メヌエット
「なあ、何か良さそうな曲とか知らないか?簡単でいて、それなりなモノに聴こえそうな」
「やれやれ、好き勝手に注文してくれますね、貴方は」
「ははは」
今、法介は店の軒先に立っている。一度殺人事件の現場となった店ではあるが、特に客足が遠のいたという訳でもなさそうだ。そもそも、暗黒街とか、密輸取引とかいう言葉にロマンを感じ輩が来るような店なので、実際に事件が起きた所で話題の種になるだけで誹謗中傷の餌食にはならないのかもしれない。
そして、まさにその正真正銘の現場でポーカーを嗜んでいる人物に、会いに来た訳なのだが。
とりあえず、目下の障害として、逆居雅香が立ち塞がるように立っている――と、言うか明らかに立ち塞いでいる。
「とっとと帰りな、ツノのおニイさん!アンタをこの店に入れる訳にはいかないんだよッ!」
真の姿を偽ったウェイトレスの姿ではなく、イカサマ師としての衣装で出迎えてくれた。それだけで本気の色が窺える。
「ど、どうしてですかッ!何で入れてくれないんですかッッ!!」
あとコレはツノじゃありませんッ!と負けず劣らず法介も言い返す。声の大きさでは負ける気なんて無いのだ。……ロジック的は、さておいて。
「どうしてもこうしてもないね!アンタだけは入れるなって、成歩堂のニイさんからのお達しなんだよ!」
「え………ええええええッ!な、何でッッ!!」
「赤くてツノがあるからだとさ」
「…………。異議あり!それは全く関係ありません、というか訳が解らないッ!」
その発言の真偽を法介は問わなかった。だって、かなり言いそうな気がしたから。あの成歩堂なら。
ぎゃんぎゃんと神経質な小型犬みたいに吼える法介に、雅香は、全くボウヤはこれだから仕方無いねぇ、みたいに腰に手を当てて、はあ、と息を吐いた。
……オレは貴方より年上なんだぞ。1つだけだけど。と、法介は心の中でだけ異議を申し立てた。
「ガタガタぬかすんじゃないよッ!アンタがどんなに叫ぼうが喚こうが自害しようが、絶対に入れてはやれないね」
「……命と引き換えにしてもダメなのかよッ!」
どこまで厳しいんだ!と法介は泣きそうになった。
しかしながら。
成歩堂が自分を中に入れるな、と言ったのはどうやら本当の事、みたいだ。さっきから何度も確かめても、この腕輪は無反応だ。頼むから反応してくれよッ!という持ち主の懇願を無視して。
「……アタシも、どうしてそこまで拒むのかよく解らないけどさ、」
と、あまりに法介が哀れに見えたのか、若干視線をそらしてぽつり、と呟いた。親切する事に慣れてないのかもしれないな、と法介は割りと失礼な事を思った。
「ウチがポーカーで賭けるのは、あくまでプライドだよ。でも、一般的には、博打……金絡みっていう印象が強いからねェ。弁護士がそんな場に居たら、マズいだろう?」
そう言えば、先の裁判でもそう疑われてたっけ。特に裁判長が。と、法介は思い出す。
「……ポーカーはしないよ。チラッと、見るだけ……て言っても無駄だよな」
自分で言って、法介はがっくりと肩を落とした。
あの人がダメ、と言ったら、ダメなのだろう。何が理由なのかは、相変わらずさっぱり見当もつかないが。
(もしかして、単に面白がっているのかなぁ)
初期の、警戒していた頃と打って変わってやたら構おうとする自分を。わざといじわるして困らす……なんて、ある訳ないか。
出来れば、そっちの方がいいんだけど。
もう、あの人が何も抱えていないといい。
これ以上、何も傷つかないで欲しい。
……そう思って、彼の職場を覗いてみたくなった。何せ、過去に渡って曰く着きだし、最近それがひとつ増えたし。
安全……とは言い難いような。
それでも、成歩堂がみぬきを残して消えてしまうような、そんな危険を孕んだ場所に居るとも思えないのだが。
考えては拉致があかないので、実際に赴いた訳だ。
(……まさか、出入り禁止にされてるとはなぁ……)
参ったな、とツノを巻き込んで髪をわしゃわしゃと掻いた。入るのは諦め、今日はこのまま家に帰ってしまおうと道を進む。
その時。
微かに、ピアノの音色が聴こえた。
「…………」
もしかして……あれは、成歩堂の弾いているものだろうか?
