今日も日和
弁護士である自分が入った事で、成歩堂”芸能”事務所から成歩堂”なんでも”事務所に代わってから早数ヶ月。そんな些細な名前の変化なんて、ツッコみたい事は山ほどあるが特にそれにより何の害も無いだろう、という法介の読みの甘さを痛感せずにはいられなかった。そう、他でもない法介自身が。
ひらがなが加わったせいなのか、”なんでも”という単語の気楽さのせいなのかどうなのかはしらないが、ちらほらと子供が単体で、迷子になった自分の犬や猫を探してくれという依頼が舞い込んでくる事だ。
問題なのは、それを成歩堂がウキウキしながら引き受ける事だ(しかもおそらく相手の子の心情を汲み取ってというよりは、自分が楽しみたいが為に)。
さらにと言うか一番問題なのは、それが当然のように自分に回ってくる事だ。しかも、「その内犬が証言台に上がる事があるかもしれないから、今の内に慣れ親しむといいよ」という訳の解らない理由で。
そう、今日のように。
「……こんなの、弁護士の仕事じゃない……絶対、弁護士の仕事じゃない……」
と、呪租のように呟きながら、法介は草がぼーぼーと勢いよく伸び伸びしている土手で犬を探していた。ここが現場……というか、見失った場所なのだそうだ。
犬を探して来い、と言われた時は、それはもう猛反対し、猛抗議し、猛異議を申し立てた。
でも。
「頼むよ、オドロキくん。君なら、やれる」
と、じっと眼を見て言われてしまっては。
(だいたいあの人。あんな風に微笑みながら頼めば、オレが何でも引き受けるとでも思ってるんじゃないか?全く、もう!
……………。
ああ、そうだよ!その通りだよ悪いかチクショ――――――――!!)
それが一番悔しいッッ!と犬の痕跡を探す法介だ。
(っても、どこから探せばいいのか、全く解らないよッ!どう探せばいいんだよッ!そんな事、学校からも牙琉先生からも教わってないよ!って言うかどうして犬の名前が「ミケ」なんだよ――――――!!)
ムキー!と土手の中心で突っ込みを(心の中で)叫ぶ法介だった。
ちなみにミケというのは「美しい毛」から来ているそうだ。
しかし、その犬の品種はチワワで短毛種もいい所なのだから、自慢すべき所は毛ではないような気もするのだが。
ひとしきり悶絶し終わった法介は、ガクッと肩を落とした。喚いても何も変わらない現実をようやく受け入れたのだ。
(うう……やっぱり、エサで釣った方がいいのかな……でも、調査費用は自己負担だからね、って言われたし……)
おまけに、報酬はキャラメル一箱だった。
しかも、成歩堂が受け取った。
法介としても意地があるので、仕事を片付けるのはオレなんですからそれください、と言おうとしたのだが、何だかやけに成歩堂が、そのキャラメルを嬉しそうに懐かしそうに眺めているので、何となく気が引けてしまい、言う事が出来なかった。
(……オレって、……もしかして、甘い、のかなぁ)
ものがキャラメルなだけに、と上手い事を思ってみる。
法介は頭の中で、金銭と、これからかかるであろう時間と労力を天秤にかけてみた。
「…………………」
結果。
(頑張って探そう……どんなに途方も無くても、終わらない旅は無い、のさ……)
そう結論付けた自分の脳内に、「そうそう、若いうちは体で解決した方がいいよ。それしか売りがないんだから」と朗らかに言う成歩堂が現れたので、無理矢理押し出して退場してもらった。
そして、それから数時間。
太陽すら、休憩に入ろうと地平線へと沈んで行こうとしていた。いや、こちら側に太陽が無くなるだけで、太陽そのものは絶えず光続けるのだけれども。
カアー、とカラスも鳴く。他意が無いのは承知の上だが、どうしてもそれが自分の愚かさを罵っているような自虐的な捕らえ方をしてしまう。世界が自分を笑っているみたいな。
チワワのミケは、未だ行方不明だ。
とぼとぼと法介は道を歩く。今日の仕事は犬探しだが、これだけは譲るまいといつもの赤いベストを着込んでいる。だが、現在の自分の姿を見ても、誰も弁護士とは解ってくれないだろう。とほほ、という効果音はこんな時にあるんだな、と痛感する。
最初こそは犬の行動パターンとか思慮して探していたが、おやつの時間を過ぎた頃からは手当たり次第になり、今ではもう闇雲だった。そんな風に行き当たりばったりなのに、いや、だからこそというか、無意識という本能で足を動かしていた法介の足は、成歩堂の居る店へと向かっていた。今日は、そば屋のあるでん亭である。ボルハチには出入り禁止な自分だが、こっちは良いらしい。
そんな風にふらふらと歩いていると――見慣れたような、ニット帽とパーカーが遥か向こう、というのは些か言いすぎだが、前方に見えた。
「成歩堂さん!」
