ミロワールの議会
彼は触れられるのが怖いと言う。
そして自分は触れられないのが怖いのだ。
見事なまでの真逆の性質の自分たちなのだが、一応これでも付き合いの形は恋人となっている。と、言うのも自分が彼にたいして友情では納まりきれない感情を抱いてしまったのが発端だ。かなり苦戦するかと思いきや、それに関して彼は割りと(自分で考えるより遥かに)受け入れてくれた。
向こうとしては自分が無断で勝手に居なくなったりしなければ、傍に居てくれれば形はもう何だっていいのだそうだ。
じゃあ彼は自分に対して、自分が持っているような強烈な恋情とかは無いのか?とそこから非常に悶々とした日々を送ったりもしたが、最終的にはこっちが持続させていけば関係は半永久的に続くのだ、と開き直って現在に至る。
だから、恋人かのかと聞けば、うん、と頷いてくれる。………少し間が開くけども。
まぁ、セックスなんてした事ないけど。
キスだってまだ両手で収まるくらいしかしてないけど。
ついで言うと、それも頬や額ばっかで口になんかしてないけど。
「………………………」
小学生ですら援助交際や痴情の縺れで殺傷事件に発展する世の中、絶滅危惧種の天然記念物として何か指定されそうだな、と自虐めいた考えに陰影を背負う。
いや、自分とて彼のように肉体的な関係よりは精神的な繋がりを重視したいと思うし(彼が接触が苦手ならなお更)、傍に居てくれればそれだけでいい、という気持ちも十分理解出来で共感もする。が、しかし。
(やはり、恋人らしいスキンシップもしてみたいではないか。恋人なのだし)
結論を出すと、行動に移るのは早い。結論を出すまではかなり長いのだか。
「ひとつ尋ねてもいいか」
と、ソファで隣に座ってくれている成歩堂に呼びかける。声も顔も真剣に。
「うん、何?」
まるで法廷の場を髣髴させるような固い物言いだったが、ここが御剣の部屋という事があるのか、普通に返す。
「寝ている隙に君にキスマークつけたとしたら、次の行動はどう出る?」
「……………………………………」
何?と言った後の表情を顔にしっかり保存したまま、彼は固まった。
ある程度の拒否反応みたいなものは予想したが、答えすらくれないというのはなかった。少し考え、指を三本立てた。
「…………?」
ようやく機能が戻ってきたのか、それを見て不思議そうに首を傾げる。
「なら、三択だ。選びたまえ。照れるか、殴るか、帰るか」
殴られるくらいで済むなら決行しよう、と企む御剣だった。
「多分ずっと硬直してると思う」
「………………」
三択と言ったのにそれ以外を答えるとは、さすがだな、と成歩堂に無意味な感心の意を抱く御剣だった。
「そうか……そうなるのか………」
と、腕を組んでぶつぶつ呟く。それを見て、成歩堂は呆れるような目を向けた。
「あのさ……今までの反応とか考えて、それくらい解らないか?」
憮然とすらいえそうな相手の表情に、自分も些かム、となる。
「言わなきゃ解らんと君も何度言えば解ってくれるんだ 」
決して堂々と言うべきセリフではないが、それくらいのプライドを捨てて彼と隔てる壁が少なくなるのであれば、それは躊躇わなかった。
「いやだから……想像できるだけの材料は渡したつもりなんですが」
呆れるのを通り越して、彼はもはや疲れている。
「材料があってもレシピが無ければ料理にならんではないか」
「レシピがその人間の想像力だよ」
「異議あり!ニンジンとジャガイモとタマネギと肉があっても、それからカレーを作ればいいのか肉じゃがを作ればいいのか、言わなければ解らんだろう!」
最近(成歩堂に再三言われて)覚え始めた料理の知識を持って反論する御剣だった。ちなみに、内心良い言い返しが出来た、とちょっと得意になっている。
「自分の好きなもの作っていなよ」
しかしながら実に素っ気無く切り返されてしまった。彼は胸中でこっそりがっくりしている。
そんな御剣に、ふと思い当たったように成歩堂は告げる。
「ああそうそう、ついでにそれ以上手を出した場合、無表情無抵抗にはなるだろうが、失踪のおまけ付きだよ」
そして極上の笑顔つきで言った。
「……………。人の専売特許を取らないでもらおうか」
「そんなもの専売特許にするなよ………」
またする気か、こいつ……?と思わず勘繰る成歩堂だった。
「そもそも言ったと思うよ、それ、前に」
「………………」
