アプローチの決死行



 何か事務所に入る前から賑やかしいと思ってドアを開けると、そこにはみぬきの他に茜と響也まで来た。そこに法介が現れたので、あとは裁判長が揃えば完璧である。何が完璧かは知らないが。
「あれっ。二人とも、どうしたんです?」
 法介の言った「二人」とは、勿論茜と響也の事だ。
「ちょっと休憩してるのよ」
 と、茜が言う。すぐさまカリントウが飛んでこないという事は、今日は機嫌がいいのだろうか。
「……もっと他に、休憩に適している所はあると思うんですけどねぇ」
 確かにお茶を飲んで寛いでソファに座る二人は休憩しているのだろうが、それなら近所の喫茶店やカフェでもいいと思うし、もっといいサービスを提供してくれると思う。しかし喫茶店とカフェは何がどう違うのだろうか。何気なく思ってしまった事に、法介は思考の袋小路に追い詰められる。
 提言するように言った法介に、茜が嘲笑するような笑みを浮かべる。
「オドロキくん、知らないの?ここの事務所は、親しい検事と刑事はもれなく遊びに来てもいい、っていう伝統があるのよ」
「……茜さん。オレが新入りだと思って、適当な事ほざいてません?」
「本当ですよ、オドロキさん。ほらっ、その証拠にムチの跡とかコーヒーの染みとか」
 と、みぬきが説明してくれたが、その二つがどうして茜の言い分と繋がるのか法介にはさっぱりだった。
「此処にある本はね、おデコくん。中々粒ぞろいなんだよ。今は絶版になってるのも少なくない」
 そう爽やかに言う響也は膝の上に分厚そうな本を乗せている。六法全書や広辞苑に勝るとも劣らない厚さだ。足は痺れないのだろうか、と法介は思った。
「それとも、アンタ何?あたしがここに居ちゃまずいって言うの?」
 じろり、と茜に睨まれ、その手がカリントウに伸びたのでマズい!と危機感を覚える。
「あ、いやその、ゼリー買って来たんですけど、三つだから……」
 手にした袋を掲げ、法介が言い憎そうに言う。
「気が利かないわね」
「すいません。オレ、超能力者じゃないんで」
 ナマイキな切り返しをした法介に、茜は勿論カリントウを投げるのを怠らなかった。
「……それじゃ、半分に分けましょうか。一個は成歩堂さんに残して」
 言いながら法介は給湯室に向かい、冷蔵庫に今は食べない一つを入れようとした。
 が。
「待った!!!」
 と、みぬきから待ったがかかる。
「えっ、ちょ、何が?」
 急なストップに、法介が冷蔵庫を閉めてから(←省エネ)振り返る。みぬきは法介をじーっと見ていた。そう、見抜くように。
「オドロキさん……今、どうして”それ”を選んだんですか?」
 ”それ”と言い、みぬきは法介が手にしているゼリーを指差した。冷蔵庫に仕舞われる筈だったものだ。
「オドロキさんは、最初違うのに手を伸ばしました。けど、その手を引っ込めてそれにしました。それは、何故ですか?」
「え?大した意味は無いよ。ただ、こっちがいいかなーって……」
「”大した意味は無い”……果たして、そうでしょうか」
 腰に手を当てて、みぬきは不敵に微笑む。おお、かつての成歩堂さんのようだ、とそんなみぬきを正面で眺めている響也は呑気な感想を持った。
「今残す分、……という事は、それ即ちパパの口に入る分だという事です!」
 そこでみぬきは机をバン、と叩き。
「それでも、”大した意味は無い”と言うつもりですか!オドロキさん!」
 みぬきは言った。思いっきり声を上げてそれも腹の底から。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってよみぬきちゃん!なんだかオレがそんな嘘や思い違いしてる証人みたいに!」
 法介はわたわたした。ゼリー持ったまま。
「みぬきのシックス・センスが直感したんです!今のオドロキさんには、不審な所がある!徹底的に追求して排除せよ!と!!!」
「追求の後に何か言った!何か恐ろしいこと言った!!!」
