裁きの鉄槌
夏の空を人間に例えたら、かなりヒステリックな女性に違いない。
肌を焼き焦がす程の強い光を浴びせたと思えば、全身ずぶ濡れになる程の水を浴びせ、果てには命を脅かす程の電撃を落とし狂う。
(……って、空を女性に準えるなんて、牙琉検事みたいな気障じゃないんだから)
墨を空に落としたような暗雲を気にしながら、そんな事を考えていた。あの雲は間違いなくかなりの雨を降らすだろう。それはまだいいのだが、雷を連れていたりしていたら嫌だなぁ、と思う。雷が落ちると、アレに当たって命を落としたというニュースが頭を過ぎるからだ。それに大きな音も十分脅威となる。耳を塞いで無いものとしておきたいが、そうも出来ないは此処が事務所で、数少ない所員の一人、ピアノの弾けないピアニスト兼無敗のポーカープレイヤーがソファに目の前に座っているからだ。所長のみぬきは自分の職場へと行ってしまった。
薄暗く、蛍光灯の光無しで文字を追うのがキツくなった為、電気のスイッチを入れて再びソファに戻る。対側に座る成歩堂は、微動すらしていない。
彼の前で雷に怯える様を見せてしまったら、どんな風にからかわれるか解ったものじゃない。
(成歩堂さんって、雷とか来たらテンション上がりそうな人だしなー)
などと法介は勝手に思っていたのだが。
「………ね、オドロキくん」
「はい?」
呼ばれた声はなんだか力が無いように思えた。腹でも空かしたのか、サイフが寂しいのか。
見れば、彼は窓の外を凝視していた。窓の外、というかあの暗雲を、だが。
「今日って、雷落ちるのかな」
「ええと……ああ、一部落雷を伴う夕立が来るとか書いてありますね」
傍らにあった新聞紙を広げ、文面をそのまま伝える。言いながら、げ、と顔を顰めた。
「………一部、って事は此処には来ないかもしれないって事だよね?そうだよね?」
「………………。成歩堂さん?」
僅かな希望に縋るような、必死にも見える彼に、ひとつの疑惑が浮上する。しかし、それを口にする前についにあの雲はここの上の空を覆ったようだ。
飛行機が低空飛行するような音が響く。
「―――――ッ!!!!」
息を飲んだのは一体、どっちだったのか。一瞬反射的に窓を見た後、法介は視線をすぐさま成歩堂に切り替えた。普段やさぐれたような半眼の彼が思いっきり目を見開き、微かに口元を戦慄かせていた。ああ、やっぱり、とさっき浮かんだ仮説が確信へと変わる。
(成歩堂さんも雷怖いんだ)
そう言えば高い所も苦手なんだっけ。
男性にしては情けない弱点だが、それでも共通項だと知ると途端に嬉しく思うのだから、人間とは解り易い。
そうして、再び雷の音がする。
「!!!!」
声にならない悲鳴を上げて、自分で自分の身体をキツく抱き締める。顔は怯えているのが手に取るように解るくらい、強張っていた。
何か声をかけたくて、彼の横にと移動した。
自分だって雷は苦手なのだが、目の前で誰かが酔っ払うと酔えなくなる心理と一緒なのか、自分以上に身体を引き攣らせている彼を見ていると、外の雷がそれほど気にはならない。それより自分が気にかけないとならないのは、目の前の彼だから。そう思う。
身を守る壁が欲しいのか、端によって肘掛部分に身体を寄せている。隣に自分が座った事に、果たして気づいているのかすら怪しい。
「成歩堂さん、」
雷なんてすぐ通り過ぎますよ。と言おうとしたまさにその時、ドォン!というけたたましい騒音と一緒に激しい閃光が走る。
「ッうわぁ―――――ッ!!」
「おわぁ―――――ッ!!!?」
成歩堂が悲鳴を上げたのは大きな落雷が落ちたためだが、法介が大声を出したのは成歩堂に抱き着かれたからだ。
「ち、近い!今の近かったよね、オドロキくん!?」
「え、ええ!近い、近いですッ!!」
――成歩堂さんがッ!と言えないセリフが胸中で木霊する。
ぎゃあぎゃあと会話にならない話し声は、再び走った閃光で中断される。今度は光の方が先に来たみたいだ。
「ッ!わ、光った!?今光った!!?」
「光りましたね。……音が後に来るって事は、近づいてるって事かな……」
