恋は今更




 初恋は済ませたと思っていた。
 しかし、今の自分の状態で考えると、あれは本当に恋だったのか、と疑問に思えてくる。だって、その時とは何もかもが違いすぎる。
 相手が近づいて来ると、胸がドキドキする所か絞られるように苦しさすら伴う。そんな苦しいけれど、会えないと悲しくなる。例えて言えば、昔に恋と呼んでいたものはジュースのような甘いだけの代物だったが、今している恋はアルコールを含んだ酒のように、用法を間違えると副作用で悩む事になるような物だ。そして、依存性がある。何より摂取した時の快楽が段違いだ。頭の芯まで痺れる。
(やっぱりこれは……恋、なんだろうか)
 自分が彼に、成歩堂に向けている特別な感情に名前を付けるとしたら。
 明らかに他者とは違う気持ちをどのカテゴリー入れるかと言えば。
 そう自問した途端、それの解答のように顔が熱くなる。きっと、赤くもなっているだろう。鏡が無いので確認は出来ないけども。
 取るに足りない常識で考えれば、恋人にするには普通、年が程よく近い異性で独身、といった具合だろう。しかし成歩堂は、その条件に当て嵌まっているとは言えない。年は10才以上離れ、義理とは言え子持ちでもある。そして極めつけに同性だった。ここまで世間に逆らっていると、いっそ清々しくもある。
 想いを自覚してしまえば、次に考えるのは告白についてだ。伝えるべきか、否か。
 これについては、法介は保留する事にした。
 下手に事態を突くより、周囲の変化に合わせて自分も取るべき手段を考えよう。
 今は、事務所で始終顔を合わせている現状でとりあえず満足できているのだから。


「あ、オドロキくん、明日休んでいいよ」
「何でですかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!」
「……そこで異議と号泣貰うとは思わなかったな」
 ガターッとソファから立ち上がり、血涙を流していそうな法介に、さすがの成歩堂も少々面食らった。
「だだだだ、だってそんな急に休み貰っても予定とか無いし、っていうかオレ、一刻も早く一人前になりたいからそんな休んでる場合じゃ!」
 法介はいつも成歩堂に会いたいのだという自分の気持ちを隠して弁解した内容が友達少なくて趣味も無い根暗みたいな性格に取られそうだったので、慌てて軌道修正した。まぁ、早く一人前になりたいのは本当だし。
「そりゃ、言ったのは唐突だけどさ。でも前から君決まった休みが欲しい、って言ってたし」
 ああ、確かに3ヶ月くらい前、ちょっと法介的に言えば成歩堂を好きだと自覚するまえの自分はそう思っていたなぁ、としみじみと思い出してから、しみじみと思い出すなんて悠長な事をしている時では無いと気づいた。
「でも!繰り返して言いますけど、オレもっと弁護士として……!」
「うん、その気持ちは判るよ。僕だってそうだったし」
 咆哮にも似ている大声を、にこっと微笑んで受け止める成歩堂。
「でもね、だからこそちゃんと休みも取っておかなきゃ。我武者羅に勉強しても、それが全部身につく訳じゃないんだよ?」
「うぅぅ………」
 成歩堂の言っている事はつくづく正論だ。なので、法介は反論できない。
 しかし。
 恋には道理も正論も通じないものだ。
(……どうしよう。ここで告白しちまうか……でも、成歩堂さんはオレの体気遣って言ってくれてる訳だから、それを拒んで駄々捏ねてる時に言ってもマイナスでしかないような……)
 いつも一緒に居たい。
 ずっと傍に居たい。
 だって、オレ、貴方の事が好きだから。
「……………」
「? オドロキくん?」
 自分が拗ねたような表情で固まっているのは、解っている。それに成歩堂が訝しんでいるのも。
 ここはやはり……言う事をきく、べきなのだろう。
「……判りました。じゃ、オレ休みますね、明日……」
「……何か今から疲れているみたいだけど、平気?」
「……はい、オレ、ダイジョウブです……」
 髪の角(?)をへしょんとさせながらじゃ、ちっとも平気でも大丈夫でも無さそうだよ、と成歩堂はやれやれとした。


 さて。
 そんなこんなで、休日だ。
 子供の頃、たまに友達と会えないから夏休みが嫌い、という変り種が居たものだが、その気持ちが今になってよく判る。
 ここ数ヶ月は、成歩堂もみぬきも私的しないのでなし崩し的かつ意図的に事務所に通っていたものだ。事務所に居る時間を考えると、法介の給料は時給にして200円くらいかもしれないが、そんな事はちっとも構わなかった。
 何か自分が必要になる突発なトラブル、それこそ自分があの事務所に訪れた日にあったような事でも(ただし成歩堂の身に何かがあるのは歓迎できない)起きてくれないか、と思ってみるが今日は生憎近辺の界隈は平穏らしい。
 携帯のメール音が鳴っても、それは成歩堂に設定した音ではなくて、迷惑メールが来た事を報せるものだ。
(オレは人妻も乱交パーティーも興味無いって!)
 若干イラつきながら、そのメールを削除する。
 その時開いた受信ボックスには、みぬきの名前が多数あり、それの間にぽつりぽつりと成歩堂の名前がある。
「……………」
 みぬきのメールは何だかお喋りの延長のようなものだが、成歩堂のは事務的というより伝言メモみたいな内容だ。ジュースを買って来てくれとか、今日のご飯は何がいい、とか。
 法介の携帯電話は、受信メールが許容一杯になると自動的に削除せずに削除してくれとのメッセージが表示するような設定にしてある。
 勿論、成歩堂のメールを消さない為だ。
(……どれだけ好きなんだよ、全く……)
 小さい繋がりを死守して、固執して。
(……寂しいなぁ……)
 授業参観や運動会で、自分だけ実の両親で無いという事実を改めて突きつけられた時でも、こんなに気持ちは沈まなかった。
 成歩堂と出会う前は、それまでは普通に暮らして居たくせに。
 あの人と会えないと本当の孤独になってしまったような気分になる。