「無体な真似しない限りは失踪しないってことは、されれば失踪って………さすがに解るよね?」
「………………」
その「無体」のラインが掴めなくて、自分はどう振舞えばいいのかが解らない。
一体何処まで許してくれるのか。
隙あらば触れるのを求めては拒まれるというこの現状が続くと、彼がその内離れそうで怖い。過去二回程、意図的に彼から遠ざかった身としては、それはあまりに虫のいい話なのだろうか。
「…………その、あのな?」
恐る恐る、口にする。
「うん?なに?」
「君はいつぞやに、大切なものは目に見えない……みたいな事を言ったと思うが」
そしてその時、即物的で短絡過ぎとか窘められ、自分があまりに浅はかに思えて、結構その言葉は胸に来たのだった。
「うん、まあかなり意訳だけど……それが?」
きょとん、と相手を見詰める。
「いや、だから……私の大切なものは目の前の君なのだから、」
「うん?」
「手を伸ばせば触れるのだから……それ以外の事にも眼を向けろと言われても………」
「?」
何の事やら解らない、と言った具合に首を傾げている。それはそうだろう。自分でも整理しきれていない事を口にしているのだから。
「うーんと? 簡単にいうと………もっと接触を許せ、ってこと?」
「……………。まぁ、そうなる……のか?」
許すとかいう、そういう問題でもないような気がするけども。
自分が触れる事をもっよと容認して欲しい……となると、やっぱり「許す」となるのだろうか。
「うーん、どうなんだろ。僕個人としては相手の感情がこっちに向いているって解ればそれで十分だからよく解らない?」
そう言って、彼はまた首を傾げる。
「私はそれがよく解らないのだよ」
こちらからすれば、好きな相手に触れようと思わない彼が解らない。などと愚直な本音を言えば、それこそ自分に愛想を尽かれてしまいそうで、言えないのだが。
「? そうなのか? だって別に君僕の外見が好きとかじゃないんだろ?」
「………ああ」
彼の質問には、慎重に答えなければならない。彼を怒らせない、彼に嫌われない為もあるが、それより厄介なのは向こうの土壌に引き上げられる事だ。こうなると、もう逃げられない。結局は彼が欲しい言葉を与えてしまう。それが決して悪い事ではないのだが、譲れない事だってある。今がそれだ。
「それなら目に見えない部分が好きなわけで、それが与えられていれば、十分じゃないか??」
成歩堂は不思議そうに言った。
(そう来るか…………)
ならさっきの質問で、外見も好きだと言って置けばよかった、と臍を噛む。まぁ、その時はその時でまた違った言葉で自分はやり込められるのだろうけども。
彼の言い分にははっきりと筋が通っている。それは、相手が拒んでも尚求める自分より、余程矛盾が無い。
真実を述べる彼には勝てない。解りきった事なのに、それでも諦められないのは何故だろうか。
そもそも、自分が求めているのは本当はなんだろうか。
接触する事……それ自体なのだろうか?
「? どうかした? ……………また僕、変なこと言った?」
返答には不自然な沈黙に、成歩堂が窺うように言った。
「いや…………」
「?? そうか? その割には眉間に皺が寄っているけど?」
不審そうに見詰める成歩堂をしばらくそのままにしておいて、ゆっくり思想を掘り下げ、自分の本音を探ってみる。
そして、ようやく探し当てたようなそれを、言ってみた。
「多分、私は確認したいのだと、思う」
「? なにを?」
「君が隣に居るという事を、触れて」
「見えるだけじゃ駄目なのか?」
と、彼はきょとんとした。
(ああ、そうだ。見えるだけでは駄目なのだよ)
胸中でセリフを反芻し、自嘲めいた笑みを浮かべる。
「……馬鹿げた話だがな。時折この現実が夢でいつか覚めるのかもしれないと怯えるんだ」
悪夢に捕らわれ脅かされ続けた自分は、現実が儚いものだと、嫌になるくらい思い知っている。
今この瞬間が本当に現実だと、何で立証されようか。頬でも抓って痛みで確かめればいいと言うのか。ならば、痛みさえあれば夢は現実だろうか。
「まるで昔の逆に。……以前はこの現実が夢であればいい、と思っていたというのに」
「一つ聞いてもいい?」
「………うん?」
「何がそんなに不安なんだ?」
「…………………」
その声色に悲痛さが含まれていそうで、顔を見合わせられなくなった。膝の上、組んだ自分の指を見詰める。
