法介だった。
「早く出なさいよ!かけといて待たせるなんて失礼よ!」
誰がかけたんだー!という血の叫びは一旦引っ込めて、法介はこのまま切ってしまうべきか出るべきかを短い時間ながらかなり真剣に考えた。しかし、それに結論を出す前に、成歩堂の声が通話口から聴こえたような気がして半ば無意識に話しかけてしまった。
「も、もしもし!」
『………。それはこっちのセリフじゃないかな』
と、成歩堂が言った。よく聞く言葉だが、この時程相応しい場合も無いだろう。
『どうかした?何か、あったのか』
声色はいつも通りだが、気遣うようなセリフでじ〜んと感激してしまう。自分の身に一大事でも起きたのかと思ってすぐに出てくれたのか、と。ついさっきまでわざとかコンチクショーとか呪ってたのをけろっと忘れている。
しかしそんな風に感激したすぐ端から、それを裏切るような現状にあると気づく。
「あ……っと、その、ええとですね!」
とにかく何か喋らなければ!と法介は必死に喋る。
「きょ、今日、街をブラブラしていたらですね!茜さんとばったり会って!牙琉検事とも偶然出会って、今一緒に飲んでるんですよ!」
『へえー、仲がよくていいなあ』
ははは、と軽い笑い声を聞いて、法介は少し落ち着く。このまま、当たり障りのない事を言って、切ってしまうか。しかし、右を見ても左を見ても、期待を込めた目が自分を見ている。
(や、止めてくれ!オレはそんな目を向けられるような人じゃないんだ特に今は!!)
と、懇願するようにその顔を見詰め返してみたが、早くしないとあんたはこうよ、とばかりに茜が親指を立てて自分の首の下でスライド移動させた。いかん、本気だ。
(えーい!ここは一か八かだ、王泥喜法介!)
と、法介は覚悟を決めた。自分だって、知りたいのだ。あるいは……二人よりも、うんと。
「そ、それでですねー!成歩堂さんって、好きな人が居るのかなーって流れになって!で、居たりするんですか!?」
法介が言うと、二人がよく言ったえらいぞ!とばかりにガッツポーズをしてくれた。ちょっと、誇らしげにな気持ちになる法介。
『……………』
しかし、それ後の成歩堂からの沈黙に、穴の空いた風船のようにそんな気持ちはあっという間に萎んでいく。
(ヤ……ヤバい……馬鹿な事訊いちゃって、怒らしちまった……か?)
酔いが一気に冷める。
二人と言えば、そんな自分の事情に気づいたのか、訊いたのはオドロキくんだもんね、とばかりにそっぽ向いている。この時の事は一生忘れまい、と法介は誓った。
「す……すいません……悪ふざけが過ぎました……」
なので許してください、と怒られる前に謝ろうとする法介だった。
『オドロキくんは、さ』
と、いつか聞いたような呼び方で呼ばれた。そんな風に唐突に呼ばれ、はへぇ!?と妙な声で返事をしてしまった。成歩堂は、それに気にする事なくセリフを続ける。
『居ると思うの。……僕に、好きな人』
「え。え……ええええ?」
何だその質問の返しは。何だその間は。とツッコみたい事は山ほどあるのに、言われた内容で頭の中が占められてしまった。
「え、っと、その、あの………」
法介が回答にまごついてると、電話の向こうからあっはっは、とからかうような笑い声がした。
『僕だって人の子だもの。好きな人くらい、居るよ』
「え………い、居るんですかッ!?」
法介のその言葉に、二人は食いつくようにテーブルに身を乗り出した。
『居るよ』
その言葉に嘘は無い、とばかりに揺ぎ無い声だった。その声色は、法介の鼓膜を刺激する。
「……だ、誰で……」
『当ててごらん。弁護士だろう?』
関係ないです。
そんな事を頭の片隅で突っ込みながら、法介はぐるぐると考えた。
(な……成歩堂さんの好きな人!?)
一体誰なのか、と考え始め、自分は彼の友好関係にそんなに精通していないという事に気づかされる。まだ会って間もないのだから、当然なのだが。それなのに、こんな事を訊いてくるだなんて、意地が悪すぎる。解るわけが無い。
(………あ、)
意地が悪い、という言葉で気づく。そう、こちらの意図で答えている確証は無いのだ。
「解りました。……みぬきちゃんでしょ」
『当たり。さすがオドロキくんだ』
「ありがとうございます」
皮肉のつもりでお礼を返した。無論、効いていないが。目の前の二人は、なーんだつまらないなあ、とばかりにテーブルの上の物に手を付け始めている。この事も忘れないぞ、と法介は脳内に深く刻み込んだ。
『大事なムスメなんだから。好きに決まってるだろ?』
「はいはい……」
思わず相槌も適当になる。
『で?電話かけてきた用件ってのは、これだけかな』
その言葉に、はっとなって、思い出す。こちらのノリだけで電話をかけたという、迷惑行為にすら当たりそうな事をしたという事実を。
「す、すいません……あの、オレはイヤだって言ったのに、茜さんと牙琉検事がやれって言うから」
思わず先生に告げ口するような言い方になった。二人がなんて事を言うんだとばかりに非難めいた目でこっちを見たが、詫びる気にもならない。
成歩堂は、そう、とだけ短い返事をした。けれどその声は楽しそうで、機嫌を損ねてはいないようだ。
まあ、自分がいいように扱われてるのを楽しそうにされるのも、それはそれで複雑なのだが。
『じゃ、仲良く飲むんだよ。友達はいいものだからね』
「はあ……」
果たしてこの二人を友達と呼ぶべきなのだろうか。と、いうか呼べるのだろうか。自分の中でかなり難しい問題だ。
法介は電話を切るタイミングが解らないので、成歩堂に任せる事にした。彼が切ったら自分も切ろう、と。
『……あ、そうそう』
離した口をまた近づけた、といった具合に声がした。
「何ですか?」
『勿論、オドロキくんの事も、ちゃんと好きだよ』
……………………
「………えっ?」
『好きな人は多い方がいいからねー』
ははは、とからかい口調でそう言って……電話は、切れた。ツーツー、と味気ない電子音が耳につく。
「……………………」
それにすら気づいてないように、法介は携帯電話を耳につけたまま、固まっていた。
”オドロキくんの事も、ちゃんと好きだよ”
”好きだよ”
”好き”
「…………………」
その後自分がどういう行動を取ったのか、法介はあまりよく覚えていない。
ただ、足にあちこち痣があったりサイフの中が思いのほか寂しかったりしていたので、覚束無い足元で帰ったって事と、どうやら何か茜に(←確定)あの後また何か奢ったのだろう、という事が解った。
そして、その事実があるというなら、あの言葉も現実だったって訳で。
後日事務所に顔を出した法介は、それはもう挙動不審もいい所で怪しい所満載で返って心境が見抜けないと、みぬきが言っていた。
<終>
タイトルは「心此処に非ず」を適当にもじってみた。ちょっと気に入ってみた。
しかし飲み会のシーンがだらだらと長くなったなあ。おデコくんは酔っ払うと「成歩堂さんエロい」しか言わなくなるよ。