Moon Nightに逢いましょう
「いいか、成歩堂。クラブじゃねぇよ。クラブ!だぜ☆」
イントネーションは下げるのではなく上げていくのだ、と何度も自分にレクチャーしてくれた。
で、今、まさにその場所に居る訳だ。
大音量の音の波と、黒く見える人だかり。カラオケの3倍はありそうなBGMは、もはや音ではなく振動として肌を振るわせた。
今日、誘われたのはいつもの飲み会みたいなものだと思っていた。なのに、あれよあれよと連れ込まれたのは今まで足を踏み入れる所か向けた事もないクラブハウスだった。社会勉強として一度くらい入っとけ、と同年代、というか生まれ月の関係で若干年下となる幼馴染は言う。
「だーいじょうぶだって!ここは健全で安全なクラブだからよ!」
安心させるためだっただろうその言葉は、けれどふしだらで危険なクラブもあるのか、と返って恐怖心を煽る要因となった。
舞台の上でスポットライトを浴びていたからだろうか。日の届かないアンダー・グラウンドにはそれだけで身が縮こまる。急な階段をひとつ降りる度、心音が大きくなっていくような気がした。
「矢張……」
文字通り腕を引かれながら、尋ねる。
「クラブって、何をすればいいんだよ……」
セリフは尻すぼみとなる。自分の状態をとてもよく表していた。
「あー?そりゃお前、ナンパしたりされたりに決まってるだろ」
「そ、そんなの、しないよ!僕は!」
情けないと思うが、女性となれば小学生相手にだって緊張してしまう。最も、最近の小学生は随分大人ぽいけども。
「じゃー適当にやってりゃいいってば。適当に踊ったりよ」
それは得意だろ?と振り返って言う。
「ぅぅ…………」
と、唸る自分の顔は、きっと歯医者や注射の順番待ちをしている時みたいな顔なのだろう。そう言えば、十歳の予防接種の時は、今は居ないもう一人の幼馴染の腕にしがみ付いていたものだ。幼馴染の定義はよく知らないけど、子供の頃知り合って今でも友達だと思っているなら、例え会っていなくてもその相手は幼馴染と呼びたい。
――そう、矢張があきらかに無理矢理自分を引きずっているのは、そのもう一人の幼馴染が原因で。
十歳の三学期。少なくともあと三か月は彼と同じ教室で過ごせる、と思いながら登校した初日、いきなり彼は居なくなってしまった。家に行ってもすでに引っ越した後で、教師に訊いても逆に訊くなと怒られる。ただただ泣いて泣いて、泣きはらして進学し、成人を迎えた今になってひょんな事で彼の居場所を知った。
それはあまりいい形とは言えなかった。
弁護士になると誇らしげに言っていたのにどういう訳か検事になっていて、しかも自分の無実を証明してくれた正義感の強い彼が捏造や偽証の噂に包まれている。そんな馬鹿な、と信じていながらもやはり本人の口から訊きたくて取れる手段全てを使って連絡をしてみるが――全てが空振りに終わる。電話を引き継いでもらえない以上、手紙を綴るしかなくて、しかし未だに返事は来ない。届いてないのか読んでいないのか。どっちにしろ、自分にはありがたくない事態には変わりない。
どうして?と解消されない疑問だけが増えてきて、来てない返事を見るのが辛くて、家に帰る足が重くなる程だった。けれど、止めようとは思えない。やっと見つけた、蜘蛛の糸より細い、けれど確かに彼に通じる道を見つけたのだから―― 何も解らずに涙だけ流していた昔より、何か出来る今の方が余程いい。
とは言え、やはり人には限界というものがある。
何も返してこない御剣は、まるでその噂が真実だと語っているようで、彼を疑う自分が生まれそうで怖い。
そんな自分を見かねたからだろう。今日のこの強行は。
その気持ちはありがたいけど、でももっと自分に合った方法が良かったよ、と失礼を承知で愚痴らせてもらう。入るなり早々、好みの女性を見つけた矢張は彼女をゲットすべくあっさり行ってしまった。自分を残して。
(あいつは、思いつく事自体はそう悪くないのに、それの仕方がまずい)
だからトラブルメーカーと成り得るのだ、と子供の頃から健在の二つ名を思い、そう結論する。
(で、これからどうしよう……)
