そうだ、海に行こう!
「ねぇ、オドロキさん。海、行きましょうよ、海に!」
と、いつもながらみぬきは突然に突然な要求を突きつけてくれる。
「ええ〜嫌だよ。この暑い中さらに暑い所に行くなんて」
暑さでだらけきった法介がだらけきった声で言う。30度を超える猛暑日が続けば、いい加減暑さに抵抗する気も失せる。それが今の法介だった。法介は、袖を限界までにまくってタオルを首に巻いて保冷剤を額に当てている。
エアコン、という文明の器具を、あるけど使わないこの事務所は、オゾン層に優しく人にはかなり厳しかった。
じっとしていても暑い。動けばもっと暑かった。そんな部屋の状態(事情?)に慣れているのか、みぬきには海に行こうとする元気と余裕があるが、法介には海に行くまでの道中に使えるだけの気力も余裕も無い。
みぬきはバッと両手を上に向けて広げて言った。ステージ上だったら、さぞかし見栄えのする動作だっただろう。
バタバタとうちわを仰いでみるが、暑い空気が乱流するだけだ。無意味どころか体力を浪費するだけで何もいい事が無い。商店街のイベントのおしらせが裏に書いてあるうちわを、法介はテーブルの上に投げ出す。
「気の無い返事ですねぇ、オドロキさん。そんなので22歳気取ってていいと思ってるんですか!」
「気取って無くてもいても、俺が22歳ってのは変わらないよ」
みぬきに理不尽に責められても、法介の態度は変わらない。
「だめです!そんな心構えじゃ!そんなだから、皆に………
……………
……いえ、何でも無いです」
「いやいや、そこの所言って!是非言って!!深刻そうなシリアスな顔で止めないで!!オレ皆から何言われてるの!!」
勿論、そうやって必死に食い下がる法介にほだされるみぬきではなかった。さくさく自分の言いたい事を進行していく。
「だから。海に行きましょうよー、踊りに行こうよ青い海のリズムですよー!夏には海に行かないと!」
「……”だから”って接続詞の割りには、全然前のセリフと繋がってないような気が……」
前のセリフと言えば、自分が回りにアレな評価を貰っているという現実だ。
「海はいいですよー!広くて大きいし、何より青い!」
「その説明じゃ、あまり魅力を感じないけど」
思いっきり、ただ見たままを言っているに過ぎない。
「屋台が一杯あって、美味しいモノが沢山あります!」
「そこまで食欲に支配されてないから。俺は」
みぬきちゃんと成歩堂さんと違って、と胸中でこっそり言う。
中々頷かない法介に、みぬきもむぅ、となって考える。
「そんな事言わないで、行きましょうよ、オドロキさん!」
「ええー?」
「パパのトップレスが拝めるかもしれませんよ!」
「止めてくれないかなそうやって誘惑するのは」
思わず一瞬「よし行こう!」と即答しかけたではないか。
「オドロキさんがあまりにつれないので、みぬきとしても最終手段を用いらざるを得なくなったわけです」
ふぅ、やれやれ、とみぬきは言った。何に疲れて何をそんなに尊大なのか、法介は気になる。
(まぁ確かにあの人にはリーサル・ウェポン(最終兵器)的何かがあるけども)
法介は言葉に出さずに思う。
「……うん、じゃあ、みぬきちゃんがそこまで言うなら、オレも一緒に行くかな」
こほん、と小さく咳払いをする、わざとらし過ぎる法介だった。
みぬきは自分の要求が通ったので、わぁい、と無邪気に喜ぶ。
「さすが食欲には支配されないオドロキさん!その分性欲には素直なんですね!」
「………………………………」
自分で言った事だけに、異議が唱え辛い。
「では早速。パパを説得するのを手伝ってくださいね」
「え、話しつけてるんじゃないの?」
きょとんとする法介。
法介はさっきのみぬきのセリフは無かった事にした。
