吸血鬼幻想譚
雪の中で倒れて、これがホントのゆき倒れ。
……なんてオヤギギャグかっ飛ばしてる場合じゃないぞオレ。
これはヤバイ。かなりヤバイ。本格的にヤバイ。
目の前が白いのが、雪のせいか意識が遠のいているせいなのか、はっきりしなくなってきた。
ああ、このまま雪に埋もれて冬を過ごして、春になって陽の光を浴びてそのまま塵となって消えるのか。オレは。
……吸血鬼って、死んだら何処に逝くんだろう……
暫く処女の生き血を啜ってないし、全く力が入らない。
このまま眠るように、静かに死んだ方が、いっそ空腹に悩まされながら生きるよりうんと楽かもしれないな……
「ん?何だこれ。人?」
あぁ……本当にもうダメだ……
「生きてるのかな?ねぇ、キミ?」
さようなら、この世の皆さん……
「一人なのかな?なら、拾ってもいいよね」
……さっきから何か煩いなぁ……あの世からのお迎えか何かか?
その後、襟首引っ掴まれて、そのまま引きずられるような感覚に見舞われる。
へぇ、吸血鬼が死に逝くのって、こんな感じなんだな……
窓の外には吹雪の音。今は遠い。
ストーブの上のヤカンの音。立ち込める白い湯気。
そして誰かの鼻歌。
温かい部屋…………
「う…………?」
あの世にしてはあまりにも生活臭漂う空間だな……?
「ああ、気づいた?茜ちゃんが言った通り、まだ完全に死んではなかったみたいだね」
その声が起動スイッチみたいに、オレは跳ね起きた。
「オッ、オレは何処で此処は誰ですかッ!!!!」
何か錯乱のあまり、上手くセリフが言えなかったような気がする。
ひたすら慌てふためくオレに、おそらくオレを此処に連れてきたと思しき人は愉快に肩を揺らして笑っていた。
「キミが誰かは知らないけど、僕は成歩堂龍一だよ。で、此処は僕の部屋」
「成歩堂……さん」
と言うらしいその人は、失礼ながらあまりいい身なりとは居えなかった。くたっとしたパーカーに、それにマッチするくたっとするズボン。セットをしないでパラリと零れる前髪に、それに、無精ひげ。一言で言ってだらしない。でも、あまり不潔さは無い。
ベットの上に身を起こしてきょとんとするしかないオレに、成歩堂さんの方が近寄る。そして、またにこりと笑った。何か、心臓に直撃するような笑顔だな、と思う。
「気づいてよかったよ。何しろキミ、体温も脈も無くて殆ど死んでるようなものだったし……」
「っわ―――――ッ!そ、それはご迷惑お掛けしました!!!」
そりゃ、オレ吸血鬼だし。
体温も脈も無くて普通だよ。
……とりあえず、その事実は伏せておいた方がいいよな。この状態で胸に杭を打たれたら、間違いなく死ぬ。
さっきはすっかり死ぬつもりだったのに、こうして活動出来るようになると途端に生に執着するんだなぁ。自己嫌悪に陥るべきか。
と、その時オレの腹がぐぅ、と見事に音を奏でる。とっさに隠すように腹を押さえたけど、手遅れだったみたいだ。相手が笑みを浮かべて立ち上がる。
「シチューを温めてたんだ。すぐに食べれるよ」
「……………」
すぐに……食べれる……
うん、シチューを皿に盛る事に気を取られている彼の背後を取って、その首筋に噛み付いてしまえば……
ごくり、と鳴った喉に我に返る。
いやいや、吸血鬼としての意地と誇りにかけて、処女の生き血以外飲むわけには!!
……でも、処女どころか人間の血を吸った覚えすら遠いし……
「はい、どうぞ」
「!!!」
いけない妄想に耽っている間に、食卓の場は整っていた。シチューの他にバターを添えたパンと、マグカップには温かい飲み物まで用意されている。
「………う、」
その好意はとてもありがたい。
けれど、それでもオレはやっぱり吸血鬼だから、この胃は血液以外は受け入れてはくれない。まぁ、たまに人間の振りをする都合上、少量なら食物を取れない事もないけど、そんな余裕は今は無い。
一向にテーブルに向かおうとしない俺に、成歩堂さんが怪訝そうに首を傾げる。
その時、首筋が露になった。
……食らいつきたい……
「おや、シチューは嫌いかな?もしかして、つわりかい?」
何か面白くない冗談を言ってる。
「うーん、でも少しは取った方が……サラダとか、」
成歩堂さんが近づく。
……ああ……ダメだ……
飢餓状態の体は、暖かい部屋で休んだ事で少し回復している。
そう……欲望に忠実に、動けるまでには。
「ホットミルクでも……うわっ!」
何の目的だったかは知らないけど、伸ばされた手を、オレは掴み取った。離さない力強さで。
「……血が、」
「え?」
成歩堂さんが瞬く。
掴んだ手はそのままに、開いてる手で肩を掴む。そして、顔を近づける。
「血が、欲しい」
「……………」
成歩堂さんが、もう一度目を瞬かせる。
「血……って、キミって吸血鬼なのかい?」
「……ええ、そうです。吸血鬼です………」
ここまで来てしまったら、もう誤魔化しても何の意味は無い。俺は吸血鬼としての本性をむき出しにして、彼に素性を明かした。おそらく、オレの目は現在、怪しく光っている事だろう。
獲物への礼儀として、狩る前には真実を述べる事にしている。
こんな風に名乗れば、怖がるか信じないかのどっちかなんだけど、この人は両方とも違った。
「ふぅ……ん。キューケツキクンて言うんだ。キミって変わった物食べるんだね」
なんて、「オレ自分の拳が自分の口に入ります!」みたいなちょっとした特技を教えてもらった的テンションで返事をしてくれた。
って言うか、名前の件で何か盛大に妙な勘違いをしてくれたぞ、この人。
「……の、吸血鬼は名前じゃないですよ?」
オレの言い方が悪かったのか?