成歩堂は自分の事を思う。回り中人だらけなのに、知り合いが一人も居ないという状況は居ていても面白くないどころか萎縮するだけだ。仕方ないので、邪魔にならないような場所に立ち、ワン・ドリンク制だとかで無理矢理購入されたオレンジ・ジュースをちびりちびり全部なくならないよう、気をつけて飲んだ。グラスが空になると、また買わされそうな気がしたのだ。
もう飲酒が合法の年齢になったが、アルコール独特の苦味や風味にはまだ慣れない。ジュースなんて頼んだら馬鹿にされるかな、と思ったが、周囲を見れば意外とオレンジジュースが蔓延しているので、ほっとした。成歩堂は知らないが、実はそれはジンがジュースの2倍強の比率で入っているカクテルなのである。
矢張が健全で安全、と言うだけあるのか、喧嘩を吹っかけられる事もなかった。BGMとなっているロック音楽は好きだから、一風変わったライブハウスって事にして自分を誤魔化そうかな、と成歩堂は考えた。
しかし人の耳とは不思議なもので、どんな騒音でも一部の会話が聞こえてくるものだ。近くに居る誰からか解らない話し声が聴こえる。
「そう言えばよ、何かこの店にどっかの政治家のおぼっちゃんが来ていたらしいぜ」
「マジで?」
「此処、コレとか売ってんじゃん?それ目当てだよな、絶対」
(………………)
コレ、と敢て固有名詞を誤魔化しているが、だからこそヤバい物だと判る。
サー、と血の気が引いた。
(――矢張の嘘吐き!)
どこが健全で安全なんだ!
恐怖に涙腺が緩み、滲んだ視界で彼を呪う。
(全く……”事件の影にヤッパリ矢張”の事件が、殺人事件にまでなったらシャレにならないよ!)
数年後に現実となってしまう事を胸中で叫びながら、成歩堂はグラスを空けて矢張を探した。ダンスするでもナンパするでもない成歩堂の行動は、他の人の迷惑となったが今はそんな事はどうでもいい。早く彼を見つけて、ここから出よう。それしか頭に無かった。
(何処だよ……矢張の馬鹿ッ!)
見つからない焦りはそのまま恐怖となる。今何かそういう事をけしかけられたら、自分は泣き叫ぶだろう。それくらい、怯えているのが自分でもわかった。
(………トイレ、かな?)
その可能性は拭いきれない。場所は知らないが、大抵は隅にあるものだろう。そんな適当な勘だったが、この場はそれが正しかったみたいだ。下に続く階段があり、その壁にはトイレがあるという記号が書かれている。
まだ下に下がるのかよ、とおっかなびっくり階段を降りる。
(僕は別に、シロウサギを追いかける好奇心一杯な夢見がちの女の子じゃないぞ!)
地下へと落下する小説の冒頭を思い出し、そんな愚痴をする。
(ああ、でも……)
シロウサギじゃないけど、追いかけている人は居る。まるで目の前を通り過ぎて行ったくらいの短い時間、けれど強烈な思い出を受け付けた人物を。
(結局、アリスはシロウサギを捕まえられなかったんだよな……)
しかし彼女は、あくまでシロウサギの行き先が気になって追いかけただけなのだから、別に捕まえなくても構わないのだろう。
でも、自分は――
トイレに着いたが、矢張は居なかった。狭い室内、詳しく確認するまでも無い。ついでだからと用を足し、ひょっとしたら危ない人が居るかもしれない上の人込みを避けたいという気持ちが彼の足を床に貼り付けた。
(ちょっと、気を落ち着けなきゃ……)
本当、今にも泣きそうだ。
怖くて、怖くて、怖くて。
上に居る人が全員、自分に危害を加えそうで。
まるであの学級裁判みたいだ、と一人自嘲めいて笑った。
(何処に居るんだよ、御剣……)
助けて、と思わず呟いてしまって、恐怖とは違う意味で泣けてきた。
と。
(! 誰が来る!)
コツコツ、ともゴツゴツ、とも形容しがたい足音が、こっちに向かって降りてくる。
どうしよう、と訳も無く慌てた。そうしている内に、相手が室内に入ってくる。
「――――…………」
何か英文字のロゴが入っている赤いニット帽を、眉をすっかり隠し瞼に届くくらいまで深く被っている。髪の毛は短いのか、それに全部収まっていた。
「……………」
相手が自分を見た。誰かが居るな、という認識の一瞥だろう。
絡まれる前に、さっさと退散しよう。
そう思って出て行く腕を――
ガシッ!
