夢の国のアリス
バサッと何か紙の束が落ちる音がした。
発信源は、どうやらソファに座る御剣の方向らしかった。もし、自分のが落ちたのだとしたら、「だからいつも片付けろと言っているのだ」と小言を言いながら拾い集めるだろう。しかし、今は静かな沈黙しかない。
「……………」
成歩堂はパソコンで作成集の書類を一旦保存し、椅子から立ち上がる。ディスプレイに邪魔されて、居るというのは判るが表情やどんな様子かは判らない。御剣は、肩に頭の乗せるような姿勢で止まっていた。寝ているのだ。
起こさないように、床に散らばる紙を踏みつけてしまわないように気をつけて歩き、傍まで近寄る。その途中で書類を拾い集め、綺麗にまとめてテーブルの上に置いた。もしかしたら順序があるのかもしれないが、それは起きた本人に直してもらおう。
うたた寝から本格的に寝入ってしまった自分を、開眼一番なんと思うか。ちょっと見ものだな、と成歩堂は意地悪く思った。
「……………」
傍に来たのは散らばった書類を集めるためだったが、何となくそのまましばらく寝顔を見詰めた。書類を持っていた手はだらりと下がっていて、体の何処も力が抜けている。
眠った事に気づかない程の睡魔に見舞われた彼は、憔悴の色が濃い。けれど、穏やかに目を閉じているその寝顔は、安らかな眠り、と呼んで差し支えないくらいだ。
最初の頃は、眠る時でもその顔を隠すように顔をかなり背けて寝ていた。見ている方の首が痛くなるくらいに。けれど、何時ごろかこうして成歩堂は御剣の寝顔が拝めるようになった。本当に、いつだっただろう。他の記憶に埋もれて思い出せないくらい、目の前のこの顔は自分にとって日常なのだ。
御剣はここでよく眠る。本人としては寝るつもりはさらさら無いみたいだが、気づけばよくうたた寝をしていた。
家より、ここの方が眠れる。
おそらく本人は覚えていないのではないだろうか。半分以上寝ている状態で、いつか御剣が呟いた言葉。それを聞いて、成歩堂は嬉しく思い、同じくらいなんだか哀しくもなった。そこまで自分に捕らわれているのかと思うと、無限にあるだろう彼の可能性を奪っているような気持ちになる。
感情全てを自分に傾倒している彼を見ると、もっと周囲を見てみろよ、と言いたくなる。世界は広いのだ。彼の気持ちをもっと正確に、御剣にとっても好ましい形で受け取る人物だって、きっと居るはずなのに。そうしようとしないで、ひたすら彼は此処に通う。正確には自分の傍に。
しかし、御剣の気持ちがまるで判らない訳でもない。
図らずも自分は、かつて彼の憧れていた父親像、つまり冤罪から依頼人を救う弁護士となった。幼い頃無惨に父親を奪われ、その分開いた隙間に、彼は自分を求めているのだろう。そういう想いもあり、否定しても無くした訳じゃなかった親愛が引き合って変化した結果だと自分で勝手に結論付けてみる。
自分だって、被告人として裁判にかけられた自分を助けてくれた千尋に、学級裁判で一人異議を唱えた御剣を重ねている所もあるから。
「…………」
そろそろ、起こすべきだろうか。その前に、もう一度彼の寝顔を見る。
こうやって寝顔を窺っていると、物語のワンシーンを思う出す。その物語のタイトルは、「不思議の国のアリス」。
大まかなストーリーとしては、アリスがウサギを追いかけて彷徨い込んだ不思議の国で、ナンセンスでユーモアたっぷりな冒険を綴ったものだ。
が、実はその冒険はアリスの夢の中の出来事で、その話を聞かされたアリスの姉は、そんなアリスの無邪気な心のアリスも、いつかは一人前の大人になっていくのだろう、と想像する所で締めくくられる。
――今は自分を安らぎの場としている御剣も、いつか世界を広げて他に誰かを見つけて、自分から巣立っていくのだろうか。勿論それが彼の幸せに繋がるのなら、自分は快く見送るつもりだ。
ただ、この場所で、こうして知らない間に眠ってしまう程に馴染んでいた事は、出来れば忘れないで欲しい。
眠る御剣の顔を見て、成歩堂はそんな事を空想していた。
<おわり>
古典ファンタジー(という括りでいいのかどうか)で一番好きなのは「星の王子さま」。次に「不思議の国のアリス」。
ミツルギがアリスならナルホドくんはマリア様です(どきっぱり)
千尋さんはゼウスでいいと思う。
いや、あのおっさん世界各地で勝手に造った自分の子の後始末に追われてばっかだからやっぱ却下。