 法介は戦慄した。ゼリー持ったまま。
「……うーん、僕としては法廷の戦友の援護をしたい反面、勿論女の子の味方でもあるんだ。
 おデコくん、君の口から白黒はっきりさせた方がいいみたいだね?」
「いや、オレ何も疚しい事してませんから!てか勿論って何だ!わけが判らない!」
「そんなまだるっこしい事やってないで、これ直接調べればいいじゃない」
「えっ」
 茜はひょいとゼリーを取り上げて、ペリリと蓋を開けて試験紙を表面に浸した。
「あっ。睡眠薬の反応出た」
「牙琉検事逃げましょう!!」
「何で僕まで」

 冷静な響也は法介の勢いには流されない。
「だって、オレ自動車持ってないんですよ!」
「人を逃走手段に任命しないて欲しいなおデコくん」
「オドロキさん……やっぱり、パパに不埒な事をしようと企んでましたね!みぬきは最近は控えてるのに!!」
 控えてるんだ。あれで。一瞬逃げるのを忘れて法介は思った。
「――ゴメンッ!今日は成歩堂さん昼に出かけてるから夜はずっと事務所に居るだろうと、みぬきちゃんがビビルバーに行ってる隙を狙おうと思ったんだ―――ッ!!」
 逃げるのも誤魔化すのもはぐらかすのも無理だと判断した法介は、泣き崩れた。泣き落としに出たのかもしれないが、今のセリフで同情する人は多分世界中を探しても居ない。
 そして響也は、どうしてこの計算高さが法廷で発揮されないんだろうと疑問に思った。
「この睡眠薬、科学的に検証してみた結果、三時間弱眠る量だったわ。
 アンタ!その間に成歩堂さんに何しようと思ったの!!」
 いつの間にか試験管をズラリと並べた茜が、証拠品(ゼリー)を突きつけて法介に詰問する。
「や。大した事無いよ。寝顔堪能しつつ、唇奪おうかと」
 しれっと言う法介だった。
「………………」
 今のセリフがあの人の耳に入ったら、彼は死刑になるかもしれない。響也は思った。
「だいたい、本格的に何かしようと思ったら、睡眠薬なんか入れませんってば!」
 それで言い逃れが出来ると思っている法介の頭の中は余程お目出度いのか、何かが欠陥しているのか。まぁ、どっちも似たような事だが。
「じゃあ何入れるって言うのよ」
「えー、それはほら、痺れ薬とか弛緩薬とか、向こうに意識無いとつまらない……
 って!茜さん!誘導尋問は止めて下さい!」
「……よく考えたら、薬物混入って何かの罪にならない?」
「……その手の犯罪は、とりあえず当人からの訴えが必要だね」
 法介の叫びはほっといて、刑事と検事が話し合う(珍しく)。
「オドロキさん……どうしてこんな真似を……って、目的は明確にして明瞭ですけど」
 雰囲気的に動機を語らせようかと思ったが、みぬきの想像力を持って擦れば推測なんてほほいのほいだった。
「……だって……」
 と、ソファに鎮座した法介は言う。
「成歩堂さん、だらしないように見えてまるで隙が無いんだからさ。手が出しそうで出せれないなんて、生殺しもいい所だよ」
「……半殺しならまだ判るけど、生殺しってよく判らないよねぇ、みぬき」
「うーん、火を通したら普通の「殺し」になるのかな?」
「あっはっは、みぬきは面白いこと言うなぁ」
「えへへー」
「あ、成歩堂さん、カリントウ食べます?あたしの一押しなんですよ、コレ!ポリフェノールが豊富で」
「うん、ありがとう」
「成歩堂さん、もう一度弁護士にならないんですか?あの人凄い気にしてますよ。時には仕事に手がつかないくらい」
「うーん、どうしたものかなぁ。まぁ、その点については今度会ったら注意しておくから」
「助かります。とても」
「………待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!」
 法介は机バーン叩いて立ち上がった。
 そしてひたすら呑気に会話する四人に向けて、指を突きつける。
「いいですか!俺は今から一個一個異議を申し立てます!