「まだですよ。パパってば、オドロキさん以上の出不精なんですから」
出不精という割には普段ノラ猫のようにフラフラしているような。
いや、こういうイベント事に率先しないというのであれば、出不精でもあってるかもしれない。
「……でも折角期待してくれてる所を悪いけど、俺が言った所で成歩堂さんが素直にうんと言ってくれるかなぁ」
「甘いですね、オドロキさん」
みぬきは立ち上がって手に腰を当てる。
「ここで大事なのは中身じゃなくて数です。パパも日本国民なら、多数決という民主主義には勝てないはずですから!」
今までは一対一だったから、そうもいかなくて困ったものだ、とみぬきはしみじみ言う。
と、そんな時に成歩堂が帰って来た。
「ああ、今日も我が家は暑いねぇ」
その割には大して暑さを感じていないような口調だった。笑顔もニット帽も相変わらずだ。こんなに暑いんだから、あの帽子取ってくれないかな、と法介の淡い願いはこの熱気の空気の中に消え失せた。
「だったら、エアコン入れましょうよ」
法介はとりあえず言ってみた。
「オドロキくん、老体にエアコンの風はきついんだよ。もっと、労わってくれないかい?」
「そうですよオドロキさん。パパを労わってください!」
「……………」
可笑しい。さっき自分はみぬきの意見に賛同した味方の筈なのに、どうして口答えされたんだろう……その謎は誰にも解けない。
「ねぇパパ!」
と、さっそくみぬきは強請りに入った。
「海に行こうよ!」
「海……ねぇ」
と明らかに気の無い返事だった。
「オドロキさんも行きたいって。ね!」
「え、あ、あぁ。うん」
いきなり振られたので、法介はちょっと吃驚した。
「…………。オドロキくんも行きたいって言ったの?」
「ぅ……は、はい。言いました」
じぃ、と見据えられて、何だか責められたような気持ちになってしまった。別に疚しい事は特に何も無い筈なのだが。無い筈なのだが!(←2回目)
「………うーん、そうかー……」
成歩堂はちょっと困ったように、頭をニットの上から掻いた。
「判ったよ」
「えっ、聞き入れちゃうんですか!?」
みぬきは素直にわぁい、と喜んだが、法介はいつに無いくらいすんなり受け入れた事を訝しんだ。だって、普段が普段だから。まぁ自分にはかなり素っ気無い成歩堂だが、その分娘に甘いのだろう。
……何だか釈然としないものを感じて止まない法介だった。
「ただし、」
と、成歩堂が不敵に微笑んでセリフを続ける。
ああ、やっぱり何かあるらしい。
「普通に決めてもつまらないからね。ゲームで決めよう」
「別にいいですよ、無意味に遊び心を取り入れなくても」
と、言うか、行けなくなるかもしれない不確定要素を入れたくない。
「ダメだな、オドロキくん。今の内からそんな事言っちゃ。それだから皆に………
……………
……いや、何でも無い」
「だから俺何言われちゃってるんですか!?」
「じゃじゃーん」
法介の血の叫びには答えないで、自分でファンファーレを口ずさんでガラガラとボードを持ってきた。
其処には某テレビ番組で「パジェロ」とか「たわし」とか書かれていそうな大きな円グラフみたいな図があった。
「あっ、それはみぬきのナイフ投げマジック用のボード!」
まぁ此処にあるのだから、みぬき関連の物だろうな、という法介の予想は当たった。この事務所は、マジック用品の種類がハンズよりも豊富に見える。
成歩堂は何処からか取り出した紙に何事かを書き、円の中心から六等分された箇所にぺたぺた貼っていく。
そこにはみぬきの要求する「海」があったり「人情公園」とか「ひょうたん湖公園」とか「牙琉検事の事務所」や「オドロキくんの部屋」等がった。最後の部分にダーツが当たれば、やっぱり自分の所に二人は来るのだろうか。ヤバイ。1人暮らしの必需品が白日の下に曝される。