と、相手が掴んだ。
「!!!?」
冗談ではなく、3センチくらい心臓がジャンプした。体も喉も固まって、声が出せない。
振り返ると相手は体格が良くて、冷静に見れば成歩堂とそう変わらないのだが、そんな余裕は今の彼には無い。まるで自分を一撃で倒せそうな、屈強で危険な男に見た。
「……ぃっ………」
ぷちっ、と。緊張と恐怖の糸が切れた。
「ぃやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――ッ!!!」
「っ!」
コンクリで打ちっぱなしの、狭い室内にその叫び声は反響したのだろう。相手がひるんで、掴む手が緩む。その隙を、当然逃しはしなかった。
もはや零れる涙を止めもしない。滲む視界でしかし出来る限り速く走り、人の多さのせいで狭いのか広いのか判らない店内に戻った。
階段を駆け上がると、さっきあれほど探してどうして見つからなかったのか、矢張がデレっとした顔で年上の女性に媚び諂っている。
「…………………」
強引に人を退けて、矢張に赴く。
と、矢張が自分に気づく。
「よぉー、成歩堂。紹介してやるぜ、こっち……」
「………ゃ、だ………」
「ん?」
あれ、お前泣いてる?と矢張が覗き込む。その体を、ガシッ!と抱き締める。
「やだ!もう嫌だ!帰る!帰る――――――ッ!!」
そしてわんわん泣いた。
「ちょ、オイ、成歩堂!?」
慌てふためく矢張の背後、ナンパした彼女達はターゲットを移してしまっている。それに矢張は追い縋ろうとしたが、抱き着いている成歩堂は、勿論それを許しはしなかった。
仕方無いので、矢張は女の子漁りを諦め、すっかり昔の泣き虫に戻ってしまった成歩堂の手を引いて店内から出た。何故か店の前に張り込むように、くたびれたコートを来た大きな男性が居て、泣きじゃくっている友人と自分を見て怪訝そうな顔をした。矢張は足を速めてその場から去る。
外に出て、空調ではない空気を感じ、ようやく落ち着いた。
矢張はやっぱり強引過ぎた、と反省したのか缶ジュースを奢ってくれた。成歩堂がさっき小耳に挟んだ会話を告げると、顔を青くしてもうあそこ行かね、と呟いた。事前リサーチはもっとしっかりやって欲しいものだ。
ぐすっと号泣の名残に鼻を啜る。
(……………。何か、思いっきり泣けてちょっとすっきりしたかも……)
明日も返事は来ないかもしれないけど、そう気を沈めずにいられそうな気がする。かなり荒治療だったけど、結果として自分にとって良かったのだろうか。
「……矢張」
「ん?」
「ありがと」
鼻声の抜け切らない声で礼を言うと、一瞬彼はきょとんとしたが、言われた礼はありがたく貰う事にしたのか、まぁな!と得意げに胸をそらす。そんな彼の行動や仕草は、全く昔から変わらない。
(……うん。だからあいつも……)
彼に関しては、もうかなり昔の記憶しかないが、それを信じよう。
今、彼はどうしているだろうか。謂れの無い噂に苦しんでいるのだろうか?誰も助けてくれないというなら、自分が立ち上がりたい。彼が自分にそうしてくれたから……
(御剣は、今何してるのかな)
見上げた月は見事な満月で、だから彼も見ているかもしれないな、と思った。
(大人になった御剣って、どんな感じだろ。子供の頃から格好いいから、やっぱり大人になっても格好いいのかな)
背はどれくらいだろうか。これでも自分は、標準よりやや高いくらいになったから、案外抜いているかもしれない。
他愛ない想像は、心と表情を軽くした。そんな成歩堂を見て、矢張はやっと胸を撫で下ろしたのだった。
最初から思っていたが、やはりこういう場所には馴染めないな、とニットの下の眉間に皺が寄るのを感じる。
店から出ると、刑事が待っていた。
「ッス!潜入捜査、ご苦労様ッス!」
「……車に控えていろと言って居た筈だが?」
「そんな!自分が座っている訳にはいかないッス!」
かと言って立っていても何もならないのだが。むしろ来客に不信感を募らせるのだというのが判らないのだろうか。まぁ、その気合だけは買ってやろうと思う。
「……で。どうッスか?」
「ああ。被告人がここに通っていたのは間違いないな。よってあの父親の証言は全て嘘だ」
「そうッスよね!自分もそう思っていたッス!」
嘘をつけ。ここに来る時ひたすら自信なさそうだったくせに。
法廷で検事側に不利な証言をしなければ、粗忽な発言は見逃してやろう。その分、証言台に立てば容赦しないが。
「……全く、圧力なぞ無駄な事を」
その整った顔を、あからさまに嫌悪に染める。
一度逮捕した被告人は、しかしすぐに上から釈放せよとの命令が届いた。答えは簡単だ。被告人が権力者の息子だったから。現場即逮捕だというのに、無理のある事をしたものだ。
その釈放理由として父親が主張するのが、被害者と被告人の接点の無さだったのだが、彼らがこのクラブハウスで会っているだろうというのは捜査上で浮かび上がった事。そして、それを確かめる段階でストップが掛かったのだ。
しかし、そんな理不尽な命令に従う義理が、何処にある?