「傍にいて話も出来て、相手が自分のこと見てくれて、でも、それだけじゃ……そんなに不安なものなのか?」
「…………ああ、不安だ」
一瞬迷ったが、取り繕う事無く今は本音をぶちまけたかった。
傍に居るのに不安だと言う自分を、彼はなんと思うだろうか。じゃぁもう知らない、と見捨ててしまうだろうか。
そんな薄情な人間ではないと知りながらも、そんな可能性が過ぎった。
「……………………。だから触って確かめたいって、いう…こと?」
じっくり考え、彼が言う。しかし御剣はそれに答えるより、自分のセリフを続けるような事を言った。
「……こんな風に幸せな日常が、実は夢で現実には誰も居ない。……そんな朝を、いつも迎えていた」
朝起きて、食卓には父と母が居る。そして当たり前に学校に行って、教室のドアを開けるとそこで目を覚ますのだ。そして、実際の食卓に父は居なく、教室にも彼は居ない。ぼんやり天井を眺め、耳の中に何が入っているのだろうと指を入れてみればそれは涙だった。
そんな夢は、あの忌まわしい絶叫よりもよほど自分を苦しめた。
ぽん、と御剣の頭撫でなる。。
「なんでそんなに不安かなぁ………」
撫でながら少し寂しそうに、言う。俯いた御剣からその顔は見れないが。
「だから、大切な事を、目に見えないものに求めたくはないのだ、私は……!
常に触って確認したい……逆に言えば触れるものでないと大切だと思えない」
目に見えない大切なもの、なんて。
……自分からして言えば、見えないのなら無いと同じ事だ。
無意味、なんだ。
こんな結論しか出せない自分は、彼には相応しくないのかもしれない。それでも……手放す気には、到底なれない。
どれだけ自己嫌悪の渦に巻き込まれようと、彼だけは離さない。向こうが離れようとしない限りは。
これでも、何の覚悟も決めずに手を伸ばした訳ではないのだ。
「難しいな……こういうことは」
そっと引き寄せて頭抱きしめながら、呟くように言う。
「例えば、君は……こうすれば少しは安心なんだろ?」
「…………」
御剣は無言で頷いた。
珍しい彼からの接触だが、辛い幼年期を振り返ったり、自己嫌悪してみたりとで、そっちに気を取られているせいからか、反応は静かだ。
「でもね、僕は怖いよ?」
「…………?」
困ったように笑う気配に訝しんで、上を見上げて彼の顔を見る。
「僕は人に溺れたくないよ。…………それはね、相手を溺れさせたくないっていうことでも、あるんだ」
「……………」
(溺れる……?)
何の事だろう、と考え込む。
背筋を伸ばした御剣の肩に、成歩堂が額を乗せた。近い位置に、今度は少しドキリとした。
「僕がいることで足枷が出来るのだけは嫌だ。
僕がいなきゃ前に進めない、なんて…………、君の自由がなくなっちゃうよ」
しかし本当に強張ったのは彼の顔の位置なんかでは無く、そこから紡がれた言葉で。
まさかそんな風に自分の事を慮っていたとは露にも思い浮かばない、身勝手で貧困な自分の想像力には愛想が尽きるが、それは後でいい。
慌てて、それを否定する言葉を吐いた。
「それは違う!足枷とか、そういうものでは、決して……!」
確かに我慢する事は色々あるが、不自由だなんて一度も感じた事はないのに。
「うん? だけど君はいっつも不安そうだから」
「それに……君が居なければ、私は前に進む処か、此処にすら存在しないぞ」
おそらく有罪判決くらったまま牢獄だろうな……と過去を振り返る。
「違うよ。気持ちの、問題だよ?」
そんな胸中が解ったのか、彼は微苦笑を浮かべた。どうやらまた自分は何か食い違えたようだ、とこっそり落ち込む。
「拠り所と、依存は違うんだよ?」
まるで言い聞かせるようにゆっくりと言う。
「……私は君に依存していると?」
「ううん。でも、してしまいそうで、怖い」
「……そこまで私は弱くない」
少し睨みつけて、言う。本当は声を荒げて怒鳴りたい所だがそれは堪えた。
「知っているよ。でもね、捕われ過ぎていて、怖くなるんだよ?」
困ったように首を傾げつつ言う。
「……それはいけない事なのか?」
まるで拗ねるような言い方になってしまったな、と思う。何だか彼の中の自分があまりに情けないように思えてきたから。
「何でもかんでも欲しいって君は言って………もし、それが手に入らなくなったら、立っていられるの?