妙に冷静になった頭は、成歩堂にとって残酷な事を言う。
「!!……ど、どうしてそういう事言うんだ―――ッ!!?」
「す、すいま……ぐぇぇぇ…………」
うっかり失言してしまった為、呼吸に困るくらいの力で抱き締められた。自分より肩幅が広い相手にすっぽりと抱き締められ、身動きが全く取れない。
(オレ、このまま圧死するのかな……)
と本格的に命の心配をし始めた頃、ようやく力が緩まった。
「……成歩堂さんって、雷怖いんですか?」
次の落雷を案じている相手に、そう尋ねた。解りきった事だけど、何となくやっぱり本人の口から聞きたい。
「オドロキくんは雷得意?」
「……得意不得意ってものじゃないと思うんですけど。
オレは好きじゃありません。苦手です。雷」
同士が居た事に安堵したのか、固かった表情がふ、と緩む。グ、と奥歯に力を入れて今の笑顔に何も考えないようにした。でないと、身体が妙な反応をしそうだからだ。このあまりに密着した状態で、それはかなりヤバい。
「そうだよね。音大きいし、当たったら死ぬし………」
と、自分が嫌いな理由を挙げていく成歩堂。
「…………。それに…………」
色々、思い出すから。
くっ付きすぎているせいか、彼の言葉にはしなかった本心が聴こえた。
(思い出す……?)
まさか成歩堂さん、本当に落雷にあったんじゃないだろうか、と思ってしまった。この人ならありえない事でもないだろう、と。
「……オドロキくん。ゼウスって知ってる?ギリシャ神話の」
「?………確か、一番偉い神様でしたっけ」
何でいきなり神様の話が?と思ったけど、単に気を紛らわせたいだけなのだろう。話に付き合った。
「そうだよ。で、ゼウスの武器は雷なんだ」
「……雷」
「そう」
その時、また落ちる。ぎゅう、と抱き締める腕に力がまた篭った。痛いけれど、息が出来ない程でもないので止めさせる事はしない。何より、仮初めだとしても彼の寄りかかり場になれて嬉しいから。いっそもっと雷落ちろ、とすら願ってしまいそうだ。
そんな邪な事を考えて居るとは知らないで、相変わらず彼は自分を抱き締める。
そして、言う。
「その雷は裁きの鉄槌で、罪人を討つ」
「……………」
それはまるで舞台の上のセリフのような。思わず聞き入ってどんな表情なのだろうか、と見てみれば彼は薄い笑みを携えていた。こういう顔が自嘲なんだろうか、と法介は思った。
「…………じゃあ、成歩堂さんには落ちませんね。雷」
裁かれた悪人を罰する為だというのであれば、この人は真実の人だから、落ちはしない。だからそこまで怯えなくても大丈夫。
あの雷がまるで自分を狙いに来たのだと、身を震わせている相手にそう伝えたのだが。
「………だといいね」
呟かれた言葉で、微塵も自分の言葉を信じていないのが解る。いや、信じていないのは自分なのだろうか、彼自身なのだろうか。
どうして自分が断罪されるだなんて思っているんだろう。この人は。
牙琉霧人が彼にそうしていたように、彼も7年間欺いていたから?疑わしいのを放置して、惨劇を引き起こしてしまったから?それとも自分と出会う前にも何か、とりかえしのつかない、どうしようもない事があったんだろうか。
「……大丈夫ですよ。成歩堂さん……」
「………うん。雨が降ってきたからね。雷はもう行ったかな?」
違う。
小声の否定は、バケツを引っ繰り返したような激しい雨音にかき消された。
雷雲が去るのと同時に、あれだけきつく撒きついていた腕も離された(ごめんね、苦しかったでしょ、と彼は言った)。
そして、垣間見る事が許された彼の弱い部分も、もはやあの雲より遠い。
見る事が出来ても自分の手には施しようが無い。
「……………」
だから自然現象は怖いんだ、と雷の轟音が残る耳を持て余した。自分の感情を摩り替えて。
<了>
ホースケはメンバーの中で一番関わった経歴が短いからその辺ジタバタすりゃええ、と思う。常に思う。
勝手ながら雷が怖いのは3−1と3−5のせいかなぁ、と。
雷=嫌な事件が起こる。みたいな。