「で、血が吸いたいの?」
「……まぁ、吸血鬼ですからね」
吸血鬼が血を吸わないでいたら誰が血を吸うって言うんだ。
成歩堂さんは、ふぅん、と素っ気無い返事をした。
それにしても、結構な力で掴んでるっていうのに、痛く無いのかなこの人は。
無いのは痛点なんだか、恐怖なんだか。
「じゃあいいよ」
「へ?」
「吸いなよ。どうぞ」
と、成歩堂さんが首を大きく傾げる。噛み付きやすいように、と首筋を露にしたんだ。
「……………」
なんでそんなに順応なんだ!とか。
怖くないのか!とか。
色々異議があり過ぎて、むしろ何も言えない。
(……本当に何なんだ、この人……!!!!)
俺は戦く。
「気にするなよ。献血とか僕、好きだし」
「……あのですねー。オレは別に赤十字やってる訳じゃ、」
「ほら、」
成歩堂さんの開いた手が、服のジッパーを下に下ろす。そのまま、服をはだける所まではだけされた。普段服に隠されている其処は、結構白い。
「っ!!!!」
何か……物凄く見てはいけないものを見ている気がする……!!
顔を赤くして動揺するオレに、成歩堂さんはお構いなしだ。
「お腹、空いてるんだろ?」
なんて、あっさり言ってくれる。
ええ、確かに空腹ですよ。死ぬ寸前ですよ。
しかも、その上目の前の獲物はとても無抵抗で素直と来たら、これはもういただくしかない!
……いただくしかないんだけど……!!!
オレは成歩堂さんを突き飛ばすように解放した。成歩堂さんが数歩、たたらを踏む。
「ダ……っ、ダメです!いくらオレが悪人でも、命の恩人の血を吸うなんて――――――ッ!!」
そんな仁義にや道理に外れた事は、死んでも出来ないッ!死んだらもっと出来ないけど!!
成歩堂さんはきょとんとしてオレを見ている。
「……仕方無いなぁ」
オレから血を吸う意思が無い、というのが伝わったのだろうか。
成歩堂さんは机の引き出しを開けて、注射を取り出した。
そして。
「えい」
と、腕に刺した。
「なっ……成歩堂さん!!!?」
慌てるオレの前で、成歩堂さんは実にテキパキとした動きで採血して血を注射器から試験管に移した。
「ほら、少ないかもしれないけど」
「……ほら、って………」
目の前に試験管が突き出され、赤い液体が室内の明りで綺麗な色彩を放っている。とても、美味しそうだ。
ごくん、とまた喉が鳴った。
「……いただきます」
結局オレは言いたい事を全部押し込めて、取った血を貰ってしまった。情けないけど、だって本当に空腹なんだ。何度も言うけど、死にそうなくらい。
小さい試験管の半分くらいの量を、一気にくぃっと飲む。
人にとっては鉄錆臭い赤い液体は、オレたちの舌にはこの上ない極上の甘露となる。
………っあー!美味しい!マジで生き返る―――ッ!!
「美味しかった?」
「はいっ!!!」
しまった。
思わず元気よく返事をしてしまった……
ううう、恩人の血を貰ってしまうなんて……
オレってヤツは……オレってヤツは!!!