「チャンスは一回だよ。頑張ってね?」
にこにこしながら成歩堂はダーツを取り出した。
「じゃあオドロキさん、頑張って下さい!」
「ええー!相談も無くいきなり俺!?」
「だって、万一外したら悔しくて眠れなくなるじゃないですか!オドロキさんはみぬきが不眠症になってもいいんですか!?」
「とんだ言いがかりだよ!じゃぁ、俺が外した場合は、どうなるんだ!」
「今から聞くことは無いと思います」
「ゆっくり諭さないでくれよッ!怖いから!」
ぎゃー、と震える法介だった。
「ま、とにかくさっさとやりなよ」
と、軽い調子で成歩堂に言われ、ぽん、とダーツを手渡されてしまった。
「………………」
思わずダーツを眺めてしまう法介。
これが、成歩堂と海に行く為のチケットとなる訳か……
ごくり、と固唾を呑んだ。
「さーて、それじゃいってみようか」
成歩堂が円の部分を掴んで、ぐるん!と回る。カラフルに色分けされた色彩が混ざって何ともいえない色になる。
「オドロキさーん、頑張ってー!」
みぬきがきゃっきゃと応援する。自分でするつもりはまるで無さそうだ。
(……………。大丈夫だ、王泥喜法介。昔から人一倍、目が良かったじゃないか!そんなに狭くも無いあの範囲に当てるのなんて、訳ないさ!)
ぐ、と拳に力を込め、足を肩幅に広げて臨戦態勢を取った。
「……………」
相変わらず、ボードは景気よくぐるぐる回っている。
(落ち着け、王泥喜法介!集中するんだ!そう、証人の癖を見抜く時のように!)
頭の奥に力を込めるように集中すると、回る速度が少し遅くなったように思えた。残像で黒い線にしか見えない文字が、はっきり読める。
これなら、いける!
気合一発、全身集中!
法介のダーツは放たれた。
で。
法介たちが今何処にいるかと言えば。
事務所に居た。
「いやぁ、オドロキくんすごいど真ん中だったねぇ。お祭りの時に射的頼んでもいいかな?」
朗らかに呑気に、成歩堂はうちわをぱたぱたさせて言う。
「…………………」
そんな成歩堂に、反論するでも異議を唱えるでも突っ込みを繰り出すでもなく、法介はただ沈黙していた。
あまりに気合を入れすぎた法介のダーツは、円のど真ん中に当たってしまったのだ。それはもう、科学的にも完璧な円の中心に突き刺さっていた。
「うーん、これは……現状維持って事かな?」
どの部位にも当て嵌らないダーツに、成歩堂はそう審判を下した。
で、事務所に居る訳で。
「…………………」
法介としては、うちわをぱたぱた振っている成歩堂より、その横でさっきからとてつもないくらい輝いた笑顔を自分に向けるみぬきが気になって仕方無い。
今は成歩堂が居るけど、彼が居なくなりみぬきと二人きりになった時、どんな目に遭うのだろうか。
「……………………………………」
想像したくもない。……まぁ、する暇も無いくらい実現するだろうけど。
「おっと。そろそろ仕事に行かなくちゃだな」
「パパ、行ってらっしゃーい」
立ち上がった成歩堂を、みぬきが可愛らしく手を振って見送る。
バタン。
ドアが閉まった。
そして。
せめて法介の助けになったのは、その時の記憶のおかげでこの夏あまり冷房が要らなかったという事だ。
救いになったかどうかは、定かでは無い。
<END>
そういや某オフィシャルブックでダーツネタがあったなぁ、と書き上げてから気づきました。テヘ☆
あの時のなるほどくんは素敵に不敵だった。真宵ちゃんをやり込めて。
しかしみぬきちゃんがどんどんマッドな方向に行ってる気もしないでもない。
まぁ、千尋さんも竹刀ぶん回していたから、構わないよね!