…………そんな風に相手をしてしまうのは、恐ろしいことだよ?
与えることは簡単なんだ。手に入れることだってね。でも、与えなくすることや手放すことは容易じゃないんだよ」
「……………」
「だから、僕は怖いよ?」
「……私が君に依存するのが、か?」
そんなつもりは毛頭無い。けれども、自分より余程人を見る目を持つ彼が言うのだから、あるいはそれが真実なんだろうか。
「それと、そうすることを許しかねないこと、が」
こんな場面ではあるが、依存してしまう事すら承諾しかねないという彼に、今更ながら想いの深さを知った。そして、それを恐れている事でも。
本当に、精神面では永遠に適いそうも無い。
「君が思っている以上には、多分、僕はちゃんと思っているんだよ? バカみたいな心配しちゃう程度には、ね」
ああ、たった今思い知った、と心の中で呟く。
「……依存、というより、トラウマ、なのだと思う」
彼は心底心配しているらしいが、依存という言葉はどうも自分の中には無い。自分だからこそ気づけない、というのもあるが、彼が自分以外に相手を見つけたというなら、祝福は出来ないかもしれないが、素直に見送る事は出来る。見っとも無く縋り付いて喚き散らすような失態はしない。
自分より彼が幸せになればいい。それは根底に根付いているから。
「うん?」
「私はあの時、銃を投げつけたりしないで、父の手を握っていれば良かったんだ。そうすれば、誰も何も失わなかったかもしれない。
地震に遭遇すると意識が暗くなるようにな。大切な誰かと居ると、その手を握らなければという強迫観念でも起きているのかもしれないな……」
言いながら構築された理論だが、案外的を得ているかもな、と思った。
あれだけ傍に居たというのに、結局自分は父を失ってしまった。傍に居るだけでは、駄目なのだ、と幼い自分が必死に声を上げている。
「ああ………だから君、僕の手掴む時、力の限り握りしめるのか」
「…………………」
そう言えばその通りだな、と言われた事にやや赤面した。それこそ、離してくれと言われない限り握り続け、いや、握り締め続けるのだから。
「手………握っていれば、平気なのか?」
首傾げながら考え込みつつ彼が言う。
「……………。まぁ、最低ラインは、それだな」
それに、言いにくそうに答えた。
「うん?」
内容が薄かったからか、それそも声が小さかったからか彼は聞き直そうとする。
「いや、だから………もっと触れたくなる……たくさん………」
顔に熱が上がっていくのが解る。想像だけでこうなるのだから、自分も大概アレだと思った。
「手ぐらいなら、平気だよ?」
きょとん、としてそんな事を言う彼に、嫌な、というかこの場にはよろしくない予感が過ぎる。
(まさか、解ってないのかコイツ……!)
思わず頭を抱えてしまった。今更こちらが手を繋ぐくらいで赤面するとでも思っているのだろうか。それこそ彼じゃあるまいし。
「さすがに握手で済ませろとかはいわないから」
(違う!!!)
まるで子供を宥めるように苦笑して言うが、てんで内容が明後日だ。ますます頭を抱える。
「?? 御剣? えっと……?」
ひたすら頭を抱えるばかりの自分に、明らかに違う解答だって顔だけど……なんでだ?みたいな顔をして窺う。どうやら本気の本当に解ってないみたいだ。ある意味恐ろしい男だ。
「……………あれ? もしかして、手以外………のこと?」
ようやく思い当たったか、と抱えていた頭を上げる。
「………成歩堂。そもそも最初、私は君に何をしたがってこの話になった?」
苦笑やら自嘲やらを混ぜた器用な顔で告げる。
「? なんだっけ?」
しかし反応はコレで。
「…………」
いっそ実地で教えてやろうか、と血迷った自分を誰が責めようか。あれほど抵抗して警戒して、それでどうしてこう、スポーンと記憶が抜けるんだ!!