いくら自己嫌悪に陥っても足りない。生きるって、それだけで業、なんだよなぁ……
その後、成歩堂さんは改めてホットミルクを淹れて持って来てくれた。ホットミルクは、味云々よりその温かさが身に染みた。
「すみません……本当にオレは、だめな吸血鬼なんです」
マグカップを手に包んで、オレは自己紹介をしながら身の上を語り始めた。
「昔々、大勢の仲間と暮らしていた頃は良かったけど、仲間が次々と狩られていつの間にか独りぼっちになっちゃって。
腹を空かして、処女の生き血を求めて幾千里も彷徨ったけど――」
うら若き乙女と思えば、化粧で歳を誤魔化したオバさんだったし。
そんな事が続きに続いて、挙句の果てには最近は反対に襲われる始末。
哀しい事にオレはどっちかと言えば背が低くて、褒め言葉を探せば可愛いと称される部類に入るみたいで。
可愛いを100回言われる間に果たして一回でも「格好いい」と言われるかどうか……
他の同胞みたいに、危険で妖しい美貌を持って、相手を魅了出来ないのが辛い。
そんなハンディの上に、太陽には焼かれるし、塔からは転げ落ちるしの災難続きで。
「……でも不老不死だから、死ぬに死ねないんですよ〜〜〜ッ!!」
言ってて自分でいよいよ悲しくなっちゃったので、仕舞いにはオレは成歩堂さんに泣きついてしまっていた。
縋って、おいおい泣くオレに、成歩堂さんはやっぱり呑気にオレの好きにさせている。
「ふぅん……それなら、オドロキくん。ウチに住むかい?」
「………へ?」
一瞬言われた事が判らなくて、泣くのを止めて結構上にある顔を見上げる。
「いや、そんなにあちこち転々してもいい目に合わなかったなら、とりあえず一箇所に留まってみたら?」
……まぁ、そんな生き方もアリ、だろうけど……
「……でも人間の世話になるなんて」
何かこう、吸血鬼としてのプライドってものが。
「世話にならないとか言って、人間の血が無いと生きていけないんだろ?」
……そうなんだけど……
「これでも僕、結構血の気多いから。ちょっとくらいキミにあげても大丈夫だよ」
そう言って、成歩堂さんは本当に何でもないように笑った。
「……………」
そんな訳で、よく判らないまま、俺は成歩堂さんと生活する事になった。
成歩堂さんの職業はピアニストだけど、ピアノは弾かないで店の地下室でポーカーをする事で生計を立てているのだそうだ。地下でポーカープレイヤー、なんてある意味吸血鬼の副業にかなり相応しいような気もする。
「オドロキくん。ただいま」
と、成歩堂さんが帰ってくる。オレの出来る事と言えば、仕事を終えて帰る彼の為に食事を作る事くらいだ。あとは、掃除とか風呂の用意くらい?これで成歩堂さんが女だったら、オレは完全なヒモだな。はっはっは。
……笑えない。
「おかえりなさい」
と、オレが返事をし返すと、成歩堂さんが嬉しそうに微笑む。その顔は子供のように無邪気にも見える。
子供のように無邪気だけど、成歩堂さんは大人だからその分傷とか過去とか色々背負ってるんだろうけど、それだからその笑顔が一層綺麗に見える。
「今日はね、お土産があるんだよ」
そう言って、成歩堂さんは手にしていた大きな袋をオレに手渡してくれる。
開けて見れば、モコモコとしたファーのついたコートだった。
「お店のなんだけどね。くれるって」
成歩堂さんはそう言って、オレに手渡してくれるけども……それは、成歩堂さんにくれたんじゃないかなぁ。
いいのかなぁ、オレが貰っても。
「ほら、それを着て。外に行こうよ、オドロキくん」
「え、外に?」
反射的に窓を見る。まだ陽は上っていて明るい。
伝承にあるみたいに、陽を浴びれば即座に塵になるって訳じゃないけど、苦手なものはやっぱり苦手だ。何かこう……ただえさえ少ない体力が、根こそぎ奪われるような感じで。
「そうだよ。家の中ばかり閉じこもっていたら、健康に良くないよ。
お日様の光が苦手でも、たまには外の空気も吸わなくちゃ」
「外の空気……ですか?」
「それに折角若い子を囲ってるんだからさ。たまにはデートでもして楽しませてくれよ」
「デ……っ!?オレ、男ですよ!?」
「見れば判るよ」
「だったら、そんな事言わないでくださいよっ!」
慌てたじゃないか!