 そしてそんな孤独感に法介が耐えれるかと言えば全くもってそうではなく。
(………。来てしまった……)
 誰に対してのセリフか。胸中で呟く。
 目の前には、成歩堂なんでも事務所。ここからの位置では窓は見えてもその中までは見えない。が、中の様子は完全に暗記している。他でもない自分が掃除をしているのだから。
 今の時間だと、二人は何をしているだろうか。事務所に居て、楽しく会話しているのだろうか。
 自分を抜きにして。
 自分が居なくても、いつも通りに。
「…………」
 別にそれが悪い事な訳が無い。
 それでいいんだ。彼らの日常に自分は組み込まれては居ないだろうし。
 一緒に居て、歓迎されているとは思っている。それは多分自惚れではないと思う。
 でも、自分ほど寂しくは思っては居ないだろう。彼らは。
 いや、彼は。
(……ここでオレが失踪したら、狂う程に泣いてくれるかな……
 なんちゃって……)
 今が夕方でもの哀しげな朱色に包まれているのが良くない。発想がどんどんナイーブになっている。
 帰ろう。明日になれば、会えるんだから。
 だから、もう帰ろう……
 力無く、体の向きをのそのそと変える。

「オドロキくん?」

 俯いていたから、声がかかるまで気づけなかった。


 一瞬ではあるが、度を過ぎた渇望が見せた幻覚かと思った。
 目の前に、スーパーの袋をぶら下げた成歩堂が、居る。
「……………」
 あんなに会いたくてここまで来たくせに、いざ出会えってみてもすぐに信じられないというのも些か矛盾している話だ。その時の法介は、そこまで考える事も出来ずに、電信柱の如く突っ立っているだけだったが。
「どうしたの?何かあった?」
 歩くよりやや小走りに、成歩堂が近寄る。彼が動いた事で、法介の時間も動き出す。
「あ!いや、その……退屈なので、ちょっと散歩……というか……その……」
 自宅からここまで、散歩というには距離が逸している。咄嗟で出した言葉とは言え、あまりにお粗末で墓穴を掘ったに等しい。動揺が熱を誘って、その熱が思考を奪う。
 あわあわするだけの法介に、成歩堂がちょっと苦笑を交え、からかうようにクスッと笑う。
「何、寂しくなったとか?」
「!!」
 彼としては揶揄した言葉かもしれないが、それは自分にとっての真実だった。
「…………。そう、ですよ……?」
 顔が熱いのはそのままで、もしかしたら怒ったような顔かもしれない。上手くいい訳出来ない自分に腹が立って、法介は自棄のようにそれを認めた。
 すると、一瞬、成歩堂が目を開く。しかしそれは一瞬で、またいつも通り人を食ったようなあの目つきに戻った。
「そっか」
 小さく呟いて、ニット帽を直した。
「なら、事務所に来れば良かったのに」
「え……でも、休みだって………」
「うん。休みだよ」
「なら、」
「だから、好きな場所に行けばいいんだよ。休みなんだから」
「……………」
 違うかい?といった具合に、成歩堂が目を孤にして微笑む。ずるい笑顔だ、と法介はその顔を見る度に思う。
「……それなら……行きますよ。オレは。行きたいから」
 何を言ってるか、自分でも判らない。ただ、頭に思い浮かんだ事を、そのまま言っているだけのものだから。
「うん。おいで」
 成歩堂は、法介のセリフに乗っかるように言う。
「……じゃ、行きます」
 法介は、ちぐはぐな物言いにやっと気づいて、自分で何だか笑ってしまった。それに成歩堂が笑い返し、家主を先に歩かせて法介は事務所に入る。
(……ああ、やっぱりオレ、この人が好きだ)
 ちょっと会えないくらいで落ち込むくらい寂しくなって、ちょっと会えただけで口笛吹いてスキップしたくなるくらい気分が浮かれる。
 今更そんな事を気づいてどうするとか思うが、いい事は何度思い改めてもいいものだ。
 両想いになるならないの前に、その人を好きだと気づけた事だけで嬉しい。
 多分これはいい恋なんだろうな、と法介は勝手に解釈する事にしておいた。




<END>

実はコレ夏に出した本に入れようと思っていた話なんですよね。
で、「タイトルが『みつめてvハント・凝視』で何かっこつけてんだ」って事ですぱっと削除したという。