「御剣? また怒っているのか? 言わないと僕も困るんだけど??」
「……………。キスマーク………」
戸惑ったままで何も進展がなさそうなので、こっちから正解を口にしてやる。
「…………………………………。
……………………………え?」
と、呟いて真っ赤になる。ようやく解ったか、と下降していた機嫌が少し上がる。斜め上に、だが。
「キスマーク。寝ている隙につけてやろうか。起きている間は永遠に無理そうだからな」
真っ赤の彼を、軽く睨みつける。頭が追いついていないのか、今の発言の反応はまだ無い。
「そういう出だした」
吐き捨てるように、ふん、と言ってやる。
「え? え………………ええ? ちょっと、待った」
まるで法廷のように待ったをかける。そして法廷のように、混乱しているようだった。
「あ、頭がちょっと混乱してきた」
「……………」
解っていたとは言え虚しいな、と思わずには居られない。
(まぁ私としてはした後の予測データが欲しかっただけなのだが……)
だから、この反応だけでも目的達成……出来たのか?(自問自答)
「というか、君、なんでそんな真似したがるんだよ」
などと言う彼は、既に逃げ腰だった。狭いソファの上、どこまで逃げようというのか、という突っ込みより逃げられ気味なのが虚しい。おお、今にも帰りそうだ、と何気に遠い目になる。
「……さっき言ったと思うが」
じろーり、と意図的に睨みつけると、彼が面白いくらいにビクつく。少し可哀想な気もするが、彼の笑顔に色々翻弄されっぱなしなので、これくらいの意趣返しはいいと思っている(例え自分に非があろうと!)(←それはいかんだろう!)。
「な……に?」
「………もっと触りたくなる。たくさん。解らんか?」
これで解らなければ、本当に実地してやろうと思ったが、相手は汲み取ってくれたようだ。ちょっと残念な気がしないでもない。
「そ、それと直結なのかよ!?別に触るだけなら手でも………この際抱きつくまででも、そっちでも全然よくないか?!」
「………少し恋人らしき事がしてみたいなぁ、と」
目を泳がせて、指もじもじさせる。糸鋸ならびに警察関・検事係者が見たら卒倒しそうな仕草であった。ちなみに抱きつくのを由とするような発言が出たのだが、それに踏み込む事は無かった。これにちゃんと物申していたら、果たしてその未来はどうなっていたか、もう誰にも解らない。
「だ、抱きつくのも十分その範囲だと思うんだけど?」
何でそうすぐに飛躍するんだよっ、と、混乱しつつも憤慨しているようだ。まぁ、混乱の度合いが高いが。
しかし彼は彼で大変そうだが、こっちもこっちで忙しい。
「無理とは思っているんだ。無理とは………。無理だとは!」
軽く拳を固めて、くぅぅぅぅ、と悔しがる。
「なので寝ている隙にこっそり……と。しかしバレた後を思うと少々アレだから、事前に聞くだけ聞いてみよう、と………」
「いやいやいや、それ駄目だから。っていうか、どこにつける気だったんだー!」
と、見える範囲確認しながら彼は喚く。
「ああ、なるべく見えない所にするつもりだから、安心したまえ?」
そんな彼を、どうどうと諫めた。
「………………この場合安心すべきなのか、見えない部分は服の中だということを考えるべきなのか、すごく悩むよ…………」
知らず、冷や汗を流している成歩堂だった。そしてそんな成歩堂を見て。
(そうか、あの範囲が見えるのか……)
しげしげ眺めてから、やがてニヤリ、と不敵に笑った。
「お………い? なんか嫌な笑いしてないか?」
勘がいい彼は顔引きつらせながら言う。
「気のせいだろ」
しれっと返した。
「…………………………………」
すると何やら考え込んでいる。疑っているのだろうか。
こういう時は、話題を変えて意識を逸らしてしまうのに限る!……それでも逃げ切れない時は、多々あるが。
「と、言うことでしてもいいだろうか」
「………………聞きたいんだけど、」
「………何だ?」
じぃ、と見据えて質問する彼に、ひたすら嫌な予感しないが、無視する訳にはいかない。
「今もし、していいよっていったら、絶対に寝ている最中にそういう真似、しない?」
そう言って、疑惑の目を向ける。
「!!!! い い の か !?」
今はあからさまに疑われた事より、薄っすら見えた希望にかなり驚愕した。
(絶対はねつけられると思ってたのに!!)