慌てるオレは、そんなに様子が可笑しいのか、成歩堂さんは肩を緩く揺らして笑う。
「うん、でも、若いのも事実だろ?」
「……見た目は、ね」
でも実年齢なら、きっと成歩堂さんの100倍は生きてるぞ。オレは。
……まぁ、つい敬語使っちゃうけど。オレも。
「じゃ、行こうよ。折角、久しぶりに晴れなんだから」
……確かに、冬将軍が大寒波引き連れて一個団体やってきたか、ってくらい最近雪続きだったけど。
だからオレが遭難してこの人に拾われた訳だけど。
それが一時休戦とばかりに、今は雲ではなく空が見える。
結局、引きずり出されるように、成歩堂さんと一緒に散歩をする事になってしまった。
「………うぅ、眩しい……」
「その内、慣れるさ」
成歩堂さんは吸血鬼にとってこの上ない無茶を平然と言ってのけた。
夏より大分柔い冬の日差しだけど、やっぱり目に突き刺さる。サングラス越しでも。
このサングラス、成歩堂さんからの借り物だ。……というか、やっぱりこれももらい物なんだそうだ。何でも、友達の弟がロックシンガーで、新デザインのサングラスを出る度に買うから、そのお古が回ってくるらしい。……デザインが新調されるって事は、それなりのブランド物なんじゃないだろうか。コレ。
そして、このコートといい、サングラスといい、成歩堂さんにあげたものだってのに、オレがちゃっかり使っていると知ったら、何かくれた人から絞め殺されそうなものをひしひしと感じるな……
「散歩って体にいいんだよ。これのおかげで僕も滅多に風邪は引かないんだ。
まぁ、それでもたまに大きいのがどかんと来るんだけどね」
ダメじゃないか。さっぱり。
「だから、オドロキくんも丈夫になるよ」
雪の中で倒れたりしないくらいはね、と成歩堂さんは言う。
……方法は強ち見当違いと言えなくも無いけど。
彼は彼なりに、オレの身を案じてくれているようだ。
嬉しい、と思うし。
その言葉を、信じたくもなる。
こんな風に、成歩堂さんと同じ物を食べて、成歩堂さんと一緒に散歩をして。
そうしたら、いつかオレの不浄の血も清らかになって。
あの人と同じ、人間になれるのだろうか。
彼と、同じ時間を刻む存在に。
成歩堂さんの笑顔を、いつも見ていたい。
いつしかそれがオレにとって、処女の生き血を吸う事より、何より崇高な願いになっていた。
おそらくは。
そう。彼の笑顔を見た、その時から。
……オレも大概甘いなぁ。これまでの何百年、ずっと独りで生きてきたくせに。
でも、こんな優しい夢を抱いたのは、これが初めて。
こんな優しい夢を見させてくれたのは、あの人が初めてだった。
……考えてみれば、結構不毛な人生だよな。オレ。下手に不老不死で生まれるものじゃないよ、全く……
その時、思考を遮るように、コンコン、とノックの音がした。
成歩堂さんかな?また両手に荷物を抱えてドアが開けられなくなった、とか。
「はーい、今開けます」
そうして開いたドアの向こうに立っていたのは。
成歩堂さんじゃなくて、女性だった。20代半ばくらいで、ロングヘアーの天辺にはチョンマゲみたいな結びがある。そして何故か白衣を着ていた。それが無ければ美人のお姉さんなのに、白衣があるから一風変わったお姉さんになっている。
「あの、オレ、成歩堂さんのお世話になっている王泥喜法介と……」
成歩堂さんに妙な噂が立っても困る。ここは一般社会人として、きちんと挨拶しておかなければ。
「アタシ、まだるっこしいのは嫌いなのよね」
「は?」
しかし、自己紹介の途中でいきなり相手がそれを遮ってくれた。
……どうやら、相手の方が一般から外れているみたいだ。
向こうがあまりに堂々と、ズカズカと室内に入ってくるから、その勢いに負けてつい入れてしまった。
「だから率直に訊くわ。……アンタ、吸血鬼なんでしょ?」
「へっ?」
ど、どどど、どうしてそれを!成歩堂さんだって、周囲には言って無い筈だ!……多分。
相手は、ふふん、と勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「隠したってダメよ。ここに運ばれてきた初日、だれがアンタを診たと思ってるの」
「!」
そ、そう言えば、あの時成歩堂さんは他にオレを見せたような事を言っていたな……
「脈拍も体温も、仮死状態で可笑しくない数値なのに、こうして動き回っている……しかも、昼間は寝ているみたいね?」
「え、ええと……」
「そこでさ。ものは相談なんだけど」
何も上手いいい訳が思いつかない状態で、さっさと話題が進む。まずい、と危険信号が点滅する。
「アンタの血とか、ちょっと分けてくれない?調べてみたいのよ、色々と!」
「え……ええええっ!だめですよ、ただえさえ血が足りてないっていうのに!!」
成歩堂さんには悪いけど、あれっぽっちの血じゃ現状維持に精一杯で満腹にはなれない。そんな事言える義理じゃないから、黙ってるけどね。
「いいじゃない!吸血鬼って不老不死なんでしょ!?5リットルくらい抜いたって死にはしないわよ!」
「ごっ……多い!多すぎますよッ!」
どれだけ抜く気なんだ!恐ろしい!
「折角こんな特異な存在に出くわしたんだもの。徹底的かつ科学的に解明したいのよ!」
「お断りします―――ッ!!」
てかさっきからこの人、急に目を輝かせて何だか怖いよッ!!!
冗談じゃない。それが目的なら、下手すれば解剖しかれ兼ねないぞ!?
「なんでよ!アンタ、科学捜査舐めるんじゃないわよ!」
「別に舐めてません!って何ですかそのでっかい注射器!」
「もちろん、血を取るのよ!」
「いやだぁ――――――ッ!!」
かなり本気の彼女に、こっちも本気で身の危険を感じる。
誰か助けてくれ、と熱心に願った。今だけは、神様にだって縋れそうだ。
「あまり人の家で大騒ぎしないでくれるかなぁ。大家さんに出てけって言われちゃうよ」
と、この場で場違いなくらいマイペースな声がした。
成歩堂さんだ!!