自分にとってある種のトラブルメーカーであるが、見つけたら駆け寄らずには居られない。疲れは精神的なものが大半だったので、法介は駆け足で向かった。
「お。オドロキくん、若いなぁ。夕日に向かってダッシュかい?」
法介に気づいた成歩堂は、顔だけ振り向いて愉快そうに言った。そう言えば、丁度夕日の方角だった。意図せずに古臭い青春映画みたいになってしまった。
「いえいえ、そんなんじゃありません。成歩堂さんを見つけたから走ったんです」
隣まで駆け寄った法介は、まずそう意見した。
「僕は夕日じゃないよ」
「知ってますよ」
「そうだな、見れば解るよな」
「……それ以前の問題ですよ」
この人と話すと疲れる……というか、常識とか良識を吸い取られるような気がする。
(……でも、つい話しかけちゃうんだよなぁ……)
こんなアホみたいな会話でも、交わしていて凄く嬉しいと思う自分を実感は、出来る。
「………。成歩堂さん、腹、どうかしたんですか?」
ちょっと不自然な歩き方だな、と背後から思っていたが、普段パーカーのポケットに突っ込んでいる手は外に出ていて、しかしまるで腹を抱えるように添えられている。いや、実際腹を抱えてるみたいだ。
「ちょっと今、身重だから。慎重に歩かないとヤバいんだ」
あっさりと成歩堂は言う。
(身重って……妊娠してますとでも、言う気かよ……)
こちらとて言葉の駆け引きのプロ、のつもりだ。負けてなるものか、と法介は先手に出る。ふふん、と不敵な笑み(のつもり)を浮かべて。
「へえ、それは大変ですね。それで、相手は誰ですか?」
「うん、牙琉霧人」
「…………………………………………………………………………………………。
嘘、ですよね?」
「当たり前だろ。まさか、本気にしたのか?」
笑顔のまま固まった法介に、成歩堂は軽くジト目を投げかけた。
「いえいえいえ、ただ、あまりにセレクトした相手がそのようなアレだったから…………」
なんでそこでその名前出しちゃえるかな、と頭を抱えたくなった。
恐ろしい人だ。本当に。色々と。
「……ま、まぁ、それは置いといて……実際に何かが入っているのは、確かなんですね」
「見たい?」
「見たい、というか、気になりますね」
「そうか。そこまで言うなら仕方無い」
何だ、そのもったいぶった言い方は、と法介は思った。
「ちょっと服のジッパー下げてくれないか?」
「え………ええええええええッッ!!!」
ずさぁッ!と思わず1メートルくらい後ずさる……と言うか横ずさった。あと数センチで電信柱と後頭部をごっつんこする所だった。危ない危ない。
「失礼だな。ちゃんと洗濯してるよ。みぬきが」
「そ、そうじゃくて……って、洗濯くらい自分でもしましょうよ」
ってその突っ込みも違うだろ、と自分でも突っ込んだ。
「頼むよ、僕は手が塞がってるんだから。だいたい、君の頼みをきいてあげるんだしさ」
だから君が動け、って事らしい。
「は、はあ……では、失礼シマス……」
って、だから何が失礼なんだよ、何が!!と自分にビシバシ突っ込みながら、なるべく普通にジッパーを下ろしていく。ジィ〜〜と擦れるような音が、夕方の路地にやけに響いた。
(うわぁぁ〜〜……何か、凄い疚しい事してる気分……!!)
激しく蠢く動揺を必死に抑える法介。
数センチ下ろした所で、それがひょこっと顔を出した。
犬の種類には詳しくないが……多分、これはチワワだ。
「あっ、これ……ミケですか!?」
「多分、ね。この近辺で他にチワワを逃した人が居なければの話しだけど」
「………。素直に、そうだよ、って言いませんか?こういう時」
「だって、僕は実物を見た事が無いし。それに、元・弁護士として曖昧な発言は許せないんでね」
よく言うよ、言葉の足らない発言で散々翻弄してくれたくせに……と、恨めしく思った。
「で、これから一応飼い主に確認に行く所なんですか?」
法介は質問というより、確認の為に訊いた。
のだが。
「さあ、依頼者の家なんて僕は知らないよ」
と、これまたあっさり言ってくれた。
「………。じゃあ!何処へ行こうとしていたんですか!」
法介は何処とも知れない場所から無意識にそば屋へと行っていた訳だが、この道は決して事務所には続かない。
「何処へ、というか、散歩だよ」
「散歩ぉ!?」
返された答えを、オウム返しに喚いてしまった。案の定、成歩堂はそんな法介のリアクションを楽しんでいる。
「だってさ、こんなに綺麗な夕日も珍しいだろ?もっと見たくなったんだ」
「…………はあ……」
まあ、確かに今日の夕日は綺麗だと思う。空が綺麗に真っ赤に染まっている。
(でも、夕日が綺麗なのって、本当はいけないんだよな……)