 まず!
 生殺しは火を通したら普通の殺しになるとかそんなんじゃないし、ポリフェノール豊富なカリントウって何なんだって言うか、そんなに成歩堂さん気にしているあの人って誰だって言うか、
成歩堂さん何時来たの!!!!
 最大の異議は最後に回した法介だった。
「え……と、オドロキくんが僕に隙がありそうでない、って言った時」
「ああ!じゃあ来て直後だったんですね!そりゃいきなり喋ったようで当然だ!」
 法介は自棄になったように事態を整理した。
「オドロキさん。何をそんなにムキになってるんです?
 パパが何時来たかなんて重要じゃないんです。大切なのはそう……パパが居るという事だけ!」
「みぬきちゃん。格好つけていった言葉が全部真実になるって訳じゃないんだよ」
「そうだ、成歩堂さん。オドロキくんてば成歩堂さんに一服盛ろうと画策したんですよ」
「ギャー!言われた!」
「言うだろう。それは」
 響也は冷静に言った。
「しかも世間話みたいなノリで言われた!」
「……まぁ、実際日常茶飯事みたいなものだし」
「ああ、一時期ね」
 成歩堂親子がうんうん頷きあった。
 この時某執務室でトノサマンフィギアを移動させようとしていた人物がクシャミをし、うっかり手から零して床に落としてしまい、ちょっとした惨劇とちょっとしたパニックに見舞われたのだがそんな事は誰も知らない。
「に……日常茶飯事、って……どういう事ですか!」
「まぁ……常日頃って意味かな?」
「そんな頻繁に盛られてたって事ですか!?どうしてそんな危険人物野放しにしてるんですか、この国の司法は!」
「薬物混入に対して過剰の敏感な制度を取ってたら、アンタはこの瞬間にブタ箱行きよ」
 憤る法介に、茜が言う。
「うーん、確かに卑怯な真似だけどねぇ。むしろあそこまで必死だと何だか微笑ましいよ。まぁ本人にはきっちり言い聞かせてるけどね」
 しかし度々されてるという事は成歩堂さんの言葉に威力が無いのか、はたまた相手に学習能力と理性が無いのか。
 この時パニックを治めてトノサマンフィギアに欠損が無いかチェックしている最中にクシャミをし、また落として再び瞠目した某人物が居るがそんな事は誰も知らない。
「そんな相手、許しちゃダメですよ!断固起訴しなくては!」
「……おデコくん。何か発言する前に、自分の行動を振り返るといいと思うんだけど」
「そんな暇ありませんッ!」
「…………」
 あまりにきっぱり言われたので、響也は思わず口を噤んでしまった。二の句が告げない状態とも言う。
「あいつにも言ってるけど……君もねぇ、オドロキくん」
 成歩堂が言う。
「何もこんな犯罪紛いの手段に出なくてもいいんじゃないかな」
「いや、オレにしてみればそれだけの価値があります!」
「……フォローの隙を作ろうとしている傍から叩き潰さないで欲しいな」
 ドーン!と威勢よく言い切った法介に、成歩堂が遠い目をして呟いた。
「〜〜〜だって…………」
 法介は口を尖らせて、手をもじもじさせる。気持ちのもやもやを体現してるみたいに。
 さすがにあいつはここまでの仕草はしなかったな、と成歩堂は比較する。まぁ、牙を抜かせた犬みたいに声も無く、ぐるぐる唸る事はしょっちゅうだが。むしろ今もしてるかもしれない。
 しかしその相手は、今は折れた右足の前に呆然としているので、そんな事をしている余裕は無かった。
「だって……それじゃ、成歩堂さん!オレがキスしていいですか、って聞いたら、いいって言ってくれるんですか!」
「………その前にね、オドロキくん」
 成歩堂は頭痛を堪えるように頭に手をやる。
「はい!?」
「……こんな人の目がある前でそんな質問されて、僕が答えると思うの……?」
 此処には、質問している人とされている人以外に6つの眼が存在していた。無論皆二人を見ている。
「思い浮かんだ事はすぐに言わないと、流れが変わっちゃうんですよ!」
「…………うん。そうだね。そういう事は、法廷でやろうね」
 拳を作って熱く力説する法介に、成歩堂は受け流すように言った。
「さあ!どうなんですか成歩堂さん!」
 すると思うのかどうかはスルーなのか。
 まぁ、それならそれでこっちにも言い返す言葉がある。
「うーんそうだなぁ……と、言うか。場の空気を読まないで好き勝手言ってるお子様は、そもそも対象外?」
 ズグスシャァ!!!!