そう言えば、ドアが開けっ放しだったな。それどころじゃなかったけど。本当に。
「成歩堂さん!」
と、声を上げたのは依然注射器を構えたままの女の人だった。
「やあ。茜ちゃん、久しぶり」
「お久しぶりです!」
そう言って女の人……茜さんはぺこりっと成歩堂さんに頭を下げた。……何だ、この違いは。
「いつぐらいぶりだったっけ?ああ、オドロキくんが来た日だから、やっぱり結構経ってるなぁ」
そう言われて思い返してみると……確かに、結構此処に居る。ここまで一箇所に留まっているのは、早々無い。
闇から闇へ。夜の帳を追いかけるように生活するオレだから……
「で、今日は何か用かな?」
「あ、いえ、えっと……」
茜さんは口篭りながら巨大注射器を後ろに隠した。……遅いと思う。
「ちょ、ちょっと気になったものですから!ほら、オドロキくんの事とか!」
パン!と手を叩いて、浮かんだいい訳を口にする。成歩堂さんは、それを笑顔で受け取る。
「ああ。そうか。大分元気そうになっただろ、彼」
「ええ、それはもう!科学的に!」
そうして、軽い世間話をして、最後に成歩堂さんにカリントウを手渡して茜さんは去って行った。……その去り際にオレを見た目で判断する限りでは、オレを調べるのを諦めてないな……かなり……
茜さんを見送った後、成歩堂さんはふぅ、と溜息をついた。
「あの子ね、初日も散々キミの事調べたがって。諦めてくれたかと思ったけど、全然だったなぁ」
……やっぱり、油断できないな。あの人には……
警戒を強めたオレに気づいたのか、成歩堂さんは苦笑を浮かべる。
「でもね、悪い子じゃないんだよ?キミを調べるのだって……」
そこまで言って、セリフが不自然に途切れた。
そして、成歩堂さんの体がぐらりと傾く。
「成歩堂さん!」
そのまま倒れそうな体を、慌てて抱きとめる。閉じられた目は、すぐに開いた。
「成歩堂さん……大丈夫ですか?」
「……あ、うん。平気だよ」
にこっと笑って、俺から離れて体制を正す。
「ごめんね。急に眩暈がしてさ。やっぱり年かな?」
……いや、違う。今の眩暈の原因は、やっぱり………
「……オレに、血をあげてるから……」
オレのこの言葉に、成歩堂さんはゆっくり首を振る。
「僕だってただ吸われているだけじゃないよ。増血剤だって飲んでるから」
だから大丈夫。
成歩堂さんはそう言うけれど……
以前とまったく変わらない笑顔。でも、その顔は青白い。それも、日に焼けてないってからじゃなくて。
貧血でふらふらするだろうに、成歩堂さんは今日も仕事に出かける。
増血剤だなんて、もっと栄養のある物を食べないと健康に悪いよ。
でも栄養のある物を食べるには、食材を買う必要があるし、食材を買うには当然ながら金銭が要る。
けど、この家は現在無能な居候を抱えている身なんだ。経済状況を全部把握してる訳じゃないけど、まぁ、裕福では無さそうなのは確かだ。
家のポストには求人広告のチラシも入っている。それを見て、オレでも働ける所は無いか、と隈なく探してみたけど、オレは日中は調子悪いというでっかいデメリットを抱えてしまっているので、残念な事に出来る仕事が見つからない。
「…………はぁ」
一語一句まで眺めたチラシを、ぱさり、とゴミ箱に放る。
オレってやつは、ただえさえ吸血鬼としても無能なのに。本当に何も出来る事が無いんだな……
大切な人の為に、何も……
「……………」
となると。
残る手段はひとつだな……
オレはとある場所へと向かう。
2回ノックすると、相手が「はーい、どちら様ー」と言いながらドアを開けた。
「あれ?オドロキくん?」
そう、オレが訪れたのは茜さんの家だ。知った誰かの気配を探るのは、それこそ朝飯前だ。
「オレの血、欲しいんでしょう?だから、売ります」
「売る……?」
「はい」
「…………」
茜さんはオレの顔をじっと見つける。急な心境の変化を訝しんだのだろう。
けれど、探究心が勝ったのか、オレの本心を見つけたのか茜さんはその申し出を受け入れた。
「……ま。とにかく中に入りなさい」
ドアを開いただけで、中に様々な実験器具が並んでいるのが見えた。
「お……お邪魔します」
オレは、恐々と足を踏み入れた。
……うーん、やっぱりふらふらするけど……成歩堂さんと違って、オレは死なないから。ただ、苦しいのが続くだけ。
それも、今なら耐えられる。
吸血鬼の血の相場がどれくらいかなんて知らないけど、おそらく茜さんは多く見積もってくれた。これで、明日は美味しい物を食べさせてあげる事が出来る。それを思うと、不思議と血の足りない体でも空を飛べそうな気になれた。
部屋に戻ると、成歩堂さんが居た。いつもはオレが成歩堂さんを待って迎えているから、逆の構図だな。
「オドロキくん……」
「あ、成歩堂さんただい……」
「何処に、行ったの?」
「…………」
オレは滅多に外をうろつかない。だからこそ、気になるのだろう。
何も言わないオレに、成歩堂さんは表情で読み取ろうとでもしているのか、顔を覗きこむ。そうして、はた、と気づいたような表情になった。