物理だか何かの授業で、夕日の赤色は空気中のゴミが赤い光を反射しているからとかなんとか、習ったような気がする。しかし、それを言ってしまうのは野暮だろう、と法介は黙る事にした。
「まあ、夕日が綺麗って事は空気中にゴミが多いって事で、あまりいい事じゃないんだけどね」
「……………………………………」
「ん?どうした、オドロキくん?ああ、知らなかったのか、夕日の仕組み。知って驚いた?」
「……いえ。貴方に細やかな気遣いは無用だってのを、改めて噛み締めていただけですから」
嫌味をたっぷりこめたつもりだったが、てんで効いてないようだ。はっはっは、と肩を揺らして笑っただけだった。しかもチワワを胸元から覗かせたまま。何だかそのつぶらな目をしているチワワのイノセントな顔が無性にイラッときた。
「最も、オドロキ君の言った事も、まるで的外れでもないよ」
チワワを落とさないように、ゆっくりと歩き出した成歩堂が、不意にそんな事を言った。
「え?」
と、並んで歩いていた法介は成歩堂を見やる。
「とりあえずチワワを見つけた訳だからね。飼い主に確認しようとは思っている」
「……でも、事務所に帰らず散歩してるんでしょう?」
それでは向こうの連絡先なんて調べようが無いではないか、と法介は成歩堂の言い分を否定する。
「うん、でもさ」
と、成歩堂はくるっと顔を動かし、法介へと向けた。意外と黒目勝ちな双眸が真っ直ぐに向けられ、どきっとする。
「こうして適当に歩いていれば、犬が見つからなくてくたくたになったオドロキくんと、いつか遭遇するかもしれないから、その時聞けばいいや、って」
「……見つけられない上に、くたくたも決定ですか、オレ」
「だって、こうして僕が捕まえちゃった訳だからね。君が見つけられないのは道理ってものだろ?」
「…………そうですけど。そうですけど………」
なんか言いたい事が見つからなくて、変にセリフを反芻してしまう法介だった。
「で、依頼者の家はどこだい?」
成歩堂が訊く。その時も、顔は前だが視線は法介へと移していた。
「……………。一応、住所とかは携帯のメモ帳には記入しましたけどね。でも、電話で呼び出した方がいいかもしれませんよ」
そう遅い時間でもないし、その方が手っ取り早い。と続けた。
「そうだね、それがいい」
うんうん、と成歩堂も頷く。
「さすが、オドロキくんだよね」
「僕が見込んだだけの事はある、……ですか?」
「まあ、そんな所かなあ」
「……なんでそんないかにも面倒くさそうないい加減な表情で言うんですか!」
「はっはっは」
「朗らかに笑わないでくださいッ!」
「うん、まぁ君が居てくれて良かったよ」
そう言って、眼を緩い孤にしてにこり、と笑う。
「! ……………っ、」
一瞬クラッとしたが、何とか持ち直す。これでも、耐性はついてきた……つもりだ、多分。
「……み、見つけたのは成歩堂さんじゃないですか。別に、オレが居なくても……」
「そう言われれば、そうだね」
「そこで納得するー!?」
「ははは」
法介はがびーんとなった。そんな風に、法介がデカいリアクションを取ると、成歩堂は悪戯の成功したような子供みたいな笑顔で笑う。だから、結局からかわれても、適当にあしらわれても、自分はこうして話しかけてしまう事が止められないんだろう。
この人には笑っていて欲しい。今の現状はあまり自分の望ましい形ではないが、それは二の次三の次の、どうでもいい事のように思える。
(……でもやっぱり、この扱いは勘弁してもらいたいよな……)
その後、成歩堂は法介をからかうのに飽きたのか、無言でテクテクと歩いた。別に発言を無視している訳でもないが、今は喋りたい気分ではないのだろうな、と法介は感じたのでそんな成歩堂に合わせた。
ふと、本当に何の意味も無く、法介は隣の成歩堂を見上げた。
すると、偶然なのか法介に気づいたのか、成歩堂も法介の方を向く。
視線が合い、法介が自分を見ている事を確認し終えたように、僅かに首を掲げて、にこ、とした。
「………………」
法介は、何も返さず顔の向きを前へ直した。特に何も感じる事はない、とでも言うように。
それでも顔はきっと赤いが、この夕日がある程度誤魔化してくれるだろう。
最も、この真実を見抜く眼の前で、どれだけの効果があるか、甚だ怪しいけど。
<おわり>
手玉に取られ放題の法介。これを計算でやってるなら恐ろしいなナルホドくん!
多分千尋さん辺りがレクチャーしてるんだと思うけど。そういう時は相手の目を見てたっぷり間を溜めてから言いなさいとか。
あるいはみぬきちゃんがそこでニコッと笑うんだよ、パパ!とか教えてるといい。
真宵ちゃんは真宵ちゃん本人が天然だからなぁ。
あとなんか微妙にミツナルの方に話がリンクしてるなぁ(人事の如く!)