滅多に無い、とかつて病院で本人が宣言したように、法介もあれっきり聴かせてくれる機会に恵まれなかった。強請ってものらりくらりとかわされてしまう。こうなると、弾いてあげようか、と言ったあの時の言葉さえ怪しいものだ。あそこでうん、と頷いても弾いてくれなかったような気がする。
ちょっと足を止め、法介は来た道を戻った。完全に道を辿った訳ではない。店の前ではなく、横へ。ピアノの音が最も聴こえる場所に。
そして、その場所を定めた。小さな窓のある壁に、法介は忍者のようにぺっとりと張り付く。もっと音がよく聴こえるように、と。
(へえ……意外と形になってるな……)
簡単な旋律だけど、味わい深いような音色。何より、どこかで聴いた事があるような曲だった。
(ええと、なんだっけ……)
記憶の中を探ると同時に、耳を傾けるのも忘れない。
案外早く思い当たった。
(そうだ、”メヌエット”だ)
確か、この曲はバッハ……じゃなくて、ペツォールトが作曲したんだっけ、と学業で学んだ知識を掘り起こす。
そうか、この曲弾けるんだ。
知れて、ちょっと嬉しく思った。出来れば、こんなこっそりじゃなくちゃんと聴かせて貰いたかったけど。
(…………ん?)
この音色に触発されるように、何かを思い出そうとしている。
何だっけ。
何かあるんだよな。
さほど強烈ではない、記憶に埋もれてしまうような、日常的な何かで。
(何かのCMだっけ……いやいや、)
まぁ、音媒体であるのは違いない。テレビ、ラジオ、あるいはCD……携帯の着信メロディー。
(あ、そうだ!牙琉先生の着メロ!)
綺麗に思い出せて、思わず手をぽん、と打ちそうになった。心に引っ掛かる物が抜けて、気持ちが晴れ晴れとなる。改めて、音に集中しようと壁に耳を付ける。
そして、また思い出した。
そう、あの晩。
運命の歯車が動き出したと言ってもいいような、自分の取り掛かる最初の裁判となった、あの事件の日にも、この音色が牙琉の携帯から鳴っていた。おそらくそれはメールで――携帯を開いた牙琉は、微かに微笑んだ……ような気がした。そして、その日の夜は、少し早く終わる事になった。
この後、用事があるのですよ。
穏やかに、そう言って。
「………………」
何だろう。何かが形を成そうとしている。
それに伴い、心臓が激しく動悸する。
ひとつの可能性が頭の中で出来上がる。
(……いや。そうだと決まった訳じゃない……決まった訳じゃ、ないんだけど……)
一日はあれでいて結構長い。
用事の2つ3つは入ってたのかもしれない。
そう、成歩堂とのディナーの前とかにも。
それに、成歩堂からの着信の音色が「メヌエット」だと決まる訳じゃない……
何も、証拠が無いじゃないか……
家に帰ろう。
そう、決めた筈なのに、一体頭の心の何処で思ってしまったのか、自分はまたボルハチの店先に向かっている。
何がしたいのか、自分でも解らない。
ただ、無性に、さっきよりも成歩堂の顔が見たくなった。眼の奥が熱くて、泣きたいのかもしれない。自分は。
牙琉は成歩堂が憎いのだと思った。だから捏造をでっち上げ、その罪を擦り付けてバッジを彼から奪ったのだ。それまでの法では裁けない、巧妙なやり方で。
犯人は、被害者に対してなんらかの悪意を持っている。それが、犯罪の大前提なのだと思う。
牙琉先生は成歩堂さんを憎んでいた。裁判の終わりに、あんなにも憎々しげに名前を叫んだではないか。
親友だって言ってた、あのセリフは嘘の筈だ。その時は、まだ自分はこの腕輪の力を知らなかったから、気づけなかった。嘘をつく時の仕草とか、そういうものは。
それに仮に本当に成歩堂の着信がメヌエットだったとして、本人がそれを知っているとは限らない。あるいは、あれしか弾けないだけなのかもしれない。あまりこだわりの無い人だから、平気で弾くだろう。
(でも、オレは店内に入るのを拒まれた)
そうだから なのか?
塞がっていたと思っていた傷口が、実は開いたままだと知った時のような、危機感と焦燥感。
それが自分を店の店先へと導いた原動力なのだろう。
そして。
もし、タイミングの神様とかいうのが居たら、余程親切か意地悪かのどっちかだ。
丁度、成歩堂が出て来た。
目の前で。
「………………」
向こうはすぐに自分に気づいた。
半分夢の中にでもいるような、寝惚け眼みたいな双眸。でも、誰よりも真実を見抜く光を宿しているのを、自分は何度も目撃した。
「やあ、オドロキくん」
「こ、こんばんわ……」
驚きと混乱のあまり、普通の挨拶をしてしまった。いや、別にしてもいいのだが。
成歩堂と言えば、自分の指示で出入り禁止にした相手に、平然と構えている。他の場所ならともかく、その立ち入り禁止にした場所に居るのだから、もう少し反応があってもいいと思った。きっと、こっちから言い出さなければこの店に来てはいけないという事すら、言わないのだろう。
底が見えない人。
夜の海みたいだ。
まぁ、海じゃなくて、湖でも池でもいいんだけど。
何をしていいのか解らなくて、思考が明後日に飛ぶ。
「成歩堂さん……」
言いたい事、いや、訊きたい事は山ほどある。
メヌエット、弾けるんですね。
その曲、先生の着メロだったんですよ。
もしかして、成歩堂さんのだったかもしれません。
知っていましたか?