「オドロキくん。顔が随分青白いよ?」
それはまぁ……血を採られたし。結構。
「血が足りない?あげようか?」
と、言って成歩堂さんが腕まくりをした。
「いいですよ!また倒れちゃいますよ!」
オレは慌てて、強引にその袖を直した。
「外を出歩いたから……ちょっと疲れただけです」
強ち嘘でも無いと思う。
「…………。あのね、オドロキくん」
成歩堂さんが言う。
「今日ね、誰も居ない部屋に帰って……ちょっとね。寂しかったんだ」
そう言う成歩堂さんは、本当に寂しそうだった。何だか胸がチクンと痛む。罪悪感と同時に、甘い優越感も感じた。オレの存在がこの人の心を揺らしたのかと思うと。
だからね、と成歩堂さんは続ける。
「此処に居る事に負い目とかは感じないで。僕がそうしたいと思ってる事なんだから……」
「成歩堂、さん……」
ゆっくりゆっくり、血の気の引いたオレの頬を撫でて言う成歩堂さん。その温もりが愛しい。
改めて思う。この人が好きだ。
好きで好きで、とても、欲しい。
オレが標準程度の吸血鬼だったら、ここで彼の血を吸って仲間に引きこんでいる所だ。
でも、しない。……出来ない。
自分の吸う血だって調達ままならないオレなんだから。
冷たい血の体引きずり夜毎彷徨い、暗い穴蔵で朝をやり過す……
そして次の日も貧血――
成歩堂さんには似合わないそんな暮らし。
貴方が好きで大事だから。
連れては行かない……こっちの世界には……
「成歩堂さん……」
オレの活動時間は人にとって安息の時間だ。成歩堂さんは寝ている。恐らく夢も見ないくらい、深く。
その寝顔を覗き込み、さっきされたようにそのやややつれたような頬をそっと撫でる。成歩堂さんと違って、オレの手は冷たいだけだろうけど。でも、深く眠っているというオレの目論見通り、成歩堂さんが目を覚ます事は無かった。
「……成歩堂、さん……」
再度、呼びかける。
オレは貴方が大事だから、オレの物にはしない。
でも、やっぱり吸血鬼だから、獲物を見過ごす訳にもいかない。
だからせめて、貴方の温かみをもっと感じさせてください。
身勝手な我侭だというのを承知で、オレは無防備な顔に自分の顔を近づけていく。微かな寝息を零す場所に、自分のを重ねるため。
ゆっくりと近づいて――成歩堂さんの体温を感じ取れるくらいに近くなると、さすがに緊張してきた。
でも頑張って顔を近づける。
その時。
――キャァァァァ…………
「!!!?」
遠くから女性の悲鳴が聴こえた……ような気がした。
「…………」
気のせいか空耳かもしれないけど……何となく気分が萎えて、オレは成歩堂さんから離れた。
成歩堂さんは言ってくれる。いくらでも此処に居ればいい、と。
でも、オレは判ってしまっている。そんなに長くも居られない、と。
刹那と悠久が交える事は無いんだ。傷の浅い内にさっさと姿を消すのが得策だと判ってはいる。
でも……
もう少し。もう少しだけ。
成歩堂さんの笑顔を、拝んでから。
オレの永遠が終わる直前、永い走馬灯の末に、その笑顔を鮮明に思い出せるように。
今まだと、そして多分これからも続くろくでもない人生に、せめて綺麗な花を添えさせて。
だから、あと少しだけ……
中にハーブを詰め込んだチキンをオーブンへと入れる。これで準備はオッケー。居候なんだから、せめて食事くらいしっかりしなくちゃな。最近はオレにも収入があるし、結構いい食材が使えている。成歩堂さんは気づいているのか気づいていないのか、その辺は触れてこない。知ってて黙ってるんだと、オレは思っている。
「さーてと、あとは成歩堂さんを待つだけ……」
上機嫌に呟いて、エプロンを外す。
と、ドンドンと乱暴にドアがノックされる。
「はい。……って、茜さん?」
まさかなと思ったが、そのまさかの相手だった。
茜さんは血相変えて、そして新聞を握り締めていた。新聞の勧誘……に来た訳じゃないよな。うん。
「ちょっとオドロキくん!あんたなんて酷い事を……!」
「ど、どうしたんですか、そんなに慌てて……」
どうもオレはこの迫力に慣れない。思わず一歩も二歩も引いてしまう。
「どうしたもこうしたも!見なさい!あんたがやったんでしょ、これ!」
怒鳴りながら、茜さんは手にしていた新聞を押し付けた。指し示す所の記事が言うには、隣の町で被害者がメッタ刺しにされる事件があったようだ。
「うっわぁー……なんて勿体無い」
血が溢れかえっている死体の写真を見て、思わず呟いた。被害者は女性でもある事だし。
これだけの血が飲めたら……一ヶ月はお腹いっぱいだろう。
「しらばっくれるんじゃないわよ!アンタの他に誰がするって言うのよ!」
「オレじゃありません!刃物でメッタ刺しなんて性に合わないですよ!」
どうやら茜さんはオレを犯人だと決め付けいるみたいだ。何ともはた迷惑な事に。
「ははん。どーだか。アンタには誰よりも血が欲しい動機があるのよ?」
うーん確かに。でも、オレにだって反論はある!