それで何故言うのか。
人は常に矛盾している生き物だとしても、程があるだろうて。
「ううん、確認しているだけ。とりあえず答えて。情報足りなくて答えが出せない」
なんだ。承諾の意ではなかったのか、と軽く舌打ちをした。
「そうだな……それならばわざわざ寝込みを襲う必要もあるまい」
「本当に? 起きているときよかったんだからって、調子に乗ったりしない?」
彼からの疑惑は消えない。
「失敬な……私とてした後の反応を楽しみたいに決まっているだろう!それなのに寝ている相手で、どうする!あれは苦肉の策なのだ!」
御剣は言い切った。背景に荒波でも現れそうなくらい。
「………………………………」
(あんまり嬉しくないことを威張っていわれたな………)
思わず遠い目をする。
「さぁ、答えたぞ。成歩堂。……いいのか、どうなんだ」
「うー……ん、何度もねだったり、しない?」
と、成歩堂は問いかけてきた。
(これは重要な箇所だ。決して間違えてはならない……)
なので過剰なまでに用心深くなる。
「……それは強請る事自体か、あるいはキスマークか」
少し考え、こんな質問をする。その質問を受けた成歩堂は、訳が解らず、瞬きをした。
「? ごめん、どういう比較か解らない、それ。とりあえず今は、他のねだることは除外して聞いたつもりだったんだけど??」
「だから……断られた後もしつこく強請る事なのか、何度もキスマークつける事か、という……」
「……………………………………」
ちょっと言いにくそうに詳細を述べる彼に、軽い眩暈のようなものを感じた。
(あ、諦める気…欠片もない上、繰り返しかねない、こいつ)
そして言われた内容に、顔をまた赤くする。
「こ、後者…………」
そんな彼の反応に、同じ内容の事をを議論している最中に何故今更赤くなるんだ?と訝しんだ。つくづく解らない男である。
「ム、そうか」
と、こっくり頷いて。
「じゃぁ……もう少し、こっちに寄ってはくれないか」
そう言った。自分から迫らない辺り一応気遣ってるつもり………らしい。
「な、なんで?!」
ぎょっとなるのときょとんとするのを同時にこなした。
「……私の口はそこまで届かないのだが?」
何故そんな事を言うのだ?というみたいに御剣が言っている。
(いいよって言ってないのにする気満々なっているー!?)
ガィーン、と何かしらのショックを受けた。あまりに物分りの悪い相手にだろうか。その相手を選んだ自分にだろうか。
「………成歩堂?」
御剣はただひたすら、眉を寄せて彼が来るのを待っている。幸せな人というのは、案外御剣のような人間なのかもしれない。
「え? い、いや……だって、」
と、パニックに陥る成歩堂。
「………?」
(御剣からすれば)今更な可笑しなリアクションをする相手を眺め、眉を顰める。
「何度もつけなければいいんだろう?」
約束は破らんぞ、と成歩堂にして見当違いな事を、むぅ、となりながら言う。その顔は例えるならおやつを取り上げられた子供さながら。
(一応その点は留意してくれているのか………!)
けれどもあまり安心出来ない。
「し、しないとダメ、なの……か?」
「……………。させてくれないのか?」
ここまできて!としょぼんとなる。大きな体躯がしょぼんとなるのは割りと壮観だ。あ、落ち込んだ、と眺めてしまうくらいには。
「ダメ……とまでは、いわないけ…ど、あの、」
困った顔で呼びかける。
「うん?」
御剣はやっぱり駄目なのか、と意気消沈した顔を向けた。
「…………だから、身体とかに顔が近付くの、怖いんだよ…………………」
(抱きつくのだって駄目なのに、なんでそっちは平気だって思うんだよ!)
声にならない事は心で叫んだ。
「…………」
そう言われればそうだな、と、本当に今更ながらに根本的な事に気づいた御剣だった。
しかしこの流れを途切るのは勿体無い。折角ここまで持ち込めたのに。
「………なら君が私につけるか?」
ぽんと手を打ち、彼の特技でもある逆転の発想を使ってみた。
「無理っ!!」
……が、帰って来たのは顔を真っ赤にした彼の短い否定の言葉だった。しかも、早い。
「………むぅ、そうか………」
それはそれで美味しいんだが、と難しい顔で残念がる。
「は、恥ずかしくてできるわけないだろ、そんなこと!」
「しかし君に出来ないのならそれしか…………」
むぅぅ、と考え込む。眉間に皺が寄ってそうだ。
「そうだ、目を瞑るか?」
いつぞやはそれでよかった試しがあった。
「うう…………しないとダメなのか………?」
「……………」
はっきりとした拒絶は無いが、乗り気ではない彼にやっぱりダメなのか、とがっかりした顔になる。
(ど、どんどん意気消沈していくよコイツ…………)
子供だ。完全に子供だ、と思う。
「う……ん、どの辺に、つけるものなんだ、それ?」
せ、せめて怖くない距離が保てれば…………!と頭であれこれ必死に考える。
「まぁ……主に首元、だろうな」
色々思い返しながら答える。
「君に希望があればそれに沿うが?」
「希望というか……まだ怖くないのは腕なんだけど……、首?」
(頭抱えていたらすぐにひっぺがせるかな………?)