知っていて、弾いてるんですか?
だったらどうして、今もそれを弾くんですか……
先生の事、どう思っていたんですか?
どう思っているんですか?
「……………」
目の前の成歩堂は、何も言わず、けれど待つように立っている。
この人は解ってるのかもしれない。自分が曲を聴いていた事に。
何故だか知らないが。
泣けてきた。
このまま何もしないで立っていたら、本当に泣いてしまいそうで、何とか言葉をひねり出した。
「あの……」
「うん?」
「その……真実って、ひとつだけなんでしょうか……」
訳が解らないな、と自分で毒づく。けれど、それは抽象的にまとめた言葉でも、あった。
牙琉霧人の真意は何処にあるんだろうか。自分が陥れた相手を、親友という置き場に置いた事。見張る為……で、いいのだろうか?本当に?
裁判が終わった時は、それで説明がつくと思ったのに。
でも。
成歩堂を親友だと紹介された時。
あの時、本当に、ああ先生の親友なんだな、と自分は思ったのだ。
「中々、深い事を言うね」
パーカーのポケットに手を突っ込んだまま、成歩堂は笑ってみせた。
「そうだよ、真実はひとつだ」
その言葉に、揺らぎは無かった。でもね、と、彼は続ける。
「人の心は簡単に割り切れるものじゃ、ないんだよ」
「………………」
全てを物語っていそうな、単に自分の質問に答えただけのような。
ああやっぱり。
底が見えない。
また無意味に泣きそうになる。
「……成歩堂さん」
と、名前を呼ぶのはこれで2回目だ。そう思えたのは、言ってしまった後だ。
「今度は何かな?」
面白がって、先を促す。
今訊けば、解ってしまえるだろうか。自分の力、この腕輪を知った今なら。
訊いてみようか、牙琉先生の事、事件が起こるまで本当に、友達だって思っていたんですか、って………
……もしかして、今も?
「……帰りましょう。一緒に。途中まで」
結局、言えたのはそんなセリフだった。ようやく真実を見出せるようになった時点では、その奥底に潜む別の物にまで眼が届かない。危険、の二文字が点滅した。うっかり手を出してしまったら、取り返しのつかない事になりそうで……相手も、自分も。
恐れと悲しみが同居する、未だ経験の無い不安。
「お出迎えなんて、子供の頃以来だな」
ふふっと愉快そうに笑って、それでも自分の申し出を受け入れてくれた。
特に会話もなく、二人で歩く。他人から見たら、年齢も服装もてんでバラバラな自分達はどう見られるんだろうな、と、法介はぼんやり思いながら。そして、ぼんやりしたまま、横の川を見る。夜空を受けて、まるで墨汁を流したような川。まじまじと見ると何かが潜んでいそうで怖くなる。まあ、こんな暗い川に入ったら危ないだろうから、遠ざかっておいて正解なのかもしれないけど。
そういう事なのだろうか。
底を見せないのは、入ると危ないからなのだろうか。
やんわりと、遠ざけているのだろうか。
自分は経験が浅い。犯罪者の心理なんて、予想もつかない。
「……………」
自分も相手も互いを親友だと思って、間にはきちんと友情が存在していた。それなのに、罪を犯さずにいられなかった人間の心理を理解するのに、自分は、まだ未熟過ぎる。その哀しさで押しつぶされてしまいそうだ。
きっと、これから先、弁護士人生を歩んで行くのなら、こんな事にまた遭遇するのだろうな。そんな、今はまだ微かしか手ごたえの無い覚悟を決めた。
成歩堂が今後もあの曲を弾く――それを自分が願っているのか、拒んでいるのか、それすらも自分はまだ解らない。
「メヌエット……それって、どんな曲だったっけ?」
「ああ、携帯のメロディーに入ってるので聞かせましょうか」
「悪いな」
「ついでに、貴方の着信音にしておきますよ。だから、早く覚えてくださいね」
end.
うーん何が書きたかったのか……。ただ最初は何の曲を弾いてそうかなーという自分の戯言だったんだけど。
見張る為ならハミガキさんみたく監視だけでよかったんじゃん。親友ならんでええやん、とかぐるぐるして。
まぁワタシも例え監視でもハミガキさんとダチにはなりたくないな!(どーん)
ナルホドくんとはむしろ監視したい為に犯罪犯してしまいそうだけどね!(どどーん)