「とにかく、オレならこんな勿体無い事は絶対にしません!
茜さんに売血してただえさえ貧血してるんですから、道端にドラマチックに血溜まり作ったりしないで、綺麗さっぱり……」
「ちょっと、オドロキくん!」
急に茜さんが小声で、でも強い口調でオレを諫める。一瞬何事かと思ったが、この人がこういう態度になるのは一つしか無かった。
「オドロキくん……血、売ってたの?」
いつから、どこから其処に立っていたのか。成歩堂さんが居た。
「あ、その………」
「お、お邪魔しましたー」
言葉に詰まるオレを残して、茜さんはすたこら帰ってしまった。何て人だ!買ってる張本人の癖に!!
「……何かしてるだろうな、と思ってたけど……まさか血を売ってたなんて……」
ああ、やっぱりバレてたか。いやいや、それより……
「な、成歩堂さんに、少しはいい物食べさせたくて……」
それは本心なのに、小声でどもりながら言うから何だかいい訳みたいになってしまった。
「………オドロキくん、優しいんだね」
怒られるか咎められるか。そんな覚悟をしていたけど、実際にあったのはそんなセリフと優しい微笑み。
「……成歩堂さん程じゃ、ないです」
だからオレもそう言い返すと、面白そうにくすりと笑った。
「でも、無理はしないで?」
ああ、やっぱりそれを言うのか……
はい、と返事できればいいんだけど……
「……此処に居いたい為の無理でも、ですか……?」
「…………」
オレのこの切り替えしに、成歩堂さんはやや目を見張る。そして、さっきより苦笑を入れた微笑を浮かべた。
「オドロキくんは優しいけど……ずるいね」
それもやっぱりお互い様だとオレは思った。
「オドロキくん!」
またしても茜さんが怒声と新聞と共に部屋に殴りこんできた。今日は成歩堂さんも居るというのに、形振り構わず。
「この人でなし!黙って見てれば1週間で5人めよ!
いくら空腹だからって、世の中にはやっていい事と悪い事が!」
「オレじゃありません!」
まだ続きそうなセリフを遮って、オレも怒鳴り返す。
「うん。オドロキくんじゃないよ。夜は何処にも出かけてないし」
僕が保証するよ、と成歩堂さんが助け舟を出してくれたが、茜さんはそれで納得しない。
「でも成歩堂さん!こんな仕業するのなんて、吸血鬼くらいしか居ませんよ!
あたし、警察にオドロキくんの事言います!成歩堂さんまで餌食になって欲しくない……!」
そう言って茜さんは踵を返す。慌てて後を追うオレだったが、捕まえたのは成歩堂さんだった。
成歩堂さんは、今まで見た事が無いくらい、焦りの表情を浮かべていた。
「ちょっと落ち着いて、茜ちゃん!」
「落ち着くのは成歩堂さんの方です!」
ううーん、茜さん、大分ヒートアップしてんな……って、何を冷静に見守ってんだ!
茜さんを捕まえた成歩堂さんは、言い聞かすように言う。
「オドロキくんがそんな事する筈無いよ。
一緒に居るけど絶対僕に噛み付いて来たりしないんだから。チャンスなんていくらでも……」
そこまで言って、成歩堂さんは身体の機能が停止したように崩れ落ちた。
「成歩堂さん!」
オレと茜さんの声が被さる。オレはその体が床に激突するのだけは食い止めた。
前にも倒れた事があった。あの時はすぐに意識を取り戻したけど、今はまだぐったりとしたままだ。
……ここまで貧血が酷かったんだ……感情昂ぶるだけで倒れてしまうくらい……
「あんたのせいよ」
今までと打って変わって、茜さんが静かに言う。だからこそ、余計に凄味と迫力があった。
「それまで丈夫な人だったのに……今はどう?紙みたいな顔色して……」
そのセリフに触発されるように、オレは腕の中の成歩堂さんの顔を見る。
まだ、目を覚まさない。
「このままじゃ、血を吸い尽くされて干からびて死んじゃうわ。成歩堂さんが好きだったら、出て行くべきよ。
それとも、アタシに杭を打たせたい?