彼は悩む。激しく悩む。
「ああ、首」
迷いも躊躇いも無くきっぱりと言った。その後に、しかしそう言えば、何故に首なのだろうなぁ……と意味の無い疑問を抱いた御剣だった。
(ど、どうやったら怖くないんだろう………)
冷や汗まで出して思い悩む。御剣はじぃ、っと彼が動くのを待っている。
「あ、じゃ、じゃあ、君が座ってよ」
ポンと手と叩いて言う。
「ああ、構わんぞ」
やるのか!と自然顔がニッコリーと綻ぶ。大変解り易い。
「子供が首にキスしても怖くないし、まだ多分マシ……だと思う?」
かなり希望的観測を唱えた。そうでもしないとやってけないのだろうが。
(子供は首しないと思うが)
御剣はこっそりと異議を申し立てた。
「言っておくけど、抱きついてきた勢いのままぶつかっただけだから。不満そうな目をしないでくれるか?」
「ム。そうか」
心読まれた!と慟哭したが、そんな動揺は隠した。
「多分自分で抱きかかえる分には怖いとか思わないし、平気だと思うけど………」
そこで一旦言葉を切り、御剣に向き直る。
「逃げたくなったら逃げさせてね?」
そして真顔で言った。
「うム」
短いいつもの返事ながら、それはもうハキハキとした返事で、キラキラした笑顔だった。そんな表情、今の成歩堂には不安の要素にしかならないが。
「えっと、悪い、目……瞑ってて?」
御剣の方に手伸ばしながら言う。
「解った」
素直に従い、目を閉じる。期待に胸を躍らせて。それはもう、躍らせて。
目を瞑った御剣の頭をポンポンと撫でながら、子供だと言い聞かせつつ自分の方に引き寄せる。
「…………っ」
(だ、大丈夫大丈夫、多分、大丈夫!)
まるで呪文のように自分に言い聞かせた。
御剣は、目と閉じながらも何となく近づいてるのが解った。
キスマークをつける位置が解らないので、ただそのまま抱き寄せる。
「………………え………っと? この、辺?」
頭上から降りかかるような声がし、気配だけでもなく彼が今、非常に自分に近い位置だと解る。
自分の口が首元に来るように、つまり頭を抱きかかえられ、未だかつてないくらい彼の存在を身近に感じた。
心臓の音すら聴こえてきそうだった。比喩ではなく、本気に。
ふわり、と纏わり付く独特の空気は彼の香りだろうか。
「……………」
御剣はゆっくりと腕を上げ、そしてそっと彼の身体押し返した。
(うう……こ、怖い…………)
「な、に?」
半泣きになりつつ、彼のとった行動の意思を尋ねる。
「…………いや、何だ………」
顔が赤らんで目が潤んで。しかしそんな成歩堂の表情を御剣は拝めなかった。何故なら、顔を伏せていたから。
「う……ん?どうか、した?」
大きな身体が離れた事で、少し落ち着きを取り戻す。
「――これは練習という事で!本番はまた後日という事に!!」
らしくなく声を張り上げ、それを誤魔化すようにばんばんと肩叩いて言った。ちなみに顔は超ど真っ赤だ。完熟したみたいに。
「いい……の?? 本当に?」
不審過ぎる彼の挙動はさておき、あれだけ駄々を捏ねて強請った事を撤回するような発言をした相手に、目を瞬かせながら訊き直す。
「ああ!」
そして御剣はそれに力いっぱい頷いた。やっぱり顔は真っ赤で。胸は早鐘のようにリズムを刻む。あれ以上あの体制を取られていたら飛び出てしまいそうで、思わず押し返してしまっていた。
(クソ、たったこれだけでこんなに動悸が激しくなるのでは、むしろつけた後私の方が成歩堂を見れない……!!)