罪人には須らく罰を。自分が従うのはそれけだ。
「……でも、何か意外ッス」
「………?」
何が意外なのだ、と目を細める事で問う。
「何て言うか……普段と違って、熱いッス!」
「あ、熱……?」
「うッス!捕まえた犯罪者は逃がさない……そんな執念を自分は感じたッス!」
「……………」
どうやら、彼は褒めてくれているみたいなのだが……その言葉を聞いて自分に好印象を持ってくれる人はどれだけ居る事か。言い方もアレなのもあるが、自分の周囲を取り巻く悪評は、自分がよく知っている。
それでもいい。例え万人に罵られようが、犯罪者を有罪に出来れば、それで。
それに……
「……今日は、気が向いただけだ」
独り言のように弁明する。
そう、本当に気が向いただけの事。
ただ……手紙が溜まったから。
こんな事をしても彼が知りうる筈もないのに。ただの自己満足だ。
封を切らない手紙は溜まっていく。それを見る資格がないのは、思い知っているから。
しかし、厚かましいとは思うけが、積もり行く手紙の山がそのまま信頼の重さのように思えて――
(読まない手紙を待つ?……矛盾もいいところだ)
早く忘れてしまえばいい。自分の事なんか。
諦めてしまえばいい。……自分の事なんか。
(君は君の人生を進めばいいのだ。……私に関わる事なく)
そう思った時に、すぅっと胸が冷えたのは夜の空気を吸い込んだせいだろう。
今夜は馬鹿に明るいと思ったら、満月だった。
彼もあの月を見ているのだろうか。自分との接点は、それだけでいい。
そう思っているのは確かなのに、さっき彼に良く似た髪型の青年の腕を、咄嗟に掴んでしまっていた。最も、相手はどう見ても高校生くらいで、自分と同年代の彼とは歳が違うが。何やら怯えさせてしまったようで、悪い事をしたなと少し申し訳なく思う。
掴んだ腕に、自分で驚いた。被告人を有罪送りにする事以外に、まだ自分が執着しているものがあっただなんて。それ以外の心は、固く閉じた筈だ。あの、エレベーターの中に。
自分が彼に捕らわれるのはいい。
けれど、彼が自分に捕らわれてはいけない。
それを自分に改めて、頭に纏わりつくニット帽をばさりと取った。
月の光を写したような髪が露となる。
「御剣検事!検事局まで送るッス」
糸鋸が自分を呼ぶ。短く返事をし、足を進めた。
――この次に届いた手紙を読んだなら、この日に短い邂逅があったのを御剣は知る事が出来たのだが、それが果たされたのはかなり先の事だった。
<END>
互いに変質者と高校生だと思い違えているちっともロマンチックじゃないなオイ。
しかしあの泣き虫リュウちゃんが弁護士なるほどくんになったのはやっぱり千尋さんの影響というかおかげなんだろうな。
千尋さんビバ!!(アレおかしい!これミツナルなのに!)
で、ニット成歩堂さんになったのはみぬきちゃんのおかげ、と。