やりたくないけどね……アンタが灰になったら、成歩堂さんが悲しむわ」
「…………」
オレは黙って茜さんに目配せする。それに気づいた茜さんは、オレへと赴いた。意識の戻らない体躯を、茜さんにしっかりと手渡す。
「出て行く……つもりでした」
でもオレは意思が弱くて。
結局ずるずると何日も。
……これもいい潮時なのかもしれない。
成歩堂さんに最後の挨拶が出来ないのが心残りだけど……したらまた未練を引きずりそうだし、心残りがあったほうが記憶に濃く残る。
「成歩堂さんを……」
「ええ、ちゃんと回復するまで見張ってるわ」
茜さんの力強い即答に、オレは安心した。
オレは来た時に着ていたコートを身に纏い、未だ凍りつく寒さが漂う外へと身を躍らせる。
「遠くの町で人を襲いなさいよーっ!ヘマして杭なんて打たれるんじゃないわよーっ!」
離れ行くオレの背中に茜さんが次々と言葉をぶつける。あの人なりの労いの言葉かもしれない。
町の外に出るまで、オレは一歩も振り向かなかった。
今日の天気は、成歩堂さんと会った日みたいに吹雪いた天候だった。貧血の身に染みるぜ。
ずぼずぼと雪に埋もれる足で何とか前に進む。いつ倒れこんでも可笑しくなかった。
このままゆき倒れたら、今度こそこの世におさらば出来るだろうか。
この世から消えちまえば、成歩堂さんみたいないい人を2度と貧血せずにいられるのに……
成歩堂さん……
――オドロキくん……
あまりに強く思っていたせいか、幻聴までした。その声に気を取られ、すべっと見事に転んだ。
――オドロキくん
……また、聴こえた。
幻聴じゃない……のか……?
――オドロキくん!
「!」
成歩堂さん……
成歩堂さんが……オレを呼んでる!
「行かなきゃ……!」
オレは全力で来た道を戻った。
帰ってみれば町はすっかり夜の闇に覆い尽くされていた。夜の帳はオレのホームグラウンドだ。走る足も加速する。
人の何倍も早く疾走して成歩堂さんの部屋に戻る。そのドアは開いていて、それだけで十分嫌な予感をさせた。
開けっ放しのドアから部屋に入ると、部屋の隅で茜さんが、窓際で成歩堂さんが気を失っていた。
そして。
その成歩堂さんを胸倉を掴み、乾いた血のこびり付いた服を着た男が凶刃を振り翳している!
「おまえ……っ!成歩堂さんに何をする!」
オレの声に、向こうがようやくその存在を知ったようだ。
ターゲットをオレに変えて、刃を振るうが、もう遅い。本気を出したオレにかかれば、そんな動きはスローモーションにも等しい。
大降りのナイフを蹴りで弾き飛ばし、その首に容赦なく噛み付く!
2,3回大きく痙攣し、やがて男は力を無くした。
「成歩堂さん!」
男を捕まえたまま、成歩堂さんに大きな声で呼びかける。けど、それで意識を取り戻したのは茜さんだった。のっそりと起き上がる。
「ごめん……成歩堂さんアタシを庇って押しのけて……でもその拍子に頭打っちゃって」
いたた、と呟きながら後頭部を摩る。酷い事になっていないといいけど……
成歩堂さんは……やっぱり気を失っているだけで、大して怪我はしていないみたいだ。
良かった……
「でも、ついにやっちゃったわね」
その口調は責めるよりも激励しているように思えた。
「死んでませんよ。気を失っただけで。……やっぱり男はまずい……」
成歩堂さんは別だったけど。
多分この男が此処最近の連続メッタ刺し魔なのだろう。他に居てくれても困る。
思いっきり血を吸った。おそらく、今夜中にこの男が復活する事は無い。女性に預けても大丈夫だろう。
「まかせます。警察か……病院か」
「いっぱしの切り裂きジャック気取ってたからね。精神科の方が早いかも」
茜さんは髪を引っ掴んで男の顔を眺めた。何とも貧相な、どこでもいそうな顔だった。一体、何が彼を殺人者まで駆り立てたのだろう。
「よく戻ったわね」
やや気まずそうに茜さんがオレに言う。無理も無い。茜さんはオレを犯人だと思っていたんだし。その時は勿論憤慨したのに、今となっては、不思議と怒る気もしない。
「愛の力……ですかね?」
最後の戯言なんだから、これくらい言っても許されるだろう。
「でも、行くの?」
意外な事に茜さんが引きとめるような事を言う。
……ついさっきまでだったら、その言葉に甘えていただろう。でも……
「ここに居たいのは山々ですけど……結局オレだってそいつと変わりない……
そいつは一気に……オレはじわじわと成歩堂さんを殺してしまう……――」
「オドロキくん!」
茜さんが呼び止める。
でも、オレは、それを振り切って窓から飛び出した。
夜の闇の世界。それがオレの住む場所なんだと、改めて思いながら……
さようなら、成歩堂さん……
貴方の事、忘れない……――
何百年経ったって、貴方の笑顔を思い出します……
世界の果てへ流れても貴方の幸せを願ってる――
「――ふぇっくしょぃ!」
オレは大きなくしゃみをした。
それは寒さからなのか、あるいは誰かがオレの噂でもしたのか。
それが成歩堂さんだったらいいな、と、俺はいつも願う。
<END>
普通吸血鬼ってもっと格好いいイメージだよねーと思いながら作成。
まぁ元がヘタレだから仕方無い仕方無い!
実際ホースケが夜の窓辺にふはははと参上しても「ボウヤはお帰り」って感じだよな。