御剣は自分の失態に悪態をついた。彼に触れる、触れられる免疫が少ないのと、渇望しすぎたのが裏目に出たのだろうか。いざ与えられると、それは容易く許容をオーバーしてしまった。今は隣に座られるのすら、恥ずかしい。
そしてそんな今の自分の状態こそが、彼がスキンシップを好まない理由でもあるのだが、現時点で御剣が気づく事は無い。悲しくなるくらい、無い。
成歩堂はそんな御剣をただきょとんと眺めていた。
「そう……? うん、ありがと?」
「っ!!」
処理に集中している所ににっこり、と笑いかけられてしまい、ぼっとまた熱が上がる。
「ちょっと怖かったから、よかった」
ゆっくり深呼吸しながら、言った。ひとつ呼吸をする度に、気持ちも落ち着いてくる。
「こ……紅茶でも入れて来よう……君は、座っていたまえ………」
そして未だ落ち着かない御剣は、何か別の作業をする事で気を紛らわそうとしていた。それとは別にして、自分の淹れた紅茶を彼が美味しそうに飲んでくれるのは、それだけでも嬉しい事だ。最近、自分につられるようにちょっと紅茶の知識が増えたらしい。折角の茶葉をポットのお湯で淹れようとした時、全身を使って「待った」とかけただけの甲斐はあった。
「うん、ありがとう」
言われるまでもなく立てない成歩堂は、座っていろという申し出に素直に従った。
「………それと、な」
歩くのを途中で止め、顔が見れるように振り返る。
「うん?」
首を傾げつつ、返事する。
「……………。ありがとう」
もごもごと、礼の言葉を口にした。
「…………? どういたしまし、て?」
唐突なそれに、目を瞬かせながらも受け取った。
身勝手で情けない自分の内情をちゃんと聞いてくれたり、恐れを抱くくらい心配してくれたり。接触が苦手なのに跡をつける事を了承してくれたり。
それらに対して何か返さなければ、と思って、ありがとう、などと口走っていたのだがあまり相応しい言葉でもなかったな、と言ってしまった後に赤面した。きょとんとした相手の顔が居た堪れない。
もっと色々器用であれば、と痛切するのはこんな場面だ。
「僕の方も、ありがとう?」
「?」
悶々と悩んでいたら、今度は彼の方が礼を言って来た。まだ紅茶も淹れて無いのに何事だろうか、と眉を顰めた。
「ううん、さっきも言ったけど、怖いなって。逃げ出したいかなーと思ったけど、」
「…………」
ああ、やっぱり、と遠い目になる。
「君が先に今度でいいよっていってくれたから」
そして彼はにっこりと笑った。自分を威圧するようなあの笑顔で無く、感謝の意味を込めたような。
その笑顔を受け止め、自分の事情を考えると大分複雑な御剣だった。だって、自分の意気地が足りなかっただけの事なのだから。
「君が僕のこと気遣ってくれたのかなって、嬉しかっただけ」
そもそも本当に気遣っている相手なら最初からこんな事は言い出さないと思うのだが、そんな自爆するしかない異議は永遠に押し込めておく。
そして、本当に感謝しているような彼に、良心が咎める。それが彼に露見する前に、とっととこの場を去ろうと決めた。小賢しいとでも言えばいい!(開き直り)
「で、では入れてくるから………」
ははは、と何処かしら乾いてしまう笑いを彼に送り、うん、と頷いたのを見納めてキッチンへと向かう。
途中、何気なくちらりと見た成歩堂は、あれほど警戒していたというのに、事が過ぎてしまえば逃げもしないでそこに座っている。どうもヤツの基準が掴めん、と頭を捻らす。
(しかし、次こそは決めてやる!!)
ぐ、と拳を握り、全然懲りない御剣だった。
そんな御剣を見て、成歩堂もこっそり溜息をついていたのだが、当然彼は知る由もなかった。
<END>
違うよ!ヘタレじゃねぇんだよ!!
ピュアなんだよ!!!!!(自分の胸を親指で突きつけながら)
今回あの怖い笑顔が無くてちょっとほっとしております。アレは本当に心臓によろしくないので!ホントに!!
とりあえずスキンシップしたい御剣としたくない成歩堂はデフォルトですよ。ええ、それはもうデフォなんですよ。
そんな二人の妙な攻防を売りにしたいこのサイトです。
タイトルには特に意味が無いのは毎度事です!!
辞書開いて格好つきそうな単語並べてみたとです……ネーミングセンスが色々欲しいこの頃。