 ゲージが一気に半分減ったようなダメージ音が法介から発する。
「……お……お子様………ッ!」
 とりあえずそこを気にしたようだ。
「うん。だって自分の我侭だけ言ってるのなんて、子供と一緒だろ」
 成歩堂はにこにこして言う。
「……ま。年齢も子供だったらまだ可愛いんだけどね……」
 茜が残酷な言葉を言うので、さらに法介のゲージが減る。
「う………ぅ、ぅぅぅ…………」
「ん?どうしたの?」
 言い返す言葉を捜して唸る相手に、にっこりしながら成歩堂が訊く。その笑顔は薄ら怖いなと法介は思った。薄ら怖いというか怖くなる寸前と言うか。
「………。何でもないです………」
 法介はそれだけ言った。むしろこれ以外何を言えばいいんだ。
「そう。ならいいけど」
 成歩堂はあっさり返事した。それはもう、コハダの握りのように後味あっさりと。
「あんまりしちゃ、だめだよ?」
 本気で子供の悪戯を叱るような言い方だった。
「…………………」
(犯罪紛いのアプローチしたのにこんなにあっさり終わって、オレとしてはいいのか悪いのか……)
 法介は悩んだ。果てしなく。
「で、僕もプリン買ってきたんだ。やっぱり三つなんだけど」
「オドロキさんが買って来たのもありますから、選びましょ」
「あたしプリンがいいかな。成歩堂さんが買って来たんだし!」
「じゃ、僕はゼリーで」
 何気なく余りそうな方を選ぶ響也は紳士であった。
「はい、オドロキさん」
 と、みぬきが法介にゼリーを手渡す。スプーンと共に。
「んー…………」
 力なく相槌を打ち、力なくゼリーを口に運んだ法介は、刹那バタッと横に倒れた。そして、すやすや寝ている。
「まさかここまで容易く引っ掛かるなんて、みぬきもビックリです」
 間抜けな寝面を見てみぬきが言う。
 しかし平然と手渡すお嬢ちゃんもお嬢ちゃんだな、と響也は思った。
 ともあれ、その後は比較的平和に時間が過ぎていった。
 法介の寝息をBGMに。


「……あ、うん。何?え?そういう事は矢張に頼めば?手先器用だし。……いや、それくらい大丈夫…………うん、そうだね。ちょっと保証できないかな、僕も………
 うん、じゃ、プラモ屋にでも持って行くから明日そっち行くね。だから泣かない。え?そう?ははは。まあいいや、じゃあね」
 みぬき、明日お出かけするよ。と異父兄弟の額をカンバスにしているみぬきに成歩堂が呼びかける。まだ三時間は経過していないのだった。
 わぁぃ、とはしゃぐそんなみぬきと、すっかり芸術的になった法介の額を見て、成歩堂は微笑んだ。




<END>

まぁそんな訳でただえさえ混沌とする成歩堂なんでも事務所3人に検事刑事コンビも加わりました。
もうワタシの手には負えない。
成歩堂さん笑顔怖い。

霧人さんのおかげで何かと微妙な響也さんと成歩堂さんとですが、ウチはこんな軽いノリで行かせてもらいます。
それこそ、
「今は無理かもしれないけど、いつかは気楽に「成歩堂さん」って呼んでくれないかな」
「じゃあ成歩堂さん」
「(早いな)」
みたいな。
あのやり取り超大好き。
ちょこちょこ御剣が出るのは気にしてくれてもいいです。